« 2006年12月 | トップページ | 2007年2月 »

2007年1月31日 (水)

「教室に正義を、規律厳守、ゼロトレランス」

 体罰の基準見直しとか出席停止制度の活用などについて、「日記」で書いたら賛成する声が意外に多く寄せられ驚いた。これらは、教育再生会議の提言であるが、教育の現場では、教室に正義を取り戻すために、既にさまざまな工夫が試みられている。その一つが、今話題のゼロトレランス方式の生徒指導である。

 これは、鹿児島県立牧園高校、岡山市の私立岡山学芸館高校、静岡県立御殿場高校などがとり入れ、また、広島県議会では04年に、導入が論議された。そして、文科省は、現在、教育現場への導入を検討している。

 では、このゼロトレランス方式とは何か。英語のトレランスとは、「寛容」を意味するから、ゼロトレランスとは寛容がゼロということである。つまり、寛容を許さない毅然とした態度で生徒を指導する方式である。アメリカの学校で導入され劇的な成果を上げたという。

 アメリカでは、かつて学校の乱れは深刻だった。学校構内での、銃の持ち込や発砲事件、薬物汚染、飲酒、暴力、いじめ、性行為、学力低下、教師への暴力など、私たちがアメリカ映画でみるシーンのようなことが実際に多くの学校で行われていた。クリントン大統領が全米に導入を呼びかけて一気に広まり、これによってアメリカの学校教育は劇的な改善を見た。

 アメリカのゼロトレランスとは、細部にわたり罰則を定め、違反した場合は速やかに例外なく厳密に罰を与えることによって生徒に規範意識を養わせ、ひいては国家や伝統に対する敬意や勧善懲悪の教えを学ばせたのである。

 日本でゼロトレランスを導入する目的は次のようにまとめることが出来る。①規範意識の育成。子どもにこれが欠けていることが現在最大の問題となっている。②問題行動ごとに指導基準を明確にし、教員によって、また、子どもによって、対応が異なることがないようにすることによって公平公正なる指導を行う。③小さなことでも見逃さず指導基準に従って毅然とした指導を行う。

◇現実の対応はどうか。ある高校は、違反に対しチケットを渡す。枚数によって指導が決まっていて多くなると厳しくなる。例えば3日間の謹慎というように。交通の反則切符のようだ。また、ある高校は、規律違反をいくつかの段階に分けて指導。例えば自転車の二人乗りはレベル2、タバコはレベル3、教師への暴言はレベル5というように。そしてレベル5は、無期謹慎か退学処分だという。

◇ゼロトレランスを採用しないとしても、指導の基準を明確にして、公平でぶれない厳しい指導を学校あげて実施することは必要で、それを地域が支えるべきである。高校では退学という切り符がある。それに至る段階的指導を、基準を作って行うべきだ。小中学校の最終手段は出席停止処分。小中は、高校と同じわけにはいかないが、やはり、それに至る段階的指導を研究することによってこの処分をもっと生かすべきだ。

(教室の正義が実現されることを願って。読者に感謝)

★土・日、祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月30日 (火)

「旅費残金3億7千万を寄付とは何ですか」

 最近新聞で報じられたこの問題について、地域の会合で聞かれた。多くの人がよく知らぬ様子。大騒ぎした事を人々はすぐに忘れるものだと思った。県行政のあり方に関して、忘れてはならない重大事なので改めて振り返ってみたい。

 事件は、10年前に発覚した。それは、オンブズマンが、県職員にカラ出張の疑いがあるとして調査の申し入れをしたことに始まる。県の調査で、平成6年度と7年度の2年間で不正額の総額は7億1,700万円に達することが明らかになり、小寺知事は、「慣習が陋(ろう)習となった。県民にお詫び申し上げます」と謝罪した。陋習とは悪いならわしの意。知事は、初め、職員から不正支出金の返還は求めないといっていたが、押し寄せる県民の抗議の声は高まる一方であった。そこで遂に、全職員が資金を拠出して返還することになった。拠出された金額は9億8,700万円となり、そこから不正支出額と利子を加えた計7億6,700万円を県に返還した結果、約3億7,000万円の残余金が生じたのである。この金は、その後、10年間、使途が決まらぬままの状態に置かれた。

 この問題は、昨年の議会で度々取り上げられた。総務常任委員会では「返還対象となった2年間以前も不正は行われていたのであり、残余金は当然、県に返すべきだ」という発言があったし、12月議会の本会議でも、今日的問題として中島篤議員が追及した。

 このような背景のもとで、残余金は県に寄付されることになった。金額を大規模災害発生時の救助資金に当てるという。高木副知事は、その理由を「反省と改革意欲の証し」

と説明している。当然落ちつくべきところに落ちついたと思われるが、反省と改革意欲が10年間生かされなかった点は反省すべきではないか。

◆「安心して学べる規律ある学校の実現」、先日の「日記」でこのことに触れたらいろいろな意見が寄せられた。教育再生会議で、体罰の基準を見直すなど、荒れた子に厳罰で臨む方針が提案されたこともあって、関心が高まっているらしい。

 意見の中に、「厳罰だけでは解決しない」というものがあった。確かにその通りだと思う。しかし、教師に対抗手段を与えることは、規律ある教室をつくるための有効な手段のひとつであることは間違いない。厳罰として、小中学校で考えられているのは、出席停止制度の活用や体罰の基準の見直しだ。いくら注意しても言うことを聞かない児童を教室の外に出すことも体罰だとする現在の規準は改めた方がいい。いじめを繰り返して改めないひどい場合には出席停止もあっていい。問題は、このような厳罰をもって臨む教師を温かく支える家庭や地域の存在である。県教育委員会は、「教師を支える」ことを重視しているが、厳罰の手段を与えることは、その一環と考えるべきである。(教育の再生を願って。読者に感謝)

★土・日・祝日は以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月29日 (月)

「県立病院の未収金と給食費滞納にみる世相」

◇県立病院の未収金が急増している。県立4病院の未収金は06年9月末現在で9400万円である。この問題について、私は、これまで議会で発言し、「日記」でも取り上げてきた。医療は人道上の問題なので治療費が払えないからという理由で治療を拒むことは出来ない。しかし、払えるのに払う意思がないというケースも多いのではないか、未払いの理由を調べて、このようなケースに対してはしっかりと取り立てるべきだと発言したことがある。

 その後各病院は未収の原因を調べ、払えるのに払わない者には集中的に戸別訪問したり積極的に取り組んでいるという。そして、それは一定の効果を上げているようだが、それにもかかわらず未収金は増え続けている。そこには、患者のモラルの低下があるに違いない。昨年4月18日の「日記」で触れたが、前橋日赤の調査では、「支払い意思なし」が39%もあった。また、あるテレビ報道では、治療費の支払いは、NHKの受信料と同じだと発言している人もあった。

◇全国的な給食費滞納が大きく報じられ問題となっている。全国の小中学校で滞納総額は22億円を超える。原因は何か、また問題点は。

 学校側は、原因の6割は親のモラルや規範意識の低さにあるとしている。確かに金があって払えるのに払わない親は多いらしい。高級車を複数台持っている親のこと、又先生の督促に対し、「給食を食べるなと子どもに言っている」とか「借金とりみたいなことを言わないで」と応じた親のことが伝えられている。経済的な格差が広がって生活が苦しい家庭が増えていることも原因ではなかろうか。未納の子どもの率が全国で最も高い沖縄県の完全失業率は全国平均の約2倍近いという事実は、このことを物語るといえる。しかし、払わなくても給食は食べられるとして支払いの順位を低く考えている親も多いらしい。電気やガスは払わないと止められて生活が出来なくなるので優先順位が高いのだ。なかには、義務教育だから払わなくもよいと考えている親もいるという。

◇対策として、厳しい法的措置を示して効果を上げている自治体もある。そのような努力と共に、学校給食の意義を親や子どもに認識させることが必要ではないか。飽食の時代といわれ、見た目に美しく美味しい食事が簡単に手に入るから、親はとかく便利さを優先させてしまう。朝食を食べない子どもも多い。「いただきます」と元気に給食を食べる子どもたちの表情はいい。「給食」は健康を考えてバランスのとれた食事を提供する。そして、子供に「食」を考えさせ、良い食の習慣を見につけさせる場である。食育基本法が出来、「食育」は、食を通して生きる力を育むという大切な課題を担う。「給食は「食育」を教える機会である。親にこのことを認識させる意義は大きい。これも、学校、家庭、地域が連携すべき教育の課題である。(学校給食の意義が広く理解されることを願って。読者に感謝)

★土・日・祝日は以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月28日 (日)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(46) 『新しい道を求めて」

 後ろを振り向かず、勇気を出して生きるのだと自分に言い聞かせても、すぐに言いようのない淋しさに襲われる。しばらくはこんな状態が続いた。

 塾で生徒に接することは、私にとって一つの救いであった。生徒の前にたって夢中で教えている間は、他の事を忘れることが出来たからである。

 そして、授業が終わると、戦場の跡のような雑然とした教室で、私は一人、中村塾の歩みを振り返り、感慨にふけることがよくあった。

 初めは、司法試験に合格するまでの間、生活費を得る手段として軽く考えて始めたことであったが、塾は、意外にも、自己増殖するが如く大きくなってしまった。そして、子供を教えるということが容易ではないということ、学習塾が抱える様々な深刻な問題、これらは、いずれも計算外のことであった。

 私は、いつしか、塾にすっぽり入り込んで塾の経営に自分のエネルギーのかなりの部分を注ぎ込んでいたのだった。

 塾で教えた様々な顔、そして、その一つ一つと結びついた思い出が次々と浮かぶ。片手にハンカチを握り汗を拭きながら、髪を振り乱して、時には大声で怒鳴ったりしながら夢中で話したこと、教えたことを、彼らはどう受け止めたのか。その一つ一つが彼らの胸に小さな根をおろし、芽を出して成長してゆくかもしれないと考えると、幾分救われる思いがするのだった。

 しかし、中村塾はこれからどうなってゆくのだろうか、私は、先の事を考えると自信がなかった。自由な立場で、自分の信念に基づいて子供達を教えられるということは、塾教育の大きな魅力の一つである。そして、社会的にも意義のある仕事に違いない。しかし、これからも本気で打ち込んでゆけるかと自らに問うと、明快な答えを見つけ出すことが出来ないのだった。

 妻と共にやってきた事には、妻なき後、真に情熱を燃やすことがどうしても出来ない。このような私の心理状態は、時が経てば解決するというようなものではなかった。

 しかし、いずれにしても、妻の死は、私のそれ迄の人生に幕を引く出来事であった。このことを自覚して、新たな人生の道を見つけて歩み出さなければ、私の心も死んだと同然で、それでは、ゆりを育てることも出来ないし、妻の死を乗り越えて立派に生きると誓った約束を果たすことも出来ない。前向きに強く生きなければならない。私は、このように自分に言い聞かせた。新たな生き方を求め、模索しつつ、月日は過ぎていった。

★土・日・祝日は以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月27日 (土)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載45回「再入院・別れ」

 私は、ゆりを呼び寄せて言った。

「お母さんが天国へ行く時が来た。しっかりするんだよ。」

 既に覚悟をしていたのであろう、ゆりは、目にいっぱい涙を浮かべてうなずいた。

 妻の意識は既に大分薄れていた。

「千鶴子、ゆりだよ」

 妻は、その声に、うっすらと目を開けた。そして、ぼんやりとした視線がゆりの顔を捕えると、口許に微かな微笑が浮かんだ。

「ゆりちゃん……」

 殆ど聞き取れないような声が、わずかに開いた唇から漏れた。

「お母さん」

 ゆりは、わっと声を出して泣いた。

「ゆり……」

 続けて何かを言おうとするが、それは殆ど聞き取れない。ただ、その表情は、娘に対して、安らかに語りかけているようであった。

 妻は、そのまま昏睡状態に落ちていった。そして、815日の深夜、ついに帰らぬ人となった。40年の生涯であった。

 前橋カトリック教会で行なわれた葬儀には、信者の方々、中村塾の教え子や父母など多数が参加してくれた。

 妻の墓は、亀泉町の市の霊園の一画につくられた。緑の芝生の中に置かれている、十字架と聖書の言葉が刻まれた小さな石がそれである。

 妻の死は、私にとってかつて経験したことのない大きな出来事であった。妻がいなくなって、このことがよく分かるのである。体の中を冷たい風が吹き抜けていくように感じる。

<これから先、ゆりとどうやって生きていったら良いのか>私は、荒野に取り残されたような、言いようのない淋しさを感じていた。

 むなしい日々が続いた。私は時々妻の墓を訪ねたが、ある時、墓を前にして考えた。

<癌との闘いはどんなに辛かったことか。死を受け入れてゆくのは、どんなに悲しかったことか。お前との生活、お前の死、それを無駄にしてはならない。それを生かして、前向きに生きることこそ、俺のつとめだ。

お前は、短い人生を純粋に燃焼し尽くして行った。そして、お前の死に様は立派だった。俺は、お前に負けないように生きてゆく。それがおまえに対する俺のつとめなのだ。俺は、後ろを振り向かないで生きてゆく。俺の生き様を天国で見ていてくれ。>

 私は、勇気を出して生きねばならぬと、自分に言い聞かせながら、墓を後にしたのだった。(明日の日曜日に続きます)

★土・日・祝日は以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月26日 (金)

「誰もが総がかりで教育を議論すべき時だ」

24日の「日記」で教育再生会議の提言について書いたら読者の反響があった。25日の各紙の朝刊で「提言」が大きく取り上げられたことにもよろう。私に寄せられた意見の中で、混乱している教育の現場で起きている問題と再生会議の提言を結びつけて議論すべきだというものがあった。私も、もっともなことだと思う。そこで、提言の中のいくつかを、そのような観点から改めて取り上げてみたい。

◇提言の中で最も注目されることは、「ゆとり教育の見直し」である。受験競争=詰め込み教育が様々な弊害を招くとしてゆとり教育が始まったが、それは学力の低下の原因となるとして父母に不安を抱かせ大騒ぎになった。提言は、授業時間を10%増やし教科書を厚くするという。しかし、私は、再び詰め込み主義に戻る危険があることを指摘したい。23日の「日記」で触れたように、ゆとり教育の理念は、教育の目的を生きる力を育むことに求める。それは、学力の定義にあてはめれば、学力とは生きる力、つまり自分で考えて問題を解決する能力ということになる。これは間違っていないと考えるべきで、この学力を高めるために基礎基本を徹底的に教える、そのために授業時間を増やす、このように捕らえないと混乱してしまう。

◇このような学力を高めるための命は、教室の秩序と先生の力である。現場では、教室で騒ぐ生徒を先生は厳しく指導できないのが現実だし、また、不適格な教師が多く教壇に立っている。提言は、規律ある教室の実現を掲げ、そのために、体罰の規準を見直すこと、出席停止制度の活用、教員免許更新制導入を求めている。

体罰については、これまで、騒ぐ生徒を教室外に出すこともこれに当るとされた。生徒は、教師が何もできないことを見透かしているといわれる。体罰の定義を検討すべきことは長い間の課題でありながらタブー視されてきた。いじめを止めない生徒に出席停止制度を活用することも緊急避難的に必要なことだ。その為には、はっきりした、そして有効に機能するいじめの定義が必要になる。県教委は、いじめの定義は意味がないといったが、それは違うのではないかと、私は1211日の「日記」で指摘した。

◇教員免許更新制は、不適格な教員を排除すると共に、良い先生を育てるために必要な方策である。不適格な教師と判定される者は、本県ではごくわずかで、極端な場合に限られていると思う。不適格判定とは別に、免許更新制によって全体の教師の質を問題にして、駄目な教師は排除する、そして、尊敬できる魅力的な先生を社会が総がかりで守り育てることをすべきだ。文科省の調査では、うつ病など心を病む公立小中の教職員は05年度4,178人でこのところ急増している。予備軍はもっと多いに違いない。先生が胸を張って安心して教壇に立てるよう教育環境を整えることが急務である。(教育が社会の総がかりで議論されることを願って。読者に感謝)

★土・日・祝日は以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月25日 (木)

「新年会は弁論大会で票の稼ぎ場」

◇いくつかの組合の新年会に出た。ホテル旅館業組合の新年会はそれぞれ選挙を控えた4人の県会議員と1人の国会議員が挨拶。弁論大会みたいだという声が聞こえた。理事長が世の中は景気が良くなっているといっているが我が業界は少しも良くならないとこぼした。私は、国際化が進み、人々は余暇を楽しみ、都市観光が注目される時代なので、ホテル業にとってチャンスは大きい、組合は力を合わせてそれを生かして欲しいと話した。

 テーブルを回っていたら1人の和服の女性が私を見てにっこりとした。ははあと思い出して笑顔を返した。昨年、地域の家々を回りながら、大きな屋敷を訪ねたことがあった。そのとき出てきた女性は、組合の新年会で先生といつも顔を合わせますという。気付くとその屋敷に隣接してトンガリ屋根の派手な建物がいくつも並んでいた。テーブルの女性はあのときのモーテルの女性経営者だった。その人は、またお寄り下さいという。この人は社会の裏面の実態をいろいろ見ているのだろう。機会があれば話してみたいと好奇心が動いた。

◇前橋菓子組合の新年会は楽しかった。私はこの組合の顧問である。私は昔、菓子屋をしており、現在弟があとを継いでいる。この日は、弟が組合員として参加していた。菓子作りは伝統の産業であり市民の生活と深く結びついている。零細企業だが組合員は結束して頑張っている。若い後継者も結構多く人材もなかなか面白い人が多い。元県教育委員長の武藤さんもメンバーでこの日も笑顔が見えた。

 この組合の特色は毎年菓子祭りという大きな事業をやること。これまで、森繁久弥、森光子、加山雄三などを呼び、県民会館の大ホールをいっぱいにしてきたのだからそのパワーはたいしたものだ。この日の新年会では、今年のメインの事業として恒例の菓子まつりの実施を決めた。県民会館では、菓子作りの実演もするのである。

 菓子は、家庭の茶の間やいろいろな会議のテーブルに並べられ、茶の湯に欠かせない物であり、また手土産などにも使われる。地域の重要な文化の一端を担っているのだ。大型店とコンビニが新しい時代のまちの顔となっている。便利ではあるがそこには、心の交流がない。小さな菓子店がまち角で頑張っているのは救いである。

◇ある新年会で酒をついでいたら、そのまんま東の知事当選が話題になった。「お笑い芸人に難しい県政の指導が出来るのか」、「大阪のノックのケースと同じだ」「県民は、政治に飽きている」などなど、いろいろな意見が出ていた。前知事の不祥事とかいろいろな要素が背景にあるが県民の強い政治不信とともに何か変化を求める期待感もあったに違いない。私はそのまんま東のことをよく知らないので何ともいえないが、最大の権力の座がいとも簡単にタレントの手に握られてしまうことに、民主主義の面白さと恐さを感じる。7月の群馬の知事選にどう影響するのかも未知数である。静かに見守りたい。(民主政治が、衆愚政治にならないことを願って。読者に感謝)

★土・日、祝日は以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月24日 (水)

「新年会で関心を集める話題は教育だ」

 毎日多くの新年会に出て感じることは、教育を何とかしなければと真剣に思っている人が多い事である。ある会合で、日本人の心は貧しくなっている、このままでは国も社会もぐずぐずと崩れてしまう、教育を立て直さなければならない、と語ったら、そうだという声が上がり、うなずく人もいた。挨拶のあとで人々の輪の中に入ったら、「ゆとり教育は何をつかめるのか分からないから不安だ」、「子どもを厳しく指導して規律を守ることをしっかり教えなければ駄目だ」、「道徳をしっかり教えるべきだ」などの意見が聞かれた。これらは、誰もが日頃切実に感じていることに違いない。政府の教育再生会議でもこのようなことが議論されているのだ。私たちは、これからの日本の教育に大きな影響を与えることになる教育再生会議の動きに注目する必要がある。

◇教育再生会議の7つの提言とは次のものである。(1)ゆとり教育を見直し、学力の向上を図る。(2)学校を再生し、安心して学べる規律ある教室にする。このために、ルール違反などは毅然とした指導をする。(3)すべての子供に規範意識を教え社会人としての基本を徹底する。(4)あらゆる手立てを総動員して魅力的で尊敬できる先生を育てる。(5)保護者や地域の信頼に真に応える学校にする。(6)教育委員会のあり方そのものを抜本的に問い直す。(7)社会総がかりで子どもの教育にあたる。

提言の多くは、提言の有無に関わらず重要なことであって、地方の教育が取り組まなければならないことである。それらについての本県教育委員会の取り組みをみると、(1)のゆとりと学力については、「基礎・基本を習得させる教育の徹底」を目指す。これは、ゆとり教育の理念を堅持して真の学力を身につけさせようとするもの。(3)の「規範」については、「豊な人間性と社会性の育成」を掲げる。規範意識をしっかり教えることは社会性を育てる基本である。(4)については、「教師を支える」ことの重要性を特に提言している。自己中心の親や社会の風潮から教師を守ろうというもの。(7)の「社会総がかり教育」については、「学校・家庭・地域の連携の強化」を打ち出している。

7)についてここで特に触れたいことは、「教育の日」の実現である。学校・家庭・地域が教育について注目し力を合わせるためには、特に教育の重要性を呼びかけ行動を起こす「教育の日」の制定が必要だという考えに基づき、私は、関係者と共に議会に請願し、それは趣旨採択されたが長いこと実現しないできた。このことは、22日の「日記」でも取り上げたが、教育委員会もようやく制定に向けて動き出す腹を固めたように感じられる。そして、このことは、他人事でなく、県議会の問題として推進してゆかねばならない。なぜなら県議会の委員会が採択したことなのだから。今年は、心を新たにこの問題に取り組みたいと思う。(ぐんまの教育が前進することを願って。読者に感謝)

★土・日・祝日は以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月23日 (火)

「教育は混迷しているのか。ゆとり教育の行方」

 地域の座談会で小学生の子どもを持つ母親からゆとり教育は間違っていたのかと聞かれ、間違いではないが見直しが議論されていることを話した。多くの人がこの問題に関心を持っていることを感じた。そこで、わたしの考えを述べてみたい。

 ゆとりとは、辞書を引けば、きゅうくつでないこと、また、余裕とある。だから、ゆとり教育とはきゅうくつでない、あるいは余裕のある教育ということになる。従来の教育は、詰め込みとも言われたように知識の量を競わせる面があり、多くの弊害が指摘されていた。これを改める目的で登場したのがゆとり教育だった。そこでは、教育の目的は知識の量ではなく、考える力、つまり自主的に問題を解決する能力を身につけることとされた。この力は、別の表現を使えば、人間として生きる力ということが出来る。この方針の下で、学校の授業時間は少なくなり、教科書は薄くなった。

 このゆとり教育に対して、学力が低下したという批判がどっと起きた。そして、ゆとり教育はゆるみ教育だとも言われるようになった。教育再生会議は、このゆとり教育を見直そうとしている。教育の方針が大きく変わろうとしていると感じて多くの父母が不安を抱くのは無理もない。 私は,教育の目的を生きる力を育むこととするゆとり教育の理念は正しいと信じる。国が初めて教育とは何かを語りかけ教育の真の目的を高く掲げたことを意味する。しかし、その方法論に問題があったのではないか。学校、家庭、地域社会の教育力が低下して本来の力を発揮できない状況で理想論を打ち出したので、ゆるみ教育と批判されるような結果を招いてしまった。だから、ゆとり教育の理念は堅持した上で、学力低下を招かぬような方法論を検討しなければならない。

 国の方針が揺れているとき、地方の教育界はしっかりしなければならない。その意味で今、県教育委員会は正念場に立っている。教育委員会が新年度の方針の柱として、基礎・基本を習得させる教育の徹底と豊かな人間性と社会性の育成を打ち出したことには意義がある。

◇美容組合の支部新年会で保健福祉事務所所長と同席し、新型インフルエンザについて教えられた。世界的に大流行が警戒されているがどこも対策が十分でない。新型が流行すれば、国内で一日当たり10万人以上の患者が出ると想定されている。県保健予防課が立てた推計は感染者50万人死者1,678人である。

 新型インフルエンザウィルスとは、鳥インフルエンザウィルスが突然変異によって人から人にうつるようになったもの。初めてこの世に現われるものだから人には免疫力がなくまたたく間に広がるのである。20世紀最大の流行は第一次大戦の最中に発生、世界で2千万人の死者が出て、我が国でも39万人が死んだ。これに効果があるとされる薬がタミフルで、本県は、約17万人分の備蓄を目指している。(インフルエンザの知識が広がることを願って。読者に感謝)

★土・日・祝日は以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月22日 (月)

「新年会の花盛り、9つの会合に出る」

  9つの会に出ることにはすごい充実感を感じる。時間帯が重なっているのがいくつかあって大変であった。そこで、娘と妹が一つずつ手伝ってくれた。娘とは、土・日の連載に登場するゆりで、2年ほど前に嫁いだが火急の時はピンチヒッターで駆けつける。このような場合、本来なら妻がいくつか受け持つ筈であるが、今年は頭痛で動けないのだ.

◇政調会で教育の問題につき発言した。(19日)。教育委員会は、19年度の運営方針案を、政調会で説明した。内山教育長は、6つの柱とそれを実現するための3つの重点を提示した。「柱」とは、(1)基礎・基本を習得させる教育の徹底、(2)豊かな人間性と社会性の育成、(3)学校・家庭・地域の連携の強化の推進等であり、3つの重点とは、「柱」を実現するための大前提とも言うべき基本事項であり、(イ)生活習慣の重視、(ロ)大人が足下を見直すこと、そして、(ハ)教師を社会が支えることである。この日は、多くの部局が当初予算の重点について説明したが、内山教育長を中心とした教育委員会幹部の姿勢には気迫が感じられた。さすがに、教育の危機を実感しているのであろう。 

  私の発言の要旨は、次のようなものであった。「教育委員会の提示する方針に賛成である。中央では、新しい教育基本法が成立し、それを踏まえた教育再生会議では様々な提言を行おうとしている。これらの流れは、地方にボウルが投げられていることを意味する。地方は、地方の特色に基づいてボウルを受け止めなければならない。教育委員会の提案する項目は、その意味で適切なものと考えられる。ところで、これらを実現するには、地域社会が教育の課題に注目し理解し力を合わせなければならない。そのためにかねて求められている教育の日を実現すべきである。その機が熟したと見るべきではないか。」 内山教育長は、機が熟するのを待っていたが機が熟してきたことが感じられると発言していた。議会が「教育の日」制定を採択した事実を重視すべきことは当然だが、最近の教育界の異常な渦の中でその必要性を強く感じるのである。 

◇3つの重点は特に大切である。(イ)の生活習慣だが、家族でテーブルについて朝食を食べるなど、いくつかの項目を家庭は実践すべきだ。(ロ)大人の反省は特に重要である。大人は子どもにとって最も身近な教師である。社会のルールや規範を守ることを背中で示すべきだ。(ハ)自己中心の些細なことで教師を攻撃する不見識な親が多い。それでは、教師は萎縮してやる気をなくし事なかれ主義に陥ってしまう。教師を温かく支えることを第一にして、その上で不適格な教師には厳しく対応することが重要である。 この日は教育委員会の在り方についても発言があった。以上の課題を推進することは県教委でなければ出来ない。(教育の正常化を願って。読者に感謝) ★土・日・祝日は以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月21日 (日)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(44)「再入院・別れ」

私は、一つ一つのドアを眺めながら思った。ドアの向こうでは、どのような人がどのような思いで病気と闘っているのだろうか。目前の死に直面している人もいるだろうが、その人は、どんな気持で死を迎えようとしているのか、また、その人を愛する者は、その傍らでどんな心を抱いているのだろうか。

 私は、妻のことを想像しながら考えた。人にとって死ほど過酷なものはない。その死を、人は、果たして受け入れることが出来るだろうか。人は皆、死の重みに耐えられず、それに押し潰され、淋しさと悲しみにもがきながら消えてゆくのだろうか。

 少なくとも、妻は、そうあって欲しくない。神を信じ、死を受け入れて行って欲しい。せめてクリスチャンとして全うして欲しい。そして、私自身も妻の死を受け入れなければならない時がついに来た。私は、こう思いながら廊下を引き返して部屋に入った。

 次の日、妻は朝から目を醒まし、枕許に立てかけた聖書にぼんやりと視線を投げていた。それは、聖書を読んでいるというよりは、聖書を眺めて何かを考えている風であった。私は、ただ黙ってそれを見ていた。

 妻は落ち着いていた。それは私の目には、既に死を乗り越えているように思えた。彼女の目は透明に澄んで、それは、全ての感情や執着を超越しているように見えた。

「あなた」

妻は、静かに顔を向けて言った。

「あの子は、神様のお恵みです。あの子が生まれたのも、私がこうなったのもみな神様の御意志なのです」

 妻は、私を見詰め、諭すように、低いが確かな声で話し始めた。

「私の命は、もう長くはありません。そこであなたにお願いがあります。

 あの子を立派な子に育てて下さい。思いやりのある優しい子、健康で心の広い子に、どうか育てて下さい」

 私は、黙って頷いて、妻の手を取った。その上に涙が止めどなく流れ落ちる。

「あなた、私のことを悲しまないで下さい。私は天国に行くのです。その時期がほんの少し早いだけなのです。それが神様の御意志なのです。

 神様が私を必要としてお召しになろうとしているのです。どうか、ゆりのことを頼みます」

「わかった。ゆりのことは心配しないでくれ。きっと、お前のように優しく思いやりのある、立派な女性に育てるから」

「ありがとう、それを聞いて安心して行けます。

 私は、あなたの足手まといになってしまいました。ごめんなさい。あなた。これからは、あなたの新しい理想に向って生きて下さい。神様のご意志にかなうように生きて下さい」

 妻の声は、次第に小さくなってきた。

「お前には、ずい分苦労を掛けた。すまなかった。俺は幸せだった。ありがとう。

 お前には、いろいろ教えられた。お前に恥ずかしくないように立派に生きるから安心してくれ」

 妻は、目を閉じたまま小さく頷くと、そのまま静かな眠りに落ちていった。その表情を見て、私は妻の死期が近いことを悟った。

★土・日、祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月20日 (土)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(43)「再入院・別れ」

ゆりは、母親の笑顔を見て安心したのと同時に気が弛んだらしく、目に一杯涙を溜めている。

「母さんね、重い病気をして、いろいろな事が分かったの。人間って体が弱くなると、今まで気づかなかった事がいろいろ見えてくるのよ。それを、忘れないうちに、ゆりちゃんに話したかったの」

 妻の声には、先程までとは別人のように張りがあった。目にも、力が蘇っている。

 肉体が殆ど駄目になっているのに、これだけの精神力がどこから湧いてくるのか、私には不思議に思えるのだった。

「人間にとって、一番大切なものは、優しい思いやりの心よ。母さん、病気の間辛かったけど、父さんやお前の温かい支えがあったから頑張ってこれた。母さんは本当に感謝しています。

 お前は、そういう心を貫ける人になっておくれ。その為に、正しい心と健康な体を持つように心がけるのよ。

 お前が神様に恥じない立派な人になるのを母さんは楽しみにしています」

 妻の声は次第に小さくなった。その張りつめた気力も限界に近づいたのだった。

 妻は話すのを止め、手を伸ばしてゆりの手を握った。その小さな手から伝わる温もりを確かめるように、又、その感触を自分の脳裏に刻み込もうとするかのように、娘の手を何度も何度もさすった。

 その表情は、この世に、こんなにも心の安らぎを与えてくれる温もりはないと感激しているように見えたのだった。

 妻の容態は、ゆりと会った後、更に悪化した。張りつめた緊張が弛んだ為か、その気力もまた著しく衰えてゆくようであった。

 それから、二,三日すると、食物が殆どのどを通らなくなった。腹水が一層溜まり、それは、外から見ても分かる程に腹がふくれてきた。最早、打つべき手は何もなかった。そして、更に三日程が過ぎた日の午後のこと、妻の下腹部からどす黒い汚物がどっと流れ出た。汚物は見る間に広がって、白いシーツを赤黒く染めた。そして、鼻を突く異臭が部屋に満ちた。

 看護婦たちが慌しく動き回る。妻は、意識を失ったかのように目を閉じて動かない。

 大量の汚物がはき出された為か、妻の腹のふくらみは幾分小さくなったように見える。そして、静かな寝息を立て始めた。

 その寝顔を見て、私は、妻の体が、今にも内側から、ぐずぐずと崩れてゆくのではないかという恐怖に襲われた。

 その晩、妻は、僅かに開けた口許から、ぜえぜえという苦しそうな息を漏らして、ほの暗い明かりの中に横たわっていた。唇はかさかさに乾いて、すっかり艶を失っている。頬の肉はますます落ちて、頬骨が皮膚を突き破りそうだ。私は、唇を噛んで窓の外を見た。そこには、黒い闇が深く静かに広がっている。何一つ聞こえない静かな夜である。闇を見詰めていると、その中に妻もろとも呑み込まれてしまうような恐怖心にかられる。

 私は、そっと廊下に出た。長い廊下は人影もなく、静かである。そこには、妻の部屋と同じような特別室が続く。私は、ふと足を止めた。耳を澄ますと、地の底から響くような低いうめき声が聞こえる。ここにも妻と同じような人がいるのか。私は足音を忍ばせてそこを離れた。廊下を進むと他の部屋からも、何とも形容し難いうめきが聞こえる。私は、長い廊下に目をやりながら、背筋が寒くなる思いがしたのであった。

★土・日、祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月19日 (金)

「ある新年会の話題、前立腺癌の告知」

 親しい友人が前立腺癌を告知されたことが話題になった。医師は癌をありのまま告知し、告知した旨を記した文書に彼は署名した。これが今日の通常の医師のやり方だという。癌告知に関して随分変わったなと思う。土・日の日記で連載している文章では一人の女性に癌を告知すべきか否か悩む私の事が記されている。それは30年近く前のことであるが、当時は本人に癌を告知しないことが通常であった。

 私は、今日のようにありのままを告げることが癌を扱う医師の正しい姿勢だと思う。なぜなら患者に正しい事実を知らせなければ、最善の治療は出来ないからだ。また、ある意味で、それ以上に重要なことは、事実を告げないことは、患者が自分の命と向き合う機会を奪うことになるという点である。

 話を戻すと、友人は通常の癌治療を受ける予定であったが、ふとした機会に情報を得て重粒子線治療を受けることになったのだ。重粒子線治療については、群馬大学で現在治療施設の工事を進めている。この日記でも、何度か取り上げたが、切らずに癌を治す画期的な治療で、前立腺癌には特に有効であるらしい。友人は、千葉県の施設で治療を受けることになり、検査した上、治療の日程も決まり、完治は間違いないといわれているとのこと。私は、アンテナを高くして情報を的確につかむことが命までも救うことになると思った。

◇昨日の日記の「地震緊急情報システム」を読んだ人とやりとりをした。「40秒後に大きな揺れが来ます、と言われたらどうしますか」と聞かれた。「家族に声をかけ、さっと身支度をして、重要なものを手にもって、最短のルートを辿って逃げます」と答えた。40秒は短い。準備がなければパニックに陥って何もしないうちに時間は過ぎるだろう。火事のとき、枕を抱えて逃げるという話が昔からあるが、それが通常の姿かもしれない。

 しかし、日頃備えをしておけば、この短い時間を、生きるために最大限有効に生かすことが出来る筈だ。例えば、暗闇でも分かる所に懐中電燈・携帯電話・財布を置く、衣服を手の届く所に置く、その他必要最少限の貴重品を揃えておく、また、小児や病人がいるときは、その逃がし方を決めておく、などその家の特性に応じた備えを日頃打ち合わせておくべきだろう。危険に満ちた現代社会で情報をいかに生かすかは死活の問題である。

◇「副知事から指摘を受ける。」16日の日記で、美容業組合の新年会に小寺知事と笹川代議士が出席したのは初めてではないかと書いた。副知事の指摘は、知事はほぼ毎年出席しているということ。その記録を見せてくれた。私の勘違いであった。来週22日に美容組合前橋支部の新年会が行われる。こちらも毎年行われるが、知事の出席はない。16日の県組合の新年会で、私は市支部の新年会と混同していたらしい。訂正したい。今年は選挙の年で今後人々の意識は、熱くなっていくだろう。冷静に取り組みたい。(人々が情報を役立てることを願って。読者に感謝)

★土・日、祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月18日 (木)

「災害は忘れた頃に、12年前のこの日」(17日)

 新聞やテレビは阪神大震災の事を報じているのに人々の関心は薄い。私は、平成7年の私の議会手帳を開いてみた。117日のところに大震災発生と書き込んである。また、私の著、「炎の山河」を開くと、次のような文で始まっている。「平成7年は、地震によって明けた。1月の阪神大震災である。私たちの目はテレビに釘付けになった。まるでオモチャのミニチュアが子どもの小さな指の一突きで押し倒されたかのようにあっけなく横倒しになっている高速道路があるかと思えば、50年前のB29による爆撃の惨状はかくやと思われるようなペチャンコになった家々がある」

 この大地震では6400人を超える死者が出た。1922年(大正12年)に空前の被害をもたらした関東大震災から85年が経ち東京圏直下地震がいつ起きてもおかしくないといわれているが一般の人々は危機感をもっていない。世間を騒がせた耐震偽装事件も鳴りを潜めた。しかし、姉歯物件と言われた偽装建築は氷山の一角ともいわれる。それは次の都市直下の大地震で証明されるかもしれない。

 ある調査では、7割近い人が地震の備えをほとんどしていないという。現代人は日々の問題に追われ不確実な将来の危険に備える余裕がないのかも知れない。しかし、「緊急地震速報」については、頭に入れておいたほうがいい。命が救われる価値ある情報なのだから。

 これは、地震波の性質を生かして、例えば、「あと10秒で強い揺れが来ます」と知らせる防災システムである。気象庁が20年余りをかけて開発した。全国民を対象にした世界的に例がないこのシステムは、今年の秋から動き出す。この緊急速報はテレビ・ラジオ・防災無線で流されるという。気象庁は、マグニチュード8級の東海地震が起きた場合、東京に大きな揺れが来る約40秒前に情報が出せると言っている。

 この40秒は、限りなく貴重な時間である。それを生かせるかどうかが生死を分けることになるからだ。「10秒」と言われたら、あるいは、「20秒」と言われたら、どのような行動をとるべきかを、優先順位をつけて、決めておくことが大切ではないか。

 阪神大震災のとき、もしこのシステムがあって、人々が情報を生かすことが出来たとすれば、かなりの死者を減らすことが出来たに違いない。情報は正に命の糧なのだ。しかし、この「緊急地震速報」を知る人は約1割だという。

 天明の浅間の噴火では、「生死を分ける17段」といわれた。溶岩に追われて石段を登る人があと17段の所で力尽きたのである。これからは、「生死を分ける20秒」と言われるようになるかも知れない。

 阪神大震災は、多くの若者が救援に駆けつけ、後にボランティア元年といわれるようになったことも重要なことである。この点は改めて触れたい。(災害に対する備えが工夫されることを願って。読者に感謝)

★土・日、祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月17日 (水)

「警察の初点検、ある公安委員の挨拶」(16日)

 恒例の前橋東警察署の初点検に出た。来賓として最初に登壇した県公安委員は静かな語調で警察官に語りかけたが、その話には人々の胸に届くものがあった。「追う人も追われる人も警察官」、彼は、冒頭どこかに載ったこの川柳を紹介した。そこには身内の不祥事を憂う心情が表れていた。そして、警察官は明治の初めかつての武士階級にいた人が採用され、名誉を重んじ恥を知る精神で職務に臨んでいた。時代が変わっても、警察官はかくあるべきである、また、社会の秩序を維持し人々の生命や財産を守るという高貴な義務を意識して職務の執行に当たって欲しいと訴えていた。

 公安委員は功なり名遂げた人が名誉職としてその地位に着くと考える人が多いようだ。そう思っていた人は、この日の挨拶を聞いて認識を改めたのではなかろうか。公安委員は、細かい専門的知識を持つ必要はなく、哲学、見識をもって要所で適切な発言をして存在感を示せばよいのである。人々のモラルが失われ、社会の崩壊が危惧されるときそれをくい止めるべき役割を担う警察官の不祥事が続く。このことを憂える警察トップの発言はタイムリーで重みがあった。用意した立派な挨拶文はあるが敢て自分の感懐を述べると語っていた。事務方がつくった挨拶文を形式的に読んだとすれば、公安委員の心は警察官にも私たちにも届かなかったに違いない。危機が叫ばれているのは教育の世界も同様である。県教育委員も重要な新年会に出席してその決意を語るべきである。

◆私は、出席した4人の県会議員を代表して大要次のような挨拶をした。「治安を守ることは警察力だけでは不可能で民間の協力が不可欠です。犯罪の認知件数が減ってきたことは、官民が力を合わせた結果であり、やれば出来るという明るい希望を示すものです。表彰された方々に感謝致します。今年は、2月の県議会で、青少年保護育成条例を改正する予定です。新しい条例は、時代の変化に合わせて、子どもたちの教育環境を整え関係者は責任をもって青少年を導こうとするものです。この点に於いても警察官の皆さんと力を合わせたいと思います。」

◆表彰と来賓挨拶などの屋内行事に先立つ屋外の行事では、点検の後、アトラクションが行なわれた。今年は音楽隊の演奏が中心で、テレビの時代劇、水戸黄門、銭形平次、暴れん坊将軍などのテーマソングが私たちを楽しませてくれた。また、音楽隊の音楽に合わせて踊る若い女性たちの八木節も楽しかった。そこには、市民に身近で愛される警察官を目指す県警の姿勢が現われていた。今日の警察官には、市民と手をつなぎつつ強い警察力を発揮することが求められる。カギは信頼の回復である。若い警察官は人権感覚を磨くと共に日本の伝統の精神文化である名誉や恥を重んずる武士道の精神を身につけて欲しい。時代劇のテーマソングを聞きながら思った。(安全安心な地域社会の実現を願って。読者に感謝)

★土・日、祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月16日 (火)

「新年会で知事の有利さを見せつけられた」

美容業組合の恒例の新年会に異例の出席者が2人いた。小寺知事と笹川県連会長である。私は毎年出ているが、この2人が出たのは初めてではないだろうか。組合が用意したお土産の中には、知事のポスターが入っていた。

 美容業組合の今年の最大の課題は前橋のアリーナで行われる全国大会である。私は顧問として会場のこと、補助金のことなどについて協力していた。特に補助金については、100万円の獲得を目指して政調会を通じたりして努力していたが、数日前、組合幹部からお陰さまで100万円が決まりましたと報告があった。理事長は、冒頭の挨拶で、知事選では小寺氏を推薦しますと訴えていた。現職知事の有利さを見せつけられた思いであった。このようなことが県の全組織を上げて行われているとすれば、これに立ち向かう対立候補は容易なことではない。

 私は乾杯の音頭を指名され、壇上で次のように挨拶した。「猪突猛進の年といいますが、目標を定めずに猛進すれば自爆してしまいます。今年の全国大会の成功と組合の発展を目指して迷わずに一路まい進することが、猪突猛進です。7月は知事選ですが、その前に、私の県議選があります。このことも皆さん、頭の隅において下さい」

◆受験生の親に未履修問題の本質を聞かれた。地域を回っていると受験生の家庭に出会う。センター試験が目前に迫っているのだ。そういえば、妹の身体を切断した容疑者も歯学部を目指して浪人を重ねていたとか。受験のストレスも事件の背景にあったかもしれない。

 未履修問題では、学習指導要領で必ず教えなければならないとされる科目を受験と関係ないとして履修しなかったことが指摘された。全国的に発覚し大騒ぎになったが嵐が過ぎると誰も口にしなくなったような感がする。未履修の問題は、本県の高校でも発覚し、私は文教の常任委員会で取り上げた。

 その時も発言したように、未履修、つまり学習指導要領に違反することを、校長は知っていた筈であるし、現場の経験者が多い教育委員会職員の多くも知っていたと思われる。この問題の本質は、公立校が教育の理想を放棄したということである。教育改革は、教育の目的を生きる力を育むこととしている。これは従来の受験地獄といわれたような弊害を克服しようとしているのである。学習指導要領が必修科目と定める目的は、その履修が社会を生きる力を育てるために必要だからである。従って、これを無視することは、高校を予備校と同じように考えていることになる。未履修とした科目の中には、世界史があった。たとえ、大学受験の科目でなくとも、世界史を教えることは、国際化時代を生きる若者にとって必要なことではないか、大学受験の力は薄っぺらな知識ではなく総合力だということも付け加えたい。受験科目以外の科目も受験の力になるのだ。

(教育改革が地方の力で進むことを願って。読者に感謝)

★土・日・祝日は以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

なお、明日17日(水)は、ブログ(ココログ)のメンテナンスの為、15時以降の更新となります。「通常版」日記にていつもどおり更新しておりますので、是非そちらをご覧下さいませ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月15日 (月)

「どんど焼の炎、県議の節操」

 土、日は、多くの新年会があった。また、日曜日には、二つのどんど焼きにも出た。鳥羽町のどんど焼きは早朝8時に始まった。自治会長と二人の県議が挨拶。私は挨拶の中で、無病息災、そして、伝統の行事が地域の発展につながることを願うと述べた。広場中央に立てられた竹の山に火がつけられると、赤い炎は狂った生き物のように竹の山を駆け登り竹はバチバチと音を立てて炎にのみ込まれた。

 火を囲みながらA県議のことが話題になった。反小寺の急先鋒だった人が小寺氏を支援する会に出て小寺氏支援を表明したというのだ。自民党の会議における日頃の言動からすると理解に苦しむことだ。県議選を少しでも有利にするための成り振りかまわぬ態度かという声も聞こえた。

 ある新年会で酒を酌み交わす中で、教育のことが話題になった。ある人は、自殺や人殺しなどが起きる子供の世界はどうなっているのだ、親が真剣になって立ち上がらなければどうにもならないと憤っていた。また、この話の輪の中に元校長という人がいて「教育の日」をつくる話はどうなったかと私にたずねた。私は簡単に経過を話したが、ここで改めて触れておきたいと思う。

 私が紹介議員となって常任委員会に提出された「教育の日」制定の請願は、趣旨採択されてから2年余もたつ。採択されたにもかかわらず実を結ばなかった理由の一つに議会側の理解不足があげられる。採択に関わった委員の人たちも深く認識にとどめてないような状態では請願が実を結ばないのも当然である。委員会のメンバーは、あまり考えずに趣旨採択という結論を出したのであろう。教育委員会にも熱意が見られなかった。「毎日が教育の日だから改めて教育の日を作る必要はない」という教委幹部の声も聞かれた。私が文教の委員会で教育委員会委員長の考えをただしたら、この請願の存在を知らなかったことが分り驚いたことがある。

 この間、多くの県が教育の日を制定し、本県でも前橋市を初めいくつかの自治体が制定した。私は、「教育の日」の目的は何かを改めて訴えたいと思う。それは、県民の教育力を引き出し結集させることを目的とする。今日、教育の課題は深刻である。学校、家庭、地域社会にはそれぞれ役割があり、それを踏まえた上で力を合わせなければならない。特に家庭の役割は重要であるが、なかなかその力を発揮できないのが現状である。学校、家庭、地域社会が教育力を発揮するためには、県民が教育のために心を一つにして力を合わせることを自覚して行動することを呼びかける「教育の日」が必要なのである。既に同様な催しが行われているとして消極的な向きもあるが、それは広く、そして強く県民の目を教育に向けることになっていない。「この日に」、「このことを」と県民が教育のために気合を入れる日が必要なのだ。今年は是非実現させたいと思う。

(教育の日が実現されることを願って。読者に感謝)

★土、日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

1月17日(水)

は、ブログ(ココログ)のメンテナンスの為、15時以降の更新となります。なお、通常版はいつもどおり更新しておりますので、そちらをご覧下さい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月14日 (日)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(42)「再入院・別れ」

 入院した夜は、大声で泣き叫びたい感情や物を投げつけたり、誰かに掴みかかりたいような狂おしい感情があったに違いない。しかし、今、彼女の目のそのような感情の色は、次第に薄れてゆくように思われるのであった。

 妻は、そっと手を伸ばして、枕元の十字架を手に取った。それは、神父から贈られた金属製の小さな十字架であった。彼女は、その感触を確かめるように十字架の上に手を乗せている。

 長いことそうしていた後で、妻は、何かを決意したような目を私に向けて言った。

「あなた、明日、ゆりに会わせて下さい。明日、どうしても、ゆりに会います」

それは、自分自身に言い聞かせているように聞こえた。

「あの子は、私の死後、どんな娘に育ってゆくのでしょう。どんなきれいな花嫁になってどんな人と結婚するのでしょう。ああ、それが見たい。お産の時は、手伝ってやりたかった。しかし、どれもこれも、もう無理なことなのですね。私の哀れな姿を見せるのは辛いのですが、自分で自分の気持を伝えることが出来るうちに会わなければなりません」

 妻は思い詰めた表情で言った。

 一夜が明けた。その日は、ゆりが病院にやって来る日であった。妻は、朝から落ち着かないようである。時々、遠くを見るように窓に向けて視線を投げかけているかと思うと、目を閉じて両手で顔を被ったりしている。

 妻の胸には、ゆりと過ごした日々のいろいろな思い出が去来しているに違いない。

 そう思うと、私の胸にも懐かしい一コマ一コマが浮かぶ。ゆりが生まれて初めて見せた笑顔、よちよちと歩き出した時の姿、幼稚園での出来ごと、入学式、遠足、そして、親子揃ってのハイキングなど。

 妻も、同じ場面を追っているに違いない。

 しかし、妻は、これらの思い出と永遠に別れを告げなければならない。その心情を思うと胸が痛むのだった。

 午後になると、妻は髪を整え、口紅をひいたりして、ゆりとの対面に備えていた。

 私は、もはやその時が来たと考え、ゆりに母は癌であったことを話した。

 ゆりは、承知していたようであった。

「だって、初めにお腹を切る時から、お父さんも、お母さんも何だか変だから、もしかすると、と思っていたの。そして、今度、又、入院でしょう。心配していたの」

 私は深くため息をついた。苦しんでいたのは、私たちだけでなかった。ゆりまで、小さな胸を痛めていたのだ。

「お母さんは、必死で頑張っている。今一番大変な時なのだよ。でも、お母さんには、神様がついているから大丈夫、ゆりが会って力づけておくれ」

「お母さんは、本当に大丈夫なの」

ゆりは、私の目を探るようにのぞきこんで言う。

「うん。神様がついているんだ。死んだりするものか」

 ゆりは、安心してうなずく。

 私たち親子は病室に入った。

 ゆりは、目が凹み、頬骨が出て、血の気のない母の顔を見て、一瞬顔色を変えた。

「ゆりちゃん、母さん大丈夫よ。心配しないでね」

★土・日・祝日は以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

1月17日(水)はブログ(ココログ)のメンテナンスの為、15時以降の更新となります。なお、通常版はいつもどおり更新しておりますので、そちらをご覧くださいませ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月13日 (土)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(41)「再入院・別れ」

「聖書と十字架を持って来て下さい」

 これだけ言うと、妻は顔を隠すように掛布を引き上げた。

 入院二日目の午後であった。妻の腹は、樽のようにふくれていた。肛門の筋肉がすっかり動かなくなって、糞やガスが腸に一杯になっているということである。

「ああ、苦しい、何とかして下さい」

 妻は額に汗を滲ませて呻いている。

 医師も手を焼いていたが、遂に、肛門から細いビニール管が差し込まれることになった。この方法には、ビニール管が臓器を傷つける危険が伴ったが、それも止むを得ぬことであった。

 医師が妻の腹を摩ったり揉んだりすると、挿入された透明なビニール管を伝って、どす黒い液体がドロドロと流れ出た。そして、その後を追うようにガスが低い音を立てて放出された。異臭が鼻を突く。妻の呻きが止まった。

 医師の後を追って廊下に出ると、医師は、昨日からの検査の結果を話してくれた。

それによると、腹のふくらみは、糞やガスの他に癌性腹膜炎による腹水のせいだという。そして、妻の容態は予想以上に悪く、ほとんどの臓器が癌で侵され、もはや手の施しようがないということであった。医師の目は、もはや、見込みのないことを語っていた。

 私は、病室に居た堪れず外に出た。あてもなく車を走らせると、何かに引き寄せられるように、車はカトリック教会へ向っていた。

 礼拝堂の中は静かで、私の靴音だけがこつこつと響いた。私は、妻に癌を告知したあたりに座っていた。あの時と同じように、私の前の席には、天井から光の束が差し込んでいる。私は、ふと、その光の中に妻がうつむいているような錯覚にとらわれた。

<お前は、どんな気持で俺の言葉を聞いたのだ。俺はかえってお前を苦しめてしまったのだろうか。お前に事実を知らせたのは誤りだったろうか>

 私は、目の前の妻に語りかけるようにつぶやいていた。

顔を上げると、目の前に、私を見下ろすようにキリストの像が立っている。

<神様、どうか妻を助けて下さい。もう、あなたにお願いするより他にないのです。妻はあなたの御意志に忠実に生きてきた女です。どうか妻の命を助けて下さい>

祈りの言葉すら知らない私であったが、両手を合わせ、ただ祈っていた。

しかし、妻の容態は急速に悪化していた。頬骨が突き出るかと思われるほど頬はこけ、皮膚の色もめっきり悪くなった。

 私は、妻が坂道を転げ落ちるように悪くなってゆくのをただ見ているだけの自分が歯痒かった。

 妻は、時々、ひどく落ち込む風であった。

「私は、まだ、死ぬということが分からない。神様の御意志がどこにあるのか分からない」

そんな言葉を口に出す妻の心があわれであり、また、それを聞くのが辛かった。

 入院4日目、5日目位になると、妻は、肉が削ぎ取られてゆくように、一段とやつれていった。失われてゆくもの、衰えてゆくものは、肉体だけではないようであった。

★土・日・祝日は以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

1月17日(水)はブログ(ココログ)のメンテナンスの為、更新が15時以降となります。通常版にていつもどおり更新しておりますので、お手数ですがそちらをご覧くださいませ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月12日 (金)

「新年会のラッシュ、高年齢者は面白い」

老人会の新年会がいくつかあった。その中のある会で私は次のような話をした。

「私は毎日多くの高齢者に出会います。そして思うことは、前向きに生きている人は心も身体も若いということであります。今、世の中は乱れており、毎日信じられないような事件が起き、社会が崩れていく危機感を覚えます。しかし、高齢者の皆さんが立派に生きていることは救いです。高齢者の皆さんは社会を支える柱です。自信を持って前向きに生きてください。私は、若い人や子どもたちが、高齢者の皆さんと一緒に活動し皆さんから学べる社会を築きたいとおもいます」

 とにかくいろいろな高齢者に出会うのである。激動の時代を生き抜いて高齢期を迎えている人々の中には、若者にはない魅力を感じさせる人が多い。肉体的な輝きを失った後の輝きこそ人間たるゆえんである。そして人生の終わりを意識しながら真剣に生きる姿には本当に頭が下がる。自分は将来そのように生きることが出来るかと考えてしまう。

 ビルマ・インパール作戦の生還者Eさんを訪ねた。80歳を越えたが迫力は衰えを感じさせない。数年前この人が土をこねて焼いた鬼の面を誉めたら「持ってがっさい」といって気前よくプレゼントしてくれた。それは我が家の玄関正面に置かれているが、鬼気迫るのもがある。ビルマの戦場で生死の境をさまよった頃のEさんの心を表したものかと勝手に解釈し自分の心を引きしめるものとして大切にしている。久しぶりに会ったEさんの頭髪はすっかり白くなっていた。近況を語り合ううちに、彼は歌集を出したからあげると言ってぶ厚い「八十路のうた」を差し出した。

 その中に普段語らぬ妻をうたう句がある。

  •  年老いし妻に済まぬと思いつつなお我が侭を通す七癖
  •  吾黄泉(よみ)に旅立ちし後老妻を頼むと息子に声を落として

また、老いの淋しさをうたう句に心ひかれる。

  •  誰も彼も往かねばならぬ道なれど癒してくれる友の欲かり
  •  言い知れぬ侘しさに恐われむ八十路過ぎたる年の故にか
  •  八十路超え悲しき事は友の名の沈みしままに脳に浮かばず

豪放な日常の振る舞いの影に想像されるEさんの繊細な内面や死生観を知りたいと思っていたところであった。

◆更生保護女性会の新年会で異常な事件が多いことに触れたが、このところ死体を切断する事件が続いている。兄が妹の身体を切り刻んだとか、妻が夫の首や胴を切断した出来事である。これらの事件を伝える紙面やテレビの画面から死臭が伝わってくるようだと思っていたら、茨城でも切断された男の上半身が見つかったという。夜、死体にノコギリを引く姿を想像すると空恐ろしい。一体人の心にどのような変化が起きているのか。人の命を軽視することの先に人間を物体と見る考えが容易に現われるのか。これらの事件は極端な例外なのか現代人の病める心を象徴するものか大変気になることだ。

(犯罪のない健全な社会を願って。読者に感謝)

★土・日・祝日は以前からのご要望により「上州の山河とともに」を連載しております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月11日 (木)

「金属組合の新年会に出る」

 いつも床につくと直ぐに眠てしまうのに、昨夜はよく眠れなかった。数ある後援会の中には支部長が亡くなって後任が決まらないところや、新しい状況の変化の中で支部長が違う人を支援することになるところもあり、悩みは多いのだ。対策を考えていたら目が冴えてしまった。選挙は戦いといわれ、勢力圏はとったりとられたりである。平和な現代社会の戦いは苦しいけれど、法治主義のルールの中での戦いだから刺客が首を取りにくることはないし、負けても一族もろとも首を切られるということもない。戦国時代の戦いは、さぞ厳しいものだったろうと思った。枕元でトコがゴロゴロとのどを鳴らしている。トコ、お前は気楽でいいなあと声を出して語りかけると、尻尾を振って応えていた。窓の外では、私の気配を察してナナが時々ほえる。ナナもトコも、主人がいかに悩んでいてもどこ吹く風で普段と変わることがない。壁に掛けた春の絵が心を和ませるようにペットは心を癒す存在だが、ナナとトコはそれ以上に家族の一員であり、触れれば温かい体温が伝わってくる。追い詰められるとナナやトコにも感謝したい気持ちになるものだ。

◇例年の金属団地組合の新年会は、経営者が、地元の政治家と自治会長を交えて行われる。市会議員は地域の市政を語り、私は県政の動きを話した。情報交換の場でもあるのだ。県議選、知事選のことにも触れ、この動向は明日の群馬を左右することになると訴えた。また、議長時代の議会改革のことに及ぶと人々は高い関心を示しているようであった。私は、人々の視線から、昨年の時と比べ幾分経営環境が好転しているなと感じた。激変の時代です、このような時こそ組合が力を合わせ知恵を出し合うことが必要ですと、私は話を結んだ。

◇夜は忙しかった。私の大事な支援団体には高木市長も参加していたが、市長より先に挨拶だけして夜のまちに飛び出した。同じ時間に、新しく前橋になった前橋北端の地域で私を待っている人々がいるのだ。夜の道路は渋滞もなく、定刻30分過ぎに着くことが出来た。妻の同級生の人たちである。ストーブを囲む人々の温かい視線に感謝しながら席に着き、先ず妻が頭痛のため出席できないことを詫びた。

 私は挨拶の中で、この地域の小学校に昔、裸足で通った懐かしい思い出に触れ、心の古里ですと語った。短時間のうちに、私を支援する組織が作られた。人々の交わす言葉の端々から、真面目に生きてきた妻の信用の厚さを感じた。

 ストーブを囲む座談会に発展し県政を談笑の中で話すことが出来たことが嬉しかった。一人の人が黒い米を配った。遺跡の種から開発したものだという。帰路、星空の下を走りながら、私は、「いつも戦いは辛いものだぜ、生きて帰るのは誰か、ザ・ロンゲストデイ♪」と口ずさんでいた。映画・史上最大の作戦のテーマソングだ。私にとっての「史上最大の作戦」が進む。妻という戦力がない苦しい戦いだが戦いは辛いものなのだ。今夜は眠れると思った。(県民の皆さんにとって、良い一年であることを願って。読者に感謝)

★土・日・祝日は以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月10日 (水)

「初市まつりでダルマを買う」

 朝、ある企業の朝礼に出た。鉄の素材を加工してマンションなどに使われる構造物を作る企業である。社長も社員も若い。社員の平均年齢は30歳代半ばらしい。朝の体操をする若者たちの姿に張り詰めた活力が感じられた。私は、ニートと呼ばれる若者も同じパワーを持っている筈なのにと思った。体操の後の朝礼の時間の中で、2~3分をもらって挨拶をした。事務所で短時間、社長と話したが、中小企業の勢いを感じることが出来た。業種にもよるが、大企業は空前の利益を上げているという。中小企業にもようやく好況の波が伝わってきたのであろうか。

 ◇初市まつりのお焚き上げに出た。前橋市の恒例の儀式である。本町の八幡宮の境内には、ダルマが山と積まれその回りに多くの市民が集う。神宮の儀式が終ると、ダルマに火がつけられる段となる。若い神宮は妻の昔の教え子さんだ。私にも、油を浸した布のついた棒が渡された。神宮のもつ火から布に火が移され、高木市長の音頭でいく本かの火のついた棒がダルマの山に差し込まれると、たちまち、赤いダルマ達は紅蓮の炎につつまれた。ワッと歓声が上がる。火には人間の心を湧き立たせる不思議な力があるらしい。燃え盛る火を見詰める人々の表情は、全ての悩みを一瞬忘れているかのようであった。この炎の力が町の活性化と人々の活力にも及ぶことを願った。

 大きなダルマを買った。通りの一角にダルマが積まれている。足を止めると、威勢よくどうですとすすめられた。一番大きいのを指していくらだと聞いたら「八千両」ときた。その場の雰囲気に引き込まれ、私の茶目っ気も手伝って、半分なら買うと言ったら、それは無理だよ旦那と言う、駆け引きを楽しんだ末に、五千円で買うことになった。私の心の底には縁起ダルマを買って必勝を授かりたいという思いがあったのであろう。負かして買うというのは余りない経験であるが、悪い気はしない。負かして買うのが良いという話は聞いていたが、これは客に勝ったような気分を味あわせて、幸せに近づけるという暗示を与える面白い街頭の商法なのだと思う。これも一種の伝統の文化である。三千円負かして買ったといったら、私の事務所に明るい笑いが起こった。私は、頼むぞと呟(つぶや)きながらダルマを奥のテーブルに置いた。

◇深夜、秋田犬のナナと歩いた。空には星が光り、寒さが肌を刺すが、それも、暖かい暖房の所にいたからで、1月であることを思えば昔の寒さではない。地球の温暖化がじわじわと無気味に進んでいることを感じる。ナナは寒さを楽しんでいるように元気がいいが、お前、今年の夏はまた大変だぞと私は無言でナナに語りかける。それにしても毎日が速い。1月がもう三分の一過ぎる。寒さよあまり速く立ち去らないでとどまってくれと叫びたい。寒さが去れば春だ。今年の春は決戦の時である。その時が刻々と近づく。ナナは主人の心を知らず飛び跳ねる。その姿が私を癒すのである。

(中心街の活性化が進むことを願って。読者に感謝)

★土・日、祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月 9日 (火)

「新年会の大沢議長の態度」

 去る5日、県歯科医師会の新年会がマーキュリーホテルで行われた。県会からは大沢議長、知事代理として高木副知事、そして、県警本部長も参加していた。私は、一年前の自分の議長時代を懐かしく振り返っていた。

 私が議長時代に貫いた事の一つに、挨拶の場面で、その場の雰囲気を見て自分の言葉で語るということがあった。それは、格好をつけたわけでなく、秘書課が作ったものを読むのでは心が伝わらないと思ったからである。議長の挨拶は、秘書課が用意することになっているが、聴衆の顔が見えないところで作られた作文は、読んでも生きた挨拶とならない。これは、単純な真理であるが、慣例を破ることには、最初のうち一部に冷ややかな見方もあったようだ。ある時、私が挨拶を始める直前に席を立った先輩議員がいたが、その後ろ姿は、私には、私への反発と映った。

 この日の大沢議長は、自分の言葉でその場に合った良い挨拶をしていた。ただ残念に思ったことは、知事選について少しも触れていないことである。恐らく、議長の職務の遂行である以上自分の選挙について触れるべきでないという信念があるのだろう。しかし、直接、知事選に触れることはまずいとしても、自分が県政を動かす立場になったらこうするという熱い思いを行間に滲ませる一節があってもよかったというのが私の偽らざる思いであった。

◆この新年会で、歯科医師会の会長は、「80-20」運動を提唱していた。80歳で自分の歯を20本持つということである。前から耳にしていたが歯科医師会長から言われて改めてその重要性を意識した。自分の歯でよく噛んで食べることは健康の第一の条件に違いない。「80-20」運動に関連して、大沢議長は、その挨拶の中で、80歳に至る過程で、つまり何歳で何本ということも教えてほしいと触れていた。もっともなことである。歯科医の司会者が、60歳で24本ですと答えていた。

 歯科医の新年会になぜ警察本部長かと思っていたら、本部長が、挨拶の中で、検死で皆さんに大変お世話になっていますと言うのを聞いて納得がいった。私はこの時、数年前親しい歯科医から頂いた一冊の書を思い出した。それは、昭和60年御巣鷹山で起きた航空機史上最大の事故による損傷の激しい死体を歯型で確認した記録である。このような大事件とは別に、日常の事件でも歯型による検死ということで歯科医と警察は密接な関係にあることを知った。

 ご馳走を前にして乾杯までたっぷり一時間かかった。様々な弁士が登場していろいろなことを話す。私たちは弁論大会の審査員のようなものだ。そういう姿勢で聞いていると勉強になるし面白い。目の前の皿に盛られた食べ物よりも、こちらの方が上等のご馳走である。ウーロン茶を一口飲んで会場を出た。このような新年会がこれから毎日のように続く。(ハチマルニイマル運動が広がることを願って。読者に感謝)

★土・日・祝日は以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月 8日 (月)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(40)「再入院・別れ」

私には、妻の胸の内が痛い程分るが、話しかける言葉がない。私の頭に、妻の腹に取り残されたがん細胞のことが浮かんだ。

<薬が効かないでずっと増殖していたとすれば……>

私は、妻の体内の恐ろしい光景を想像して戦慄した。

「もし、再発だったらどうしよう」

妻は身を起こして言った。

私は、淡い光の中で、妻の思いつめた青白い顔を見上げた。私は、黙って首を横に振り、枕元のスタンドの紐を静かに引いた。妻の悲しそうな顔が闇の中へ消えていった。

翌日、私は、妻を連れて日赤病院へ出かけて行った。そして、妻は、この日を最後に二度と我が家へ帰ることが出来なかったのである。

妻が診察を受ける間、私は廊下で待っていた。私の視線は、手にした雑誌と診察室のドアとの間を落ち着きなく行き来した。やがて、私は、別室の医師の前に呼ばれた。

「肛門閉塞が起きています。癌細胞が肛門まで広がって肛門が塞がれているのです。腹水も大分溜まっています」

医師の言葉に、私は愕然とした。悪い夢を見ているのではないかと思った。心の片隅で覚悟はしていたものの、こんなに早くその時が来ようとは信じられなかった。

そのまま、直ぐに入院という事になった。妻は、個室に入れられた。顔見知りの看護婦の表情や動きもいつもと違う。何か異様な緊張が部屋全体を包んでいる。

「私、そんなに悪かったの」

妻は悲しそうに言った。私に出来ることは、ただ、妻の手を握りしめることだけであった。

妻は、すべてを悟ったようである。

重苦しい沈黙が続いた。そして、妻は、間もなく眠りに落ちた。看護婦が注射した精神安定剤のせいであった。

妻は、これからどうなっていくのだろう。妻の死を、私はまだ現実的なものとして受け入れることが出来ない。

窓の外は既に深い闇で被われている。引き込まれるような静かな夜である。遠くで犬の鳴く声が聞こえる。

幾分冷静を取り戻した私は、ゆりのことを考えていた。ゆりを会わせなければならない。ゆりには、どう説明したら良いのか。その時、妻が目を醒まして小さな声で言った。

「ゆりはどうしているの」

「夕食を済ませ、今は、寝ている」

「かわいそうに」

妻は目頭を拭きながら言った。

「明日、ここに連れてくる」

「駄目です。連れてきてはいけないわ。今は、止して下さい」

妻は哀願するように言った。

私には、妻の気持が良く分かる。妻はまだ事態を受け止められないでいる。そんな姿を娘に見せて悲しませたくないと考えているのだ。

★土・日・祝日は以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月 7日 (日)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(39)「退院」「再入院・別れ」

「退院」

それでも、ようやく、待ちに待った退院の時が来た。その日、久しぶりに聞くゆりの甲高い喚声が部屋に響き、妻は懐かしい畳の匂いに酔っている風であった。トントンと俎板で野菜を刻む妻の腕にも喜びがあふれている。親子揃っての楽しい夕食は、昨日までのことを思うと夢のようだ。

だが、ゆりと屈託なさそうに笑い興じている妻の横顔を見ていると、また、私の胸に暗い影が頭をもたげる。

<腹の中に取り残された癌細胞は、どうなったのだろう。抗癌剤やワクチンは効いているのだろうか>

妻は退院後、日に日に、少しずつ良くなってゆくようであった。五月の末に退院し、七月を迎える頃には、妻の体調は見違えるほど良くなって、自転車に乗って買い物に出かけられる程であった。

一家は幸せを味わっていた。ゆりは、毎朝、元気良く学校へ出かけ、飛ぶように帰ってくると、母親にまつわりついてはしゃいでいる。

ある日曜日のこと、親子は利根川の河原で遊んだ。既に盛夏、ギラギラとした太陽が青い空で燃えている。その下で利根川は気持ち良いしぶきをあげて流れていた。流れを遡ると緑の松林が広がり、その上に赤城山のなだらかな稜線がゆるいカーブをつくって走り、更にその上には、雪をいただいた谷川岳の山々が連なっている。

ゆりは、はしゃぎ回り、夢中になって水と戯れている。私も妻も、病気のことは忘れて楽しい一時を過ごしていた。

しかし、私達の幸せは長くは続かなかった。この夏の日を境にして、妻の体調はくずれていった。そして、運命の時は意外に速くやって来たのだった。

「再入院・別れ」

七月も終わりに近づいた頃、妻は目立って痩せ始め、しきりに疲労を訴えるようになった。そして、八月になると、思うように排便が出来ない日が続いた。

医師は、手術後に予想される体調の変化だと言うが、私は、取り残された癌細胞のことが思い出され、大変不安であった。ついに、全く便通が絶え、妻は、固く張った下腹をさすり、額に油汗を滲ませ、怯えた目で私を見るようになった。その様子を見て私は狼狽した。

明日は一緒に日赤へ行って、良く診てもらおうと話し合ったその夜のことである。

「もう駄目なのかしら」

妻は、青ざめた顔で呟いた。

静かな夜である。二人の間では、ゆりが静かに寝息を立てている。妻は、娘の寝顔をじっと見詰めていたが、堪え難そうに俯ぶせになると枕に顔を押し当てた。その肩が小刻みに震えている。(明日の祝日に続きます。)★土・日・祝日は以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月 6日 (土)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(38)「妻の発病」「入院生活」

 やがて、祈りを終えて振り向く妻に、

「お前の病気は癌なのだよ」

 言葉が自分の意志ではないように、私の口をついて出た。

妻は、冷静であった。その顔には、私の恐れた狼狽の色はなかった。澄んだ目を私に据えて、私の話を一つ一つ受けとめている。

「そうだったの。やはり」

そう言って、しばらく私の顔を見詰めていたが、やがて、真剣な表情に戻って言った。

「ゆりには絶対に知られないようにしなければ。ゆりの小さな心を苦しめたくないわ。ゆりには、とても耐えられない苦痛よ」

「それよりも、お前の方が心配だ」

「それは、大丈夫です。安心して。自分でも不思議な位平静よ。私、これで、神様に本当のお祈りが出来ます。それから、あなたと心を一つにすることが出来たのですもの」

妻の表情には、微笑が戻っていた。彼女が強がりを言っているのでないことがうかがえて私は安心した。

「入院生活」

間もなく、妻は、日赤病院に入院して、手術を受けた。

手術の当日のことである。私は、手術室に通じる重い扉の前に立っていた。最初の一時間は、息を殺して扉を見詰めていた。扉が開く度に、自分の名が呼ばれるかと緊張する。それは、手術が不可能な時は、一時間位で手術室から出されるという話を聞いていたからである。

そのようなこともなく最初の一時間は過ぎた。時計の針は刻一刻と妻の生還の時を刻んでいくように思えた。妻が手術室へ入っておよそ二時間が過ぎた頃、鉄の扉の向こうから、医師が銀色の盆を持って現れた。

「これが奥さんの胃を切除したものです。この部分が患部です」

医師は、肉片のどす黒く盛り上がった部分を指して言った。

医師の話では、癌は胃の幽門部を破り、膵臓や腸の一部に転移しており、患部を全部切除することは技術的に不可能とのことであった。私は、頭の芯に強い衝撃を受けたように感じた。

日も暮れようとする頃、妻は病室へ戻って来た。土気色をした妻の顔には、蝙蝠が覆い被さるように酸素マスクが付けられている。そして、酸素を送る機械の乾いた音が室内に響いている。

妻の苦しい闘病生活が始まった。癌は全部とれたと信じている妻は、神に感謝しつつ、懸命に頑張る。私も、ワクチンを取りに東京へ走ったり、妻が沈んでいる時は教会へ神父を呼びに行ったり、少しでも妻の病状が良くなるように願って飛び回っていた。しかし、そうしながらも、耳の底に焼きついている手術後の医師の言葉が気にかかるのであった。

★土・日・祝日は以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月 5日 (金)

「尾身大臣就任祝賀の熱気」

 午後6時半より、グリーンドームのサブイベントエリアで行われた。毎年、ここで新年賀詞交歓会が行われるが、今年は財務大臣就任祝賀と兼ねた形で行われた。晴れた夜空には満月が輝き、その下で、ドームに押しかける車の長い列が続いた。来賓の中には、今、話題の人物である大沢県会議長や清水太田市長がいた。大沢氏は、知事候補予定者として既にみこしに乗っているが、清水氏は、立候補の意志があるかのように報じられ注目されている。私は、この人の立候補はまずないと思っている。

 尾身さんは、妥協せず、一筋の道を貫いて遂にここまで登り詰めたという感じだ。初当選以来23年、そのエネルギーは衰えず凄(すさま)じいの一語に尽きる。74歳長身痩軀のどこからこのエネルギーが生まれるのかと思う。時々、早朝7時少し過ぎに電話をすると、奥様が出て、今、水をかぶっていますという。常人とは異なったその政治スタイルに、かつては県議会でも冷ややかな見方があったが、近頃では、それもすっかり影をひそめた。継続は力、継続出来ることは本物ということを教えられる。高い志と情熱を持ったプロの政治家である。

この日は、長女尾身朝子さんをピーアールする目的もあった。前回の参院選で惜しくも涙をのんだのだ。今年の7月に倦土重来を期す。父の娘に対する思いやりがあふれていた。

 近くの席で佐田さんのことを囁く声が聞こえた。群馬一区から2人の重要閣僚が誕生したと思ったのに誠に残念である。

4日、我が事務所が新年のスタートを切った。私には、正月休みはないし、事務所は事実上3日からボランティアの人が来て動いていたが、この日、3人の事務員が顔を揃えたのである。

我が事務所は仕事量が多い。膨大な事務量を、この3人と偏頭痛持ちの妻が支える。危機感を抱いて新年を迎えた私は、この日、次のような挨拶をした。「今年の4月は、最も難しい戦いになります。戦いには、昔から、地の利、人の和、時の運の三つの要素があるといいますが、これから一番注意して頂きたいことは、人の和です。これからますます多くの人の協力を頂かねばなりません。この事務所は、人々が小さな感情の対立で傷つけあったりすることがないように気配りすることを大切にして下さい。」

選挙を支えるのは基本的にはボランティアである。ボランティアに進んで参加するのは個性的な人が多いから、とかく個性がぶつかり合ってしまう。そして傷ついて退場する人が出ることになる。これまでも心をいためる例があった。

人の集まるところ常に争いありである。トラブルの中から活力も生まれるが深刻なマイナスも発生する。人は良いところを見て付き合わねばならない。これは私自身に対する戒めでもある。子どもの世界でいじめが叫ばれているが大人の世界でもいじめは常にある。人間とはそういうものだ。全てを乗り越えて勝利をつかみたい。

(皆さんが良い一年を迎えられることを願って。読者に感謝)

★土・日・祝日は以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月 4日 (木)

「三が日はあっという間に。」

 例年、正月の三日間は戦争のようであるが今年は特に忙しく感じた。政治家は因果な稼業だと思ってしまう。しかし、いつもの年と一つ違うところがあった。午前0時の初詣をしなかったことだ。そのためぐっすり寝られて元旦の行動が楽だった。今年は合理的に時間を使わねばならない。その第一歩である。私の一日は短い。行動の時間を生かすためには良い睡眠がカギである。昨年末、寝袋を買った。短時間、10分間でも、もぐりこんで寝ると活力が甦る。今年のひそかな戦術の一つである。

 元旦の行動は、いつものように、午前8時の町内新年会から始まった。町内の人々が公民館の庭に集まり、焚き火を囲んで挨拶を交わし、片隅の社に向かって手を合わす。地域の人たちが心を一つにするための大切な行事である。今日、地域社会の連帯の必要性が求められる中で鳥羽町のこの習慣は重要なことだと思った。

 自治会長は町内の課題をあげて、「今年は猪突猛進でいきましょう」と呼びかけた。私は、「目的のない猪突猛進は自爆します。よく考えて、目的を定め、迷わず突き進むことが、この言葉の意味だと思います。その目的の一つは、安心安全な地域社会を作るために皆が心を合わせて協力することです」と挨拶した。

 午前10時の片貝神社の例祭も地域の人々の絆をつくる大切な行事だ。全国で行なわれているのだろうが、宗教を深く意識する人は少ない。日本人は宗教心のない国民といわれるが、多くの人々が元旦の初詣で何かを願って神に手を合わせることは、宗教とのつながりをほそぼそながら維持する大切な習慣である。

◆「世界は、今年も、宗教で熱く燃える。」アメリカとイラクの争いの背景には、キリスト教世界とイスラム教世界の対立という面がある。イスラム教の世界では、十字軍以来の宗教戦争ととらえる人も多いようだ。年末のサダム・フセイン処刑のニュースは私たちに衝撃を与えた。かつての独裁者は、死の直前殉教者になると語り、処刑台では、「アラーは偉大だ」と叫んだという。多くの人々を虐殺し、「人道に対する罪」として死刑となった。裁判の正当性やアメリカの力など、背景にはいろいろあるが、私は、かつて権力の頂点にあった一人の男が絞首されるという劇的な運命を見て、これが21世紀の出来事かと思った。死を見詰めるサダムの表情には悲痛さが現われていた。

◆忙しいのに文を作る時間がよくありますねと聞かれる。私が主催する「情報の広場」の大切さを意識していることもあるが、目に見えない多くの人が私のメッセージを読んで下さることは、心の支えになっている。夜も眠れぬ程の孤独感に苦しむことがあるが、「日記」でつながる人々は、心の友のような気がするのである。個人的には書くことは自分の修業の一手段でもある。そんな意味で今年も拙文をつづけるがどうか読んで頂きたい。

(皆さんの今年の御多幸を願って。読者に感謝)

★土・日・祝日は以前からご要望の寄せられていた「上州の山河と共に」を連載しております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月 3日 (水)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(37)「妻の発病」

 妻の言うことは、いちいちもっともなことであった。もはや、口先だけで彼女を騙せないことは明らかであった。

事実を告げるべきか、私は途方に暮れた。妻は、事実を知って、その重みに耐えられるだろうか。確かに、妻は、クリスチャンである。しかし、死に直面した人間の姿は、風に吹かれる木の葉のようなものではなかろうか。宗教に、人間のこの弱さを救う力があるのだろうか。宗教を持たぬ私には、それが分からない。

妻の言う通り、今まで、どんな事でも協力してやってきたのに、彼女にとって、一番助けが要る時に、私は、真の協力が出来ないでいる。妻が求める救いの手を、私ははぐらかそうとしているのだ。

私は、幾日も考え、悩んだ末に、一つの結論に近づいていった。それは、事実を告げるべきだということであった。

事実を知ることによって、妻は信仰心をかき立てるに違いない。癌と知って死期を早める例が多いということは、病気と闘うには、強い精神力がいかに必要かを示している。とすれば、宗教に支えられた病気に対する闘争心を燃え立たせるなら、それは、必ずや、大きな力を発揮するに違いない。

また、私がこれから捜そうと考えているいろいろな薬や治療法、それらも、受け入れる本人が何のための薬や治療なのかを知らずして、本来の効果を上げ得るとは思えない。そして、事実を告げることによって、病気に対して、夫婦が真に協力し合うことが出来ること、これが何よりも大切な事に思えた。

だが、ここで注意すべき事が一つあると私は思った。それは、事実を告げるのは、天国へ行く心の準備をさせるためではない。それは、病気を克服する事が目的なのだ。だから、妻の癌は治る癌だと信じさせえる事が大切だと言う事である。

入院も迫ったある日、私は妻を連れて教会へ行った。

前橋カトリック教会の礼拝堂の中は静かだった。天井のステンドグラスから漏れる光が堂内をぼんやりと照らしている。正面の薄暗い中にキリストの像が置かれていた。板敷の床はよく磨かれて、わずかな光を反射して鈍く光っている。

妻は、キリストの像の前に躓いて祈りを始めた。教会へは、妻と共に時々来ていたが、この日は、特別な静寂が堂内を支配しているように感じられた。

妻は一心に祈っている。静かに見下ろすキリストとその足元に額突いて祈りを捧げる一人の女、そこには、私の入り込む余地のない厳とした空気が漂っていた。私は、これから自分がやろうとしていることについて、不安になってきた。

外では太陽が高くなったのであろう。天井の色ガラスを通過する光が移動して二人の上に落ちていた。淡い赤い陽のかけらが白くこけた妻の頬をほんのりと染めている。私には、祈りを捧げる妻の姿が気高く見え、私の心も洗われる思いであった。

★土・日・祝日は以前からご要望の寄せられていた「上州の山河と共に」を連載しております。(6()に続きます)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月 2日 (火)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(36)「妻の発病」

 今日、癌についての治療法や考え方はずいぶんと変わった。しかし、当時は、癌と言われれば、死を宣告されたような受け止め方をするのが一般であった。私の悩みは、本人に事実を知らせないで、有効な治療が出来るのだろうかということであった。

日赤病院で手術を受けることになったが、ベッドの都合で入院まで十日位待たねばならなかった。私は、この間、なすすべもなく過ごすのが辛かった。妻と話をしている間にもその肌の下で癌細胞がじわじわと増殖しているのかと思うと、妻を直視することが出来ないのであった。

妻は、前から下腹に何かしこりがあることを知っていた。しかし、医者から、それは十二指腸潰瘍の変形したものだから心配ないと言われていたのである。そして、十二指腸潰瘍にかかった者は胃癌にはかからないということを何かで読み、安心していたのであった。

十二指腸潰瘍の変形ではないことが分かると、妻は、今まで自分を支えてきた癌ではないという根拠を失って、にわかに悩むようになった。

「わたし、癌ではないかしら」

妻は青ざめた顔で私を見すえて言った。

「何を言うんだ、馬鹿、医者が胃潰瘍だと言っているではないか」

わたしは、すごい見幕で怒鳴っていた。

この頃、妻は、頻繁に腰の痛みを訴えるようになった。時には、夜、痛みで眠れないようなこともあり、このことが彼女の不安を一層かき立てた。

妻は、腰の痛みは、癌がここまで転移している為ではないかと疑った。そして、時々、怯えたような目で私を見る。私は、妻の視線をまともに受けることが出来ず、心の動揺をさとられまいと苦しんだ。

「私は、神様に何を祈ったらよいのか。今、それさえも分からない」

妻は聖書を前にしてこう呟いた。このような妻を見ていることは、私にとって耐え難いことであった。

ある日、妻は、思い詰めた表情で言った。

「あなた、私はやはり癌ではないかしら。もしそうなら、教えてください。

私はクリスチャンです。神様にはいつもお祈りしてきました。しかし、今までの私の信仰はいい加減なものだったと思います。私がもし癌に患っているとすれば、今ほど、私にとって神様が必要な時はありません。私は本当に裸になって神様に助けを求めなければなりません。そして、今まで得られなかった神様との本当の出会いが出来るかもしれないのです。しかし、私が事実を知ることが出来なければ、それも不可能です。

それに、私達、今まで何でも一緒にやってきたわね。ゆりを育てることも、司法試験も、そして、塾のことも、いつも心を一つにしてやってきたわ。辛いこともあったけど、お互いの信頼があったから平気だったわ。もし仮に私が癌だとして、それをあなただけが知っていて、私は疑いを持ちながら一人淋しく死んでいくなんて、そんなの、私、いやです」(明日の3日に続きます)

★土・日・祝日は以前からご要望の寄せられていた「上州の山河と共に」を連載しております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月 1日 (月)

新年のごあいさつ

 新年が始まった。昔の人は、一年の計は元旦に有りと言ったが、この意味を改めてかみ締めると、心を新たに一歩を踏み出す決意を表わしているととれる。

 様々な難問が予想される。先ず4月には県議選、そして、7月には知事選と参院選がある。これらの選挙は、群馬県の未来と県政に大きな影響を与える結果となるに違いない。

 県政の課題としては多くがあるが、教育、福祉、治安に関する問題が深刻だ。とくに、教育については、いじめ、自殺、学力の低下、ゆとり教育のみなおし、教員の資質、未履修、教育基本法改正の影響等々目白押しである。安倍内閣は、教育改革を最重要課題と位置づけているが、ぐんま県にとっても同様である。

 国際化時代が加速している。国際的な様々な問題に日本が巻き込まれ激しく揉まれている。今年は、世界の波が一層激しくなるだろう。北朝鮮の問題は、私たちをイライラさせる。地球上に民主主義の波が広がる時代に、先軍思想なるものを揚げて独裁政治を押し進めている。国民は悪政の犠牲となって飢えているのに金正日は大鼓腹を抱えている。国の仕事として偽札、麻薬を作り他国の国民を拉致する。正に犯罪国家だと思っていたら、さらに、最近は核を手にしたとして、これを取引の材料に他国をゆすろうとしている。気狂いに刃物とはこのことだ。このような国が21世紀に存在することが不思議である。数世紀前のどこかの帝政国家が時空の隙間から迷い出してきたようである。

 この事態に、私たちは冷静に対応しなければならない。危険なナショナリズムや核武装論の気配が感じられるが、それは自らの首を絞める手段に過ぎない。いずれにせよ、北朝鮮は、いろいろな問題を私たちに投げかける。国を守ること、国を愛する心、民主主義の意味など。

 中国の影響もますます大きくなっている。古来日本は、中国から文化や技術を受け入れて発展してきたが、近代に至り、中国よりも先進国として走ってきた。最近、経済面で、目を醒ました中国の動きはすさまじい。巨大なモンスターのようだ。13億の中国人が豊かさを求めて欲望のままに走り出した。一と昔前は自転車であふれていた都市を今では車が洪水のように走っている。地球の温暖化が中国の変化によって加速するのではなかろうか。

 難しい国、中国や北朝鮮と毅然として付き合える日本をつくらねばならない。それは、一つには政治の力であるが、本質は、国民の資質と意志が決めてである。この事を意識して私たちは自己改革し、又、子どもを育てたい。

 私個人の課題は、先ず、4月の県議選をクリアしたい。地域の集会で、8と6の数を上げ、6のグループでなく、8のグループに入るために頑張ると話した。8は当選者、6は落選者の数である。又、健康は全ての基本なので、健康づくりに頑張りたい。そのために、今年も11月の県民マラソンを目指すつもりだ。

(今年が皆様にとって良い年であることを願って。読者に感謝)

★土・日・祝日は以前からご要望の寄せられていた「上州の山河と共に」を連載しております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年12月 | トップページ | 2007年2月 »