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2006年3月31日 (金)

認知症の恐怖、友人の訴え

「人間の尊厳」は、人間にとって最も基本的な価値である。そして、人間を人間たらしめるものは脳の働きである。この脳に障害が生じ、進行すると何も分からなくなるということは、人間にとってはこの上ない悲劇である。認知症がじわじわと身近に迫ってきた。

 高齢社会の宿命と思っていたが「若年性認知症」も増えているという。私の友人がこの病に罹り深刻な悩みを訴えている。今や認知症は他人事ではない。

 認知症の高齢者は現在約170万人で、要介護(要支援)認知者のおよそ2人に1人は、認知症として何らかの介護・支援を要するという。そして、64歳以下のいわゆる若年性認知症は、全国で10万人位いるともいわれる。

 働き盛りの認知症は失業につながり、家族にとっては経済的な支えを失うことにもなり高齢者の認知症とは違った深刻な問題となる。

「認知症」は罹患した人にとってはもちろん、それ以外の人にとっても、更に社会全体にとっても重大な問題なので、知識を蓄え、日頃考えておくことが重要である。

 かつては「痴呆」といったが、この言葉は、偏見や誤解と結びつき易く、また、そのイメージから早期発見や早期取組みの障害になってきたので「認知症」という言葉が使われることになった。

 用語の選択は、政策やポリシーの選択でもある。「痴呆症」から「認知症」に変えたことは、人格の尊重、つまり人間の尊厳を基本に据えた認知症ケアが、国や地方の政策、及び社会全体の主流になることを意味する。

 このことは、今月25日と26日の日記で書いた「身体拘束」、「虐待防止法」と結びつく問題である。認知症の人は徘徊する、大声で暴れるなどの行為があるためベッドに縛るなどのことが行なわれてきた、また、介護に疲れた家族による虐待が行なわれがちだった。これらを社会全体が乗り越えていかなければ健全な高齢社会を築くことは出来ない。

 認知症の人は施設に入れると一層悪化するらしい。家族的環境がよいというので少人数で共同生活するグループホームが急増している。しかし、動ける認知症の人は扱いずらいということで介護事業者から敬遠されるので、認知症高齢者のおよそ半数が自宅で暮しているという。ここに家族の負担増と虐待の悲劇が生れるのである。虐待する立場も次は虐待される立場に立たされる。このような場面が待ち受けると思うと将来は暗い。社会全体でこの問題に取り組むことが必要であり、私たちは認知症にならない努力をしなければならない。

(健全な高齢社会の実現を願って。読者に感謝)

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