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2006年10月15日 (日)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(12)「元総社時代」

連載第12回「元総社時代」
 何の感慨もなく、ただ一つの重苦しいトンネルを通過するような気持で、私は中学を卒業した。今から思えば、進路については、いろいろ選択が可能であったと思うが、当時の私は、病弱の父の後を継いで家業に専念することを当然のことと考えていた。
 私は、煎餅をつくる仕事に専念することになった。近くの農家にコメを買いに行き、それを製粉し、煎餅を焼いて街に卸しに行く。一つ一つの仕事は辛くはないが、私には夢も希望もないつまらないことに思えた。しかし、食べるための仕事とはそうゆうものだから、仕方がないのだと自分に言い聞かせることにした。
 中学を卒業してからは、父にかわって、近くの農家によく煎餅の原料である米を買いに行った。当時、1升(約1.4キロ)が確か、108円位だったと記憶している。手焼きせんべいは、小売価格が4枚10円で、卸し値は1枚1円80銭であった。煎餅というのは、作るのに長い工程がかかるわりに利益が薄く、その上、売れゆきもよくなかった。なんでこんな割の悪い仕事をしているのだろう、と私はいつも疑問に思っていた。
 仕事そのものは、少しも辛くない。私が辛いと思うのは、町で仕事をしているとき、中学時代の仲間に出会うことであった。古びた自転車に煎餅のカンを積んでペダルを踏んでいると、かつて、一緒に学んでいた者達が、高校生となって、颯爽と歩いている。女子学生の制服が、又男子学生の制帽が、私には、きらきらと輝いて見え、また大変羨ましかった。向こうからかつての同級生が来るのが見えると、私は、ほとんど無意識にハンドルを切って横道へ入ったりする。そして、そんな自分が惨めで嫌だった。
 昭和31年といえば、敗戦から10年を経て、戦後という状態から抜け出しつつある時代であった。時代の潮流は混乱から秩序へ向いつつも、古いものにかわって新しいものがどんどん生まれ、社会は、なお激しく揺れ動いている感じであった。当時は鳩山内閣で、この年、日ソの国交が回復し、日本の国際連合加盟が実現する。
 社会風俗の面で印象的なのは、この年、売春防止法が成立し公布されたことである。前橋市の馬場川の近くに亀屋という菓子屋があり、中学生時代から、煎餅を卸しに行っていたが、夕方になると、そのあたりのあちこちで、お白いを厚く塗った女の人が道行く男に声をかけている風景をよく見た。私は煎餅を数えながら、好奇の目で、女たちの仕草、男たちの反応を眺めたことが思い出される。そして、この年、昭和31年から、この光景はぴったり見られなくなった。
 また、石原慎太郎の小説「太陽の季節」が映画化されたのもこの年である。私は、この映画、次いで、やはり石原慎太郎原作の「狂った果実」を見てショックを受けたことを覚えている。
 激しい社会の動き、そこで起きる毎日の様々な出来事は、私を刺激した。私はやり場のないエネルギーを持て余し、あせり、苦しんだ。俺は煎餅を焼いて一生を終るのだろうか。宮城村の少年時代、いろいろな歴史小説を読んで、自分も将来は頑張って偉い人になろうと夢に描いたことは現実の壁にぶつかってシャボン玉のように消えてしまうのだろうか。
人間は、こんなにも現実に縛られてしまう弱い存在なのか、こんな悩みがいつも私の上に重くのしかかっていた。(次回は10月21日(土)に掲載予定です)

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