« 「私の『日記』が批判を受けた」 | トップページ | 『上州の山河と共に』連載(50) 「政治家への道」 »

2007年2月10日 (土)

『上州の山河と共に』連載(49)「大崎ヒサ子との出会い」

 後日談になるが、ゆりは、二十三歳になった今でも、事情を知らない人から、

「ゆりちゃんは、お父さんより、お母さんの方に似ているね。」

 と言われることがよくある。

 ともあれ、写真を見てのゆりの第一印象は良かったらしい。

 このようにして、大崎ヒサ子との運命的な出会いが実現することになった。

 大崎ヒサ子に初めて会った時、私は、そのさわやかな人柄に感動した。あの宮城村の少女の時代から、これ迄に、辛いことや苦しいことが多かったに違いない。

 それらを乗り越えて必死で生きてきたのだろうが、それを表に表わすような気負ったところは見られず、暗さも全く感じさせない。これらは、彼女のそれまでの生き方の凄さの証明のようにも思える。私は、彼女が教壇に立って多くの生徒に教えている姿を想像した。そして、真っ白な包帯にぐるぐると巻かれた手と明るい笑顔を見ながら、この人も、私と同じような真剣勝負の人生を生きてきたのだなと感じたのであった。

 宮城村のこと、そして共通の教え子のこと、これらについて話している時、私は、大崎ヒサ子と以前から知り合いであったような錯覚に陥ることがあった。そして、お互いが、その人生観、価値観をよく理解し合えるように思えるのであった。

 私はいつしか、出来ることなら、第二の人生を大崎ヒサ子と共に生きてみたいと考えるようになっていた。

 ある日、ゆりと母を交え、四人で食事をしたことがあったが、その時以来、ゆりは、自分のお姉さんが出来たような気になって喜んでいた。

 ある時、私が墓参りに行く話をすると、大崎ヒサ子も一緒に行きたいと言う。

「千鶴子さんは、辛かったでしょうね」

花をたむけながら、大崎ヒサ子は言った。

 緑の芝生に囲まれて、墓石は何事もなかったように静かに立っていた。

 それから間もなくのこと、私と大崎ヒサ子は結婚の合意に到達した。ゆりも母も、大喜びであった。

「中村さんの生き方に共鳴しました。私のような者でよかったら、よろしくお願いします。今すぐゆりちゃんの良いお母さんになる自信はないけれど、まず、お姉さんのつもりで頑張りますからね。」

 大崎ヒサ子の声も弾んでいた。

 結婚式は、笠原始郎、久子ご夫妻が媒酌人となって、前橋カトリック教会で行なわれた。

 披露宴は、福島浩の司会の下、質素に、手作りで、しかし楽しい雰囲気の中で行なわれた。

 ここに、私の第二の人生が始まったのであった。そして、新しい生活は、過去を切り離した新しい環境で始めなければということで、私たちは、長年住み慣れた西片貝の地を離れて、緑したたる赤城のすそ野、芳賀の地へ移ったのであった。

★土・日・祝日は以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

|

« 「私の『日記』が批判を受けた」 | トップページ | 『上州の山河と共に』連載(50) 「政治家への道」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『上州の山河と共に』連載(49)「大崎ヒサ子との出会い」:

« 「私の『日記』が批判を受けた」 | トップページ | 『上州の山河と共に』連載(50) 「政治家への道」 »