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2006年12月 4日 (月)

「残留孤児勝訴に思う」

 私は、群馬県中国残留帰国者協会の顧問をしている。協会には、残留孤児と呼ばれた人たちが多くいる。昨日、協会の人が私を訪ねた。会長の清水忠和さん、奥さんの真澄さん、真澄さんの弟の清水慎咲さんの三人である。真澄さんと慎咲さんの姉弟はかつて残留孤児だった人たちである。これらの人々の来訪の目的は、この度、神戸地裁が下した残留孤児勝訴判決について私の考えを聞くことであった。

 姉弟は幼い頃、中国黒竜江省奥地の開拓村で終戦を迎え大変苦労して育った。私は、十年程前、慎咲さんと共に、彼らが住んだこの村を訪ねたことがある。雨の後であった。黒い泥沼のような所に点在する農家は貧しさの中に取り残されているようにみじめで、子どもの頃の彼らの姿が目に浮かぶようであった。そして、戦車に逃げ惑う日本人開拓民を想像した。

 残留孤児と呼ばれる人たちは、旧満州で終戦の動乱に巻き込まれ数奇な運命を辿った。旧満州の開拓民は、日本の国策に従って中国に渡った。ソ連軍の侵攻によって人々は地獄の苦しみを味わったが、それは、戦況を全く知らされていなかったこと、及び、彼らを守るべき関東軍の主力は既になく無防備のまま放置されたためである。この点に関する国の責任は大きいといわねばならない。終戦時の混乱は止むを得ないとしても、国が力を回復した後、中国に取り残された人々のために、国は為すべきことをしたか、この事が厳しく問われるのは当然である。孤児らは、各地で集団訴訟を起こして、国の責任を追及してきた。神戸地裁は、初めて彼らの訴えを認める判決を下した。

 田中内閣が日中国交正常化を実現したのは、72(昭和47)のことである。この時から、国は、人々の救済のための手を差し伸べることが出来た。国民を救うのは国の責任である。まして、誤った国策の犠牲者なのである。国は、なすべきことをせず、むしろ、残留孤児を外国人として扱うなどして帰国を制限した、これは違法である、だから損害を賠償せよ、このような原告の主張を裁判所は認めたのである。

 神戸地裁は、原告のうち15人について帰国が遅れた期間の一ヵ月当たり10万円の賠償を、また、61人については、帰国後の自立支援義務を怠ったとして、一人当たり600万円の賠償を、それぞれ国に命じた。

 残留孤児らは全国の15地裁で集団訴訟を起こしている。初の司法判断は、昨年7月の大阪地裁判決であるが、これは、原告の請求を全面的に棄却した。

 残留孤児と呼ばれた人々は、現在高齢化し生活は苦しい。初の勝訴判決は、県内の関係者に希望を与えた。しかし、同時に、判決の行方や影響などにつき人々が心配するのは当然である。清水会長の所に多くの問い合わせがあったという。国が控訴すれば判決は確定しない。国は、控訴せず判決を受け入れるべきだ。そして、訴訟に参加しなかった人々にも救済を及ぼすために、新たな立法をなすべきである。清水さんたちとこのようなことを話し合った。(帰国者に正当な光が当たることを願って。読者に感謝)

★なお、12月6日(水)~7日(木)はブログのメンテナンスが行われます。

日記は「通常版」にて更新しておりますので、どうぞそちらをご覧下さいませ。

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