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2006年1月10日 (火)

初市。丹羽文雄氏の葬儀〔9日〕

(1)恒例の初市は珍しく好天。八幡様でお焚(た)き上げの行事があった。神主の神事に続いて積まれたダルマに石油を浸した布の火が移るとバリバリと赤いダルマが紅蓮(ぐれん)の炎に包まれた。まわりの人々は、その火に手をかざし、一年の無病息災を祈る。

まちの大通りは露天商が並びダルマを売る人の威勢のいい声と大勢の人々で活気づいていた。中心街に人が集まって賑(にぎ)わうのを見るのは嬉しい。これが伝統ある前橋市の本来の姿だと思う。中心街に人が少なくなって久しい。祭りに出かけた人々を普段の日もひきつける魅力を生み出さねばならない。

(2)丹羽(にわ)文雄さんが93歳で亡くなった。

高名な作家と同姓同名なのでおやと思う人がおられるだろう。柔道8段、群馬県柔道界の重鎮である。私は柔道連盟の顧問なのでよく顔を合わせていた。小兵(こひょう)だが90歳を過ぎても気力は衰えていなかった。鋭い眼光で声も大きく古武士のような風格があった。

今から50年近くも昔、今の前橋地裁のあたりに警察別館というのがあって、ここへ練習に行った私は、身体は小さいが怖そうな先生に巴(ともえ)投げで鮮やかに宙に飛ばされたことが瞼(まぶた)に焼き付いている。この人が、後にお付き合いすることになった丹羽さんだった。80代になっても柔道の練習をし、毎日5キロ走り続けていたというから驚く。昨年の暮れまで元気だった。多くの人が読む弔辞で丹羽さんの未知の魅力が語られていた。一つ一つの弔辞も中味が濃くて良かった。丹羽さんの人生が激しくて濃いものだったからに違いない。人間は、ここまで頑張れるのだというお手本を示してくれた。

現在100歳をこえた人は1万人以上いるが、これらの人は明治大正の時代に青年期を過ごした人で、運動と食べ物が現代の若者と全く違ったらしい。車と美食の時代に育った人は、どのような高齢期を迎えるのか心配だ。

(県民の健康を願って。読者に感謝)

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