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2006年7月31日 (月)

夏祭りにちょっとした異変

 土、日は夏祭りで各地の町内が賑わった。祭りなどの行事に出る来賓的立場の人は、お包みを持っていくのが日本の習慣である。以前は、私も、寸志とかお祝いと書いて小額の金を持っていったことがある。しかし、政治家は、公職選挙法で、これは寄付として禁じられている。止めようと申し合わせてもいつしかずるずると復活してしまう。苦肉の策として「中村のりお後援会町内有志」と書いてウーロン茶を一箱(約千円)をもっていくこともあった。

 しかし、ある市議がみかん一箱を神社に寄付して書類送検される事件が起きた。そこで前の「日記」で書いたが、私は自民党前橋支部長として、支部の会議を開き、自治会代表にも参加を願い協力を要請した。連合自治会は、総会の決定に基づき「政治家から、夏祭り等に於いて寄付を受けとらない」という通知を全ての町の自治会に出してくれた。

土曜日14箇所の夏祭りに出たが、自治会の通知の効果が大きいことに驚いた。「名刺だけで来ました」というと、どこでも「承知しています」と明るい笑顔が返ってくる。今まで、何か後ろめたい気持ちでもじもじと物を出していたときと比べ受付の雰囲気が格段と違い、自分の心も明るい。物を受け取る側の自治会に受け取らない旨を周知徹底してもらったことが新たな局面をパッと開くことになった。金子泰造自民党幹事長は、前橋だけでなく、他の支部も、前橋方式を採用することになったと、私に話した。

 ことは夏祭りだけではないのである。前にも「日記」で触れたが、今回の出来事は、民主主義の発展のために大きな意義があると思う。「何故、民主主義と結びつくのですか」と問う人がいたが私は、こう答えた。「政治家が寄付をすることはそれによって票をもらうことにつながります。票を目的とした買収をなくすために政治家の寄付を禁じているのです。選挙は民主主義を実現するための最も重要な手段ですから選挙をきれいにするための寄付行為の禁止が、自然に笑顔のうちに実行されることは、民主主義の大いなる進展だと思いますよ」

 納涼祭ではいろいろな人といろいろ意見に出会う。私は、ある町の役員と次のようなやりとりをした。

「知事と議会が対立するのはよくないですよ」

「議会の役割はチェック機能ですから言うべきことは言います」

「知事をいじめているように見えます。本当に追及すべきことを追及していないではありませんか」

 私は、知事をいじめてなんかいませんと答えたが、世間ではこのように受け止める人が多いのだと感じた。これは、県議会が信頼されていないことの現われだと思う。そして、このように受け取られる傾向は知事選に影響するに違いない。大きな課題である。

(地域の民主主義が進むことを願って。読者に感謝)

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2006年7月30日 (日)

合併は成功したか。更なる合併は必要か

 最近、時々富士見村に足を運ぶ。すると富士見の人は合併に大きな関心をもっていることが伝わってくる。「合併しないと取り残されてしまうのか心配です。合併のメリットは何ですか。よく分からないで反対賛成を叫んでいるみたい」ある主婦は初対面の私に向かって心配そうにこうたずねた。

 最近の調査では、県内39市町村長の8割以上が自治体の存続に不安を感じている。その主な理由は、予想以上のスピードで進む高齢化に伴う財政負担の厳しさである。高齢化が進めば介護や医療や年金などの社会保障の負担が増える。それを支えるための財源が追いつかないのだ。本県の高齢化率(65歳以上の割合)18.1で関東7都県で最も高い。

 合併した市長村でも「苦しい」「厳しい」といっているのだから、合併しない自治体は、その自治体の特色を発揮した独自の努力と工夫が出来なければ一層厳しいのではないか。調査によると、全国の市町村長で、合併を評価する・ある程度評価するが計約77%、更に合併を進めるべきだという意見が48%を超える。平成の大合併が良い結果を生むかどうかは、まだ走り出したところなのでわからないが、高齢少子化が不安をあおっている感じだ。富士見村村民の不安がよく分かる気がする。一般に、自治体トップが不安なら住民の不安は一層大きいだろう。だから自治体は住民に対して十分な説明をしなければならない。

 合併との関係で、昨日の「日記」で取り上げた長野県下條村のことを再び書く必要があると思う。ここでは合併しない自治体ゆえに素晴しい政策を実行出来たと思われるからである。多くの自治体から財政難の声が聞こえるが下條村は、村民の協力で村の貯金が村の年予算にあたる27億円に達したという。きれいなマンション風の集合住宅は広くて安くて(周辺の約半額)若者に人気で、条件付き(消防団加入、自治会加入、子どもを増やす計画等)でも申し込みが殺到しているという。特殊出生率も全国では1.25というのに、ここでは現在1.97で村の計算では0305年には2.12になるという。このような政策は、村長の強いリーダーシップの下で小さな自治体だから実行できたといえる。助役は私に、「自分の財布だから出来る」と話していた。

 下條村の動きは、私たちに重要な教訓を与えてくれる。まず、合併によって、地域の特色と住民の連帯の和が薄くなり、古くから受け継がれてきた文化や伝統がなくなっては困るということである。また、合併しないという決意で行政と住民が一丸となって小さな自治体を守るというケースがあって良いと思う。下條村はその好例である。

(合併の成功と地域社会の活性化を願って。読者に感謝。)

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2006年7月29日 (土)

少子化の実態は

 私の後援会の幹部をしているある農家を訪ねたら庭先に若い女性がいて、生れて間もない赤ちゃんを乗せたうば車を押していた。「可愛いですね」と私が笑いかけると、「ええ、二人目です」と女性は嬉しそうに答えた。「それは御苦労様です。赤ちゃんは宝ですね。1.25とか知ってますか」「はい、特殊なんとか、女が産む子どもの数ですね。」こんな会話をした。のぞき込むと赤ちゃんがにこにこと笑った。母親との会話は楽しいものであったが、この赤ちゃんの未来に何が待ち受けるのかとふと思った。

 「1.25の衝撃」ということが大きく報道された。少子化対策は今日の最大の課題なので、国は担当大臣まで置いて躍起になっている。しかし、国の施策は大体失敗に終っている。若い人たちは問題を真剣に受け止めていない人が多い。子どもが少なくなることは、年金や福祉などを支える力が減少することを意味する。既に年金などの破綻が数字上も論じられるようになった。同時に高齢化が急速に進んでいることも少子化問題を深刻にしている。

 国が新たな政策を立てることが必要だが、少子化対策のカギは、住民と直接関わる地方の努力と工夫である。最近、「出生率の上がった村」ということで長野県下條村のことがマスコミで大きく報じられた。ある女性週刊誌は「子供を産める村の奇跡」として大きく取り上げた。私は、下條村の役場に連絡して資料を送ってもらった。いずれ、実際に視察したいと思うが先ず、資料にあるいくつかの点を紹介する。

 下條村は飯田市の南、車で20分~30分の所にある。人口約42百人。そして、高齢化28.6というから、村の活力を維持することはさし迫った課題だ。村の施策として注目されるのは、幼児から中学生までの医療費無料化と若者定住村営集合住宅だが、特に後者である。この春も、村外から来た若い夫婦が、この集合住宅12戸に入った。全戸2LDKで、家賃は月36千円である。一般の家賃と比べ2万円程安い上に部屋は広く使い易いという。12戸は応募した約40世帯から選ばれたもの。村が示す条件は、「今後子どもが増える見こみ」、「消防団に入る」「自治会に入る」などがある。図書館やプールもあり若い夫婦が住みよい環境が整っている。図書館の利用率は県下第2位。

 財源については村人がボランティアで道作りなどの公共事業に取り組んでいる。「自分で使える金であってこそ独自の工夫が出来る。合併していたら不可能だった」と熊谷助役は私に語った。地方の役割が大きくなっている今、そのための合併だといわれるが一律に考えることは出来ない。下條村に学ぶことは多い。

(少子化対策が実を結ぶことを願って。読者に感謝。)

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2006年7月28日 (金)

民家で刑罰の話をした

 得意技という表現はおかしいかも知れないが、私は余り抵抗感なく知らない家に入り込んで話をする。ある家で私のブログを読んでいるといわれ思わず頬が緩むのを覚えた。

 話は裁判員制度のことに及び、自分が当たったら困る、だから先生の「日記」にあったように刑罰の理解を深めようと思い刑事事件のニュースに注意しているという。私はいい気になって、最近の事件などを種にしてしばし話をしてしまった。

 ここで紹介するのは、家に帰って論点を整理したものである。先ず、「窃盗罪に軽い罰金刑が定められたというのはどういう事ですか、窃盗事件が多くて困るなら厳罰にすべきではないですか。」というもの。

 従来、窃盗罪は10年以下の懲役に処するということで罰金は定められていなかった。それが5月末に施行された改正刑法では、懲役刑の他に50万円以下の罰金刑も定められたのだ。窃盗罪は万引きや自転車盗など身近な犯罪である。最近は中学生の万引き、県立図書館で本を持ち去るなども問題となっている。私は議会で、犯罪を減らすためには微罪を厳しく取り締まるべきだと主張してきた。微罪だからといって見逃していると人々の規範意識がますます薄くなり結果として犯罪が増えるのだ。犯罪都市ニューヨークで、微罪を厳しく罰したら犯罪が減少したというのは参考となる。

 ところで、窃盗罪には、懲役刑のみ定められており、いくら厳しくとはいえ、初犯で、通常の窃盗犯に懲役刑を科すわけにもいかないので、これまでは、起訴猶予にして処罰しないことが多かった。このことが窃盗を甘く見る風潮をつくったといえる。改正刑法では、50万以下の罰金刑を科せるようになった。罰金は立派な(?)刑であり前科になる。

 前橋地検は、6人の窃盗容疑者に20万円~30万円という罰金刑を略式起訴で科した。

6人は、いずれも、ベランダから侵入して下着を盗んだり、スーパーで数千円の物を盗んだというもの。今までたかをくくって万引きをしていた人々などは、これからは厳しくやられることになる。検事は、従来起訴猶予になったような初発的な犯行も適切に処罰すると言っている。教育委員会は、中学校・高校生にもこの刑法改正を伝えるべきだ。

 もう一つ話題になったことは、危険運転致死傷罪のことである。最近交通事故で人を死に致した件で懲役16年が科される事件が注目されている。従来、業務上の過失犯として軽く扱われていたのが、やはり、刑法改正により危険運転により負傷させた場合は、15年以下の懲役に、死亡させた場合は1年以上の懲役ということになった。1年以上ということは、上は20年ということである。この続きは、次の日記で書くことにする。

(万引きなどの窃盗罪が少なくなることを願って。読者に感謝。)

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2006年7月27日 (木)

ふるさと未来塾を休むときが来た

 歴史を映像を使って語る「塾」は、面白いといって熱心に聞いてくれる塾生に支えられて、月一回、余程のことがない限り続けてきた。およそ10年になる。芳賀の公民館を使っていたが狭くなって、市の福祉総合会館に移ったが多い時は7080人が出席する。私自身の勉強にもなるので楽しみに続けてきた。私は、東大で西洋史を専攻したが、当時はあまり勉強しなかった。また、今から振り返ると歴史の面白さと大切さが分かっていなかったと思う。このことは、学習塾で時々学校のテストに備えて歴史を話す時も同じであった。

 歴史を学ぶことの必要性を痛切に感じるようになったのは政治の世界に飛び込んでからだ。現在の社会は過去の蓄積の上に成り立っている。今の若者は豊かさの中にぽっと投げ出されたから貧しい時代のことが分からないし豊かさのありがたさも分からない。戦前と戦後を生きた人は今日の社会の豊かさや民主主義の意味が分かる。同じように過去を知ることによって現代のことが分かるのだ。

 現在の歴史教育は、その役割を果たしているとはいえない。国際化が進む中で、国際理解教育で重要なことは自国の歴史や文化を語れることだ。私は、近現代史がおろそかになりがちなのでその重視を指摘してきた。また、政治家が物事を判断する際も歴史的視点は欠かせない。政治家が哲学を求められるとき、歴史的素養は不可欠な要素である。私たち政治家は、この点も反省しなくてはならない。

 ふるさと塾は、様々な思いをこめて、歴史嫌いといわれる風潮にチャレンジする気持ちで続けてきた。コロンブスの新大陸発見、奴隷貿易、マルコポーロ、キリスト、マホメット等々、過去の熱い人間の営みが今日の世界の動きと密接に関わっていることを見てきた。

「歴史がこんなに面白いとは思わなかった」という声を聞くと疲れも忘れるのであった。

 来年の5月まで休むことを決意した。理由は、来年4月の県議選である。過去5回の選挙と比べ、宮城、大胡、粕川が加わり、更に富士見村も選挙区に入る。大変な戦いになることは必至である。土曜日に塾をする余裕はなくなってしまったのだ。

 昨日の「日記」で政治家は馬鹿だといわれたことを書いた。有権者の意識は厳しい。今、初めて県議選にチャレンジした時のことが目に浮かぶ。太平洋に放り出されたような心細さで家々を回りおどおどしながら自分の考えを語った。あれが、私の「政治」の原点だったと思う。政治や行政の現実を含めた民主主義にはいい加減な部分があるが、選挙は命がけである。原点に立ち返り、政策を訴える手段を武器に頑張りたい。このブログも熱くなることもあると思うが引き続きご覧頂きたい。

(ふるさと未来塾の復活を誓って。読者に感謝。)

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2006年7月26日 (水)

政治家への不信は強烈だ

「ゴミになるだけですよ。政治家は皆馬鹿で嫌いですから」老人は吐き捨てるように言った。富士見村のとある民家の庭先で私の政策を書いた文書を渡そうとした時のことだ。「では、もったいないから返して下さい。皆馬鹿というのはひどいじゃないですか」こう言って、私は文書を返してもらった。一呼吸して冷静に話をしようとしたらこの人はバタンと扉を閉めて中に入ってしまった。強い政治不信を改めて肌に感じた。

 このような出来事に直接触れることは政治家にとって貴重なことである。ドアに消えたあの後姿は、社会の矛盾や不正、政治への不信と怒りを現わしているように思えた。

 今日の社会は沸き立つように激しく動いている。年金、福祉、教育、治安、環境と、先の見えない不安要因がいっぱいである。かじ取りの役目を果たす政治家は何も出来ない、だから政治家は馬鹿だというのであろう。政治家は、この「皆馬鹿だ」という言葉を謙虚に受け止めて反省しなければならない。

 では、反省して、先ずすべきことは何か。私は、一言でいえば、議員はもっと勉強すべきだと思う。議員は、地域社会で行動する。これは、官僚にない特色である。地域には様々な問題がある。例えば、道路や川の整備、治安、教育、福祉など。これらを国の政策の中に位置づけて語れるようにしなければならない。このことは、地方分権の時代が進む中で地方の議員にとって特に重要なことだ。

 現在民主主義の形骸化が懸念されている。民主主義は人類がこれまでに手に入れた最良の政治の形である。そして、民主主義を生かすものは、議員と有権者との「つながり」である。今、この「つながり」がおかしなことになっている。「つながり」は、選挙だけではない。普段、有権者に接し、政策を語り、民意を学ぶことは何よりも重要なことだ。この「日記」も、そのための一つの手段である。

 ◇来年の選挙は大変なことになる。

 前回の県議選と比べ選挙区が大きく変わる。合併のためだ。前橋を中心とした区域は特に変化が大きい。前橋が宮城、大胡、粕川に拡大したことに加え、富士見村が合区によって選挙区に加わった。しかも定数は、前回前橋選挙区の定数と同じ8人である。現在、新選挙区に10人の現職がいる。公明党は現在0だから来年の一議席は確実だといわれる。従って、前橋・富士見地区は、県政史上稀な激戦区になることが予想される。県全体も、定数が56から50に減ったから、大きな変化が起こるだろう。議員が馬鹿だといわれないために、先ず、有権者の心に届く活動をしなくてはならない。

(真の民主主義が育つことを願って。読者に感謝。)

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2006年7月25日 (火)

介護疲れで人を殺す。嘆願書を作る

 実は、先日のふるさと塾で、塾生が嘆願書に署名する場面があった。前橋市在住の女性が病床の夫を絞殺した。「介護に疲れた」「死にたい」と漏らしている。容疑者と同じ職場にいた人の話を聞くと同情に耐えないもので、私は頼まれて軽い刑を求める嘆願書を書いた。昨年には、伊勢崎市で夫が歩行困難の妻を絞殺する事件があった。表に現われないが介護に疲れて限界に追い込まれているケースは多くあるに違いない。人ごとではない。

◇認知症の母殺害に猶予判決。

これは、介護疲れと生活苦から合意の上で母を殺したケース。京都地裁は、懲役26月、執行猶予3年の刑を言い渡した。この事件では、生活保護を受給できなかったことも問題にされた。判決は、社会福祉事務所の対応に被告が「死ねということか」と受け取ったことも一因と指摘し行政を批判した。また、介護の状況から「命の尊さへの理解が被告に欠けるとは断定できない」と判断した。

承諾殺人は被害者が殺されることに承諾を与えたということで通常の殺人より刑が軽い犯罪となっている。自分の命を処分するのだから承諾は正常な判断力に基づくものでなければならない。この事件の被害者は認知症だというが、果たして、承諾の要件を満たしていたのか疑問に思える。

また、生活保護の受給については、今大きな社会問題となっている。受給者が余りに多くなっており、それは、これまで給付を認める行政の側が認定を甘くしていたからではないかという批判があった。三位一体改革における権限委譲に関する一つの問題点を成しているのである。

 刑法の条文を見ると、199条・殺人罪の次の200条は削除されている。かつては、ここに尊属殺が置かれていた。尊属とは直系の尊属のことで父母、祖父母等である。親を殺した者は、死刑又は無期であった。これは、子が親を殺す場合だけを限って重罰にすることは、平等原則に反すること及び、この重罰の定め方は憲法が禁ずる残虐な刑に当たるというものである。子が親を殺す場合にも同情すべき場合があるのに死刑か無期というのは残虐だという考えである。実の父に子どもまで産まされた女性が思い余って父を殺した事件でこの点が問題となった。

最近の世論の中には、終身刑を設けるべきだという意見が多くなってきた。死刑の次に重い刑は無期であるが、無期は実際10数年で出所する場合が多い。死刑にすべきか迷いながら無期にするのは、どうかと思う。死刑と無期とでは、余りにも違いすぎるからだ。死刑をあまり適用しないためにも終身刑を設けるべきだというものである。裁判員制度の実施が近づく折、この点についても議論を深めていきたい。

(老老介護が改善されることを願って。読者に感謝)

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2006年7月24日 (月)

ふるさと塾はジャンヌ・ダルク

 今月のふるさと塾は、ジャンヌ・ダルクだった。単に興味をかき立てることが目的ではなくフランスという国を深く知る一助になればという思いで話した。パリの街角の、甲冑で身を固め馬にまたがるジャンヌの像を映像で紹介するところから始めた。像の前には私が立っている。02年にパリを訪ねた時の写真である。

 フランスで最も人気のある人物が三人いるという。その一人がジャンヌ・ダルクである。あとの2人はベルサイユ宮殿を建てたルイ14世及びかのナポレオンである。ジャンヌは謎に満ちた存在であるにもかかわらず、他の2人よりフランス人にとって重要であるようだ。金色に輝くパリのジャンヌ像は、このことを訴えているように思えた。ジャンヌが生きたのは15世紀前半、日本では室町時代である。

 普通の少女であるジャンヌがフランスを救えという「声」を聞いたのは13歳の時。ジャンヌは、神の声と確信し、やがて白馬にまたがり先頭に立ってイギリス軍を次々に破る。しかし、ジャンヌはイギリス軍に捕らえられ裁判にかけられ魔女として火刑に処せられる。19歳であった。仏王シャルルがイギリスを大陸から撃退した後、ジャンヌは裁判によって魔女でないことが認められ復権する。この二つの裁判の記録が残っていて、読むと少女の素直な心が伝わってくる。興味あることは、第二次世界大戦の後、バチカンによって、ジャンヌが正式に聖女に列せられたことだ。

 イギリスとの戦いの天王山であったオルレアンでは、今でも、勝利の日を毎年、祝日として祝っている。ジャンヌ・ダルクが救国のシンボルとして現在もフランス人の心に生きていることが分かる。一方で合理的な理念を掲げてフランス革命を達成し近代国家をつくったフランスは、他方で合理主義とは矛盾するジャンヌの存在を国家の中心にすえている。ここに、芸術と文化を愛するフランスの特色が現れているといえる。ジャンヌが生きたのは暗黒時代といわれた中世だが、そこからは、現代社会を底の深いところで支えるパワーが流れている。それを大事にしているフランスは見習うべきだと思った。

 終わりに近い時間で血なまぐさい歴史を繰り広げてきたフランスに死刑制度がないことに触れた。ペルー人のヤギ被告が幼女を殺したことについては死刑を求める声が強い。因みに、ペルーには、国家反逆罪を除いて死刑はない。現在、79の国が法律上、23の国が事実上、それぞれ死刑を廃止している。日本とアメリカは人権尊重を掲げる文明国であるが死刑存置国である。塾では大方の人は死刑制度は当然と考えているようだ。09年から刑事事件に裁判員制度が始まる。私たちは、裁判の場で死刑と向き合う可能性がある。だから刑罰につき日頃から関心を持たねばならない。塾では、このことにも話を進めた。(刑罰についての理解が深まることを願って。読者に感謝)

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2006年7月23日 (日)

自衛隊撤収完了を喜ぶ

 身内がイラクに行っているという人が、「よかった、よかった」と喜びを伝えてきた。私もひと事でなく胸をなでおろした。榛東村相馬原の第12旅団には私も間接的ながらかかわっている。自衛隊と民間との交流会があり、私もメンバーになっているのだ。この会の代表幹事の町田錦一郎さんは、県防衛協会長で、今回の第10次イラク復興支援軍を支える会の会長であるが、私の後援会の中心人物でもある。

 私は、自衛隊の歴史を振り返って感慨ひとしおである。憲法9条との関係で、違憲訴訟が続き、反対闘争が渦巻き、継子(ままこ)扱いされていたが、これは過去のものとなった。その後災害復興で活躍する自衛隊に国民は違和感をもたなくなり、自衛隊は大方の国民に認知される存在になった。平和ぼけといわれる日本人に、平和に対する危機感と国を守る使命感は薄いが、きな臭い世界の情勢、北朝鮮のさし迫った状況などがあって、自衛隊が必要だという世論は高まっている。しかし、憲法との関係では依然、自衛隊は多くの問題を抱えている。この際、私たちは、自衛隊の役割を平和憲法との関係で真剣に考えるべきだ。

 憲法9条は、戦争の放棄、陸海空軍の戦力不保持を定める。自衛隊が、この9条とくい違っていることは明らかだ。社会の現実は憲法に合致しなければならない。9条が、改正論議の中心になっているのはこのためである。とにかく、苦しい解釈の下で、専守防衛(自衛に徹する)を貫いてきた。この立場からは、自衛隊が海外の戦地へ出ることは大問題なのだ。しかし、イラク問題に積極的に協力しないことは、世界の世論が許さない。湾岸戦争の時は、膨大なお金を出しながら世界から冷たく見られた。

今回の自衛隊派遣は、戦いに参加するのでなく、人道的復興支援ということで、実現したものである。しかし、憲法上の議論され尽くされない問題があり、自衛隊の海外派遣が常態化することに対する懸念は大きいのだ。つまり、今度の派遣が成功したことを踏まえ、自衛隊の海外派遣を随時可能にする恒久法を目指す動きが活発化することが予想される。しかし、ムードに流されての拙速は避けるべきだ。

一般の人々は、憲法をあまり意識しないで論じている傾向があるが、ことは、重大な憲法問題があり平和国家日本の運命に深く関わる問題である。国際社会における日本の役割ということも含め、憲法改正の大きな論点でもある。国を守るという観点からも真剣に考えたい。(自衛隊への議論が深まることを願って。読者に感謝)

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2006年7月22日 (土)

改めて、もったいないを考える

 昨日の「日記」で「もったいない」について書いたら反響があった。亡き母の生活信条の一つであった。昼間、煌煌と電気がついているガソリンスタンドの光景、まだ使えそうな粗大ゴミの山、これらを見て母は、よくこの言葉を口にした。物のない時代を必死で生きた同世代の高齢者に共通の思いであろう。「もったいないという言葉を使いますか」とあるお年寄りにたずねたら、「若い者に笑われるから思っても言えません」という答えであった。

 この言葉が軽んじられることに日本の社会の特徴が現われている。それは、物を大切にしないこと、人の命を軽視すること、である。今、この「もったいない」という言葉は、更に重要な意味をもって、私たちに迫る。それは、深刻な環境問題の解決がこの言葉にかかるからである。

 そこで、この言葉の意味を見詰め、新たな動きを追ってみる。「もったいない」とは、広辞苑によれば、「むやみに費やすのが惜しい」ことだ。そして新しい動きとは、アフリカ人女性として初めてノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイさんが、この言葉に感銘を受け環境保護の合言葉にしようと世界に訴えていることである。

 マータイさんは、05年2月京都議定書発効に関する行事に参加するため来日し、この言葉を知って心を強く動かされたという。マータイさんは、演説で「もったいない」は、消費削減(リデュース)、再使用(リユース)、資源再利用(リサイクル)の3つの「R」を表わしていると主張し、「MOTTAINAI」と書かれたTシャツを手に皆でもったいないを言いましょうと唱和を呼びかけた。また、マータイさんは、アフリカで女性を動員した植林事業・グリーンベルト運動を展開しているが、05年のみどりの日(4月29日)に合わせ、日本にメッセージを送った。そこで、彼女は、日本で知った「もったいない」の精神を世界的キャンペーンにしたい、私にとって「もったいない運動」は、植林を続けることを意味します。「もったいない」は世界に受け入れられる概念です、と訴えた。また、マータイさんは、国連の会合でも、演説の中で、日本語の「もったいない」を環境保護の合言葉として紹介し参加者と共に唱和した。

 この言葉が本当に環境保護の合言葉として世界に広がり,効果を上げるためには、「言葉」の故郷である日本で、この「言葉」の意義が改めて見直しされることが必要だ。

(もったいないが再認識されることを願って。読者に感謝)

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2006年7月21日 (金)

もったいないという古くて新しい言葉

 来月の新盆の準備を妻が始めた。昨年89歳で亡くなった母の存在感が改めて意識される。母の生活信条の一つは、「もったいない」であった。大正に生まれ、昭和の苦しい時代を生き抜いた女性にとって、物を大切にするということは、骨身にしみ込んでいる要素であった。母の姿を思い出しながら、この言葉を考えるとき、これは、今日の社会にとって、最も重要なキーワードであると思う。

 物を大切にしないことが、環境を破壊する原因を作り、人間の心までも蝕んでいる。地球の温暖化が進み、異常気象が当たり前のようになり、地球の危機が差し迫った問題となっている。その主要な原因はエネルギーの多量な消費である。その最先端がアメリカ型の社会であり生活スタイルである。アメリカ人の消費するエネルギーは発展途上国の人々のそれと比べ何十倍にも達する。有限の地球は全人類の財産である。地球を壊す元凶というべきこの生活スタイルを改めることが急務となっており、世界の人々が本能的にこのことに気づき始めた。農村社会でゆっくりと時が流れていた中国がアメリカ型社会の仲間入りを始め、その勢いは止まらない。インドもしかり、インドネシアなどの東南アジアの国々も続こうとしている。かつて暗黒大陸といわれたアフリカもいずれこの流れに加わるのだろうか。地球は破滅に向かって雪だるまのように突進している。神の怒りは当然である。ノアの箱舟のような地球的規模の天変地異が近づく予感がする。これを救う哲学は、「もったいない」の思想である。

 滋賀県で女性知事が誕生した。「もったいない」を合言葉とした戦いに多くの人々が賛意を表した結果である。嘉田由紀子氏は、ダム造りなどの大型公共企業の中止を訴え、その分、教育、福祉、防災などに予算を充てるべきだと主張した。自民、民主、公明が推薦した現職を破ってしまったのである。滋賀県民はさぞすかっとした気持ちで快哉を叫んでいるだろう。この意外性は、長く続いた曇り空に日本晴れの青空が実現したような効果がある。群馬の空にも同様なことを期待する。県民が新たな気持ちで力を結集するためには、モヤモヤしたムードを一新することが第一だ。小寺知事は五選を目指すつもりらしいが、五選は長すぎてよくない。「もったいない」を群馬の特色にあわせて実現できる新しいリーダーの出現を切望する。「もったいない」の精神は環境問題だけでなく、心の問題とも結びついている。来年4月の県議選のテーマでもある。

(もったいないの考えが広がることを願って。読者に感謝)

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2006年7月20日 (木)

タバコの害とコロンブスの新大陸発見

 月一回の「ふるさと未来塾」でコロンブスを話したことがある。コロンブスの発見は、発見された新大陸の原住民にとっては、恐ろしい未知との遭遇で、スペイン人の残虐非道の侵略の始まりだったことから切り込んでいった。コロンブスの航海日誌には、発見した島々の一つで,「大勢の原住民の男や女が火のついた棒片と薫香に使う草を手にして通りすぎて行くのに出会った」と述べている.これは、原住民の習慣であるタバコであった。タバコは、コロンブスによってヨーロッパに伝わり世界中に広まった。

 喫煙は、今日、健康上の大きな障害として私たちの前に大きく立ちはだかっている。タバコの害が科学的にも明らかにされ、禁煙の動きが社会全体に広がっている。ニコチンによって血管は直ぐに収縮する。一服で血流が三分間にわたり滞るというデータがある。自分が吸わなくも隣の人が吸えば吸わされることになる(受動喫煙)。だから社会全体で禁煙にとり組まねばならない。県庁舎、県議会でも、喫煙場所を限定する動きが広がっている。広い自民党控室も、各議員の席に並べられていた灰皿が消えた。

 私の周辺でも禁煙が広がっている。長い習慣を改めるには努力が要る。また、意志の強さの問題である。私も40歳までかなりヘビースモーカーであったが、妻がガンにかかったのをきっかけに止め、以来一本も吸っていない。生活習慣病のことを書いたが、健康な生活習慣を築く第一歩は禁煙である。喫煙は肺ガン、動脈硬化、心臓病の発症率を高めることは,科学的に明らかである。

 ところで、社会一般で、禁煙が進む中で、若い女性の喫煙が目立つようになった。何かにつけ、女性の動きが目立つ時代であるが、若い女性の喫煙は妊娠や出産に対する悪影響が非常に大であるといわれる。非婚や晩婚が一種の流行のようになっているが、自分自身の幸せのため、また健全な社会をつくるため、若い女性に自覚と反省を求めたい。

 最近、健康増進法が成立した(02年)。この法律は受動喫煙の防止をかかげている。また、世界保健機構(WHO)は、毎年531日を、「世界禁煙デー」とすることを決議した。これは、タバコを吸わないことが社会習慣となるよう様々な対策を行うために設けられた。また、WHOは、たばこ規制枠組み条約を採取した(035月)。ここでは、広告、スポンサー行為の原則禁止、自販機から未成年者が入手できないようにするなどが内容。日本は、喫煙に関連した死者が毎年9万人と推定される。又、高3男子26%、中3男子5%が毎日喫煙しているという。社会が危機感をもって少年たちを厳しく指導すべきだと思う。

(喫煙のない生活習慣が広がることを願って。読者に感謝)。

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2006年7月19日 (水)

モーツァルト生誕250周年

オーストリアのザルツブルグの音楽祭に多くの日本人が訪れるらしい。モーツァルトが生きた時代はどんな時代だったのか。私の先月の、「ふるさと未来塾」に出席した人は、すぐにマリー・アントワネットを連想するだろう。私は、先月マリー・アントワネットを通してフランス革命の話をした。その中の一つのエピソードをしてモーツァルトに少し触れたのである。6歳のモーツァルトが自分の演奏会でアントワネットに出会って王女とは知らず、「大きくなったら僕のお嫁さんにしてあげる。」と言ったという。マリー・アントワネットは、オーストリアのハプスブルグ家からフランスの王家に嫁ぎ、フランス革命に巻き込まれて断頭台でギロチンで処刑される(1793年)。38歳であった。モーツァルトが死んだのは、この2年前、やはり35歳の若さであった。日本は、江戸時代で、アントワネットの死の10年程前に浅間山の大噴火があった。

 音楽祭では「フィガロの結婚」に人気が集まるらしい。モーツァルトは歌劇の作曲をしたがもとの喜劇はボーマルシエの作である。この喜劇はフランス革命前の民衆に歓迎されたという。それは、貴族の特権を痛烈にやっつける思想が流れているからである。マリー・アントワネットも「フィガロの結婚」のファンであったという。

フランス革命は人間の平等を掲げて旧体制を壊し、近代社会の基礎を築いたが、平等に反する典型は生まれによる差別である。フィガロは殿様を次のようにやっつける。「あなたはご自分ではえらい人物だと思っていらっしゃるが、あなたはその地位を得るためにそもそも何をなされた?生まれるだけの手間をかけた、ただそれだけではありませんか。」

 当時、人々の生活は惨めで、不平等な社会の矛盾は極限に近づいていた。そして、啓蒙思想が普及し、人々は、この矛盾、特に生まれによる差別の不合理に気づき始めていた。この不満が原動力となって爆発したのがフランス革命である。フランス革命が打ち出した思想の力はすさまじかった。大西洋を越えてカリブ海のフランスの植民地の奴隷の心を突き動かし、世界で始めての奴隷による独立国を生み出すに至ったのだ。それがドミニカ共和国である。人種の差別も革命の思想が強く否定するところであったのだ。

 人種差別といえば、最近のサッカー試合に、フランスのジダン選手が引き起こした事件の背景にも、人種差別の問題があったらしい。ジダンはアルジェリア出身の移民2世といわれる。フランス革命から200年以上経った今日も人種差別の問題は地球上の多くのところにある。モーツァルトの生誕祭も歴史的背景を踏まえると一層興味がつのる。

(人間の平等が実現することを願って。読者に感謝)

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2006年7月18日 (火)

大騒ぎのゼロ金利解除とは何か

 多くの質問が寄せられた。「中小企業は苦しくなるのでは」、「住宅ローンはどうなるのか」、「株価は下がるのか」。

 預金をしても利息がほとんどゼロというのは異常なことである。日銀が敢えて異常な政策をとったのはバブル崩壊後の極度の景気の低迷に対する対策である。銀行から借りた金の金利が高ければ、倒産は更に増え、失業者も増大したことだろう。

 長いトンネルを抜けて景気は着実に良くなっている。これが日銀の判断である。それにもかかわらず、ゼロ金利を続ければ、設備投資が過剰になるなど、また景気がおかしくなる。だから、ゼロ金利という異常事態を改めなければならない。これが日銀の理屈である。

 私は、いろいろな会合で、大企業はよくなっているが、中小企業は依然として厳しいということを聞かされる。ゼロ金利が改められると、中小企業の利払いの負担は大きくなり、苦しむところが出てくるだろう。

金利の負担が重くなるのは、中小企業だけではない。個人の借金も同じで、住宅ローンも金利がかさむことになる。このように、中小企業や一般国民の生活のことを考えると、この時期の「ゼロ金利解除」には反対だとする意見も当然ある。どう考えるべきか。

 「ゼロ金利」という異常事態の下で、日本の金融機関から超低利の資金を調達して金利の高い海外で運用するという、これまた異常というべき流れが広がっているという。景気がトンネルを抜け、全体として上昇に転じたという現在、異常な「ゼロ金利」政策は改めた上で、急激な利息の上昇は避け低い利息を続けるという政策が妥当なのだと思う。

 日銀は、「ゼロ金利解除」に先立って「量的緩和」も終結させた。「量的緩和」とは、銀行に注ぎ込むお金の「量」を多くすることである。資金の流れを細くするのでなく「緩」(ゆる)めるから、「量的緩和」なのだ。お金は血液にたとえられる。企業に血液が流れなければ死んでしまう。トンネルの真っ只中の時、銀行の「貸し渋り」ということが問題になった。日銀はこれを避けて企業を救うために大量の資金を銀行に流したのである。お金を大量に発行すればお金の価値は下がるのだから、これも異常なことである。

 預金しても利息はつかない、そして、大量の金が出回れば、それは「株」に向かうことになる。「ゼロ金利解除」と「量的緩和終結」は、株に流れる金にブレーキをかける。だから株価を下げる要因だ。しかし、経済が健全化し、企業の回復が本格となれば、株価はまた上昇するのである。(日本の経済が健全に向かうことを願って。読者に感謝)

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2006年7月17日 (月)

妻の一泊旅行

 妻が高校、大学時代の友達と懇親旅行に行きたいというのですぐに賛成した。普段かなりハードなスケジュールに追われる妻である。長いこと、私の選挙と議員活動を裏方で支え精神的にも肉体的にもエネルギーを使い果たし、さらにストレスで苦しんでいるようなので、良い充電の機会が必要であった。議員の妻は、常に世間の目を気にしなければならない因果な立場にある。昔の同級生なら気兼ねなく何でも語り合える。今頃お互い亭主の愚痴でも言って愉快に過ごしているかも知れない。先日の日記で、熟年離婚が増えていることを書いたが、私のところは、妻に出て行かれたら、大勝負となる来年の県議選は、戦わずして負けてしまう。

 ◆生活習慣病と「食育」について。

先日の日記で、メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)について書いたら、反響があった。多くの人が我が事と思いあたったのであろう。そこでは、脂肪を減らす対策として運動が重要であることを書いたが、運動と共に欠かせないのが食生活への配慮である。

 内臓脂肪がたまることが病気の原因ならば、脂肪を余分に採らないことが解決の道だと単純に考える。しかし言うは易く行うは難しで、食生活を改善するには、「食」についての知識や自分の考えを養っておかねばならない。ここで「食育」が登場するのである。

 今日飽食の時代といわれ、目にきれいで、口においしい食べ物が氾濫し、私たちは知らず知らずのうちに、この状況に流されている。ファーストフードや肉食の増加、結果として脂肪や糖質の多い食生活が習慣となり、これが生活習慣病の原因となっている。食べ物は海外からも多量に入る時代となり、生産者や生産過程が分からない状況で、食の安全が叫ばれている。

 この「日記」でも、「食育」のついては度々取り上げてきたが、生活習慣病対策として食生活を考える視点で取り上げるのは初めてである。食育基本法が成立したが、「食育」とは食を通して生きる力を育むことだ。それは、「食」について私たち一人一人が意識を高め、「食」に関して信頼できる情報を得て適切な判断を行う能力を身につけることだと思う。亡き母が、見た目は悪いが独特の昔からの食べ物を作っていた姿が思い出される。失われつつある日本伝統の食習慣の中には復活させるべきものが多くあると思う。食の伝統や文化に目を向けることも「食育」の重要な課題だと思う。

(健全な食習慣が生活習慣病を駆逐することを願って。読者に感謝)

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2006年7月16日 (日)

メタボリックシンドロームはひと事ではない

 内臓脂肪症候群のこと。厚労省が今年5月、糖尿病、心筋梗塞、脳梗塞などの生活習慣病の原因だとして大きく取り上げた。予備軍も含めると中高年の2人に1人が当たるということで今や大きな関心を集めている。人々の注目を集めるには、このカタカナ言葉は刺激的で効果的だ。

 厚労省は、去る12日、対策として、日常生活の中の必要な運動量の目安を、例えば散歩20分、ジョギング10分というようにまとめた。

 メタボリックシンドロームの目安は、ヘソを通る腹囲が男性で85cm以上、女性で90cm以上である。これに加えて、高血圧、高血糖、高脂血症のうち、二つ以上の症状を持つ人は心筋梗塞や脳梗塞となる危険が高い。症状が一つでも予備軍になるという。

 内臓脂肪とは、皮膚と腹筋の間にたまる皮下脂肪と違って内蔵にたまる脂肪のこと。特に体の化学工場といわれる肝臓にたまる脂肪が危険である。つまり肝臓に油(遊離脂肪酸)が流し込まれ、悪玉コレステロールの合成が増え、これが高脂血症や動脈硬化の原因となる。その結果、血液が流れづらくなり、心筋梗塞や脳梗塞になり易くなる。

 厚労省が日常生活の中の運動を重視するのは、内臓脂肪は運動によって容易に減らことが出来るからだ。運動に必要なエネルギーは、脂肪を消費して作られるが、運動の際、皮下脂肪より先に内臓脂肪が使われる。だから内臓脂肪はたまりやすいが減らすのも簡単に出来るというのだ。ある人は、皮下脂肪は定期預金だが、内臓脂肪は普通預金だという。出し入れが簡単だからだ。実際、皮下脂肪を減らすには何ヶ月も努力を続けないと効果が現れないが、内臓脂肪は週単位で効果が現れるという。

 ところが、車、エレベーター、電話といった便利な機械に支えられて暮らす現代人の運動量は少ない。メタボリックシンドロームを初めとした生活習慣病は文明の利器に振り回されて発生する現代病である。ことの重大性を認識し、自分を律して、日常生活の中で、小さな運動項目を実施することが必要だ。私は10項目以上を決め、○印を毎日赤く塗ることにしている。脳梗塞で倒れた後のリハビリの辛さを考えれば実行は容易だ。日々の努力の成果を県民マラソンで試す。毎年10キロコースを一時間以内で完走している。今年は1119日が実施日で、受付は7月から開始され、私も先日申し込みを済ませた。生きることは闘うことであり、闘う武器の第一は健康である。

(県民の生活習慣病が減少することを願って。読者に感謝)

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2006年7月15日 (土)

懲役刑の代わりの代替刑とは

 最近、凶悪事件が相次ぐ中で、死刑の是非、無期刑、終身刑などが話題になっているようだ。この日記でも何度か取り上げてきた。裁判員制度のスタートが近いことを考えると、私たち一般の市民が、刑事事件につき考える力を養うことは緊急の課題である。

 その一環として、今日は、「代替刑」を取り上げる。これは、新しい拘禁制度の一つとしてその導入を、法務大臣が今月26日の法制審議会に諮問するもの。代替刑とは、懲役・禁固刑の代替として科する刑であり、社会奉仕などをさせるものだ。身体を刑務所に収容することに伴う弊害を回避する点に主眼がある。同時に刑罰を科する目的は何かということとも深く関わる問題である。

 刑務所に収容することは、三食住居付きで、犯罪学校に入れるようなものだという人がいる。これは、刑務所で他の収容者から様々な犯罪に関する知恵や情報を教わるからである。また、社会から隔絶することで家庭が崩壊し、刑務所ずれがして社会復帰が難しくなる。また、最近の刑務所の過剰な収容率の問題がある。最近の収容率は118%で、どこも満ぱい。新たに犯人をつかまえても入れられないのではと心配する程だ。代替刑がスタートすれば、収容者を少なくすることが出来る。

 代替刑の中味として、ごみ拾いや草刈りなどをあげるが、もっと様々なものがあるだろう。もちろん、行動の自由も制限を受ける。専用の宿泊施設や自宅などへの居住の義務付けが行われ、所在を常に把握するために、全地球測位システム(GPS)を装備させる。規則を破れば刑務所に収容される。このようなことが、法改正を視野に入れて検討されるらしい。見守りたい。

 ところが、この「代替刑」について、それでは悪いことをしても懲らしめられないではないか、あるいは、罰を与えることにならないではないか、という意見が周辺から聞かれた。これは、刑の目的は何かということと関わる。

 刑は犯した罪に対するむくい、つまり応報だという思想は一貫して現代まで流れている。「目には目を歯には歯を」のハムラビ法典が最も古く、今日の死刑は、「命には命を」という意味ではハムラビ法典と共通のものがあるともいえる。しかし、刑の目的はこれだけではない。それは、教育の手段であって更生させ社会復帰させることを目指すという点も重要だ。特に、人権を尊重する憲法の下ではこの面が重視される。「代替刑」は、教育刑の考え方から特に意義のある制度であると思う。勿論、代替刑の対象とすべき罪や受刑者につき検討がなされるのであろう。(県民の刑についての理解が深まることを願って。読者に感謝)

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2006年7月14日 (金)

パート募集に多くの応募が

  一人欠員が出るので募集の広告を出したら驚く程多くの応募があった。男女雇用機会均等法によって、女性に限って募集することは出来ない。しかし、結果として、一人の例外を除いて全て女性の応募者であった。面接をして、有能な女性が社会の多方面でいかに活躍しているかという実態を知った。女手一つで子どもを育てる姿も何人か見られた。世界22カ国を回ったという女性や海外のいろいろな所で働いた経験を持つ女性もいた。この女性が、サハラ砂漠の体験の中で、人々は助け合わねば生きられないから心が温かく豊かだと語っていたのが印象的だった。日本は豊かで人の助けを必要としないから、心が貧しくなっているのかもしれない。

◆熟年離婚を考える。

 私の事務所に応募する女性の姿を見て、女性の生き方につき隔世の感を抱いた。憲法が男女の平等を掲げて60年、まだまだ不平等はあるが、女性が自由に自己主張し、自分の考えで生きるようになった。これは離婚が多い一因だが、特に熟年離婚にこの傾向が色濃く影響しているようだ。

 熟年離婚が増えているが、最近3年連続して減っているのは、妻たちが年金分割制のスタートを待っているからだという。離婚に踏み切る場合まず考えるのは生計のことだから、年金を法律的に分けてもらえることは、離婚を考える妻にとって有力な武器だ。

 来年度(07年度)から夫婦が合意すれば、結婚期間中に収めた分の夫の年金を1/2まで分割してもらえる。(任意分割)。そして、08年度からは「強制分割」がスタートする。つまり、サラリーマンと専業主婦の夫婦は、婚姻期間中の納付は、夫婦で共同して負担したものとみなされるのである。今年10月からは、社会保険庁は、夫の厚生年金の納付記録を、そして50歳以上の人には離婚時の年金見込み額を教えてくれる予定である。

 団塊の世代が定年を迎える時が来ている。多くの離婚予備軍が年金分割制に注目しているのかもしれない。団塊世代の定年後の動向は高齢少子の社会にとって重大事である。熟年離婚は、この問題につながっている。

 かつての男性中心の社会では、離婚は男から言い渡すのが慣わしだったが、今や逆転しつつある。人生が長くなったが、高齢期を迎えると男は急激に、肉体的にも精神的にもパワーを落としていく。加齢と共によみがえる女性パワーを有効に社会参加に導くことが、活力ある社会を築くためにも重要である。

(団塊の世代の活力を生かせる社会を願って。読者に感謝)

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2006年7月13日 (木)

日本教育新聞に寄稿

★頼まれて寄稿文を書いた。「日記」でも紹介したい。

 学習塾経営の経験がある私は、学校の授業を視察するとき、塾と学校の役割の違いを意識する。塾ではわかる授業をして実績を上げ生徒を減らさないことが最大の課題である。だから、塾の教師には、正に生活を賭けた緊迫感がある。

 公立学校では、ゆとり教育によって真の学力、つまり「生きる力」を身につけさせようとしている。ここでは、人間教育までも任務としているのだ。しかし、学校の教育が今、うまくいっているとはいえない。

 今、学力の低下が懸念されている。さらに、教育基本法が改正されようとし、この関係で愛国心をどう教えるかが問題となっている。愛国心、つまり国を愛する心は、人の心の問題ではあるが、学校や家庭で、これを子どもたちに教えることは緊急の課題だと思う。大切なことは、その中味と教え方である。私たち一人一人の存在の基盤である日本という国や自分のふるさとを大切にすることは極く自然のことである。

 一人一人の人間を大切にするという民主主義も、歴史や文化や自然に支えられた国や地域社会を前提とする。ただ、今日の日本は、個人よりも国を大切にするという全体主義ではないから、これが愛国心だと権力が決めて上から教えるということは出来ない。子どもたちの新鮮な心に、国や社会が大切であることを分からせる資料で働きかける努力が必要である。

 その資料とは、例えば、国や古里に貢献した歴史上の人物や美しい自然、伝統の文化などで、これらを、愛国心という表現を使わずに紹介し子どもの心に感動を与えることは可能だと思う。それによって、自分を超えた公共のことに貢献することの大切さと責任感を自然に育むことが出来れば、これが、愛国心なのだと思う。だから愛国心は人の心の問題であり、人によって異なる。ところで現実の日本人には、このような愛国心が十分に育っていない。これは、この問題を避けてきた国や行政の責任でもある。

 スポーツの国際試合で、「ニッポン」を絶叫する若者を見ると日本を思う熱い意識があるようだが、スポーツだけでなく、また、一時的なものでなく、偏狭なナショナリズムとも異なる国を思う心の基盤を国際理解教育と結びつけて養うことが大切だ。

 今、北朝鮮のミサイルのことで緊迫している。現実に日本が攻撃されたらいかなる平和主義者でも国を守るために戦わねばならない。これは極端な場合の究極の愛国心が求められる場合である。歴史には多くの例がある。私たちは、勇気をもって子どもたちに、真の愛国心を教えるべきである。

(真の愛国心が育つことを願って。読者に感謝)

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2006年7月12日 (水)

後援を拒む県教委の理屈

★712()更新分

 前にも触れたが、若い先生たちが自主的に熱心に取り組む研修活動の輪がある。私はこれまでに、実際、三度参加したが毎回、授業を改善しようと努力する教師たちの姿に新鮮でひたむきなものを感じた。仲間の教師が生徒となる模擬授業では、手を焼かせる生徒もいる。時々、リーダーから、そんな教え方ではダメだなどと厳しい指摘が入る。後で聞いたら、あそこで恥をかくことが実際の授業で大変役に立ちますと振り返っていた。私は、その後、この教師が学校の教壇に立って模擬授業の体験を生かす姿を見た。

 今、学校教育は余りにも多くの難しい課題を抱えている。教育改革が叫ばれているが、その成否は、最前線の授業のいかんにかかっている。実際の授業を見ると中には、教師の熱いものが感じられないものもある。授業は穏やかなものであっても教師にとっては生徒との対決の場である。危機感をもって絶えず工夫しなければ授業は活きない。

 さて、若い先生たちの活動に従来、県教委は「後援」を出すのに消極的であったらしい。私が、このような自主的な活動を教委はサポートすべきではと話したら、「後援」が出た。今回、夏休みの取り組みにつき2度目の申請を出したら、教委の担当が今回は見合わせたいといってきた。その理由につき私は理解に苦しむ。

 一つは、学校で責任をもって取り組むことが学校外で行われる場合に、これを県教委が後援することは適切でないというもの。(今回の企画は子どもの参加も予定している)

学校外、つまり地域社会の教育力を生かす必要が叫ばれている時、偏狭とも言うべき姿勢ではないか。出る杭は打たれるという。とかく、新しいことをやろうとすると冷ややかに扱われる。しかし、そんなことでは改革は出来ない。担当に、このグループの活動を実際に見ましたかと聞いたら見ていないといった。教委は、このような学校外の動きを実際に見る必要がある。

 その他の理由は採るに足りない。このような後援申請が塾やその他から次々に出てきたら困るというが、仮定の事を判断の材料にされては困る。また、その都度、「教育」の見地から判断して、良いものは「後援」すべきだと思う。また、今回の件は、学校の教師たちの自主的な取り組みなので、県教委が「後援」することは、学校教育を刺激し全体を活性化させることにつながる意味もあるのである。今回の教委の判断は、教委事態の活性化が問われる問題でもある。学校の先生たちの自主的な活動を広い視野で見守り支えていきたい。

(学校の活性化を願って。読者に感謝)

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2006年7月11日 (火)

公職選挙法の遵守に自治会が協力

 私が泡沫に近い無名の存在から政治の世界に飛び込んだのは、昭和63年のことでおよそ18年が過ぎた。色々戸惑うことの多い世界であったが、中でも驚いたことは、何かにつけお包みをもっていろいろな会合に顔を出す習慣であった。世の中のために尽くすという考えなのに、何で金を持っていくのか、これが素朴な疑問であった。それが世の中に長く続いた陋習(ろうしゅう)であったのだ。

このような社会では、金銭的にも感覚的にもこのような習慣に耐えうる人が政治家になることになる。そして、政治を純粋に考える新人が政治の舞台に出ることが難しくなる。また、金のかかる政治は、政治家を利権に走らせる。結果として、政治の世界を卑しくし、魅力のないものにし、政治批判、政治離れを増幅し、社会は課題を抱えながら活力を失い行き詰っていく。普段日常もこのようであるから、選挙になれば、たかりの様相が色濃く現れることになる。このような事情は、地域社会の、ほとんど構造的といてよい特色であったといえる。(陋習:悪い慣わしの意)

 社会は急激に変化し、政治の役割は増大するにもかかわらず、政治不信はつのるばかりであった。このような、民主主義の過程をむしばむ流れを改めるためには、公選法を厳格に適用せざるを得ない。取り締まりは、厳しくなり寄付の習慣は多少改められたかと思われてもしばらくすると元に戻ってしまうという状態が繰り返された。そして、このような状況下、ミカン一箱で書類送検される議員の事件が起こるに至った。

 私は自民党前橋支部長として、自治会側の協力が不可欠と考え、支部の役員会に自治会幹部にも出席願い、事情を説明し、全面的な理解と協力を頂くことになったのである。自治会側から寄付は受け取らないという形をつくってもらうことは、空手で行くことの抵抗感をやわらげる意味で、私たちにとって、非常に有り難いことなのである。

 自治会連合会総会で賛同を得、文書化された事項は次のとおりである。

1.自治会主催の夏祭りなどの行事について。

 (1)自治会は、議員等からの寄付を辞退する。

 (2)自治会は、議員等に対して寄付を要求しない。

2.自治会主催の忘年会などの会費制行事について。

 (1)あらかじめ会費を設定し参加者に周知する。

 (2)これに議員等を招く場合は、案内文書に会費を明記し、会費以外の寄付は辞退する。

◆注として、文中の「議員等」には、各議員や知事市長、その候補者又は候補者になろうとする者、及び、この意味の「議員等」の後援団体が含まれることが明らかにされた。この文書は、民主主義を実現するための大きな意義があるものと考える。それは、せっかくつくられた合意を守れるかどうかという議員の意志にかかっている。

(健全な民主主義が育つことを願って。読者に感謝)

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2006年7月10日 (月)

倫理法人会の10周年記念大会

 企業に倫理をという運動に参加する群馬県の中小企業が1,000社を超えた。「ハイ」と答えて倫理の項目を復唱する朝の集いに私も何度か参加したことがある。

この日、来賓席には、知事代理の内山教育長と私が座った。私は、人々の姿を見て、ライブドア事件の堀江氏や村上ファンド事件の村上氏のことを思った。集まった人々は、これらとはおよそ対極にある人である。こつこつと真剣に小さな利益を大切にして努力する中小企業の存在こそ、日本の経済と地域社会発展の基礎なのだ。今、日本の社会全体が危ない状況にある。一つは、心の問題だ。隙があれば騙そうというモラルのない詐欺的商法が横行している。モラルや倫理を法律で強制することは難しい。ここに、民間の企業が自主的に倫理の実践運動をすることの意義がある。

 この日も、国際社会では、北朝鮮のミサイル発射問題で緊迫していたが、ほとんどの日本人は危機意識を持っていない。平和ぼけしていると言われる日本人は、万一戦争状態になったら国や家族を守るために戦うことが出来るだろうか。 

 愛国心が叫ばれているが、押し付けられた即席の愛国心では意味がない。普段から社会公共のために尽くすという公徳心を養うことが、国を愛し国を守る意識を育てることになる。企業倫理の運動は、ここに結びつく意味があると思う。いずれにしても、北朝鮮のテポドンは、眠れる日本人の心に測り知れない重要な問題を突きつけている。

◆「議長日記」出版の準備が進む。

 毎日、ホームページでつづった議長日記を本にして上毛新聞社から出版することになった。改めて読み返すと、その時々の出来事や思いがよみがえる。一人の議長から見た県政の動きは、県民が県政を考える一つの資料として多少の価値があるかもしれない。読み物としても興味をもたれるものとなるだろう。

 問題は、面白く読んでもらうためにどのように編集するかである。時系列に毎日をつなげていくか、分野ごとに分けるか迷ったが、後者を採ることにした。第1章・南米訪問、第2章・警察治安、第3章・教育関係、第4章・少子化対策、という風に。「日記」は、もともと、県民に情報を提供し、県民参加の県政を実現する一助にしたいという願いがあった。整理してまとめた出版物としての「日記」が、この目的に一層役立てばと思う。

(日本人の国を守る意識が高まることを願って。読者に感謝)

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2006年7月 9日 (日)

テポドンが突きつけるもの

 6日の「日記」で本県の対応について書いた。7日、消防庁から本件に7発目が発射されたとの緊急連絡が入る。人々の間にも、ミサイルの危険性が現実のものと受け止められ関心と緊張感が高まっている。そして、私の周辺の人からは北朝鮮とはどういう国なのか、日本との関わりはどうなっているのかという声が聞かれる。航空機爆破、麻薬や偽札、日本人拉致、核、ミサイル発射、がらっと変わって、美女軍団や万景峰号、いったいどうなっているのか、近くて遠い謎の国、北朝鮮について正しい知識を持つことが何よりだ。

 朝鮮半島は、日本の植民地として支配されていたが、日本の敗戦により、加えて米ソの対立の下、北緯38度線を境にして、南北二つの国に分かれた。北がソ連中国に組する北朝鮮である。正式な国名は朝鮮民主主義人民共和国。民主主義という名称とは逆の国民の人権を無視した独裁の軍事国家であり、世界でもまれな歴史上の遺物とも言うべき国である。国民の目と耳をふさぎ、飢えさせている姿を見ると国家とは何かを考えさせられる。

 戦後の日本との関係では、昭和25年の朝鮮戦争は、復興の原動力の一つとなった朝鮮特需をもたらした。多くの日本人を拉致したことは、日本の主権を侵してなされた誘拐事件であり国家による犯罪である。「拉致」の重要性は重大な人権問題という点にある。アメリカを中心とした世界の国々は、人権問題は国境を越えた人類共通の問題と捉えている。

 今回のミサイル発射と共に世界が懸念することは、北朝鮮が核開発を宣言していることである。一番深刻な影響を受けるのは日本である。国民の批判と監視が許される民主主義国と違って、かつての日本のように軍部の独走をコントロール出来ない恐れがある。追い詰められた状況で何をするかわからないという恐怖が、現に、今回のミサイル発射に関して伝わってくる。

 このような状況で、自衛隊の存在と日米安全保障条約の役割がにわかにクローズアップされてきた。いずれも憲法9条と深く関わる問題である。非戦を国是とする日本が、北朝鮮とどのように向き合うか、日本人の英知が問われ世界が注目する。基本的に重要なことは、国民一人一人の自覚である。国を守る心、つまり美しい山河や大切な家族や同胞を守るという愛国心が今こそ求められる。

(ミサイルの問題が平和的に解決されることを願って。読者に感謝)

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2006年7月 8日 (土)

女児殺害、無期懲役を考える視点

 ペルー人、トーレス・ヤギ被告は、小1の女児に性的暴行を加え、その姿を見ながら自慰行為をし殺した。死刑か無期か注目されていたが、広島地裁は無期懲役の判決を下した。被害者の父は、「復讐のために頑張ってきたが、敵が討てず悔しい」と語った。初公判からわずか50日で判決となった。死刑の基準は何か、無期懲役とは、性的犯罪の特徴は、遺族の感情は等、考える論点が非常に多い。

(1)死刑にしなかった主な理由として判決は、被害者が1人であること、前科が証明されないことを挙げている。ヤギ被告にはペルーでの前科があるといわれるが検察は立証が間に合わなかった。だから高裁段階で、この点の立証があれば死刑になることも考えられる。

(2)従来の裁判は長い時間がかかった。今回、50日で判決に至ったのは「公判前整理手続き」がとられたからだ。事前に争点を絞ってその点を集中審理する。この制度は、近く始まる「裁判員制度」とも関係。民間人が裁判に関与する場合、長期の裁判には対応が難しいからである。

(3)復讐に燃える被害者の気持ちは痛いほどわかる。形を決める一つの要素として被害者の感情を考慮することは当然だが限度がある。国が復讐に加わるべきではないからだ。

(4)仮釈放につき、判決は、「一生をもって償わせるのが相当であり、仮釈放は可能な限り慎重な運用がなされるよう希望する」と意見を加えた。判決理由では、地裁は、死刑にすべきか苦しみながら無期にした。しかし、死刑と無期はあまりに違いすぎる。無期刑は終身刑ではない。通常、仮釈放で出所が許される。これを知っているからヤギ被告は、判決を聞いて、両手を合わせ神様に感謝しますと叫んだという。判決で、仮釈放は慎重に、という意味がわかる。死刑制度には、当否をめぐりいろいろな意見があるが、死刑と無期の間に終身刑がないことが、死刑制度の運用を難しくしている面がある。

(5)性犯罪は繰り返されるという。そこで法務省は、出所後のデータを警察に渡し、マークできるようにした。群馬県も3人ほど把握している。

 このような事件につき、私たちは裁判員になる可能性がある。日ごろから、犯罪、刑罰につき意識を高めておかねばならない。

 なお、ヤギ被告の母国ペルーには、殺人や強姦などの重要犯罪に死刑は定められていない。死刑があるのは、国家反逆罪に限られるという。しかし、ペルーが人命を尊重する国とは思えない。日本は人命尊重を国是とする国である。この点からも、死刑を中心とする犯罪の在り方と運用は重大である。

(この事件は最高裁まで行くだろう。忘れないで見守りたい。読者に感謝)

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2006年7月 7日 (金)

日本人のセックス回数は世界の最下位

 セックスレスのことが週刊誌などでよく取り上げられてきた。ただ興味をかき立てる目的の軽薄な記事と受け止めほとんど無視してきたが、実態は深刻らしい。

 レスとは、より少ない意だから、セックスレスはセックスの回数が少ないことを意味する。子どもが出来ないと悩むカップルの相談を長いこと受けている産婦人科医の、データに基づく発言だから真実味がある。セックスレスの人が非常に増えているというのだ。また、コンドームメーカーの調査によれば、日本人の年間のセックス回数は、世界平均の半数以下で最下位だという。このことは、少子化対策を考える上で、どのような意味があるのだろうか。

 日本の少子化は深刻である。特殊出生率がついに1.25に下がった。打開策として「働き方を変える」ことが提唱されている。それは、家族そろって夕食を楽しめるような、つまり仕事と生活の調和がとれた働き方を実現することである。そのような余裕の中から妻の出産と子育てを支える力も生まれる。同時に、このような生活スタイルがセックスレスの解消にもつながる。労働加重で帰宅したら眠るだけというのでは、そのような力も生まれないからである。

 少子化対策の中で最も重要なことは、妻の出産、子育てに対する夫の協力だと言われる。夫の協力については夫の意識の問題が重要である。最近のある調査では夫の半数が妻の出産に立ち会うそうだ。これは私の年代から見れば想像できない変化だが、立会いだけでなく育児を夫が支えることが妻の負担を少なくし第2子、第3子を生むことを可能にするのだろう。夫の協力を可能にするための制度の改正、行政や企業の努力が求められるのだ。セックスレスの問題も、このような社会的背景と深く関わっている。回数が少ないことだけを問題にしてもどうにもならないことだ。

◆ヤギ被告の無期懲役は影響が大きい。

 裁判所はなぜ死刑を避けたか、死刑と無期懲役とのあまりに大きな差、裁判所は「仮釈放は慎重に」と付け加えた。無期懲役は終身刑ではない。日本の刑罰に終身刑はない。無期だと10数年で出所の可能性がある。だから、「慎重に」というのは、容易に出さないようにという意である。死刑にしても良いと悩みながら無期にしたことに国民感情はどう反応するか。間もなく裁判員制度が始まるが、この事件につき、もし裁判員として臨んだら私たちはどう判断するだろうか。様々な論点は改めて取り上げる。

(少子化に歯止めがかかることを願って。読者に感謝)

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2006年7月 6日 (木)

北朝鮮の暴挙、蛮行。ミサイル発射

 北朝鮮は、遂に日本海に向けてミサイルを発射した。北海道など日本沿岸から数百キロの海に着弾。日本海では漁師が操業し、水産実習生が航海中だった。万一のことがあったらどうするのだ。怒りを抑えることが出来ない。

 隣の犯罪国家にどう対応するか、これは国として差し迫った問題であるばかりでなく、私たち一人一人にとって、国を守るためどうしたらよいかという深刻な問題である。

 県警は警戒警備対策室を、県・消防防策課は情報連絡室を、それぞれ設置し情報の収集に努めると共に今後の事態に備えている。

 戦前の日本なら、今回のような事が起これば、開戦に至るであろう。今は、平和憲法の下で平和的解決を模索しなければならない。その一環といえる制裁措置の発動は当然である。私の周辺からは、「日本はすっかり舐められている」という声が聞こえる。偽らざる国民感情だろう。しかし、大切なことは、冷静に判断し行動することだ。また、この際、私たちは、国を守るということはどういうことか真剣に考えるべきである。

 私たちは、太平洋戦争で完膚なきまでにたたかれ、平和憲法をつくって瓦礫の中から立ち上がった。現在の日本人は、かつての悲惨なことは忘れ、平和に慣れきっている。平和惚けしているとさえ言われる。国の政策も、「あつものに懲りてなますを吹く」と評される面もあるといえる。憲法9条の下で、日本の防衛は、安保条約によってアメリカに頼っているという事実は、日本人の意識に大きく影響している。国民が、国を守るという気概を失っている一因だろう。

 国を守ることは、私たちの手によらねばならない。十分な武力をもてない体制であればこそ、国民には国を守るという意識と努力が必要なのではないか。テポドン発射は、さすがに日本人の心を刺激している。ここで大切なことは偏狭なナショナリズムに走ってはならないことである。日本人は、ほぼ単一の民族だから心の振り子がいっぺんに一方から他方に振れるのだ。

 昨日ある新聞から愛国心について取材を受けた。私は、基本的には、個人の心の問題だと思うが、極端な場合、たとえば、国が侵略されたら立ち上がって戦うことは究極の愛国心の現れだと思う。憲法改正や教育基本法改正が大きな問題になっている。テポドンは、これらの問題を考えることも私たちに突きつける結果となった。

(日本社会の真の平和を願って。読者に感謝)

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2006年7月 5日 (水)

収穫の感動、ブルーベリーが実をつけた

 私たちボランティアの仲間は、「新鮮農場」をやっている。これも、「グリーンサークル」と同じように、私たちがやっているNPOの一部門である。安全安心な食料への心配、耕作放棄地や遊休農地が増え農業が危機にある現実、これらを身をもって体験しようという目的で始めた。農地を提供してくれる人や、種まき・施肥等を指導してくれる人などの厚意に支えられてスタートした。雑草や虫との闘いは大変で、農薬問題の深刻さを知る。

 そんな中で、二年ほど前、畑の一角にブルーベリーの苗72本を植えた。既に芽を出して2年ほど経っていた苗木である。専門家の指導で、土を酸性にするために根元にピートモスを埋めたりの苦労があった。苗木に資本を投じたということ、県農政も力を入れている世間で注目のブルーベリーとあって会員の期待は大きかった。小さなゴマ粒のような実が次第に大きくなってついに大粒の真珠のような実をたわわにつけるに至った。口に入れると少し酸味の混じった新鮮な甘さが舌に広がる。目に薬効があるという。育てた者のみが知る収穫の喜びと共にこれからのブルーベリー事業への期待も広がる。子どものように喜ぶ会員の表情を見てブルーベリーの体験は、心を若返えさせる大きな薬効があると思った。

 ◆残虐非道な事件と死刑を考える。女児に性的虐待を加えて殺した事件、穴を掘って生き埋めにした事件などにつき私の周りの人々は「死刑にしてやりたい」と言っている。これが一般の国民感情なのかとも思う。この「日記」でも取り上げた裁判員制度の開始も近づいている折り、誰もが犯罪刑罰に無関心ではいられなくなった。そこで究極の刑罰である死刑について考えてみたい。(626日の「日記」でも触れた)

 母と妹を槌で殴って即死させ死体を古井戸に投げ込んだ事件で原審が死刑を言い渡したことに対し、死刑は憲法違反だと上告がなされたが最高裁は合憲と判断し、これが今日まで踏襲されている。憲法は残虐な刑罰を禁じているが、日本が行っている死刑の執行方法は残虐とはいえない、また、死刑の威嚇力によって社会を防衛する必要がある、というのが最高裁の理由である。冤罪はよくあることだ。死刑執行のあと無実と判った場合取り返しがつかないということも論点である。死刑の確定が増えている。世界の文明国では廃止する国が増えている。日本には終身刑がないのも問題だ。一番重い無期懲役も模範囚となれば、結審までの拘留期間も含めて10数年で出所できる。最近の凶悪事件の裁判の行方を見守ろうではないか。

(司法に対する正しい認識が広がることを願って。読者に感謝)

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2006年7月 4日 (火)

九死に一生、死の淵からの生還

 630日の日記で、私の尊敬する高齢者が生死の境をさまよう重傷を負ったことを書いた。かなりのスピードで走っていた二つの車が正面衝突したのだからその衝撃の凄さは想像を超えたものであったらしい。しかも相手はトラックだからかなわない。

 昨日見舞うと、Kさんは意外に元気だった。生死を分けたものはシートベルトと自動車の人命優先のハイテク構造だった。年間1万人を超えていた交通事故死が平成5年以降減少し続け、平成16年には約7千人までになったが、これには、シートベルトの着用が大きく寄与したことが統計の分析からいえる。Kさんはシートベルトで助かったと語る。シートベルトはまさに命の綱であった。

 そして、正面と両側面からエアバッグが飛び出し、それによって、心臓、肺、顔面、脳が守られたという。また衝突時、エンジンは車体から外れたために、エンジンが身体下部に激突するのを免れた。現在は、車を壊すことによって人体への衝撃度を緩和する技術が進んでいるのだという。

 シートベルトはKさんの命を救ったが、下腹部へのベルトの圧迫力は凄かったらしく、小腸切断となった。2~3日は、薬の影響もあってか幻覚を見たという。三途の川の岸辺まで行って来たとしみじみ振り返るKさんは頑健ながら70歳半ばである。

 超高齢化社会が近づいている。警察庁は、世界一安全な道路交通を目指すといっているが、そのための最大の課題は高齢者の交通である。高齢者にとって車はなくてはならぬ交通手段である。そこで、高齢者のための道路交通環境を進めることは非常に重要であるが、同時に、車を人命救済に力を入れた構造に進化させていく必要がある。そのために、あらゆるハイテク技術を駆使すべきである。車は、いまや地球環境を壊す元凶の一つでもある。身近な問題としては高齢者の命を救うため、大きなそして差し迫った問題としては地球を守るために、日本の最先端の技術を傾注して欲しい。Kさんの事故からこのことを強く感じた。

◆昨日、留学生Sさんの事故について書いたが、日赤病院側が誠意を持って対応してくれた為、事態は好転に向かっている。脳の障害に関わることだから別の専門家の意見も聞きたいと被害者が考えるのは無理のないこと。院長自ら「セカンドオピニオン」の大切さに言及し、その時は資料を提供すると約束してくれた。病院も変化している。県立病院等の「セカンドオピニオン」について改めて「日記」で取り上げる考えだ。

(世界一安全な道路交通の実現を願って。読者に感謝)

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2006年7月 3日 (月)

留学生の交通事故、いくつかの重要な出来事

 私たちのボランティアの仲間藤沢和典さんの叙勲祝賀会が行われた。(1日)旭日単光章は、長い間、ラジオ体操に貢献したことへの評価である。「新しい朝が来た、希望の朝だ、喜びに胸を開き大空仰げ」この歌詞で始まるラジオ体操は、一日のスタートにあたり、人々の心に、健康で生きる喜びを注ぎ込み、その継続は心と体の健康を築きます。藤沢先生の叙勲の意味はまことに大きいのです。私は発起人の1人としてこのような挨拶をした。

◆中国留学生の事故(1日)。携帯から事故を知らせる泣き声が聞こえた。駆けつけると、横断歩道を自転車で渡っていて車に飛ばされたとの事。相手は医師だった。日赤の救命センターへ行く。MRIで調べると脳内出血の疑いがある。私はかつて北京で食中毒になり入院したことがあるが異国での入院は誠に心細いものだ。このところ外国人留学生の交通事故が増えている、大事に至らないことを神に祈る。

◆佐藤報恩財団の解散(1日)。故品川博氏の情熱に動かされた太陽誘電の故佐藤彦八氏の寄付から始まった通称「駆け込み寺」は、1日の理事会で解散することに決まった。私は、故角田儀平治氏に頼まれて理事の1人になっていた。じめじめした窪地で蛇が多く蝮沢といわれた地に建てられた施設では親の顔を知らない子どもたちが育ち社会に出て行った。残された子は、定時制高校1年のT君1人。乱れた世相を反映して、一人ひとりの子には、複雑は背景があった。子どもたちの親を求める気持ちは強いのに親は「捨てた」きり一度も会いに来ない。犯罪に走る子、立派な成績で高校を卒業し難関を通って就職した子など、様々な人生がスタートしている。親を恨まず前向きに生きて欲しい。ボランティアで支えてきた人々に敬意を表したい。

◆グリーンサークルの懇親ツアー(2日)。グリーンサークルは、環境美化活動に当たっているボランティアの集まりである。人生の宝は、「健康、良い趣味、良い仲間を」を楽しく実践している人たちだ。国会見学、東京湾のクルーズ、横浜中華街の散策などがコース。国会の本会議場を見るのは久しぶりだ。静かな議場も歴史を振り返りながら眺めると興味深い。議事堂の完成は昭和11年、この年226事件が起き翌年は日独伊三国同盟が結ばれ、日本は太平洋戦争に向け突き進んでゆく。先日68歳で亡くなった橋本龍太郎元首相のことが頭に浮かんだ。帰りのバスは楽しいカラオケ大会。心の充電になった。

(日本は希望のもてる国、一人ひとりの力を信じて。読者に感謝)

                                       

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2006年7月 2日 (日)

常任委員会の県内視察に異変(29日)

 今年初の文教警察の常任委員会が行われた。渋川の埋蔵文化財調査事業団では、多くの人が膨大な出土遺物を整理・分析・補修する作業に黙々と従事していた。一片の土器のかけらから古代の人々の生活がうかがえる。出土した遺物は、定説と違う事実を私たちに静かに語りかける。

 質疑応答の部で私は発言した。「歴史は、過去と現在との対話といわれますが、ここには新しい発見と感動があります。これを学校の体験学習と結び付けるべきではありませんか。」子どもたちは授業がつまらない、歴史が面白くないといっている。事業団の現場を、本物を体験させ子どもたちに感動を与える拠点にすべきだと思う。

 午後は、まず、高山村の県立ぐんま天文台の視察。古在台長はユーモアとほのぼのとした温かさを感じさせる人。私は、宇宙に興味があり、いささか知識もあるので、台長が、ぼそぼそと語る話を聞き逃すまいと耳を傾けた。「これがアンドロメダ星雲で200万光年の距離があります」この距離は天文学史上重要な意味がある。われわれの銀河の外にあることを示す距離なのだ。我々の銀河が宇宙の全てではない、他にも無数の銀河があることがわかるきっかけであった。「宇宙の膨張は止まって収縮に転じると思いますか」私が尋ねると台長は答えた。「膨張のスピードは限りなく0に近づくが収縮は起きないと思います」と。

この日の最後は沼田警察署で谷川岳警備隊長の話を聞いた。昭和6年以来の遭難者は782人。魔の山は墓標の山であった。命がけで救出に当たる隊員の必死の姿が偲ばれた。

 夜の食事会は、県職の参加はゼロ。いつもは、多くの職員が参加して、顔を知り、本音を語り合う重要な機会であった。「日記」でも書いたがオンブズマンから訴訟を起こされ、懇親会への職員の参加が批判されたためである。

 いささか、「あつものにこりてなますを吹く」の感もあるが、委員会視察の新しい形が出来ていくのであろう。宿舎は、公立学校共済組合保養所の去来荘である。実は、ここも視察先の一つで、どのように運営されているか、この施設の役割と意義などを検討したのである。相部屋のK議員は、部屋の空気を震わすような豪快なイビキで、私は、かけ布団を抱えて脱出、ロビーのソファで寝た。窓外の利根の激流の音は気にならなかった。

(大切な情報を共有する広場をつくります。日記の読者が広がることを願って。)

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2006年7月 1日 (土)

株取引で儲けることは悪いことか

 少年たちは世の中の動きに敏感で、また影響を受けやすい。お金に関することは特にそうだ。最近、新聞に載った二つの投書に私は注目した。一つは、14歳の中学生の意見で、「ネットで株のやり取りをしてお金を稼ぐ人より、深夜でも汗水たらして働く人の方が頑張っているように思う。こういう人が報われない社会は嫌だ」というもの。もう一つは、この少年の投書を読んだ17歳の高校生のもので、「株で儲けるには努力がいる、頑張った結果株で利益を得ることが悪いことなのか、人には向き不向きがある、自分の得意なものを発揮できる世の中こそ一番いい」という主張だ。

 二つの意見は、いずれももっともなことで、また今日の社会の重要な問題点を指摘している。汗を流してこつこつ働く人の存在は社会を支える最も重要な基盤である。こういう人たちを支える社会の仕組みを整えなければならない。また、株式の制度は資本主義を支える重要な柱である。ライブドアの堀江氏と村上ファンドの村上氏の逮捕、そして今度は日銀総裁の株式運用が世間の注目を集め、今、株式のことで連日わきたっている。ところで一般の人の中には株で儲けること自体が良くないことと受け取る風潮がある。

 株を発行して一般から資金を集め経済活動をするという株式会社の制度は、近代の資本主義が発明した偉大なアイディアである。多くの人が利益を求めて株を売買することで株式市場が成り立ち、この市場から企業は資金を得る。だから、株の売買で儲けることは悪いことではない。株を売買する人は儲ける時もあれば損もする。それは自己責任である。自己責任を支えるために法律は厳しいルールを定めている。今、騒がれているケースは、このルールに違反した疑いがもたれているのである。 

 ライブドアの堀江氏は粉飾決算の疑いだ。株を売買する人にとって決算書類は最も重要な判断材料だからそれを偽ることを法は厳しく禁じている。村上ファンドの村上氏は、インサイダー取引の疑いがもたれている。一部の者だけが事前に有力な情報を握って売買すればこの者は大きな利を上げ他の者は損をする。多くの投資家を守るために法はインサイダー取引を禁じている。日銀総裁は、株につき最も重要な情報を持っているといえるから、この人が株を売買するとインサイダーのように思われ、株式市場の信用が疑われる。

現代の社会は複雑でダイナミックだ。高校生が主張するように人は得意な分野で力を発揮することが重要だが、それを認めた上で、中学生の言う、「汗を流して働く労働」の素晴らしさをかみしめたい。

(大切な情報を共有する広場をつくります。日記の読者が広がることを願って)

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