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2006年5月19日 (金)

多選自粛条例と知事の多選を考える

 安中市の岡田市長が条例案を議会に出そうとしている。考えるための論点をあげてみたい。岡田市長が考える「多選」とは、3期12年を超えるものである。多選を「禁止」としないで、「超えて存在しないよう努める」という自粛の形をとる。みどり市、富岡市の市長も同様の条例を考えているらしい。

 多選が問題となるのは、知事や市長などの首長についてである。それは、この地位に大きな権限が集中しているからである。強大な権限が一点に集中すると弊害が生れることは歴史が証明してきたことだ。首長の制度は、有権者が選挙で選ぶ仕組みであり、また、首長の権限行使をチェックする議会という制度が設けられている点に民主主義に基づく制度としての特色がある。

 しかし、民主主義は理想どおりにはいかない。現実との間には必ず隔たりがある。そこで多選の弊害が指摘されるのだ。首長の地位にある人は立派でも長くなると政治の活力が低下することは避けられない。権力の濫用の恐れもあるし、首長が知らず知らずのうちに、裸の王様になっていることもあり得ないことではない。民主主義の国アメリカに於いては、大統領は、憲法で2期までと定められているのはそのためである。

 安中市が考える条例が、「禁止」としないで「自粛」とするのは、憲法が立候補の自由を保障しており、禁止は出来ないと考えられているからである。

 この度、条例を検討するらしい三つの市(安中、富岡、みどり)はいずれも合併によって大きくなった市である。そして、新市長はいずれも前県議である。県議の経験から多選の弊害を肌で感じていたに違いない。また、3市の市長が多選自粛の条例を必要と考える背景には、市が合併によって大きくなったことと関係があると思う。市の規模が大きくなれば、市長の権限も大きくなるからである。

 前記のように、多選の弊害が首長の権限の大きさとの関係で論じられ、合併によって首長の権限が大きくなったというなら、知事の権限の強大さが、多選の関係で議論されることは当然である。小寺知事は、5選を目指すようである。安中市がつくろうとする条例が3選を上限とすることと比べても5選は長い。もとより、県民が選挙によって決めることではあるが、選挙に近づく前に、「多選」の是非は大いに議論すべきである。上州をおおう曇り空を一変させることを多くの県民は望んでいるのではないか。地方の時代、200万県民が心機一転、力を合わせるためには5選はよくないと思う。

(いきいきとした群馬を願って。読者に感謝) 

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コメント

その通りと思います。

投稿: 植原映子(バラ園奥住人) | 2006年5月23日 (火) 20:34

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