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2006年11月 3日 (金)

『上州の山河と共に」中村のりお著 連載(17)「東大受験を決意」

連載(17)「東大受験を決意」

この頃、岸内閣に対する反対とは別に、私の中で、東大というものに対する憧れが高まっていた。それまで、学問の最高峰ということで、雲の上の存在として遠くから眺めていた東大であったが、何とか入れないものであろうかと思うようになり、いつしか、よし、挑戦してやろうと思い込むようになっていた。

今から振り返れば、自分のおかれている情況からして全く無謀のことであったが、体力も気力も人生のピークに立つその頃の私には、不可能なことには思えなかったのである。木下藤吉郎が一介の足軽の分際で大望を抱き、勢力的に動き回った様を自分の姿と比べながら、私は意気軒昂であった。

東大への思いは日毎に募るが勉強方法も分らないし、指導者がいるわけでもなかった。煥乎堂で手に入れた確か、石田道夫という人の「東大への道」という本を心をときめかして読んだ。

東大の受験科目は、英語、数学、国語の他、理科二科目、社会二科目の計七科目であった。私は、受験を決意して以来、トイレの中にも、英語や社会の暗記物を置いて頑張った。一つの単語を覚えること、一つの歴史の事柄を頭に入れること、これらの一つ一つが東大への距離を一歩ずつ縮めるのだと思うと勇気が湧き疲れも消えるのであった。

この頃の私の悩みは父との確執であった。父は、私が仕事と共に勉強に打ち込む姿をにがにがしく見ていた。大学に合格する筈はない、仮りに合格したとして学費はどうするのだ、それから、肝心なことは、お前が大学へ行ったらダンゴ屋の商売はどうなるのだというのが父の反対の理由であった。

今から考えると、分別のない少年の思い込みは恐いものだと思う。同じような一途な思い込みが悪もなすし善もなす、そして世人を驚かすようなだいそれた事も仕出かす。

私の性質はどちらかといえば楽観論者である。先のことはきっとどうにかなると思ってやってしまう。東大受験についても、合格すれば、父が心配するようなことは、きっと解決の道が開けると信じていた。

私は、ダンゴを串に刺しながらも、英語の単語を暗記し、配達の時も、自転車の上で、片手に単語帳を握って暗記しながらペダルを踏んだ。今程、自動車交通が激しくない時期であったが、一度、道路に止まっていたトラックに追突したことがあった。

自転車の上で本を読むということは、なかなかの技術を要することである。前後左右に注意を払いながら、揺れ動く小さな字を読み取るのである。こんなことを続ける中、私は、どんな凸凹道であっても、左手に乗せた紙の上の活字を正確に読み取れることが出来るようになった。

私は、人の目を気にしないでいたが、道行く人の目には奇異なことに映ったに違いない。後年、耳にしたことであるが、大渡橋を渡り、大屋敷から山王に至る私の通り道では、自転車に乗っていつも本を読んでいる変わった子どもということで話題になっていたらしい。

当時、東大を出て、早稲田の生産技術研究所に通いながら、夜、前高の定時制で教鞭を取る妙見先生という方がいた。私が東大を受けることに理解を示された方で、<お前、俺の授業の時は、隣の空いた部屋で勉強してよい>、とか、<後の授業がないときは、速く帰って、自分の数学をやれ>、とか言ってくれた。学校の授業内容では、とても受験に対応出来ないと、私は知っていたので、先生の嬉しい指示に従うことにした。

私は、別にいい気になっていたわけではないが、眠い目を擦りながらじっと耐えている仲間の中には、鞄を抱えて出て行く私に反感をいだく者もいたに違いない。

(明日の土曜日に続きます)

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