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2006年11月19日 (日)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(23)「駒場の生活」

 家からの送金ゼロを当然と考えていた私にとって、落ち着く所は金のかからない寮より他は考えられなかった。簡単な選考基準をパスして駒場寮の住人となる。駒場寮は、明寮、北寮、中寮からなり、400人以上の生徒がすべて何らかのクラブに所属し、同じクラブの者が同室となる仕組みであった。

 私が弁論部に所属したのには、次のような経緯があった。新しく入寮する者は、所属がきまるまで、仮宿といって、空いている所へ適当に押し込められる。私の場合、それがたまたま弁論部の部屋であった。後で知った事であるが、仮宿で一度ある部屋に入ると、その部屋の住人とつながりが出来てしまって抜けられずに、そこに落ち着くことが多いのである。私の場合もこんな風に事が運び、弁論部の一員となってしまった。

 一部屋4~5人で、弁論部の部屋は四部屋あった。弁論部には、寮に入っていない人達も多くいて、全体としてはかなりの大所帯であった。

 弁論部といっても、声を張り上げて雄弁術を競うということはしない。時局の問題や学問上の問題などから多くの論点を拾い出しておいて、それについて、意見を発表したり、討論したりすることが多かった。

 寮に入った為に、弁論部に限らず、いろいろな人と付き合うこととなった。寮内の雰囲気、学園の様子は、私にとって新鮮であり、刺激的であり、また、ある意味では奇異に感ぜられた。

 前橋の田舎でダンゴを売って歩いていた時は、自分の意見をストレートに人にぶつけることなど滅多にない。相手の考えに反対であっても、曖昧に受け応えして相手の機嫌をそこなわないように気をつかっていたが、それと比べると、ここは全く別の人種の集まる別世界のように感じられた。仲の良い相手でも、考えが違えば議論して妥協しない。寮内でも、クラスでも、大学の構内でも、いたる所、議論をたたかわす渦があった。

 また、私が入学した年は、昭和三十九年であるが、いわゆる学生運動がまだ盛んな時期であった。ベトナム戦争、原子力潜水艦入港などをめぐって、駒場の構内は、各グループの立看板が林立し、アジ演説が飛びかい、活動家同士のトラブルが絶えなかった。これらの光景は、私の目には一層奇異に映った。

 いろいろな人と接する中で感じたことは、自分の勉強不足ということであった。田舎の特殊なところから出て来たのだから、囲りに追いつくにはうんと勉強しなければと自分に言い聞かせて頑張った。

 寮では思うように勉強できないことが多い。そんな時は夜、昼間は学生が使う本館教室へ行って勉強する。寮は大学の同じ構内にあるから、本館まで歩いてわずかである。物音一つしない夜の教室で一人本を読んでいると、定時制時代を思い出したりする。次回は、11月23日(祝)に掲載予定です。

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