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2006年6月15日 (木)

東大に昔の喧騒の面影はなかった

 渋谷に出た折に、急に駒場を見たくなった。懐かしい井ノ頭線に乗ると、二つ目が東大・駒場前駅である。構内に入ると時計台のある古い本館の建物はそのままであるが、あとはすっかり変わり、昔とは別の世界が広がっていた。象徴的な変化といえば、北寮、中寮、明寮の古色蒼然たる三つの学生寮が消えたことである。それと共に、寮の前に林立する立看板、アジ演説、ビラ配り、マイクの奪い合いなどもすっかり姿を消し過去のものとなっていた。

 私は昔の光景を思い出し、しばし感慨にふけっていた。それにしても、若者の社会意識、正義感、ぎらぎらしたエネルギーはどこへ行ってしまったのだろうと考えてしまった。このような状況とホリエモン、村上ファンドの事件は関連があるのかどうかも気になる。

 今日は産学官連携の時代で、学園も学生も企業や経済の発展に協力することは素晴らしいことであるが、社会の動きや政治の動向を批判し行動する学生が陰を潜めてしまったことは淋しい限りである。職場の枠や家庭にも縛られず、理想を掲げて純粋な立場から現状を批判することは若者の特権である。理想に燃えて反抗する若者の姿がない社会は健全とはいえないし、パワーを失っていく原因でもある。

 最近、フランスの学生が大規模な行動を起こして政治を動かした出来事があった。私は、すぐにフランス革命を連想したが、新聞の投書欄には、この事件と関係させて日本の若者の無気力を批判する意見が載った。

 今日の文明国は、いずれも代表民主制をとっている。法秩序を破ることは許されないが、民主主義が形骸化しているともいわれる今日、選んだ代表者に委せきりというのはよくないことだ。ルールに従ったデモ行進は、憲法21条の表現の自由が保障するものである。鳴りを潜めた駒場の構内を歩きながらこのことを思った。

 ホリエモン、つまり堀江貴文氏の逮捕と村上世彰氏の逮捕は、いずれもまだ容疑の段階ではあるが、今日の金銭万能の社会を象徴する出来ごとといえる。金銭万能の社会は日本人の心をバブルの状態にしてしまった。金の力で何でも可能になるという考えが世の中をおおっている。格差が広がる中で取り残された若者は働くことに嫌気を感じている。2つの事件を、私たちは、このような事態に対する警鐘として受け止めねばならない。

(労働の貴さが理解される社会の実現を願って。読者に感謝)

   

   

    H1

      ブラジル訪問(15)

サンパウロの公園の日本人慰霊碑。松田会長、後藤出納長と。

昨年8月26日の「日記」

   

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