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2006年5月29日 (月)

5月議会が始まった(26日)

 開会にあたり、議長として一言挨拶した。間もなく議長職を去ると思うと感慨深いものがあった。この日の日程の中に、新議員の紹介があった。私が名前を呼ぶと今井哲氏と須藤日米代(ひめよ)氏は、次々に登壇して挨拶した。須藤氏については、日米代(ひめよ)とは変わった名だなと思っていたら、その由来が話された。昭和26年サンフランシスコ平和条約が結ばれた年に生れたからだという。なるほどと思った。

 昭和26年といえば、その前年に朝鮮戦争が始まり、米ソの冷戦は深刻化した。このような世界情勢の中、吉田内閣は、全面講和論をおさえて、アメリカ及びその友好国と講和条約を結んだのだ。同時に日米安保条約も結ばれた。正に、日米の、新しい、かつ重要な時代がスタートした年であった。ちなみに、日米代氏の義父はもと県議、故須藤利雄氏である。

 この日は、更に、新しく就任した三人の理事(横尾、田中、大崎の三氏)が紹介され、また、星野富弘氏が名誉県民となることにつき議会の同意が得られた。

◆第60回群馬県植樹祭は小雨の煙る中で。(27日)

 邑楽町の多々良沼公園で行なわれた。今回初めて山地でなく平地における植樹祭が行なわれた。この植樹祭では緑の少年隊など植樹に参加した子どもたちの生き生きした姿が印象的であった。私は、先日の岐阜県における全国植樹祭で少年たちが主役を演じていた姿と重ね合わせ、未来の森をになう子どもたちに「木育」を行なうことの意義を強く感じた。(「木育」については、24日の「日記」で書いた。)

 群馬県植樹祭は昭和21年にスタートした。戦中の荒れた山を復興させることが目的だった。この年9月キャサリン台風は赤城南面一体に未曾有の災害をもたらした。荒れた山は豪雨に対して無力だったのだ。小学一年だった私の瞼(まぶた)には、宮城村の荒れ狂う激流とぱっくりと開いた台地の割れ目が今でも焼きついている。

 60年を経て植樹には新たな意義が加わった。地球温暖化の防止である。人間の愚かな行いに対する自然の逆襲は年ごとに不気味さを増している。聖書のノアの方舟のことも頭をよぎる。

 今回の群馬のテーマは、少年が応募した、「この苗は地球を守る第一歩」である。小さな第一歩が200万県民の心に響いて巨大な一歩になることを祈る。

◆第23回、県民スポーツ祭。(28日)

 雨のため急遽、会場は敷島公園グラウンドからアリーナへ移された。活力のある健全な社会を支えるのは人々の健康と交流、それを実現するものはスポーツである。この大会が実りあるものになることを祈る、と挨拶した。

(森の意義が人々の心に広がることを願って。読者に感謝)

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