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2007年1月26日 (金)

「誰もが総がかりで教育を議論すべき時だ」

24日の「日記」で教育再生会議の提言について書いたら読者の反響があった。25日の各紙の朝刊で「提言」が大きく取り上げられたことにもよろう。私に寄せられた意見の中で、混乱している教育の現場で起きている問題と再生会議の提言を結びつけて議論すべきだというものがあった。私も、もっともなことだと思う。そこで、提言の中のいくつかを、そのような観点から改めて取り上げてみたい。

◇提言の中で最も注目されることは、「ゆとり教育の見直し」である。受験競争=詰め込み教育が様々な弊害を招くとしてゆとり教育が始まったが、それは学力の低下の原因となるとして父母に不安を抱かせ大騒ぎになった。提言は、授業時間を10%増やし教科書を厚くするという。しかし、私は、再び詰め込み主義に戻る危険があることを指摘したい。23日の「日記」で触れたように、ゆとり教育の理念は、教育の目的を生きる力を育むことに求める。それは、学力の定義にあてはめれば、学力とは生きる力、つまり自分で考えて問題を解決する能力ということになる。これは間違っていないと考えるべきで、この学力を高めるために基礎基本を徹底的に教える、そのために授業時間を増やす、このように捕らえないと混乱してしまう。

◇このような学力を高めるための命は、教室の秩序と先生の力である。現場では、教室で騒ぐ生徒を先生は厳しく指導できないのが現実だし、また、不適格な教師が多く教壇に立っている。提言は、規律ある教室の実現を掲げ、そのために、体罰の規準を見直すこと、出席停止制度の活用、教員免許更新制導入を求めている。

体罰については、これまで、騒ぐ生徒を教室外に出すこともこれに当るとされた。生徒は、教師が何もできないことを見透かしているといわれる。体罰の定義を検討すべきことは長い間の課題でありながらタブー視されてきた。いじめを止めない生徒に出席停止制度を活用することも緊急避難的に必要なことだ。その為には、はっきりした、そして有効に機能するいじめの定義が必要になる。県教委は、いじめの定義は意味がないといったが、それは違うのではないかと、私は1211日の「日記」で指摘した。

◇教員免許更新制は、不適格な教員を排除すると共に、良い先生を育てるために必要な方策である。不適格な教師と判定される者は、本県ではごくわずかで、極端な場合に限られていると思う。不適格判定とは別に、免許更新制によって全体の教師の質を問題にして、駄目な教師は排除する、そして、尊敬できる魅力的な先生を社会が総がかりで守り育てることをすべきだ。文科省の調査では、うつ病など心を病む公立小中の教職員は05年度4,178人でこのところ急増している。予備軍はもっと多いに違いない。先生が胸を張って安心して教壇に立てるよう教育環境を整えることが急務である。(教育が社会の総がかりで議論されることを願って。読者に感謝)

★土・日・祝日は以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

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