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2006年2月12日 (日)

教育界の激しい動き

 学力の低下が懸念され、学ぶ意欲も落ちてきているといわれ、また、不適格な教師が指摘され、文科省の方針も揺れる等、教育界は激震に見舞われている。このような中で、教師たちにもいろいろな動きが出ている。先日も、「日記」で触れた学習塾との連携もその一つである。これなどは、私が昔、塾で教えていたころには、夢にも考えられなかった変化である。

 塾や予備校は激しい競争にさらされ、その上確かな生活の保障がないから経営者も教壇に立つ講師も真剣である。これまで、公立校の先生たちと話し合う機会が何度かあったが、生ぬるさを感じることがあった。現場の教室を見て、生きている授業と死んでいる授業があることも実感した。校長は、良い授業づくりについて責任があるから教室に出向いて共に授業づくりに取り組むべきだと私は提案し、実行されているとの報告もあるが、どこまで効果を上げているだろうか。

 公立学校の先生たちが自主的に授業の進め方を研究している会があり、先日見させてもらった。一人の先生が模擬授業をする。他の10数人の先生は生徒である。

「意見を言って下さい」、ハイと手を上げて生徒が答える。「うん、それはいいね、科学者の目だよ」。リーダーがいて、その誉め方はいいとか、それでは駄目だとか厳しく指摘する。そんなやり方では、授業は混乱するとか、はたで見ていて気の毒になるほどやり込められる場面もある。後で聞くと、あそこで恥をかかされることが、非常に良い体験になるという。教育委員会は、研修所で研修させるシステムをもっているが、このような自主的な研究をサポートすることも大切だと思う。

翌日、私は、このグループの一人の先生の教室を訪ねた。小3の国語の授業であったが、前日の研修が生かされたきびきびとした雰囲気であった。

文科省は、これから、「ゆとり」を転換して「言葉の力」を中心に据えるという。国語が重視されることは賛成だ。見守っていきたい。

(生きた授業の発展を願って。読者に感謝)

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コメント

◆真っ白い紙を目の前において,途方にくれる子どもがいる。
【どこから,どこに向かって,何を】
描いていったらいいか,
その子には分からない。

【思い通りに描いてごらん】

でも,その子の手は動かない。

◆一文字も書いてない原稿用紙を前にして,
途方にくれる子どもがいる。

【書き出しの一文】を【どう書いたらいいか】

その子には,分からない。

【思い通りに書いてごらん】

でも,その子の手は動かない。

◆苦手な子だって,本当は得意になりたいと思っている。
口ではなんと言っていても,
「おれ,できたあ!」
「わたし,100点!!」
こう言ってみたいのだ。

◆ただ,子どもへの愛情や思い・願いを語るだけでは,何も起こらない。

◆「苦手な子がいてもいい。それも個性だ」
そういう問題じゃない。
見下ろす側の論理だ。

◆とことん,打てる手を打ってみて,それがだめでも次の一手を探す。

それが人を育てるってことなんじゃないかと思う。

投稿: Mヒロ | 2006年2月13日 (月) 22:34

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