« 議員選の記事が始まった | トップページ | 『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(26)「本郷での生活」「割田千鶴子と結婚」 »

2006年11月25日 (土)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(25)「駒場の生活」

 駒場時代の仲間については、思い出が多いが、皆、様々な人生を歩んでいる。秀才と言われながらも、挫折して中退して行った者も何人かいる。弁論の同じ部屋にいた二人の先輩のうち、阿部孝夫さんは自治省の高級官僚をやめて、最近新しくできた北陸大学の法学部教授になったし、松本仁一さんは、朝日新聞のカイロ支局長として活躍している。また、寮外の先輩、伏屋和彦さんは、大蔵省主計局法規課長として大活躍だ。隣のベッドにいた同輩の一人には、戸沢義男君がいて、現在、県立女子大の教授として頑張っている。その他弁論の仲間は、銀行やジャーナリズムで仕事をしている者が多い。

 駒場の弁論部の仲間で、特に親しくなり、また、私が大きな影響を受けた男がいた。それは、弁論部の家久勅男君と言って、初対面の印象は、素っ頓狂で、見るからに型破りの男であった。知識欲が異常に旺盛で、丸い目からも、盛り上がる筋肉からもエネルギーが溢れている感じである。

 私が秘かに観察していると、彼のものの見方が面白い。それは、あらゆることに批判的であり、学生にしては老成(ませ)ていた。<君らはそういう風に観ているが、こういう見方もできるんだよ、こういう論点もあるんだよ>と、問題を分析し、本質をえぐり出してみせる。その手法が私には痛快に見えた。

 彼の目に、私のことは、弁論部にけったいなのが入って来たと映ったらしい。二人は意気投合し、その後はよく行動を共にした。本郷に移ってからは、2年間、狭い、向ヶ岡の寮の部屋で過ごした。

 家久君の本当の凄さは、こんな所にあるのではない。彼は、弁論の仲間が一致して認めるように、一種の天才である。一見して、勉強家に見えないし、事実ガリ勉タイプではない。しかし、成績は、全部「優」で、駒場時代を通しての平均点が85点かそこらであり、文科系ではおそらく一番であった。法学部を卒業する時は、どこか大手の社長に三顧の礼をもって迎えられて、しぶしぶ就職したが、窮屈を感じて、間もなくそこを飛び出し、しばらくは恩師の世話で官庁の外郭団体で働いていたが、この間、学生時代から付き合っていた自慢の彼女と結婚し、子どももできたので落ち着くのかと思っていたら、ある時、電話で北海道の医科大学に入ることにしたので引っ越すからと言ってきた。

 北海道時代は、学習塾をやりながら悠々とやっていたが、卒業後は、郷里の福井県に戻り、福井大学で働くことになった。それからまだそれ程の年数も経たないが、現在、福井大学の助教授として活躍している。

 大変な人情家でもあって、私の妻が死の床であえいでいる時、福井から奥さんとかけつけ、いろいろ力になってくれた。意識が薄れてゆく妻の枕元で<いい女性(ひと)だったのになぁ>と言って、ぽろぽろと涙を落としていた。(明日の日曜日に続きます)

|

« 議員選の記事が始まった | トップページ | 『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(26)「本郷での生活」「割田千鶴子と結婚」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(25)「駒場の生活」:

« 議員選の記事が始まった | トップページ | 『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(26)「本郷での生活」「割田千鶴子と結婚」 »