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2007年1月27日 (土)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載45回「再入院・別れ」

 私は、ゆりを呼び寄せて言った。

「お母さんが天国へ行く時が来た。しっかりするんだよ。」

 既に覚悟をしていたのであろう、ゆりは、目にいっぱい涙を浮かべてうなずいた。

 妻の意識は既に大分薄れていた。

「千鶴子、ゆりだよ」

 妻は、その声に、うっすらと目を開けた。そして、ぼんやりとした視線がゆりの顔を捕えると、口許に微かな微笑が浮かんだ。

「ゆりちゃん……」

 殆ど聞き取れないような声が、わずかに開いた唇から漏れた。

「お母さん」

 ゆりは、わっと声を出して泣いた。

「ゆり……」

 続けて何かを言おうとするが、それは殆ど聞き取れない。ただ、その表情は、娘に対して、安らかに語りかけているようであった。

 妻は、そのまま昏睡状態に落ちていった。そして、815日の深夜、ついに帰らぬ人となった。40年の生涯であった。

 前橋カトリック教会で行なわれた葬儀には、信者の方々、中村塾の教え子や父母など多数が参加してくれた。

 妻の墓は、亀泉町の市の霊園の一画につくられた。緑の芝生の中に置かれている、十字架と聖書の言葉が刻まれた小さな石がそれである。

 妻の死は、私にとってかつて経験したことのない大きな出来事であった。妻がいなくなって、このことがよく分かるのである。体の中を冷たい風が吹き抜けていくように感じる。

<これから先、ゆりとどうやって生きていったら良いのか>私は、荒野に取り残されたような、言いようのない淋しさを感じていた。

 むなしい日々が続いた。私は時々妻の墓を訪ねたが、ある時、墓を前にして考えた。

<癌との闘いはどんなに辛かったことか。死を受け入れてゆくのは、どんなに悲しかったことか。お前との生活、お前の死、それを無駄にしてはならない。それを生かして、前向きに生きることこそ、俺のつとめだ。

お前は、短い人生を純粋に燃焼し尽くして行った。そして、お前の死に様は立派だった。俺は、お前に負けないように生きてゆく。それがおまえに対する俺のつとめなのだ。俺は、後ろを振り向かないで生きてゆく。俺の生き様を天国で見ていてくれ。>

 私は、勇気を出して生きねばならぬと、自分に言い聞かせながら、墓を後にしたのだった。(明日の日曜日に続きます)

★土・日・祝日は以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

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