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2006年11月18日 (土)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(22)「東京大学の概観」

 東京大学のことを赤門と呼ぶのは、前田斉泰が将軍家斉の娘と結婚するに当たり、朱塗りの門を作って迎えたが、この門がその後、東京大学の一つの門として使われ、その歴史的由来と国宝とされる程の立派さから有名となり、東京大学の象徴の一つと見られてきたからである。

 本郷三丁目で地下鉄を降りて本郷通りを進むと、まず赤門に、そして少しの間隔を置いて正門に出合う。赤門は、その周囲のアカデミックな雰囲気とマッチしながら、大学の歴史を今日に伝える役割を果たしている。

 東京大学は、その設立以来、日本の近代史の中心になって歩んだが、1947年(昭和22年)には新制の国立大学として再出発し、この年から女子に対しても門戸が開かれるようになった。

 そして、1949年(昭和24年)には、一高、東京高校を合併して、駒場の一高跡に教育学部が開設された。

 忠犬ハチ公で有名な渋谷から京王井の頭線に乗って、二つ目の駅、駒場東大前で降りるとすぐに、教養学部一号館の時計塔が目に入る。ここは、渋谷から僅かの距離で、私達は、渋谷で遅くまで飲み、道元坂、松涛町を通って構内の一角にある駒場寮まで歩くことがよくあった。

 東京大学は、文科一類、二類、三類、そして理科一類、二類、三類と分かれて試験を受け入学してくるが、これら全ての者が、1年2年の間は、この駒場の教養学部で学ぶのである。

 そして、3年からは、それぞれの専門の学部に進むが、その校舎は、先に触れた赤門のある文京区本郷のキャンパスである。もっとも、教養学部の教養学科だけは、3年、4年も駒場で学ぶわけである。

 各類と専門学部との関係は、大体次の通りである。即ち、文科系では、文科一類の者は法学部に、文科二類の者は経済学部に、そして文科三類の者は文学部と教育学部にそれぞれ進むのである。

 そして、文学部については、更に、第一類・主に哲学、第二類・史学、第三類・語学文学、第四類・心理学と分かれる。第二類の史学は、国史学、東洋史学、西洋史学、考古学等に分かれるが、私は、後に、この中の西洋史に進むことになるのである。

 理科系について説明すると、理科一類の者は主に工学部に、理科二類の者は主に農学部、理学部、薬学部に、そして理科三類の者は医学部に進む。

 この本郷のキャンパスは、西郷さんの在る上野の山から見れば、不忍の池をはさんだ対岸の丘にある。ここには、東大紛争で有名になった安田講堂、そして、三四郎池や銀杏並木などがある。明日の日曜に続きます)

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