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2006年7月27日 (木)

ふるさと未来塾を休むときが来た

 歴史を映像を使って語る「塾」は、面白いといって熱心に聞いてくれる塾生に支えられて、月一回、余程のことがない限り続けてきた。およそ10年になる。芳賀の公民館を使っていたが狭くなって、市の福祉総合会館に移ったが多い時は7080人が出席する。私自身の勉強にもなるので楽しみに続けてきた。私は、東大で西洋史を専攻したが、当時はあまり勉強しなかった。また、今から振り返ると歴史の面白さと大切さが分かっていなかったと思う。このことは、学習塾で時々学校のテストに備えて歴史を話す時も同じであった。

 歴史を学ぶことの必要性を痛切に感じるようになったのは政治の世界に飛び込んでからだ。現在の社会は過去の蓄積の上に成り立っている。今の若者は豊かさの中にぽっと投げ出されたから貧しい時代のことが分からないし豊かさのありがたさも分からない。戦前と戦後を生きた人は今日の社会の豊かさや民主主義の意味が分かる。同じように過去を知ることによって現代のことが分かるのだ。

 現在の歴史教育は、その役割を果たしているとはいえない。国際化が進む中で、国際理解教育で重要なことは自国の歴史や文化を語れることだ。私は、近現代史がおろそかになりがちなのでその重視を指摘してきた。また、政治家が物事を判断する際も歴史的視点は欠かせない。政治家が哲学を求められるとき、歴史的素養は不可欠な要素である。私たち政治家は、この点も反省しなくてはならない。

 ふるさと塾は、様々な思いをこめて、歴史嫌いといわれる風潮にチャレンジする気持ちで続けてきた。コロンブスの新大陸発見、奴隷貿易、マルコポーロ、キリスト、マホメット等々、過去の熱い人間の営みが今日の世界の動きと密接に関わっていることを見てきた。

「歴史がこんなに面白いとは思わなかった」という声を聞くと疲れも忘れるのであった。

 来年の5月まで休むことを決意した。理由は、来年4月の県議選である。過去5回の選挙と比べ、宮城、大胡、粕川が加わり、更に富士見村も選挙区に入る。大変な戦いになることは必至である。土曜日に塾をする余裕はなくなってしまったのだ。

 昨日の「日記」で政治家は馬鹿だといわれたことを書いた。有権者の意識は厳しい。今、初めて県議選にチャレンジした時のことが目に浮かぶ。太平洋に放り出されたような心細さで家々を回りおどおどしながら自分の考えを語った。あれが、私の「政治」の原点だったと思う。政治や行政の現実を含めた民主主義にはいい加減な部分があるが、選挙は命がけである。原点に立ち返り、政策を訴える手段を武器に頑張りたい。このブログも熱くなることもあると思うが引き続きご覧頂きたい。

(ふるさと未来塾の復活を誓って。読者に感謝。)

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