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2007年1月 3日 (水)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(37)「妻の発病」

 妻の言うことは、いちいちもっともなことであった。もはや、口先だけで彼女を騙せないことは明らかであった。

事実を告げるべきか、私は途方に暮れた。妻は、事実を知って、その重みに耐えられるだろうか。確かに、妻は、クリスチャンである。しかし、死に直面した人間の姿は、風に吹かれる木の葉のようなものではなかろうか。宗教に、人間のこの弱さを救う力があるのだろうか。宗教を持たぬ私には、それが分からない。

妻の言う通り、今まで、どんな事でも協力してやってきたのに、彼女にとって、一番助けが要る時に、私は、真の協力が出来ないでいる。妻が求める救いの手を、私ははぐらかそうとしているのだ。

私は、幾日も考え、悩んだ末に、一つの結論に近づいていった。それは、事実を告げるべきだということであった。

事実を知ることによって、妻は信仰心をかき立てるに違いない。癌と知って死期を早める例が多いということは、病気と闘うには、強い精神力がいかに必要かを示している。とすれば、宗教に支えられた病気に対する闘争心を燃え立たせるなら、それは、必ずや、大きな力を発揮するに違いない。

また、私がこれから捜そうと考えているいろいろな薬や治療法、それらも、受け入れる本人が何のための薬や治療なのかを知らずして、本来の効果を上げ得るとは思えない。そして、事実を告げることによって、病気に対して、夫婦が真に協力し合うことが出来ること、これが何よりも大切な事に思えた。

だが、ここで注意すべき事が一つあると私は思った。それは、事実を告げるのは、天国へ行く心の準備をさせるためではない。それは、病気を克服する事が目的なのだ。だから、妻の癌は治る癌だと信じさせえる事が大切だと言う事である。

入院も迫ったある日、私は妻を連れて教会へ行った。

前橋カトリック教会の礼拝堂の中は静かだった。天井のステンドグラスから漏れる光が堂内をぼんやりと照らしている。正面の薄暗い中にキリストの像が置かれていた。板敷の床はよく磨かれて、わずかな光を反射して鈍く光っている。

妻は、キリストの像の前に躓いて祈りを始めた。教会へは、妻と共に時々来ていたが、この日は、特別な静寂が堂内を支配しているように感じられた。

妻は一心に祈っている。静かに見下ろすキリストとその足元に額突いて祈りを捧げる一人の女、そこには、私の入り込む余地のない厳とした空気が漂っていた。私は、これから自分がやろうとしていることについて、不安になってきた。

外では太陽が高くなったのであろう。天井の色ガラスを通過する光が移動して二人の上に落ちていた。淡い赤い陽のかけらが白くこけた妻の頬をほんのりと染めている。私には、祈りを捧げる妻の姿が気高く見え、私の心も洗われる思いであった。

★土・日・祝日は以前からご要望の寄せられていた「上州の山河と共に」を連載しております。(6()に続きます)

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