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2006年12月 3日 (日)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(28)「司法試験に挑戦」

 西洋史をでた者は、新聞、ラジオ、テレビなどの報道関係や出版関係、あるいは大学などの教育関係の仕事に就く者が多いが、銀行や商社などに入る者もおり、その行き先は多彩である。私は、規律に縛られるのが嫌いな性格と大学に入る迄の生活習慣とから、卒業後、組織に入って堅苦しい生活をするのは嫌だと思っていた。割田千鶴子は、私の進路について直接には何も言わなかったが、私は彼女の存在に影響を受けていたし、また、大きな責任を感じていた。

 卒業後の進路について悩む私の周辺には、西洋史の仲間の他に法学部の友人達がいた。彼らの多くは司法試験に取り組んでいた。同室の家久君も法学部だから法律に関する話はいつも身近にあった。

 ある時、友人の一人から、君も仲間に入ってやってみては、と、ゼミに誘われたのがきっかけとなって、私はいつしか司法試験に本格的に取り組む方向に傾いていった。東大では、自分の専門の単位の他に他学部の単位を一定範囲で取ることが認められる。私は、西洋史の必須科目の他は、法学部の授業にも積極的に出るようにした。

 私に司法試験を目指して法律を勉強することを決意させてものの中には、次のような、私の勉強の上の体験があったと思われる。

 その一つは、駒場の後半に、九百番教室における法学部の二つの講義に出たことであった。これは、きちんとノートを取り、学期の試験も受けたのである。駒場時代は、広い視野にたって勉強しようと思い、中屋健一の「米国史」や玉野井芳郎の経済のゼミなどに意欲的に出ていたことは前に触れたが、同じような観点から、社会科学への興味が広がるのに伴い、友人の誘いもあって法学部の授業にも出席する気になったのである。

 二つの講義のうち、一つは、川島武宜先生の民法総則で、これは、「優」をもらった。そして、もう一つは、団藤重光先生の刑法総論で、こちらは「良」であった。民法の「優」については、法学部の友人も驚いていた。

 勉強の上の体験のもう一つは、中屋健一の「米国史」の中のアメリカの独立宣言に始まり、西洋史に進んでから勉強したフランス革命とそこにおける人権宣言、そして、ドイツに関してはワイマール共和国のワイマール憲法というように、一連の基本的人権の系譜を学び、これに強い興味を抱いたこと、そして、これらの関連を憲法という面から体系的に学ぶとどうなるか、という関心から、法学部の講義にも顔を出していたことである。

 このような体験から、法律は未知な領域ではなく、やればなんとかなる、と一人よがりに思い込んでいたのであった。

 司法試験を決意した私にとって大きな励みとなったのは、中崎敏雄君の存在であった。彼のことは前にも触れたが、同じ文学部の級友で、駒場の校舎で夜遅くまで勉強した仲である。彼は、教養学科の国際関係論というところに進んだが、やはり悩んだ末に、司法試験に挑戦する決意をしていた。(次回は12月9日(土)に掲載予定です)

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