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2006年12月 7日 (木)

ニューギニアの生還者を訪ねる

昨日、昭和町の後援会員のところを回る中で、岩田亀作さんを訪ねた。拙著「今見る地獄の戦場」の中で紹介した人である。夕暮れ時であった。岩田洋品店の中に、岩田さんの行商用の小型ライトバンが見える。帰っているなと思って中に入った。

「先日、伊香保でダンピールの戦友が集まったが3人になってしまいました」岩田さんはしみじみと語った。一人は岩田さんと同年で88歳、もう一人は90歳である。「残りが短くなったから毎月会うことにしています。でも、おい、百まで生きようぜと言っているんです」「何回も死んでいるから、もう死なないでしょう」こんな会話から、いつしかダンピールやサラワケットの話になる。いつものことであった。しかし、毎回、新しいことが含まれているので身を乗り出してしまう。

 「私は、2時間漂流して拾われたが、戦友は一週間目だった、中にはボートで30日間もかかってラバウルに漂着した者もいたんです」ガスストーブの前で頬を紅潮させた岩田さんはニューギニア戦の体験を昨日のことのように話す。

  01年(平成13年)、私は、副議長としてニューギニアの慰霊巡拝に参加した。出発したのは10月21日で、「9.11事件」と呼ばれるニューヨークの同時多発テロは、直前の9月11日に起きた。そして、アメリカは、テロに対する対抗手段として10月7日、アフガニスタンの攻撃を開始した。アメリカは、さらに、アフガニスタンの攻撃に続いて、03年イラク攻撃に踏み切る。イラク戦争は今も続きブッシュ政権は窮地に立たされている。振り返れば、ニューギニアの慰霊巡拝は歴史の大きな転換点で行なわれた。あのような状況下、ニューギニア行きは果たして実現可能なのか、随分心配した事が記憶に新しい。

 岩田さんとの出会いも、「ニューギニア」が縁である。あれから5年の歳月が流れたが、岩田さんの小さな体には、まだ衰えない気力が感じられる。頭脳の明晰さにも驚かされる。現在でも、衣料を車いっぱい積んで富士見や芳賀などの農村部を行商に回っている。この日、行商の車を覗き込んだら窓際に「申又」のレッテルが張られた商品が下がっていた。以前、岩田さんは農村の女性がズロースを求めていると話したことがある。その時、「今の人は、パンティーだね」と笑っていった。農村部特有の需要に応じているのだ。この気力と行動力なら百歳まで元気で生きることは可能だろう。

 私は、岩田さんを目標にしたいと思っている。この日、かねてたずねてみたいと思うことを聞いた。「何回も死んでいるから、もう死ぬことは恐くないでしょう」「いや、それは別で、恐いです」明るい笑顔で答えていた。来年の4月迄苦しい戦いとなるが、ダンピール海峡を泳ぐつもりで頑張ろうと思った。夜、Y女史から県議選に出ますと電話があった。また一段と激戦になる。(亀作さんの百までの健闘を祈って。読者に感謝)

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