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2006年1月20日 (金)

塾と学校が連携とは。私の頃と隔世の感

今教育界は深刻な問題を抱えている。教育改革の中でゆとり教育を掲げているが、学力の低下が懸念され、教室を活性化させる必要性が叫ばれている。

 このような状況の中で、最近、公立校の教室に塾の先生を迎える動きがあり注目される。都立のある学校では、総合学習の時間に地域の人が戦争体験を語るのと同様な「ゲストティーチャー」と位置づけて、塾の先生を算数の教室に迎えている。

 群馬県でも動きが出ている。県教委は、昨年塾講師を招いて、県立高校の教員を対象にした授業方法等の研修会を開いたが、中之条教は今年になって同様な研修会を開いた。私が塾で教えていたころを振り返ると正に隔世の感がある。

 私は議員になる前は塾で教えていた。寺子屋のような塾で必死であった。小規模な塾は不安定で、効果が上がらなければ生徒はやめる。その意味では、常に厳しい査定を受けているようなもので、塾教師の胸には不安と緊張感があった。また、塾は、学校とは対立的な関係にあるとみられ、社会的には、時に批判にさらされながら、どちらかといえば日陰の存在であった。

 このような状況が刺激となって、塾の先生は分かりやすい授業に心がけてきたと思う。教育については建て前と本音(ほんね)が分かれるのが常であるが、塾の先生は本音の部分で教育と向き合ってきたといえる。

 塾の歴史を振り返れば、分かりやすい授業のためのノウハウの蓄積をして今日に至っていると思う。それを学校の授業に役立てることが可能となれば、それは教育全体にとって幸いなことだ。

 ただ注意しなければならないことは、教える技術だけにとらわれてはならぬことである。昔、私を動かしたものの根底には、教育への情熱や理念があった。今、このことが問われている。

枝葉にとらわれない教育の本流が、塾の支援によって加速することを願う。塾の力を利用することは、学校と地域社会が連携する一つの姿であると思う。

(教育の活性化を願って。読者に感謝)

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