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2007年3月 4日 (日)

『上州の山河と共に』連載(57)「出馬を決意」

 私は、県民を代表して県議会で働く人間として、自分を売り込もうとしているのである。相手の奥さんが怪訝そうな顔をしているのは、それだけの商品価値があるかどうかを疑っているのだ。

 もし仮に、そういう商品価値があるかと聞かれたとすれば、私は、現在はまだその価値はないが、努力してその価値を身につけると答えるしかないと思った。そういう可能性を持った人間と信じて買って欲しい、と訴えているのである。このように考えると気が楽になり、訪問セールスもやや楽になったと感じられるようになった。

 現在、二期目の県議になって、この当時のことを時々振り返るが、様々な人に直接あって感じたこと、話したことの一つ一つが、貴重な体験として私の財産になっていると思うのである。

 また、時々、思わぬ所で、

「あの時、中村さんがうちを訪ねてくれたこと良く覚えているわよ」

などと言われることがよくある。

「夢中でした。自信がなく、おどおどしていたと思います」

「とても新鮮に映ったのよ。いきなり家に来て、県会の話をするからビックリしましたけどね。近所でも、すぐ話題になっていたわ」

 このような話を聞かされてみると、手探りで、進む方向もわからぬような状態でやったあの当時の私の運動も、なかなかの効果を産んでいたと思えるのである。

 話を元に戻すが、最初の頃の私の運動は、このように足で稼いで出来るだけ多くの人に接するという作戦が中心であったが、これと並行して、私の関係するいろいろな名簿に載っている人に対する手紙作戦も、重要な運動の一つであった。

 私の小学校、中学校、そして、高校の同級生、あるいは、中村塾の卒業生というようにグループごとに違う文面を作り、ハガキで訴えるという方法を採ることにした。

 作業に従事するスタッフは、私と妻ヒサ子、笠原久子さん、娘のゆり、そして、私の母の計5人であった。私が文面を作る。久子さんとヒサ子は手分けして清書したり、宛名書きをしたりする。そして、印刷には、市販されている簡単なプリントゴッコという道具を使った。一枚ずつ、ハガキをこの道具にセットして印刷するのがゆりの役目、印刷され、まだ乾かぬハガキを並べていくのが母の仕事であった。

 塾が終った後の教室は、一変して妙な作業場となった。

「まるでマニュファクチャーね」

プリントゴッコを操作しながらゆりが言った。

「ねぇ、県議選の準備を、こんな風にやっているって誰が思うかしら」

 黙々と筆を走らせていた妻が、顔を上げ子どものように瞳を輝かせて言った。

「これで本当に当選できたら、みんなビックリするわよね」

 こういいながらもゆりは、ちょっぴり不安そうである。

「ゆりちゃん、そんな言い方はダメ。当選したらではなく、当選させるのよ。絶対に」

久子さんの明るい声が夜の教室に響いた。

☆土・日・祝日は以前からのご要望により『上州の山河と共に』を連載しております。

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