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2006年10月 4日 (水)

教育長は哲学を語るべきだ

 2日の常任委員会で、私と内山教育長との間で次のようなやりとりがあった。「国を愛する心、郷土を愛する心についてどう考えるか聞きたい」「先ず委員の考えを聞きたい」「質問しているのは私のほうだから教育長が答えるべきだが、では私の考えを述べたい」私は、ここで自分の考えを語った。すると教育長は、「その通りで、私も同じ考えだ」「それでは自分の考えを語ったことにはならない。教育長の考えを聞きたい」これに対し、「それは、歴史的な事実を教えることだと思う」と内山教育長は答えた。これは、国を愛する心を育むための一つの手段には違いないが教育長の哲学は伝わってこない。

 午後、共産党の伊藤氏が別の角度から愛国心をどう考えるかと教育長に質問。「そのような高邁(こうまい)な議論は国ですればよいこと。私は、早寝早起きが最も大切なことで、これをやらせれば良いと思っている。」内山教育長はこのように答えた。

これら二つの発言をどう理解するべきものか。

 私は、「早寝早起き」発言のほうは十分な答えになっていないと思う。早寝早起きは非常に大切なことで、子どもたちに正しい生活習慣と健全な身体・精神を身につけさせる基本であると思う。しかし、そのような大切な意味を持つものであっても、早寝早起きから直ちに国を愛する心や郷土を愛する心が身につくというものではない。私には、正面から答えているとは、どうしても思えないのだ。あるいは質問の本質を受け止めていないのではないか。

 安倍政権が誕生し、教育基本法の改正を重要課題に揚げこの点を中心にして教育改革を断行しようとしている。新たな衝撃波が地方の教育界に押し寄せるに違いない。その波に押し流されることなく、しっかりと地方の教育に取り組むことが今一番求められることである。そのためにも、教育基本法の改正案のなかで一番問題になっている「愛国心」(国を愛する心、郷土を愛する心)について、私たちは議論をしておく必要があるのだ。今の私たちの基盤(憲法)は、一人一人の価値観を尊重する立場である。それは、内心の自由を尊重することに他ならない。だから、権力が、これが愛国心と決めつけたり、上から与えるものであってはならない。国を愛するとか郷土を愛するとかの言葉を使わずに、子どもたちの心に感動を与え、自然に、日本という国、またふるさとに対し深い理解や誇りをもたせる、このことが、国を愛する心や郷土を愛する心を育むことになるのだと思う。教育長が歴史の事実を伝えることが大切と語ったのも同じなのであろう。

 教育長は分かりやすい言葉で哲学を語るべきだ。それは、群馬の教育に関する司令塔のメッセージであり、現場にしっかりとした方針を伝えることになる。現在、くるくる変わる政府の方針に現場は戸惑っている。教育における地方自治を実現するために教育長の熱い決意を語るときではないか。

(群馬の教育改革が進むことを願って。読者に感謝)

★土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」と連載しております。

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