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2006年6月21日 (水)

いかにも懐かしい塾時代の思い出

 昨日、昔、私の未熟故に生徒を殴ったことを話した。一年に一度位そういうことがあったが忘れられない出来事がある。中三のK君は、柔道部の猛者で、身体が人一倍大きく、回りからにいちゃんと親しまれていた。中村塾は活気のある学習塾であったが、K君は時々冗談を飛ばして皆を笑わせるのが得意であった。何か言って「受けたかな」と振り返るとドッと笑い声が起こる。そのうち、授業にならなくなってきた。「塾を止めろ」、「俺の言うことが聞けないなら殴ってたたき出すぞ」。私に言われても一時静かになるが続かない。ついに、彼は本当に私に殴られることになった。教室は水を打ったように静かになった。張りつめて緊張した光景が今鮮やかによみがえる。

年月は夢のように過ぎた。Kがどこかの組の若いしになっているという噂を耳にすることがあった。数年前、彼と一杯やる機会があった。彼はすっかり堅気になっていた。かっこよいと思って、若気の至りで別の世界に入ったのだ。息子の借金の取立てに老親のところに押しかけ、布団まではがして迫ることは、どうしても出来なかったと語っていた。「俺の頭に残っているのは、チュウテンテンテケの定理だけですよ。あの時が一番楽しかった。」今では、人を使って立派に事業をしているKの笑顔は、昔のにいちゃんのそれだった。チュウテンテンテケの定理とは、数学の「中点連結の定理」のことを、当時ふざけて、このように言っていたのである。私の呼び名は熊五郎であった。

 議員になって、かつてとは異なる立場で教育に関わることになった。時々学校の授業を見ることがある。時に、先生に情熱が感じられないと思うことがある。問題行動を起こす生徒がいなくても、教室は対決の場である。それは、理解させるために、乗り越えねばならぬ課題との対決であり、生徒の心を開くために教師として抱える内なる課題との対決である。良い授業を実現することは、教育現場の使命であるが決してなま易しいものではない。教師が自由に創意工夫を凝らせる学校教育の環境をつくることも大切だ。教師を萎縮させてはならない。ゆとり教育の中で、学力を向上させ、生きる力を身に付けさせるという学校教育の使命は誠に重大である。塾や予備校から教え方を学ぶという動きがあるが、大切なことはテクニックだけではない。学校教育は正に正念場を迎えている。

(学校教育の充実を願って。読者に感謝)

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