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2006年3月25日 (土)

日本世界一に久しぶりに充実感

王の真剣な鋭い視線が印象的だった。昨年日本少年野球の大会で前橋にきたとき身近に接したが、その時の優しそうな笑顔とは別人のようだ。王の姿は長い間見てきたが、長嶋と比べ地味だが誠実感があった。今回の王には古武士が真剣勝負に臨むような感があったが、若い選手たちはそれを自然に受け入れていた。老人と若者が一つになって闘う姿は、今日の日本ではより美しく見える。それを可能としたのは王の誠実さと謙虚さであろう。 

 日本人が「ニッポン、ニッポン」で湧き、日の丸が振られた。スポーツに現われる健全なナショナリズムは心地よい。愛国心を、構えて教えようとすると反発が起きる。国を愛する心は、基本的には、個人の心の問題である。韓国、アメリカなどの報道の仕方にもその国の民度の違いを反映していることがうかがえた。思い出すのは、中国におけるサッカーの試合である。その時は、仕組まれた偏狭なナショナリズムを感じた。今回の「野球世界一」は、日本も捨てたものではないという勇気と希望を多くの人たちに与えたと思う。

「高齢者の身体拘束の意味。虐待防止法の成立」

 今月18日、県介護保険室が主催で、「身体拘束廃止に関するシンポジウム」が開かれた。ここで、県内の特養や老健などの施設の約60%で身体拘束をしているという調査結果が報告された。

 私は、民間有志の人たちと抑制廃止研究会を続けているので、この問題には強い関心がある。

 何年か前、私のある支部の後援会長がベッドに両手を縛られて抗議している姿を見て愕然としたことがある。現在、特養など介護保険が適用になる施設では身体拘束は原則として禁じられている。しかし、実際はなかなか身体拘束がなくならない。人手不足をその原因にあげるところも多い。

 私たちの調査では拘束なしでやっている施設は多くあるが、「縛らなければ安全を確保できない」と安易に考える傾向もある。また、縛ることによって状態が一層悪くなるという調査もある。身近な例で、入院して拘束されて痴呆が進み退院したらよくなった人を私は何人も知った。ことの出発点は良いケアとは何かということである。そして、最も本質的なことは、人間の尊厳を大切にするということである。自由を拘束することがいかにプライドを傷つけ生きる意欲を踏みにじり、結果として被介護者を悪い状態にするかを認識する必要がある。介護に関わる人が人権感覚を持つことの重要性を痛感する。なお、高齢者虐待防止に関する法律が制定されこの4月から施行される。この法律の意義については、明日の日記で書く。

(高齢者が大切にされる社会の実現を願って。読者に感謝)

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