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2006年10月27日 (金)

教育委員会は必要か

 安倍政権の最重要課題として「教育」があげられている。人づくりが最も重要であることは論を待たないことであるが、その人づくりを支える教育の危機が叫ばれる現状を見れば、安倍政権の意気込みはうなづけることである。

 教育の世界の重要課題は多いが、従来は学力の低下が問題となり、最近は、これに加えてにわかにいじめ問題がクローズアップされてきた。そして、このように、難問に囲まれる中で、地方の教育界における教育委員会の存在意義が問われるに至っている。

 教育委員会の形骸化は前から叫ばれていることであるが、政府の「教育再生会議」で改めてこの制度の見直しが議論されている。そのきっかけは、いじめ問題に教委が適切に対応していないのではないかという指摘である。

 本県の教育委員会は知事に任命される六名の委員で構成される。そして、この委員会の下に教委事務局がある。一般の県民は、教育委員の実態を知らない人が多い。多くは、教育委員会事務局のことを教育委員会と受け止めているのである。六名の教育委員が実質的な責任を担わない単なる名誉職であってはならない。世の中に流れる「形骸化」の批判は名誉職的になっていることを憂えている。教育の専門家である必要はないが、教育についての強い信念と高い見識を備えた人でなければならない。

 教育委員会を活性化させるものは、県民の目である。教育委員会の会議を県民が傍聴する事は、その意味で重要である。県議会では、教育委員長が本会議に常時出席するようになった。常任委員会への出席は要請があった場合にということになっているが、この方も、大体出ているようである。このような、県民の目に耐えられる人が教育委員になることが教育委員会を活性化させる第一歩なのだ。

 「いじめ」を初めとする深刻な問題に対応できない教委の姿にやきもきしてか、政府内には、教育委員会の廃止論も出ている。この廃止論に伴う危険性は、「教委で解決できないなら政府が介入せざるを得ない」という考え方に現われている。教委の役割は、教育における地方分権の実現である。地方の教育は、地方の自主性に基づいて行われなければならない。だから、地方の自主性を担うための教委が駄目だから、政府の介入をというのは、本末転倒なのだ。

 教委がその原点に立って役割を果たすために重要なことは、教育の現場を良く知って、現場の自主性を尊重することである。そして、現場の活力を引き出すことの出来る教委であって欲しい。私が言う県民の目とは、そのような教委を育てる視線のことである。

 ◇連日のように少年の難しい事件が起きている。奈良県の医師の16歳の長男が起こした放火殺人事件で、検察は成人と同じで刑事裁判を受けさせるべきだと主張したが、地裁は26日保護処分を決定した。少年の事件の行方を見守って行きたいと思う。

(教育委員会の活性化を願って。読者に感謝)

★土・日、祝日は以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しております。

11月10日、グリードームで、面白い集いがあります。読者の参加を期待しております。

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