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2006年11月12日 (日)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(21)「東大受験を決意」「私の東大時代」

 私は大きな壁に突き当たって悩んだ。体にも疲れを感じるようになった。お得意先でダンゴを並べている時も、立っているのが苦しい程、背中が痛む。家に帰り、畳の上にうつ伏せになって母に背中を踏んでもらうと心地良い。しかし、やがて踏んでもらわないとがまん出来ないようになり、毎日こんなことを繰り返すようになった。

 強気の私も、不安と焦りを感じるようになった。東大に入れれば良いが、という心境から、何としても入らねばならぬ、もう後がないという心境へ。そして、身体もおかしくなってゆくことによる恐怖にも似た心境へと追い込まれていった。しかし幸いなことに、こんな追い詰められた私にとって救いの神が現われたのである。

 私の弟、賢三は中学生であったが、身体も大きく、中学一年の頃から仕事を手伝っていたから、中学三年の頃はもうダンゴ屋も一人前であった。この頃、私の家は、また総社町山王から西片貝一丁目に引っ越して、賢三は桂萱中学の三年生であった。賢三は、私の片腕となって実に良く働いた。

 ダンゴ屋というのは、朝早くから働く仕事である。毎朝四時ごろから仕事をして学校へ行くから、賢三は学校でいつも居眠りをしていたらしい。しかし、成績はかなり上位であったから、周囲も、高校へ進むと見ていたであろうし、本人もそう考えていた。この賢三が、「兄ちゃん、俺は定時制に行くから勉強に専念しろよ」と言ってくれたのである。

 事態は少しずつ、好転しつつあった。引っ越して、環境が変わったせいか父の心臓ぜん息もピタッと起きなくなり、父も多少働けるようになった。末弟の秀雄もよく家業を手伝うようになった。私がもっと仕事に専念すれば、家族はもっと楽になるのに申し訳ないと思ったが、今はただ、前に進むのみと自分に言い聞かせ、私は悲壮な決意で、予備校、英数学館の門を叩いた。

 英数学館の一年間は、密度の濃い、思い出に残る毎日であった。毎月の模擬テストは、何としても上位の成績をとろうと工夫を重ねた。ある時、勉強の方法に迷いが出て、東大の駒場寮まで出向いて、東大生に勉強の体験を聞く、ということまでした。

 このような努力のかいあって、翌年、念願の合格を果たすことができ、私は、東京大学文科三類に入学した。このことは、勤労学徒の模範だとされ、朝日新聞に、家族との写真入りで大きく報道されたりした。こうして、私は、長く暗いトンネルを抜けて、全く未知の世界に踏み込むことになった。

 「私の東大時代」

 私の東大生活を書くに先だって、東京大学の姿を概観してみたい。

 東京大学の起源は、徳川幕府の学問所である昌平黌、そして、同じく幕府の研究所である洋学所まで遡るといわれるが、明治10年、東京開成学校と東京医学校が合併して、加賀百万石前田家の江戸屋敷跡に、わが国最初の大学として東京大学が誕生したのである。(次回は11月18日(土)に掲載予定です)

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