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2006年9月24日 (日)

『上州の山河と共に』中村のりお著 連載(5)「宮城村で開墾生活」

私は頭の上で回っているヒコーキがどうしても欲しかった。母は、そんな高いものは駄目だという。結局買ってもらえなかった私は、がっかりすると同時に腹を立て、帰り道、石のように口をきかない。そして、とうとう例の坂のところ迄やって来た。時刻は、早くも、夕日が傾く頃になっていた。この坂には、実は、これと平行した、細い道があった。本道は、赤土が深くえぐれた馬も車を引いて通れる道であるが、もう一本は、高い所を人間が一人通る位の細い道である。

母が広い坂道に入ってゆくのを見て、私は上の細い道に入っていった。坂に入ると、時たま、ほほにポツリと、当たるものがあったが、やがて、本降りとなり、そのうち、雷鳴をまじえたすごいどしゃ降りとなった。低い道は、このような時、回りから流れ込む水がいっしょになって、膝にも届くほどになり、水流は子どもを押し流さんばかりになる。私は子どもながらに、とっさに思った。母が心配して探しているに違いないと。その通りであった。母は自分の来た道を私が下から登ってくると思い、濁流の流れる方向を伺うが見えないので、「紀雄!、紀雄!」と叫びながら、水の中を、必死で足を踏ん張りながら坂を下ろうとしていた。私は夢中になって、崖の上から水の中へ飛び降り母を捜す。上流に走ったが見えない。下の方で探しているのか、この水流に押し流されてしまったか。後悔の念が、一瞬頭の中を走る。にわかに暗くなった空間を引き裂くように稲妻が走り、流れは、増々激しくなった。私は気狂いのように、「お母ちゃん、お母ちゃん!」と叫びながら下流へ走る。しかし、流れに足を取られそうになり、思うように走れない。ゆるいカーブを曲がると雨の幕を通してぼんやりと人影らしいものが見える。私が流されたかと、必死で捜す母であった。私は、「お母ちゃん、勘弁して」と、夢中で母に抱きついていた。

若かった母も、もう77歳になった。すっかり老いた母を見て、私は、時々、昔のこの場面を思い出すのである。

冬は寒さと共に風がすごい。掘立小屋には、まだ、雨戸もなく、かわりに、上からシートを垂らしていたことがあった。ごうごうと、風はうなりを上げている。父は、何かの用で、その日は帰りが遅い。親子3人、ランプを消してじっと布団にもぐっていると、強い風はシートを巻き上げて屋根に叩きつける。シートは、下に落ちたり、舞い上がったり繰り返している。親子三人は生きた心地もなく、暗い布団の中で抱き合っていた。待ちくたびれたころ、いつものように、父の咳払いが聞こえた。あの時の嬉しさは、たとえようのないものであった。地獄に仏とは、あのようなことを言うのだろう。

このような山の生活が2年近く続いた。それ以上続けることは、無理なことであったろう。それに、私の小学校入学が近づいており、山奥から小学校へ通うのは大変ということもあって、ついに開墾生活に見切りをつけ、すぐ下の部落、落合と言う所に移ることになった。現在、柏倉の一番北の方に、「大崎の釣堀」があるが、その近くである。

次回は930日(土)に掲載予定です

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