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2006年10月14日 (土)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(11)「元総社時代」

連載第11回「元総社時代」
  私が中学生になって、ある日のこと、父が突然苦しみ出した。
「殺してくれ、殺してくれ」胸をかきむしるようにして叫ぶ。母はなす術(すべ)を知らず狼狽(うろた)えて、近所に向って外聞もなく叫んでいた。
「助けて下さい。どなたか助けて下さい」
私は必死の思いで医者を探してつれて来た。父は注射一本で静かになったが、その、のたうちまわるようすは、これが地獄の苦しみかと思われる程で、本当に死んでしまうかと思った。医師によれば、心臓喘息という病気で、これからも起きるだろう。無理は出来ない、ということであった。
 この医師の言った通り、父は、これから時々、特に寒い季節のとき、このような地獄の苦しみを味わうことになる。父の病気については、その後、現在、県医師会の理事をされておられる佐藤秀先生に大変お世話になった。
 私が一番辛く思ったことは、いかにもみすぼらしい家の前を大勢の友人達に通られることであった。当時、元総社中学校は理研の跡地の一角で、現在の元南小の所にあった。一年に何度か全生徒が小学校との間を往き来することがあり、その時は必ず家の前を通る。<あれが中村の家だ><へぇー>そんな声が聞こえ、私は見も縮む思いであった。
 こんな状態であるから、高校進学も諦め、なかば自棄(やけ)っぱちの気持ちであった。付き合う友達も勉強よりはいたずらという連中が多かった。勉強組の中では、石井俊美と心を許して仲良くした位であった。
 この頃の楽しみの一つにプロレスがあった。一般の家ではテレビはまだ殆どなく、私達は、前橋公園の一角に設置されたテレビや新聞販売店のテレビに押しかけて、その興奮ぶりは大変なものであった。力道山、ルーテーズ、シャープ兄弟、クルスカンプ、オルテガ、ダラシン、キングコングと、当時の懐かしい面々が目に浮かぶ。
 とにかく、力道山は英雄だった。私達の世代は、白人、特にアメリカ人にはある種のコンプレックスを持っているが、その大きなアメリカ人をカラテチョップでぶっ倒すというのが、堪らない程痛快だった。学校でもプロレスごっこが流行ったりして、学校から、絶対に真似をしないようにと注意されたりした。
 正月には、もう一つ楽しみがあった。それは、福島浩と芝基紘が必ず遊びに来てくれたことである。惨めな生活ぶりを知られることは嫌であったが、彼らに会うのは涙が出る程嬉しかった。しかし、彼らも、3年の正月には来なかった。その頃、彼らは、私が諦めていた高校受験に、山間僻地の不利な条件と闘いながら、真剣に取り組んでいたのである。
 中学時代の先生では、大館光子先生のことが今でも心に残っている。先生方に対し心を閉ざし、あるいは避けていた私であったが、国語の先生である大舘先生とは、読書や作文という接点を通して心を通わせて頂いたと感謝している。助動詞の接続関係など、細かいことを覚えることができ、大学受験の時大変役に立ったのである。
(明日の日曜日に続きます)

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