« 飲酒運転、全てを失う恐怖 | トップページ | 福田康夫先生の表情はすがすがしかった »

2006年10月17日 (火)

交通違反で切符を切られる

 運転中携帯が振動した。待っていた重要な要件に違いないと思った。間もなく振動は停止したが着信番号を知る必要があった。片手でポケットから携帯を取り出して数字を確認した。ちょうどその時、視野の中に白バイにまたがって車の流れを見ている警察官の姿が入った。私は、ハッと気付いた。咎(とが)められたら反論は出来ない。運転中の携帯電話の使用になるに違いない。白バイは静かに私を追い越して、左によって走れと合図した。少し走って道路わきのスペースを見つけて止まる。「おじさん、何の違反だか分っているね」と若い警官は言った。私は腹を決めていたので黙ってうなずいた。免許証の提示を求められ、いくつかのことをきかれ、反則切符を切られ、点数1と罰金6千円が告げられた。灸をすえられ恥じて猛烈に反省した。小さな違反を軽視することが規範意識を麻痺させるのだ。良い勉強になった。運転中携帯がなっても手を伸ばさないと心に誓った。

 ◇福岡県の中二の自殺はやりきれない。私の小中の頃もいろいろな先生がいた。今と違ってある意味でおおらかな時代で、マスコミもうるさくなかったから余計だったと思う。この事件の問題の教諭の様な言動も珍しくなかった。

 この教諭は、「からかいやすかった」と話している。伝えられることからすれば、この教諭には、生徒の心をのぞくデリカシーと人権感覚、そして、子どもたちに対する愛情が欠如していたと思う。生徒の親から相談を受けた内容を漏らした、偽善者にもなれない偽善者と呼んだ、新たな担任にうそをつく子だと申し送りをした、このようなことは信じられない程の重大事である。良いところを見つけて伸ばしてやるという教師の使命感がないと言わざるを得ない。

 なくなった生徒は、クラスのいじめムードに対して、はっきりと抵抗できない性格なのだろう。心の傷は進行していたのだと思う。原因となったクラスのいじめムードに気付かなかった教諭はクラス運営という点でも失格だ。

 このような事件が起きると、必ずマスコミが過剰に反応する。そして、このマスコミに煽られるように学校が動く。今回も同じだ。そのような中で伝わる校長の姿もお粗末に見える。ことの本質が分っていないのではないか。

 今回の事件を見て、自分にも思い当たる点がと感じる教師は案外多いのではないか。他山の石としなければならない。中学の「公民」で人権を教えるが、教師は普段の行動の中で生徒の人権尊重を実践しなければならない。子どもの心に差別感を生じさせる教師の一言は重大である。それは、子どもの心に深い傷を作る。大きな人権侵害だ。反対に、子どもを誉める一言は、子どもの可能性を引き出し、その子にとって一生の宝ともなる。難関の採用試験ではデリカシーの分る先生を選んで欲しい。

(学校の正常化を願って。読者に感謝)

★土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しています。

|

« 飲酒運転、全てを失う恐怖 | トップページ | 福田康夫先生の表情はすがすがしかった »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 交通違反で切符を切られる:

« 飲酒運転、全てを失う恐怖 | トップページ | 福田康夫先生の表情はすがすがしかった »