『上州と山河と共に』連載(53)「政治家への道」
私が県会議員になってからも、阿部氏との関係は蜜で、現在も月一回、東京で阿部氏を中心とした各界の人達との勉強会が続いており、ここから県政への示唆が得られることが多いのである。
阿部氏は、私の相談に応じて言った。
「ある程度時間をかけて、底辺の有権者に根強く接触する戦法をとれば、面白い結果が出るかもしれない。
今、政治不信は根強いものがある。
一般大衆は、信頼できる政治家を求めている。それは、この人こそ、自分たちの代表であると実感できる人だ。
今、民主主義がだめになるかどうかの曲がり角に来ている。民主主義は地方から実現してゆかなければならない。君が選挙に出ることは、大きな意義のあることだ。君なら、きっと上手くゆくと思う。やってみろよ」
こう言って、阿部氏も賛成してくれた。選挙に出るということは、私にとって、全く、未知への挑戦であったから、私は、最悪の状況、条件を想定して、それぞれの場合はどうするかを、日夜、考えていた。
妻ヒサ子は、教員生活を通して、私と同じように子供達の将来に不安を抱き、政治の力によって、教育の正しい流れを作らねばならないと考えていた。また、自ら身体に障害を持つものとして、日常の生活体験を通して、福祉のあり方や社会的平等と言ったことに関心を持っていた。
従って、私が民主主義の理想をかかげて、政治の世界に入ってゆくことに対しては、初めから基本的に賛成であった。ただ、実際に選挙というものが全く分からないので、その点に不安を抱いていたのである。彼女は、私の中に新しいエネルギーが満ちてくるのを期待と不安の入り混じった気持ちで見守っているふうであった。
出馬を決意
私は、ついに、県議選出馬を決意した。身内に熱い血が湧いてくるような興奮を覚えつつ、新しい目標に向って、私の人生の再出発の時が本当にやってきたことを実感した。
昭和六十二年の統一地方選挙の一環として行われる県議選まで、一年と八ヶ月程あった。福島浩は、私の決意を聞いて喜んでくれた。そして、彼の人脈の中から、信頼の出来る人々を選んで紹介してくれることになったが、その最初の人物が、町田錦一郎氏であった。町田氏は、青年実業家として活躍している人物であるが、福島浩が最初に紹介しようとするだけに、尊大なところはなく、篤実な人という印象を私は持った。
町田氏は、私の話を聞いて、協力を約束してくれた。行動の第一歩は、福島浩、芝基紘、そして町田氏と共に、パンフレットを作ることであった。今から思えば、後に大きな流れに発展する源流が、この四人の小さな、そして秘かな行動によって始まったのである。
★土・日、祝日は以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。
| 固定リンク



コメント