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2006年5月31日 (水)

議長室を整理、一抹の淋しさ(29日)

 30日に議長退任となるので議長室を整理した。妻と事務所の者が私物を運び出す。雑然としていた机や戸棚は久しぶりに片付けられたが、その後の空間に寂寥感が静かに流れるように感じられた。妻が神妙な顔をして、御苦労様でしたといった。

 議長としての挨拶は、この日二つあった。群馬県商工会連合会の通常総会と群馬県観光協会の総会である。商工会連合会の総会では注目すべき変化があった。近藤英一朗会長が、会長職を勇退するというのだ。近藤氏の存在は、群馬の商工会の歴史で一時代を画したといえる。退任を口にする近藤氏の胸中は想像できる。大正2年2月生まれの93歳。控え室で私と語る近藤氏は、かくしゃくとして、まだ、視線も衰えていない。人間の可能性について夢を与えてくれる近藤氏の姿だと思った。

 群馬県観光協会の総会は、問屋町の問屋町会館で行なわれた。県の金井観光局長が職員と共にハッピ姿で入口に立っていた。営業スタイルは観光に打ち込む県の姿勢の現われだ。ここの挨拶が本当に、議長として最後のものだと感慨をかみしめながら、私は登壇し、次のように挨拶した。「観光とは、有名な山や温泉だけではありません。私たちは、色々な所へ出かけて、そこで生きづいている伝統や文化とそれを支える人々の温かい心に触れる時、心を打たれるものです。そして、今日、ゆとりと心の豊かさを求める時代が進んでいます。群馬は地域社会に様々な歴史や文化が眠っていて観光資源が豊富です。それを心で生かす時が来たと思います。」

◆事務局職員に感謝

 議会と執行部の間に緊張関係が続いた一年であった。職員は、議会を支える立場を認識して、斉藤事務局長以下よく頑張ってくれた。とかく慣例に従わないところがある私を温かく支えてくれたことに心から感謝したい。

◆「議長日記」はどうなるのかと聞かれた。「長」を「員」にかえ、「議員日記」として続ける考えである。「日記」は、一日も休まず続けてきた。続けるうちに読者の意見やアドバイスもあり、私自身も工夫を重ね、進化してきたかと思う。当初の目的の通り、議会のこと、県政のことを私の考えを交えて伝えるという情報伝達の一つのルートが出来たと思う。

「情報は生きる力、心の糧」ということを掲げてこれからも読みごたえのある情報の提供を心掛けるので是非読んで頂きたい。過去の日記はプリントし、少しずつを手作りの冊子にまとめ、「県政報告」として読んで頂いている。この「日記」についても、新たな一歩が始まる時が来た。

(県議会と県民のパイプが充実することを願って。読者に感謝。)

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2006年5月30日 (火)

議長を去るときが来た、辞職の挨拶をする

 私は、挨拶文の原稿を書きながら、あっという間に過ぎた日々が思い出されて胸がつまった。挨拶の言葉をそのままここに再現する。

「議長を辞職するに当り、一言、ご挨拶を申し上げます。

 昨年5月の定例県議会で、第79代群馬県議会議長に就任いたしましたが、本日辞任することになりました。振り返りますと、様々なことがあり、感慨深いものがあります。

 今日、時代の歴史的な転換点にあって、県議会の役割は、ますます重要になってまいりました。私は、就任以来、この役割を果たすために、皆様と力を合わせて議会改革に微力を尽くしてまいりました。対面演壇による一問一答方式の導入、議員定数の削減と選挙区の見直し、あるいは全員協議会の実施等、議会改革を推進させる重要なことがありましたが、これらを決める過程において、議会の役割、自主性、執行部との関係等につき本質的な議論が行われたこと自体が、私たちの意識改革及び議会改革を前進させたものと信じます。

 今、地方分権が進められていますが、地方分権とは地方の自治を進めることであり、真の地方自治こそ、活力ある真に豊かな地方を実現するカギであります。そして、活力ある地方自治を発展させるために、選挙によって選ばれ、絶えず有権者と密接に結ばれている私たち議員の役割と責任は重大であります。執行部との関係については、私たちが肌で感じる県民の声を正しく県政に反映させるために、是は是、非は非を、勇気を持って貫くこと、そして、議会はそのための力を絶えず向上させていかねばならないことを、私は、痛感した次第であります。

 思い出に残ることは多くありますが、その中に、昨年8月、議会を代表して、南米各国の県人会及びアマゾン群馬の森の式典に参加したことであります。人々は、筆舌に尽くせぬ苦労を克服して頑張っておりました。私が心を打たれたのは、彼らが祖国日本を誇りとし、古里群馬の文化や伝統を心の支えとして逞しく生きている姿でした。そこでは、私たちが失いつつある貴重なものを見た思いが致しました。また、アマゾン群馬の森では、故久保田富一郎氏の功績と地球環境を守ることの大切さを改めて感じた次第であります。

 こうした議長在任中の貴重な経験を生かし、今後は、一議員として、県政推進、県民福祉向上のため、全力を尽くして参る所存であります。最期に、議員各位、小寺知事を始めとした執行部の方々、並びに報道機関の皆様に賜わりましたご厚情に深く感謝申し上げまして、退任の挨拶とさせて頂きます。ありがとうございました」

なお、「日記」はこれまで以上に力をいれて、魅力ある情報の発信に心がけます。

(県議会の更なる活性化を願って。読者に感謝)

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2006年5月29日 (月)

5月議会が始まった(26日)

 開会にあたり、議長として一言挨拶した。間もなく議長職を去ると思うと感慨深いものがあった。この日の日程の中に、新議員の紹介があった。私が名前を呼ぶと今井哲氏と須藤日米代(ひめよ)氏は、次々に登壇して挨拶した。須藤氏については、日米代(ひめよ)とは変わった名だなと思っていたら、その由来が話された。昭和26年サンフランシスコ平和条約が結ばれた年に生れたからだという。なるほどと思った。

 昭和26年といえば、その前年に朝鮮戦争が始まり、米ソの冷戦は深刻化した。このような世界情勢の中、吉田内閣は、全面講和論をおさえて、アメリカ及びその友好国と講和条約を結んだのだ。同時に日米安保条約も結ばれた。正に、日米の、新しい、かつ重要な時代がスタートした年であった。ちなみに、日米代氏の義父はもと県議、故須藤利雄氏である。

 この日は、更に、新しく就任した三人の理事(横尾、田中、大崎の三氏)が紹介され、また、星野富弘氏が名誉県民となることにつき議会の同意が得られた。

◆第60回群馬県植樹祭は小雨の煙る中で。(27日)

 邑楽町の多々良沼公園で行なわれた。今回初めて山地でなく平地における植樹祭が行なわれた。この植樹祭では緑の少年隊など植樹に参加した子どもたちの生き生きした姿が印象的であった。私は、先日の岐阜県における全国植樹祭で少年たちが主役を演じていた姿と重ね合わせ、未来の森をになう子どもたちに「木育」を行なうことの意義を強く感じた。(「木育」については、24日の「日記」で書いた。)

 群馬県植樹祭は昭和21年にスタートした。戦中の荒れた山を復興させることが目的だった。この年9月キャサリン台風は赤城南面一体に未曾有の災害をもたらした。荒れた山は豪雨に対して無力だったのだ。小学一年だった私の瞼(まぶた)には、宮城村の荒れ狂う激流とぱっくりと開いた台地の割れ目が今でも焼きついている。

 60年を経て植樹には新たな意義が加わった。地球温暖化の防止である。人間の愚かな行いに対する自然の逆襲は年ごとに不気味さを増している。聖書のノアの方舟のことも頭をよぎる。

 今回の群馬のテーマは、少年が応募した、「この苗は地球を守る第一歩」である。小さな第一歩が200万県民の心に響いて巨大な一歩になることを祈る。

◆第23回、県民スポーツ祭。(28日)

 雨のため急遽、会場は敷島公園グラウンドからアリーナへ移された。活力のある健全な社会を支えるのは人々の健康と交流、それを実現するものはスポーツである。この大会が実りあるものになることを祈る、と挨拶した。

(森の意義が人々の心に広がることを願って。読者に感謝)

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2006年5月28日 (日)

今月のふるさと未来塾はクレオパトラ(27日)

 歴史に楽しく接近する方法の一つは興味ある歴史上の人物を導入部で取り上げることである。そこで今回は世界史上の美女クレオパトラを取り上げた。もとより美女だけを語ることが目的ではないが脱線して興味をそそるいくつかのエピソードにも話は及んだ。

 クレオパトラは、プトレマイオス朝の最後の女王である。王家の習慣である近親相姦によって生まれ、彼女も父王の遺言に従って実の弟と結婚したとされる。プトレマイオス朝はアレクサンドロス大王の死後分裂して出来た王国の一つで、エジプトのアレキサンドリアを中心として始まったギリシャ人の王朝である。だからクレオパトラもギリシャ人なのだ。

 プトレマイオス朝及びアレキサンドリアにつなげるためにアレクサンドロス(アレキサンダー)の物語にも触れた。古代最大の哲学者アリストテレスを家庭教師として育ったアレクサンドロスは、20歳で国王となりギリシャを征服し東方遠征に出発し33歳で亡くなった。征服した各地にその名をとった都市をつくったがエジプトのアレキサンドリアはその最大のもので当時の世界の中心となった。

 クレオパトラの頃、ローマの力が拡大しエジプトにまで及ぶことになる。ローマの将軍カエサル(シーザー)にクレオパトラは奇抜なアイディアで接近した。52歳のカエサルと21歳のクレオパトラはその日のうちに結ばれたという。クレオパトラとすれば、自分の王国を守るための捨て身の勝負だったかもしれないが、ローマから見れば色気で将軍を誘惑した妖婦ということになる。中国では絶世の美女のことを傾国とか傾城といった。その代表が楊貴妃で長恨歌では、「漢王色を重んじて傾国を思う」とある。クレオパトラは正に傾国の美女ということであろうが、本当に顔が美しかったかは諸説あるらしい。

 カエサルの死後、クレオパトラはアントニウスと結婚し2子をもうける。アントニウスがオクタビアヌスに破れると、クレオパトラも破局を迎え自殺する。毒を飲んだとも、毒蛇にかませたともいう。39歳だった。紀元前30年、今から2036年程昔のことだ。ローマは、アントニウスを破ったオクタビアヌスによって帝政が始まる。キリスト教は人類の壮大なドラマとしてその後世界に広まる。そして、この頃、帝国のいっかくでイエスが生まれ、やがてキリスト教はローマ帝国内に広がることになる。

 映画のことにも触れた。エリザベステーラーが演ずるものとビビアンリーが演ずるものとがある。クレオパトラが男をひきつける内なる魅力を持っていたことは確かだろう。

楽しい一時があっという間に過ぎた。

(人々の歴史認識が深まることを願って。読者に感謝)

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2006年5月27日 (土)

森林組合連合会の総会に出る

 会場の森連会館に入ると顔見知りの人が何人もいる。やあ、と声をかけてくれた大入道を思わせる巨漢は会長の飯塚昌男さんである。この人は県議会の大先輩でもある。先日の全国植樹祭に出ていたと話していた。また、元県議会議長の山口清さんもいて握手を交わした。

 飯塚さんの会長挨拶には郷土の森林を愛し、現状を憂える心があふれていた。来賓としての挨拶は、筋道を考えていたが、飯塚さんの話を聞きながら、全国植樹祭の話をしようと思いたった。

 高木副知事が知事代理として挨拶をした後、私は紹介されて演壇に立って、次のように挨拶した。「私は、先日、岐阜県の全国植樹祭に参加して、森を守ることの大切さを強く感じました。テーマは、ありがとう未来へつなげ森の恵みで、主役の子どもたちは、森は手を加えなければ消えてしまうと訴えていました。大会会長の河野洋平さんは、森はかけがえのないもので、京都議定書が出来てからは、今まで以上に重要になったと語っていました。これらのことは、わが群馬についても同様であります。林業は、いま非常に厳しい状況にありますが、森林が大切だという世論を盛り上げることが重要だと思います。県議会も皆さんと力を合わせて林業と森林を守るために全力を尽くしたいと思います。」

◆全日本チュックボウル協会会長に就任し記者会見。

 午前10時に始まった森林連合会の総会は、挨拶が済むとすぐに飛び出して県庁に向かった。10時40分に記者会見をすることになっていたのだ。県庁舎5Fの刀水クラブに定刻に滑り込む。チュックボウルというスポーツを発展させるために全日本の会長に就任したことを説明した。チュックボウルは、ハンドボウルに似たスポーツで、起源はスイスであり、アジアでは台湾が盛んであること、日本では群馬県で盛んであることなどを話した。記者からは、競技人口とか、過去の大会における実績などについて質問がなされた。

 平成7年に群馬県でチュックボウルの世界大会が予定されており、それを成功させる目的で、その前年、私は群馬県チュックボウル協会長を引き受けたが、平成7年3月、地下鉄サリン事件が起き、ニュースは世界に伝わり、参加国がごく少数になり、世界大会は中止になってしまった。この事件の2ヶ月前には阪神大震災が起き、続いた惨事により日本の安全神話は音を立てて崩れた。中止になった世界大会を群馬で実現する日を夢見ている。

(森と人との共生が進むことを願って。読者に感謝)

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2006年5月26日 (金)

5月議会が始まる。議運の状況

 議会運営委員会(議運)が開かれて5月議会に関する重要事項の決定や報告がなされた。議運の委員長・石原条氏が辞職したため、亀山副委員長が委員長の職務を行なった。石原氏は、過日みどり市長になった人である。

 まず、5月定例会は、5月26日から6月13日までの19日間とすること、星野富弘氏を名誉県民として議会が承認することなどが協議された。(名誉県民の推薦は私が座長となって決めた)

 また、富岡市区と山田郡区の県議補選で、それぞれ、今井哲氏と須藤日米代(ひめよ)氏が当選したこと、岩井賢太郎、石原条、岡田義弘の各氏が出した議員辞職の申し出を議長が許可したこと、山本龍、岩上憲司の各氏が自民党を離脱し一人会派をつくったこと、が報告された。

 岩井氏ら3人の辞職は市長選に立候補するためであり、3人は全員当選し、目的を果たした。山本氏の自民党離脱は来年の知事選がらみ、そして岩上氏の場合は、自民党の党規に違反した氏の行動が契機であった。

 次に議会中継放送について議長の私から発言。「図書広報委員会の答申を受け、代表者会議で協議を行なった結果、今定例会から本会議を中継放送することが合意されました。」

 これは、インターネットと群馬テレビによる生放送のことである。群テレによって、6月2日と6月5日の一般質問が、午前10時から終了まで生(なま)で放映される。撮影は、傍聴席から3台のカメラで、また音声収録に万全を期するため、議長席、演壇、対面演壇のそれぞれに、議場マイクの他に群テレのマイクも立てる。なお、インターネットによる生中継は回線工事の準備の都合上、9月議会以降になる。

◆テレビ等の生中継は議会を変えるか。

4千万円近い予算をつけて実施されるテレビやインターネットによる生中継によって、議場に緊張感が生れることは間違いない。昨年末に実施した対面演壇による一問一答方式と合わせて、議会改革が進むことを期待したい。

そもそも、開かれた議会であることは議会の生命である。それ故に、多くの傍聴席が設けられ、誰でも傍聴出来る仕組みとなっている。議会の公開性は、「県民の、県民による、県民のための」県政を実現する不可欠の要素なのだ。地方分権が本格化する中で、地方議会の役割はますます大きくなっている。そして、県民参加による県政が叫ばれる中、「参加」の資料を提供する手段が、議会の公開である。現在の傍聴席は約200であるが、インターネットとテレビの生中継実現によって、200万県民が座れる傍聴席が設けられたといえる。それにこたえるための実りある議会活動を実現しなければならない。その議会は26日に始まる。そして間もなく、私は議長席から去る。

(議会の活性化を願って。読者に感謝)

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2006年5月25日 (木)

幹事長選挙で異変!(24日)

 前日の県議団総会で幹事長候補は、24日午前10時迄に選考委員会に届け出ることになっていた。届け出たのは、自薦の中沢丈一、金子泰造、南波和憲の3氏だった。

 県議団総会は午前10時に県連3Fで開かれ、3氏はそれぞれ所信を熱く訴えた。聞いていて時代が変わったなと思った。派閥の対立が続いていたなら、今回も、多数を擁する同志会から選ばれ、県政塾は不服でも従わねばならなかったであろう。三人の挨拶の中では金子氏の言に注目した。それは、今まで小寺知事を支持する立場であったが敢えて五選を阻止するという趣旨のものであった。

 無記名で投票し、一回で過半数に至る者がなければ、1位と2位で決選投票することも決まった。開票を見守る3氏の表情には緊張がうかがえた。私たちも同じだった。多くの人は、かつての派閥のつながりで投票するのかということも気になった。開票の結果は金子氏が過半数を得て当選した。派閥の解消が見事に実を結んだ瞬間だった。

新幹事長の金子氏は、魂を入れて頑張りますと、就任の挨拶の中で熱く語った。なお、議長候補には前幹事長の大沢正明氏が決まった。

「総会・役員会のラッシュ」(22~23日)

 主なものに、機械金属組合の総会、商工会議所連合会の通常総会などがあった。これらは、中小企業の集まりである点は共通。来賓の挨拶は、どれも、景気は回復しつつあるが、業種により違いがあり、また、中小企業をとりまく環境は依然として厳しいことなどを内容としている。

 機械金属組合は、前橋市の多くの物づくりの企業が加わる組合である。私のテーブルには、高木前橋市長、尾身幸次代議士、中曽根弘文夫人などが同席。尾身氏は、日本が生き残るためには科学技術を振興させることが重要であること、また、企業にとって産学官の連携を生かすことが何よりであることを力説していた。

 尾身氏に続いて立った私は、中小企業が激しい変化の波を乗り切るためには、組合が団結して力を合わせることが大切であると述べた。

商工会議所連合会は、より多彩な中小企業が加わっている。私の隣りの席は、日銀の支店長で、最近はインドの動きが激しいこと、インドに出て行く日本企業が多くなってきたことなどを、雑談の中で私に話してくれた。

 私は挨拶の中で、日本の経済を支えるものは中小企業であること、そして、中小企業の活力は、健全な地域社会を支える大きな柱でありことを述べた。私の胸には、今日の奔流のような社会で、跳ねて眩しく輝くような企業もあれば、こつこつと懸命に物づくりに励む企業もあるが、こちらこそ、日本の経済を支え、地域社会を支える柱なのだという思いがあった。

(県議会の新たな1頁が実を結ぶことを願って。読者に感謝)

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2006年5月24日 (水)

植樹祭を振り返る。木育について。(その3)

 岐阜県における全国植樹祭で、私が最も注目したことは、子どもたちを主役にした点である。森林を守り育て、それを未来へつなげることは、今の子どもたちの肩にかかっていることを考えれば、子どもたちを前面に押し出した今回の植樹祭は成功だったと思う。

 教育の面から見ても大きな成果があったのではなかろうか。体験を重視した総合的学習の時間の意義が問われているが、子どもたちは、理科、社会科、歴史等各教科と結びついた生きた体験学習で多くを学んだに違いない。各県の子どもの代表を参加者の中に加えることが出来たらその意義は大きかったと思う。

 私は、植樹祭式典で真剣にメモをとりながら耳を傾けた。天皇は森と学校教育を結びつけて語られたし、北海道知事は、モクイクという耳慣れない言葉を使った。すぐに「木育」と思って調べると、道庁は、最近、「木育推進プロジェクトチーム」をつくって、取り組んでいる事がわかった。資料を読んで、その目指すところは、「木育」という言葉を使うかどうかはともかく、私たちにとっても、重要な課題であると思った。「木育」という言葉によって、目標を鮮明にし、人々の心に訴える効果を生むことが出来るに違いない。

 「木育」は、「木とふれあい、木に学び、木と生きる」ことを目指す。今日の社会には、さまざまな「ほころび」が生じてしまった。人の心も活力を失いおかしくなりつつある。それは、人々が、木や森から離れ、先人が培った「木の文化」を受け入れなくなったからだ。子どもの頃から木とふれあうことによって感性や想像力を養って人や自然に対するやさしさを身につけ、また、木や森から学ぶことで人間と自然が共存して生きる「持続可能な社会」を生み出さねばならない。これらのことを可能にするために、子どもの頃から、森や木との関わりを主体的に考えることが出来る豊かな心を育てたいという思いが、「木育」にはこめられている。これが北海道の狙いである。

 「木育」という言葉は、「食育」からヒントを得た発想かもしれない。「木育」と同様に「食育」も生きる力を目的とするものだから、その理念を紹介したい。食は生きる上での基本である。子どもたちが豊かな人間性と生きる力を養うためには、「食」に関する知識と「食」を選択する力が必要である。今日、飽食の時代といわれ、美味な食べものが氾濫している。そして、健康にとって有害な食べものも多くなっており、「食」の安全が叫ばれている。このような状況の中で、食に向き合う習慣と力は、子どもたちにとって何よりも重要である。そこで食育基本法がつくられたのである。関心を高めて欲しい。

(子どもたちの生きる力が身につくことを願って。読者に感謝)

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2006年5月23日 (火)

全国植樹祭、天皇は語った(その2)

 この大会のテーマは、「ありがとう未来へつなげ森のめぐみ」である。大会会長は、衆議院議長の河野洋平氏。河野氏は、「森は古代より、人々の生活を支えてきた、森を次の世代に引き継がなければならない。京都議定書が出来て森林の果たす役割は大きくなった」などと語った。

 天皇陛下は、ご挨拶の中で、50年前の昭和32年に岐阜県で第8回国土緑化大会が行なわれたが、その翌年から全国植樹祭が始まったこと、陛下御自身も昔この地を訪れ、枝打ちの人が見せた逆さおりの技が心に残っていることなどに触れられた。そして最後に次のように述べられた。「森は、かけがえのない役割を担います。森の活力を維持することに若い人が関心を持ち、学校教育でもそのことに力を入れていることは心強いことです。全ての人が森をつくることに加わっていくことを願います。」

 それから、両陛下の御手植え、御手蒔きが行なわれた。天皇は、うすずみ桜、イチイの木、ほうの木を、皇后は、ねむの木、とちの木、きはだをそれぞれお植えになった。イチイの木は岐阜の県木である。続いて、天皇は、かつら、ひのきの種子を、皇后はイチョウ、こぶしの種子をそれぞれお蒔きになられた。ひのきは、重要な県産材で東濃ひのきはブランド品となっている。

 岐阜県における全国植樹祭の最後の行事は、来年の開催地北海道へのバトンタッチだった。高橋北海道知事は、魅力あふれる北の大地を楽しんで頂けるよう観光のくにづくりをすること、持続的な森林づくり、木質バイオマス、木育などに力を入れ、北海道らいしい森林政策をすすめること、そして、岐阜の思いを560万道民に伝え、「明日へ未来へ北の大地の森づくり」をテーマに北海道の植樹祭を実現したい、と熱いメッセージを送った。

 今回の植樹祭を通して感じたことは、豊かな森林は、大昔から私たちにとってなくてはならないものであったこと、それが今日、ますます重要になったこと、そして、森を守り未来へつなげるために子どもたちの力が非常に大切だということである。天皇陛下が、学校教育に於いて、森林に力を入れることの重要性について触れられたのも同じ考えだと思う。

 北海道知事は、「木育」という言葉を使った。「木育」とは、「木とふれあい、木に学び、木と生きる」ことを目的とする取り組みで、北海道が初めて始めたものだという。最近、「食育」という言葉が注目されている。「木育」もこれから注目されることになると思う。「木育」については、「食育」と共に明日の日記で取り上げる予定。

(森に対する理解が広がることを願って。読者に感謝)

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2006年5月22日 (月)

全国植樹祭は岐阜県下呂市で(21日)(その1)

早朝4時に起きてホテルの露天風呂に入る。風呂のすぐ下を増水した飛騨川が黒く滔滔と流れ下っている。目を凝らすと巨大な生き物がうねっているようだ。対岸の山の端が徐々にはっきりと姿を現す。

 外に出て歩くと町の辻に歴史を語る道標があり、「右美濃國より尾張、左飛騨高山より越中、此処は下留」とある。ここは昔、飛騨街道の宿場で、駅名が下留であったが変化して下呂になった。傷ついた一羽の白鷺が舞い降り飛び立った跡に湧き出ている湯を村人が発見したのが下呂温泉の起源である。有馬、草津とともに天下の三名泉といわれる。このようなことが街角に建てられた「由来」にあった。

 6時20分バスで出発。私たちのバスには群馬県と福島県の人が乗り、総勢27人で、群馬は15人である。植樹の森の麓でバスを降り森の斜面を歩く。長蛇の列が前にも後ろにも延々と続く。青空の下、まわりの山々は生き生きとし、重なる稜線の上を白い霧が静かに流れる。苔(こけ)のある石垣の上には古い民家があり、至る所に小川があって生まれたてのような透き通った水が音を立てて流れていた。あちこちに、小学生、中学生、高校生が立って、声をかけ、右に左にと植樹隊が進む方向を指示いている。

 私たちの植樹の場には、中一の一人の女の子がいて、「先ず根の土を少しほぐして下さい、穴に土を半分くらい入れて下さい」などと指示すると林業のプロのおじさんたちも素直に従っていた。子どもたちにとって、素敵な体験学習の場だなと思った。後に、この植樹祭には子どもたちが大きく関わっていることを知ることになる。

 植樹の後、メイン会場に着くと、入口では厳重なチェックが行なわれていた。金属探知機をくぐる状況は空港を思わせる。カメラについては、特にシャッターを押すという念の入れようである。のどかな山の姿と相いれない異様な光景であった。

 メイン会場は高い山々で囲まれ、天皇、皇后をお迎えする木造の建物を中心にして、左右に主要な人々の席が、正面の斜面には一般の招待者用の木のイスが限りなく並ぶ。

 陛下がお着きになるまでの間、子どもたちの様々な催しがあった。「この植樹祭は子どもたちが主役です。なぜなら、豊かな自然を守り未来へつなげるのは子どもたちだからです」と、司会の竹下景子が説明する。「私たちは、手を加えなければ森が消えてしまうことを知りました。光あふれる森をもっと広げましょう、風の走る森をもっと広げましょう」子どもたちの生き生きとした声が周囲の山々に響いた。その時、天皇御到着を知らせる声が静かに流れた。(続く)

(全国の森林の復活を願って。読者に感謝)

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2006年5月21日 (日)

サンパウロの刑務所暴動、昨夏の訪問を思う

 最近の報道はサンパウロの暴動を報じている。各刑務所の服役囚及び外部と連携したサンパウロ最大の犯罪ネツトワークのリーダーは38歳の服役囚だという。銃撃戦もありパニックを起こしているサンパウロには多くの日系人がいる。県人会長の松田さんは、暗黒街のボスを思わせるようなボディガードを3人も私たちにつけたが、あれも必要な配慮だったのだと、今、改めて振り返った。お世話して下さった県人会の方々はどのように過ごしておられるであろうか。

 昨年8月16日から31日まで南米各地の県人会を訪ね、この間のことは、毎日「日記」で書いた。サンパウロのことは、18日と26日の部で取り上げてある。あの時知らされた治安状況、特に刑務所内のことからすれば、今回の暴動もうなずける気がする。

 8月26日、ホテルにつくと「ニッケイ新聞」を渡された。ニッケイとは日系のことである。そこには、大きな見出して、「聖州で振り込め詐欺急増、1日100件を超える」とあった。聖州とはサンパウロ州のこと。サンは聖を意味するからである。私は、日本と同じではないかと思いながら新聞を読んだ。

 そこでは、服役者が外部と連絡を取りながら暇に任せて携帯電話で振り込め詐欺を実行していること、終日暇を持て余しているので新しい手口の犯罪プラン作りに余念がないことなどを報じていた。面白いと思ったのは、日本でも振り込め詐欺が盛んであった事である。互いに無関係に始めたことであろうか。それとも、どちらかがヒントを得たのだろうか。ちなみに、このニッケイ新聞には「オレオレと言ったら女房電話切り」という川柳まで紹介されていた。

 今回のサンパウロの暴動についても、一斉蜂起の連絡には携帯電話が使われたこと、それは、差し入れに忍ばせたり刑務官を買収したりして入手したものであること、報復攻撃をちらつかせて刑務官を従わせることもあることなどが報じられている。

 その国の治安の状況は、その国の政治、国民性、社会の安定度などを端的にあらわす。南米各国の訪問は2度経験したが治安の悪さはその度に感じたことである。最初の南米訪問は平成8年のことであった。5月3日ペルーの日本大使館を訪ねた。その時、防弾チョッキと銃をもった兵士、青木大使の豪放な人柄が印象に残った。ところが翌年(平成9年)4月、この大使館がテロ集団に占拠され、それが4ヶ月も続く事件が起きたのであった。外国と比べ日本は良い国だとつくづく思う。その日本が今崩れようとしている。何としてもそれをくい止めねばならない。今、その重要な曲がり角に来ている。

(安心安全な社会の実現を願って。読者に感謝)

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2006年5月20日 (土)

ホームページのこと

 前日、議長の挨拶についての思い入れについて書いたが、もう一つ初心を貫いてきたのが、ホームページの「議長日記」である。

 これまで、県会議長は、県民から遠い存在で、どんな人が何をしているのか分からなかったのではないか。このことは、県議会が県民から離れているということであり、地方分権の時代における県議会の在り方として好ましいことではない。そこで、ホームページで「議長日記」を始めたのである。

 新聞やテレビなどのメディアが発達し、情報は洪水のように流れる時代であるが、議会に関する人々の関心は薄く、情報はなかなか受け止められないようだ。私は、情報の流し方には工夫が必要で、新しい情報の広場には新しい視線が集まるものと考え、「日記」をその広場にあてようとした。

 手を抜かないで続けている甲斐あってか、アクセスもコンスタントに増えてきた。これまでの一日の最高のアクセス数は693である。これだけの人の「広場」が空間を超えて電波の力で瞬時に開けるのは、正に現代の魔法である。稀には、地球の反対側、ブラジルからもアクセスがある。事態を謙虚に受け止めて「広場」を大切にしていきたい。「情報は心の糧、生きるための力」を掲げて、議長を辞めても「議員日記」として続ける考えである。

「あなたが裁判員に選ばれたらどうするか」

 前橋地裁で県民が裁判員として参加した模擬裁判が行なわれた。強盗致傷事件の被告人の刑につき、6年を主張する人、3年を主張する人などがあったと聞く。もし、裁判員に選ばれたら人の人生を左右する判決にかかわることになる。その重責を果たせるか、誰もが不安になるだろう。

 裁判員制度については、4月6日の「日記」で取り上げた。くじで選ばれた一般人が重要な刑事事件の裁判に参加するのだ。裁判に国民の健全な社会常識を反映させるのが目的である。平成21年までに施行される。今から関心を高めておかねばならない。対策は、毎日のように報じられる事件につき裁判員になったつもりで有罪か無罪か、刑の重さなどを真剣に考えることだと思う。

 私は、ヘンリー・フォンダ主演のアメリカ映画、「12人の怒れる男たち」を思い出す。17才の殺人容疑者の表決について12人の陪審員が議論する。一人だけ無罪を主張する陪審員(フォンダ)の粘り強い説得が他の陪審員を動かしていき遂に無罪の結論に至る。この男がいなかったならと考えると恐い。アメリカの陪審制は、評決に裁判官は加わらず陪審員は有罪か無罪かを決める。量刑にはタッチしない。日本の裁判員制度は、裁判官も加わって、有罪、無罪の他に量刑にまで関わる。この制度が育つためには国民が司法につき学ぶことが求められる。

(ホームページの広場が広がることを願って。読者に感謝)

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2006年5月19日 (金)

多選自粛条例と知事の多選を考える

 安中市の岡田市長が条例案を議会に出そうとしている。考えるための論点をあげてみたい。岡田市長が考える「多選」とは、3期12年を超えるものである。多選を「禁止」としないで、「超えて存在しないよう努める」という自粛の形をとる。みどり市、富岡市の市長も同様の条例を考えているらしい。

 多選が問題となるのは、知事や市長などの首長についてである。それは、この地位に大きな権限が集中しているからである。強大な権限が一点に集中すると弊害が生れることは歴史が証明してきたことだ。首長の制度は、有権者が選挙で選ぶ仕組みであり、また、首長の権限行使をチェックする議会という制度が設けられている点に民主主義に基づく制度としての特色がある。

 しかし、民主主義は理想どおりにはいかない。現実との間には必ず隔たりがある。そこで多選の弊害が指摘されるのだ。首長の地位にある人は立派でも長くなると政治の活力が低下することは避けられない。権力の濫用の恐れもあるし、首長が知らず知らずのうちに、裸の王様になっていることもあり得ないことではない。民主主義の国アメリカに於いては、大統領は、憲法で2期までと定められているのはそのためである。

 安中市が考える条例が、「禁止」としないで「自粛」とするのは、憲法が立候補の自由を保障しており、禁止は出来ないと考えられているからである。

 この度、条例を検討するらしい三つの市(安中、富岡、みどり)はいずれも合併によって大きくなった市である。そして、新市長はいずれも前県議である。県議の経験から多選の弊害を肌で感じていたに違いない。また、3市の市長が多選自粛の条例を必要と考える背景には、市が合併によって大きくなったことと関係があると思う。市の規模が大きくなれば、市長の権限も大きくなるからである。

 前記のように、多選の弊害が首長の権限の大きさとの関係で論じられ、合併によって首長の権限が大きくなったというなら、知事の権限の強大さが、多選の関係で議論されることは当然である。小寺知事は、5選を目指すようである。安中市がつくろうとする条例が3選を上限とすることと比べても5選は長い。もとより、県民が選挙によって決めることではあるが、選挙に近づく前に、「多選」の是非は大いに議論すべきである。上州をおおう曇り空を一変させることを多くの県民は望んでいるのではないか。地方の時代、200万県民が心機一転、力を合わせるためには5選はよくないと思う。

(いきいきとした群馬を願って。読者に感謝) 

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2006年5月18日 (木)

18年度総合表彰式で挨拶(16日)

 群馬会館大ホールで行なわれた。地方自治、福祉、教育、文化、国際交流等々の分野で功績のあった140名の人々が表彰された。長いこと地道に続けた努力が社会的に高く評価されることは大きな喜びに違いない。私が関係している分野からも受賞者が何人か出た。例えば書道、柔道、養蚕、種豚生産等にたずさわる人々である。

 総合表彰は、形式も重視される儀式らしい。この日の挨拶は、巻き紙に書いて読んだ。自席に戻り、議長としての職務も、残すところあとわずかと思うと、感慨深いものがあった。

 議長に就任した時、心に決めたことがあった。それは、挨拶は、用意されたものを読むのではなく、自分の言葉で語ろうということである。以来、毎日のように、いろいろな場面で数えきれない程挨拶をしたが、初心を貫いてきた。

 当初、私のやり方については反発が予想されたし、議会事務局側も、「先輩議員の立場もあるし・・・」と、慎重な態度を示していた。

 絶えず人々と接している経験から、政治家は、演説の時、その場に適した話をしなければならないというのが私の信念である。その場に適した話とは、集会の目的を考え、人々の顔を見て、日頃の思いを伝えることだ。どのような用語や話法が相手の胸に届くかは、長年の経験とそこから生れる勘に負うところが大きい。机の上で作られた文章は、美しくても人々の心に響かないことが多いのだ。

 議長の挨拶の意義は大きい。それは、議会を代表して200万県民にメッセージを伝える場だからだ。地方分権の時代にあって、地方の役割、従って地方議会の役割は格段に大きくなった。この変化に対応すべく議会改革が叫ばれている時である。だから、議会の権威を少しでも高めるために、議長の挨拶は、手作りでと考えたのである。決してパフォーマンスやスタンドプレイではない。

 事務局が作成した資料には必ず目を通し参考にした。事務局も、私のとった資料の扱い方を理解し、手を抜かないで頑張ってくれた。そして議員も支持してくれたと思う。同期であり先輩議長でもある矢口氏がよくやったと言ってくれたのは嬉しかった。

 話が横道にそれたが、総合表彰の挨拶の中で次のように述べた。「活力のある真に豊かな社会をつくるためには、住民が、それぞれの立場で全力を尽くすことが何よりも求められています。皆様の受賞は、200万県民を大いに励まし、夢と希望を与えてくれました。」

 この日は、午後、宅建業界の総会もあった。宅地建物は県民の生活の基盤、業界は力を合わせて社会の信頼を回復して欲しいと挨拶した。(活力ある社会の実現を願って。読者に感謝)

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2006年5月17日 (水)

代表者会議が開かれた(続き)

 代表者会議の席で、共産党から、県議補選で当選した今井氏に対し辞職勧告等きびしい対応を行うべきだという要請が出された。今井哲氏は、4月23日、富岡市区の補欠選挙で当選した37歳の若者。初当庁し議長室を訪ねたことは4月27日の「日記」で、今井陣営の幹部が選挙違反で逮捕され連座制が適用される恐れがあることは、29日の「日記」で書いた通りである。

 共産党の要請について、私は、幹部が逮捕されたとはいえ、まだ容疑の段階であり、事実は司法の判断にかかることであるから、議会として、今、対応するのは適切ではないと考えた。代表者会議の意見も、共産党以外は、私の考えと一致した。共産党の狙いは、この件を、代表者会議に持ち出し、共産党の動きを新聞に取り上げさせることにあったのかも知れない。

 この29日の「日記」では、わずかな寄付行為ゆえに書類送検された県議や市議のことにも触れた。公職選挙法の定めは誠に厳しい。これは、民主主義実現の過程を浄化しようとするもので、政治家に対しては、社会日常の慣例まで否定しようとする。

 私が支部長を勤める自民党前橋支部では、近く、役員会を開き、そこには自治会の代表も招き、寄付行為をしないことを再確認するとともに、地域社会にも協力を要請することになった。その結果は、新聞にも取材してもらう考えである。

「友情の回復成り、心は晴れる」

 今月27日の「日記」で、「感情を吐き出すあとに残る虚しさ」と題して、友人であると共に同志でもある人と衝突してしまったことを書いた。手弁当で活動に参加する人たちは、皆真面目で純粋、そして強い個性を持っている。だから時には衝突するのは、むしろ当然だ。黙って去って行く人もいれば、不満を胸に抱いたまま耐える人もいる。長いこと行動を共にしてきた友人は、能力ある個性派である。

ボランティアの人たちをまとめている人物だから、肌が合わなかったり批判する人もいる。ちっちゃなトラブルもうっ積すれば耐え難いストレスになる。私も巻き込まれて悩んだ。親しいだけに理性によるブレーキをつい忘れ、激しく感情をぶつけてしまった。袂を分かつ所までいったが乗り越えることが出来た。

 先日、ボランティアの人々の集いがあり、多くの人が集まった。酒を酌み交わし、カラオケも飛び出し、会は盛り上った。人々のストレスも楽しい雰囲気の中で溶けて流れた。仲の良いことは楽しいことだとつくづく思った。来年は大きな戦いがある。孫子の兵法も足もとを固める事が前提となる。(議会の真の活性化を願って。読者に感謝)

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2006年5月16日 (火)

国会議員との合同会議

 自民党群馬県連で、朝8時から行われた。従来、東京の党本部で行われることが多かった。主な議題は、18年度の役員改選についてである。笹川会長の続投が満場一致で決まり、幹事長以下の役員の選任は県議団に一任された。

 その他のこととして、来年の県議選、参議院選、知事選のことが話題になった。とくに知事選では、山本県議が名乗りを上げているが、小寺知事に勝てる候補を立てるべきだと若手県議から声が出ていること、また、中曽根参議院議員を推す声もあるが、中曽根氏はその意志を否定し、参議院議員を貫く旨こたえたなどが報告された。

 その他、地方自治法改正に関して、地方議員の身分の位置づけを、地方の時代にふさわしいものにすべきだという意見が出された。現行法では、地方議員は特別職の非常勤職員となっているのだ。私は、発言を求めて、全国議長会でもこのことは大きな課題となっている、地方分権一括法をつくって地方の重要性を認めた国会は、地方議員が十分に活躍出来る地位を法律で明確にする責任があると強調した。

 「山村振興連盟の総会に出る」(15日)

 市町村会館で行われた。私は、挨拶の中で次のように述べた。「今日、科学技術がめざましく発達し、物は豊かになりましたがギスギスした社会となっています。人々は、ゆとりとうるおいを求め、心の豊かさを求めています。そのためには、山村の活性化は欠かせません。山村には古来、大切な文化、伝統、歴史が沢山あり、豊かな自然もあります。ところが、今、高齢化と過疎化で山村は荒れて取り残されようとしています。山村に対する新しいニーズと調和させながら、活力のある山村を築いていく事が私たちの大きな課題です。」

 「テレビによる議会の生中継の答申」(15日)

 インターネットによる生中継及び、「テレビ録画配信」を行うという図書広報委員会の答申が先になされたが、私は、再度の答申を求めた。世論の動向と議会の活性化を考慮してのことである。その答申が今日、私に出された。それは、インターネットによる生中継とテレビによる生中継を両方行なうというもので、5月議会において先ず試行する。議会が200万県民の目にさらされるということで、緊張感が走り、開かれた県議会が進むことを願う。

「代表者会議が開かれた」(15日)

 これは、議長が座長となる非公開のもの。県議会の委員会が訴えられた住民訴訟について、また、前記のテレビ中継の事、委員会条例の一部改正について協議がなされた。

代表者会議のその他の内容は明日の「日記」で書く。

(議会の活性化を願って。読者に感謝。)

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2006年5月15日 (月)

石原都知事の挨拶に思う

 関東甲信越議長会議に石原都知事が出席して、オリンピック東京誘致について熱く訴えた。石原氏の話は、「日本人は自信をなくしてしまった。しかし、日本の国力は非常に高い、それを東京でオリンピックを開くことで、海外に評価してもらい、それによって、日本人が自信をつけることに意義がある等々。」

「太陽の季節」でデビューしたころの石原慎太郎は、キザなあんちゃんで、鼻もちならない男と思っていた。政治家になった頃も違和感を抱いていたが、年月を経て間近に見る慎太郎に私はかなり違った感じをもった。年月は人を作り人を変える。かつてギラギラしていたものが風雪に耐えて磨かれ、魅力ある風格をつくり出しているように見えた。人間、順風の人生も終わる時は同じだ。慎太郎も人生の週末を意識しているかもしれない。命に限りがあるからこそ人生は尊い。終わりを意識して生きる生き方には、魅力があるのだ。

 彼が「太陽の季節」で芥川賞を受けたのは昭和31年、私が中学を卒業した年であった。主人公の男が陰茎を障子に突き立てる場面などがあり、当時としては衝撃的であった。最近ある雑誌で彼は、例の場面のことを、友人とのたわいのない会話の中で、障子と処女膜どっちが強いかが話題となり、それをヒントにしたと語っている。当時としては、既存の倫理とぶつかる要素を多く含んだ小説であった。

 慎太郎がデビューした昭和31年頃は、「もはや戦後ではない」といわれたように時代の一大転換点で怒涛のような消費社会が始まる序曲の時代ともいえた。また貧しさと豊かさが同居しその格差が広がりつつある社会でもあった。私は「貧」の部に属し、仕事で疲れた身体をひきづって夜学に通っていたが、前方に広がる豊かさが限りなくまぶしく見えた。この頃の日本人は、ただひたすら物の豊かさを求めた。戦前の価値観は大半が否定され、新しい時代の価値観は人々の心の基盤とはならなかった。

 昭和39年の東京オリンピックは、この流れを加速させた。物の豊かさを求める奔流の中を生きる日本人は、外国からはエコノミックアニマルと批判も受けた。しかし、この時代に、社会の諸問題に対して見せた若者の批判精神は、今から振り返ると社会に健全な背骨が残っていた証拠とも思える。あの頃盛り上がった学生運動も今は姿を消してしまった。

 石原都知事が「溶けていく日本」、「志のない日本人」あるいは、「中国や朝鮮にはいつくばる日本」などと口にする腹の底には、自分の半生を振り返っての思いがあるのだろう。

 この度の関東甲信越議長会議では、東京にオリンピックを招致することを議決したが、それは、ナショナリズムとは別な、新生日本をアピールする場にすべきである。

 高校総体で感じたことだが、スポーツを通して日本が全力を尽くすことは、教育の面でも、健康の面でも、又、日本人の心をたて直すためにもよい機会である。オリンピックは、その場にしたい。(日本人の心の再建を願って。読者に感謝)

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2006年5月14日 (日)

一都九県議長会で高金利問題を提案(11日)

 京王プラザホテルで行なわれた。会議は、地元知事として石原都知事が挨拶して始まった。各県議長会が提案したことは7月に予定される全国議長会に提出し、その後、国会政府機関へ要望することになる。

 それぞれの提案はいずれも、今日、社会で大きな問題となっていることで、各県が何に重点を置いているかがわかる。いくつかを紹介する。

 千葉県は個人情報保護制度の改正を提案。災害時に高齢者などの名簿が渡らず避難勧告を伝えられなかったという。

 栃木県は、子どもの安全確保対策の充実強化について。昨年12月小1の女児が殺され未解決なのだ。

 埼玉県は、拉致問題の早期解決を訴えた。北朝鮮の国家的犯罪行為に毅然たる姿勢をと。

 長野県は「平成18年豪雪」への対策を。融雪にともない果樹への被害、地すべり被害等が甚大。

 新潟県は、児童扶養手当、就労支援策の充実を、東京都は、構造計算書偽造問題対策について、それぞれ提案し訴えていた。

 我が群馬県は「高金利の引き下げ」である。私は、4月3日の「日記」で「借金地獄を身近に見る」と題して、「グレーゾーン」の廃止を訴えた。また、そこでは、金銭万能社会で、借金のために心まで失う人々のことにも触れた。

 その後、4月14日、金融庁は、アイフルの業務を停止させるなど事態は大きく動いている。簡単に金を借りて破滅に落ち込む人が何と多いことか。この問題は、今日の日本の社会の病理とつながっている。

 この問題は、通常の人の心まで蝕む事態に至っていることを考える時、予想を超えて根が深いことを感じる。目に美しくうつり、耳に優しく響くコマーシャルに人々はつい乗せられてしまう。その後の地獄とつながることを考えるとき、このようなコマーシャルは悪魔の囁きであり詐欺にも等しいと言える。

 私の周辺にも、数万円の額ではあるが、親しい人から借りて、その後は何回請求しても返さない人が何人かいる。お金の貸し借りが大切な人間関係を破壊することを何とも思っていないのかと、貸した人は憤慨している。日本人一般に、道徳心が薄れ、義理や人情を大切にする週間がなくなり、法や社会のルールを守るという規範意識が消えつつある。このような風潮の中で、金や欲望のために人を殺す事件が後をたたない。日本人の心が融けて崩れようとしている。今、具体的に出来ることから手をつけて、防波堤を築かねばならない。群馬県の提案は、このことを望むものである。

(日本人の心が立ち直ることを願って。読者に感謝)

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2006年5月13日 (土)

県議会の委員会視察に関する訴訟で上告

「県会議員等が訴えられた裁判で、勝ったり負けたりがあって、今度は、オンブスマンの方が原告になって最高裁に上告したというが、何がどうなっているのか。」こういう質問が何人かの人から寄せられた。

 この問題については、4月29日の「日記」で書いたが上告を機に再び大筋を説明し、それを踏まえて、この後の上告の成り行きを見守りたい。また、県議会の委員会視察、ひいては県議会全体に対し関心を深めるきっかけにして頂ければと思う。

 事実関係はこうだ。「二つの委員会が県政視察をし、夜、伊香保の天坊に泊まり懇談会をした。これに対し、オンブズマンは、泊まる必要はなかったから使われた公費を返還せよ」というもの。

 第一審の前橋地裁は、全員に計150万円の支払いを命じたが、第二審の東京高裁判決は、一審判決を取り消した。返すべき不当利得はないというもの。但し、懇談会のみに参加した県職7人については公費支出は違法だとして計約10万円の返還を命じた。オンブズマンは、これを不服として最高裁に上告したのである。

 高裁判決を受けて、群馬県執行部は次のような方針を打ち出した。①執行部の職員は、県議会の調査に、基本的には随行しない。②「初顔合わせ」、懇談会へは参加しない。

 ①の真意は、必要もないのに随行しないということではなかろうか。②は、意義のある、非難の余地のない「初顔合わせ」・懇談会まで否定する趣旨とは思われない。

 要は、実りある委員会調査を実現するために議員と執行部との協力関係はいかにあるべきかということである。それを真摯に模索することが適切な議会運営の実現につながる。

「第62回国民体育大会冬季大会実行委員会の設立総会」(10日)

 県庁舎内で開かれた。

 多くの議題があったが、審議は約20分で終了。小寺知事も新記録ですと語っていた。実行委員は125名。会長には知事が、私は副会長の一人に選ばれた。大会の趣旨は、スポーツを通して国民の健康増進を図ろうとするもの。合わせて元気な群馬を全国に発信する。

 正式競技はアイスホッケーとアイススケート。会場地は前橋市、渋川市、高崎市である。競技方法は都道府県対抗で行なわれる。会期は平成19年1月27日から31日まで。開会式は皇族を迎えて「ぐんまアリーナ」で行なわれる。(困難を乗り越えて県議会が発展することを願って。読者に感謝)

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2006年5月12日 (金)

陸自イラク派遣、隊旗授与式(6日)

 第一波140人が出発。県内駐屯地からイラク復興支援へ向かうのは今回が初めて。民間の自衛隊支援組織の会長町田錦一郎さんは、私の後援会の幹部の一人。今回の派遣に関しても第十次イラク復興支援群を支える会」の会長をつとめる。派遣期間は三ヶ月程度で、公共施設の復旧や医療支援に当たる。

 イラクの状況は泥沼化して毎日多くの人命が失われている。平和な日本とは正に別世界である。自衛隊が復興支援に当たるイラク南部のサマワの治安は落ち着いているらしいが、見送る家族の無事を祈る気持ちには切なるものがあるに違いない。県内の相馬原からということで、自衛隊派遣がにわかに身近になったことを感じる。自衛隊のイラク派遣は憲法違反だと主張する一部団体の動きも報じられた。私は、この問題を憲法を考えるきっかけにすることが重要だと思う。

「憲法の内容知らないが半数以上」

 これは、最近の新聞が伝える世論調査の結果である。国の基盤であり国民にとって最も大切な法律について国民の半数以上が内容を知らないというのでは、民主主義といっても形だけのものかと疑いたくなる。

 関心が薄い理由の一つは、多くの人が憲法を自分の生活と無関係と考えているからだろう。県内の駐屯地から自衛隊がイラクに派遣されていく、そして、それを見送る多くの家族。この光景は、憲法が身近なものであること、そして、憲法が日本という国のあり方を決めるものであること、更に、国民の生命や安全に関わる決定の指針であることを私たちに示している。

 自衛隊のイラク派遣については、国会で激しく議論された。それは憲法9条との関係で議論されたのである。今、憲法の改正が社会の大きな関心事となっている。そして5月3日の憲法記念日には、「改正」に関して多くの報道がなされた。私の「日記」も、5月1日から8回続けて憲法とその改正に関して取り上げた。少数の人でも読んでもらえればありがたいという気持ちだった。そして、かなりの人から関心が示されたことを嬉しく思っている。

 改めて思うことは、自衛隊のイラク派遣だけでなく、様々な身近な問題が深いところで憲法につながっているのに、人々は気付こうとしないことである。例えば、子どもや高齢者に対する虐待、表現の自由、差別の禁止、公務員の身分などなど。学校では、社会に存在するこれら生きた教材を使って子どもたちに憲法を真剣に教えるべきである。県教委も考えてほしい。(イラクへ派遣される人々の無事を祈って。読者に感謝)

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2006年5月11日 (木)

県立病院の治療費未収金を真剣に考えよう

 私は4月18日の「日記」でこの問題を取り上げたが5月9日の新聞は、これを大きく報じている。問題の根本に何があるのか再度取り上げて考えてみたい。

 古来、「医は仁」といわれる。それは、医が、人間にとって最も大切な健康や生命に直接関わることだからである。その故に、治療費を払えないという患者に対して治療を拒むことは出来ない。また、治療後の請求についても強硬手段には限界がある。

 県病院局は、「未収額は年々雪だるま式に増える」と言っている。また、回収のための地道な活動を行なっていると答えているが、最善の努力がなされているかを問いたい。まず未払いの理由を分析して、それに応じた対応を考えるべきである。

 4月18日の「日記」でも触れたことだが、私が日赤病院から得た資料では、日赤の場合、未払いの理由の中に、「支払い意思なし」が39%もある。驚くべきことだ。ここには患者のモラルの低下があるに違いない。このような傾向が広がっていることは重大である。あるテレビの取材で治療費の支払いはNHKの受信料と同じだと答えた主婦がいた。

 全ての自治体が同様の深刻な問題を抱えているが、工夫によって回収の実績を上げているところもある。モラルの低下に対応するには、毅然とした対応をなすべきである。

 県立病院の治療費回収については合わせて考えるべき問題がある。それは、大きな赤字の存在及び多くの県民が「愛県債」を買って県立病院を支えているという事実である。

 県立四病院では、一年間におよそ14億円の赤字を出している。また、日本一の県立病院をつくるために県民が買った愛県債の総額は百億円を越えた。県は、愛県債を買った県民の熱意にこたえるためにも経営の健全化に全力を尽くさねばならない。治療費回収はこの点につながる問題であることを銘記すべきである。

 病院の経営と医療の質は別だと考える人もいるらしいが決してそうではない。赤字経営を続ける中で、病院の良好な医療環境を整備することはむずかしい。私は、かつて、全国自治体病院の中でワースト1といわれた坂出市立病院を立ち直らせた経緯を調査したことがある。その時感じたことは、赤字体質が続くと、病院全体の志気が下がるということである。医師だけでなく病院で働く職員も含めた全員が患者の尊い生命と健康を支えるという使命観が求められている。健全な経営は良質な医療と不可欠なのだ。

 なお、県立病院の赤字と香川県坂出市立病院の改革については、昨年11月2日の「日記」で触れた。(真に日本一の県立病院の実現を願って。読者に感謝)

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2006年5月10日 (水)

「シェーン」と「大いなる西部」を見る。

 ゴールデンウィークに、古いビデオを何本か取り出して楽しんだ。私は、若いころ西部劇が好きでかなり凝っていた。今回見た中で「シェーン」と「大いなる西部」(ビッグ・カントリー)がよかった。過去に何度か見ているが、しばらく時をへだてて見ると再発見があり新鮮なものが伝わってくる。2つの作品からはアメリカの若い力、そして、国境を越えて自然に受け入れることが出来る人間の正義感が伝わってくる。

「シェーン」では、アラン・ラッドが演ずる流れ者のガンマンがいい。美しい残雪の山に囲まれたワイオミングの開拓地には荒々しい拳銃使いより、ラッドが演ずるような静かな男がふさわしい。ジャックパランスが演ずる黒づくめの殺し屋も、主役のシェーンを、対照的なムードで引き立てている。

 決闘の場面を、ドアの下から犬とともに息を呑んで好奇心の塊のように見詰める少年の姿は、当時のアメリカの健全な子どもたちを象徴しているようだ。秘かに心を通わせる人妻との間にはキスシーンもなくシェーンは去っていく。最後の「シェーン、カムバック」と叫ぶ少年の姿もこのような流れの中で生き生きと心に響く。

「大いなる西部」(ザ・ビッグカントリー)は本格的な西部劇だ。少佐の娘が東部で出会った婚約者をつれてテキサスの広い牧場を馬車で進むシーンは、「ジャイアンツ」の場面と似ている。グレゴリーペックが演ずる東部の男の行く手には、2人の牧場主の因縁の対立が待ち受けていた。チャールトン・ヘストン演ずる牧童頭は少佐の娘に思いを寄せていた。ジーンシモンズが演ずる先生と東部の男はやがて結ばれることに。

 若い頃この映画を見て焼きついている場面は、夜の歓迎パーティーの出来事だ。銃を持った大きな黒い後姿が暗闇から現われて近づく。男がドアを開けて立つと会場は異様な光景にうたれたように物音一つせず静かになる。

「少佐よ、お前のような偽善者はいない。今日俺の村を襲って女や子どもを脅したが二度と村へ入ったら、このあたりは血の雨になるぞ、命など惜しくはない」男はそう叫んでライフルを少佐の前に投げた。バール・アイブスが演ずる牧場主・ヘネシーの迫力は、やはり凄い。月光の下で果てしなく続くペックとヘストンの殴り合い。チャックコナーズはヘネシーの出来の悪い息子を演ずる。ペックとコナーズの作法に従った決闘の場面では、卑怯にも先に抜いた息子を立会人の父は約束どおり撃った。「トールドユー、トールドユー」(言ったではないか)と言って息子を抱きしめる姿があわれだった。

 思えば西部劇によってアメリカが好きになった私であった。現代の病める大国はどこへ向かうのか。イラクの戦いは二人の牧場主の争いを思わせる。(連休による心のリフレッシュを願って。読者に感謝)

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2006年5月 9日 (火)

ゴールデンウィークを振り返る

 ウィーク中のある日、東京の友人と新潟県湯沢市へ行った。彼が昔住んだ所で、今年は雪が多かったから残雪がまだきれいな筈だという。

 群馬の側では、武尊と谷川の高峰以外には、ほとんど雪はない。しかし、関越トンネルを過ぎると景色は一変した。左右の山々には、まだら模様に多くの雪があり、急斜面や稜線の一方の側に残る厚い雪は、今年の豪雪のすごさを示している。そして、雪の間に見える緑の木々からは、長い冬を耐えて春を迎えた山の喜びが伝わってくる。

 インターを降り、山ぎわの集落に車を止めて小道を歩いた。民家のたたずまいには、昔の農村の面影が残っている。どこの家にも、コンクリートで仕切った小さなプールのようなものがいくつかある。友人が懐かしそうに語るところによれば、屋根から落とした雪をここに貯めた水で溶かして川に流すのだそうだ。生活の知恵だと思った。

 厚い雪が至る所にあり、その底辺からはチョロチョロと水が流れ出し、道路わきの小川は、周囲の細流を集めゴンゴンと音を立てて流れ下っている。それは、生れたばかりの水の音であった。そして、眼下には、白濁した谷川の水が滔滔(とうとう)と流れていた。田の畦に出るとふきのとうがいたる所にあった。(新緑の越後の里に雪どけの、ほとばしる水の音高く響きぬ)

赤城神社の礼大祭(5日)

神事が進む中で、子どもたちのエイエイという声と竹刀を合わせる音が響く。奉納武道大会である。私も昔少年の頃、この境内で柔道の大会に出たことを思い出した。

 儀式の後で宮司は語った。「この社(やしろ)は古くて立派な由緒があります。俵藤太が植えた杉が何本か残っています。上泉伊勢守や塚原卜伝が納めた額もありました。さつばつとした世の中ですが時にはこのような静かなところでほっとすることが大切でしょう。」そのとおりだと思った。

 この境内には、鎌倉幕府三代目の将軍、源実朝の詩碑がある。「かみつけの勢多の赤城の唐(から)やしろ、大和にいかであとをたれなむ」。金槐和歌集にも載っているこの歌、実朝が実際にこの地へ来て詠んだのかは不詳。

 祭典には、青木・金子(一郎)両県議、後藤知事室長が参加していた。そして、私の小学校の同級生が数人いた。私は小学校時代、宮城村の奥地に住みこのあたりは、私が行動する圏内だった。直会(なおらい)では、「合併により村はなくなりましたが、心のよりどころである昔からの歴史と文化を守っていくことが大切です」と挨拶した。

(ゴールデンウィークが心の充電の機会となることを願って。読者に感謝) 

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2006年5月 8日 (月)

改正草案を通して憲法を考える(8)完

 7回で終える予定であったが、地方自治に触れねばならないと考え、8回となった。日本国憲法は、明治憲法にはない地方自治の規定を設けた。これは民主憲法の特色である。民主主義とは「民」が政治の「主」になる仕組みである。だから地方の住民が地方のことを自ら決めるという地方自治は、民主主義を実現する基本的な原理なのだ。

 現憲法は、地方自治につき一章を設けたがその中味は簡単なものであった。しかし、この憲法の下で地方自治の現実は大きく進んだ。今日の「地方の時代」といわれる状況は、地方自治が発展した姿である。また、「三位一体改革」が叫ばれ、平成の大合併が進み、道州制までも現実味を帯びてきた。これらは、いずれもこれからの地方自治の発展と大きく関わる。

 憲法改正に当たっては、地方自治の大きなうねりを見すえて、地方自治の新しい理念や位置づけを示す必要があると思う。そこで、草案の主な点を紹介して考える資料に供したい。(草案とは自民党の新憲法草案のこと)

 まず、地方自治の本旨として、「地方自治は、住民の参画を基本として、住民に身近な行政を自主的自立的かつ総合的に実施することを旨として行なう(91条の2、1項)、「住民は、その属する地方自治体の役務の提供を等しく受ける権利を有し、その負担を公正に分任する義務を負う。(2項)」

 「住民の参画」ということは、県政の場でもよく使われる。住民が地方の政治に参加して、その活力を生かして、地方の特色を発揮させる。これが新しい時代の民主主義の姿である。また、住民が公正に負担を負う「義務」が定められている。

 次に国と地方の役割分担につき、「国及び地方自治体は、地方自治の本旨に基づき、適切な役割分担を踏まえて、相互に協力しなければならない。92条」

 民主主義の原則、それを実現するための地方自治を考えるなら、国が上で地方は下ということは許されない。国と地方自治体は、対等であるべきで、ことなる役割を分担することになる。(国は、国防、金融、外交など)。

 自治体の財源につき、「地方自治体の経費は、その分担する役割及び責任に応じ、条例の定めるところにより課する地方税のほか、当該地方自治体が自主的に使途を定めることが出来る財産をもってその財源に充てることを基本とする。(94条の2、1項)」(2項は、国が必要な財政措置を講ずべきことを定める)

 地方の自治を高らかに宣言しても、財源の多くを国に握られていては、自治を実質的に実現することはできない。「三位一体改革」はこの点を改革しようとしたもの。地方自治の行政を見守りたい。(地方の時代の進展を願って。読者に感謝)

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2006年5月 7日 (日)

憲法改正を考える(7)

憲法改正という観点から憲法を考えてきた。早足で進めたので極めて不十分であることは承知の上である。皆で憲法を考える小さなきっかけになればと願う。今回は、草案に現われている、前回までに触れなかったいくつかの問題点を取り上げたい。そこには、現代社会の動きが反映されているから考える材料になる。

 現憲法は、平等を定める14条で「全て国民は、法の下に平等であって、人種、心情、性別、社会的身分、門地によって、政治的、経済的、社会的関係において差別されない」と定めるが、草案は、新たに、「障害の有無」を加えた。現在の14条の下でも、障害の有無で差別することは許されないが、明文で示されたことの意義は大きい。

 草案は、「表現の自由」の保障に続けて、国は、国政上の行為につき国民に説明する責務を負う」と定めた。今日、県政の上でも説明責任ということが強調される。過日、小寺知事がテレビ出演する理由の中でも説明責任があるからと言われた。国民は主権者であるから国が国政につき国民に説明責任を負うことは当然のことである。これは、「表現の自由」の解釈から、又は、知る権利という概念からも導かれるが、国の説明責任を明文で定める意義は大きい。

 草案は、「衆議院の解散は、内閣総理大臣が決定する」と定めた。実は、現憲法では、衆議院の解散はどこで決定するかにつき明文がなかったのである。そして、いくつかの規定の解釈から内閣に解散決定権があるというのが通説であり、実際の慣行であった。 内閣総理大臣が解散の意志を固め、閣議で決定しようとするとき、反対の大臣がいれば、この人を罷免して、賛成する人を大臣にすえて、内閣として解散を決定することが出来た。現に、過日のいわゆる郵政国会で、小泉首相は、そのような手法をとって解散に踏み切ったのであった。

 衆議院の解散権の所在という重要問題について明文の規定がないことは現憲法の不備であったと思う。草案は、「第69条の場合その他の場合の衆議院の解散は内閣総理大臣が決定する」と定めた。

69条の場合」とは、衆院で不信任案が可決された場合10日以内に「衆院が解散」されない限り、総辞職しなければならないとあるので、この場合の解散決定のこと、「その他の場合」とは、7条で、天皇は、内閣の助言と承認により「衆議院を解散」するとあり、実質的に解散の決定する場合のことである。(続く)

(憲法を知ろうとする人の輪が広がることを願って。読者に感謝)

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2006年5月 6日 (土)

新憲法草案・憲法改正を考える(6)

国民の責務

現憲法には、権利の規定が多く、国民の義務や責任の規定がないという批判がある。現憲法が定める義務や責任として、先ず、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のために利用する責任を負う(12条)」があり、その他、子女に普通教育を受けさせる保護者の義務、勤労の義務、納税の義務などを定める。

新憲法草案は、この三つの義務を定めると共に、12条の内容を次のように変えた。

「・・・国民は、これを濫用してはならないのであって」の次を「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないよう自由を享受し、権利を行使する義務を負う」、このように変えた。

 新しい人権

人権、つまり、基本的人権とは、人たる以上当然認められる権利である。現憲法は伝統的な人権(表現・信教・学問・職業選択・思想良心の各自由等)をほぼ網羅するが、社会の進歩発展変化によって、人間として当然認められるべき権利が生じてくる。知る権利、プライバシーの権利、良い環境を享受する権利などである。

新改正草案は、個人情報の保護等に関して、「何人も自己に関する情報を不当に取得され、保有され、又は利用されない」と定めた。また環境の保全については、国の責務を定める。「国は国民が良好な環境の恵沢を享受する事ができるようその保全に務めなければならない」明文はないが、ここから環境権が導かれると、私は考える。

国民の知る権利については、草案にはない。規定されている「表現の自由」の中に含まれていると考える説が有力であるが、明文化した方がよいという説も有力だ。

情報を知ることは、民主主義の社会にあって不可欠の事である。これなくして、政治を判断し、批判し、参加することは出来ない。群馬県情報公開条例では、その前文に、「県は、県民の知る権利を尊重し、県の保有する情報を公開すると共に説明する責務を果たす」と定めた。

草案は、犯罪被害者の権利を定める。「犯罪被害者は、その尊厳にふさわしい処遇を受ける権利を有する」。従来、犯罪「加害者」の権利が厚く守られる一方、「被害者」の立場が無視されているという批判があった。(続く)

(憲法を理解する輪が広がる事を願って。読者に感謝)

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2006年5月 5日 (金)

新憲法草案。憲法改正を考える。(5)

憲法には通常、「前文」がある。そこには、その憲法の重要な理念や制定者の決意などが現されている。自民党の新憲法草案の要点を紹介したい。

 先ず、冒頭の一節である。

「日本国民は、自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する」

ここには、現憲法がアメリカの圧力で作られたことに対し、新憲法は自主的につくるのだという心意気が現われている。

これに続く次の部分は、2日の「日記」で書いた改正できない不変の価値を表明する。

「国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権の尊重、平和主義と国際協調主義、これらの基本原則は、不変の価値として継承する」

以上は、憲法を支える基本原理を示すものであるが、以下の各部は、草案の特色を現すものとして注目される。

「日本国民は、帰属する国や社会を、愛情と責任と気概をもって自ら支え守る義務を共有し、自由かつ公正で活力ある社会の発展と国民福祉の充実を図り、教育の振興と文化の創造、地方自治の発展を重視する」

国や社会に対する愛情と責任感と気概を重視する点は、日本人の心の問題に触れる点で注目される。この点は、教育基本法改正の方向と一致するものがある。また、地方自治の重視は、地方自治がこれからの社会の柱であることを主張するものである。いずれも、現憲法の前文にはないこと。

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に願い、他国とともにその実現のため協力し合う。国際社会において、価値観の多様性を認めつつ、圧政や人権侵害を根絶させるため不断の努力を行なう」

この部分は国際協調主義を重視するものであるが、圧政や人権侵害の国に、アメリカと共同して自衛軍を出す場合の一つの根拠となり得るもの。

次は、最後の一節。これも憲法でとり上げる新しい観点である。

「日本国民は、自然との共生を信条に、自国のみならずかけがえのない地球を守るために力を尽くす」地球環境がますます厳しくなることを予想するものである。

現憲法の前文には、「国政の権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者が行使し、その福利は国民が享受する。これは人類普遍の原理であり、日本国憲法はこの原理に基づく」こと、「日本国民は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」こと、「全世界の国民が等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」などが書かれていた。

私たちは、2つの前文を比較その違う点が何を意味するのかを考えることが重要である。それぞれ、時代を支える原理や目指す目標が示されている。全文を比較し判断することは、私たちがいずれの社会を選ぶのかを問うことでもある。

(憲法を理解する輪が広がることを願って。読者に感謝)

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2006年5月 4日 (木)

ゴールデンウィークは憲法だ。憲法改正を考える(4)

憲法9条について読者から質問が寄せられた。その中に「9条は自衛権も認めていない、理想的過ぎるから改正して自衛権を認めるべきだ」というものがあった。

 結論からいえば、自衛権は認められるが集団的自衛権の行使は認められない。私たち個人が他人から攻撃されて身体生命が危ない時、身を守るために戦うことは、法律に書かれていなくも当然に認められる正当防衛の権利である。

 このことは、国家についても同様である。例えば北朝鮮が攻めてきた場合に戦う権利がないからやられっぱなしということはあり得ない。個人の場合の正当防衛の権利と同様、全ての国に固有の権利として自衛権は認められる。

 自衛権は認められるが、自衛権を行使する手段として、9条は、戦争をしてはいけない、軍隊を持ってはいけないと定める。これではあまりに非現実的ではないかという反論は、当然に出てくる。そこで、政府の解釈は、自衛隊の存在は許される、自衛権を行使して、自衛隊で戦うことができるというもの。

 集団的自衛権とは、自分の国以外で、同盟国などが攻撃をうけ、それによって自国の安全が侵害されるおそれがあるとき、同盟国が協同で(集団で)武力攻撃を排除できる権利である。例えば、米国領のハワイやグアムの基地が攻撃され自衛隊が米軍を支援する場合である。(自国以外というのは自国が攻撃された場合は、自衛権の行使となるから)

 政府の見解は、集団的自衛権の行使は認められないとしている。それは、9条が「国際紛争を解決する手段として武力の行使を認めない」からである。(改正案は、これを認めようとする)

 大江健三郎等が「9条の会」を立ち上げ、それに呼応して全国に「9条の会」が出来る中で、群馬大学でもこの会をつくる動きがある。1日の「日記」で触れた群大の動きがそれである。

 これらの動きは、9条が改正問題の中で特に社会の関心が高いことを示す。9条の改正は日本国の運命を左右する重大事なのだ。

 ここで、自民党の新憲法草案・9条の要点に触れる。

一項は、我が国の平和と独立、国と国民の安全を確保するため自衛軍を保持すると定める。二項は、自衛軍の活動は国会の承認と統制に服すること、三項は、自衛軍は、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動を行うことが出来ると定める。

 三項は、集団的自衛権を認め、それは、紛争のような場合に自衛軍の派遣を可能にするように読める。平和主義による歯止めは、改正案によって可能なのか。真剣に考えてみたい。(続く)

(憲法を読む輪が広がる事を願って。読者に感謝)

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2006年5月 3日 (水)

憲法改正を考える。(3)

  9条は全ての戦争を放棄しているように読める。しかし、政府の解釈は、放棄しているのは侵略戦争である、自衛のための戦争は放棄していない、だから、自衛のための戦力・軍隊を持つことが出来る、というもの。昨日の「日記」でここまで書いた。

 憲法学者は、ほとんどが、政府と違った解釈をとり、自衛隊は違憲だとしてきた。憲法の規定と自衛隊の存在が食い違っていることは政府も認めていて、多少無理な解釈で自衛隊を合憲としているのである。9条を改正しようという目的は、まず、自衛隊を憲法上正面から認めようというものだ。

 ところで、9条の下で、現実はどう動いてきたか。自衛、つまり防衛に徹する(専守防衛)ことから、核兵器は認めることが出来ない。核は攻撃用の武器だからである。ここから、非核三原則(作らず・持たず・持ち込まず)の政策がとられてきた。沖縄返還の時、沖縄の「核」が問題になったのは、もし核があるなら、日本復帰により、日本国内に核を「持ち込んでいる」ことになるからである。また、アメリカの軍艦が入港する時も、核を積んでいるなら日本国内への「持ち込み」が非核三原則との関係で問題となる。

 また、専守防衛ということから外国に自衛隊を出さないということが導かれる。イラク派遣は、この点で、国会で激しく議論されている。政府の態度は、戦争の手伝いではなく復興のための援助だとしている。最近自衛隊に関する世論が高まっている。北朝鮮のテポドンと核が脅威と見られ、この点からも、自衛隊の支持が増えている。

 これらの状況を踏まえた上で、9条を改正して自衛隊を、専守防衛という観点から正式に認めるか、このことが今問われている。自衛隊が現在果たしている役割を認めながらも、9条が、日本の戦力拡大に対する歯止めの役割を果たしている事からその改正に反対する意見も根強い。1日の「日記」で触れた群大の学生たちと、この点、話し合ってみたいものだ。私も、9条の改正には慎重論を支持している。

 憲法改正の論点として上がっているものは、この他に次の点がある。①国民の義務や責任についても明確にする、②新しい人権を規定する。例えば、知る権利、環境権、プライバシーの権利などである。③天皇の地位、現在は象徴と規定されているが元首としての地位を明確にすることなどである。

 憲法記念日を、憲法に関心を持つきっかけにしたい。その気でいれば、憲法に関する様々な情報が得られる。そして、それが、私たちの身近な生活と関わっていることに気付く。中学校でも、生きた憲法を、子供たちにしっかりと教えるべきである。(続く)

(実りある憲法記念日である事を願って。読者に感謝)

 

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2006年5月 2日 (火)

憲法改正を考える。(2)

昨日、押しつけられた憲法であっても中味が良いものならよいではないかと書いた。では、日本国憲法の中味、そして特色はどのようなものか。

 中学の「公民」の授業でも教える日本国憲法の柱(憲法を支える基本原則)は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義である。この三原則の中でも最も中心となるものが基本的人権の尊重である。基本的人権の尊重を確保するために、国民主権と平和主義が不可欠なのである。(国民より上に政治を決める主権者がいれば、国民の人権は害される。平和を尊重する国でなければ人間は大切にされない)

 これらの点は、世界の憲法の中で最も理想的な部類に属するものである。また、憲法は、極めて歴史的な産物である。というのは、近代憲法は、共通に、人権を尊重する原則を採用しているが、この人権の思想は、ヨーロッパの歴史の中で発達し、アメリカの独立宣言となり、また、フランス革命の人権宣言となって結実した。この思想の流れが日本国憲法の中に取り入れられ、その中心たる基本原則となっている。

 アメリカに「押しつけられた」といわれる日本国憲法の中味は、実は、このような人類共通の財産としての「理想」なのである。日本国憲法制定当初は、理想的過ぎると思われたこの憲法は、その後の世界の発展の中で、より現実的となり、輝きを増したといえる。

 ここで、寄せられたある質問を紹介する。それは、「憲法改正が問題となっているが、改正手続きに従えば、どんな改正も出来るのか」というものである。通説は、改正権には限界があり、ここにあげた、三つの原則は、手続きに従っても改正することは出来ないとする。

 現在、改正案が出されているが、右の三つの原則を改正しようという案はない。それ以外の点を改正しようとしているのである。

 第9条が最も議論される点であるが、これも、平和主義の原則に立った上で、改正しようとするものである。

 第9条は、「国権の発動たる戦争は永久に放棄すること」、「その目的を達するために、陸海空軍その他の戦力は保持しない」としている。そこで、自衛隊は、陸海空軍に当たるのではないか、だとすれば、憲法違反ではないかということが問題となる。

 この点、政府は、苦しい説明をしてきた。それは、9条が「放棄」する戦争は侵略戦争なのであって自衛のための戦争は放棄していない。従って戦力は持たないというのも侵略のための戦力のことで、自衛のための戦力は持てるというものである。果たして、9条はどう考えるべきか。(続く)

(憲法を議論する輪が広がることを願って。読者に感謝)

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2006年5月 1日 (月)

憲法記念日が近づく。憲法改正を考える(1)

 群大で憲法9条改正の是非を問う学生の動きがあった。新聞の報じるところによれば、反対が143票、賛成が27票、わからないが27票、だった。反対・賛成を表明した学生は、9条改正の本質をどこまで理解していたのか興味あるところである。9条は改正の主要論点の一つである。

 憲法改正が最近、社会の大きな関心を集めるようになった。憲法改正の是非を論ずるためには、先ず、憲法の主要な点を理解することが必要になる。

 敗戦の翌年、昭和21年に制定されてから、我が日本国憲法は、60年間一度も改正されずに今日に至った。この間、世の中は予想を遥かに超えて変わった。従って、憲法の規定が世の中の現実と一致しない点が生ずることは当然といえる。それにもかかわらず改正されなかった一つの理由は、日本国憲法が、世界の憲法の中でも最も改正が難しい憲法の一つだからであり、またそれを可能にする社会情勢も生れなかったからである。

 憲法改正の発議には、衆議院・参議院、それぞれの議院で、総議員の2/3以上の賛成が必要である。これは、一方の議院で1/3の議員が反対すれば改正の発議は出来ないということである。発議(国民への提案)が出来たとして、更に国民投票で、過半数の賛成を要する。今日、にわかに憲法改正問題がにぎやかに論じられるようになった背景には、世論の変化と国会における政治状況の変化があると思われる。

 ところで、私たち国民は、憲法の中味について感心が薄い。しかし、憲法は、私たちの社会の基盤であり原点でもある。そして、これが改正されることは、私たちの社会の現在と未来に重大な関わりのあることであるから、知らないではすまされない。改正の是非を判断する主役は私たち国民であることからすれば、憲法を理解することは、私たちの義務ともいえる。そこで、主要な論点について、私見を含めて述べてみる。

 まず、憲法を改正する必要としてこれまでに常に主張されてきたことは、現憲法は、アメリカに押し付けられた憲法だということである。戦後の日本が混乱している一因は、国家の指導者が憲法を継子(ままこ)扱いし、正しく評価しなかったことにあると私は思う。

 確かに、日本国憲法は、占領軍の強い圧力の下で作られた。外国に支配され、独立していない状態で制定されたものである。しかし、重要なことは、憲法の中味がどのようなものかということである。中味が良いものであれば、「アメリカに押し付けられた」ことは、改正の理由としては、比重の小さいものである。(続く)

(憲法を理解する輪が広がることを願って。読者に感謝)

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