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2006年11月23日 (木)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(24)「駒場の生活」

 この本館の別の部屋で、私のように毎夜勉強する男がいた。中崎君という同じクラスの人である。もう帰ろうかと隣を覗くとまだ電気がついている。それでは自分ももっと頑張らねば、という気になって机に向かう。

 中崎君は兵庫県の出身であるが、私と仲良くなり、夏休みには前橋へ来たりして、群馬が気に入ったらしい。卒業後も、前橋の私の近くに来ていたが、高崎の女性と知り合い、結婚して上州の住人となった。今、弁護士となり、高崎で、中崎法律事務所をやっているのが彼である。

 駒場時代、思い出に残る勉強といえば、二つのゼミに参加したことである。一つは、玉野井芳郎先生の経済学のゼミ、もう一つは、中屋健一先生の米国史のゼミである。

 中屋先生のゼミは人気があって、なかなか入りづらい。簡単な選考テストがあったと記憶している。仲間の中には、弁論の部屋でベッドを並べている松宮勲君がいた。彼は、現在、通産省で大臣官房審議官として活躍している。

 このゼミは、米国史を原書で読んでアメリカをいろいろ考えるもので、英語を読むのは辛かったが、大変勉強になった。玉野井ゼミでは、ロストウの発展段階説とか、シュンペーターの「資本主義、社会主義、共産主義」などを勉強した。このゼミは難しかったが、新鮮な知的刺激を味わった気がする。

 駒場寮2年目になったとき、私は選ばれて寮委員になった。私の実社会での経験は、寮内の雑事の処理やトラブルの調整の為に役に立ったようである。寮委員の仲間には、いろいろ多彩な人物がいた。群馬で予備校小野池学園をやっている小池隆義君もその一人である。また、現在警察庁で随分偉くなっている兼元君もそうで、私が県会議員になってから陳情で警察庁に行ったら、丁度彼がいて、私の顔を見て驚いた様子であった。

 寮委員仲間で、特に親しくなった人に安田秀士君がいた。私達は、この後間もなく、東大紛争に巻き込まれてゆくが、彼は、その紛争の中、わずかの時間を見つけて辛抱強く勉強し、司法試験にパスしたが、紛争の行き詰まりで、卒業が出来ない破目になった。多くの者は、留年の道を選んだが、安田君は、東大卒の肩書きなどいるもんかと、あっさりと中退して行った。別段力むでも、いきがる風でもなく、日頃の彼の態度からしてそれは自然のことに見えた。

 大した奴だと思っていたが、その後、別れ別れになって長い年月が過ぎた。一昨年であったか、突然、年賀状が届いた。上野の法律事務所に行ってみると、あの時と変わらぬような調子で、ぼそぼそと話す、地味な安田君の姿があった。嬉しかった。

 今年(平成4年)になって来たハガキは、PTA会長の役目を無事終えたという挨拶であった。PTAのお母さん方の意見をいちいち聞いてやり、また、学校側にも、論理を尽くして言うべきことは言って、生真面目に頑張ったのだろう。額の髪をかき上げながら<しかしですよ、それは、ちょっとおかしいのじゃないかなぁ>とよくやっていた寮委員の頃の彼の姿が偲ばれるのである。(次回11月25日(土)に続きます)

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