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2007年1月28日 (日)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(46) 『新しい道を求めて」

 後ろを振り向かず、勇気を出して生きるのだと自分に言い聞かせても、すぐに言いようのない淋しさに襲われる。しばらくはこんな状態が続いた。

 塾で生徒に接することは、私にとって一つの救いであった。生徒の前にたって夢中で教えている間は、他の事を忘れることが出来たからである。

 そして、授業が終わると、戦場の跡のような雑然とした教室で、私は一人、中村塾の歩みを振り返り、感慨にふけることがよくあった。

 初めは、司法試験に合格するまでの間、生活費を得る手段として軽く考えて始めたことであったが、塾は、意外にも、自己増殖するが如く大きくなってしまった。そして、子供を教えるということが容易ではないということ、学習塾が抱える様々な深刻な問題、これらは、いずれも計算外のことであった。

 私は、いつしか、塾にすっぽり入り込んで塾の経営に自分のエネルギーのかなりの部分を注ぎ込んでいたのだった。

 塾で教えた様々な顔、そして、その一つ一つと結びついた思い出が次々と浮かぶ。片手にハンカチを握り汗を拭きながら、髪を振り乱して、時には大声で怒鳴ったりしながら夢中で話したこと、教えたことを、彼らはどう受け止めたのか。その一つ一つが彼らの胸に小さな根をおろし、芽を出して成長してゆくかもしれないと考えると、幾分救われる思いがするのだった。

 しかし、中村塾はこれからどうなってゆくのだろうか、私は、先の事を考えると自信がなかった。自由な立場で、自分の信念に基づいて子供達を教えられるということは、塾教育の大きな魅力の一つである。そして、社会的にも意義のある仕事に違いない。しかし、これからも本気で打ち込んでゆけるかと自らに問うと、明快な答えを見つけ出すことが出来ないのだった。

 妻と共にやってきた事には、妻なき後、真に情熱を燃やすことがどうしても出来ない。このような私の心理状態は、時が経てば解決するというようなものではなかった。

 しかし、いずれにしても、妻の死は、私のそれ迄の人生に幕を引く出来事であった。このことを自覚して、新たな人生の道を見つけて歩み出さなければ、私の心も死んだと同然で、それでは、ゆりを育てることも出来ないし、妻の死を乗り越えて立派に生きると誓った約束を果たすことも出来ない。前向きに強く生きなければならない。私は、このように自分に言い聞かせた。新たな生き方を求め、模索しつつ、月日は過ぎていった。

★土・日・祝日は以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

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