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2006年5月15日 (月)

石原都知事の挨拶に思う

 関東甲信越議長会議に石原都知事が出席して、オリンピック東京誘致について熱く訴えた。石原氏の話は、「日本人は自信をなくしてしまった。しかし、日本の国力は非常に高い、それを東京でオリンピックを開くことで、海外に評価してもらい、それによって、日本人が自信をつけることに意義がある等々。」

「太陽の季節」でデビューしたころの石原慎太郎は、キザなあんちゃんで、鼻もちならない男と思っていた。政治家になった頃も違和感を抱いていたが、年月を経て間近に見る慎太郎に私はかなり違った感じをもった。年月は人を作り人を変える。かつてギラギラしていたものが風雪に耐えて磨かれ、魅力ある風格をつくり出しているように見えた。人間、順風の人生も終わる時は同じだ。慎太郎も人生の週末を意識しているかもしれない。命に限りがあるからこそ人生は尊い。終わりを意識して生きる生き方には、魅力があるのだ。

 彼が「太陽の季節」で芥川賞を受けたのは昭和31年、私が中学を卒業した年であった。主人公の男が陰茎を障子に突き立てる場面などがあり、当時としては衝撃的であった。最近ある雑誌で彼は、例の場面のことを、友人とのたわいのない会話の中で、障子と処女膜どっちが強いかが話題となり、それをヒントにしたと語っている。当時としては、既存の倫理とぶつかる要素を多く含んだ小説であった。

 慎太郎がデビューした昭和31年頃は、「もはや戦後ではない」といわれたように時代の一大転換点で怒涛のような消費社会が始まる序曲の時代ともいえた。また貧しさと豊かさが同居しその格差が広がりつつある社会でもあった。私は「貧」の部に属し、仕事で疲れた身体をひきづって夜学に通っていたが、前方に広がる豊かさが限りなくまぶしく見えた。この頃の日本人は、ただひたすら物の豊かさを求めた。戦前の価値観は大半が否定され、新しい時代の価値観は人々の心の基盤とはならなかった。

 昭和39年の東京オリンピックは、この流れを加速させた。物の豊かさを求める奔流の中を生きる日本人は、外国からはエコノミックアニマルと批判も受けた。しかし、この時代に、社会の諸問題に対して見せた若者の批判精神は、今から振り返ると社会に健全な背骨が残っていた証拠とも思える。あの頃盛り上がった学生運動も今は姿を消してしまった。

 石原都知事が「溶けていく日本」、「志のない日本人」あるいは、「中国や朝鮮にはいつくばる日本」などと口にする腹の底には、自分の半生を振り返っての思いがあるのだろう。

 この度の関東甲信越議長会議では、東京にオリンピックを招致することを議決したが、それは、ナショナリズムとは別な、新生日本をアピールする場にすべきである。

 高校総体で感じたことだが、スポーツを通して日本が全力を尽くすことは、教育の面でも、健康の面でも、又、日本人の心をたて直すためにもよい機会である。オリンピックは、その場にしたい。(日本人の心の再建を願って。読者に感謝)

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