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2007年2月28日 (水)

「本会議一般質問のいくつかの論点」

◆「給食費未納問題は極めて憂慮すべきこと」

教育長は、このように発言した。全国的に問題になっていることで、高級な外車に乗ったり、ブランド品を見につけながら給食費を払わない悪質な未納者への対応をどうするかと本会議で質問があった。

 教育長は、教師が保護者に直接請求することが、教師にとって大きな精神的負担になっていることにも触れ、市町村教委と協力して、統一のマニュアルを作って強く請求する体制をつくると答えた。その中で強制的な措置も考えていると語った。

 未納問題の実態は、自己主義的で身勝手な人が増えていることのあらわれである。保護者の中には、どうしても給食費を払えというなら子どもを学校へやらないと主張する親がいることも紹介された。県立病院の医療費の未払い等と共に、今日の人々の道義心や公共心の頽廃を物語る問題である。

◆温暖化防止対策について知事が答えた。

県は、新コツコツプランとして次のような対策をとっていると言うもの。

①マイバッグキャンペーン。延べ11万人が協力、数量にしてバッグ120万枚、結果としてドラム缶123本分の石油が節約された。

②群馬県環境スタンダード認定事業所数が333となった。CO2対策に力を入れる事業所である。

③廃食油リサイクル運動、菜の花エコプロジェクト。

④エコドライブキャンペーン(ガソリンを節約するドライブ)。

⑤エコドウ(環境を考えた行動。ペーパーの使い方、ゴミの分別、クールビズなど。)

 知事があげたこれらの例は、民間の人々の日常生活の小さな行動である。環境問題は足元からと言われる。俺一人の行動どうなるものではないと言う人がいるが、それは間違いだ。一人一人の小さな行動があつまって地球を救う大きな効果を生むのである。

◆児童虐待の異常さ。担当理事の語る実態は、現代社会の病理を現わしていると思った。本県の最近の児童虐待数は500件台に。毎年約100件ずつ増えている。内容は、身体的虐待が最も多く全体の約4割に達する。虐待の対象は乳幼児から小学低学年頃までが全体の約80%だという。虐待するものは、実母が6割、実父が2割で、実父母は合わせて8割になる。このような子を育てられない若い親の姿を想像する時、病める現代社会の深い渕をのぞき込む思いがする。我が家の猫トコなどは、子を産むと一匹一匹を尻の穴までなめてやり、犬が近づいたりすると猛然と飛び掛ったりして命がけの愛情を示している。猫にも劣る人間を育てた原因は何かを真剣に考えねばならない。

◆「食育の推進」では、幼児期に、良い「食の習慣」を身につけさせることの重要性が語られた。また、障害者を教師に採用することは、教室における障害者への理解を深めノーマライゼイションを推める上でも重要だという主張がなされた。

(実りある2月議会であることを願って。読者に感謝)

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2007年2月27日 (火)

 「連日の報告会・特別の思いの地」

 県政報告会は毎日続くが、特別の思い出が重なる場所が時々ある。西片貝町の集会はその一つ。役員が必死で呼びかけてくれて、予想通り多くの人が参加してくれた。懐かしい顔も歳月を重ねて白髪が増え、あるいは腰を曲げて歩いている。その姿が私の胸を熱くさせる。高齢者に混じって中年の輝く瞳や明るい笑顔があちこちに見られる。

「皆さんの前に立たせて頂いて、誠に感慨深いものがあります」私が話し出すと会場はしんとなった。

「この地は、私の政治の原点であります。人生の重大事を経験したところであります。この所で人生の同志、妻を亡くしました。新たに得た伴侶も近くの桂萱中で同じ頃教師をしていた人です。数々のドラマが現在の私の基礎になっています」

 中村塾の元塾生達やその親の顔がうなづいている。私に県議選出馬を勧め初当選の原動力となった旧友・故福島浩の奥さんの顔も見える。私は熱くこみ上げるものをぐっと抑えて続けた。

「あれから20年の歳月が流れました。この間時代は大きく変わりました。私が痛切に感じることは、物は豊かになったが人の心は貧しくなったということであります。今、力を合わせて頑張らないと、私たちの社会は大変なことになります。県議会は、そのために大事な役割を果たさなくてはなりません。私は、皆さんと過ごしたこの地の出来事を支えにして、原点に立ち返って県議会で頑張る決意です」

 このような話に続けて議会改革のことや県政の重要課題を少し話し、後は、約20分の映像放映に移る。これは、私が編集したもので、私のナレーションと動く情景が組み込まれている。その中には、議長として行った南米訪問のいくつかの光景もある。

 県政報告会は、ウーロン茶だけ、会費なし、来賓もなしのことが多く、約1時間で終わるが概ね好評である。西片貝の集会では、疲れを忘れ、その場の雰囲気から勇気と活力を与えられた。時に人間不信に陥いることの多い日々の中で、人の心の温かさに接した一時(いっとき)であった。

     「経済の好転は人口増の原因をつくる」

 景気が良いのは大企業ばかり、という声をいろいろな所で聞くが、実態は、中小企業も少しずつよくなっていることを感じる。

 私の集会に赤ちゃんを抱いて入り口の外に立つ女性がいた。気のせいかこのような姿が増えたなと思う。厚労省は06年特殊出生率が1.3台になる見通しと発表した。昨年7月7日の「日記」で、1.25に下がったことを書いた時暗い気持ちだった。厚労省は、要因として雇用の回復を上げている。出生率の回復基調を定着させるためには、景気任せでなく、地方の社会が子育て環境を整備することが第一である。この点で、太田市長が第3子以降の子育て費用助成を打ち出したことが注目される。

(赤ちゃんが増え活気ある社会が進むことを願って。読者に感謝)

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2007年2月26日 (月)

「一般質問2日目のいくつかのポイント」

◇県債残高の今後についての質問で、知事は次のように答えた。「9500億円ある。今年は4億円減らすことが出来た。36年ぶりのことである」県債とは県の借金である。県の今年度の予算額は、8千億円台であるから借金の方が大きいのである。これでも財政の健金度は全国3位。どこでも借金が多いことが分かる。

◇公益通報者保護制度について質問があった。公益通報者保護法は昨年施行された。いわゆる内部告発者が不利益に扱われないように保護する制度である。時代が大きく変わったことをつくづく感じる。最近の企業等の不祥事は多くが内部告発によるとされる。かつての常識からすれば、「裏切り」とされる行為を保護しようとする。成熟社会の1つの現われだ。

制度を支える思想は、企業は法令を順守し、社会に受け入れられるものでなければならないということ。企業の不正を知る者は内部の者である。自分が属する企業が正しい活動をすることを求めて発言する者を保護することによって企業は内外共に正当な活動をすることになる。東芝などは既に社内制度を設けていた。

 県は、新しい法律への対応を検討している。県庁外からの通報の窓口は県民センターである。企業に通報しにくいときは、県民センターが受けるというもの。

 ところで、このような内部通報は、県という組織についても、企業と同様に保護される必要がある。県においても職員が上司などに通報しにくい場合を考えねばならない、それは外部窓口といって、県は、今後の課題として考えると担当理事は答弁した。

 知事は、「この制度を積極的に、いい方向で生かしたい、職員には正義感をもってもらいたい、正しいことを言う人を守りたい」と答えていた。県には、既に情報公開条例があるが、この公益通報者保護制度の活用によって、行政の公正さと透明性が一層確保されることが期待される。

◇行政手続きの簡素化とスピード化について。

 よくお役所仕事と批判されることがある。すぐ出来そうなのに、長い時間をかける。それを短くすることが県民へのサービス向上と行政の質の向上につながるのではないか。はんこ行政とも言われる問題点だ。

 小寺知事は、答弁席で次のように語った。「調べたことがありますが、はんこが40から50位押されていました。責任もはんこの数だけあることになります。そして、起案から知事まで1ヵ月もかかる。三つにしろと言いました。例えば、起案者・課長・理事と」一つの案件に、はんこが50個、50人のうち多くが省略できるのに押す人がいないと手続きが進まない、責任者が形式的に多いということは真の責任者がはっきりしないこと、こんな実態がうかがえる応答だった。行政改革には、日常の小さな慣例を再考することも重要である。(実りある2月議会であることを願って。読者に感謝)

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2007年2月25日 (日)

『上州の山河と共に』連載(55)「出馬を決意」

前にも触れた通り、久子さんが、妻の友人であったことから、笠原夫妻が私達の結婚の媒酌人をつとめて下さったのである。ご主人は銀行にお勤めということもあって、久子さんには、ご主人の分までもいろいろ御支援いただくことになったのである。

 私は、訪問した人に後から手紙を出すことにした。それは、訪問の趣旨を良く分かってもらうと同時に、私の存在を印象づけることが狙いであった。先日は突然お邪魔して失礼したこと、良い県政を実現する為に、民主主義の原点に立ち返って頑張ってゆきたいので、よろしくご指導、御支援をお願いしたいということを簡単にハガキに書いて出すのである。

 笠原久子さんは、訪問者リストの整理、住所の確認という作業から、ハガキの宛名書きまで手伝ってくれた。久子さんは、明るく陽気な女性であるが、私からリストを受け取りながら、時々、

「こんなことをしていて、本当に当選できるのかしら」

 と、不安そうな表情で漏らすのだった。

「大丈夫ですよ。そのうち、段々、世間の関心が集まって来ますよ」

 こう言いながらも、私の心の中にも不安はあった。

 一軒一軒廻ってゆくと、色々な人に出会う。ある町内で、以前小学校の校長をしていたという老人に出会った時のことである。

「県会というのは、何をする所なのかね。市町村という直接の自治体があるのだから、県会なんて必要ないのではないかね」

 老人は、私の顔を覗き込むようにして、先生が生徒に訊くような口調で言った。

「はあ、まず、県内全体を対象としてやらなければならない仕事があります。例えば、道路だとか、河川だとか、警察の仕事もそうです。それに、市町村に対する指導や助言の仕事があります。福祉や教育など、それぞれの市町村でバラバラのことをやっていたのでは困りますからね。それから、国と市町村の間に立って国の方針などを伝える役目もあります。」

 私は、緊張して直立不動の姿勢で答えた。

「ふんふん、なるほど。ほんのちょっとわかった気がするな。しかし、今の群馬県議会は、何をやっているのかさっぱり分からないよ。これでは、困るんじゃないの、君」

 「その通りです。今、地方の時代と言われ、それぞれの地方が頑張って、いい地域社会を実現しなければならないんです。その為には県が、市町村と力を合わせて頑張らなければなりません。そして、県会がその役割を果たす為には、県民の皆さんに、県政をよく理解して頂かねばならないんです。」

「その通りだ。そこで、あんたはどうするの」

「私は、県政を県民に身近なものにして、県民の意志に基づいた県政を実現したいんです。教育とか、福祉とか町づくりとか」

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2007年2月24日 (土)

『上州の山河と共に』連載(54)「出馬を決意」

 やがて、苦心の末、パンフレットが出来た。パンフレットの一頁は、恩師、元東大総長林健太郎先生と私が握手しているカラー写真で埋められた。

 林先生は、東大総長の任を果たされた後、退官し、この時は、参議院議員をされておられたが、私が県議選に出馬することに賛成しパンフレットに写真を載せることも快諾して下さった。私は、恩師の温かい心に感激し、百万の味方を得たような力強さを感じたのであった。同時に、先生の御恩に報いる為に、どうしても当選を果たし、立派な県会議員にならなければならないと心に誓った。

 実際に行動を起こす段になると、太平洋に小舟で漕ぎ出すような不安な気持ちになる。そこで、今は一人でも、これから同志や仲間がだんだん増えてゆくのだと自分に言い聞かせながら、作業を進めていった。

 私は、資料の収集にとりかかった。

 前橋高校定時制の同窓会名簿、小学校、中学校時代の学年名簿、中村塾の卒業生や父母たちの名簿、妻の教え子達の名簿、そして、私が昔ダンゴやせんべいを売って歩いていた時のお得意さんのリストなど、自分と関係のある人々の資料を可能な限り集め、整理することから始めた。そして、同時に、これらの資料からピックアップした一人一人を実際に訪問して会ってみることにした。

これから県会議員になって、県政にたずさわろうと考えているので、御理解、御支援をお願いしたい、と言って他人の家を訪ねることは、大変勇気の要ることであった。特に、面識のない人の場合は緊張した。最初の家の玄関を入るとき、私は、足がすくむ思いで、その家の前を何度か行ったり、来たりした後、意を決してブザーを押した。

「突然お邪魔致しまして、中村というものです」

「はあ、何の御用でしょうか」

 奥さんは、怪訝そうな顔をして私を見上げている。

「県会議員になって、良いふるさとを創るために頑張りたいのです」

「はあ、そうですか」

 奥さんは、まだ不思議そうな表情をしている。

「ここに、私のパンフレットがあります。あとで良く御覧になって下さい。宜しくお願いします。どうも失礼しました」

 丁寧に頭を下げて外に出た私は、ふーっとため息をついた。この先どうなってゆくのだろう。心細さでいっぱいになった。しかし、もう後へ引くことは出来ない。でも、辛抱すれば、そのうちきっと何か道が開けるに違いない。私はこう考えて、一軒一軒同じような行動を続けていった。

 この時点で、強力な理解者、そして支援者が現れた。それは、笠原始郎、久子夫妻である。

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2007年2月23日 (金)

「本会議の一般質問が始まった」(22日)

 この日、自民、フォーラム、共産の各会派の一人ずつが質問した。夜の集会に出たら、テレビを見た人が何人もいて、私に説明を求めた。私が議長の時、議会改革の一つとしてGTVの生中継を実現させたがその効果は大きいと感じた。一人の人は、まるで私が質問者であるかのように詰め寄って言った。「授業料値上げの理由は分からない、息子が高校生だが、300円上げる理由を教育長は答えていないではないか」

 授業料値上げについては、自民の南波政調会長が取り上げた。値上げの目的は何か、値上げ分は何に使うのかという質問に対し、教育長は、使い道、目的は決まっていない、せっかくだから図書購入費に充てると答えた。また、生活が苦しい時に値上げすることによって就学が困難になる生徒がいるのでは、という追求に対しては、授業料免除や奨学金の制度があるから大丈夫だと発言。議場からは、「おかしい」という声がいくつも聞こえた。テレビの視聴者は、このやり取りをどう受け止めたのか。その現われの一つが、夜の集会の私への抗議である。南波氏は、呆れたのか深く追求せず、後は委員会の質問に任せるといった。三年ごとの公共料金の見直しということであるが、300円値上げする根拠とその使途については、しっかりと答えなければならないことだ。教育長の答弁は答えになっていない。議会を軽視しているのであろうかと疑いたくなる。

◇フォーラムの長崎氏が多選批判をどう受け止めるかと知事にたずねた。それに対して知事は、多選は、その人の資質による、弊害を出さないように絶えず戒めて努力をする、命がけでノーというべきものは言う、そういうことが大切だと答えた。また、知事は、中曽根・福田総理は何十回も選挙したから総理大臣になれた、だから長いことでよい面もあると発言した。この点は、知事多選の本質論から外れた議論だと思う。

◇共産党の伊藤祐司氏と教育長の質疑応答には熱気が感じられた。伊藤氏は、全国一斉の学力テストを取り上げ、このようなテストは子どもたちをテストのための勉強に追い立てることになると批判。また、教育再生会議の第一次報告では、いじめる子の出席停止や体罰禁止の通達の見直しが強調されているがこれでいじめはなくなると思うかとただした。

 教育長は、いじめの根本原因は大人社会にある、子供の日常生活を正すことが大切で、そのために大人が如何に取り組むかが重要だ、学校が本気になっていじめは許さないぞという雰囲気を作ることがいじめを少なくする、と持論を展開していた。

 この点は私も賛成である。体罰の基準の見直しも、いじめは許さないぞという毅然とした雰囲気を作るための手段なのだ。教育改革は、教室改革にかかっている。地域社会全体が教師を温かさと厳しさで支え「教室を再生」させることが「教育再生」のカギである。(活気のみなぎる教室の再生を願って。読者に感謝)

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2007年2月22日 (木)

◇「ナナとトコが淋しがっている」

 新しい事務所が出来てから、一日中自宅を留守にすることが多い。被害にあっているのは秋田犬のナナと猫のトコ。ナナは散歩に行けないことが多く、時には食事も忘れられる。鳴き方で何を訴えているか大体分かるので、慌てて水をやったりご飯をやったりする。トコは、留守中は外に出されるので庭の片隅で家人の帰りをじっと待っていて姿を見ると擦り寄ってくる。ナナもトコも、疲れた心を癒す大切な存在である。枕もとで私の顔を覗き込むようにしてのどを鳴らしているトコに、私は手を伸ばして、「お前も選挙を心配しているのか」と声をかけ頭を撫でる。一家に緊張がみなぎるとき、普段と少しも変わらぬ表情を見せるナナとトコは大きな救いである。「お前たちに腹を空かせるようでは選挙に勝てない。ごめんよ、ナナ」こう言って、私は、二日ぶりにナナに食事を与えた。ドアの外で、がつがつと貪る音が聞こえる。

◇「君はノロウイルスを知っているか」

 私の「日記」を読んだという中学生が現われた。びっくりすると同時に嬉しかった。この中学生は、鳥インフルエンザのことを読んで興味をもったという。そして、「生カキを食べました。ノロウイルスが心配です」という。私は、調べて説明してやった。ポイントをここでも紹介したい。

 生カキからノロウイルスに感染するという風評で業者が大きな打撃を受けたという報道を良く聞く。この冬のノロウイルスの流行は史上最大で患者は一千万人にのぼるともいわれる。

 ウイルスとは、語源はラテン語で毒を意味する。単独では生命活動を営むことが出来ず生きた細胞に寄生して生活し、増殖する。細菌より小さく普通の顕微鏡では見られず細菌濾過器を通過してしまう。内部には遺伝子のDNAまたは、RNAを持つ。ウイルスは感染した細胞に自分の遺伝情報を組み込んで、その細胞に自分のコピーを複製させて増える。だからウイルスは生きた細胞の中でしか増殖できない。ウイルスによって、感染する生物や部位が決まっている。ノロウイルスは、人の小腸の細胞で増殖する。

 感染者の小腸で増殖したノロウイルスは、排泄物や吐物にまじって排出される。排泄物1gに100万個以上のノロウイルスが含まれる。これが川から海に出てカキの体内に入る。このカキを加熱しないで食べると感染する。アサリ、ハマグリ、シジミなどもノロウイルスを体内にとりこむが、これらは生で食べないから被害が出ない。嘔吐、下痢などを起こす。今年空前の大流行をしているのは、ノロウイルスが突然変異により新しい型となり、ヒトに免疫力がないためではという学者も。中学生は言った「新型インフルエンザと同じ理屈ですね。」「微生物を勉強したら。火星に微生物がいる可能性があるよ」中学生とこんな会話が出来て有益だった。

(ウイルスの知識が広まることを願って。読者に感謝)

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2007年2月21日 (水)

「官僚が現場を知ることの重要さ」

 文部科学省は、若手の職員を公立中学の教壇に立たせる制度を2007年度から始める。教育現場を知ることが生きた教育行政に不可欠であるからだ。優秀な役人が立てた政策が現実に対応していないということはよくある。最近、教育改革に関して次々と新たな施策が打ち出されるが、現場は混乱してしまうという批判が多く聞かれた。文科省もこの批判に耳を傾ける気になったのであろう。

 このことは国の教育行政に限ったことではない。県教育委員会も同様に、教育免許を持つ職員に現場を体験させるべきではないか。このことは、県教委にとって非常に重要なことだと思う。なぜなら、教育の地方分権ということが叫ばれているが、それは、教育は地方の実情に基づいて行われなければ、効果が上がらないからであり、そのためには教育行政に当たる者が現場を知ることが第一だからである。

 私は、教育委員が学校の現実を知ることの重要さを主張したことがある。そして教育委員は、実際に、現場を視察していることと思う。しかし、それは、生きた教育行政を実現するためには、不十分である。教育委員会事務局の若手職員を現場の教壇に立たせる効果は大きいのではないか。

◇入所者をペット用のオリに入れたり、手錠で手首をつないだりという介護施設の実態が報じられている。千葉県浦安市の出来事。オリに入れるということは極端な例だと思うが、高齢者の虐待は跡を絶たない。

 私は数年前、私のある後援会の支部長を施設に見舞った時、ベットに両腕を縛り付けられている姿を見てショックを受けたことがある。その悲惨な光景を見て、将来自分がこのように扱われたらと思うと強い怒りを覚えたのであった。

身体拘束は、安全性の確保のために必要であると、施設関係者も世間一般も簡単に考えている。問題の本質は、高齢者を人間として尊重するということである。この人権感覚が一般に欠如している。千葉県浦安市の例でも、家族が同意したといっているが、基本的には家族の同意で左右できることではない。

 身体拘束はかなり広く行われているようだ。群馬でも、04年(平成16年)鬼石町の「御嶽特別養護老人ホーム」で入所者を車いすに縛り付けるなどの身体拘束が日常的に行われたことが大きな問題となった。理事長は、「身体拘束につき勉強不足でおわびしたい」と発言した。又、昨年は、東京都の特老で職員が女性入居者に性的な虐待発言をしていたことが発覚した。

 昨年4月高齢者虐待防止法が施行された。身体拘束は止むを得ないという人が多いが、介護の質を高めるための意識と工夫があれば、多くの部分は解決できる。真に豊かな社会は、人間を大切にする社会であり、とくに、動けなくなった高齢者の人権を尊重する社会である。虐待防止法はその試金石だ。

(高齢者が大切にされる社会を願って。読者に感謝)

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2007年2月20日 (火)

「君はツバルを知っているか」

◇ある中学生と話す機会があった。少年は言った。「今年は冬がなくなったみたい。地球が温かくなって、いまに住めなくなるのですか。南の国では海の中に沈みかけている国があると聞きましたが本当ですか」

 これは、私を訪ねた中学生に、地球の温暖化について話した時の中学生の質問である。私は、南太平洋の小さな国ツバルのことを話してやった。

 ツバルは、1978年(昭和53年)イギリスから独立した南太平洋の島国で9つのサンゴ礁の島から成る。人口は約1万人。この小さな島が今、世界から注目されるのは、地球温暖化の影響で水没の危機にあり、住民が移住を迫られていることである。

 私は中学生に言った。「日本でも、冬がなくなってしまったように温かいことと、ツバルの出来事は、つながっているんだ。同じ地球上の出来事で、ツバルの危機は、明日の日本の危機だよ」

 私の携帯電話に表示される18日のニュースでは、ツバルの危機が報じられていた。それによると、ツバル唯一の国際空港の滑走路では、足下のいたる所からかすかな音が聞こえてくる、それは、舗装された路面のわずかな隙間から湧き出す海水の音だと言う。温暖化によって海面が上昇しているのである。また、報道は、ある若者の次の言葉を伝えている。「他の国の二酸化炭素が原因で島がなくなる。そして、国が消滅することに怒りを感じる」

 中学生が、その顔に大変な興味を示しているのを見て私は言った。「地球の温暖化に注目して、知識を広げると、いろいろなことがわかってくるよ。世界の環境問題やエネルギーの問題など。また、理科の生きた勉強になる」学校は、地球温暖化問題を材料にして理科を教えれば、理科の一つの分野で、子どもたちをひきつけることが出来るのではないか。そして、環境教育についても同様である。次代を担う子どもたちに、地球環境の危機を教室でしっかりと教えるべきだ。とくに、近い将来の地球温暖化の影響を直接にうけるのは彼らなのだから。

◇大沢正明さんの連合後援会の設立準備委員会の初会合が行われた。何人かが挨拶をしたが心を打ったのは、飯塚女性部長の話だった。この人は、いつも弁説さわやかであるが、この日の小寺批判は正論で多くの女性の胸に届く内容であった。難しい知事選に一筋の光を見る思いがした。

◇大沢さんの会合の後、一時半の私の県政報告会に走った。私が監督主演の短い映画を材料に使う。その中で南米訪問で見たサトウキビ畑の話をした。バイオエタノールのことだ。日本もトウモロコシから新エネルギーを作る政策が動き出す。農業再生にもつながることだと話した。

◇中島館林市長が糖尿で辞職する。県会で同期、勢力旺盛な人物だった。生活習慣病の恐さを思う。(地球温暖化の危機意識が広がることを願って。読者に感謝)

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2007年2月19日 (月)

「事務所開きが遂に行われた」(17日)

 朝早くから多くの支援者が慌しく動いて準備が進められた。200人以上の役員が集まる広間や駐車場を整えることは大変な作業だ。集まった顔ぶれを見て4年の歳月の重さを思った。高齢化、他界、勢力関係の変化などが、一堂に集まった人々の上に現われていた。

 間もなく5期が終る。長いようだがあっという間に過ぎた月日である。今回の選挙の大変さの一つは、エリアが大きく拡大したことだ。しかし、そのような状況の中でも一つの救いは、新しい地域の人々が加わったことによって、新しい血液が流れ込んだように活力が甦ってきたことである。長くなるとマンネリ化して後援会の活力が失われ勝ちになるものだが、事務所開きには、わが陣営の活力は衰えていないと感じさせるものがあった。宮城や大胡、粕川から駆けつけてくれた人々の声援は疲れた私の心を大いに勇気づけてくれた。

 連合後援会長は、今までにない深刻な表情で危機を訴えた。いつものことであるが、活動は、多くのボランティアに支えられて進められている。この「日記」でも、ボランティアの参加を訴えさせて頂く。関心のある方是非事務所を訪ねて下さるようお願いしたい。そこにはいろいろな出会いが待ち受けている筈である。

◇「県政報告で関心を集めることは何か」

人々が高い関心を示すことがいくつかあるが、その中の一つに、北海道「夕張市」がある。ほとんどの人が夕張市の破綻について知っていることに驚かされる。私は、それは決して他人事ではなく、多くの自治体が深刻な状態であること、そして、その原因は、行政の進め方や議会のチェック機能の低さにあることを訴え、だから、行政改革と議会改革が必要なのだとして、具体的な改革の話につなげる。

 具体例としては、県営ゴルフ場などを民間に委託することになった指定管理者制度、県会議員の数6つに減らしたこと、本会議場の質問をテレビで生中継することになったこと、などをあげる。

 そして、やはり、人々が強い関心を持っていることは、教育問題である。教育については、誰もが意見をもっているようだ。私は、教育改革といって難しいことがいろいろ言われているが、大切なことは、教室の授業を生きかえらすことだと主張している。強い先生、威厳のある先生が必要ではないですか、それを妨げているものは何かを皆で考えるべきですと語りかける。現在は、先生が萎縮している、何でも体罰だといわれるから、騒ぐ児童生徒を指導することも出来ない、非常識で見識のない親が多くいて、すぐに先生を責める、そういうことでなく、地域社会で先生を暖かく支え、威厳を示すことが出来る先生を育てなければならない、その一方で不適格な先生には厳しく対応し、退場させる、こういうことを待ったなしで行うべき時だ、教育委員会の役割は、まさにここにある、と私が熱く語りかけると多くの聴衆が賛成してくれる。これは、私の政策の主張でもあるのだ。(教育の再生を願って。読者に感謝)

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2007年2月18日 (日)

『上州と山河と共に』連載(53)「政治家への道」

 私が県会議員になってからも、阿部氏との関係は蜜で、現在も月一回、東京で阿部氏を中心とした各界の人達との勉強会が続いており、ここから県政への示唆が得られることが多いのである。

阿部氏は、私の相談に応じて言った。

「ある程度時間をかけて、底辺の有権者に根強く接触する戦法をとれば、面白い結果が出るかもしれない。

 今、政治不信は根強いものがある。

一般大衆は、信頼できる政治家を求めている。それは、この人こそ、自分たちの代表であると実感できる人だ。

 今、民主主義がだめになるかどうかの曲がり角に来ている。民主主義は地方から実現してゆかなければならない。君が選挙に出ることは、大きな意義のあることだ。君なら、きっと上手くゆくと思う。やってみろよ」

こう言って、阿部氏も賛成してくれた。選挙に出るということは、私にとって、全く、未知への挑戦であったから、私は、最悪の状況、条件を想定して、それぞれの場合はどうするかを、日夜、考えていた。

妻ヒサ子は、教員生活を通して、私と同じように子供達の将来に不安を抱き、政治の力によって、教育の正しい流れを作らねばならないと考えていた。また、自ら身体に障害を持つものとして、日常の生活体験を通して、福祉のあり方や社会的平等と言ったことに関心を持っていた。

 従って、私が民主主義の理想をかかげて、政治の世界に入ってゆくことに対しては、初めから基本的に賛成であった。ただ、実際に選挙というものが全く分からないので、その点に不安を抱いていたのである。彼女は、私の中に新しいエネルギーが満ちてくるのを期待と不安の入り混じった気持ちで見守っているふうであった。

出馬を決意

私は、ついに、県議選出馬を決意した。身内に熱い血が湧いてくるような興奮を覚えつつ、新しい目標に向って、私の人生の再出発の時が本当にやってきたことを実感した。

昭和六十二年の統一地方選挙の一環として行われる県議選まで、一年と八ヶ月程あった。福島浩は、私の決意を聞いて喜んでくれた。そして、彼の人脈の中から、信頼の出来る人々を選んで紹介してくれることになったが、その最初の人物が、町田錦一郎氏であった。町田氏は、青年実業家として活躍している人物であるが、福島浩が最初に紹介しようとするだけに、尊大なところはなく、篤実な人という印象を私は持った。

町田氏は、私の話を聞いて、協力を約束してくれた。行動の第一歩は、福島浩、芝基紘、そして町田氏と共に、パンフレットを作ることであった。今から思えば、後に大きな流れに発展する源流が、この四人の小さな、そして秘かな行動によって始まったのである。

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2007年2月17日 (土)

『上州の山河と共に』連載(52)「政治家への道」

 私は、ある時、妻ヒサ子の休暇を利用して、彼女と共に北海道の友人家勅男を訪ねることにした。妻と旅行するのは始めてのことであり、県議選に関することを夫婦の間でじっくりと話し合う良い機会でもあった。

 家久勅男は、学習塾をしながら医学部に通い、既にインターン生となっていた。

 彼は、私の話を一通り聞き終わると言った。

「僕は大賛成だ。前にも言った通りだよ。決断のときだ」

「金も、組織も、知名度もないのだ」

「そういうところから出ることに意義がある」

「しかし、現実は厳しい」

「選挙の度に思うことだが、有権者の大半は、無関心、投票所へ行くのも半分がいいところだ。この現実を君はどう思うんだ。政治に対する信頼がなくなっているんだ。これでは、民主政治といっても、形だけだよ」

 家久は数年前と同じことを熱っぽく話す。彼の言うことは、もっともなことで、私の考えていることと全く同じだった。

 私がうなずくのを見て、彼は続ける。

「選挙に行かない人には、批判的な意味をこめていかない人と、政治にまったく無関心な人がいると思う。こういう人達に訴えてわかってもらうには、従来のタイプの政治家では駄目だ。一般市民の中から出て行って、一緒に教育や福祉やまちづくりを考えてゆくという政治姿勢が必要だ。大衆は、今、そういうタイプの政治家を求めているはずだ。

 君、やれよ。大いに意義のあることではないか。君なら地でゆけばいい。誠実に、分り易い言葉で訴えれば、きっと分かってもらえる。票はきっと集まると思う」

 家久の言うことは、彼の持論であって、耳新しいことではない。しかし、この時改めて彼の言葉を聞くと、大いに勇気づけられ、私は、胸にかかっていたもやが晴れて、胸の奥まですっきりとしてゆくように感じられたのであった。

 今、自分がやろうとしていることは、民主主義の実現にとって大きな意味のあることだ。また、それは、これまで自分が歩んできた人生の様々な体験を全て生かして、社会の為に役立てることが出来る仕事に違いないと思えるのだった。

 私は、自分の気持ちが広がってゆく中で、更に何人かの人に相談してみた。その中の一人に阿部孝夫氏がいた。この人は、前にも触れたが、駒場寮弁論部の先輩で、私が弁論部に入ったのもこの人との出会いがきっかけであったし、その後も何かと相談相手となってもらい、お世話になっている人である。

 阿部氏は福島県の出身の秀才であるが、都会派の秀才とはちょっと違っていて、東北の風土で身につけたと思われる素朴さと芯の強さを持ち、駒場弁論部のリーダー的存在であった。そして、彼は、学生時代からきちんとした自分の考えを持ち、それをどんな所でも筋道を立てて堂々と主張する論客でもあった。東大卒業後は、自治省に入り、その本領を発揮して頑張っていたが、途中から請われて、北陸大学法学部教授に転じ、現在、執筆活動をしながら、教育、文化と多方面にわたる活動をしている。

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2007年2月16日 (金)

◇「選挙体制を作るための目まぐるしい動き」(15日)

 早朝7時、後援会の幹部数人が私の事務所に集まる。この時間だと大体誰もが参加できるのだ。17日の事務所開きに備えて重要事項を話し合った。わが陣営の選挙事務所予定地は、先日の日記で紹介したように端気町を通る県道前橋赤堀線沿いであるが、従来のわが家に隣接する事務所が既に毎日フル稼働している。いくつかの機械がそれぞれの音を立てて動き、その中で、手伝いの女性たちの賑やかな笑い声が響く。

 選挙事務所予定地には、数棟の仮設の建物が置かれ、イスやテーブルを運ぶ人々が慌ただしく動き、人々の表情には緊張感が現われている。いよいよだなと私は思った。

◇選挙が近づくといつも一票の重さと、それを決める人の心を考える。「人の心は内側からのみ開かれる」という格言がある。人の心を外から動かすことは出来ないのだ。一票を誰に投ずるかは、正に心の作用である。無数の心の重圧を感じる。時には押しつぶされそうな恐怖心を覚える。私は、人の心が恐いと思うことがある。このいい知れぬ重圧に耐える術は謙虚になることである。私の謙虚は、自分の原点を見詰めることだ。オブラートの被いを貫いて自分の小ささと力のなさを凝視するには勇気が要る。そして、自分の原点を確かめてそこから一歩踏み出すには更なる勇気を奮い興さねばならない。外の時が進行している。

 今回の選挙がかつて例のない激戦となるのは、平成の大合併及び議員定数削減の結果である。いずれも私が議長の時の出来事であった。合併においては、宮城村、大胡町、粕川村が前橋市と合体した。これら町村は、これまで勢多郡の一部であった。勢多郡は、その他の自治体も合併により他に吸収され、富士見村だけが取り残される形となった。富士見村一村だけで県議選を実行することは、公選法上出来ないということで、富士見村は前橋市と合区して県議選を行うことになった。その結果、前橋・富士見選挙区という途方もなく大きな選挙区が実現してしまったのである。

 私が議長のとき、県議会の定数は56から6減らして50にした。大激論が戦わされたことが昨日のように思い出される。定数削減の結果、前橋・富士見選挙区は、現職県議が10人いるにもかかわらず、定数は8となった。そして、現在、4人の新人が名乗りを上げているので、14人が8議席を目指してしのぎを削る。6人落選者が出るとは何と激しし戦いであることか。

◇県民会館で第35回県書道展の除幕式が行われた。私は書道協会の顧問なので、挨拶をし、テープカットに加わった。「書道は、日本人の心を支える伝統の文化です。人々の心が貧しくなっているといわれる今日、書道を発展させることの意義は誠に大であります。しかし、現実には書くことの必要性が少なくなりつつあります。この書道展が書道の発展に大きく寄することを祈ります」私はこのような挨拶をした。

(県議選に対する関心が高まることを願って。読者に感謝)

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2007年2月15日 (木)

「中国のバイオエネルギーに注目」

 私は、中国残留帰国者協会の顧問をしているので、この協会の人に知り合いが多い。最近、同協会のある友人が、「私の故郷は、昔は大豆だったが、最近は、トウモロコシを大規模に作っているよ」というから、「家畜の飼料ですか」と私が聞くと、「いや、車の飼料よ、車に食べさせると、車はよく動くね」と言ってにやりと笑った。そして、彼は真顔になって話し出した。「先生は、中国は発展途上国で成長ばかり考えて環境のことを考えないと言うが、最近の中国は違うよ、トウモロコシからきれいなエネルギーを作っている、私の生まれたところでは、群馬県より広い面積でトウモロコシを作っているよ」

 この人は、中国東北部の吉林省出身の元残留孤児である。「残留孤児」は、旧満州の悲惨な出来事が原因で孤児となった人々である。かつての満州は、現在の東北三省、つまり遼寧省、吉林省、黒竜江省を中心とした地域である。だから残留孤児を中心とする帰国者協会の人たちは、この三省出身であり、最近のトウモロコシ事情を語った友人は吉林省の人である。日本が満州国を作った以前から、中国東北部は中国の肥沃な穀倉地帯であった。

 私の友人が話すように、今中国東北部の農業に大きな変化が起きている。中国がバイオ燃料に力を入れる政策をとり始めたのだ。先日の「日記」で書いたが、南米では、見渡す限りサトウキビの畑が広がっていた。今、中国の大地では、同様なトウモロコシ畑の光景が広がっているという。

 トウモロコシからバイオエタノール(アルコールのこと)を作り、ガソリンと混ぜて車の燃料として使うのである。バイオエタノールは、燃焼させても空中のCO2を増加させない。世界第2の石油消費国中国がこのようなエネルギー政策をとり始めたことは注目すべきことだ。

 ひと昔前は、中国を訪れると至る所自転車の洪水であったが、最近は一変して車が洪水のように走っている。14億人の中国人が一斉に車に乗りだしたら地球の温暖化は一気に加速するに違いない。中国は環境問題よりも将来の石油の不足に備えることを当面は重視しているのかもしれない。

 中国では現在、バイオエタノールを10%ガソリンに混合したものを使っている。吉林省、黒竜江省、遼寧省の東北三省全域でこの混合ガソリンが使われている。中国の空がCO2で汚れれば、日本の空も汚れる。環境には国境がないのだ。私たちは、世界のエネルギー政策に注目する必要がある。

 ヨーロッパで、風力や太陽光などの自然エネルギーに特に力を入れている国としてドイツがある。これは、ドイツが原子力エネルギーを放棄したことと関係がある。ちなみに、ヨーロッパで最も原子力に頼る国はフランスである。環境とエネルギーのことは、現代人必須の常識となりつつある。

(クリーンなエネルギーへの関心が高まることを願って。読者に感謝)

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2007年2月14日 (水)

「インフルエンザの恐怖を集会で聞かされ」

◇「日記を読んだが、新型ウイルスが流行っているのですか」と質問された。私の集会は、ほぼ毎日続く。そして、話の中味は、興味を持ってもらうために多岐にわたる。話し方と進め方は、「私のふるさと未来塾」に幾分似ているかもしれない。また、私の「日記」を読む人が結構いるらしく、時々、読んだ人からの質問がある。「新型」が流行っているというのは勿論誤解である。しかし、じわじわと出現は迫っているらしい。質問の人は、また、「先生の日記では、インフルエンザによって、過去に、信じられない数の死者が出たとあったが本当ですか」と重ねてたずねた。

 1918年(大正7年)に発生した新型インフルエンザでは、わが国で約39万人の死者が出た。この数字は、平成7年の阪神大震災の死者約5500人、大正12年の関東大震災の死者約91300人と比べても、いかに大きな数であるかが分かる。新型インフルエンザは、この世に初めて現れるものであるから私たちの人体には免疫力がないためバタバタと倒されてしまう。まるで、宇宙人の襲来にあうような出来事なのだ。その襲来が秒読みの段階とも言われるのだから被害を最小に食い止めるための備えをしなければならない。その第一は、知識を整理し、情報を的確にとらえることだ。

◇宮崎県では、先月、約12千羽の鶏を焼却処分した。強毒性ウイルス「H5I型」の発生が原因という。アジアを中心に鳥インフルエンザが広がっている。そして人への感染が増え続けている。アジアでは、これまでに、265人が感染し、159人が死亡したという。このような状況が続けば、ウイルスが突然変異を起こし、「新型」となる可能性が高まるのだ。

 質問者に答えたことは、このように鳥から人に感染して人が死んでも、その原因のウイルスは「新型」ではない、「新型」とは、突然変異によって生まれたウイルスで、「人から人に」移るものであるということ。日本では、04年(平成16年)に79年ぶりに毒性の強い「H5NI」が現われ、今年は1月宮崎県で同型が再び現われた。この事実は、日本で「新型」発生の可能性が高いことを意味すると専門家は指摘する。

 「新型」に対してはワクチンはない。まだ、この世に現われないものだから、ワクチンの作りようがないのだ。発生して、そのウイルスをつかまえて、そこからワクチンを作るのである。ただ、ウイルス一般に聞くといわれる薬がタミフルで、県でもその備蓄を進めている。18年度19年度で166千人分の備蓄を目指している。

◇五代町の集会の成果。隣の五代町では、民主党の新人が他から住所を移して県議選に出ようとしている。だからこの町での報告会には神経を使った。後援会の中には、「鳥インフルのようだ」という人がいた。結果的には、これまで続けた鳥取町・小神明町の集会より盛会で力強く訴えることが出来た。必勝を信じて戦い抜くのみである。私の心の中の免疫力は高まっている。

(新型インフルエンザの知識が広まることを願って。読者に感謝。)

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2007年2月13日 (火)

「新しい町の集会は新たな出会い」

◇合併によって前橋になったある町で県政報告会をした。新たに発足した後援会の第一回の総会も兼ねた集いである。新しいところで、後援会組織を作って、人々に集まってもらうことは容易なことではない。心配していたが、100人以上の人が集まり、私の話に熱心に耳を傾けてくれた。私は、皆さんとの出会いを大切にし、共に力を合わせて新しい時代を築いていきたいと話した。

 県政の話としては、北海道の夕張市を例に上げた行政改革の意味や具体例、そして、議長として取り組んだ議会改革のこと、さらには教育改革のことに及んだ。

 大勢を前に話すとき、人々の反応は直ちに私の肌を刺すように伝わってくる。教育の話の中で、日本人の心は貧しくなっている、このままでは、日本は駄目になる、教育によって心の豊かな子どもを育てなければならない、それが、私たち地方の政治家の使命だとして、最近の教育改革の課題を説明したとき、人々の関心は一際高いことを感じた。

 選挙戦は辛いものであるが、人々に語りかけ手ごたえを感じるとき、民主主義の実態に直接触れていることの喜びをかみしめることが出来る。

◇「ある町の老人会の新年会の出来事」

この時期になってもまだ新年会があるのだ。私が一人一人の席をまわっていくと、一人の老人が話しかけた。「私の頃は、ゆとり教育と充実教育の両方を目指していたが、今は、ゆとり教育が強調されている」この人は、学校の先生であったらしい。私の「県政報告」の中の教育論を読んだと言っていた。私が嬉しさを顔に表わして身を乗り出すと、この人は、「学力のことですがね」とさらに切り出してきた。

「学力が低下したといって、数学・国語・理科・社会などの主要科目を問題としますが、学力とは、音楽や美術なども含めた総合的な力のことではないですかね。主要科目に限って問題にしているのでは、受験の学力になってしまいますよ」

 全くその通りですと答えながら、私は、この御老人の高い見識に頭が下がる思いであった。(12日の城東町三丁目老人会の新年会でお会いした方の御意見をここに紹介させて頂きました)

◆「ゆとり教育」が行なわれるようになって、学力の低下ということが大きな問題となってきた。ここでは、学力とは何かが先ず問われるべきことである。国語・数学・理科社会などの主要科目が重要であることは当然だが、このことが強調されると音楽、美術、書道、家庭科などが軽視されてしまう恐れがある。多くの高校で、大学の受験科目以外が未履修となって大騒ぎになったことと共通な問題といえる。人間として、また社会人として生きていくために必要な総合力が学力であることを私達は改めて認識する必要がある。新年会の老人の意見はこのことを教えてくれた。(学校で真の学力が育つことを願って。読者に感謝)

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2007年2月12日 (月)

『上州の山河と共に』連載(51) 「政治家への道」

 そして、東大卒業後は、再び故郷に帰り、実社会の現実と接することになったが、ここで出会ういろいろな社会問題を、かつての少年時代とは違った視点で受け止められるということは、私にとっては新鮮な驚きであった。しかし、それらに対して何も行動することが出来ず、傍観者でいる自分が不甲斐なくも思えるのであった。
 塾で生徒を教えながら、日本の教育はこれで良いのだろうか、これからの教育はどういう方向に動いてゆくのだろうかと、いつも悩んでいた。
 この頃の子供達は、私たちの子どもの頃とあまりにも違う。ひ弱で逞しさがないのは、高度に発達した文明社会の子どもとしてある程度止むを得ないのかも知れないが、彼らの精神は貧しすぎるような気がする。あまりにも自分中心で、他に対する配慮や思いやりに欠ける子供が多い。
 この子供達は、知識を詰め込んで、他人を押しのけて、偏差値を上げて、少しでも良い学校へ進もうとしている。彼らの行く手には、どんな人生が待ち受けているのだろうか。
 これからの日本を、この子等は支えてゆけるのだろうか。この子供たちを育てている父母達は、年老いた時、彼らに何を期待できるのだろうか。
 教育の目的、あるいは教育観というものを考え直す時が来ている。今の教育は、受験戦争という言葉が象徴的に表すように、受験のための知識の詰め込み競争を目的としている感がある。つまり、生徒本人はもとより、学校や家庭までも、偏差値を上げることが、あたかも教育の目的であるかのように、このことに夢中になっている。
 このような教育環境の中で育てられた子供達には、この難しい社会を自分の力で切り開いていく力、又、これからの日本や地域社会を支えていく力を期待することは出来ない。
 このような教育の現状と比べると、私の宮城村での小学生時代の方が、学校も地域社会も家庭も、教育の本来の方向を目指して子供達を指導していたという気がする。偏差値中心の教育を改めて、教育を本来の姿に戻さねばならない。
 しかし、この小さな教室でいくら汗を流しても、又、声を大にして叫んでも、その効果は微々たるものである。時代に即応した教育を実現してゆく為には、もっと大きな立場から一石を投じる行動を始めなければならないだろう。地域の福祉やまちづくりについても、基本的には同じことが言える。
 このように、いろいろなことが目に付き、気にかかりながら、何かをしたくても出来ないという欲求不満が私の中で高まっていたのだった。福島浩の言葉は、このような私の胸の中で小さな芽を出し、それは次第に根を張って、ひとりでに成長してゆくように思えるのだった。
 私は大いに迷い、悩んだ。そして、迷いながらも、選挙に関する書物を読んだり、その関係の情報を集めたりするなかで、私の選挙に対する関心は一層高まっていった。★土・日・祝日は以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

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2007年2月11日 (日)

『上州の山河と共に』連載(50) 「政治家への道」

「県議選へ向けて」

 芳賀とは、旧芳賀村のことで、前橋市に合併した後も、この地域を芳賀と呼んでいる。この地区は、五代、端気、鳥取、勝沢、小神明、嶺、小坂子、金丸、そして高花台の各町から成り立っている。

 私達は、高花台2丁目のある家が転勤の都合で空くというので、一年程そこを借りて住み、その後鳥取町に移り、現在に至っている。

 芳賀は、赤城のなだらかな裾野に置かれた美しい里である。無数の変化に富んだ起伏があり、それを縫うように小道が走り、小川が流れる。小高い丘に登れば、前橋の市街が眼下にあり、その先は、関東平野がはるかなもやの中に海のように広がり、その上には、秩父の山々が幾重にも稜線を重ねて連なっている。そして振り向けば、赤城山が山肌の岩まで見える程に近く、大きく迫って見える。

 この赤城山の懐で、私は少年時代を過ごしたのだ。その場所は、ここからそう遠くないところに広がっている。そう思うと、私は、芳賀が一層好きになった。

 芳賀は、私が人生の新しい方向を求めて思索を練るにふさわしい場所であり、また、私たち家族が人生の再スタートを切るには誠に理想的な環境であると思われた。

 芳賀へ移って何年かが過ぎ、私達の生活もすっかり落ち着いて、ゆりは高校生となっていた。そして、我が家の構成員は一人増えて賑やかになっていた。それは、長男周平が生まれていたからである。

 そんなある日のこと、福島浩が会いたいと言う。会うと、彼はいきなり言った。

「中村、県議選に出てみないか」

 突然の、意外な言葉に、一瞬私は面食らった。

「やり方によっては、勝機はある」

 福島浩は、私の目を覗き込むようにして話し始めた。それは、県議会の情勢、そして、前橋の県会議員の状況などについてであった。

 それは、私にとって、全く未知の世界の話であった。福島浩の話に耳を傾けながら、私は、かつて、東大時代の友人家久勅男が北海道から出向いて来て、政治家になれとすすめた時の話を思い出していた。

 これは、即答できるような性質の問題ではなかった。しかし、福島浩の話は、私の心に大きな波紋を投げかけることになった。

 政治、それは、私が物心ついてからいつも頭を離れない課題であった。定時制高校の時代は、貧しさの中にあって、世の中の不平等に不満を抱きつつ、その環境から抜け出したいと喘ぎながら、この貧しさや不平等は政治と密接に関わっているに違いないと、素朴な憤りを抱いていた。

 また、東大時代は、そこで学んだ歴史の知識や政治の理念と結びつけて、自分の過去の体験や日々の政治的出来事を真剣に、そして純粋に考えていた。

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2007年2月10日 (土)

『上州の山河と共に』連載(49)「大崎ヒサ子との出会い」

 後日談になるが、ゆりは、二十三歳になった今でも、事情を知らない人から、

「ゆりちゃんは、お父さんより、お母さんの方に似ているね。」

 と言われることがよくある。

 ともあれ、写真を見てのゆりの第一印象は良かったらしい。

 このようにして、大崎ヒサ子との運命的な出会いが実現することになった。

 大崎ヒサ子に初めて会った時、私は、そのさわやかな人柄に感動した。あの宮城村の少女の時代から、これ迄に、辛いことや苦しいことが多かったに違いない。

 それらを乗り越えて必死で生きてきたのだろうが、それを表に表わすような気負ったところは見られず、暗さも全く感じさせない。これらは、彼女のそれまでの生き方の凄さの証明のようにも思える。私は、彼女が教壇に立って多くの生徒に教えている姿を想像した。そして、真っ白な包帯にぐるぐると巻かれた手と明るい笑顔を見ながら、この人も、私と同じような真剣勝負の人生を生きてきたのだなと感じたのであった。

 宮城村のこと、そして共通の教え子のこと、これらについて話している時、私は、大崎ヒサ子と以前から知り合いであったような錯覚に陥ることがあった。そして、お互いが、その人生観、価値観をよく理解し合えるように思えるのであった。

 私はいつしか、出来ることなら、第二の人生を大崎ヒサ子と共に生きてみたいと考えるようになっていた。

 ある日、ゆりと母を交え、四人で食事をしたことがあったが、その時以来、ゆりは、自分のお姉さんが出来たような気になって喜んでいた。

 ある時、私が墓参りに行く話をすると、大崎ヒサ子も一緒に行きたいと言う。

「千鶴子さんは、辛かったでしょうね」

花をたむけながら、大崎ヒサ子は言った。

 緑の芝生に囲まれて、墓石は何事もなかったように静かに立っていた。

 それから間もなくのこと、私と大崎ヒサ子は結婚の合意に到達した。ゆりも母も、大喜びであった。

「中村さんの生き方に共鳴しました。私のような者でよかったら、よろしくお願いします。今すぐゆりちゃんの良いお母さんになる自信はないけれど、まず、お姉さんのつもりで頑張りますからね。」

 大崎ヒサ子の声も弾んでいた。

 結婚式は、笠原始郎、久子ご夫妻が媒酌人となって、前橋カトリック教会で行なわれた。

 披露宴は、福島浩の司会の下、質素に、手作りで、しかし楽しい雰囲気の中で行なわれた。

 ここに、私の第二の人生が始まったのであった。そして、新しい生活は、過去を切り離した新しい環境で始めなければということで、私たちは、長年住み慣れた西片貝の地を離れて、緑したたる赤城のすそ野、芳賀の地へ移ったのであった。

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2007年2月 9日 (金)

「私の『日記』が批判を受けた」

◇農家の人まで温暖化を心配し始めた」と7日の「日記」で書いたら、農家の人のレベルを低く見ているのではと指摘され、そうでないとしても誤解される表現だといわれた。その通りだと思う。同じ文の中で、「農家のおじさんが地球の危機を口にしたことに、私は事態の深刻さを感じた」と書いたが、この点も批判を受けそうだ。私は、感じたままを正直に書いたが、農家の人を馬鹿にしつもりは毛頭ない。自然を相手にして大地とともに生きる農家の人は、自然の変化を誰よりも敏感に捉える人々である。しかし、口に出して表現することは少ないのが農業にたずさわる人々の「特色」だと思う。それが、地球の危機を表現したことに私は驚いたのである。農家の人は軽々しくは行動しない。大地に根を張って生きる人々が行動を起こすときは本物である。その意味で、農家の人が、温暖化を眉をひそめて心配したことに私は驚いたのである。このことは改めて強調したい位だ。柳沢大臣の、「女性は子どもを産む機械」発言とは、質的に違うものである。

◇同じ日の「日記」の別の部分については、その通りだと強い賛同の声を頂いた。それは、CO2を減らすための国や自治体の役割に触れた次の部分だ。「国や自治体の主な役割は、CO2を減らすための政策を立て企業や人々に示して社会を指導することだ」。バイオエネルギーを促進することは、CO2を減らすための急務であるが、これも政策次第である。法律を作り社会的に支えねば前進しない。

 政策次第で大きく変わることを示す例がある。「風力ならデンマーク」といわれた。それは電力会社が電力買取価格を保証する制度を始めてから爆発的に伸びた。今では電力の20%をまかなう。「太陽光なら日本」といわれ、導入量は長年トップだった。政府の補助金がトップの座を支えたのだ。ところが、補助金の減額で導入量が減り、現在トップの座をドイツにゆずった。ドイツでは、太陽光発電の電気を高く買う制度を始めたために急増したのである。

◇国は、電力会社に自然エネルギーの利用を、目標量を定めて義務付けている。対象となる自然エネルギーとは、ベイオマス、風力、太陽光、小水力、地熱などだ。これらから得られるエネルギーは、クリーンなエネルギーである。国や自治体の政策でこれらのエネルギー利用を強力に進める必要があるが、それを支えるものは、国民、県民の声である。自然エネルギーの推進に、県はどのように取り組んでいるか、県民はもっと注目するべきだ。多くの人は県の取り組みを知らないと思う。そこで、この「日記」で、取り上げていくつもりである。次代を担う子どもたちの理解は特に重要なのだから、学校は、理科教育や環境教育の一環として力を入れるべきである。CO2を少なくし地球を救うことは、地方の総合力にかかっている。

(地球環境への関心が高まることを願って。読者に感謝。)

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2007年2月 8日 (木)

「選挙が近づいた、事務所作りにかかる」

◇事務所の場所は、県道・前橋・赤堀線の沿線、地名は、前橋市端気町である。事務所の遥か北には姿のいい赤城山の全容を望むことが出来、南西には田んぼを隔てて県民健康科学大学(旧県立医療短大)が見え、その背後から桃の木川の堤が現れ南東へと伸びている。4年前に選挙事務所用地として使った土地は雑草がはえ、運び込まれた土が山となっている。早朝8時、ブルとローラーが運び込まれ、午前中に土は平らにされローラーで固められてあたりの様相は一変した。(7日)。目の前の県道にはひっきりなしに車が行き交う。ある若者が私に言った。「風林火山と大きく書いて立てましょうよ」。私は心の中でその通りだと思った。「侵略すること火の如く動かざること山の如し」。武田節の文句を思い出しながら来るべき激戦を想像した。

◇昨日の「日記」でバイオ燃料は空気中のCO2を増やさないと書いたら、「中学生の子どもに説明するので教えて欲しい」という反応が寄せられた。

 簡単にいえば、こうだ。植物の体は、空気中のCO2を吸収して作られる(光合成)、燃焼するとCO2が発生するが、それは、元をただせば光合成のために空中から取り入れたものだから、全体としては差し引きゼロで増やさないということ。これに対して、石油は地中から取り出したものだから、これを燃焼させた時に出るCO2は、新たにこの世に現れる物で、そのまま空中のCO2を増やすのだ。寄せられた質問には、不完全は承知の上で、このように説明した。余談だが、中学では、理科の時間に光合成を説明する際、このような時の問題と関連付けて話せば生徒の興味を引くことが出来、かつ、生きた学問になるのではないか。他の科目も、現実の問題と関連づけて教えるといい。

◇バイオ燃料を語ると、南米訪問の体験を思い出す。私は、一昨年議長として南米を訪れた時、各地で、果てしなく広がるサトウキビの畑を見た。やがてわかったことは、サトウキビ栽培は、砂糖作りが目的ではなく、エタノール(アルコール)を作って車の燃料に使うためであった。そして、南米のガソリンスタンドでは、注意するとどこでも、ガソリンとアルコールの表示が併記されていた。限りなく広い南米大陸で、CO2を増やさないアルコールが自動車燃料として広く使われていることが印象に残った。

◇温暖化が差し迫る状況の下で、政府は法律を作って、「バイオ燃料」を促進させようとしている。来年の通常国会に提出する予定の法案は、ガソリンスタンドでもバイオ燃料の混合を可能にし、地場の農産物から生産したバイオ燃料を利用しやすくする。コメやトウモロコシなどからアルコールを作り産地に近いガソリンスタンドで使うことが出来れば、バイオ燃料の普及と農村の活性化が同時に進むだろう。南米で見たガソリンスタンドの光景が日本でも実現するのか興味深い。バイオ、ソーラー、風力など新エネルギーに注目したい。(新エネルギーの理解が広がることを願って。読者に感謝

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2007年2月 7日 (水)

「農家の人まで温暖化を心配し始めた」

 昨日、旧宮城村のある農家を訪ねた時、ほうれん草を束ねる作業をしていた人が言った。「今、温暖化の話をしていたところだよ。今年は冬がなくなってしまった。野菜もできすぎて安くなってだめだ。地球は、将来、人が住めなくなるのかのー」。温暖化は、作物のできに直接影響するので、農家にとっては深刻なのだ。農家のおじさんが地球の危機を口にしたことに、私は事態の深刻さを感じた。

 地域をまわるといろいろな人と出会う。中には、「今年の冬は、温っかで貧棒人にはいい」という人もいるが、多くの人は、不気味さを感じているようだ。数年前は、「俺一人が心配してもどうにもなることではない」とか、「俺が生きているうちは大丈夫、あとは考えても仕方がねえ」などという人が多かった。最近は、こういう人はいなくなったようだ。私のように、多くの人々に接する者は、温暖化に対する人々の意識の変化を肌で感じるのである。

 毎日のように異常気象が報じられている。大洪水、超大型の台風、異常降雨、氷河の減少、両極の氷が溶け出していることなどなど。その主な原因がCO2であることは、今や常識となっている。その常識を科学的に裏付ける報告書がだされた。「気象変動に関する政府間パネル」の報告書だ。世界の科学書の警告である。温暖化の原因については、人間活動とは別の自然現象だという議論もあったが、科学者のメッセ―ジは、温暖化の原因は、殆どが人間の営みの結果であるところのCO2とみてまず間違いないと結論づけた。

◆このままだと地球は大変なことになる。ある科学者は、「今が生きた地球を次世代に残せるかどうかの瀬戸際だ」と話している。今や、私たちは、CO2を減らすための、国、地方自治体、企業、個人、それぞれの役割を認識して行動を起こさねばならない。

 国や自治体の主な役割は、CO2を減らすための政策を立て、企業や人々に示して社会を指導することだ。さもないと、CO2の削減などという途方もない問題は個人ではどうにもならず、社会がパニックに陥ってしまう。

 日本がCO2を減らすための国際的な義務を負う取り決めが京都議定書である。この義務を果たすために国や県は、CO2を減らすための政策を立て実行しようとしているが思うように成果が上がらない。政策の遂行には企業や個人の協力が不可欠だが人々の認識は薄い。

◆政策の一つにバイオ燃料の普及がある。バイオ燃料の代表的なものは、とうもろこしやサトウキビを発酵させてアルコールにしたバイオエタノールである。政府は、この燃料の普及を促進させるための法律を制定しようとしている。バイオ燃料は、石油などの化石燃料と違って空中のCO2を増やさない点に特色がある。新法は、ガソリンスタンドでもバイオ燃料を使えるようにする方針だ。(人々が、新エネルギーへの関心を高めることを願って。読者に感謝)

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2007年2月 6日 (火)

「がん治療・重粒子線施設の鍬入れ式が近づく」

◇いよいよ2月から工事着工となる。記念式への案内が届けられた。鍬入れ式は2月171150分から群大病院構内で行われる。

 私の後援会でも、鈴木群大学長を招いて講演会を聞いたことがある。「ゴルフを楽しみながら」、「切らずに」、「1週間ほどで」、「治療は痛くなく」、「難しい癌が完治」、これらの表現に多くの人々は、身を乗り出すようにして聞いていた。会場の雰囲気から、私は、死因の第一位である癌に対する関心の高さを肌で感じた。

 09年度から実際に治療が治まる。重粒子線とは何か。放射線の中で電子より重いものを粒子線、そして、その中で、ヘリウム原子より重いものを特に重粒子線と呼ぶ。治療に使われるのは、炭素原子である。光の速さの70%にまで加速して癌細胞にあてる。がん細胞だけに当てるから、正常細胞を傷つけることがない。つまり、副作用が少ないのだ。

◇先日の「日記」でかいたが、私の知人は、前立腺癌を重粒子線で治療することになった。現在、群大以外でも数少ない特別の所でこの治療をやっているらしい。知人は、この情報を手に入れる迄は、通常の癌治療を予定していた。私は、この知人の例から、「情報は命の糧(かて)」であるということの他に、今は、癌の治療も、提供された情報をもとに患者が治療法を選択する時代になった事を知った。どの病院にどんな治療法があるかを知って、それを選ぶことが生死を分けることになる。だから、選択のための情報は極めて重要で、国や県は、その情報を提供する義務がある。なぜなら、国や県は国民や県民の命を守る義務があるのだから。

◇県は、「がん登録制度」を推進しようとしているが、これは、患者に療院を選ぶ情報を提供することを目的とする。県保険予防課は、群大の重粒子線治療の実施までに各病院のデータを集積したいと考える。重粒子線治療の効果を各療院の実績と比較するためだ。「がん登録」とは、癌患者の資料を県が集めて管理するもので、治療方法の評価に不可欠なのだ。資料とは、診断時期、発病部位、治療の経過、治療後5年生存率など。

私は、癌で大切な人を何人か失っている。その人達の最も知りたかった情報は、生存者のデータだと思う。「私と同じ癌の手術を受けた人で、A病院では、何人が何年生きている、B、C病院ではどうだ、だから、私はA病院を選びたい」。情報はこのように生かされるべきである。

 「がん登録」は、本県を含め、全国で34の道府県が実施している。この制度が生かされるためには生存患者の登録が多くなければならないが、本県は、全国最低の水準である。県は、今後生存患者の登録を徹底して進める方針。その資料は、県のホームページなどで公表する。県は、療院ごとの治療実績を公表することで、「患者に病院を選ぶ権利を与える」と考えている。昨年「がん対策基本法」が成立した。その骨子にがんの適切な情報の提供がある。本県の動きもこれに基づいている。

(本県が癌治療の最高の拠点となることを願って。読者に感謝)

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2007年2月 5日 (月)

「体罰の意味、教室は変わるか」

 小学校の同級生と交わす話の中で、体罰のことが出た。あの頃の先生は、よく殴った、廊下に立たせたり座らせたりすることも普通のことで、これらの体罰をうける常連がいた、そして、家に帰って親父に言えば、お前が悪いといってどやされた等々、今では考えられないことだ。同級生は懐かしそうに話していた。

 体罰は法律で禁止されている。学校教育法は、教育上必要なときは懲戒を加えることは出来るが、体罰を加えることは出来ないと定める(11条)。ただ、何が体罰かは定められていない。これまで行政官庁の出した体罰禁止基準が実施されていたが、これによれば、騒ぐ生徒を教室外に出すことも体罰とされた。これでは、懲戒との境が明らかでなく、教師は適切な懲戒を行うことが出来ない。そして、背景には、戦後の過度に自由を尊重する風潮があったため、教師は萎縮し毅然として児童・生徒の指導を行うことが出来なかった。

 国がいくら教育改革を叫んでも、教室運営が適切に行われなければどんな改革も実を結ばない。そして、教室運営のカギは教師の指導力にかかっている。だから、教育再生会議は、提言の柱の一つとして、規律ある教室の実現を打ち出したのである。その手段として重要なことが、体罰禁止基準の見直しであった。

◇これを受けて文科省は、体罰の範囲について新たな見解を明らかにした。居残りや授業中に起立を命じることは体罰ではないとし、また、教室の秩序維持のため室外で指導を行うこと、掃除などを多くさせること、また、授業中に通話した携帯電話の一時預かりも認めるとした。

◇文科省は、いじめを止めない児童・生徒に対しては、出席停止の措置をとることを教育委員会等に求めるとしている。出席停止については法に定めがあるのだ、それは学校教育法であり、次のような内容である。市町村の教育委員会は、他の児童に対し身心に苦痛を与える行為を繰り返し行う児童を出席させないようにその保護者に命ずることが出来る。(学校教育法28条)。これは小学校と中学校の場合であり、予め保護者の意見を聞かねばならない。この制度は、これまでほとんど活用されなかった。それは、制度をどのように活用したらよいか規準が明らかでなかったことも一因であろう。そこで、文科省は、その基準作りに着手する方針である。

 出席停止制度を活用出来る体制をとった上で、それは最後の切り札とし、そこに至る過程で指導することが大切なことではなかろうか。先日の「日記」で書いた「ゼロトレランス」は、その一例といえる。各教委や学校が工夫すべきだ。

 この主席停止制度が、市町村の教育委員会の権限に属することは重要なポイントである。つまり、市町村教育委員会の役割と責任が大きいということであり、教委がこの役割を果たすためには、家庭と地域の理解と協力が不可欠なのだ。教育における地方分権が問われている局面でもある。今年は、そのためにも、「教育の日」を実現させたい。

(地域の教育の再生を願って。読者に感謝)

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2007年2月 4日 (日)

『上州の山河とともに』連載(48)「大崎ヒサ子との出会い」

 中村塾の生徒は、大部分が桂萱中から来ているが、もしかしたら、うちに来ている生徒達は、この先生に教えられているのかもしれないと、すぐに思った。実は、そのとおりであって、後にいろいろなことが分かってくる。

 私は一枚の写真に見入っていた。理知的な目とかすかに笑みををたたえた口許は、やさしい中にもきりっとした新鮮な雰囲気をつくっている。

 私は、それをじっと見ていて、はっとひらめくものがあった。宮城村の出身、腕の包帯この風貌・・・・・あの女の子がこんなに立派に成長したのだろうか。私は、宮城村時代のはるかな思い出に記憶をさかのぼらせていた。

 前にも触れたが、宮城村の小学校に通う途中でよく見かける少女がいた、目がぱっちりとして利発そうなだけに、ぐるぐると手に巻いた白い包帯が痛々しく目に付いた記憶がある。宮城村を離れて以来、長いこと思い出すこともなかったが、今、目の前の写真をみてると、あの少女の姿が長い時のトンネルを越えてあざやかによみがえって来るのだった。私は、不思議な思いにかられて写真を眺めていた。

 母の話によれば、母から私の写真と身上書を受け取った銀行員は、それを銀行内のいろいろな人に見せたらしい。それがどうゆう経路を辿り、どういうふうに話が進んだのか分からないが、大崎ヒサ子の写真が私のところへ届くことになったとのことであった。

 その後間もなくわかったところによれば、私の写真と身上書は、東和銀行に勤務していた笠原始郎氏の手からその奥さんの笠原久子さんの元に届き、その友人として笠原家に出入していた大崎ヒサ子に話が伝わったということであった。

 私は、福島浩に、この人のことをそっと聞いてみた。彼は、私が宮城村を離れた後も、ずっと宮城村に住んでいたから、宮城村のことは何でも知っていた。彼の話によれば、この女性は、やはり私が昔見かけた少女であり、手の包帯は、三歳の時囲炉裏に落ちて火傷をしたのだという。そして、この人の父親大崎茂氏は、宮城村役場で長く収入役を勤めた人物で、村でも人望のある人だという。

 私は、再婚ということとは別に、この大崎ヒサ子という女性に興味を持った。そういう気持ちで振り返ってみると、今迄も、時々、塾の生徒の間でこの人のことらしい話題が交わされていたことに気付くのであった。

 学校と塾との間には、一種の対抗意識のようなものがあるから、生徒が学校の先生について話していることには自然と注意が向く。生徒たちが時々話題にしているのは、英語の女性教師のことであり、そして、めったに先生のことをよく言わない彼らが、大変好意を持って話しているという点が私の注意をひいていた。彼らの多くは、小学生の時は、亡き妻が可愛がっていた子ども達だったことを考えると、何か不思議な気もするのだった。

 ゆりに話すと、しばらく写真を見ていたが、

「お母さんにちょっと似ているみたい。お父さん、会ってみたら」

ゆりは、真面目な顔で言うのだった。

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2007年2月 3日 (土)

『上州の山河と共に』連載47回 「大崎ヒサ子との出会い」

 私の大学卒業を涙を流して喜んだ父は、持病の心臓喘息からも開放されて、母と共に、弟賢三のもとで、しばらくは平穏な生活を送っていたが、60代の半ばを過ぎた頃、胃癌の手術を受けてから、めっきり体力が衰えて老け込んでしまった。そして、70歳を過ぎる頃になると、また、病気がちになって、入退院を繰り返していたが、昭和53年の夏、酷暑に耐えかねたように世を去った。

 父の葬式は、弟の所で行なわれたが、この葬儀の日、弟の二男で4歳になったばかりの巧(たくみ)が、葬儀の目前で、自動車事故にあって死亡するという出来事が起きた。

二重の不幸ということもあって、弟夫婦の落胆ぶりは見ていられない程であった。

 悪いことは重なるもので、それから程なくして、私の妻の発病そして死と、我が家の不幸が続くのであった。

 母は、この頃まだかくしゃくとしていたが、妻の発病を機に、私の所で家事のことやゆりの世話などをしてもらうことになった。母は、自分の夫の死、さらにそれに続く

孫の死の後遺症も癒えぬ間に、今度は嫁の病気、そして死とかかわることになって、さぞかし大変だったであろうが、ゆりにとっても、私にとっても、母の存在は大きな助けであった。

 妻の死後、母は、亡き妻に代わって家事やゆりの世話をこまごまとしてくれていたが、私たち親子にとって、心の支えとしての存在が何よりも有り難かった。

 しかし、元気であるとはいえ、年ごとに老いてゆく母に、いろいろと負担をかけることは、私にとって忍び難いことであった。

 ゆりは、早くも六年生になっていた。

 ある日のこと、母は集金に訪れた東和銀行(当時は、大生相互銀行)の社員の方に、息子の再婚相手に誰か良い人はいないかと話を切り出したらしい。そのような背景について知らない私の所に、ある日一枚の女性の写真と簡潔にきれいな字で書かれた経歴書が届けられた。

 女性の名は大崎ヒサ子であった。私は、その経歴書を見て非常に驚いた。それには、勢多郡宮城村の小学校、中学校を卒業し、その後、前橋女子高校、群馬大学へ進み、現在も宮城村鼻毛石に住んでいるとある。

 宮城村といえば、私にとって聞くのも懐かしい心のふるさとである。その昔、福島浩等と共に過ごしたあの山野、あの小学校で、この女性も育ったのかと思うと、それだけでも、親近感が湧く。

 そして、すぐ近くの桂萱中学校で英語教師として在職中という点については、さらに驚いた。(明日の日曜日に続きます)

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2007年2月 2日 (金)

「改めて新型インフルエンザの恐怖を」

◇この問題は、たびたび「日記」で取り上げてきたが、今、改めて触れる必要を強く感じる。今年の冬、日本は危ないといわれていた。それは、去年の冬ヨーロッパで広がった鳥インフルエンザに感染した渡り鳥が、シベリヤに戻り、これと接触した野鳥がこの冬日本へ渡ってくるからだ。この度、県は、基礎知識や予防策をまとめたチラシ7万部を配布するというが、危機意識を強くもっているからである。

 恐れられているのは新型インフルエンザである。鳥インフルエンザが人に感染したことがよく報じられているが、人に感染しても「新型」ではない。「新型」とは、鳥インフルエンザが、人の中で突然変異を起こし、人から人に感染しやすくなった新種のこと。この世に新しく現れたものだから、人には免疫がない。そこで瞬く間に大流行し多くの死者を出すのだ。人への感染が絶えず起きていることは、人の体内で突然変異が起きる危険が多いということであり、現在、いつ「新型」が現れてもおかしくない状態だといわれている。

◇アメリカでは、鳥インフルエンザのDNAを調べたところ、かつて流行して2千万人が死んだスペインかぜのものとよく似ており流行すれば大変だとして対策を進めている。スペインかぜとは、1918年、第一次世界大戦の最中に発生した新型インフルエンザで、わが国でも約39万人の死者が出た。

私は「ふるさと未来塾」で、コロンブスの新大陸発見後、スペインの侵略で膨大な数の原住民が死んだことを話したが、死因は虐殺の他にインフルエンザの持ち込みがあったらしい。ヨーロッパのインフルエンザは、「新型」と同じで原住民には免疫がなかったのである。江戸末期のアメリカ風邪も外国との接触でもたらされたインフルエンザであったとされる。

◇新型インフルエンザに効果があるとされる薬がタミフルであるが、世界的な品不足状態だという。それは、トウシキミという香料の実から抽出した物質を原料とするため、その確保が難しいからだ。

 新型インフルエンザは、まだこの世に現れていないものだからその特効薬は存在しない。タミフルは、抗インフルエンザ薬として効果が期待できるのだ。日本はタミフルの最大使用国で、その使用料は世界需要の7割を占める。現在、スイスの製薬会社ロシュが独占して製造し中外製薬が代理店となっている。しかし、輸入に頼っていたのでは大流行のときに対応できない。そこで、中外製薬は近く国内で生産する方針を固めた。

 タミフルを大量に供給するためには、現在のような植物の原料から造る方法だけでは心もとない。この点で、東大の研究グループは、石油成分からタミフルを合成することに成功した。柴崎正勝東大教授は、将来安定した生産体制が組めるようにしたいと話した。昨年2月の記事である。現在の動きはどうなっているのか。本県は166千人分を18年度、19年度で備蓄しようとしている。予想される敵の襲来に対し防御の心構えが必要だ。(新型インフルエンザの知識が普及することを願って。読者に感謝)

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2007年2月 1日 (木)

「教育再生は教室の再生にかかっている」

 後をたたない、いじめ、自殺、異常な少年犯罪、そして叫ばれる学力の低下。これらに囲まれて、教育を立て直さないと日本は亡んでしまうと誰もが心配するのは当然だ。安倍政権が教育改革を最大の課題とするのも納得できる。しかし、教育は国の問題であると同時に、私たち地方の問題である。国は全国共通の方向性や原則を定める。地方は、地方の特色に基づいて具体的課題に取り組む。役割が違う、そして地方の役割は重い。

 クリスマスのミサで、カトリック教会の神父が、「いじめは子どもたちの世界からなくならないものだ」といっていたのが印象的だった。その通りだと思うが、社会が変化し、又、子どもも変化したことから、いじめの意味が、昔と比べて大きく変わってしまった。昔の子どもはいじめられても死ななかったが、今の子はすぐ死を選ぶ。だから、いじめはなくさなければならない。なくすためには、いじめを止めない児童・生徒を厳しく指導しなければならない。

 教育再生会議も、毅然たる指導や出席停止制度の活用などを提言している。いじめを毅然として指導する場合のポイントがいじめの定義である。指導は最終的には出席停止にまで到るのだから、指導に当たる教師によって、また、指導を受ける児童・生徒によって対応がことなるようでは、かえって混乱を生じ、マイナスの効果を生む。指導は、公平、公正でなければならない。

 文科省は、いじめを幅広くとらえるために、この度、いじめの定義を変えた。それは、「その児童・生徒が、心理的・物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」である。これまでの定義には、「一方的に」、「継続して」、「深刻な」という要素があったが、これらがあると、いじめに当たる場合を限定してしまうので削ったのである。県教育委員会は、いじめの定義は意味がないと言っているようだが、教室で規範を示し、正義を実現するためには、はっきりした定義が必要であることを認識すべきである。

◆教室の再生なくして教育の再生はない。そして教室の再生は、教師の力に大きく関わる。いじめをなくすことは、教室再生のカギであるから、教師はそのために指導力を発揮しなくてはならない。私たちは、教師が指導力を発揮できる条件を整えなければならない。それは、出席停止や教室の外に出すなど毅然とした態度を教師が胸を張ってとれる条件である。教師に力を与えても、社会の支えがなければ、教師はそれを生かすことが出来ない。県教委は教師を支えることを19年度の重要な課題としているが、私は、教室に正義と秩序をもたらすために、このことが必要だと考える。強い教師は、信頼され、尊敬される教師でなければならない。教室の再生のために、教師の適格性も強く求められている。(教室の再生を願って。読者に感謝)

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