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2006年12月 9日 (土)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(29)「司法試験に挑戦」「東大紛争・林健太郎先生との出会い」

 西洋史の勉強と司法試験の勉強を両立させることは、そんなに易しいことではなかったが、私は、東大受験の時のような緊張した気持ちで取り組んだ。

 憲法、民法、刑法、商法の必須科目、そして、訴訟法は民事訴訟を選び、その他の選択科目は刑事政策と心理学であった。法律を始めて一年程の月日は、あっという間に過ぎた。私は、卒業を目前にして、一年卒業を遅らせるかどうか多いに迷ったが、法律を勉強するには、大学にいた方が有利と判断し、ついに留年に踏みきったのであった。そして、留年した為に、東大紛争に遭遇することになるのである。

「東大紛争・林健太郎先生との出会い」

 東大では、先にもちょっと触れたように、その時々の政治問題に学生が敏感に反応して反対集会やデモ行進などが絶えず行われていた。しかし、これらの運動は、いわゆる活動家学生のものであって、学園全部を巻き込んだものではなかった。全国の人々の目をテレビに釘付けにしたあの凄絶な安田講堂の攻防戦に発展する東大紛争は、医学部問題から始まった。当時、東大医学部では、「インターン制度」、「登録医制度」が争いの種となっていた。これらの制度に反対する学生と教授会の対立は、時がたつにつれて深刻となり、ついに、団交を求めて教授を取り囲んだ学生の一人が暴力を振るうという事件が発生するに至った。医学部では、この学生を処分したが、この処分を不当とする学生達は、医学部の建物を占拠するに至り、紛争はにわかにエスカレートすることになった。

 医学部問題の根底には、帝国大学以来の封建的権威主義、あるいは、周りの社会の変化から取り残された硬直した学部運営など東大の体質的な欠陥が横たわり、これに対する学生の根強い不信感があった。だから、医学部の問題は、何かきっかけがあればすぐに全学部に波及する要素を持っていたのである。

 医学部の紛争には、他大学の学生活動家が多数参加するようになり、彼らは、安田講堂を占拠するに至った。これに対して、大河内総長は機動隊を導入して建物を奪還したが、機動隊をいきなり導入したことに対する非難の声は全学的に広がっていった。そして、安田講堂は再び占拠され、全学部の自治会がストの決議をするに至り、これを機に、東大闘争全学共闘会議(全共闘)が結成された。

 この当たりまでは、一般学生(ノンポリ)もストに同調的であった。なぜなら、彼らは、東大独特の改革されるべき弊害を除きたいという共通の意識を持っていたし、さらに、学問の自由、大学の自治というこの上なき重要な権利を、大学側は、占拠学生を説得する努力を十分しないまま、機動隊を導入する事によって侵害したという点でも共通の認識を持っていたからである。

 しかし、代々木系全学連民青と反代々木系学生との主導権争いは、絶えず乱闘事件を引きおこし、時には数百名の重軽傷者を出すようになると、一般学生の心は次第に冷めていった。特に、機動隊の再度の導入が噂されるにともない、他大学の学生が多数入り込んで、目に余る破壊行為を行なうようになると、彼らと行動を共にする全共闘に対して、一般学生はむしろ批判的に傾いてゆくようになった。(明日の日曜日に続きます)

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