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2006年5月22日 (月)

全国植樹祭は岐阜県下呂市で(21日)(その1)

早朝4時に起きてホテルの露天風呂に入る。風呂のすぐ下を増水した飛騨川が黒く滔滔と流れ下っている。目を凝らすと巨大な生き物がうねっているようだ。対岸の山の端が徐々にはっきりと姿を現す。

 外に出て歩くと町の辻に歴史を語る道標があり、「右美濃國より尾張、左飛騨高山より越中、此処は下留」とある。ここは昔、飛騨街道の宿場で、駅名が下留であったが変化して下呂になった。傷ついた一羽の白鷺が舞い降り飛び立った跡に湧き出ている湯を村人が発見したのが下呂温泉の起源である。有馬、草津とともに天下の三名泉といわれる。このようなことが街角に建てられた「由来」にあった。

 6時20分バスで出発。私たちのバスには群馬県と福島県の人が乗り、総勢27人で、群馬は15人である。植樹の森の麓でバスを降り森の斜面を歩く。長蛇の列が前にも後ろにも延々と続く。青空の下、まわりの山々は生き生きとし、重なる稜線の上を白い霧が静かに流れる。苔(こけ)のある石垣の上には古い民家があり、至る所に小川があって生まれたてのような透き通った水が音を立てて流れていた。あちこちに、小学生、中学生、高校生が立って、声をかけ、右に左にと植樹隊が進む方向を指示いている。

 私たちの植樹の場には、中一の一人の女の子がいて、「先ず根の土を少しほぐして下さい、穴に土を半分くらい入れて下さい」などと指示すると林業のプロのおじさんたちも素直に従っていた。子どもたちにとって、素敵な体験学習の場だなと思った。後に、この植樹祭には子どもたちが大きく関わっていることを知ることになる。

 植樹の後、メイン会場に着くと、入口では厳重なチェックが行なわれていた。金属探知機をくぐる状況は空港を思わせる。カメラについては、特にシャッターを押すという念の入れようである。のどかな山の姿と相いれない異様な光景であった。

 メイン会場は高い山々で囲まれ、天皇、皇后をお迎えする木造の建物を中心にして、左右に主要な人々の席が、正面の斜面には一般の招待者用の木のイスが限りなく並ぶ。

 陛下がお着きになるまでの間、子どもたちの様々な催しがあった。「この植樹祭は子どもたちが主役です。なぜなら、豊かな自然を守り未来へつなげるのは子どもたちだからです」と、司会の竹下景子が説明する。「私たちは、手を加えなければ森が消えてしまうことを知りました。光あふれる森をもっと広げましょう、風の走る森をもっと広げましょう」子どもたちの生き生きとした声が周囲の山々に響いた。その時、天皇御到着を知らせる声が静かに流れた。(続く)

(全国の森林の復活を願って。読者に感謝)

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