『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(36)「妻の発病」
今日、癌についての治療法や考え方はずいぶんと変わった。しかし、当時は、癌と言われれば、死を宣告されたような受け止め方をするのが一般であった。私の悩みは、本人に事実を知らせないで、有効な治療が出来るのだろうかということであった。
日赤病院で手術を受けることになったが、ベッドの都合で入院まで十日位待たねばならなかった。私は、この間、なすすべもなく過ごすのが辛かった。妻と話をしている間にもその肌の下で癌細胞がじわじわと増殖しているのかと思うと、妻を直視することが出来ないのであった。
妻は、前から下腹に何かしこりがあることを知っていた。しかし、医者から、それは十二指腸潰瘍の変形したものだから心配ないと言われていたのである。そして、十二指腸潰瘍にかかった者は胃癌にはかからないということを何かで読み、安心していたのであった。
十二指腸潰瘍の変形ではないことが分かると、妻は、今まで自分を支えてきた癌ではないという根拠を失って、にわかに悩むようになった。
「わたし、癌ではないかしら」
妻は青ざめた顔で私を見すえて言った。
「何を言うんだ、馬鹿、医者が胃潰瘍だと言っているではないか」
わたしは、すごい見幕で怒鳴っていた。
この頃、妻は、頻繁に腰の痛みを訴えるようになった。時には、夜、痛みで眠れないようなこともあり、このことが彼女の不安を一層かき立てた。
妻は、腰の痛みは、癌がここまで転移している為ではないかと疑った。そして、時々、怯えたような目で私を見る。私は、妻の視線をまともに受けることが出来ず、心の動揺をさとられまいと苦しんだ。
「私は、神様に何を祈ったらよいのか。今、それさえも分からない」
妻は聖書を前にしてこう呟いた。このような妻を見ていることは、私にとって耐え難いことであった。
ある日、妻は、思い詰めた表情で言った。
「あなた、私はやはり癌ではないかしら。もしそうなら、教えてください。
私はクリスチャンです。神様にはいつもお祈りしてきました。しかし、今までの私の信仰はいい加減なものだったと思います。私がもし癌に患っているとすれば、今ほど、私にとって神様が必要な時はありません。私は本当に裸になって神様に助けを求めなければなりません。そして、今まで得られなかった神様との本当の出会いが出来るかもしれないのです。しかし、私が事実を知ることが出来なければ、それも不可能です。
それに、私達、今まで何でも一緒にやってきたわね。ゆりを育てることも、司法試験も、そして、塾のことも、いつも心を一つにしてやってきたわ。辛いこともあったけど、お互いの信頼があったから平気だったわ。もし仮に私が癌だとして、それをあなただけが知っていて、私は疑いを持ちながら一人淋しく死んでいくなんて、そんなの、私、いやです」(明日の3日に続きます)
★土・日・祝日は以前からご要望の寄せられていた「上州の山河と共に」を連載しております。
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