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2006年7月12日 (水)

後援を拒む県教委の理屈

★712()更新分

 前にも触れたが、若い先生たちが自主的に熱心に取り組む研修活動の輪がある。私はこれまでに、実際、三度参加したが毎回、授業を改善しようと努力する教師たちの姿に新鮮でひたむきなものを感じた。仲間の教師が生徒となる模擬授業では、手を焼かせる生徒もいる。時々、リーダーから、そんな教え方ではダメだなどと厳しい指摘が入る。後で聞いたら、あそこで恥をかくことが実際の授業で大変役に立ちますと振り返っていた。私は、その後、この教師が学校の教壇に立って模擬授業の体験を生かす姿を見た。

 今、学校教育は余りにも多くの難しい課題を抱えている。教育改革が叫ばれているが、その成否は、最前線の授業のいかんにかかっている。実際の授業を見ると中には、教師の熱いものが感じられないものもある。授業は穏やかなものであっても教師にとっては生徒との対決の場である。危機感をもって絶えず工夫しなければ授業は活きない。

 さて、若い先生たちの活動に従来、県教委は「後援」を出すのに消極的であったらしい。私が、このような自主的な活動を教委はサポートすべきではと話したら、「後援」が出た。今回、夏休みの取り組みにつき2度目の申請を出したら、教委の担当が今回は見合わせたいといってきた。その理由につき私は理解に苦しむ。

 一つは、学校で責任をもって取り組むことが学校外で行われる場合に、これを県教委が後援することは適切でないというもの。(今回の企画は子どもの参加も予定している)

学校外、つまり地域社会の教育力を生かす必要が叫ばれている時、偏狭とも言うべき姿勢ではないか。出る杭は打たれるという。とかく、新しいことをやろうとすると冷ややかに扱われる。しかし、そんなことでは改革は出来ない。担当に、このグループの活動を実際に見ましたかと聞いたら見ていないといった。教委は、このような学校外の動きを実際に見る必要がある。

 その他の理由は採るに足りない。このような後援申請が塾やその他から次々に出てきたら困るというが、仮定の事を判断の材料にされては困る。また、その都度、「教育」の見地から判断して、良いものは「後援」すべきだと思う。また、今回の件は、学校の教師たちの自主的な取り組みなので、県教委が「後援」することは、学校教育を刺激し全体を活性化させることにつながる意味もあるのである。今回の教委の判断は、教委事態の活性化が問われる問題でもある。学校の先生たちの自主的な活動を広い視野で見守り支えていきたい。

(学校の活性化を願って。読者に感謝)

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