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2006年10月29日 (日)

『上州の山河と共に」中村のりお著 連載(16)「だんご屋になる」「東大受験を決意」

連載(16)「だんご屋になる」「東大受験を決意」

一つ一つ糸で切っていては埒(らち)があかない。そこで私は一つの道具を考案した。20センチ程の高さの板の囲いをつくり、その上に等間隔に細い針金を張って、その上に前記の粳粉(しんこ)の細長い棒を乗せ、これを上から手で押すと、一度に230個のダンゴの玉が切られて下に落ちる仕組みである。

串に刺す方も手仕事であった。これは、近所の子ども達やおばさん達を1時間、いくらときめて、朝の12時間、作業してもらった。

今は弟の賢三が家業を継いで頑張っているが、そこではこのような作業は、全て機械がやり、粳粉(しんこ)を入れれば、ダンゴは串に刺さって、人の手の何人分もの速さで、次から次へと、飛び出してくる。私は、時々弟の工場で、機械から送り出されるダンゴを見ながら、昔の手作りの光景を思い出すのである。

私の家は、ダンゴのお陰でやっと御飯が食べられるようになった。ダンゴ屋が繁盛することは、一家にとって大変嬉しいことであったが、私の心は複雑であった。今まで煎餅が売れないときは、こんな商売をいつ迄していても仕方がない、勉強をして、いつかこの境遇から抜け出さなければと思って、私は寸暇を見つけて勉強に心懸けていた。大学に進めるかどうかは漠然としていたが、チャンスがあれば、大学へ行きたい、その時のために少しでも実力をつけておこう、という考えであった。

ところが、ダンゴの売れ行きが良くなると、父や母も、当然のことながら、商売として、これを大きく伸ばしたいと考え、私がその方向で一層努力することを期待するわけである。

私はジレンマに陥った。このまま商売に徹して商人として大成する道を取るべきか、それとも、もっともっと勉強し、夢を求めて未知の世界に飛び込むべきか。

勉強を捨てて自分の全知全能を商売に注いだなら大金を手にすることは、それほど難しくない現実的な目標と思えた。しかし、私の中で脈々と流れているものは、目先の現実よりも、未来の夢に私を駆り立てるのであった。

宮城村の山野で耐えられた体力や気力、福島浩や、上野和仁等と歴史上の人物につき語り合うなかで憧れ、育てた理想像、これらは極貧の生活の中にあっても、心までも泥沼につかることのないように私を支える力であった。

「東大受験を決意」

この頃、世相は騒然として、社会の底辺に生きる私達にとっても刺激的な政治的社会的出来事が次々に起きていた。昭和34年は岸内閣の時代であり、安保の時代の始まりであった。

安保反対闘争の中心として連日新聞テレビを沸かす全学連の動きは私の目には社会正義に燃える若者の叫びと映った。その中心は東大の学生達であった。

35年には、この安保闘争の中で東大生樺美智子が死亡し、数千の学生による抗議集会が国会構内で行われる。安保条約の中身がよく分からないまま、私は平田宏と、岸内閣はけしからん、ということを盛んに議論し血をたぎらせた。

(次回は11月3日(金)祝日に掲載予定です)

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