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2006年6月 8日 (木)

癌の講演、癌死の友を思う

 10日に群大学長の鈴木さんが私の関係者に重粒子線治療の講演をされる。関心が高く、参加者は500人になる予定。会場の前橋市総合福祉会館で打ち合わせをしながら、癌と闘って果てた身近な3人の人たちの事を思った。

 人はそれぞれの形で死と向き合うものだ。人生の道半ばで死を必死で拒絶しながらやがて受け入れていく姿を見ると、生きることの尊さと共に死の限りない重さを感じる。

 3人の死を振り返るとき重粒子線が間に合っていればと思う。一人は、福島浩君、私の小学1年生からの同級生で親友であった。彼は、そもそも、私に県議選出馬をすすめ決意させた男であった。彼は、どこかで話をしたとき中村を議長にすることが夢だと語ったらしいが、私がまだ一期のときこの世を去った。「最期のときが来た。頑張ってくれ」これが私に残した最期の言葉であった。50歳だった。

 二人目は亡き妻である。日赤の看護婦にもありがとうと言って静かに目を閉じた。私に対する最期の頼みは一人娘のことであったが、一昨年やっと結婚した。40年の生涯だった。

 最後の一人は安田秀士という男で、私は、東大の駒場寮で、この男と一緒に寮委員をしていた。ある時、上野にある彼の弁護士事務所を訪ねたら、土鍋でなにやら作って食べているのでたずねると悪性の胃癌と闘っているのだという。学生時代、私が自分の生い立ちを話したら、俺だって傘の骨作りの職人の家で育ったのだと言っていた。そんな事もあって心が通うところがあり、卒業後も、時々思い出していたが癌と闘っていると知って驚いた。

 彼が遺した著書「生命燦燦・長良川へ還る日のために」を読むと、この男が、持てる全てを傾注して癌と見事に闘い人生を燃焼し尽くしたことが伝わってくる。闘病の最期の方では、上牧温泉の大峰館に保養に来たこと、車椅子で群馬サイクルセンターの中を動いたことなどが記されている。闘病の手記は死の3日前まで続けられた。奥さんのあとがきには、大好きだった長良川の水を両手ですくって顔をひたし、「なんてやさしいんだろうこの水は。気持ちいいなあ」といって崩れるように倒れ動けなくなったとある。

 死は生の凝縮された姿、そして、死に様は生き様の極限の表現である。安田君の死から生命の尊さを学んだ。癌克服の技術が進む事を祈る。

(重粒子線治療の早期実現を願って。読者に感謝)

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ブラジル訪問(8)   

ベレンの町で挨拶。昨年8月18日の「日記」

  

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