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2006年9月30日 (土)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(6)「小学生時代」

6回「小学生時代」

 昭和22年、私は、鼻毛石の宮城村小学校に入学する。入学した時の感動は忘れられない。新しく買ってもらったゴム靴を履き、厚手のズックのような布で出来たランドセルを背負って夢中であった。

 しばらく山の中にいて人が恋しいという気持ちがあったのだろう。意味もないのに隣の仲間をつっついたり、相撲をとったり、けんかをしたりの楽しい毎日が始まったのである。

 小学校一年のときの茶色に変色した一枚の写真がある。この写真を見ると、いろいろなものが込み上げ胸が熱くなる。20歳(はたち)を過ぎた娘のゆりが、

「エー、これがお父さん」と素っ頓狂な声を上げる。

「まるでベトナムかアフリカのどこかの国の子どもみたい」ベトナムやアフリカの人々には、おこられるかも知れないが、娘がそんな風に受けとるのも無理はない。女の子は、着物を着て、ひもをしめているような子もいるし、男も粗末な服を着て、泥だらけのジャガ芋のような顔を並べている。あれから40数年が過ぎたわけであるが、この写真は、世界の経済大国となった今日の日本も、戦後は、ここから出発したのだというその原点を示しているともいえる。

 ノートはなく、ランドセルに入るくらいの石板が支給された。国語の教科書の最初は今でも覚えている。

   おはなを かざる、

     みんな いい こ。

     きれいな ことば、

     みんな いい こ。

     なかよし こよし、

     みんな いい こ。

いまは、白髪やしわが増え、相当にすれたりすねたりしている猛者(もさ)たちが、女の先生の口もとをみつめ、「おはなをかざる、みんないいこ」と声を合わせていた姿がしのばれる。

今思えば、前年の昭和21年に新しい憲法が公布され、学校に関することはすべて変わったのであった。

私が使ったのは、この憲法の民主主義の精神に基づいて新しく編集された国定教科書であった。それ迄の小学一年の初めの文には、従来の日本精神を象徴するような、ハタ、サクラ、アサヒ、という言葉が使われていたらしい。また新憲法で、ひらがなが使われたこともあり、国語教科書の最初の文もひらがなとなった。

この「おはなをかざる」の詩を、今、改めて口ずさんでみると、ほのぼのとした明るい社会の息吹のようなものが感じられる。この詩は、新生の民主主義の社会で初めて教育を受けようとする私達の門出を祝うにふさわしいものであったと思われる。(明日の日曜日に続きます)

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2006年9月29日 (金)

一般質問は、三日目で、最後

 5人の自民党議員が、各60分質問に立った。皆、熱の入った良い質問で、なかなかの名優振りであった。県政史上まれといわれるほどの激戦が予想される県議選が事実上進行している。そのような状況下、本会議がGTVによって生放送されるのだ。議員にとっては、絶好のPRの場であると同時に、無数の厳しい審査の目に晒される場面でもある。全ての質問者は、有権者を前にした演説会以上に神経を使いエネルギーを注いだのではないか。

 注目した質問の部分を拾ってみる。須藤氏は、①指導力不足教師の認定状況 ②県職員及び教職員の精神疾患対策について取り上げた。①については、他県に比べ本県の認定数が非常に少ないというのだ。ちなみに、平成17年、三重県や千葉県では、20人以上認定をしているのに群馬は2人であった。実態はこんなものではないだろうと追求。

 ②については、職員、教員の長期休職者のうち、精神疾患者の割合が年々高くなっている。中でもその割合は教師において高いという。内山教育長は、教師はさまざまな難しい問題を抱えストレスが多いと説明していた。

 碓氷郡出身の岩井議員は、サル、イノシシ、クマなどによる被害が拡大しているが農家を守るために捕獲に力を入れるべきだと主張した。担当理事の答弁の中で面白いと思ったことはサルの対策だ。サルの捕獲は慎重にやらないと群れを分裂させ、結果として繁殖数を増やすというのだ。山の動物の世界にもいろいろ変化が起きているらしい。

 一期の新井議員は演壇につくと傍聴席を見上げながら、今私の後援者が前の人と入れ替わっているからちょっと待ってくださいと、議長に求めた。彼は、新任の折田県警本部長に治安対策の決意を聞いた。本県の犯罪の発生件数はこのところ大きく減っているが人口10万人当たりの犯罪率は全国9位にある。発生する犯罪の内容も県民に身近な犯罪などが増えている、本件の犯罪を減らすための決意を聞きたいと迫った。

 しんがりをつとめた真下議員は、地球温暖化対策につき身近な例をひきながら興味ある追求の仕方をしていた。真下さんのあげる例は次のようなもの。庁内は28℃であつい、自民党控え室は扇風機を何台かつって耐えているのに、知事と予算折衝した部屋は寒い程だったこと、また、8月15日の慰霊祭のとき黒い車が何台も止まっていて注意していたら帰るときまで皆エンジンをかけていたこと、その他いろいろあげていたが言わんとすることは、地球温暖化は非常に深刻なのに、多くの人は、自分一人位とか、年配の人は俺の生きているうちは影響ないと考えている、こういう一般の人の意識を変えなければならないということである。そして、手本を示すために、知事は率先して低公害車に乗るべきだと提案した。

 3日間の本会議におけるその他の主要な質問は、また、おいおい日記で触れるつもりだ。10月2日からは、常任委員会、特別委員会が始まる。引き続き注目して頂きたい。

 (テレビ放映を通して、県議会に多くの関心が集まることを願って。読者に感謝)

★土日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」と掲載いたします

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2006年9月28日 (木)

議案調査、初校の検討、ある出会い

「議長日記」が本になる。上毛新聞に奨められ、作業を進めていたが初校が出てその検討会を昼休みにした。読み易いように、手頃な分量にして第一巻、第二巻として出す。各巻の表紙は、画家の茂木紘一氏、と「望郷の叫び」の表紙を描いたアマチュアの反町隆子さんがそれぞれ受け持って、「県庁舎と議会棟」を別の角度から扱った楽しい絵が出来た。朱の入ったページをたどると、議長時代の生々しい緊張感が甦る。県政を振り返る一つの資料として多少の役割を果たせるかもしれない。産まれてくる自分の子どもとの出会いを待つような気持ちになった。

◆夕陽がしずみかけた頃、滝窪町のある家を訪ねた。合併で前橋市になったところである。通りがかりの全く未知のお宅であったが現れた年配の女性は私のことを知っていて上がっていきませんかと言う。このような時、私はよいチャンスとばかり図々しく上がり込むことにしている。過去には食事時のことで、すすめられるままにご飯をご馳走になったこともある。このような時、短い時間ではあるが、楽しく語り合うことは、お互いに忘れられない思い出になるもので、それがきっかけとなって必ず支援者になってくれるものだ。

 この日は特別の出会いが待ち受けていた。居間に通されると謹厳実直そうな主人が暗い表情をして座っておりそのそばで孫の女の子が玩具を相手に無心に戯れている。世間話をするうちに、女性は、お父さんは身体の具合が悪いと言い出した。どこですかと聞くとこの主人は、大腸がんで肝臓に転移した、抗がん剤は副作用が酷いので使わない、今、身体に効く温泉を探しているが評判のところは予約が取れないし源泉のところも分からないと言い、集めた女性週刊誌やパンフレットなどの厚い資料を指さした。そして、山梨県の増富温泉が良いらしいがとぽつりと言った。

 私が捜してみましょうと、私はケータイで、104を押し、増富温泉の観光案内を聞き出し、TELしたが午後4時半までということでダメ、北杜市の市役所につなぐと観光課の職員が出て、事情を話すと親切にラジューム温泉の元湯を教えてくれた。御主人と短く打合せし、教えられた元湯何何館にTELすると、同じような客の予約で一杯だが市の紹介ならばということでよい部屋を都合してくれた。10月11日から10日間とういうことで予約が成立した。ケータイを押す私の手元をじっと射るような眼差しで見詰める主人の顔を見て、生と死に直面した人間の心の厳しさを感じた。

「これも何かのご縁だと思います。温泉につかって心をリフレッシュして頑張ってください」わたしは、こう言って真っ暗になった外に出た。

 私は、昔、妻が末期の癌を宣告された時、京都の大学に談判してインターフェロンを送ってもらったりぎりぎりの行動をしたことを思い出した。自分の命の火を真剣に見詰める人に接し私は謙虚な気持ちになった。戦い抜いて欲しいと願った。

(癌と闘う人々の回復を願って。読者に感謝)

★土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を掲載いたします。

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2006年9月27日 (水)

私の質問は70分、妻と事務員も傍聴

 70分は短かった。教育行政に多くの時間を当てたから質問の相手は主に教育長だった。議論が十分にかみ合ったとは言えず不満が残る。かみ合わない理由は、あらかじめ部下に作らせた答弁が、その場の私の生の質問にぴったりと対応していないためかもしれない。

 質問の中に、なぜ、県外調査に参加しなかったかというのがあった。今月、12日~14日にかけて行われた、兵庫、滋賀、広島三県の調査に、教育委員会は、議会から要請したにもかかわらず参加しなかったのである。内山教育長は、調査先などを検討して必要があれば参加するという方針なのだとこたえた。

 この答弁からすれば、今回の県外調査は、事前に検討した結果必要がないから参加しなかったということになる。しかし、このような考えは、議会と力を合わせてよい教育を模索しようという立場からは納得できない。

 他の県の教育に関する取り組みの実態に接するという体験を、議員と執行部が共有することに意義がある。群馬の教育のために他県の対策を参考にするとき、共通の認識が議論を実りあるものにするからである。

 教育委員会は参加しなかったが警察は2名が参加した。暴力のまちといわれた広島県が暴力団対策に真剣に取り組んでいる様は、大変参考になった。説明する職員の決意を肌で感じたが、これなど、その場にいないと実感できないことだ。

 私の属する委員会は、「文教警察」であるが、他の委員会の調査にも、執行部が参加しなくなったことには、別の理由があると思う。それは、県費を無駄に使ったとして、市民団体から訴えられたことである。訴訟は決着が付かない部分もあるが、反省するべき点は改めやるべきことは萎縮しないで実行しなければならない。現に、私たちの行動も、かなりハードなスケジュールをこなしながら、ビジネスホテルに泊まり、食事は近くの食堂などで他の市民に混じって食べた。執行部の姿勢には、「あつものに懲りてなますを吹く」の感じがある。

 議会改革が進められるようになって、私のことは別にして、議員の質問は確実にレベルが上がったと思う。自分で勉強して実態を汲み上げている様子がうかがえるのだ。選挙で選ばれ、有権者と常に結ばれているという議員の立場を、最大限生かすように努めねばならない。

 知事の答弁は、自分の言葉で真剣に答えている様子がうかがえるが、理事の答弁には、用意されたものをそのまま表現していると思われることがよくある。そのため、「一問一答」になり議員の質問が、形通りでなくなったことに柔軟に対応していないことが感じられる。金子一郎氏の森林に関する質問はよかったと思う。妻が二人の事務員と傍聴に来ていた。妻の評価はいつも厳しいのである。

 (議会改革が実りを結ぶことを願って。読者に感謝)

★土日・祝日は、以前からのご希望により「上州の山河と共に」を連載いたします。

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2006年9月26日 (火)

本会議一般質問が始まった(25日)

 この日の質問は3人が行った。自民党の安楽岡、フォーラムの黒沢、共産党の伊藤の各氏である。皆、熱のこもった真剣勝負をしていた。

 安楽岡氏は、太田の群馬国際アカデミーの問題(私学に助成金を出す、出さない)に多くの時間をかけていた。しかし、二人のやりとりはどこまでも平行線。その中で、全員協議会に知事が出席しない理由をただす場面があって私の名前が出た。中村前議長の時、出席につきよく話し合って共通の認識が出来ているのではないかというのだ。しかし、知事は、それには触れず、全員協議会は公式の会議ではなく、そこでの発言は責任を伴わないものだから出てもあまり意味がない、本会議で議論すべきだと主張した。

 この点については、私が議長の時、長い時間をかけて議論したのだ。私は、公式の会議でないからこそ形式にこだわらず、自由に発言できる利点がある、そこでの発言に責任が伴わないということはない、と主張した。結局、あの時知事は全員協議会に出席したが今回は、頑(かたく)なに出席を拒否したのだった。

 知事とのやりとりの光景は、否応無しに来年の知事選につながっていると私は思った。なぜなら、多くの県民は、テレビで放映されるこの様子を、知事選をイメージしながら見ているに違いないからだ。

 共産党は、知事選のことを正面から取り上げた。まず、敬老の日に慶祝で訪問する高齢者の範囲を従来よりずっと増やし、記念品を渡す時必ず小寺さんからですよと言葉を添えるよう指示したとされる点だ。多くの県職員が分担して動いたのである。知事は、選挙目的であることを強く否定した。誰かが陰で画策しているのだと、つぶやく声がしたが、選挙戦が近づいて熱くなるとそんなことも有り得ることだろう。

 また、各地の子ども育成会が知事選の推薦を始めたことも追求した。知事は、選挙との関わりを強く否定していたが、子ども育成会の方が、勝手にそのような動きをしているのだろう。そのこと自体が問題だ。

 とにかく、知事選のことが議会でも熱く感じられるようになってきたのが9月議会の特色である。これから来年にかけてこの動きは一層強まるだろう。最高の権力者である知事の下へは、あらゆる団体がすり寄っていく傾向がある。特に何らかの形で県から助成金などをもらっている団体がそのような動きをすることが容易に想像される。今は、目立った動きはぼちぼちだが、これから加速する可能性がある。

◆今日(26日)は、いよいよ私の出番だ。朝4時に起きて、この日記を書く。質問項目の中で、中心は教育行政だが、少子化対策も重要テーマである。夫の協力が一つのポイントだという。昔は、妻の出産のとき飲んでいたという人もいたというが、今のパパは半数が出産の現場に立ち会うらしい。そこで男の育児休業取得が重要だが、県職員では、これまでに11人が「育休」を取った。男の「育休」についても触れようと思う。

9月議会の成功を願って。読者に感謝)

★土日祝日は以前からご希望の寄せられていた「上州の山河と共に」を掲載いたします。

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2006年9月25日 (月)

本会議質問の構想を練る

 私の質問は26日のトップ、午前10時に始まる。応答は、議長席と議員席の間に置かれた対面演壇を使うが、議員の一回目の発言に限って議長席の前の既存の演壇で行うことが出来る。

 私は、このルールを利用して、私の質問の基礎となっている考えを先ず述べるつもりだ。当日の状況は、GTVで生中継されるが、次のようなものになるだろう。「激変の時代、そして、さまざまな難問が山積みする時代にあって、地方を支える私たちが、足を踏ん張って、その役割を果たす、これが地方分権の要点であります。

全国の地方議会が産みの苦しみを味わっています。私たちも避けて通ることは出来ません。そのために、私たちの意識改革と共に議会改革がなされてきました。

 その一つが一問一答の応答の形式であります。この新しい器に何を盛るか、また、この器をどのように生かすか、これが重要な課題であります。

 このような問題意識で、わたしは、この度質問を致します。主な質問項目は、教育行政、少子化対策、県立病院対策等であります。

 質問は、実態を踏まえねばならぬと考え、教育行政については、多くの中学に頼んでアンケート調査をしました。2~3の質問は、この調査を踏まえたものです。

 議会と執行部との間には緊張関係がありますが、これを、県民のためという大局的見地から生かさねばならないと考えます。以下、この見地から順次質問いたします」

 私の持ち時間は、答弁の時間も含めて70分である。テレビで生中継されるということは、200万県民のために傍聴席が設けられたともいえること。この制度の実現に関し、議長であった当時の私と高木副知事の間で、議論したことが思い出される。

◇「小学校の同級生と墓を回る」(24日)

  旧宮城村の同級生たちは、毎年、彼岸にあつまって亡くなった友の墓を回る。今年は、私も参加した。十数名の一行は、鼻毛石町、柏倉町、市ノ関町、苗ヶ島町、大前田町の各町に散在する墓地をおよそ2時間かけて回り、線香を焚いて手を合わせた。

 私が昔、裸足で歩いた通学路の土手の奥にひっそりと佇(たたず)む墓もあった。不幸な死に方をした人の墓がいくつかあった。死ななくも良かったのにと思うが、本人とすれば乗り越えられない心理に陥っていたのであろう。

同級生の墓を大勢で毎年墓参りするのは珍しいことだと思う。参加して、これは、亡くなった友の人生を考えると共に自分の人生を考える良い機会なのだと思った。「一番最後になるのは誰だろうね」一人の女性が手を合わせながら言った。

(実りある9月議会になることを願って。読者に感謝)

★土日は、以前からご希望が寄せられていたので、「上州の山河と共に」と連載いたします。

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2006年9月24日 (日)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(5)「宮城村で開墾生活」

私は頭の上で回っているヒコーキがどうしても欲しかった。母は、そんな高いものは駄目だという。結局買ってもらえなかった私は、がっかりすると同時に腹を立て、帰り道、石のように口をきかない。そして、とうとう例の坂のところ迄やって来た。時刻は、早くも、夕日が傾く頃になっていた。この坂には、実は、これと平行した、細い道があった。本道は、赤土が深くえぐれた馬も車を引いて通れる道であるが、もう一本は、高い所を人間が一人通る位の細い道である。

母が広い坂道に入ってゆくのを見て、私は上の細い道に入っていった。坂に入ると、時たま、ほほにポツリと、当たるものがあったが、やがて、本降りとなり、そのうち、雷鳴をまじえたすごいどしゃ降りとなった。低い道は、このような時、回りから流れ込む水がいっしょになって、膝にも届くほどになり、水流は子どもを押し流さんばかりになる。私は子どもながらに、とっさに思った。母が心配して探しているに違いないと。その通りであった。母は自分の来た道を私が下から登ってくると思い、濁流の流れる方向を伺うが見えないので、「紀雄!、紀雄!」と叫びながら、水の中を、必死で足を踏ん張りながら坂を下ろうとしていた。私は夢中になって、崖の上から水の中へ飛び降り母を捜す。上流に走ったが見えない。下の方で探しているのか、この水流に押し流されてしまったか。後悔の念が、一瞬頭の中を走る。にわかに暗くなった空間を引き裂くように稲妻が走り、流れは、増々激しくなった。私は気狂いのように、「お母ちゃん、お母ちゃん!」と叫びながら下流へ走る。しかし、流れに足を取られそうになり、思うように走れない。ゆるいカーブを曲がると雨の幕を通してぼんやりと人影らしいものが見える。私が流されたかと、必死で捜す母であった。私は、「お母ちゃん、勘弁して」と、夢中で母に抱きついていた。

若かった母も、もう77歳になった。すっかり老いた母を見て、私は、時々、昔のこの場面を思い出すのである。

冬は寒さと共に風がすごい。掘立小屋には、まだ、雨戸もなく、かわりに、上からシートを垂らしていたことがあった。ごうごうと、風はうなりを上げている。父は、何かの用で、その日は帰りが遅い。親子3人、ランプを消してじっと布団にもぐっていると、強い風はシートを巻き上げて屋根に叩きつける。シートは、下に落ちたり、舞い上がったり繰り返している。親子三人は生きた心地もなく、暗い布団の中で抱き合っていた。待ちくたびれたころ、いつものように、父の咳払いが聞こえた。あの時の嬉しさは、たとえようのないものであった。地獄に仏とは、あのようなことを言うのだろう。

このような山の生活が2年近く続いた。それ以上続けることは、無理なことであったろう。それに、私の小学校入学が近づいており、山奥から小学校へ通うのは大変ということもあって、ついに開墾生活に見切りをつけ、すぐ下の部落、落合と言う所に移ることになった。現在、柏倉の一番北の方に、「大崎の釣堀」があるが、その近くである。

次回は930日(土)に掲載予定です

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2006年9月23日 (土)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(4)「宮城村で開墾生活」

第4回 「宮城村で開墾生活」

昭和20年の秋、私達家族は、勢多郡宮城村柏倉(現:前橋市柏倉町)の最北の地大倉山という所で開墾生活に入った。妹の恭子が生まれたばかりで、一家4人であった。各地からいろいろな人が入植する予定であったらしいが、実際、掘立小屋を建てて済み始めたのは、東京の新小岩からやって来た画家の池田さん、前橋の百軒町から登った小池さん、それと私達の三軒であった。

小川の流れる沢のどん詰まりの低い斜面を削って掘立小屋が建てられた。小川はそこの小石の一つ一つが見え、足を入れると夏でも痛いほど冷たかった。石を動かすと小さな蟹がいくらでもとれ、また、水面を覆って、川菜がいっぱいはえている。ぐみや山栗やあけび、そして、きのこと珍しいものがいっぱいで、私は、さすがお父さん、よい所へ連れてきてくれたと喜んだ。

しかし、それは初めのうちだけで、すぐに開墾生活の厳しさをいやという程味わうことになった。篠を刈って、唐鍬でおこし、土をふるい落として、篠の株を取り除く。父母のそばで、掘り起こした株を運び出したり、妹の世話をするのが、私の仕事であった。

苦労して作った薩摩芋を収穫することは大きな喜びであったが、毎日、御飯のかわりに食べさせられ、しまいには、薩摩芋の上にぽろぽろ涙を流し、薩摩芋を見るのも嫌になった。

私は時々、下の部落に味噌や醤油を買いに、行かされた。

「お金を落とさないように。蛇に追われたら真直に走って急に横へ曲がって逃げるんだよ。」などと母親に注意されて出かける。長い道のり、山道を歩いてゆくと、本当に、私の背丈よりずっと長い青大将によく出会った。急傾斜の道は、雨のたびに赤土が流されて、道の両側は私の背よりも高い崖になっている。ここで、夕立にでも会うと、道は、濁流が音を立て滝となって流れる川に一変する。私には、蛇よりも、こちらの方がこわかった。

この坂道については懐かしい思い出がある。ある日、母は、虫歯の治療で前橋まで行くことになった。治療を受けている間、妹の恭子をみておくれと言われ、私はいっしょに出かけた。朝早く家を出て、大胡迄歩き、そこから前橋迄電車に乗る。

私を連れて行くと母は大変便利であった。改札口が開くと、大人たちの間をリスのようにかいくぐって、電車に飛び込み座席を確保するのが私の役目であった。

その日も、私は小さな胸に、秘かに期するところがあって、一生懸命働いた。治療中も妹をよくあやして面倒を見た。帰りに今井の玩具屋に立寄った迄はよかったのである。(明日の日曜日に続く)

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2006年9月22日 (金)

前橋税務署を訪ね、税務広報官と租税教育について話す

 実は、昨年、議長の時、私は、前橋税務署の特別調査官の調査を受けたのである。その時、調査官と租税教育について話し合い、感じることがあった。今回は、その時に抱いた問題意識をもって、私の調査目的で訪れたのである。アポイントをとった広報官は2階の総務課にいる。階段を上ると、壁に、中学生が応募した納税の標語が貼られている。いくつかをメモした。

 税金は僕らの未来つなぐ橋

  税金はみんなの保障未来の希望

 税金は豊かな社会の入場料

 税金は未来を照らす道しるべ

これらを見て、なかなか考えているなと思った。広報官の話では、租税教室を行った学校からは、良い作品が生まれるという。

私は、税務署が中心となって行っている租税教室の実態を調査した。そして、有益な資料を頂いた。これを使って、今回の議会の常任委員会で発言する予定である。

租税教育にはどのような意義があるか。私は民主主義を理解させるために非常に重要なことだと考える。日本人は、納税者意識が低いといわれている。そして、税は、「取られるもの」という悪いイメージをもっている人が多い。

標語にあるように、今日の社会は税によって成り立っている。政治の主人公である人々は、納税者としての自覚があれば、税の使われ方に関心を持つのが当然である。そして、税の使い方を決めるのは政治であるから政治に関心を持ち参加することになるはずである。全ての人々が政治に関心を持ってこれに参加することが民主主義の理想であることを考えると、税の意義を理解し、納税者としての自覚を持つことは、民主主義を支える「公民」として不可欠の要素なのだ。将来社会を支える小・中の生徒に税を教える意義は大きいが、特に、中学生に、「公民」の教科の中で、民主主義と結びつけて教えて欲しいと思う。

9月議会で取り上げたいことの一つに少子化対策がある。1.25の衝撃をどのように受け止めるかということだ。特殊出生率が減り続ける中で、上昇しているところがある。福井県そして、長野県の下條村だ。何が原因か学ぶ必要がある。

 県全体が、赤ちゃんを増やすための気運を盛り上げることが重要だと思う。そのために「子どもを育てるなら群馬県」というこれまで掲げてきたスローガンを生かすことが有効ではないか。並行して市町村の特色ある取り組みを県が支援すべきだ。群馬県内各地に「下條村」を作り出せたら素晴しい。

 各種の調査では夫が育児休業をとることが第2子、第3子をつくる際の重要なカギになるという。県職員では、これまでに男子の「育休」は11人だという。県は、この動きを支援し民間に波及させるべきだ。最近、赤ちゃんの出生数が増えたという。この朗報を一時的なものにしてはならない。新しい生命を尊重する社会を築かねばならない。こんな意識で質問を考えている。9月議会の充実を願って。読者に感謝)

★土・日・祝日は以前からご希望が寄せられていたので「上州の山河と共に」を連載いたします。

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2006年9月21日 (木)

総裁選の開票に立ち会う

 県連の3階には、各種の作業が行われるテーブルが配置され、多くの人が役割に応じてそれぞれのテーブルに着いた。開被分類係、点検確認係、計数機係、結束係、という風に。そして作業の終着点に三つのテーブルが置かれている。それぞれ、安倍票、谷垣票、麻生票が集められる机である。ここには、開票立会人の県議が二人づつ座る。私は、矢口県議と共に麻生票の机についた。

 12時に開票作業がスタートした。遠くにある票の山が私の前のテーブルまで来て、100票の束にされ、その中の麻生氏の束が私のテーブルに積まれる。私は麻生氏の支持者ではないが、麻生票が運ばれてくると嬉しくなるから不思議なものだ。また、ふと、来年の県議選の開票の光景が頭に浮かぶ。当初予想した以上に麻生票は伸びた。

 結果は、安倍が9878、麻生2926、谷垣1810であった。国会議員は1人一票であるが、一般党員の票は、一定のルールに従って一票と算定される。麻生票は二票に至らなかった。結局、算定票は、安倍5、麻生、谷垣が各1であった。無効票は84あったが、福田康夫が33もあったのは驚き。小寺弘之も1票あった。

 午後二時、党本部へ報告、全国の集計も、安倍氏が圧勝ではあるが、ニ位は麻生、三位谷垣氏であった。自民党の総裁は51歳の阿倍晋三氏と決まり、26日、国会で総理大臣に指名される予定である。

 私のまわりには、安倍晋三が総理大臣に決まったと思っている人がいるがそうではない。憲法は、内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で指名すると定める(67条)。国会議員の中では、自民党議員が多数だから、自民党総裁となった安倍氏が国会の議決で多数を獲得することは確実である。

 安倍新総裁は教育改革を最優先の課題にするという。「愛国心」を盛り込んだ教育基本法改正案が再び激しく議論されることになる。地方の教育界にも新たな波が押し寄せるだろう。大切なことは、それに振り回されることなく、教育における地方自治を信念を持って進めることだ。  

◇群馬県遺族の会60周年記念大会が県民会館大ホールで行われた。小寺知事は、自分の言葉で熱のこもった挨拶をしていた。私は、壇上で、私の議長時代を振り返りながら聞いた。

 それにしても、8月15日の慰霊祭や遺族の大会では、決まり文句のように、「今日の繁栄は、先の大戦で祖国のために尊い命を落とされた犠牲の上に成り立っている」という言葉が使われる。しかし、ほとんどの人は、「犠牲」と今日の繁栄がどのように結びつくのかを考えない。それを真剣に考えることが、真に「犠牲」を生かすことになる。戦争を知らない人々が社会の大半を占め、その中から新しい日本の代表が生まれようとしている。太平洋戦争の歴史に正しく向き合うことの大切さを感じた。

(新政府の順調な船出を願って。読者に感謝)

★土・日・祝日は以前からご希望が寄せられていたので「上州の山河と共に」を掲載致します。

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2006年9月20日 (水)

9月議会議第一日。本会議は30分で終る

 議員団総会を済ませ、本会議は10時10分に始まった。大沢議長が開会の挨拶。その中で悠仁親王のお誕生を祝う言葉を述べた。それを聞くと、最近まであの位置に私が立っていたのだなという感慨が湧いた。

 知事の提案説明のポイントは次のようであった。①景気は全体的に回復基調にあり、景気回復の効果を県内のすみずみまで行き渡るようにしていく必要がある。②県税収入は、平成15年度に底を打ち、今年度も、2,210億円を確保できる見通しである。③今回の補正予算の重点は、企業立地を資金面で支援するための融資枠の拡大を図る、

医師不足に緊急に対応する、若年認知症対策や精神障害者に対する支援、等である。そして、補正予算の額は97億572万円、これまでの予算額を合わせると、8071億3081万円となる。

 また、知事は、特に、「ぐんま国際アカデミー」の問題に触れ、太田市長は、副知事との協議で、一方的に席を立って中断した、解決に向けての誠意ある対応がない、と批判した。太田市長の清水さんの態度は、感情に動かされたのなら大人気ないことだし、計算の上でのことなら戦術的にまずかった。この点は、午後の全員協議でも感じたことである。

◇午後に、アカデミー問題に関して全員協議会が開かれた。ここには、知事も副知事も出席しなかった。昨年3月に開かれた全員協議会のことが思い出される。知事は、やはり出席を渋った。私との間で、何度もやりとりがあり、議論を重ねた揚げ句、私が議長として公平に議事を進める等の条件をつけて知事出席が実現となったのであった。

 今回は、太田市長だけの出席である。清水さんの説明を聞きながら思ったことは、市長にも知事にも言い分があるということだ。知事が、本会議で、太田市長は一方的に席を立った点を批判しているように多分に感情論になっている。知事はクソ真面目、清水さんは県議時代からどちらかといえば変人タイプ。私から見れば、どちらも本質論からはずれた枝葉のところでひっかかっていると思えてならない。子どもたちのため、そして、群馬の教育のためという大局的見地から解決できないものか。腰塚さんが、余分なことはしないで欲しいと市長に注文をつけていた。プログで、知事を批判することを指しているのだ。清水さんもうなずいていた。小寺知事がもっと腹の大きな人物なら、プログで批判された位のことは問題にしない筈と思うが、当事者の立場に立つとそう簡単には割り切れないのだろう。

 私が議長の時から、知事との間に緊張関係が続く。議員は必然的に勉強をする。その意味では緊張は無益ではない。大切なことは何のための緊張という点だ。

(実りある9月議会になることを願って。読者に感謝)

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2006年9月19日 (火)

眠れぬ夜、山岡鉄舟に出会う

 一日が短いことが悔しい。このところ、やることが多くて、この感が募(つの)る。

身体は疲れているのに神経が高ぶって眠れぬ夜があった。書斎で寝ているが、手の届く位置にライトが伸びている。スイッチを入れ、頭の上の書棚から手が触れるままに、一冊の本を引き出した。見ると幕末の傑物・山岡鉄太郎を描いたもの。山岡は剣の達人で書にも優れていた。鉄舟は号で、勝海舟、髙橋泥舟と共に幕末の三舟と言われた。

 パラパラとめくっていて、私が目を止めたのは、鉄舟の歌である。力強い筆致で、「打ち合わす剱の下にうれいなく、身を捨ててこそ生きる道あれ」、「死に切って見れば誠に楽がある、死なぬ人には真似もできまい」。幕末の動乱を命をかけて生きた姿が偲ばれる。自分の生き方などは、まだまだ甘いと思った。そして気持ちが楽になった。良質の精神安定剤を見つけた瞬間でもあった。 

 9月議会が始まる。今回は、私も質問に立つ。私が議長のときに始まった一問一答形式、そしてテレビの生中継、これらは議会改革の重要な項目である。しかし、これらは器であるから、それにふさわしい中味を入れなければ、器も生かせない。

 先日の日記でも少し触れたが質問項目は、教育行政、少子化対策、県立病院改革、治安対策その他になる予定。教育行政については、中学校にアンケートをお願いした。実態を知らなければ質問も空振りになる恐れがあるからだ。

 アンケート結果の中で、ニ・三気になることがある。一つは、歴史の副読本・「ぐんまが誇るふるさとの先人たち」がほとんど利用されていないらしいことだ。県教委が作るこの種の資料には、当然当たりはずれはあるだろうが、歴史教育の重要性を考える時、本気で作ったのか気になるところである。

 また、教師の多くが忙し過ぎると感じている点だ。文書の作成、報告事項、会議等が多すぎ、授業に支障が出ていると考えている教師が多くいる。教育改革の原点は授業の充実にある。教師が授業に全力投球できる環境をつくってやらなければならない。

 その他、近現代史の教え方、時間のとり方についてもたずねた。国際化時代の生きる力として英語力は欠かせないが、自国の近現代史について知識を持つことはより重要である。自分が立つ足元を知らないでは、自分の国を語ることは出来ないし、他国を理解することも出来ない。

 国を愛する心や郷土を愛する心は非常に大切なことだが、これとて、現代をつくり出した歴史の重要な過程を知らなければ育むことが出来ない。近現代史を教えることの重要さを改めて感じる。

(真の教育改革が進むことを願って。読者に感謝)

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2006年9月18日 (月)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載第3回「曲輪町で生まれる」

曲輪町で生まれる

私は昭和151030日、前橋市曲輪町103番地で生まれた。世の中は太平洋戦争の方向へ向かって突き進んでいる騒然とした時代であった。既に、昭和13年には国家総動員法が作られ、私が生まれた15年には、日独伊三国軍事同盟、16年には、日ソ中立条約が結ばれ、そして、1612月、遂に、太平洋戦争突入となった。

 私が生まれた曲輪町103番地は、今は大手町の県庁前通り、秋葉写真館がある四つ角で、北側の東の角、今は、安田生命ビルが建っている所であった。父は、ここでせんべい屋をしていた。私の祖父は、福井県で羽二重の工場を大きくやっていたが、大恐慌で事業がうまく行かず、前橋にやって来てせんべい屋を始めたのである。

そこは、当時は萩町といったが、現在は昭和町、3中の北側の道路に面した所で、屋号は東京煎餅であった。当時とすればめずらしいオート三輪を使い、製造、卸をかなり手広くやっていたらしい。父は二男であったので、結婚と共に独立し、前期の場所で商売をすることになったのである。母は、総社町山王の鹿野という百姓の娘であった。これが、私の簡単なルーツである。

私が生まれて間もなく太平洋戦争が始まり、父は徴用で理研で働くことになった。商売が出来なくなったのを機に、私たちは、近くの曲輪町102番地・高島さんの借家に移り住むことになったが、この頃から戦局は次第に悪化しつつあった。当時の私に詳しい事は分かる筈もなかったが、ただならぬ状況が進んでいるらしい事は理解できた。

私は、北曲輪町のマツテヤ幼稚園に通っていたが,空襲警報が鳴ると防空頭巾を被って先生に手を引かれて逃げ帰ったことなどが思い出される。また、夜、眠い目をこすりながら、母親につれられて、県庁裏の、今は幸の池となっているあたりの、小高い桜の丘の下に並んでいる防空壕に逃げ込み、息を殺してB29の音を聞いたことなど、今でもはっきりと思い出される。

そして昭和2086日広島に、89日には長崎に、それぞれ原爆が投下され、815日にはポツダム宣言受諾をつげる玉音放送が行われ、遂に終戦となった。

当時4歳であった私も、もうこれからは防空壕へ逃げ込まなくてもよいということは嬉しかったし、父や母のほっとしている気持ちがよくわかった。しかし、同時に、又、これから大変なことになるらしいという父母の不安も伝わってきた。

県庁前通りの、一本北の通りには、皮膚科の松山医院があるが、当時、この医院の玄関先で、ひどい火傷のひとがいつも治療を受けていたのを覚えている。この人は、全身包帯で、車のついた台の上に寝かされ、白衣の看護婦や医者が取り囲むようにしている。こわごわのぞくと、オチンチンをつまみ上げて治療している。あんなところまで火傷をしたのだろうか、痛いだろうな、戦争とは何と怖いものだろう、と私はつくづく思った。

いろいろな情報が乱れ飛んでいたらしい。鬼畜米兵が上陸してくると大変な事になる。また、国民の大半は、食べ物がなくて餓死するだろう。こんなうわさを信じた父は、食料を自給し、家族を飢えさせないことが第一と考え、赤城の山奥で開墾生活に入ることを決意する。(続く)    

(次回は923日(土)に掲載致します。)

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2006年9月17日 (日)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(2)「原点に遡る」

 第2回「原点に遡る」

 福島浩が、<頑張ってくれ>と言い遺した県議選は、平成3年4月に行われる。それは、私にとって3度目の選挙であった。というのは、私は、昭和62年に初出馬し、この時は、10,777票を獲得し、270票の差で敗れたが、幸運にも、その1年後、1議席をめぐる補欠選が行われ、35,000票を得て当選した。そして、平成3年4月は、補選で当選した私の任期が切れ、いよいよ本選が行われることになっていたのである。

 今度の前橋市区の県議選は、選挙突入前から激戦が予想され、また話題が多かった。それは、8議席のところへ、12人の立候補者が予想され,新たな候補予定者には、前橋市議の3人、及び、既に何度か挑戦している元県議がおり、彼らは、いずれも相当の集票能力を持ち当選可能なラインに行けると思われていた。

 その上に世間の関心を集めていたのが、私の当落であった。補欠選で中村に投票した35,000の人々は、それまでは他の人を支持していたのだから、本選挙になって、その人々が立候補すれば、そちらに投票する。だから、中村は当選出来ないだろうという見方が広く流れていた。

 わが陣営は、このうわさに不安を抱きつつ、せっかく苦労の末につかんだ県議の椅子を、わずか3年で失ってなるものかと目の色を変えていたのである。このことを考えれば、過去2回の選挙で、心血を注いで来た福島浩が死の床でなお心にかけていたのも不思議ではない。私は、福島浩の霊に報いる為にもどうしても当選しなければならない、と心に誓っていた。

 すべての支援者が一生懸命に動いてくれたお陰で、結果は、大方の予想を大きく裏切って、12人中、第2位の当選であった。県議選の詳細は、後で触れることにする。

 私は今、2期目の県会議員となって、改めて、県会議員とは何か、その果たすべき役割は何か、そして、自分は何をなすべきかを自らに問うている。

 私は人生の方向を180度転換して全く別の世界に飛び込んだが、その動機は何だったのか。振り返れば、それまでに、時代の流れの中で、体験した様々なこと、そして、その折々に喜び、怒り、悩み、疑問を抱き、あるいは矛盾を感じたこと、更にはこれらすべてのものを基礎にして私の中で芽生えたものが、私を衝き動かしてこの世界に飛び込ませたのである。

また、これらは、現在も、意識するしないに関わらず、私の行動の基礎になっているものと思われる。従って、これ迄の自分の歩みを振り返り見詰め直すことは、自分の現在と将来の行動の指針を探る上で必要不可欠と思われる。

 また、私は、私を支えてくださる県民の皆様と共に歩もうとしているのであるから、皆様により深く私をご理解して頂くためにも、この事は必要なことと思われるのである。そこで、私のこれ迄の歩みをありのまま辿ってみたいと思うのである。(明日の祝日に続く)

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2006年9月16日 (土)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(1)「福島浩の死」

「いよいよ最後の時が来た。頑張ってくれ」目は閉じたままである。低いが確かな声で、福島浩の声は私の胸に重くつきささった。

「おい、しっかりしてくれ」これだけ言うのが私には精一杯であった。小高い丘の上に立つ病院の一室である。

 福島浩の死期が確実に迫っていた。それは、東京の癌センターから、ここに運ばれた経緯とその後の病状から明らかであった。しかし、私には、まだそれが信じられなかった。いや、信じたくないというのが正直なところであった。ベッドの向こう側には、奥さんの智恵子さんがじっと下を向いて動かない。重々しい空気が部屋に満ちていた。福島浩は、この期に及んでまだ冷静であった。そして、<頑張ってくれ>と他人(ひと)の事を心配している。このことも、私には信じ難いことであった。彼の苦しそうな、ぜえぜえという咽の音が時を刻んでゆく。気付くと、その音が静かになり、彼の表情もいく分平静になったように見える。奥さんが顔を上げて、小声で囁いた。

「お薬が効いて、眠ったようです」私は、彼の表情を見ながら、一年数か月に及ぶ彼の闘病を振り返っていた。彼は、肺がんと知ってからも、狼狽(うろた)えた様子をついに一度も、私たちには見せなかった。

 この強靭な精神力はどこから来るのか。こう思う私の頭に、彼と過ごした宮城村の少年時代のことが浮かぶ。食べ物も、着る物もない終戦直後のあの時代、私達は、ありったけ手足を伸ばし、宮城村の山野を駆け回った。丈夫な身体と根性も、そのもとは、あの時、作られたに違いない。あの頃と比べ、世の中はすっかり変わった。あらゆる物が有り余る時代に生きる今日の子どもたちは、果たして幸せなのか。この社会はどこへ向かって流れてゆくのか。福島浩とはこのような事をよく話し合うが、私たちの価値基準、物差の原型も、あの少年時代に作られたものだ。

 福島浩は、少年時代の夢を追うような目つきで、ある時、<中村、県議選に出てみないか>と勧めた。その目は、少年時代、無鉄砲な悪戯を誘った時のそれと似ていた。しかし、<お前なら、きっと出来る>という信頼を表す目つきでもあった。思えば、彼のこの言葉が、私の中に燻っていた何かに火をつけることになったのだ。

 「頑張ってくれ」という彼の言葉は、間近に迫った県議選を指している。この期に及んでも心配してくれている。閉じた目の下で、彼は、私の選挙と少年時代の思い出とを重ねているのだろうか。彼の渇いた口元を覗き込みながら、私は涙が流れ落ちるのを押えることができなかった。

 数日後、福島浩は、北橘村の北関東循環器病院の一室で息を引き取った。50歳の生涯であった。平成2111日のことである。(明日の17日に続く)

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2006年9月15日 (金)

文教・警察の県外調査、呉市の小中一貫教育

 中学生になって不登校が増えるのは、中学に移った時の急激な変化に戸惑うからだ。小学校、中学校と形式的に区切って、違うシステムで教育するのではなく、子どもの発達に応じた教育をほどこすことによって、小中を円滑につなげていく、これが小中一貫教育の理念である。

 呉市教育委員会は、文科省の指定をうけた学校においてこの理念に基づいた研究を続けてきた。説明によれば、さまざまな取り組みは良い成果を上げている。これは、教育改革を実践する姿であると思った。

 文科省は、教育改革をかかげ、学力とは生きる力であるとするが、子どもたちが、知、徳、体を自分の人生を切り開く武器として身につけるためには、発達に応じた対応が必要で、これを実現する手段が小中一貫教育なのだ。

 呉市教育委員会は、小中一貫の実践として小中のさまざまな連携を試みているが、このよう連携は、小中一貫をとらない、普通の小中の間に於ても実行すべきものが多いと思った。

 ◆「大和ミュージアムで涙を流す」

 65億円をかけて呉市が建設した博物館には、熱い日本人の心が凝縮して現れている。オープンした平成17年には、一年間で、161万人という予想もしない入場者があったというがそれは、ここに、心を打つ本物の感動と出会う場があるからに違いない。

 この博物館の象徴的存在である戦艦大和の模型は圧巻である。それは、正に日本の技術を結集した世界最大にして最強の軍艦であった。砲身の長さは21m、その口径は46cm、1.5tの砲弾を42km先まで飛ばすことが出来た。

 出撃の時は戦争も末期で、出撃を実行するかどうかをめぐり争いがあった。制空権を奪われた状態では最強の軍艦でも自殺行為に等しいからである。心血を注いだ技術の結晶をむざむざ敵の攻撃に晒して失いたくないという気持ちは良く分かる。負けることを承知の上でそれでも一失報いるという思いの出撃であった。

出撃を決定づけたのは臼渕大慰の次の言葉だったと説明があった。「進歩のないものは決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじてきた。私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた。敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。今目覚めずしていつ救われるか、俺たちはその先導になるのだ。日本の新生にさきがけて散る、まさに本望じゃないか」この言葉には、極限の状況で体制を批判し、日本の将来を冷静に見詰める達見が現れている。現在、あの戦争を振り返る立場からもこれは新鮮である。

 大和は沖縄に着くことが出来ず三千人の乗組員と共に撃沈された。館内には人間魚雷回天の実物があった。特別攻撃隊に参加して散った若者が目の前にいるようで涙が流れた。この人たちの死を無駄にしないために、今何をなすべきか考えねばならない。

(若者たちが戦争を正しく見詰めることを願って。読者に感謝)

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2006年9月14日 (木)

県外調査。命の大切さ、徹底した暴力団対策

 兵庫県立教育研修所は、「命の大切さ」を実感させる教育に取り組んでいる。兵庫県の少年対策と聞いて、私は、すぐに「サカキバラ」を連想した。サカキバラセイトと名乗った兵庫県の中学生が小学生の首をノコギリで切断して校門に晒した事件である。この少年も最近保護処分の過程を終えて社会に出たらしい。この事件と直接には関係ないというが、兵庫は「命の大切さ」を教えることに力を入れている。その意気込みに私は心を打たれた。

 示唆を受けたことは多いが主な点を紹介する。まず次のように今日の状況を分析する。今の子は、きょうだいの出産や祖父母の死などを同じ屋根の下で身近に経験することが少なくなった。逆にゲームやテレビなどによる現実でない死を見る機会の増加、及び、事件として日常のことのように報じられる殺人。これらのことは、子どもたちにとって死の意味を非常に軽いものにしている。また、人間は死んでも生き返ると思っている子どももいる。

 そこで、命の大切さを実感させ、その命は限りがあり、かけがえのないものであることを理解させるために、子どもの発達段階に応じたさまざまな工夫を提言する。その中で、「命の大切さ」を実感させるには「生きる喜び」を発見させることが重要で、そのためには、教師は誉めることによって子どもに自信を持たせなければならないと指摘する。

 この企画を進める上で最も重要なことは、命の大切さを語れる教師の存在と役割だと位置づけて教師の研修に力を入れる。教師は研修の中で自分の体験も語る。映像を使って私たちに説明する人の姿にも真剣さがにじみ出ていた。群馬にも立派な研修所がある。最重要な課題に全力を傾注して成果を上げねばならない。

◆映画・「仁義なき戦い」を見たが、そのモデルになったように、広島県では暴力団の対立抗争が長く続いた。県警の担当者は、「暴力のまち」と表現したが、その実態を聞いて改めて驚いた。それだけに広島県の暴力団対策は徹底している。暴力団は社会の癌である。社会の隅々に広がった癌細胞を叩いて安全安心なまちをつくらねばならない。説明する県警の担当者にその決意が感じられた。

 対策の中心は資金源を絶つことである。そのいくつかを紹介する。(1)公共工事への不当介入を排除する。暴力団の係わりを知ったら届け出なければならない。届け出ないと契約違反でその企業も指名から排除される。また、一割よこせと脅された被害者が届け出た場合、この人を徹底して保護する。(2)金融取引から排除する。(3)公営住宅に入居させない。(安い家賃は資金面で助けることになる)(4)生活保護の受給を認めない。警察は福祉の担当に情報を提供する。(5)公の施設を利用させない。(6)祭りから排除。露天商の中に入り込ませない。

 これらの対策が効果を上げ得るか否かは、警察の決意と民間の協力にかかっていると思う。安全安心な群馬を実現させるために広島の努力に学びたい。私は、資料を求めた。群馬県警を通して届けられることになった。

(安全安心な古里群馬の実現を願って。読者に感謝)

★ 土日は「上州の山河と共に」を連載します。

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2006年9月13日 (水)

文教・警察の県外調査、米原高校のこと

 朝、前橋駅に駆け込みプラットホームに立つのと、目の前で電車のドアが開くのが同時だった。ケータイが鳴る。「間に合った?」運転してきた妻の声であった。雨の道はかなり渋滞していたのだ。高崎から新幹線に乗り滋賀県立米原高校に向かう。真下誠治委員長以下総勢12名。

 普通科に英語コースを設け、ここに力を注ぎながら全体として特色ある高校づくりに取り組む姿、これを見るのが目的である。形どおりの学校説明が始まったと思っていたが、西尾校長の気取らない態度や英語担当教師の話に接し、かなり「本物」かという印象を先ず受けた。

 その後、英語の授業を見た。教壇には外国人と日本人の若い女性教師が立ち、彼女は熱心に英語で指導している。二人一組で向き合っている生徒のノートを覗き込むと、テキストの中味について、自分の考えを英語で書いている。ディベート(討論)の一環であった。テーマは、見合い結婚と恋愛結婚。

 この学校は、文科省から「スーパーイングリッシュハイスクール」また、県教委から「確かな学力向上プロジェクト(英語力増進)」の研究指定校となった。私が感銘を受けたことは、先生のやる気が生徒のやる気を引き出し、そのことが生徒の能力を引き出している点だ。

 一つの特色として高大連携(高校と大学)があるが、大学の教授の指導の下、先生たちがディベート(討論)を行うのを、生徒にも公開したという。また、例年3年生にTOEICを受験させる際には教師も生徒と共に受験している。授業は基本的に常に公開である。

 授業を見て、生徒たちは、大学受験のためにいやいや英語を勉強するのではなく、自分の将来のために強い意欲を持って学んでいるという印象を受けた。数学や国語の授業ものぞいたが真剣な授業が行われているようであった。英語コースの努力が波及しているのであろう。

 群馬でも高校が全県一区になった。生徒は特色に目をつけて高校を選ぶ時代が進む。良い高校の姿は中小に波及する。米原高校には学ぶことが多いが、特に教師の姿勢は重要である。そして、群馬県でもこのような気運が、小学校中学校も含めて全ての学校で盛り上がるなら、どんなに素晴しい成果を生むことだろう。

 私は、米原高校の調査の感動を県教委の人たちと共有したいと思った。警察関係は一人参加して熱心に耳を傾けているが、教委からはゼロである。共に力を合わせなければ難問を解決することは出来ない。教育委員が教育行政の重要課題を認識していない例を知ったが、それで重い責任を果たせるのであろうか。教育委員会の形骸も一部で言われている。教育委員が「調査」に参加した例はないのではないか。良い調査先を研究し、共に調査して良い成果を持ち帰る。そのために勇気を出したい。つまらない「小事」に関わることは子どものためにならないことだ。(今後の良い調査が実現することを願って。読者に感謝)

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2006年9月12日 (火)

9月県議会が始まる。私は質問に立つ

 19日から始まる。本会議の質問は25日・26日、28日の3日間である。その他の日には常任委員会や特別委員会が行われる。質問者の打ち合わせが行われた。(11日)。私は5期の議員であるが、4期以上を代表して26日(火)の10時に質問席に立つ。今回は、自民党の議員10人が質問する。質問項目について重複が有り得るし、時間の配分も決めなくてはならない。打ち合わせ会議では、これらが話し合われた。私は持ち時間70分、質問項目の主なものは、教育行政について、少子化対策について、県立病院の改革について、治安問題について、ニート、パート等の対策についてなどである。質問者と答弁者が対面する方式、テレビの生中継など、私が議長の時決めた新方式に従って行われる。質問題目の詳細については、改めてこの欄で説明するつもりである。

◆昨日の日記でアメリカを批判する文章を書いたら、「あなたはテロを容認するのか」というご意見があった。

 私はテロを憎む。テロを容認するようなことはない。アメリカは野蛮な911のテロの犯人を徹底的に追い求めて処罰すべきなのだ。ただ、あのテロの責任をイラクと結びつけるのにあまりに性急であった。そこには、世界最強の武力を持つ国の驕(おご)りがあったのではなかろうか。現在のイラクの混乱ぶりは地獄の様相を呈している。

 これ以上この状態が進めば、イスラム教対キリスト教の間の宗教戦争となり、また文明の衝突に発展する恐れがある。強大な力を持つアメリカは謙虚でなければならない。謙虚とは、他の文明、他の価値観を尊重することである。

◆後援会関係で一番困ることは、お金を貸してくれと頼まれることである。少額の金でも返してもらえないと裏切られた気持ちになり信頼関係が壊れる。とういうことが度々あって、後援会の中では、お金の貸し借りはしないというルールを作っている。それでも時には断りずらいことがある。

 昨夜、玄関に土下座して2万円貸してくれという男がいた。その言い分は、○○という商店に勤めている、交通事故で、女の子の自転車を壊した、新しい自転車を買ってやらないと警察に通報され、残りの点数が少ないので免停になる、女の子の親の名は○○などというものであった。商店は実在せず、話はうそだと分かった。実はサラ金ですとあっさり認めたのだ。安っぽい土下座が哀れで腹が立った。貸すつもりになりかかっていたが断った。

 自分の預金を下ろす感覚でサラ金から金を借りる人が多いと聞く。借りたものは返すという決意と責任感覚が欠如している人が多いらしい。背景にモラルなき社会の大きな暗い流れがある。その中にどっぷりつかる人々を救うには、流れをモラルのあるものにかえねばならない。

(モラルのある社会の実現を願って。読者に感謝)

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2006年9月11日 (月)

9・11テロのこと。アメリカは世界の警察官か

 イラクの死亡事故の記事が報じられない日はない。テロで何人死んだということに、人々は驚かなくなった。アメリカに正義はあるのか。私たちは、今、イラク戦争という大きな歴史的事実に対面している。しかし、これもやがて遠い過去の一点となり、一般の人々の記憶からは消えてしまうだろう。渦中にいる今、改めて事実を見詰めてみたい。

 5年前の今日(01年9月11日)私は、信じられないようなテレビの光景を見た。飛行機が次々と高層ビルに突き刺さり、二つのビルはもろくも崩れ落ちた。ハイジャックされた飛行機によるテロで犠牲者は約三千人だった。犯人は、ビンラディンを頂点とするアルカイダと断定され、その拠点があるとされるアフガニスタンを攻撃したが、ビンラディンをつかまえることは出来なかった。

 次いで、国際テロ組織の最前線でありテロ国家とされるイラクが大量破壊兵器を隠し持っているとしてイラク攻撃が実行され、イラク戦争が始まった。イラク攻撃を正当化するものは、アメリカを攻撃したアルカイダとのつながり及び大量破壊兵器の存在である。大量破壊兵器を使って、再びアメリカが攻撃されることを阻止するための攻撃だとする理由づけがなされたからである。

 しかし、大量破壊兵器は遂に発見出来なかった。また、イラクはアルカイダとは一切関係がなかったことがアメリカ議会の報告書で明らかになった。このことは、イラクを攻撃する正当な理由がなかったことを意味する。イラクに対する攻撃は誤りだったという見方が大きく応がっている。

 現在、アメリカのイラク政策を支えている理由は、フセインの暴虐からイラク国民を救いイラクに西欧型の民主主義を確立させるということである。しかし、異なった宗教、価値観、歴史をもった国の政治の改革は、基本的にその国の国民に任せるべきではないか。

 イラクは、フセインの時より混迷を深め、多くの人が殺されている。イラク戦争によるイラク市民の死者は、41,000人をこえ、この戦争によるアメリカ兵の死者は、2,660人超えた。今、改めて、9・11のあの二つの高層ビルの崩壊を振り返るとき、アメリカは、その衝撃の大きさのあまり、パニックに陥り判断を誤ったといわざるを得ない。

 日本とは関係ないという人はいないだろう。日本政府は、直ちにイラク攻撃を承認した。サマワには、復興支援という平和目的ではあるが、初めて自衛隊が国外の戦地に出た。憲法9条の下での、自衛隊の在り方が大きく議論される点である。私は感覚を麻痺させることなく、イラクの動き、アメリカの動きをしっかりと冷静に見詰めるべきだと思う。(イラク戦争の早い終決を願って。読者に感謝)

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2006年9月10日 (日)

気にかかる中国の事情

 中国帰国者協会の人たちと話す機会があった。私は,長いこと中国と関わっているが,この人たちは残留孤児を中心とした、日本と中国に特別な関わりを持つ人たちである。皆、最近の中国の目覚しい経済の発展については、大きな関心を持っているが、中国社会が多くの難しい問題を抱えていることを肌で感じているようだ。彼らがよく口にすることは一人っ子政策の行き詰まりと格差のことだ。

 中国の人口は現在13億人。昔、「支那に4億の民がいる。」と言われた。6070年でこれだけ増えたのだから驚く。海外に出ている中国系の人も多い。現在、世界の人口は60億人だから4人に1人は中国人ということになる。

 中国は増大する一方の人口を抑制するために一人っ子政策をとってきたが、それを貫くことは不可能で早くから破綻が言われてきた。

 中国へ行くと、子どもが王子様、王女様として扱われていることに気付く。豊かになる中で心の弱いわがままな子に育つのではないか、あの子らが将来何人の老人を支えることになるのかと、恐らく日本と似た現象が進むことを私は複雑な思いで見たことがあった。

 最近の中国統計局の調査では、65歳以上の高齢者が1億人を超えた。当局は、他国で30年〜40年かかる高齢化が10年しか要しなかったと指摘している。中国は法律制度が未整備である。だから社会保障制度などもまだまだ。伝統的な地域の連帯は薄れていくだろうから高齢者福祉は深刻な問題になるだろう。

 「格差」は中国にとって極めて重要だ。大変な富者が生れる一方、地方へ行くと信じ難いような貧しい生活の人がいる。社会主義は平等を目指すことが第一ではないかと、時代の流れに取り残されたようなくらい村落を見て憤りを感じたことがある。

 更に中国にとって深刻な問題として「環境」がある。一昔前は、大群が動くように自転車が走っていたが、今は、それが車に変わった。13億の人が車に乗るようになれば、地球の破壊は一気に加速するだろう。

 自動車ばかりではない、工場から出る有害物に対する対策が遅れている。国民は日本のように権利を主張できないが公害は、今や最も重大な社会問題の一つである。自然環境の破壊はすさまじい。砂漠化が急速に進み、大きな川では断流が起きている。「百年河清を待つ」と表現された黄河では、水がほとんど流れていない。

 中国は中華思想の国で、今でも大国意識が強い。自由主義経済を取り入れて欧米の仲間入りをしたが、現在の実情では大国とはいえない。環境、人権、福祉などを克服して真に豊かな国になるにはまだまだ時間がかかる。日本は、無理をして近代化を突っ走ったが、その過程で蓄積した財産は測り知れない。それを生かす時が来た。

(隣国中国の真の発展を願って。読者に感謝)

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2006年9月 9日 (土)

中学生に温暖化と代替エネルギーを話す

 地域を回っていたら、ある家の中学生に質問をうけ、話す機会があった。学校で、地球温暖化が話題になったのだという。聞いていて、切実な社会問題を生きた教材として使い教科の深い理解につなげるべきだと思った。

 地球温暖化が原因とされる異常気象は年々激しくなっている。台風の多発、異常降雨、異常な暑さ、これらはどの国でも起きているが最近の報道によれば、地球的規模で変化が起き地球が狂いはじめたと思える状況である。南極と北極の氷が溶け始め、海面が上昇している。南の島では移住を始めているところもある。

 アメリカの研究チームによれば、海面上昇は百年間で1m以上すすみ、将来は6m上昇する。地球温暖化の主な原因は二酸化炭素・CO2だ。

石油(ガソリン)の主成分は炭素・Cだから、これを燃焼(O2と結合)させるとCO2が発生する。だから、石油の利用を抑えることがCO2対策として重要で、石油にかわるエネルギー源が模索されている。太陽光、風力、地熱などが身近な例だ。

 最近注目されるのがバイオエタノールである。世界中が車社会になった今日、ガソリン(石油から精製)の消費がCO2増大の最大の原因なのだから、ガソリンにかわるバイオメタノールが注目されるのは当然だ。

 政府は、バイオエタノールをガソリンに混ぜて(8%混ぜる)使用することでガソリンの消費を少なくすることを考え、来年度から首都圏のスタンド50か所で試験販売する計画だ。

 「バイオエタノールって何、なぜCO2を増やさないの」中学生がたずねた。バイオは植物、エタノールはアルコールのこと。つまり植物からつくったアルコールのことである。使われる植物はサトウキビやトウモロコシ。「アルコールだって燃やせばCO2がでるでしょう?」。賢い中学生は更に追求してくる。確かにCO2を出すが、それは植物が吸収したものが原料だからトータルとして空中のCO2を増やさないのである。植物は自分の体をつくる成分としてCO2を吸収している(光合成)。

この点、地底から掘り出した石油を燃やした場合、地上に新たにCO2を作り出すのと異なる。 

 私は、中学生に昨年ブラジルを訪ねた時の体験を話した。見渡す限りの広い地域でサトウキビが作られていた。エタノールをつることが目的である。私は、ガソリンスタンドの表示に注目した。ガソリン、アルコールと表示があって、両方を使えるようになっている。関心をもって帰国したが、その後、沖縄の宮古島で、政府はサトウキビを栽培して実験していることを知った。温暖化は待ったなしだから、バイオエタノールの流れは今後大きくなるだろう。学校では、この問題を、環境、理科と結びつけた生きた教材として作って欲しい。中学生は大いに興味をもったようだ。

(クリーンエネルギーが広がることを願って。読者に感謝)

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2006年9月 8日 (金)

この際皇室を知ろうではないか

 農家のおやじさんが、いきなり「よかったのぅ」と言ってにこにこと笑った。この分だと日本中が男子誕生を喜んでいるに違いない。跡継ぎの男子が生まれず天皇制の危機が叫ばれていた時から国民の喜びはひとしおだったのだ。

 天皇についての定めは基本的には憲法にあるが、その他の法律は皇室典範である。憲法上重要なことは「象徴であり政治に影響を与えることは出来ない」、つまり、「シンボルであり実権はない」ということ、そして「世襲のものである」こと等である。

 皇室典範では、皇位は男系の男子が継ぐものとしてその順位は、先ず天皇の長男の系統が優先し、これがない時天皇の次男の系統に移る。だから天皇の長男である皇太子が一位。皇太子に男子がいれば二位となるが、いないので次男の系統に移り、次男の秋篠宮が二位、今度生まれた男子が三位となる。もし皇室典範が改正されて愛子さまが資格者になれば愛子さまは皇太子の次の二位になられる。

 男子が生まれたために皇室典範を急いで改正する必要はなくなった。しかし、問題が先送りされただけである。皇位継承資格者の男子がないという状態はこれからも起こる可能性が大きいからである。

 皇室典範の改正に関して意見が激しく対立したのは、「女系天皇」を認めるか否という点である。地域の人と話した時、「女系天皇」の意味が分からないと言われた。「女系天皇」とは、女性の天皇と直接つながる天皇のこと。愛子さまが天皇になられても、その父(現皇太子)は男性天皇だから女系天皇ではない。愛子さまが天皇になられ、そのお子様である女性が天皇になられたとき、これが女系天皇である。反対する人は、女系天皇を認め出すと、皇室の家系が民間と変わらなくなってしまうと言張する。女性の女系天皇が皇室外の男性と結婚して、その子が女性天皇となりまた皇室外の男性と結婚してその間の子が女性天皇となるというように次々繰り返されると民間の血と変わらなくなってしまうというのだ。女性天皇は認めるが女系天皇は認めないとする立場は、愛子さま一代限りを考えている。

 天皇制の歴史で8人の女性天皇がいるが全て一代限り。その父は男性天皇であった。男性天皇が維持できたのは、側室の制度があったからだ。現に多くの天皇は側室の子だったといわれる。側室の制度を復活させるというような考えは、今日、論外である。

 ところで男子誕生を祝う大手百貨店の様子は、野球の優勝チームを祝うときのようだ。経済効果は1.500億円ともいわれる。こんなことより、新しい命の誕生を素直に祝うムードを大切にするべきだ。学校では、天皇制を考える機会として生かすこと、及びこの新しい命が育つ将来の社会がどうなるか、などをかんがえさせること、これらに力を入れるべきだと思う。

(象徴天皇を支持する輪が更に広がることを願って。読者に感謝)

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2006年9月 7日 (木)

秋篠宮家の男子誕生に湧く

 朝、テレビを見ていた妻が、大きな声で男子誕生を叫んだ。どのテレビ局もこの話題で持ち切りであった。テレビでは、号外を読んで喜ぶ人々の姿が伝えられた。

 今年2度目の号外である。一度目は2月上旬、紀子さまの御懐妊が分かった時である。2月19日から始まる尾瀬国体に、両陛下は臨席される予定だったので、私は、号外のニュースを聞きながら、先ず、紀子様は来られるのだろうかと思った。私は議長としてお迎えする準備を進めていたのである。

 心配は的中し、紀子様は大事をとられて欠席となった。私は秋篠宮殿下に隨従しながら沿道で旗を振る人々は紀子様の無事出産を願っているに違いないと思った。

 紀子様懐妊と共に社会に一つの変化が起きた。それは皇室典範についての議論である。

その背景に天皇制の危機があった。皇室典範は、皇位は男子が受け継ぐことを定めているため、男子の資格者がない場合には、女性天皇を認めることにしないと、連綿と続いた天皇制が崩壊してしまう、女性天皇を認めるために皇室典範を改正しなければならない、どのように改正をするか、これが議論の中心であった。

 このような議論の渦の中で、紀子様の懐妊の出来事が起きた。男子の可能性がある。男子なら、直ちに皇室典範を改正しなくもよい。こういうことで、連日の皇室典範改正の議論はストップの状態になった。

 日本中の関心が紀子様のお腹に集中した。もし、女の子なら再び皇室典範改正の議論を始めなければならない。現代医学の力からすれば、胎児の性別を調べることは容易である。だから、分かっているに違いないと推測するのが人情である。男の子だと根拠不明の情報を流す週刊誌もあった。男の子を望む人々の思いが高まる中で9月6日を迎えたのである。

 紀子様男子ご出産は、暗い世相を吹き飛ばして日本中を明るく包み込む朗報である。若い女性が喜ぶ姿を見ると、紀子様のご出産は、彼女たちに子どもを産む喜び、そして新しい命の誕生が如何に素晴しいものかを気付かせる効果があるのではないかと思う。喜びの渦が国中に広がる中でその効果は大きいに違いない。ともすれば、ご出産は、少子化対策に大きな貢献をすることになるだろう。

 今度のご出産を祝う人々の姿を見て、象徴天皇制が国民に深く支持されていることを感じる。「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である」。憲法のこの規定の意味をかみ締めたい。象徴天皇制は世界に誇る日本の文化である。憲法改正が議論されているが、この象徴天皇制が変わることはない。紀子様のご出産を祝う心を皇室の理解につなげたいと思う。日本人の心が溶けてバラバラになるのを食い止める大切な基盤がこの天皇制である。これを機会に学校でも教えて欲しいと思う。

(新宮の健やかな成長を願って。読者に感謝)

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2006年9月 6日 (水)

余りに多い身近な人の悲惨な例

 つい最近、元気で活躍していた大切な知人が突然倒れた。脳動脈瘤破裂だという。またかつては社会のルールを無視するかのように派手に生きていたある知人が糖尿病が高じて両脚切断に至ったと聞かされた。この他、脳梗塞、心筋梗塞、癌などで、人生の大きな壁に突き当たり途方に暮れている身近な人は非常に多い。

 厚労省の調査では、メタボリック症候群の有病者は約1、300万人。これは内臓に蓄積した脂肪が一因となって高脂血症、高血圧、高血糖などを重複して発病した状態のことで、放置すると、脳卒中、心筋梗塞、糖尿病などに進行する危険性が高まる。

 厚労省は対策に本腰を入れ始めたが、改善のために重要なことは「一に運動、二に食事」だという。ここでは、食事について考えてみたい。

 私たちは、日頃、自分の好みで、口当たりの良いものを食べ、それがいつしか習慣となって気付くと生活習慣病になっていえることが多い。倒れてからでは遅い。だから、考えて食べる、そのための知識を得る、そして良い食習慣を身につける。このことの大切さを痛感するのだ。

 最も重要なことは、子どものうちに良い食習慣を身につけさせることだ。最近、食育基本法が出来た。「食育」とは、食を通して「生きる力」を育むこと。教育の目的は、受験のための知識を与えることではなく、難しい社会を生きるための力を育むことであるべきだ。だとすれば、子どもたちの歩む先に生活習慣病の海が広がることを考る時、「食育」は、教育の現場の非常に重要な課題だということになる。 

 子どもたちの世界で、朝ごはんを食べない、好き嫌いが激しい等の食の乱れが広がっている。「食育」を学校で進める上で重要な役割を担う栄養教諭の制度が出来た。導入は自治体に任されている。06年までに26都道府県が導入したが本県ではまだ実現していない。

 栄養教諭が配置された学校では、子どもたちに献立をつくらせて、問題点に気付かせたり、食の力を身につけさせる工夫をしている。「脂っこいものばかり食べていた」、「バランスを欠いた食事だった」「よくかんで食べることの大切さが分かった」などといった感想が子どもたちから聞かれるという。教室の動きが家庭の食事と連動すれば大きな効果が上るに違いない。

福井県は栄養教諭配置の先進県である。この県の小中学生につき、「朝食を食べない子」を2回にわたって調査したところ、未配置校では変わらなかったが、配置校では、1.0%から0.8%に減少したばかりでなく、牛乳や小魚を多くとるなど食事に気をつける子が増えたという。群馬県も「食育」と「栄養教諭」について真剣に考えなければならない。

(子どもたちの健全な食生活が実現することを願って、読者に感謝)

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2006年9月 5日 (火)

神秘的な性衝撃

 昨日、柏倉町のある農家を訪ねた時のことである。母屋に至る長いかい道を踏みしめながら、私は瞼(まぶた)に焼きついているある光景を思い出していた。私を出迎えた老人の顔には長い年月を超えてよみがえる昔の面影があった。「あそこに種つけ場がありましたね」と言うと、老人は「よく覚えていますね」と笑いながら答えた。

 小学校の4~5年生だった。学校帰り、柵の中で、二頭の馬が異様な行動をしていた。ヒヒーンと叫びながら、後ろ足で立ち前足で空を切るようにして雌馬に覆いかぶさろうとする黒い雄馬の姿は魔法の世界から現れた生き物のように見えた。

 直後、信じられないようなことが起きた。長くのびたペニスを小父(おじ)さんが両手でつかみ、頭の上に捧げるようにして雌の後部にあてがおうとした。一、二度失敗したが、やがて小父さんの手にあった松の枝のようなものは雌の身体の中に消え、雄は一際高く叫んだ。間もなく雄が離れると同時に、雌の後ろから黄色い液体がどっと溢れ出た。 「あれで子が出来るんだ。」隣で、私と同じように目を丸くして固唾を呑んで見ていた友達が言った。意味がよく分からないが私にとって神秘的な体験だった。目の前の老人はあの時の小父さんに違いないと思った。

 当時、村の農家ではどの家も馬を飼っており、山の作業に出かけるとき、可愛い子馬が母馬の後ろについてゆく姿が良く見られた。草を食べたり遊んだりして子馬が遅れると、気にして振り向く母馬、それに促されるように走って近づく子馬、そんな美しい光景を見るにつけ、子馬の誕生と母子の絆が、あのような種付け行為からスタートしていることが私には信じ難いことであった。

 今日と比べ性に関する情報はほとんどなかった。小学生の私の最大の疑問は、人間も同じなのかということであった。当時、私たち悪ガキは、道路や壁に女性の性器の絵を描いたり、だれちゃんとだれちゃんはやったなどといって戯(ふざけ)ることが楽しくて仕方なかった。しかし同時に、このようなことは、いたずらの世界の下品なことできちんとした所で口にすることは恥ずかしいことと思っていた。

 人間も動物と同じという確信は時と共に深まった。しかし、上品な人間があのような行為をして子どもが生まれるということはやはり謎であり神秘なことに思えた。今の子どもたちは素朴で神秘な心の体験を経ないで低俗な性情報の渦に投げ込まれる。そして、生命の神秘への思いとか人間とは何かを考えるいとまもなく快楽の手段として「性」を受け入れていく。性を簡単に快楽と結びつけることは、人間の軽視、生まれる子の生命軽視につながる。高校生の40%がセックスを経験、日本は先進国で唯一エイズ患者が増えている、このような事実を重く受け止めなければならない。小父さんと話していて思った。

(若者の性教育の在り方を考えたい。読者に感謝)

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2006年9月 4日 (月)

心の古里・旧宮城村を歩く

拙著「上州の山河と共に」(喚乎堂出版)に、私の少年時代の舞台として登場する宮城村は合併により前橋市となり、来年の県議選では初めて選挙区となる。懐かしい家々を訪ねた。

終戦直後に開墾のため曲輪町(現大手町)から移り住み鼻毛石の小学校に6年生まで通った。私の半生を振り返るとき格別の思いがある。

 山の開墾地に入る前に一時仮住まいで世話になった六本木という家は、代替りしていたが農業を継いでいる主人は私のことは良く聞いていたと言った。夕方、大胡駅から父と歩いて宮城に入ると真暗になって、小沢さんという家に寄ることがよくあった。すっかり年を取った御夫婦は、よく覚えていて、囲炉裏で当たってあれからまた山まで歩いたんだねえと今更のように驚いた表情をした。これを聞きながら私は、電気もラジオもない生活の中でランプの下で額を寄せ合って母と本を読んだ姿を思い出していた。この小沢さんの家の近くには、大穴川にかかる新井橋があって、昭和22年のキャサリン台風で落ちた。私は小学校一年生であった。この日学校は早じまいになって急いで岐路につくと、どの川も逆巻く濁流がどんどん増水していて私は橋の上を走って通った。この日同級生の大崎君の長兄が足を滑らせて水路に落ち最初の犠牲者となった。

 宮城の家を回りながら昭和20年代の社会の状況が次々と思い出された。あれから半世紀当時の人は皆高齢となり村はすっかり変わった。日本全体がこのように変わっている。とどまることのない技術の進歩と近代化の流れに貴重な地域社会の伝統や文化ばかりでなく人々の心も押し流されていく。宮城の農村地帯を歩き純朴な人々に接して、変わってはならない大切なことがあることを強く感じた。また、私の人生哲学と生活の原点も、ここにあると思った。

◆地域の役員会があり一杯やったが車で来るものはいなかった。当然のことであるが、世間にはまだ飲酒運転が後を絶たない。警察庁は12日から「飲酒運転取締り強化週間」を実施する。飲酒運転による事故が減少を続けていたが、このところ下げ止まり横ばいの傾向が見られるからだ。

 最近の福岡市の公務員による飲酒事故は衝撃的だ。公務員がという印象を多くの人に与えた。公務員の自覚が強く求められる。私たちは、あまりにも身近な車の運転に伴う危険性を常に心の底に置くべきだ。この日記でも度々触れているが、以前は、業務上過失致死傷罪で処罰されているものが、危険運転致死傷罪の新設となり、懲役13年(大阪地裁)、懲役20年(千葉地裁)、懲役20年(仙台地裁)などの判決が出されている。車社会に生きる者として、車は環境問題に結びつき、人の命を奪う凶器となることをこの際しっかりと受け止めたい。

(健全な地域社会の実現を願って。読者に感謝。)

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2006年9月 3日 (日)

面白い人に出会う

「おやじが、おめえは勉強なんかするな、でかくなったら広い土地のあるうちへ婿に行け、と言ったよ。中学卒業して技術を身につけるため真剣だった。俺の頭はぬか味噌だが要領はよかった。」ある会社の社長は笑いながら自分の過去を振り返る。農家の4男坊で苦労したらしい。私も話の中で時々口を挟む。話は靖国から現代の若者の批判にも及ぶ。「靖国神社にお参りすることに中国や韓国がごたごた言うことはねえじゃねえか。」「今の若者はどうしようもねえ。悪いことをした奴らを刑務所で飯をくわしておくことはねえ。働かせればいい。今度はそういう制度が出来たというじゃねえか」

 最後の問題は、導入が検討されている代替刑のこと。簡単に説明した。地域を回ると、一般の人が何を考えているかが分かり勉強になる。法律や行政は社会の現実を踏まえなければならないが、空まわりしていることを時々感じるのだ。

 代替刑については他でもきかれた。前にも一度触れたが、ここで説明したい。裁判員制度の実施も近い。刑罰について考える一助になればと思う。

 国(法相)は、短期の懲役や罰金に代えて社会奉仕をさせる「社会奉仕刑」を新設しようとしている。目的は、犯罪者の再犯防止や社会復帰の促進、そして、過剰収容の解消だ。長く刑務所にいる程、社会復帰が難しくなり再犯率が高まる。満期まで刑務所にいた者は、5年以内に59%が刑務所に戻るという。刑罰を科す目的は懲らしめることだけでなく教育して社会復帰させることにある。刑事施設の中に長くいれば刑務所ずれし、矯正(もとにもどす)が難しくなる。同時に過剰収容の解消を狙うが、現在刑務所の収容率は116%、どこも超満員なのだ。

 社会奉仕命令の中味は、道路清掃や老人ホームの作業などを考えているといわれるが、森林の下草刈りや農業に従事させることなどは社会的にも意義のある作業ではないか。現在、人手不足で森林が荒れている、また耕作放棄地や遊休農地が広がっているからだ。

 「刑務所に入らなくてもいいなら楽でいい、また、逃げたらどうする」先程の親父さんが質問した。この点、対象となるのは重大な犯罪ではなく、短期刑や罰金を科された人である。(現在、罰金を払えず刑務所に入る人は一日平均899人だという!)また、逃亡を防ぐためには、GPS(全地球測位システム)を装備させればよい。外国では、米・英・独・仏・カナダ・韓国などが代替刑を導入している。

 現行の刑法は基本的には明治時代に出来たもの。時代の変化に適応していないものもある。新制度は改革の一例といえる。推移を見守って、「刑罰」を考えるきっかけにしたい。

(受刑者の対策がうまくいくことを願って。読者に感謝)

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2006年9月 2日 (土)

格差社会の犠牲か

  市営住宅の家賃滞納が60万円以上になって立ち退きを迫られた人がいた。背景には複雑な家庭環境と複雑な事情があった。私は市との間に入って何とか打開策はないかと努力した。市は、明渡しの期限を一定期間のばすこと、延滞の半額を納め分納とする等の配慮を示した。賃借人の会社にも金策の面で頼んだ。しかし、深刻な事態を解決することは出来ず、遂に立ち退くことになった。消費者金融のこと、三人の子どもを含めた家族の行く末、本当に気にかかる。今日の社会の底辺の実態を身近に突き付けられた思いである。

 これは格差社会の一面を現している問題だが、市営住宅、県営住宅、県立病院など公的施設利用に関わる特別の問題点が含まれている。県立病院については同様に考えられない点もあるが、共通点として利用者のモラルの問題点がある。市営住宅も県営住宅も悪質な人がいる。市も県も、筋を通したきちんとした対応をすることが第一である。

私か関わった今回のケースでも、当事者は何回も督促を受けていたことを振り返ってすこしでも払っておけばよかったと反省していた。最後には、給料の差し押さえとか訴訟という法的手段が待っているのだ。滞納者の中には、このことの認識がなく、たかをくくっている者が多いと思われる。市や県の担当者に提案したい。それは、滞納が続けば、これこれの法的手段がとられることは避けられないということを、具体的例を上げて事前にしっかりと知らせることである。

 県営住宅については、滞納金が約6億円ある。対策として、滞納家賃訴訟班を作ってとりくんでいる。このチームは、原則として、弁護士を頼まずにやっている。法的措置としては、即決和解、明渡請求、強制執行等である。訴訟班が積極的に動くように

なってかなりの効果を上げてきた。ここにも、滞納が高額になって切羽詰まった段階にいたる前にこのままだと大変になりますよと教えてやるべきだと提案したい。

 滞納金の回収については、民間の債務回収会社に委託している県もあるようだが、良い結果を生んでいないらしい。県営住宅運営の趣旨を生かすためには、血の通った行政の実現を基本にしながらも、毅然とした対応をとることが重要である。

 県立病院の未収金は約1億円もある。病院関係は、人道上の問題もあり、県営住宅とは違った対応が求められるが、県は知恵を出して解決に当たるべきだ。毅然とした対応をとる前提として、滞納の問題を調査することが重要である。この事は、これまでもブログで取り上げてきたし、今後も取り上げながら推移を見守っていきたい。

(県営住宅や県立病院の滞納が改善されることを願って。読者に感謝)

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2006年9月 1日 (金)

世の中おかしくなっている。母殺しを依頼

 今度は、自分の母親を、金を払う約束で友人に依頼して殺させる事件が起きた。私は、自分で直接殺すよりも、心情的には責任が重大だと感じてしまう。母と子は最も深い関係にあるから時には感情が直接ぶつかり合う。しかし、母を殺すという発想が心に浮かぶこと自体が異常なことで信じ難い。精神に異常を来たした者の突発的な出来事ならともかく、容疑者は普通の高校生らしい。

 少年による両親殺害は、未遂も含め、急増し、昨年は17件発生した。次々に信じ難い事件が起きるので記憶にとどめるのが難しいが、忘れがたいのは奈良県の事件だ。医師である父が勉強を厳しく指導したことが原因とされるこの事件では、成績優秀な高校生が自宅に放火して母と弟、妹を殺害した。

 また、最も新しいところでは今月30日、両親を殺害しガス爆発を起こさせた、犯行当時15歳の少年に検察は、懲役15年を求刑した。

 少年の親殺しをどう考えるべきか。人殺しが報じられない日はない。その多くは些細な理由のようだ。これだけ頻繁に殺人事件を見聞きして、少年の心には、人を殺すという行為が暴行や傷害と同列に映るのだろうか。人の命を奪うことは絶対に越えてはならない一線であることを、私たちは子どもの頃、心の底にしっかりと横たえていた。それは言葉で教えられたものではなく生活の中で自然に身についたものだった。

 命の尊さ、命の神秘、これらに対する思いが子どもの心に芽生えていないことは重大だ。これらは人間である以上備えねばならぬ特性だが、人間として生まれたからといって、初めから当然に備わっているものではない。それは、人間として育てられることによって身につく心の特性である。

 人間は社会的存在である。いろいろな人間関係の中で人間としての心が育つ。父母だけでなく、祖父母、兄弟姉妹、隣近所の人、友達等、これらの中で苦しんだり、悲しんだり、感動したりといった刺激の中で人間としての心が育つのだ。

 今日の子どもたちの中には、単純な人間関係の中で育てられる者が多い。それは人間的刺激の少ない箱庭的な環境である。そこでは、野生的要素のない飼育された人間が育てられてしまう。それは人間の心が未成熟なロボット的な人間だ。だから、親と子の関係も普通の人間以上のものではないから親殺しが起きてしまう。

 親殺しが多いことと児童虐待が多いことは無関係ではないだろう。心が未成熟な子どもが親になって子どもに対応する中で児童虐待が起きると考えられるからだ。親殺しと児童虐待は日本の社会が崩れていく不気味な前兆である。何とかしなくてはならない。解決に向けた一つのカギは温かい地域社会の再建だと思う。

(健全な親子関係が育つことを願って。読者に感謝)

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