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2006年12月31日 (日)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(35)「妻の発病」

家久君に言われるまでもなく、私自身人生の一つの転機に来たことを感じ、新しい方向を探ることに真剣になっていた。

 自分の特性を生かし、自由に飛び回りながら社会的に意義のある仕事をと考えて弁護士を目指したのであったが、家庭をいつまでも犠牲にすることは忍び難いことであった。

 妻千鶴子は、小学生の勉強を見ることにすっかり慣れ、自信をつけている様子であった。そして、子供達に囲まれている時の生き生きとした彼女の笑顔を見ると、子供達と交わり、彼らに慕われることに大きな喜びを見出していることが良く分かるのであった。

そんな彼女が、ある意味では、私以上に心の重荷として引きずっているのが司法試験であった。いつまでも二兎を追うことは出来ない。子供達に囲まれた彼女の少女の様な屈託のない笑顔を見て、私はそう思った。

こんなことを考えながら高校受験の指導に当たっていたある年の秋のことであった。

妻は体調をくずし、苦痛を訴えるようになった。食欲がなく、下痢がいつまでも続くのである。初めは、またいつものことかと思った。彼女は、もともと丈夫な方ではない。女学校時代は、体操の授業は満足に出られなかったらしく、自分は三十歳まで生きられれば、と悲観的に考えていた時期もあったと聞く。そんな風であるから、生と死について考え悩むことも多かったのであろう。彼女の娘時代の話を聞いて、私は彼女がクリスチャンになった背景が少し理解できたように思えたのであった。

しかし、今度の下痢は、いつものと違っていた。しきりに疲労を訴えるし、衰弱もひどい。かかりつけの医師はかぜと診断しているというが、本当だろうか。私は次第に不安になって、ある日、妻に尋ねた。

「他に悪いところがあるのではないか。どうも、いつもの風邪とは違うような気がする」

「そんなことはないと思うわ。胃についてはレントゲンを撮って調べたし」

妻はこう言うが、その言葉には力がない。私と話しているうちに、妻は次第に不安にかられていくようであった。とにかく、私はすぐに別の病院で診察させることにした。

結果は、胃癌ということであった。胃の幽門部に握り拳ほどの癌が出来ており、切除出来るかどうかは、切ってみなくては分からないと言う。

これを聞いた時、私は足元の大地が崩れ落ちるように感じた。妻と過ごしてきた過去の日のことが次々と頭に浮かぶ。

<まだ、絶望と決まったわけではない。今は、事実を直視して、妻を助ける為に最善を尽くす他はない>私は自分に言い聞かせた。

妻は、医師から、かなり進んだ胃潰瘍で、早く切らなければならないと説明されていた。

私は、自分が癌であると知って死期を早めてしまう例が多いことを聞いていたので、妻には、絶対に事実を知らせてはならない、と考えていた。(12日に続きます)

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2006年12月30日 (土)

 「今年最後の報告会」(29日)

土・日、祝日は、「連載」の予定だが、一年のしめくくりとして、予定を変更して「日記」を書く。31日と、1月2日、3日に連載を書く予定。

 最後の県政報告会は、総社町大屋敷。おしつまった忙しい中を人々は集まってくれた。これまでの支部長が体調不良のため交替した。新しい支部長は、私と一緒に、ニューギニアへ慰霊巡拝に行った人。今年も大沢議長と共にニューギニアへ行ったと語っていた。参加者の中に、昔満州で特高をしており、シベリヤで10年間抑留されていたという人がいた。

 大屋敷というところは、大山姓の人が多くこの人たちが中心となって地域の連帯が根強く生きている。だから、こんなにおしつまって報告会が出来たのだ。手作りの煮物や漬物を持ち寄ってテーブルに並べる女性たちの姿から温かさが伝わってきた。

 4年前の県政報告会の時は元気だったのに、膝が痛くて畳の上に座れないと嘆く人が何人かいた。地域の連帯も高齢者によって支えられている部分が多いと思う。連帯の輪を若い層に広げることがこれからの重要な課題だと思った。

◇「道交法が更に厳しくなる」私の県政報告会は、飲食は一切しないで行う例であるが、たまにアルコールが伴うことがある。その時は、飲んだら車の運転はしないでくれと強くお願いしている。大変なことになるからだ。飲酒運転に関する人々の意識はまだ十分ではない。警察庁は、罰則強化によって人々の意識に訴える方針だ。厳罰化の道交法改正案が発表された。

 主な点は次のようになる。(1)飲酒運転。(イ)酒酔い運転は、現行の「3年以下の懲役又は、50万円以下の罰金」から、「5年以下、又は、100万円以下」に、(ロ)酒気帯びは、「1年以下の懲役又は、30万円以下の罰金」から、「3年以下、又は、50万円以下」に、それぞれ引き上げられる。又、(2)飲酒検知拒否は、「30万円以下の罰金」が「3ヶ月以下の懲役又は、50万円以下の罰金」に引き上げられる。風船に協力しない人に対する罰則は既に設けられていたが今回厳罰化しようとするものだ。(3)シートベルト着用義務は、現在は運転者と助手席のみであるが、改正法は、後部座席にも適用される。(4)ひき逃げは、「5年以下の懲役又は、50万円以下の罰金」から、「10年以下、又は、100万円以下に」。これは、通常のひき逃げの場合であり、飲酒でひき逃げすれば、二つの罪の併合罪で最高15年の懲役となる。これは、危険運転致死傷罪を免れるために逃げる人が多いことに対する対策である。

(5)注目すべきは、酒の提供者と同乗者に対する罰が新設されたこと。これらは、現在の法律では封助(たすけること)として罰するが、それは要件の立証が難しかった。改正法は、酒類提供者は運転者と同じに扱われる。同乗者は、運転者が酒酔いの場合、3年以下の懲役又は、50万円以下の罰金となる。仲の良い間でもうかうか同乗は出来なくなる。

(運転のモラルが向上することを願って。読者に感謝)

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2006年12月29日 (金)

「一年を振り返って」

 ぎっしりスケジュールが詰まった一年が終る。特急列車で走るようであった。ビッシリと書き込まれた議会手帳が一年の経過を物語る。めくると頻繁に目に付くのが葬式の日程。身近な人を含めいろいろな人が亡くなったことを改めて思う。つい先日、同僚にして先輩議員の大林喬任さんが亡くなった。青梨地区の集会に大林さんの亡くなった奥さんの姉が出席していて、仲の良い夫婦で、妹に先立たれて急に力を落としたとしみじみ語っていた。それを聞いてそばにいた人が言った。「喧嘩べぇーしていても、おっかあがいなくなると、男は駄目だ」。

 私もよく妻と喧嘩するが、先が見えていてトラブルは、落ちつくべきところに終息する。今の若者はすぐ離婚するが、身体の対決はしても大切な心の対決は避けてしまう。来年は心の触れ合いを重視する年にしたいものだ。

 手帳の中に、数字が並び、693に赤い囲いがしてある。私の「日記」へのアクセス数であり、この数は、今日に到るまで破られない記録である。3月14日のことであった。この日、全員協議会が開かれたが、前日から、開くべきか否かをめぐり知事と話し合いがもたれるなど緊張関係があり、そのことが報じられていたので一般の関心が高まっていたのであろう。そのことがアクセス数に表れたと思う。

 全員協議会の議題は、太田の国際アカデミーである。小寺知事と清水市長が出席して緊迫感のある会となった。「子どもたちのためにどうしても県から補助金をもらいたい、そのために土下座でも何でもする」と訴えていた清水市長の姿が目に浮かぶ。アカデミー問題は未解決だが、最近、清水氏は、知事選立候補を口にしている。ややこしいことになりそうだ。

 一年を振り返って、「日記」は、われながらよく続けてきたと思う。私の「日記」は、ブログと通常版と両方でやっているが、アクセス数も合計して、毎日、400~500前後で定着している。読者に媚びるつもりはなく、固い話をマイペースでやっているが、多くの人が読んでくれることに感謝し、また責任を感じている。継続は力、継続できることは本物と言うことを信じ、又、このことを目指して、来年も情報提供のために頑張りたいと思っている。

 私は、情報バンクというNPOに関わっているが、このNPOは、情報を、「生活の道しるべ、心の糧」、及び、「民主主義を支える手段」と位置づけている。私は、「日記」も、この活動の一環と考えている。地方の時代と言われ、地方分権が、形だけでなく実質的にも進んでいる。地方分権と地方の民主主義(地方自治)は相伴って発展するもの。いずれも地域の住民が政治に参加することが支えである。そして、住民が政治に参加するための手段が情報なのだ。このことに、少しでも貢献出来ればというささやかな願いで、情報の「広場」を続けたい。来年は、特別の行事が控えている。私の「日記」は選挙目当てではないが、選挙との関係は注意しなければならない、来年も継続して読んでいただきたい。

(来年も、「日記」の広場が広がることを願って。読者に感謝)

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2006年12月28日 (木)

「おしつまった県政報告会」

 今年の県政報告会は、27日、28日と続いて終る。27日の集会は、約40名。かぜが強く、やや寒い夜であるが、熱心な人たちが集まってくれた。この日の私の話しの中で議会のチェック機能に触れた部分があった。それは、夕張市が破綻した事実に関して市議会は、そこに到るまで何をしたのか議会の責任が問われること、そして、議会の役割としてチェック機能は、群馬県議会でも非常に重要だというもの。

 そしたら、参加者の中に、最近まで市の公務員だった人がいて、「夕張のようなことは、これから、非常に多くの自治体で起きるのではないでしょうか、どこでもすでに大変な借金を抱えているのですから」と発言した。また、会が終った後夕張市に親戚があるという人がいて、「7つある小学校が近い将来1つになるので、雪の中遠くから通うのが大変になるそうです」と教えてくれた。北海道の片隅の廃墟のようなまちで、希望を失って寒さに耐える人々を想像した。夕張市のことを日本中が注目して、教訓にすることが求められている。

 47都道府県で、人口一人当たりの借金を見ると、島根県がトップで161万円、群馬は41位で58万円、最も少ないのは神奈川県で39万である。また、全国市町村の中で財政状況が非常に悪いところとして、北海道の市と町、歌志内市と、上砂川町、そして長野県の王滝村が報じられている。

 王滝村の職員給与は、全国最低だという。それは、夕張市に次いで財政再建団体に転落しないために、給与を25%カットしたからだ。人口約千人のこの小さな村は、財政再建に必死で取り組んでいるが、その行方を見守りたい。

「裁判員制度が近づいた」ある人から、「なぜ素人(しろうと)が刑事裁判に加わるのですか、私は恐い」と言われた。09年までに実施されるからそれはあと2年以内である。選挙人名簿からクジで裁判員に選ばれた人に、ある時、通知が届く。驚いて、嫌だと思っても拒否できない。「なぜ素人が」と疑問に思うのも無理はない。新しい制度を設ける理由は、裁判に国民の健全な社会常識を反映させるためである。裁判が国民から離れたところで行なわれるなら、裁判に対する国民の指示が得られないし、ひいては国民の法秩序に対する信頼が揺らぐからだ。

 しかし裁判員制度には難しい問題が伴う。民間人6人の裁判員と裁判官3人で、有罪、無罪、刑罰まで決める。今、全国で実際に市民が参加した模擬裁判が行なわれているが、同一の事件が、二つの裁判所で、有罪、無罪、別の結論に至る場があるという。被告とすればどの裁判所で裁判を受けるかによって結果が違うのでは困る。かえって裁判に対する信頼が崩れてしまう。重要なことは、私たちが、あと2年の間に、裁判と刑罰に付いて感心を高め勉強することだ。中高生は近い将来の課題を意識して勉強することが求められる。(裁判員制度への理解が深まることを願って。読者に感謝)

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2006年12月27日 (水)

「元中の同級生集まる」

 激しく雨が降る夜、マーキュリーホテルの近くの焼き肉屋に元総社中学卒業生の仲間が集まった。定刻に着き、会場を一目見て、私は驚いた。10人位かと予想していたのに、広い所に40人近くも集まっていたからだ。来年は大変なので同級生に会って相談したいからとM君に頼んだのがきっかけだ。温かい視線を浴びて嬉しくなり昼間の疲れを忘れた。

 昭和22年に小学校に入学、昭和31年に中学校を卒業した仲間たち。私は、宮城村の小学校で6年の夏休みまでを過ごし、途中から元総社小学校に転校した。各テーブルを回って、酒を酌み交わし談笑する。人々の顔には、戦後の激しい時代を生きたことを物語る年輪が刻まれているが話すうちに皆昔の童顔に戻る。同級生はいいものだ。市の元助役のT君もいた。テーブルを動く中で驚くことがあった。脳梗塞か何かで倒れて身体が不自由になったN君が、カバンから分厚い印刷物を取り出して見せた。それは、私の議員日記を取り出してとじたものであった。「毎日必ず読んでいるんだ」と話すN君の手を私は握った。熱いものがこみ上げる。日記を続けてよかったと思った。

「貧しい時代を知る私たちが、この豊かな社会で頑張らないと、世の中は根無し草のようにおかしくなってしまいます。そういう意識で政治をやります。来年は力を貸してください」私はこのようなことを訴えた。集いを終えて外に出ると、雨は更に激しくなっていた。しかし、パワーをもらった私の心は明るかった。

◇昨日の別の会合で、ある人がこういった。「おれたちは、必死で経費を減らして頑張らなければすぐ倒産だ、県や市は、倒産がないから甘えがある、無駄遣いが多いいんだ」。これに対して、私は、自治体も事実上倒産することがある、その場合、住民の生活は大変なことになると夕張市を例に挙げて話した。

この日記で夕張市を例に問題点を取り上げたい。夕張ショックは全国を駆け巡った。北海道夕張市は360億円の赤字を抱え財政破綻し、07年度から財政再建団体となる。これは自治体の倒産である。結果は住民の生活を痛撃する。その例をあげると、市民税・固定資産税が上がること、ごみの収集の有料化、下水道料金の増額、保育料の大幅負担増、無料の敬老バスの廃止、老人クラブへの補助の廃止、更に、図書館、市民会館も閉鎖となるなど。逃げ出す市民が増えているとも聞く。

 破綻の危険は、夕張市だけではない。不況期に公共事業のために借金を重ねたこと及び地方交付税が減っていることが主な原因である。他山の石として学ぶべきことは破綻に至るまでに何をすべきかである。チェック出来なかった議会の責任は大きい。また、政治に無関心の人が多いが、財政破綻となれば、投票所へ行かない人も深刻な影響を受ける。住民が関心を高め、口を出し、チェックすることが重要なのだ。

(健全な地方自治が発展する事を願って。読者に感謝)

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2006年12月26日 (火)

「4人の死刑執行、死刑をどう考えるか」

 法務省の発表によると、25日、一度に4人の死刑が執行された。杉浦前法相は、クリスチャンであり、死刑は自分の信念に反するとして死刑執行命令書に署名しなかった。そのため在任中執行がなかった。

 死刑をどう考えるべきか。世界の文明国の大勢は死刑廃止に傾いているが、日、米では巌然として行われている。地域社会にいて、最近は、凶悪事件が多いせいか、死刑廃止論は聞かれない。多くの人は、死刑制度は当然と考えているようだ。死刑判決は、従来、複数の人間を殺し、情状酌量の余地も更生の可能性もないとき下される例であるが、最近の奈良女児殺害の元新聞販売員に対して、奈良地裁は、被害者が1人なのに死刑を言い渡した。

 日本国憲法は人間の尊重を最高の価値として揚げ、残虐な死罰を禁止するが、最高裁の判例は拘首刑は残虐でないとして合憲とする。

 06年現在、97ヶ国で法律上死刑を廃止し、25カ国が事実上廃止している。英、仏、独、伊も廃止国である。国連総会は、死刑廃止を自指す死刑廃止条約を採択した。

 群馬の死刑事件として記憶に残るものは、8人の女性を殺害した大久保清のことである。昭和46年に逮捕され昭和48年前橋地裁は死刑の判決を下した。大久保は控訴せず刑は確定し同年執行された。

◆「犯罪通報者に謝礼、来秋から」

 犯罪の情報提供者に情報料を出す制度。最高額は10万円。警察庁は来年度から試行、24日閣議決定された政府予算案に4千万円が盛り込まれた。対象となる事件は、児童買春や人身売買など。これらは、表面化しにくいからだ。民間が犯罪解決に協力する一つのかたちだが、疑いをもたれた人のプライバシーを侵害する恐れもある。密告社会、監視される社会にならないように運用する事が重要。適切に運用されれば、犯罪防止上効果があるに違いない。

 この取り組みは、欧米の「クライムストッパーズ」を参考にしたもの。犯罪(クライム)を防止させる(ストップ)人々、つまり民間のボランティアである。実現する日本の制度も、受付窓口は、防犯関係の公益法人やNPOなどに業務を委託して行なう。新しい制度を注目したい。

◆交尾せずに産卵し子が育つ例。クリスマスの教会の劇で、処女マリアが身ごもってキリストを産んだ場面があったことを話したら、「そんなことがあるのですか」と私の事務所の女性事務員が首をかしげた。人間界の出来事とすれば奇跡であるが、広い自然界では、単為生殖は、珍しくない。もっとも、それは昆虫などの無脊椎動物に見られることである。今回、話題になったのは、イギリスの動物園のコモドオオトカゲ。大型の爬虫類である。進化の過程は両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類と進む。我々哺乳類とは遠く離れた出来事だが、「処女懐胎」と結びつけて思いをめぐらすと楽しい。英国ではクリスマスの話題となっているという。(死刑制度に関心が高まることを願って。読者に感謝)

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2006年12月25日 (月)

「国際化時代のクリスマスイブ」(24日)

 地域の小集会を済ませてクリスマスのミサに出た。午後8時、前橋カトリック教会は、早くも満員だった。例年、後ろのほうに立って目立たぬように参加するが、今年は、入り口のところに立つ教会役員、O(オー)さんが前のほうに席を取っているそうですという。私は、案内されて最前列に座ることになった。

 電燈が消されてキャンドルに火が灯される。人々の影が動き、ゆれる火の上を音楽が流れ儀式は進む。聖書の朗読は、韓国語、スペイン語、英語でも行われた。外国人の参加者が国名で紹介された。フィリピンが最も多く、韓国、スリランカ、インド、中国、ペルー、メキシコと続いた。正に国際化時代のクリスマスである。

 子どもたちの劇が行われた。身ごもったマリヤを泊める宿屋はない。マリヤは馬屋で子を産んだ。マリヤになった女の子が小さな人形を抱いてうずくまる。紀元前と紀元後を分けるイエスの誕生であった。以来、二千年を超えるカトリックの歩みがあり、現在世界の信者は20億人を超える。これらの人々が同じときを過ごしているのかと思った。

 神父は説教の中で、平和やいじめの問題を取り上げていた。平和については、これまでアメリカの力で平和憲法が守られてきたが、これからは、私たちだけの力で平和を維持できるかが問題であると述べた。また神父は、小さな光になろう、一人の光は小さいが集まれば大きな光になると説いていた。キリスト教の二千年の歴史を振り返って、人間は変わっていないと思った。イスラム教との対立は今も続く。世界の流れの中で、日本人が宗教から離れ余りに物欲中心になっている現状は改めなくてはならない。約2時間、社会の濁流から脱け出して日頃の緊張を忘れることが出来た。

◆地域の集会で警察官の不祥事を強く非難された。県警巡査部長が風俗店から現金の収賄を受けさらに風俗店で数十回の接待を受けたという事件である。本県の犯罪発生件数が減り始めている時だけに警察官の威信の失墜は誠に残念である。

この巡査部長の行動は不可解である。風俗店からの収賄とは別に、暴力団関係者から多額の借金をしていたという。暴力団から脱退する男に三千万円近い金を援助し、その金を工面するために、他の暴力団から借金をしたというのだ。このような事実から一般に人々が想像することは、警察が暴力団から簡単に金を借りられる、そんな近い関係にあるのかということであろう。

 私は、議会で、今日、強い警察力が求められている、民主国家における強い警察力は国民の信頼がなければ成り立たない、そのために警察官の高いモラルが不可欠である事を訴えてきた。他のほとんどの警察官は立派に職務を遂行しているだけに残念である。新年に向かい、信頼回復の決意を固めて欲しい。暴力団との関係も疑われることのないよう厳しくチェックすべきである。(警察官がくじけずに勇気をもって頑張ることを願って。読者に感謝)

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2006年12月24日 (日)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(34)「中村塾の誕生」

一つのことにこだわらずに自由に生きるということは、誰もが理想とする素晴らしいことだが、その実現は難しい。その生き方を実践している彼の言葉には重みがあるが、蛸壺にはまったような心境の私の耳には複雑に響く。

「俺も悩んでいるのだが、何をしたらよいのか」

頷きながら、私の目を見つめていた彼は、きっぱりと言った。

「政治家になってみてはどうか」

「えっ、そう簡単にいうが、選挙は大変なことだと聞いている。地盤、カバン、看板が必要だというではないか。これらのどれも持っていない俺たち一般市民の入っていける世界ではないよ」

「そこなんだよ、君」

彼はわかっていないな、という表情でニヤッと笑った。

「選挙は、民主主義を実現する為の一番大切な手続きではないか。この大切である筈の選挙が、現実はどうなっているのか。君が言うように、一般市民が入っていけない世界で行われている。一般市民が選挙でも中心になるべきなのに、実際は、選挙のブローカーとか、選挙のプロのような連中が中心となってやっている。一般の市民は入っていけないから、そっぽを向いている。彼らは、選挙は物好きで金のある候補者を中心としたくだらないお祭りだと見ている。だから、政治家を尊敬する若者などいなくなってきているんだ」

彼は、憤慨したように言った。

家久君の言葉には、次第に熱が入ってきた。私は、地域の選挙の時、<地元の○○です。どうか男にして下さい>と絶叫しながら候補者カーが通る度に、塾生がドッと笑う光景を思い出していた。彼の熱弁は続く。

「民主主義は、これで良いのか。駄目になってしまう。一般市民は、そっぽを向いているから、投票率も悪い、地方の選挙だって、大騒ぎをして、50%か60%じゃないか。そこでだ」

彼は一息ついて、ここからが本論とばかりに身を乗り出して話を続ける。

「この政治に無関心な層、そして、政治を批判的に見ていて投票所に行かない人達に訴える方法を考えるべきだよ。それには、今までの方法では駄目だ。金のある奴は、金を使うから駄目。組織を持っている人も、組織に頼って新しい戦術はとれない。金も無い、庶民そのもの、そして、行動力のある君こそ、理想的だと俺は思うんだ。それに、君の少年時代の貧しい生活や夜間高校での苦学の体験、これは貴重だよ。その上にだ、歴史と法律という学問は、これから政治をやる者には、とても必要なんだ、君には、新しい選挙をやるには一番条件がそろっているではないか。あとは、君の勇気と決断だけだ。形だけになりつつある民主主義を立て直すのだ。そして、これは、21世紀の新しい扉を開く仕事だよ、やりがいがあるぜ、どうだい、上州の山河に風雲を起こせよ。これは、ずっと考えていたことなのだ。今日は、これを言うために、北海道から出てきたんだ」

家久君の目は輝いていた。東大の寮で、よく議論をしたあの若い頃のように。

私は、彼の話を素晴らしいと思って聞いていたが、それはまだ、現実的なものとは思えないのであった。家久君は、その後、医大を卒業し、故郷の福井県に帰り、現在、福井大学の助教授となっている。

話はそれるが、ずっと後になって、平成4年のある日、福井県の彼を訪ねた時、彼は、友人達から、市長選に出ろと、しきりに言われていると話していた。それを聞きながら、私は、北海道から私を説得に来た時のあの場面を楽しく思い出していたのだった。

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2006年12月23日 (土)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(33)「中村塾の誕生」

 さて、卒業の翌年司法試験の第一次に合格した事は前に触れたが、その翌年、今年こそは最後まで行くぞと思い詰めた気持ちで受験したが、今度は、一次試験に不合格という苦杯を舐めることになる。
 司法試験の一次は、毎年五月に行なわれる。全国の受験生は、これに照準を合わせて、数ヶ月前から必死の勉強を始める。皮肉なことに、この時期、私は、三月に行なわれる中学生の高校受験にかなりのエネルギーを割かねばならない。これが終わると、塾の新入生の対応に追われるという有り様であった。

 こんな状態であるから、司法試験の勉強も最後の詰めが出来ない。最後の大切な時に全力を集中することが出来ないのである。このまま塾を続けていたのでは、永久に試験は通らないと思いつつも、自分をとりまく環境をどうすることも出来ず、私は、家族と共に、大きな流れに押し流されるような日々を送っていた。その後も、一次は合格したが、二次はもう少しのところで不合格ということが続いた。
 妻は、足手まといになって悪いといって、彼女も小学生を教えるようになったが、こちらも好評となって、小学部も次第に盛況となってゆく。複雑な心境は募るばかりであった。
 このような不本意な気持で二兎を追いながら、数年があっという間に過ぎ去った。

 出口の無い袋小路に追い込まれた気持でいたある日、あの家久勅男君が突然やってきた。彼のことは前に触れたが、彼は、一度は大企業に就職したが、すぐにそこを飛び出し、法学部の恩師の紹介で、ある官庁の外郭団体の仕事をしばらくしていたことがあり、その頃、一度彼から電話があった。
「今の仕事も飽きた。どこか医学部に入り直して、医者になりたいと思う。」
「君なら入学試験は大丈夫だろうが、なぜまた医者に」
「俺の性格に合っている気がする。それに、自由が得られると思うんだ。でも、医学部の試験は、どこでも東大以上に難しい。運良く入れたら連絡するよ。」
 彼は、学生時代からの自慢の彼女と結婚していたが、この電話から数ヶ月経ったある日、首尾良く北海道旭川の医大に合格し、今、北海道の大自然の中で、また昔の大学時代に戻った気分で勉強していると、うらやましいような電話をよこしていたのであった。 

 その彼が、突然訪ねてきたのであった。 

 大学時代の話、友人の消息などにしばらく花を咲かせた後、家久君は急に真顔になって言った。
「今日は、君に話すことがあって来た。」
 彼の変化に、何事かと私が座り直すと、
「司法試験は、早く切り上げた方がいい。賢いやつは、皆、転換している。人生、一つのことにあまりこだわらない方がいいと思うよ。君の場合、変なところでつっかええているのはもったいないよ。」


 彼の言葉は、痛いように胸に響く。私が一番悩んでいることであり、彼の言うことは、いちいちよく分かるのである。中学生の受験期が近づき、それと重なるように私の試験勉強が激しくなるころ、妻は必ず胃痛を訴える。そんな妻の姿を思い浮かべながら、私は黙って聞いていた。(明日の日曜日に続きます)
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2006年12月22日 (金)

「産廃業の誘致に地元は怒る」

 市は、前橋市五代町南部に造成した工業団地に産廃の中間処理の企業を誘致しようとしている。先日の説明会は、説明会にならなかった。五代町の公民館には地元住民約100人が集まったが、自治会長は絶叫し、住民もそれに呼応した。自治会長の姿は、怒り心頭に発する如くであった。住民が怒る理由も分るのだ。その言い分はこうだ。「優良企業を誘致する、そうすれば、雇用も生まれるというので地元は土地の提供に協力したのに産廃の企業を持ってくるとは何事か、産廃業では良い職場は期待できない、大規模な産廃業が出来れば、その周辺には、良い企業は来なくなる、地域の環境も悪くなる、地元に説明しないうちに新聞に大きく発表したことも、住民の意志を無視している、全体として住民を欺していることではないか」

 今、リサイクルの時代であり、環境産業は不可欠であるが現実はどこでも嫌われる。それは、環境産業がまちの環境を害する結果をいろいろな所で生じさせていることにもよる。企業を指導する行政への不信もあるだろう。私は、前工団の会議で、住民に説明責任が果たせないなら反対だと述べた。市は、間違いなく優良企業だと主張するが、経営内容についての優良性を問題としている。住民がイメージする優良性とくい違っているのだ。もう一つ、市が主張することは、誘致対象の業種を拡大し環境産業も可能にすることについては、議論し前工団の議会でも承認した筈だということ。時代の要請として環境産業を対象企業に加えることは正しいと思う。しかし、前提がある筈だ。それは、住民の生活環境を守るということである。住民に不安があればそれに応えなければならないのは当然である。掛け違ったボタンを直すのは難しい。

◆「人間ドックと温泉の中国人ツアー」。12月議会で取り上げられたこのことについて、地域の人から質問を受けた。外国人観光客の誘客について観光局が頑張っている。問題のツアーは、中国人富裕層を対象とするもの。昨年秋中国の経済団体が来県し県立病院の人間ドックを視察したことがきっかけとなって企画が進んだ。中国の経済は目を見張る勢い、人間は豊になれば健康を重視する。脳、肺、心臓の分野で中国は遅れている。視察団は、県立病院の優れた技術に注目した。そして、中国人は温泉好きである。そこで、観光局は、ドックと温泉を結んだ観光ツアーを思いついて県内旅行会社に提案、話は進んでいるらしい。人間ドックは、心臓血管センターが引き受け、CTやMRIなども実施し、終了後は温泉に宿泊、イチゴ狩りやショッピングも楽しめるコースにする。将来的には、群大で始める重粒子線治療とも組み合わせる考えである。重粒子線の癌治療は世界でも少ない技術であり、これと観光を結びつけた事業は、アジアや更に世界の市場に広がる可能性がある。来年2月下旬を目途に募集を始めたという。県民にとっても明るい夢である。(観光立県の発展を願って。読者に感謝)

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2006年12月21日 (木)

「12月議会終る。議場にポツンと花が」

 議会最終日、私の席の隣は矢口さん、その隣の席に白い花が置かれていた。先日急逝した大林喬任議員の席である。人生のはかなさを感じる。74歳であった。書をたしなみ、学と見識のある人だった。ご冥福を祈る。冒頭、大沢議長によって弔意が表明された。

 6人の常任委員長、4人の特別委員長の報告がなされた。6つの常任委員会とは、保健福祉、環境農林、産業経済、県土整備、文教警察、総務の各委員会であり、4つの特別委員会とは、決算行財政改革、地域活性化対策、教育環境づくり、安全安心なくらしの各委員会のことである。

委員長報告の採決の前に討論が行われるのが例である。反対と賛成の討論がある場合には、先ず反対討論が行われる。反対討論者は共産党の伊藤祐司氏。彼の議論の中で私が注目したのは、障害者自立支援法の施行に対する県の救済策が貧弱過ぎるというもの。大分県など本格的に救済策を実施するところもあるのに本県は、750万円しか計上しないと批判した。賛成討論者は自民党南波和憲議員であった。

 委員長報告について採決が終ると、次に、委員会から発議された意見書や条例に関して、討論、採決が行われる。意見書とは、(イ)道路特定財源の一般財源化に反対するもの、条例とは、(ロ)県会議員の報酬支給条例の一部を改正するもの、である。

1)は、道路のために使われる財源をそれ以外にも使えるものに改めようとする国の施策。道路が作れなくなるから反対というのが意見書の内容である。(2)は、議員の滞在費を減額しようとする条例改正である。以上全ての案件が採決で可決された。

 続いて表彰状、顕彰状、感謝状の授与式が行なわれた。注目されるのは、松沢睦議員。在職35年以上ということで、全国議長会から表彰状、群馬県議会から顕彰状、知事から感謝状を受けた。松沢議員は、今期限りで引退する事を表明している。まだまだ活躍する力は十分あると見るが、見事に決断された。決断の時期、その後の変わらぬ堂々とした姿勢等、敬服している。松沢さんの引退で、県議会はひとつの時代を終えることになるだろう。表彰状を受ける松沢さんの横顔を見ながら思った。この日は、10人の議員が顕彰状、感謝状等を受けたが、終わると、私が登壇して祝辞を述べた。

 12月議会が遂に幕を閉じた。あと10日程で今年も終わる。毎日が忙しく、一日が短い。振り返ると一年があっという間に過ぎる。一日の長さ、一年の長さは昔から変わらないのに、なぜこんなに速く感じるのだろう。子どものころを想像すると小さな生活圏の中で、時代の流れを意識せずに生きていたと思う。ところが今は、激流に身を置いて流されていることを強く意識する。時々は、忙中に閑を見つけないと自分を見失うと反省する。

◆レストランの一画で後援会の小規模な忘年会をした。半数は女性、アルコールなし、雑談が楽しかった。エネルギーを消費するのでなく生み出す忘年会はいいものだ。

(来年も県議会の改革が進むことを願って。読者に感謝)

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2006年12月20日 (水)

「理科の会、第2回目の成果」

 理科の会とは、私は勝手にこの日記で使う仮称である。先日、「日記」で触れたが、群大工学部教授の提案で始まった。昨日は、現場の教師・7、8人と県教育委員会から教育次長ら数人が新たに参加した。この会の目的は、小中学生の理科離れ、理科嫌いの現実に対し何か行動を起こしたい、その為に大学、小中等の学校、教育委員会がどのような連携が出来るかを探ることである。

 大学の先生には、開かれた大学として、理科教育の面で社会に貢献したいという熱意がある。デパートで面白い理科の実験をすると驚く程多くの人が集まるが、それだけでは花火のように一時的なもので終ってしまう。彼らにはもどかしさがあるのだろう。バナナを凍らせて釘を打つ例が上げられたが、子供たちの目を輝かせる面白い実験は、群大工学部の博士にとっては「袋の物を探るが如し」で簡単なことであろう。私は、これを、理科離れの子どもたちが理科に興味を抱く一つのきっかけに生かせればと思う。

 一方、理科を指導する現場の先生たちには、厳しい現実があるようだ。試験管の持ち方も知らない先生もいるという。小学校では、一人の先生が全ての科目を教えるから、理科が不得意、あるいは理科が嫌いな先生も理科を教える。また、現場の教師は忙しくて授業のために専念できないと悲鳴をあげている位だから、理科の実験の準備に時間をさけないということもあるだろう。

 しかし、このような現実であればこそ、県教委の理解とサポートは不可欠である。県教委幹部は、それは可能だと語っていた。夏休み、あるいは土曜日に県の施設を利用する、そしてそれを県教委が後援する等、いろいろ工夫が考えられると思う。県教委がサポートを表明すれば忙しい教師がイベントに参加する道も開かれるに違いない。良い企画なら子どもに対する良い影響はもちろんのこと、教師にとっても有益なはず。忙しい中でも参加するかどうかは、教師の意欲にかかることだ。

 県教委の説明を聞いて、県教委が理科対策で様々な企画を工夫し実施していることを知った。教育は学校と地域社会が力を合わせなければ成果を上げることは出来ない。この地域社会の中に大学もある。これらを連携させて理科教育の面で何かを生み出す仕掛けづくりは、教育行政の役割だと思う。この日、教委は、頑張っているなと感じた。「理科の会」はまだ模索中だが、一歩を踏み出すためには形が必要なので組織化も視野に入れようということになった。拙速を避け、じっくり着実に進めることを期待する。

◆毎日が戦場である。大事な戦力である妻が持病の頭痛で悩んでいる。入院させようと日赤へ連れて行ったが異常なしということで入院に至らなかった。私は、インフルエンザの予防注射をした。20日で県議会も終わる。年末の10日間は新年の助走期間である。(理科教育の充実を目指して。読者に感謝)

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2006年12月19日 (火)

県議、国会議員との合同会議。福田さんも出席して

 午後4時から、伊香保の福一で行われた会議の主な議題は、来年の知事選である。国会議員で本人出席は、県連会長笹川尭、それに福田康夫、小渕優子、山本一太の各氏。その他の国会議員は秘書が出席。会議の冒頭、亡くなった大林喬任さんのために一分間の黙祷を捧げた。大林さんは6期で74歳、奥さんに先立たれて以来、急に力を落としたように見えたがこんなにはやく亡くなるとは思わなかった。黙祷しながら大林さんの元気な姿を思い出しつつ冥福を祈った。

 笹川さんは、来年の知事選で力を合わせ死力を尽くすと決意を述べ、自民党の全ての国会議員に選挙の体制で責任ある地位に着くことを要請し承諾を得ていると語った。その中で福田さんには、忙しいところ、是非にと頼み出席してもらったと説明。福田さんは、多くの会合で、群馬出身の知事がいいと話すと分り易いらしく皆が納得してくれると述べ大沢知事実現のため力を合わせることを誓った。その他の国会議員もそれぞれ力を合わせ戦うと約束。

 会議では、記者たちに退出を願った後、選挙のための組織づくり等、具体的な対策が話し合われた。自民党が知事選で、このような緊張振りも示すことはかつてないことである。それは、現職知事の強さを知るからである。

 知事の権限は想像を超えて強大である。そして、この権限を背景に、日常の活動が選挙運動になっている。つまり、知事の強大な権限は、選挙では強大な武器なのだ。小寺知事は、過去4回の選挙では、勝つことが初めからわかっていて、形だけの選挙だった。当落をかけ、一票一票をもぎとる苦しい戦いをしている者から見れば、楽なお祭り騒ぎにも似ていた。ところが今度は、正に当落をかけた戦いとなる。だから県民に真剣に訴え、県民がこれにこたえて真剣に考えて投票し、新しい知事を選べば、真に、県政の刷新になるに違いない。

 大澤議長は決意表明の中で、群馬の広さに驚いている、自分一人ではとても戦えない、皆さんのご協力を是非御願いしたいと訴えていた。

 懇親会は6時から行なわれた。国会議員は、笹川さんだけが参加、浴衣で並ぶ県議の一人一人に酒を注いで回る姿には、知事選に寄せる思いが現われていた。

◆昨日の「日記」で改正された教育基本法の要点を書いたら、一番問題となっている教員と家庭についてはどうなっているのかと聞かれた。ポイントに触れると、教員については、絶えず研究と修養に励むべきこと及び、使命の重要性から、養成と研修の充実が図られるべきことが定められ(9条)、また、家庭教育については保護者の責任が定められた点(10条)が注目される。つまり、保護者は教育に第一義的責任を有し、生活のために必要な習慣を身につけさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとす、というもの。家庭の役割がこの規定によって一層重視されるようになるだろう。(家庭教育の充実を願って。読者に感謝)

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2006年12月18日 (月)

「芳賀中60周年記念式典で挨拶・(15日)」

 芳賀中が新生中学としてスタートしたのは昭和22年である。式典会場の体育館の演壇から生徒たちを見て、この60年という歳月の凄さを改めて思った。

「今日、大きな時代の転換点といわれますが、芳賀中がスタートした昭和22年という年も正に、日本の歴史上かつてない大きな時代の変わり目でした。昭和20年に、日本は戦争に敗れました。22年には、新憲法、そして、今、問題になっている教育基本法が施行され、日本は全く新しい歩みを始めました。食べるものもない瓦礫の中から日本人は歯を食いしばって社会の復興のために立ち上がり頑張ったのです。あれから60年、日本は世界の経済大国といわれるほど豊かな国になりました。しかし、今日、物は豊かになったが心は貧しくなったといわれます。今最も大切なことは、60年前の苦しかった時代のことを見詰め、そこから学ぶことだと思います。この60周年記念式典は、その意味で非常に意義深いものです。これを機に芳賀中が更に大きく発展することと、皆さんの輝かしい前途を心から御祈念いたします」私は、ざっとこのような挨拶をしたが生徒たちの心にいかに伝わったか気になることである。

◆教育基本法が改正された。

市内各地で集会をしているが、昨日、教育基本法改正のことを聞かれた。そして、その場の雰囲気から人々の関心が非常に高いことを感じた。しかし、こういう質問もあった。「今、いじめや自殺で大騒ぎしている時、教育基本法がどうのということは関係ないでしょう」と。私は答えた。「全ての教育問題の基盤が教育基本法なんです。教育に関して大変な問題が次々に起きていることは、教育の方針の根本に問題があるのではないかということで、教育基本法を改正しようとしているんです。この改正法によって、教育の方向が大きく変わるかも知れないのです。だから、様々な異常な問題が起きている今こそ、教育基本法の改正に私たちは関心を持つべきだと思います。」

集会では、細かい事は話せなかったが、改正法の主要点はここでも取り上げて考えたい。注目されるのはまず、「教育の目標」として、「豊かな情操と道徳心を培う」、「公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画しその発展に寄与する態度を養う」、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養う」などが定められている点である。従来の基本法が個人主義を重視し過ぎるとして、ここでは公共の精神が重視されることになった。特に、国と郷土を愛する態度について議論がなされている。次に教育行政について、教育は(イ)「不当な支配に服することなく」(ロ)「法律の定めるところによりおこなわれるべき」と定める。(ロ)が新しく加わった点である。(イ)によって教育現場へ国が介入することを制限してきたのに、(ロ)によって法律で定めれば、国はいろいろ口出し出来るようになるではないかと議論されている。(教育の正常化を願って。読者に感謝)

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2006年12月17日 (日)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(32)「中村塾の誕生」

 生徒との対応は、真剣勝負である。こちらが一生懸命に打ち込んで、それに対する反応として緊張した眼差が返ってくる。心と心の触れ合いを感じる時、それは、今までに経験した事のない快感であった。自分の説明する知識が理解され、生徒の脳細胞の中に吸収され、彼らの心の世界を広げていくと考えると、子どもを教えることは、とてもやりがいのある仕事と思われた。

 数人の生徒でスタートした教室は、間もなく生徒の数が増えて入り切れない程になったので、近くの農家の一画に移ることになった。塾で食えるのかという不安が薄らぐ一方で、私は、自分でも気付かぬうちに、塾にのめり込んでいった。別な見方をすれば、いつしか中村塾と呼ばれるようになった我が塾が、一つの塾風といった方向性を持って一人歩きを始めたともいえるのであった。

 塾が軌道に乗る迄の間、司法試験の勉強が思うように果(はか)取らぬことに、時に苛立ちを覚えつつも、自分の勉強と塾の指導に打ち込む私には意気軒昻たるものがあった。定時制高校時代、仕事と勉強を両立させて、これを貫いたということは、私を支える一つの自信であった。

しかし、家庭をもち、塾という難物と取り組むことは、これに予想外のエネルギーを注がせることになり、仕事と勉強の両立といっても、定時制時代とは異質な壁に私は突き当たることになるのである。そして、後に、もともと病気がちであった妻が、深刻な病に冒されるに到り、私自身も絶望の淵に立たされることになるのであった。

 塾で生計を立てる為には、最低60人位の生徒は教えなくてはならない。私は、中学生各学年一クラス二十名ずつの三クラスを教えた。それぞれのクラスは、週二回で、一回の授業時間は、九十分であった。教科は英語と数学を中心として、その進行の度合いを見ながら、理科と社会も重点を絞って教えるというやり方であった。

 ほとんどの生徒は、成績を上げることを目的として塾の門を叩く。どのような教え方、方針でこの期待に応えたらよいか、これは、塾で教える者にとっての共通の課題である。それは、進学塾であるか補習塾であるかによっても異なる。

 当時の中村塾は、良くできる者、中位の者、そして成績の悪い者と、いろいろな程度の生徒が混っており、従って、進学塾と補習塾の両方を兼ねるといった形であったので、教え方にも常に工夫を要し、悩みも多かったのである。

 どうしたら成績が上がるかという問題を、生徒の立場に立って考えるならば、自分の頭の程度と勉強の進み具合、つまり、実力の程度とを考えて、学校の授業と塾の勉強を上手く結びつけ、両方の勉強が合して効果を高めてゆくような学び方が理想である。

 このことを考えて、中村塾では、原理原則を丁寧に教え、これを基礎にして学校の授業をものにするようにと、学校重視の指導に心がけた。

 成績の良い生徒も、暗記に頼って、原理原則の深い理解には到っていない場合が多いので、原理原則をやさしく丁寧に説明することは、できる生徒とできの悪い生徒が同席する教室でも有効な教え方であった。

 このように、基本的なことを大本(おおもと)まで遡って説明した上で、残りの時間は、程度の高い問題と低い問題を同時に出して、生徒の実力に応じてこれらに取り組ませた。このようなやり方で、塾の業績としてもかなりの成果をあげるようになっていた。(12月23日(祝)に続く)

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2006年12月16日 (土)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(31)「林健太郎先生との出会い・中村塾の誕生」

 林健太郎先生は、私にとって、それ迄、その輝かしい業績と共に学者として高く仰ぎ見る存在であったが、東大紛争を通して、私は人間として、教育者として、先生の偉大さを知ることになった。先生は、また、その冷静な風貌の中に大変温かい愛情を秘めておられた。私が全く無名の新人として、県議選に打って出た時、先生は、私のような弟子の為に、ポスターやパンフレットに推薦者として名前を出すことを承諾し、更には、前橋の県民会館に来て心のこもった応援の講演をして下さったのである。この点については、後に、改めて触れることにする。

 東大紛争が峠を越し、収束に向かう中446月、私は東大を卒業した。あの騒乱を連日テレビで見て、卒業はできないかもしれないと心配していた父が、涙を流して喜んだ。

 そして、この年の9月、長女ゆりが誕生した。

再び故郷へ

「中村塾の誕生」

 私は、東大卒業後、前橋に帰り、学習塾をやりながら、司法試験を一気に片づけようと考えていた。紛争の最中も、仲間との勉強会は続けていたし、真法会という司法試験の受験を指導する団体に顔を出して模擬試験を受けるなど、かなり厳しい勉強をしていた。従って、田舎へ帰ってこの調子で勉強すれば何とかなるだろうと考えていたのである。

 卒業の翌年、一次試験に合格する。これは、憲法、民法、刑法、各20問ずつ出され、各問には4つから5つの選択肢があって、そこから正解を選ぶ形式のテストである。分厚いノートを何冊も作り、細かい条文を暗記し、何千題もの問題を解くといった苦行の末の合格は実に嬉しかった。

 私が東京で試験問題に取り組んでいる時、前橋の教会でお祈りしていたという妻の目には涙があふれていた。

 しかし、2次の論文試験は見事に失敗であった。

 翌年の合格を期す私の心は重かった。ゆりにお乳をやる妻の姿を見ると、経済的に苦労をかけたくないと思う。そんな思いで、私は、西片貝町の小さなアパートで学習塾を始めたのであった。それは、西片貝町2丁目の大沢アパートの一画であった。現在では、桑畑や木造のアパートはすっかり姿を消し、その辺りは一変しているが、私のアパートの隣りにあった「木戸製本」が当時のまま存在しており、昔を思い出させてくれる。

ただ生活の糧を得ることを目的として、みすぼらしい木造アパートの一室で、中学3年生数人と共に、後に中村塾と呼ばれるようになる私の学習塾はスタートした。

 襖一つ隔てた隣の部屋からは、時々ゆりの泣き声と、こちらに気を使って子どもをあやそうとしている妻の気配が伝わってくる。畳の上に寄せ集めの食卓の幾つかを並べただけの教室で、まさに、昔の寺子屋はこんなものかと思わせる光景であった。

 学習塾というのは、なかなか大変な仕事であることがすぐに分かった。それは、物を扱う仕事でなく、人間を対象とした仕事であり、しかも、学習の効果を上げる為には、自分の心を開き、相手の心の中に入り込むといったことまで必要とされる作業だからである。(明日の日曜日に続きます)

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2006年12月15日 (金)

12月議会の渦中で思うこと

 今議会も、本会議における一般質問の後、常任委員会の審議が終り、15日から特別委員会の審議に入り、これらを踏まえて、20日、委員長報告と議決が行われ閉会となる。

 12月は師走(しはす)といって忙しいのは昔からのことであるが、今年の師走は特に忙しい。それは来年の県議選の準備に追われているからだ。戦いの火蓋は既に切られている。前橋・富士見選挙区は、合併と定数減の影響で異常な乱戦そして激戦になる。最近、吉川さんが私のところへ公認申請書を提出した。先日の「日記」で、「13」、「8」、「5」と書いたが、このことによって、今度は、「14」、「8」、「6」と数字を変えねばならなくなった。「14」は立候補予定者数、「8」は定数、「6」は落選者の数である。「6」の重みに押し潰されそうな緊張感を覚える日々だ。

 寸暇を惜しんで地域を回ると、先々でいろいろな人に会う。勉強になるが戸惑うことも多い。議会と知事の対立については、議会を悪者に見ている人が多いようだ。「日記」で議員の質問の様子が生き返ったように良くなったと書いたら、「知事に反対しているだけではないですか、この大変な時代に知事に反対していては県民のためにならないでしょう」と言われた。「議会は知事の提案を認めるためにあるのではないですよ。監視したり、批判したりするためにあるのです。追認するだけの議会なら、あっても意味がないでしょう」私は感情を抑え、努めて笑顔を作りながら言った。

 今、連日のように、知事の権力の強大さとその弊害が論じられている。そこで同時に指摘されることは、議会の無力さである。全国の都道府県で、昨年知事から提案された案件は11,000件を超えるが、否決は10件のみである。この事実を一般の人たちは正常と見ているのである。

 しかし、それは違う。最近、知事の不祥事が止めどなく報じられているが、それは、県議会がチェック機能を果たせなかったことの結果である。そして、99%の案件を承認してしまう議会の無力さと甘さの結果なのである。

 今議会で中島篤議員が平成8年に発覚したカラ出張問題を取り上げて追及した。それは、平成6年度と7年度の2年間の不正な旅費支出は計71,700万円というものであった。当時、追及は2年間限りであったがさかのぼればどこまで行くかわからないと言われた。

 この問題は、今日改めて取り上げる意味がある。それは、職員が自主的に返還した金の残り約37,000万円が現在宙に浮いていることもさることながら、この不祥事は、県議会がチェック機能を果たせなかった結果でもある点において、県議会が同じ体質を引きずっている今日、この問題を今改めて見詰め、反省する必要があるからである。

 県議会は、知事との緊張関係の中から再生の活力を蓄えつつあるがまだまだ不十分である。激戦を乗り越えて生れる来期の県議会は、さらに進化したものにならねばならない。議長時代の様々なことが私の胸を去来する。(県議会の一層の活性化を願って。読者に感謝)

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2006年12月14日 (木)

12月議会で問題になったこと(その3)

◇文教警察常任委員会の状況。

 警察関係及び教育関係を審議する常任委員会である。この日は、通常と違って、警察関係の審議から入った。私は、トップバッターで質問し、サイバー犯罪の実態と対策、犯罪の実数を減らすための対策、07年問題などを取り上げた。07年問題とは戦後のベビーブームで生まれた団魂の世代の退職に関することである。これは、社会のあらゆる面でこれから問題となるが、警察関係では経験をつんだベテラン警察官がごっそり退職するのだから治安に与える影響も大きいと思われる。県警は、後継者の採用、警察官の質の向上対策、退職者の有効活用などで、この問題に答えようとしている。退職者の活用については、既にいろいろ工夫しているが、平成20年度から再任用制度を取り入れるという。

 午後一時から教育委員会関係の審議が行われ、冒頭、桑原教育委員会委員長が挨拶した。桑原氏は桑原動物病院院長で今年から県教委員委員長に就いた。

 私は、いじめ問題、未履修問題、学校を支えることの重要さの三点について意見を述べ質問した。いじめについては、教育長は、定義を定め、ここまでがいじめだと線を引くことは難しい、意味がないと述べているが、いじめとはこうだと定義しなければ、そもそもいじめを論ずることは出来ないではないか、また、いじめた児童を厳しく指導するとき、僕のやった何がいじめなのですかと聞かれた場合、説明が出来ないではないかとただしたが、教育長と意見をかみ合わせることは出来なかった。

 未履修問題とは、指導要領で必修と定められた科目を、大学受験と関係ない科目だからという理由で履修せずその時間を受験科目にまわした出来事である。事の本質が議論されず、責任論だけを論じて通り過ぎてしまうのは良くないことだ。事は教育の本質にかかわるのだから。

 私は、次のような私の考えを述べ高校教育課長にただした。進学校が必修科目を疎かにするのは、教育の高い理想を放棄することだ、なぜなら必修科目とする理由は、それが人間として生きるために必要であるからだ、教育改革の中でも教育の目的は人間として生きる力を養うことにあるとしているではないか、と。

 ◇他の委員の質問では、改正される青少年保護育成条例が取り上げられていた。そこでは、インターネットで、ぼかしのないワイセツ画面に簡単にアクセス出来る事実などが述べられた。改正案の審議に加わった教委の担当者が審議の状況を問われたのに対し、自動販売機で酒、タバコ、図書を青少年が簡単に買えることにさし迫った懸念を抱いていたと答えたのが注目された。改正案は、有害図書規制の罰則強化、酒、タバコの対面販売・年齢確認などを考えている。常任委員会は、今日の社会を反映し様々なことが取り上げられるが、傍聴者が一人であったのは淋しい。

(学校の再生を願って。読者に感謝)

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2006年12月13日 (水)

伊香保で講演、人々に関心事は(12日)

 昨日、伊香保の福一で、ある業界に頼まれて講演した。一年を振り返って県政の課題を聞きたいというので、知事の多選の問題点、議会改革のことを話し、12月議会で取り上げられている2、3の点にも及んだ。私は、時々いろいろな所で講演するので、話していて、人々の関心が高いか低いかが良く分る。知事の多選問題については、やはり関心が高い。議会改革については、一問一答の対面方式の採用とテレビの生中継導入が議会の雰囲気を大きく変えた事を話した。私は、心中、これらの改革が議員の質問を生き返らせたと思っている。200万県民、とくに、選挙区の人々に見られていることは、議員にとってこの上ない刺激である。大根役者が名優に変身したように、それぞれが工夫を凝らして質問している。

 講演のことに話を戻すと、この他に、12月議会で取り上げられた青少年保護育成条例改正の問題点や県分譲の工業団地の土壌汚染問題などを話した。汚染問題についての関心は高く、講演終了後に、2,3の質問も出された。

◇地域のミニ集会で「教育」が話題になった。ある人が言ったことが印象的であった。「学校が悪い、家庭が悪い、教育委員会が悪いとなすりっこしているが、それでは何も解決しないですよ、マスコミに振り回されているだけじゃないですか」というもの。同感である。発言を求められて、私は言った。「地域社会がもっと学校を助けるべきだと思います」と。

 いじめ、自殺、未履修、タウンミーティングのやらせ等、教育に関する深刻な問題が生じ、これに対してマスコミがヒステリックに書きたて、教育界は暴風に見舞われているようだ。嵐が通り過ぎるのを待つだけでなく、しっかり足を踏ん張って一つ一つの問題に真剣に取り組むことが必要であり、それが教育における地方分権だと思う。

 右往左往しているのは、国や文科省も同じで、そこから出される方針もくるくる変わる。教育の現場をあずかるのは地方なのだから、地方が頑張らねば、教育は成り立たない。今こそ地方の教育が自主性を発揮すべきである。

 子どもを育てる役割は、学校、家庭、地域社会がそれぞれ担わねばならない。しかし、家庭も地域社会も弱体化して、教育の異常事態に向き合う力を失っている。そこで、何といっても、教育のための整った体制をもっている学校が教育については中心の役割を果たさねばならない。現状は、教師が萎縮し、学校も萎縮し、本来の力を発揮できないでいる。地域社会では、自己中心的ですぐに学校や教師にいちゃもんをつける父母が多いが、地域社会が目覚めて学校を温かく支えれば、学校は生きかえるに違いない。それを可能にするのは教育行政の責任である。そのために教育委員会の役割が今ほど問われるときはないと思う。教育委員会は勇気をもって地域に訴え、学校を導いて欲しい。

(学校の健全化を願って。読者に感謝)

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2006年12月12日 (火)

12月議会で問題になったこと、(その2)

◇昨日の本会議ではちょっとしたハプニングがあった。質問トップバッターの原富夫氏(自民)が急に欠席となり、2番目の大沢幸一氏(フォーラム)から始まった。

 大沢氏の質問の中で「若年性認知症対策」が注目された。奥さんが若年性認知症であることを以前本会議で語り、介護に苦労されている様子に胸を打たれたが、昨年6月自ら中心になって家族会を立ち上げ話題になった。この日の質問の中で、「私ごとであって私ごとでない。妻が認知症の夫は多くがうつ病にかかっている」と発言しておられた。妻の存在の大きさと支えあう家族会の役割の大きさが分る気がした。大沢氏の働きによって、本県の若年認知症対策が全国に先駆け進むことを願う。見守りたい。

◇昨日、青少年育成条例の改正について触れたら、多くの人が関心を持っていることが分った。そこで、改正案の中味を少し踏み込んで説明することにした。そこには、罰則を伴った社会人の責任も規定される。他人事ではないと改めて思う。注目すべき事項をピックアップする。(1)保護者や一定の業者等は、青少年がインターネットの有害情報を閲覧することが出来ないように努めなければならない。(2)酒、タバコを売る者は、年齢を証明する資料を求める、自販機を屋内その他適正な管理が出来るところに設置し、屋外に設置するときは、販売を午前5時から午後11時迄にする等、青少年に売らないように努めなければならない。1)、(2)は罰則はない。

次に、罰則を伴う厳しいものをあげる。(イ)青少年の深夜外出、深夜営業施設への立ち入り制限。(ロ)古物買い受けの罰則強化。(万引きを助長する恐れがあるため)(ハ)入れ墨を青少年に強要、勧誘、あっせんすること。(タトゥーなどの流行に対して)。(ニ)青少年の着用済み下着(だ液、ふん尿の付着)、を買い受けること。(ホ)風俗店への勧誘行為や接待飲食業で客の接待をさせる行為等。(ヘ)場所の提供。みだらな性行為、覚せい剤使用、入れ墨、とばく、喫煙飲酒等がなされる事を知って場所を提供すること。(ト)非行助長行為。次の行為を勧誘、あおり、強要等すること。つまり、みだらな性行為、覚せい剤使用、とばく、共同による暴走行為、非行集団への加入などである。

 この条例は、来年の2月議会に提出、3月下旬に公布され、101日から施行される見通しである。また、罰則については検察庁と調整することになっている。

◆久保田順一郎議員は、環境県ぐんまの象徴的環境事業として「尾瀬の国立公園化にむけて」及び、「アマゾンぐんまの森」について質問した。順一郎氏はアマゾンぐんまの森実現に大きく貢献した富一郎氏の長男である。

◆水上町出身の小野里光敏議員は、ツキノワグマ、アカネズミ、サル、ハクビシン、タヌキなどが大量に出没し異常事態である、このままだと中山間地域は人が住めなくなると訴え、動物の世代交代は速いから人間の恐さを知らない世代が増えていると深刻な事実を語っていた。動物界も大変らしい。(12月議会の成果を願って。読者に感謝)

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2006年12月11日 (月)

12月議会で問題になったこと(その1)

◇まず、青少年保護育成条例が改正される。今日、社会の変化はすさまじい。欲望を刺激する情報は渦を巻き、その中に呑み込まれる大人たちの姿は後を絶たない。青少年が受ける影響は更に深刻である。そして、青少年の対応は第一に地方の役割である。地方の実情に基づいて、住民が力を合わせ工夫する必要があるからである。その理念や方法等は条例で定めることになる。これが群馬県青少年保護育成条例である。

 この条例が定められたのは昭和36年である。以来、世の中は大きく変わった。今日の状況の下で青少年の問題に適切に対応するには、この条例では不十分になった。そこで、この12月議会で改正を行おうとするのである。名称も、「青少年保護育成条例」を「青少年健全育成条例」と改める。県民総ぐるみで青少年を心身ともにすこやかにそだて、弊害となる行動を厳格に規制しようとしている。例えば、何人も深夜、青少年を正当な理由なく連れ出し、同伴してはならないと定める。何人もとは、親などの保護者も含まれる意である。また、カラオケ等、青少年の立ち入りが制限される所は、保護者が同伴であっても制限を受ける。違反すれば保護者も罰せられるのである。これらの規定は、青少年を健全に育てるためには家庭のしつけが重要なので、保護者の責務を明確化させる点に意味がある。改正条例については改めて取り上げるつもりである。

次に、いじめ問題が取り上げられた。教育長は、いじめの定義につき、これと決めるのは難しいし意味がないと答えた。それは、いたずらや悪ふざけであっても、された側にとってはいじめになりうるからだという。県教委は、いじめの数を集計し、小学校1,557件、中学校では1,143件という数字を出したが、教育長は教師がいじめと判断したものをいじめとしたと答えていた。では、教師は何を基準にいじめと判断したかと考えると堂堂めぐりの話になる。私は、やはり、いじめの定義は必要だと思う。いじめとは何かを決めておかねば、いじめを論ずることは出来ないではないか。教育再生会議では、いじめた子どもに、社会奉仕などをさせるといっているが、その場合には、定議を基準にしなければ話が進まない。文科省は、(1)身体的、心理的な継続的攻撃、(2)相手が深刻な苦痛を感じること、などをあげる。(2)は、攻撃を受ける立場から判断すべきことで、そうすれば、いたずらや悪ふざけであっても、この基準に当ることになるのであり、定義は意味があるのである。

◆次に、阪東工業団地に大量のカーバイト滓が埋められたことが問題となった。県が分譲した工業団地に、カーバイトのくず4,100トン、4トントラックで1,000台にあたる量が埋められていた。この土地を取得した業者は県に対し、6億円の損害賠償を求めて訴えを起こしている。地下水の汚染も心配されている。県の対応が注目される。

(実りある12月県議会であることを願って。読者に感謝)

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2006年12月10日 (日)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(30)「東大紛争・林健太郎先生との出会い」

 私は、一般学生の一人として、やり切れない気持ちで紛争を見ていた。学園外の一般社会で生きてきた私にとって、学生同志の議論のやり方には、ついてゆけないところがあった。彼らは、そんなこと世の中では通用しないと思えることでも、自分の理想と理屈に合っていれば、どこ迄も押し通そうとする。その純粋さは時に羨ましく思うこともあったが、活動家の押し付けがましい強引な態度にはいやけがさしていた。

 私は、林健太郎先生のゼミで、「若きマルクスの人間像」という題のドイツ語の原書をやっているうちに、紛争が本格的となり、授業も打ち切られることになった。クラス討論、学部集会などが絶えず行なわれ、ストライキの是非、紛争の解決策などを巡り、議論が交わされた。

 私は、紛争が東大を正常なものにするという本来の目的からはずれているから、ストライキを止めるべきだと発言したことがあるが、やじと怒号で吹き飛ばされてしまった。しかし、私に同調する声も多いということを周りの視線から感じることができた。

 紛争中のある夜、現在、読売の政治部にいる松本斉君と、善福寺の林先生宅を訪ねたことがある。松本君も私と同じように考えており、先生を囲んで、学部の様子、他学部の状況などを話し合い、また、先生から求められて、自分の考えを述べたりした。林先生の冷静沈着な御様子は、紛争の渦中にあっても変わることがない。口数は多くないが、発する言葉には、大変な重みが感じられた。

 その後、先生は文学部長となり、そして、有名な173時間の軟禁事件に遭遇されるのである。

 文学部のストライキの中で、教授との団交がしばしば行なわれた。学生側は革マル派が中心であった。林先生は、ここで学生側の理不尽な要求を頑としてつっぱねたので、他の教授は帰されたが、林先生は長く軟禁状態におかれることになった。林先生は筋の通った明快な論理を主張して一歩も譲らなかった。革マル派の学生も内心もてあまし、かといって自分達の非を認めて軟禁を解くわけにもゆかず、困ったらしい。外にいる私達にも、先生の発言や様子が伝わってくる。学内外の世論は、林先生支援で盛り上っていった。このような騒ぎの中、三島由紀夫、阿川弘之らが、林先生支援にかけつけるといった一幕もあった。とにかく、林先生は、終始自分の主張を明快に、そして、冷静に説き続け、173時間、ついにドクターストップになって東大病院にかつぎ込まれるまで頑張り通した。

 先生の態度は、この東大紛争の中にあって、いつも優柔不断で、勇気を持った判断を下せず右往左往していた大方の教授連と比べ、一際光っていた。林先生を軟禁した派の中には私の友人、知人がいたが、彼らも、林先生の態度には脱帽し、敬意を払っていたらしい。後に、機動隊に攻められて、建物を占拠していた学生は全て追い出されたが、文学部の壁に「林健太郎に敬意」という落書が残されていた。林先生は、命をかけ、体を張って、学生に対する教育を実践されたのであった。この間の事情は、文芸春秋6月号(1992年)に、当時の警備責任者佐々淳行氏の「偉大なる教育者、林健太郎」に詳しく書かれている。先生は、その後、東大総長となり、さらに、参議院議員になられたことはあまりにも有名である。(次回は12月16日(土)に掲載予定です)

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2006年12月 9日 (土)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(29)「司法試験に挑戦」「東大紛争・林健太郎先生との出会い」

 西洋史の勉強と司法試験の勉強を両立させることは、そんなに易しいことではなかったが、私は、東大受験の時のような緊張した気持ちで取り組んだ。

 憲法、民法、刑法、商法の必須科目、そして、訴訟法は民事訴訟を選び、その他の選択科目は刑事政策と心理学であった。法律を始めて一年程の月日は、あっという間に過ぎた。私は、卒業を目前にして、一年卒業を遅らせるかどうか多いに迷ったが、法律を勉強するには、大学にいた方が有利と判断し、ついに留年に踏みきったのであった。そして、留年した為に、東大紛争に遭遇することになるのである。

「東大紛争・林健太郎先生との出会い」

 東大では、先にもちょっと触れたように、その時々の政治問題に学生が敏感に反応して反対集会やデモ行進などが絶えず行われていた。しかし、これらの運動は、いわゆる活動家学生のものであって、学園全部を巻き込んだものではなかった。全国の人々の目をテレビに釘付けにしたあの凄絶な安田講堂の攻防戦に発展する東大紛争は、医学部問題から始まった。当時、東大医学部では、「インターン制度」、「登録医制度」が争いの種となっていた。これらの制度に反対する学生と教授会の対立は、時がたつにつれて深刻となり、ついに、団交を求めて教授を取り囲んだ学生の一人が暴力を振るうという事件が発生するに至った。医学部では、この学生を処分したが、この処分を不当とする学生達は、医学部の建物を占拠するに至り、紛争はにわかにエスカレートすることになった。

 医学部問題の根底には、帝国大学以来の封建的権威主義、あるいは、周りの社会の変化から取り残された硬直した学部運営など東大の体質的な欠陥が横たわり、これに対する学生の根強い不信感があった。だから、医学部の問題は、何かきっかけがあればすぐに全学部に波及する要素を持っていたのである。

 医学部の紛争には、他大学の学生活動家が多数参加するようになり、彼らは、安田講堂を占拠するに至った。これに対して、大河内総長は機動隊を導入して建物を奪還したが、機動隊をいきなり導入したことに対する非難の声は全学的に広がっていった。そして、安田講堂は再び占拠され、全学部の自治会がストの決議をするに至り、これを機に、東大闘争全学共闘会議(全共闘)が結成された。

 この当たりまでは、一般学生(ノンポリ)もストに同調的であった。なぜなら、彼らは、東大独特の改革されるべき弊害を除きたいという共通の意識を持っていたし、さらに、学問の自由、大学の自治というこの上なき重要な権利を、大学側は、占拠学生を説得する努力を十分しないまま、機動隊を導入する事によって侵害したという点でも共通の認識を持っていたからである。

 しかし、代々木系全学連民青と反代々木系学生との主導権争いは、絶えず乱闘事件を引きおこし、時には数百名の重軽傷者を出すようになると、一般学生の心は次第に冷めていった。特に、機動隊の再度の導入が噂されるにともない、他大学の学生が多数入り込んで、目に余る破壊行為を行なうようになると、彼らと行動を共にする全共闘に対して、一般学生はむしろ批判的に傾いてゆくようになった。(明日の日曜日に続きます)

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2006年12月 8日 (金)

本県のサイバー犯罪、過去最悪

最近、サイバーという言葉が目に付くようになった。サイバー宗教、サイバーテロ、サイバー犯罪等。サイバーとは、サイバネティクスの略で、電子頭脳とういう意味である。警察は、インターネット悪用の犯罪をサイバー犯罪と呼ぶ。インターネットは電子頭脳(サイバー)というわけだ。インターネットの急速な普及に伴って、これを悪用する犯罪・サイバー犯罪も急増している。06年の警察白書は、「安全、安心なインターネット社会を目指して」と題してサイバー犯罪を特集した。そこでは誰でもサイバー犯罪に巻き込まれる危険性が指摘されている。

 サイバー犯罪で最も多いのは、ネット上で架空のオークションを開いて物を売るなどの詐欺である。また、不正アクセス禁止法違反が急増している。逮捕されたある大学生は個人情報を管理するサーバに入り込み、16万件の情報を入手して販売した。

 しかし、特に憂慮するべきことは出合い系サイトの悪用による子供たちの性的被害である。白書によれば、中学生、高校生の70.9%が自由に使える携帯電話を持ち、2.6%のものが実際に出会い系サイトを利用した。出会い系サイトに伴う被害としては、性行為の強要、殺人、性風俗店で働かされるなどがあげられている。

 サイトとは、場所を意味する語で、インターネット上で情報を提供する場として使われる。自殺や家出をあおるサイト、殺人や暴力などの残虐な映像を見せるサイトなど何でもありのオンパレードという感がある。判断力の乏しい子どもを、これら有害サイトから守る取り組みが必要なのだ。

◆本県の実態も、全国の状況と似ている。県警生活安全企画課によれば、出会い系サイト悪用による児童買春やオークション詐欺が急増している。詐欺の例として、高校生が、オークションに架空に出品されたオートバイを買うために6万5千円を振り込んだのがある。高校生の被害が多い事から、県警は、高校生への啓発に力を注ぐとしている。

◆社会は目まぐるしく変化し、その中で、科学技術の発達は著しい。犯罪は社会の実態を反映して起きるから、新しい型の被害が次々に現われる。法律は、どうしても後追いである。インターネット悪用に対する規制については、「インターネット異性紹介事業を利用して児童を誘引する行為の規制等に関する法律」という長い名称の法律、つまり出会い系サイト規正法、及び、「不正アクセス禁止法」などがある。不正アクセス禁止法は、何人も不正アクセス行為をしてはならないとし、1年以下の懲役、50万円以下の罰金を定める。

 私たちが対応すべきことは、青少年保護育成条例を有効に生かす事であるが、何よりも大切なことは、学校、家庭、地域社会が子どもたちを守るために力を合わせることである。その中で警察の厳しい取締りが生きることになる。

(健全なインターネット社会の実現を願って。読者に感謝)

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2006年12月 7日 (木)

ニューギニアの生還者を訪ねる

昨日、昭和町の後援会員のところを回る中で、岩田亀作さんを訪ねた。拙著「今見る地獄の戦場」の中で紹介した人である。夕暮れ時であった。岩田洋品店の中に、岩田さんの行商用の小型ライトバンが見える。帰っているなと思って中に入った。

「先日、伊香保でダンピールの戦友が集まったが3人になってしまいました」岩田さんはしみじみと語った。一人は岩田さんと同年で88歳、もう一人は90歳である。「残りが短くなったから毎月会うことにしています。でも、おい、百まで生きようぜと言っているんです」「何回も死んでいるから、もう死なないでしょう」こんな会話から、いつしかダンピールやサラワケットの話になる。いつものことであった。しかし、毎回、新しいことが含まれているので身を乗り出してしまう。

 「私は、2時間漂流して拾われたが、戦友は一週間目だった、中にはボートで30日間もかかってラバウルに漂着した者もいたんです」ガスストーブの前で頬を紅潮させた岩田さんはニューギニア戦の体験を昨日のことのように話す。

  01年(平成13年)、私は、副議長としてニューギニアの慰霊巡拝に参加した。出発したのは10月21日で、「9.11事件」と呼ばれるニューヨークの同時多発テロは、直前の9月11日に起きた。そして、アメリカは、テロに対する対抗手段として10月7日、アフガニスタンの攻撃を開始した。アメリカは、さらに、アフガニスタンの攻撃に続いて、03年イラク攻撃に踏み切る。イラク戦争は今も続きブッシュ政権は窮地に立たされている。振り返れば、ニューギニアの慰霊巡拝は歴史の大きな転換点で行なわれた。あのような状況下、ニューギニア行きは果たして実現可能なのか、随分心配した事が記憶に新しい。

 岩田さんとの出会いも、「ニューギニア」が縁である。あれから5年の歳月が流れたが、岩田さんの小さな体には、まだ衰えない気力が感じられる。頭脳の明晰さにも驚かされる。現在でも、衣料を車いっぱい積んで富士見や芳賀などの農村部を行商に回っている。この日、行商の車を覗き込んだら窓際に「申又」のレッテルが張られた商品が下がっていた。以前、岩田さんは農村の女性がズロースを求めていると話したことがある。その時、「今の人は、パンティーだね」と笑っていった。農村部特有の需要に応じているのだ。この気力と行動力なら百歳まで元気で生きることは可能だろう。

 私は、岩田さんを目標にしたいと思っている。この日、かねてたずねてみたいと思うことを聞いた。「何回も死んでいるから、もう死ぬことは恐くないでしょう」「いや、それは別で、恐いです」明るい笑顔で答えていた。来年の4月迄苦しい戦いとなるが、ダンピール海峡を泳ぐつもりで頑張ろうと思った。夜、Y女史から県議選に出ますと電話があった。また一段と激戦になる。(亀作さんの百までの健闘を祈って。読者に感謝)

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2006年12月 6日 (水)

理科離れを食い止めたい

現在の小中学生の理科離れは深刻だと思う。地域を回っていたら、小学生の子どもを持つ若いお母さんが子どもが理科嫌いで困ると嘆いていた。この問題の先にあることが、理工系大学や学部の不人気であり、さらには、日本の科学技術を支える力の将来的な不安である。小中学生に理科の力をつけることは、今、大きな問題となっている学力低下の袋小路から抜け出す糸口の一つであり、日本の科学技術の基盤を作ることにつながる。

 理科離れの原因はどこにあるのか。その一つは教え方にあると思う。理科には、他の教科とは違ったリアルなサプライズが沢山隠されている。工夫して面白く導けば子どもたちに、真実を発見する感動を与えることが出来る筈である。発見と感動は理科の力をつけるための原動力となる。

 小学校は、一人の先生が多くの教科を教えるから理科の不得意な先生、また理科が嫌いな先生が理科を教えることが多い。先生となる人も、小中の理科離れの延長にあるから悪循環が続くといえる。困った実態である。

 過日、群大工学部の先生たちと話し合う機会があった。小学校の理科教育の現実と将来について私と同様な認識を持つ。そればかりでなく彼らはデパートで面白い理科の実験をして見せるなどの実践もしている。工学博士の先生たちは、理科教育のための実践を学校と協力して行う形をつくれないかと問いかけた。

 このことを受けて行なわれた会議には小学校の先生や退職校長会の人も参加した。ここでは、アイディアは良いが現場の先生は忙しい、新しい企画には教育委員会のサポートが必要だ、学校のスケジュールとあわせた企画なら有益といった意見が出た。そこで、次回の会議は、教委の関係者、教育研修センターの人、輪を広げた小学校の先生たち等が参加して、今月19日に開かれる。手探りの霧の中から何かが見えてくることが期待される。

 教育を取り巻く状況は酷い。文科省も混乱している。大々的に打ち上げた「ゆとり教育」も自信をなくしたのか旗を巻こうとしているかのようだ。振りまわされる地方の教育界にとっては迷惑である。今こそ、地方の教育界は自主性を発揮すべきだ。それは、地域社会の教育力を如何にして活かすかにかかっている。

 地域社会には、隠れた教育力が限りなくある。それは、日本人が営々として積み重ねてきた歴史の成果でもある。地域の大学や研究機関もその例といえる。それをいかにつなげて活かすかは教育委員会の役割である。

 今回は、群大工学部の方から手をあげて近づいてきた。群大工学部の存在は、地域の教育力の重要なポイントである。産業界では、産学官の連携が盛んであるが、教育界でも産学官の連携は必要だと思う。学校の現場は忙しすぎるというが、不要なもので忙しいのでは困る。教委はこのあたりから改革を進めるべきだ。

(理科教育の復活を願って。読者に感謝)

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2006年12月 5日 (火)

12月議会が始まった

 午前7時半、群馬会館食堂で議員の朝食会があった。久し振りの朝食会は懐かしい。二つの政策集団、同志会と県政塾が存在していた頃は、議会開会日の朝、7時半、同志会の朝食会が必ず行われることになっていた。私は同志会の一員であった。ここで、副知事問題など県政の重要な課題が活発に議論されたのだ。県政塾もどこかで同じような会合をしていたのだろう。

 私が議長のとき、県政史上に残る出来事として、二つの政策集団は解散し自民党県議団は一つになった。朝食会は、それ以来始めての出来事である。7時半から食事を初め、8時から会議に入る。遠方の議員も8時迄には到着。

 私などは、7時10分に飛び出しても間に合うが、館林や吾妻の議員は長い時間がかかるので気の毒だと思う。この日は、去る26日行われた自民党のパーティについての報告のあと、知事選対策などが話し合われた。

 12月議会は、4日に開会され、20日、委員長報告と議決が行われ閉会となる。一般質問は8日と11日の2日間である。

 本会議では、閉会中審査が行われてきた17年度の決算審査の経過と結果につき原富夫委員長が報告し、続いて賛成討論、反対討論がなされて採決が行われた。決算の結果は賛成多数で承認された。 続いて知事の議案説明が行われた。今回の補正予算案は6,110万円で、現予算と合算すると約8,072億円になる。補正予算の主な項目は、(1)障害児通園施設利用者の負担を軽くするための支援。障害者自立支援法の施行により施設利用者の負担が増えたことに対するもの。(2)「認定こども園」制度が始まることに備える民間幼稚園等の施設整備を補助、(3)医師確保のための修学研修資金貸与。小児科医、産婦人科医、麻酔科医不足の対策である。(4)重粒子線治療施設設置への支出。これは県と群大との共同設置事業である。

◆「認定こども園」制度について。地域社会における子育て環境づくりは、今急務となっている。そこで、今年6月、新たな法律がつくられ、この制度がスタートすることになった。一定の基準を満たした幼稚園等を知事が認定する。その認定の基準は条例で定めることになっており、その条例案は、この議会で審議される。12月議会で成立すれば、今年12月下旬から施行される。重要な条例になると思うので、その内容と今後の動きを見守りたい。

 制度の主旨は、就学前の子どもに関する教育と保育を一体的に行うことを目的とする。地域のすべての子育て家庭を対象に、子育て不安に対応した相談活動や親子の集いの場を提供する。これは、保護者が働いている、いないに関わらず受け入れるものである。子どもは地域社会が家庭と力を合わせて育てるものであり、そのための具体的な一歩を踏み出そうとしている。(健全な子育て環境が整うことを願って。読者に感謝)

    なお、6日(水)より7日(木)までココログのメンテナンスが行われます。そのため、「日記」は通常版にて更新しておりますので、そちらをご覧下さい。

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2006年12月 4日 (月)

「残留孤児勝訴に思う」

 私は、群馬県中国残留帰国者協会の顧問をしている。協会には、残留孤児と呼ばれた人たちが多くいる。昨日、協会の人が私を訪ねた。会長の清水忠和さん、奥さんの真澄さん、真澄さんの弟の清水慎咲さんの三人である。真澄さんと慎咲さんの姉弟はかつて残留孤児だった人たちである。これらの人々の来訪の目的は、この度、神戸地裁が下した残留孤児勝訴判決について私の考えを聞くことであった。

 姉弟は幼い頃、中国黒竜江省奥地の開拓村で終戦を迎え大変苦労して育った。私は、十年程前、慎咲さんと共に、彼らが住んだこの村を訪ねたことがある。雨の後であった。黒い泥沼のような所に点在する農家は貧しさの中に取り残されているようにみじめで、子どもの頃の彼らの姿が目に浮かぶようであった。そして、戦車に逃げ惑う日本人開拓民を想像した。

 残留孤児と呼ばれる人たちは、旧満州で終戦の動乱に巻き込まれ数奇な運命を辿った。旧満州の開拓民は、日本の国策に従って中国に渡った。ソ連軍の侵攻によって人々は地獄の苦しみを味わったが、それは、戦況を全く知らされていなかったこと、及び、彼らを守るべき関東軍の主力は既になく無防備のまま放置されたためである。この点に関する国の責任は大きいといわねばならない。終戦時の混乱は止むを得ないとしても、国が力を回復した後、中国に取り残された人々のために、国は為すべきことをしたか、この事が厳しく問われるのは当然である。孤児らは、各地で集団訴訟を起こして、国の責任を追及してきた。神戸地裁は、初めて彼らの訴えを認める判決を下した。

 田中内閣が日中国交正常化を実現したのは、72(昭和47)のことである。この時から、国は、人々の救済のための手を差し伸べることが出来た。国民を救うのは国の責任である。まして、誤った国策の犠牲者なのである。国は、なすべきことをせず、むしろ、残留孤児を外国人として扱うなどして帰国を制限した、これは違法である、だから損害を賠償せよ、このような原告の主張を裁判所は認めたのである。

 神戸地裁は、原告のうち15人について帰国が遅れた期間の一ヵ月当たり10万円の賠償を、また、61人については、帰国後の自立支援義務を怠ったとして、一人当たり600万円の賠償を、それぞれ国に命じた。

 残留孤児らは全国の15地裁で集団訴訟を起こしている。初の司法判断は、昨年7月の大阪地裁判決であるが、これは、原告の請求を全面的に棄却した。

 残留孤児と呼ばれた人々は、現在高齢化し生活は苦しい。初の勝訴判決は、県内の関係者に希望を与えた。しかし、同時に、判決の行方や影響などにつき人々が心配するのは当然である。清水会長の所に多くの問い合わせがあったという。国が控訴すれば判決は確定しない。国は、控訴せず判決を受け入れるべきだ。そして、訴訟に参加しなかった人々にも救済を及ぼすために、新たな立法をなすべきである。清水さんたちとこのようなことを話し合った。(帰国者に正当な光が当たることを願って。読者に感謝)

★なお、12月6日(水)~7日(木)はブログのメンテナンスが行われます。

日記は「通常版」にて更新しておりますので、どうぞそちらをご覧下さいませ。

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2006年12月 3日 (日)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(28)「司法試験に挑戦」

 西洋史をでた者は、新聞、ラジオ、テレビなどの報道関係や出版関係、あるいは大学などの教育関係の仕事に就く者が多いが、銀行や商社などに入る者もおり、その行き先は多彩である。私は、規律に縛られるのが嫌いな性格と大学に入る迄の生活習慣とから、卒業後、組織に入って堅苦しい生活をするのは嫌だと思っていた。割田千鶴子は、私の進路について直接には何も言わなかったが、私は彼女の存在に影響を受けていたし、また、大きな責任を感じていた。

 卒業後の進路について悩む私の周辺には、西洋史の仲間の他に法学部の友人達がいた。彼らの多くは司法試験に取り組んでいた。同室の家久君も法学部だから法律に関する話はいつも身近にあった。

 ある時、友人の一人から、君も仲間に入ってやってみては、と、ゼミに誘われたのがきっかけとなって、私はいつしか司法試験に本格的に取り組む方向に傾いていった。東大では、自分の専門の単位の他に他学部の単位を一定範囲で取ることが認められる。私は、西洋史の必須科目の他は、法学部の授業にも積極的に出るようにした。

 私に司法試験を目指して法律を勉強することを決意させてものの中には、次のような、私の勉強の上の体験があったと思われる。

 その一つは、駒場の後半に、九百番教室における法学部の二つの講義に出たことであった。これは、きちんとノートを取り、学期の試験も受けたのである。駒場時代は、広い視野にたって勉強しようと思い、中屋健一の「米国史」や玉野井芳郎の経済のゼミなどに意欲的に出ていたことは前に触れたが、同じような観点から、社会科学への興味が広がるのに伴い、友人の誘いもあって法学部の授業にも出席する気になったのである。

 二つの講義のうち、一つは、川島武宜先生の民法総則で、これは、「優」をもらった。そして、もう一つは、団藤重光先生の刑法総論で、こちらは「良」であった。民法の「優」については、法学部の友人も驚いていた。

 勉強の上の体験のもう一つは、中屋健一の「米国史」の中のアメリカの独立宣言に始まり、西洋史に進んでから勉強したフランス革命とそこにおける人権宣言、そして、ドイツに関してはワイマール共和国のワイマール憲法というように、一連の基本的人権の系譜を学び、これに強い興味を抱いたこと、そして、これらの関連を憲法という面から体系的に学ぶとどうなるか、という関心から、法学部の講義にも顔を出していたことである。

 このような体験から、法律は未知な領域ではなく、やればなんとかなる、と一人よがりに思い込んでいたのであった。

 司法試験を決意した私にとって大きな励みとなったのは、中崎敏雄君の存在であった。彼のことは前にも触れたが、同じ文学部の級友で、駒場の校舎で夜遅くまで勉強した仲である。彼は、教養学科の国際関係論というところに進んだが、やはり悩んだ末に、司法試験に挑戦する決意をしていた。(次回は12月9日(土)に掲載予定です)

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2006年12月 2日 (土)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(27)「割田千鶴子と結婚」「司法試験に挑戦」

 私は少年の頃、吉川英治の宮本武蔵を夢中になって読んでいたが、そこに登場するお通さんは、私にとって憧れの女性像であった。割田千鶴子に出会った時、私には、彼女がこのお通のように思えたのであった。

 当時の私には、彼女が話すイエスキリストについては理解できない点が多かったが、信仰に打ち込む彼女の姿はさわやかに思えた。そして、信仰の点を除けば、二人の価値観は多くの点で共通しているように思われた。彼女は、弟の賢三が家族の中心になって必死になって働く姿に大いに感心し、何かとお手伝いしたいとしきりに言った。

 私は向ヶ岡寮にいて、勉強の合い間によく手紙を書いた。前橋の彼女からも毎週のように封書が届く。同室の家久君との会話に、時々彼女のことが登場するのも自然であった。ある時、家久君が、ふと

「君は、千鶴子さんを尊敬しているんだな」

と言った。私は、それには答えなかったが、自分の腹の中を探り当てられたような気がしたのを覚えている。

 私は、秘かに結婚を決意した時、先ず、福島浩に相談した。彼は非常に驚いた様子であった。聞けば、彼が以前勤めていた日本生命で彼女と一緒に仕事をしていたということであった。そして、福島浩は、彼女との結婚を強くすすめ、祝福してくれたのであった。

 結婚式は、前橋の臨江閣で質素に行った。しかし、弁論部の仲間たちは、仲間うちで初めての結婚式なので、皆、コンパにでも出席するような気持ちで大勢押しかけて、大変な賑やかな結婚式となった。家久君などは、自分が嫁さんをもらうかのようにはしゃいでいたのが昨日のように目に浮かぶ。

 結婚後は、私は寮で前と同じような生活を続け、彼女は私の実家に入り、毎日、朝から晩までダンゴ屋の手伝いを続けたのである。

 毎週土曜日、講義が終ると、私は、向ヶ岡寮の坂を下り、不忍の池を抜けて上野駅まで走る。電車が前橋駅に着くと、窓から見える位置に立って手を振る彼女の姿が必ずあった。

彼女は、

「賢三さんとおダンゴの配達は、とても楽しいのよ」

と言ったが、その窪んだ目は、仕事が彼女にとって相当厳しいものであることを物語っていた。

「司法試験に挑戦」

 私は、結婚を意識しだした頃から、卒業後の進路について考えるようになった。みじめな境遇から抜け出したいという一心で、また、単純な立身出世の夢を描いて東大に飛び込んだ私であったが、学園生活を重ねるうちに大分違う考え方をするようになっていた。私の学園生活は、ただ一筋にわき目もふらずまっしぐらに突き進んできたそれ迄の生き方を振り返る場であったし、また、それは、いろいろな本を読み、様々な人に出会うなかで刺激を受け、目を開かされ、考えたり悩んだりする場でもあった。(明日の日曜日に続きます)

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2006年12月 1日 (金)

中学三年生を激励する会に出る

 地元の中学で毎年行っている行事である。

卒業生は全員で86名、昔のことを考えると数が少ないと感じた。ざっと見て、気のせいか生徒の表情に余り活気がない。受験で神経をすり減らしているためか、それとも、今学校を覆う陰うつな空気のためか。恐らく両方であろうと思った。

 私は、生きることの大切さを分らせようと思い、挨拶の中で、「私は、子どものころ死のうと思ったことがあります。振り返ると、その時自分の回りの小さい範囲のことしか考えていませんでした。将来の夢とか可能性とかは全く頭になかったと思います。死ぬ人は皆そうだと思います。皆さんには、大きな可能性があることを普段から頭にしっかりと入れておいて欲しい。そうすればきっと苦しいときの支えになります」

◇いじめ問題で国中がパニック状態だ。子どもの自殺が後を絶たない。異常という他はない。県教委は県内の公立小中学校について調査し、いじめの数、2720件という数字をあげた。小学校で平均1校4.6件、中学校では6.6件である。この数字をどう見ているかは人によって異なるだろうが私は驚くべき数とは思わない。いじめの定義や規準にもよるが、いじめは昔からあったし、子どもの世界には常に存在することなのである。しかし、昔と異なることは、いじめられる側に、耐える力がなくすぐに死を選んでしまうことだ。この現実を直視して対策を立てることが急務である。

 この対策の中で、いじめをした児童・生徒への対応は重要な点である。政府の教育再生会議は、出席停止、社会奉仕、別室での教育などを検討している。そして、これらの対策に関して賛否様々な議論が行われている。

 私は、出席停止については、教育の場から遠ざけてしまうこと、そして、いじめをした児童・生徒を傷つけてしまう恐れから賛成出来ないが、社会奉仕については、やり方を工夫することによって、効果を期待できるのではないかと思う。ボランティアとしても意味のあるような社会奉仕なら児童・生徒の心を大きく傷つけずにしかも、懲戒として責任を自覚させることが出来ると思う。今、学校の現場で毅然とした規律が行われなくなっていることが今日の事態を招いている一因ではないか。その意味でも、教育的な懲戒は必要である。ただ、適用の基準を明確にしないと、不平等とか、扱いが間違っているとかで、児童・生徒をかえって傷つけその父母とのトラブルを生じることにもなりかねない。とにかく、地域社会や家庭との間にコンセンサスがないと、実施することは困難だ。

 政府の提言は重要であるが、地方の教育委員会の役割はより重要だ。政府の対策は現実から離れたところで作られるため空振りすることが多い。今こそ、教育における地方の自主性が問われる時だ。現場を見据えて頑張って欲しい。

(教育の正常化を願って。読者に感謝)

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