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2006年1月31日 (火)

憲法が話題になっている。改正、女帝など

昨日、憲法に触れたら、「憲法に近づきたい」という反応があった。憲法は、最も大切な社会の基盤なのに、これまで、多くの人々の意識から離れた存在であった。それが最近にわかに近づいてきた感じである。「改正」や女性天皇のことが大きくクローズアップされるようになったからであろう。一般には近づき難いとされる憲法に、社会問題をきっかけにして入り込むことは、憲法を理解するための一つの方法である。

小泉首相は、今月20日の施政方針演説の中で、次のように述べた。①「象徴天皇制度は、国民の間に定着しており、皇位が将来にわたり安定的に継承されるよう、皇室典範の改正案を提出します」②「憲法の見直しに関する議論が各党で進んでいます。新しい時代の憲法の在り方について、国民とともに大いに議論を深める時期であります」

戦後の日本のスタートとなった日本国憲法の公布は昭和21年のことであり、敗戦の翌年であった。正に、焦土の中から立ち上がる民主国家の基盤となった。しかし、戦勝国から押し付けられた憲法ということも絶えずいわれながら今日に至っている。

①天皇は、国政に関する権能はもたなくなり国民統合の象徴(シンボル)となった。そして、その地位(皇位)は世襲とされ、皇室典範という法律に従って受け継がれる。このように憲法で定められているのだ。そして皇室典範では、行為を受け継ぐものは男子に限られることになっている。小泉首相の演説で、「皇位が将来にわたり安定的に継承される」ために、皇室典範の改正が必要だとする意味は、女子にも認めないと、男子がいない場合には、皇位が切れてしまうからである。

②日本国憲法が出来てから60年。世の中は大きく変化しているのに一度も改正されていない。最近、改正が問題にされているが、日本にとって、また、私たちにとって一番大切なことだから首相がいうように「大いに議論を深め」なければならない。その際重要なことは、いくら手続きを踏んでも改正できない点があることである。基本的人権の尊重や平和主義がそれで、これらは改正の対象にはなり得ない。改正の対象として議論されていることの要点の一つは憲法9条の戦争の放棄であり、賛否が激しくぶつかりあう問題である。

注意してみれば、憲法は、私たちの身近な問題と結びついていることが分かる。例えば、戦前は、「官尊民卑」といわれたが、今日の憲法では、民は主権者で、官は民に奉仕する立場である。憲法の議論を深めることは、地方の社会を活性化させることにつながるのである。

(生き生きとした群馬を願って。読者に感謝)

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2006年1月30日 (月)

鳥取町自治会新年会。天皇と人権

最後の日曜日なので各地で新年会があった。鳥取町は私の住んでいる町である。人口減少社会に踏み込んだが、この町は人口が急激に増えている。新しく住宅団地が出来たからである。造成地を購入して家を建てる人は、ほとんどが若い人であるから、我が町は若い人と子どもがどっと増えた。昔からの住民と新住民が親しく交わることは安全安心なまちづくりのために重要なことであるが、何か工夫をしないと、「隣は何をする人ぞ」になってしまう。

鳥取町では、定期的に行なう公園の草取りや子どもから高齢者までが様々なことを体験する「メダカくらぶ」の活動などを通して町民交流の成果を上げている。この日の町内役員の新年会では、「今、地域社会の重要性が一段と増しています。住民がボランティア精神で活動の輪に参加することが求められています」と挨拶した。

「天皇には人権はないのです」(

29日)

ある新年会で一人の国会議員が、皇室典範の改正に関する話の中で、憲法が問題なのですがとして、このような発言をした。私が注目したことは

2点ある。一つは、田舎のかたすみの会合で憲法のことが話題になったこと、もう一つは、天皇に人権はないのかという点である。

国会議員の発言の意図は、天皇の地位は一般の国民とは大きく異なるということを言いたかったのは明らかであるが、「人権はない」と言い切ると、おやと思う人もいるのだ。現にそうなのですかと、私に聞いた人がいた。

私は言葉尻をとらえるつもりはないが次のように考える。天皇の地位は、憲法上、世襲であり、また、象徴であって国政に関する権能を有しないとされるから、人権については多くの制約を受ける。例えば、職業選択の自由はないし、政治的発言も自由に出来ない。しかし、天皇の特別な地位に関わること以外については、天皇にも基本的人権が認められることは明らかである。日本が、今、大きく変わろうとしている。変化の先に憲法改正問題があり、足もとに大切な地域社会の住民自治がある。

(元気な地域社会を願って。読者に感謝)

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2006年1月29日 (日)

ふるさと未来塾が始まった。ピラミッドの建設は失業対策(28日)

 ふるさと未来塾は、赤道の近くの高山・ルウェンゾリの雪どけ水から始まるナイルを映像でたどった。6千キロの流れは、様々な民族の生を支え、自然をつくり動物を育む。牛と共に生きる裸族、燃え続ける野火、ひょうたんに乳をしぼり込む娘、野生のコーヒー、百万羽を超えるフラミンゴの群れ、難民たち。一つ一つの映像は重く深い事実を物語る。

 野火は地球環境を壊す犯人といわれるが、草木の根に刺激を与え雨が降らなくとも発芽を促進し放牧には欠かせないという。ひょうたんは、もっと古い時代・旧石器時代にアフリカから広がった。また、コーヒーの発祥もアフリカである。部族の対立は昔から絶えることがない。難民のうつろな目は絶望的だ。伝説の月の山から始まった細いひと筋の流れは大河となり、長い川岸の熱いドラマを写しながらついにエジプトにいたる。

 ナイルの賜物(たまもの)エジプトでは、何枚ものピラミッドの映像を使った。想像を絶する巨大建築は4500年を経てびくともしない。建築はナイルが定期的に氾濫し農業ができなくなる農閑期に行われたから国民の失業対策になったと、もいわれる。大ピラミッドの外側は美しい石灰岩の化粧石で覆われていたらしいが、その偉容さはさぞ壮観だったろう。イスラムの支配下ではぎ取られ他の建築物に使われた。イスラム教徒は学問や科学を発展させていたから、その目をピラミッドに向け探検や調査を進めた。次にピラミッドに深い関心を示した人はナポレオンである。彼は遠征には多くの学者を連れて行った。それは、ロゼッタストーンの発見、シャンポリオンのエジプト文字の解読につながった。

 古代文明は人類のパワーの凄さと不思議さを21世紀の私たちに示す。アフリカの悩み、光りと陰、人々の示す土着の生命力、これらは、科学の力を頼りに、便利さを求めて先へ先へと走り続ける先進国に多くの教えを投げかけているようだ。楽しい2時間があっという間に過ぎた。
(県民の心の豊かさを願って。読者に感謝。)

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2006年1月28日 (土)

ジャングル大帝のムーン山

 一月が間もなく終わる。ほんとうに速い。激動の時代、時代の転換点、改革の年等の言葉を、様々の新年会で発言し続けてきた。この間に於いても、耐震偽装建築、ライブドア事件、アメリカ産牛肉の危険部位混入等次々に大問題が発生した。正に大きな流れの中の沸き立つ渦の中に置かれているように感じる。

 群馬県きのこ品評会、常任役員会、18年度予算についての知事折衝等があり、また、群馬大学社会情報学部に下田教授を訪ねた。(27日)。

 「ふるさと未来塾の準備をする」(27日)。
 今年初めてのふるさと塾はいよいよアフリカに入る。かつて暗黒大陸と言われたアフリカは、今でも謎の大陸であり、また、あこがれの大陸でもある。そして、多くの人々が無知であると同時に偏見を抱く大陸ではなかろうか。
 
 ふるさと塾では、これまでしばしば「奴隷」を取り上げてきたが、新大陸で奴隷とされた人々の故郷はアフリカであった。一説に数千万人と言われる程膨大な奴隷の輸送はなぜ可能であったか。一つの理由は、多くの部族の対立であった。部族間の対立抗争は今でも絶えない。

 東大駒場寮で同室だった朝日の松本仁一氏は、紙面を通してしばしばアフリカを紹介した。最近の記事は、旧ソ連製の自動小銃カラシニコフをテーマにしたもので、そこでもアフリカ抗争が細かく取り上げられている。

 ふるさと塾では、このように長い間、取り残されたように見えるアフリカについて、塾生と共に学んで行きたい。スタートは世界最長の大河ナイルを考えている。ナイルの水源とされるウェンゾリは、5000メートルを越す高い山で、別名「月の山」と呼ばれ、手塚治虫のマンガ・ジャングル大帝の舞台、ムーン山のモデルでもある。エジプトには、ナイルの源流は遥か南にある高山の雪解け水だとする説があったが、古代ギリシャの歴史家ヘロドトスは、これを信じなかったという。熱風を送る赤道の下に雪の山がある筈がないと考えたのである。アフリカは人類発祥の地でもある。人類の不思議なパワーが原液で残っているようなアフリカ。その旅をムーン山の裸族から始める。

(県政の発展を願って。読者に感謝。)

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2006年1月27日 (金)

東大駒場時代を振り返る。全国議長会に出る

ホリエモンと光クラブのことを書いたら、私のころの学生の様子を知りたいと要望があった。

昭和

30年代後半の駒場は活気があった。私は丸2年寮にいたのでいろいろな人間と身近に接した。入学して間もないころは、天下を取ったように有頂天になってふわふわしているもの者もいた。また、狂人のように来る日も来る日もマイクを握って演説している男もいた。これらは、今から振り返ると世の中を全く知らない幼稚な若者の姿であり、また、受験勉強一筋に注いできたエネルギーを、学生運動という新しい目標に単純に向けかえた姿でもあった。彼らもやがて冷静になり、そして、世の中に出て現実に直面し、大なり小なり挫折感を味わい、自分の非力を知り、新しいスタートを決意するのである。

しかし、彼らが、世の厳しい現実を知らないままに大金をつかんだり、権力を握ったならどういう結果になるだろう。その先に待ち受けるもっと大きな壁につき当たるに違いない。ホリエモンの挫折を思い出してしまう。

最近駒場寮は取り壊されてなくなった。それは、東大が変わることの象徴的な出来事に思える。大学の在り方が変わり、日本の教育が変わる。教育は、立身出世の手段ではなくなった。

「全国議長会に出た」(

26日)

国会のあたりでは、先の選挙でライブドアの社長をかついだ自民党幹部を攻撃する街宣車がスピーカーのボリュームをあげて走っていた。

この会で得た情報の中のいくつか紹介したい。まずは、議長会が出していた要望事項で近く実現の見込みのものを二つ。

①現在は自治体の長に認められる議会招集権を議長にも与えようとするもの。新しい方向は議長に臨時会の招集請求権を与えることになるもよう。

②専決処分の要件の見直し。専決処分とは、議会の議決をまっていられないとき、先に、執行することである。その要件をもっと明確化する方向が検討されている。①、②、とも地方分権の時代に対応して、議会の立場を強化することを目的としている。

「この議長会で、道州制についての講演を聞いた」

将来、県を廃止して全国をいくつかのブロックに分けようとするものである。県の仕事の多くは市町村に譲り、国の仕事も本来国がやるべき国防、外交、金融などに限定し、その他は、ブロックにゆずる。国と地方の役割分担を再検討して、地方の力をアップしようとするもの。つまり、地方分権をすすめることが狙いである。平成の大合併で地方は大きく変化するが、道州制が実現すれば、日本のかたちが更にかわる。まだ先のことではあるが、首相の諮問を受けて現実に検討が行なわれているのだ。群馬県は周辺の県と合併して一つのブロックの中に入って消えてしまうかも知れない。歴史の大きな歯車の音が遠くから聞こえてくるようだ。皆で、話題にして考えようではないか。

(県議会と群馬の活力を願って。読者に感謝)

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2006年1月26日 (木)

ホリエモンの挫折と教育。私学団体の集い(24日)

今週は、1月の最後の週なので、相変わらず新年会が続く。いずれの新年会でも、様々な弁士によって時の話題が語られる。多くの会で触れられた事は、景気の回復、高齢化、少子化等に関することであったが、私学団体の新年会に出て、教育の大切さを改めて思った。

この社会は、息を呑む壮大な劇場であるかのように途方もない出来事が次々と登場する。この社会に子供たちを送り出す「教育」は、その役割を十分に果たせないで迷っているのが現状である。

今日の社会では、働く意欲のないニートと呼ばれる若者や欲望のままに犯罪に走ったり刹那的に生きる少年たちが増加している。私たちの社会は、物質的には極めて豊かであるが、子どもたちに夢を与え、その心を豊かにすることが出来ない。この現実に立ち向かう「教育」は、今何をすべきかを真剣に考えねばならない。

このような日頃の意識を胸に登壇した私は、私学にかかわる人々に、県議会を代表して訴えた。「今日、私学の役割は非常に重要です。公立学校では難しいことを、私学では建学の精神に基づいて実現することが出来るからです。例えば、宗教に基づいた心の教育、スポーツに特に力を入れた教育等です。歴史を振り返れば私学教育は教育の原点であります」と。

多くの新年会で人々は景気の回復を語ったが、経済の発展もそれを支える人間の心がしっかりしていなければ砂上の楼閣のように崩れてしまうだろう。同じように、人間の成功も心がなければもろくも崩れてしまう。高齢化と少子化が同時に進行し人口が減少に転じた社会を支え活力あるものにするのも、人の心である。

ライブドアの堀江氏の栄光と挫折も教育と結びつけて語られなければならない。優秀さと勇気で時代の寵児の座を得たかと見られたが転落した。彼を支える真の力となるべき倫理観を、「教育」は身につけさせることが出来なかった。

(教育の活性化を願って。読者に感謝)

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2006年1月25日 (水)

ライブドア事件と東大生の光クラブ事件

今日の社会は、時代の大きな転換点にあって、それは、明治維新、終戦後の状況にもひってきするといえる。若者の突出した動きは、それぞれの時代背景の中で生れる。この度のライブドア社長の堀江氏の事件もまた然(しか)りである。

堀江氏が小さい時から優秀で東大在学中に事業を起こしたことがしきりと語られるにつけ、戦後の混乱期に東大生の実業家が起こした光クラブ事件が思い出される。

山崎晃嗣は一高から東大に進むが、学徒として出陣、終戦後法学部に復学し、仲間と光クラブという金融業を起こす。それは、出資者から集めた金を法外の利息で貸し付けるものであるが世間の注目を集めてすごい勢いで急成長し銀座に進出するまでになった。しかしヤミ金融として逮捕されたために事業は破綻(はたん)し、彼は青酸カリを飲んで自殺した。これは昭和24年の出来事で、山崎晃嗣は27歳であった。

当時の人々は敗戦によって心の支えを失っていた。戦前の価値観は崩れ去り、従来の思想や道徳に拘束されずに行動する若者たちはアプレゲールと呼ばれた。山崎は、アプレゲールの典型的存在だった。廃墟から立ち上がる人々の目標は唯一豊かさであり金であった。ここには食うための「金銭万能」があり、それはまた、山崎の行動の社会的背景であった。ただ、「光クラブ」の記述を読むと暗く冷たいイメージを強く受ける。そして、この出来事は、一つの犯罪として終わり、社会の流れに一石を投ずることにはならなかった。

堀江氏の事件は、従来の価値観にとらわれない若者の行動である点は似ているが、暗いイメージはあまりない。図に乗って踊る軽くて陽気な若者の突出した行動という感じを受ける。しかし、彼の行動は日本の産業界に大きな一石を投じたことになりそうだ。現在の若者は、彼の行動全体から貴重な教訓を引き出すべきである。堀江氏は、今ごろ冷たい獄舎で何を思っているのだろうか。ほんの少し前の状況と比べると、正に天国と地獄の違いである。働くことを嫌う若者も濡れ手に粟(あわ)を望む若者も、この現実をよく見詰めるべきだ。ホリエモンの事件は、この時代の転換点における見事な教材なのである。

光クラブ事件とライブドア事件を見ると、戦後60年、日本の社会は金銭万能主義が変わっていない感じをうける。そして、豊かさの中の金銭万能は人間の心を根底から変えてゆく。今回の事件は、この流れを改める契機としても生かすべきである。

(真に豊かな社会の実現を祈って。読者に感謝)

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2006年1月24日 (火)

堀江社長の逮捕に思う(23日)

堀江という人物は新しい時代を象徴するいわゆる新人類である。恐らく、これまで大きな挫折もなく走り続けて夢のような一獲千金をつかんだのだろう。それがいきなり地獄に突き落とされた。拘置所では素っ裸にされて肛門まで調べられるという。堀江氏は、その屈辱にどう耐えるのだろうか。

 彼は以前、強気で語っていた。「挑戦して失敗してもゼロになるだけでマイナスになることはないから恐れることはない」と。堀江氏は財産上のプラマイだけを考えていたに違いないが、今、冷たい拘置所で想像もしなかったマイナスを味わっているに違いない。人生経験の乏しい彼には大きな誤算があったとしか思えない。まだ結果はどうなるのか分からないが、谷底に落ち人生最大の試練に直面していることは間違いない。私は、この現代青年がどう耐えるかに大きな興味を抱く。彼が困難を乗り越えて再起へ向けて踏み出した時世間は彼の真価を認め始めるだろう。それは「虚」から「実」への歩みである。そして、彼が今までのように虚業の世界で躍進を続けること以上に全国の若者に勇気と希望を与えるに違いない。また、それは、日本のニュービジネスのためにもなる。堀江氏の再起を期待したい。

「地婦連の新年会、生活衛生業者の大会」(23日)

地婦連とは地域婦人団体連合会のこと。従来の婦人会の連合体である。婦の字の帚はほうきを意味するので、婦は女をほうきに縛るということで差別につながると言われ出した。そこで、婦人会館も女性会館に名称を変え、新年会はこの女性会館で行なわれた。「人口減少社会では女性の社会進出が一段と必要になります。男女平等、男女共同参画社会を一層進め、女性が安心して活躍できる社会を実現することが少子化対策にもつながります」(挨拶の骨子)

生活衛生業者とは食肉業組合、社会飲食業組合、麺類組合、理容組合、ホテル業組合等県民の日常生活に密着した事業を営む人たちである。

ここでは次のようなことを話した。「大きな変化の時代です。変化に対応するために改革を進めねばなりませんが、同時に社会の安定が必要です。皆さんのお仕事は県民の日常生活の安全と安心に結びついており、社会の安定を作る柱です。頑張って下さい」

(地域社会の安定を願って。読者に感謝)

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2006年1月23日 (月)

金が万能の社会はどこへ流されるのか。「銭ゲバ」を読む

若いころ「少年サンデー」に連載され愛読した「銭ゲバ」を書架から出して読んだ。私を読む気にさせたものは最近の拝金主義的な社会の傾向である。ジョージ秋山のこのマンガに、かつての私は強い衝撃を受けた。今、改めて読んで新鮮な緊張感を覚える。それは、今日の社会にも「銭ゲバ」が存在するが故にこのマンガが訴えるものが心に迫るからであろう。主人公の蒲郡(がまごおり)風太郎は貧しくみじめな生い立ちである。学校ではいじめられ、実の父は女をつくって家を出る、「母ちゃんが死ぬ助けて」と医者に泣きつくが金を払わないから駄目だといわれ、母は死ぬ。風太郎は、こんな生活の中から金が全てだ、金があれば「人の心も動かせる」と信じ、金の亡者となり次々と人を殺して巨億の富と地位を手に入れる。

風太郎の登場は1970年(昭和45年)のことであるが、今日の社会は、様相を異にして人の命よりも金、金のためなら何でもするという風潮が勢いを増している。保険をかけて人を殺す事件が続いてきた。最近は大きな地震が近いといわれる中で大規模な耐震偽装が発覚した。皆、金のためだ。そして、今回、ライブドアの事件がおきた。

堀江社長は、「人の心も金で買える」といっているという。この言葉に表れている金銭感覚は風太郎と同じだ。指先の操作だけで魔法のように金が沸いて出る。酔いしれるホリエモン。テレビで報じられる彼の踊る姿はポンポコダヌキのようだ。

多くの若者がホリエモンに象徴されるような生き方に拍手を送っていることが恐い。ニートといわれる働かない若者が増えている。ホリエモン流の生き方はニートだけでなく多くの少年たちに刺激的に映るだろう。教育の場で逞しく生きる力を育もうとするとき、額(ひたい)に汗して働く職業観を教えることが大切だ。

今、企業倫理が求められている。ハイテクの分野でも同じことだ。少年たちにもこのことを教えなければならない。銭ゲバの風太郎は、結局は、金で人の心を動かすことは出来ず、悲惨な末路を迎えたのである。

(青少年の健全な歩みを願って。読者に感謝)

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2006年1月22日 (日)

新年会等のラッシュが続く

 一月も終盤に入り19日から月末まで公私にわたる行事が目白押しである。そのいくつかに触れる。自民党議員団総会(19日)では、来年の県議選の選挙区と議員定数につき大まかなコンセンサスがつくられた。選挙区割は合併後の新しい区域で、また、定数は50まで減らす方向である。この日は、中小企業団体中央会の新年会もあった。

 「警察の初点検、商工会議所連合会の新年会、知事との政策懇談会、接骨師会の新年会等」(20日)

 初点検はいつも寒い中で行われる。この日もホカロンが渡された。署内の集いで署長は「強く優しく、親切な警官を」と訓辞。私は、来賓の挨拶で次のように話した。「今一番求められていることは安全安心な社会です。群馬の犯罪が減ってきたことは、良好な治安もやればできることを証明しました。強い警察官であると共に民主社会の人権感覚をもった警察官であることが必要です。署長が話した強く優しく親切な警察官とはこのことを意味すると思います」

 警察署からマーキュリーホテルに駆けつけると近藤英一郎さんが挨拶しているところであった。前日の中央会でもそうであったが、90歳を超えた老齢を少しも感じさせないしっかりとした弁説の中味と姿勢には驚くばかりである。

 知事との懇談会では、2月の当初予算は、苦しい状況だが障害者など弱者への配慮はしっかりやりたいと知事は語っていた。

 接骨師会は高崎のビューホテルで行なわれた。知事も参加しておられた。この会は「柔道連盟」と一体となっている会である。「最近のライブドア・偽装建築の問題は、日本人の心が崩れていくことを象徴しています。伝統の武道を大切にして日本人の心をしっかりたて直すことが今年の最も重要な課題です。」と私は挨拶した。久しぶりにビールを飲み、裕次郎の「泣かせるぜ」を歌ったら、皆が喜んでくれた。心の交流には古来酒を酌み交わすことが大切だと言われてきた意味が分かる。

(活力あるぐんまの実現を願って。読者に感謝。)

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2006年1月21日 (土)

災害は忘れられる、忘れた頃に必ず来る

 阪神大震災は、11年前の1月17日であった。6、400人を超える犠牲者を出した大災害であったにもかかわらず、その教訓が生かされていない。このことを何よりも雄弁に語る出来事が最近の耐震偽装事件である。大震災が近いと言われる中で耐震強度を偽る人、それを審査する公私の機関の甘さ、そこには利益を人命より優先する考えや、社会的責任感の欠如がある。

 大震災の教訓というとき、通常そのダメージを問題にするが、私はここで、阪神大震災がもたらした別の面を取り上げたい。

 大震災の年、1995年(平成7年)をボランティア元年と呼ばれるのはなぜか。この年、のべ約140万人の若者が手弁当で被災地に駆けつけて世間を驚かせた。そして、ここからボランティアを、社会を支える新しい力として正面から認める動きが始まったのである。

 この年、閣議で毎年1月17日を「防災とボランティアの日」と定め、国連は、日本の提案で2001年を「国際ボランティア年」と定め(平成9年)、ついにボランティアの動きを法的に支援するためのNPO法案
を成立するまでに至った(平成10年)。そして、平成12年に出された国民生活白書は、ボランティアの特集号であり、その中で、時の経済企画庁長官・堺屋太一は、これからはボランティアが社会を支える大きな力になるだろうと述べたが、事実そのようになってきたと思われた。このことは、日本人が自分の利益だけを求めるのではなく社会貢献ということを重要視する流れが生まれたものとして注目すべきことである。ところが今回のライブドア事件や耐震偽装問題は金が全て、自分が儲かればよいという方向に世の中が動き出したような危機感を覚える。景気が上昇に向かうとき日本人の心もゆるみ始めたのか。大震災をきっかけに生まれた社会への奉仕、心の緊張感をここでしっかり見つめることが真に大震災に学ぶことではないか。

(日本人の心の再建を願って。読者に感謝)

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2006年1月20日 (金)

塾と学校が連携とは。私の頃と隔世の感

今教育界は深刻な問題を抱えている。教育改革の中でゆとり教育を掲げているが、学力の低下が懸念され、教室を活性化させる必要性が叫ばれている。

 このような状況の中で、最近、公立校の教室に塾の先生を迎える動きがあり注目される。都立のある学校では、総合学習の時間に地域の人が戦争体験を語るのと同様な「ゲストティーチャー」と位置づけて、塾の先生を算数の教室に迎えている。

 群馬県でも動きが出ている。県教委は、昨年塾講師を招いて、県立高校の教員を対象にした授業方法等の研修会を開いたが、中之条教は今年になって同様な研修会を開いた。私が塾で教えていたころを振り返ると正に隔世の感がある。

 私は議員になる前は塾で教えていた。寺子屋のような塾で必死であった。小規模な塾は不安定で、効果が上がらなければ生徒はやめる。その意味では、常に厳しい査定を受けているようなもので、塾教師の胸には不安と緊張感があった。また、塾は、学校とは対立的な関係にあるとみられ、社会的には、時に批判にさらされながら、どちらかといえば日陰の存在であった。

 このような状況が刺激となって、塾の先生は分かりやすい授業に心がけてきたと思う。教育については建て前と本音(ほんね)が分かれるのが常であるが、塾の先生は本音の部分で教育と向き合ってきたといえる。

 塾の歴史を振り返れば、分かりやすい授業のためのノウハウの蓄積をして今日に至っていると思う。それを学校の授業に役立てることが可能となれば、それは教育全体にとって幸いなことだ。

 ただ注意しなければならないことは、教える技術だけにとらわれてはならぬことである。昔、私を動かしたものの根底には、教育への情熱や理念があった。今、このことが問われている。

枝葉にとらわれない教育の本流が、塾の支援によって加速することを願う。塾の力を利用することは、学校と地域社会が連携する一つの姿であると思う。

(教育の活性化を願って。読者に感謝)

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2006年1月19日 (木)

私の提案から始まった高校生チューター制度

逞しい子どもを育てることを目標とした教育は県政の最重要課題の一つである。そして、学校家庭地域社会が力を合わせなければ、この課題は実現できないが、この連携のために開かれた学校であることが求められる。しかし、児童を狙った相次ぐ不祥事のために学校がますます閉ざされた存在になりつつある。

このような状況の下で、ボランティアの高校生が出身の小学校へ出向いて先生の補助としてお手伝いすることは、閉塞(へいそく)的な学校環境に涼風を送り込むような意義があると思う。

高校生を出身の小学校へ派遣する制度は、「ようこそ先輩」として、平成15年にスタートしたが、これは当時文教治安常任委員をしていた私の提案によるものである。教育に関する問題は深刻で、私は、かねて打開策についていろいろ考えていたが、高校生がボランティアとして出身小学校でクラスを手伝うことを思いついた。昔は兄や姉が弟妹を教えることをよくしたが、今は、そのような環境はない。先輩のお兄ちゃんお姉ちゃんが教室に来ること自体、小学生にとってワクワクに違いない。そしたら秋田県がこの制度を少し前からスタートしているということを知り、私は秋田高校へ調査に行った。次の段階では、山本龍委員長(当時)を中心に委員会で角館高校を視察。これらの成果を踏まえ、県教委は平成15年に「ようこそ先輩」というネーミングでスタートさせた。以来毎年公立校の3年生は300人以上応募している。

この制度がこの度新しい役割を担うことになった。それは、小学生の登下校の防犯に協力することである。これは最も大切な後輩の身の安全を先輩が守るということで、信頼関係を築きつつ人間としての絆を深めることが出来る。先輩も後輩も、教室の勉強以上に大切なことを学ぶきっかけになるのではないか。ようこそ先輩は、今年から私立校にも広がることになるが、新しい意義を担いつつ進化することを願う。

(学校の安全と教育の活性化を願って。読者に感謝)

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2006年1月18日 (水)

56歳の死を悼む・葬儀(17日)

金井金属工業の社長がなくなった。人望も厚く立派な方だったので残念に思う。最近まで元気な姿を見ていたので人間のはかなさを見た思いでショックであった。

職業柄、葬儀を通して様々な死と出会う。文句なしに天寿を全うしたと思える人の死は、さわやかな天の星を見上げるような気分になるが、若い人の死は、死と対面したその人の心情を思うとき、いたたまれない気持ちになる。

人生80年時代において56歳の死は余りに早い。自分の生命力をほぼ使い果たして迎える死と自分の生命力はまだまだあるという心境で迎える死では大きな違いがある。生命力は生きたいという気持ちを起こす力でもあり生きたいという強い気持ちを持ちながらこの世を去ることは何よりも辛い。私は若い時、身近な人の死につき合ってこのことを痛切に感じた。

私は、日本人の死生観を時々考える。先日NHKの大河ドラマを見たら、出陣する信長が、「人間50年、化天の中をくらぶれば夢まぼろしの如くなり」とうたいながら舞う場面があった。常に死と隣り合わせで死が日常茶飯事の時代であった。それと比べ、今日の日本は平和な長寿社会である。死の原因は病気が原則の時代だ。にもかかわらず、「死」を真剣に考えない傾向がある。これは、「生」を真剣に考えないことでもある。今日の私たちの社会には宗教が根付いていないこととも関係して現在の日本人には死生観というものは、そもそもないのかも知れない。

因(ちな)みに、人生は夢幻のごとしとうたった信長の死は49歳であった。私の書架には、山田風太郎の「人間臨終図巻」があるが、これから56歳で死んだ人を拾うと、明智光秀、リンカーン、ニーチェ、小村寿太郎、ヒットラー、双葉山、越路吹雪、萩原朔太郎などがある。

金井工業の社長は、群馬の産業界に大きな業績を残して旅立たれた。「棺を覆って事定まる」というが、いくつかの弔辞から金井さんの人生がうかがえた。そこから、人の生き方と健康の大切さを学ばせてもらおうと思う。

(県民の健康を願って。読者に感謝)

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2006年1月17日 (火)

県議会各派と豪雪地域を視察(16日)

正副議長と各会派代表の一行は豪雪の現地を目指して関越道を一路水上へ向けて走った。前橋のあたりは数日前の厳冬は去って春のようなのどかさにつつまれていたが、走るにつれ周囲の山々は雪景色に変わりその上に立つ谷川岳の神々しいばかりの白い姿は、その麓(ふもと)にただならぬ雪の世界が待ち受けることを知らせているようであった。

水上の市街に入ると、多くの人々の懸命の努力によって、表通りは除雪されていたが、裏通りへ目をやると正に雪に埋もれ押しつぶされそうな家々があった。

水上支所で得た資料で昨年12月の降雪量を見ると、水上町432㎝(83cm)、湯檜曽700cm(160㎝)、藤原721㎝(154㎝)である。( )内は、昭和43年から平成16年までの平均である。この数字から豪雪の程が分かる。

支所を出て、藤原地区、湯原地区を、そして途中、小学校中学校を見た。私たちの車が通る道は除雪されているが、車窓から見る遠景の中にはまだ深い雪に閉じ込められた家が点在する。高齢者は大変だろうと思いながら藤原地区を進み小さな集落に着く。見覚えのある佇(たたずま)いと思っていると、民芸品の店・集古館のある一画であった。

主人の吉野さん近づいたので、私は、「新聞の投書を見ましたよ。すごいですね」と声をかけた。14日の上毛の「ひろば」で吉野さんは豪雪の状況を訴えていた。それには、「老齢者が多いため除雪作業ができない家庭が多く困っている、行政の早期対応を願うのみ、まだまだ冬の本番はこれからである」とあった。現地に立って、その通りだと実感した。

集古館と並ぶ2軒の民家を訪ねた。2軒とも吉野姓で、満90歳の高齢者が3人おられた。2人は同じ年の御夫婦で、「90年の人生でこんな大雪は初めて」と元気に語っておられた。冬はこれからが本番であることを思うと、この実情を県議会は真剣に受け止めなければならない。群馬は災害のないところと多くの人は思っているが、自然災害は、いつどこで起きるか分からないということを謙虚に受け止める機会にしたい。

(被災地の無事を願って。読者に感謝)

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2006年1月16日 (月)

地域でモチつき。私は、モチつきの元プロ(14日)

「メダカくらぶ」という鳥取町の文化サークルが、小さい子どもからお年寄りまで加えて年間を通して様々な活動を行なっている。子供にとっては貴重な体験の場であり、高齢者にとっては刺激と生きがいを得る機会となっている。昨年このクラブが、市の「一地区一自慢」で金賞を獲得した。

このクラブは、皆で、イネを植え育て収穫していよいよモチに仕上げる時を迎えた。現代っ子は、この工程を知らない。モチはスーパーで売っているくらいの知識しかない。本物の体験には、汗を流して物を作る喜びとともに、理科や社会科などの学習に発展するたくさんのエキスが結びついている。

私は、公民館の庭で久しぶりに杵(きね)を振り上げた。私は、若いころダンゴやセンベイなどの菓子をつくる仕事をしていた。これらの菓子はモチから作るのだが、昔の零細な業者は、機械ではなくペッタンペッタンやっていたので私も毎朝、柔道の背負い投げをイメージしながらペッタンコをやっていたのである。

余談になるが私は、柔道に縁あって現在県柔連の顧問をしているが、少年の頃、審判の先生(当時の田島道場の主人)に君の背負いは天下一品だよと誉められたことがある。そんなわけでモチつきは今でも得意なのである。うまいつき方は、打ち降ろした時に杵の頭がふらつかない。杵の柄の端は左手でしっかり握り、本体の近くを握る右手は打ち降ろす瞬間に軽く力を抜くのがコツである。子供用の細い杵が何本かあって、小さな子が二人一組でイチニ、イチニとかわるがわるついていた。子どもたちの心に何かが植えつけられたであろうか。杵をもつ子の嬉しそうな表情を見て思った。

この日も。農業関係の集いに出て、農業は一番大切な産業だと大きな声で訴えたが、教室や家庭で子どもたちに農の大切さを理解させることが重要である。学校では、「生きる力」を教育の基本に据えているが、「食育」の大切さが新たに叫ばれている。「食育」の中心は食を通して生きる力を育むこと。それは、子どもたちの体験から始まることだ。

(子どもたちの、成長を願って。読者に感謝)

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2006年1月15日 (日)

「新年会で参院の角田・山本氏小さな火花」(14日)

 機械金属組合、司法書士会、薬剤師会の各新年会があった。司法書士会で角田儀一氏が小泉政権を批判する場面があった。その中で、郵政民営化で参院が衆院と違った態度をとるのは、参院の存在意義からして当然と発言。角田氏が退席した後、山本一太氏が登壇した。山本氏は、角田氏が上毛新聞で小泉後の総理として自民の福田氏が最適だと発言したことに触れ、民主党の国会議員としてそのような発言をするのは、来年の参議院選のための戦略だ、とやや緊張した口ぶり。早くも、激戦が予想される戦いを意識した感があった。私は、何人かの、県会議員を代表して議長として挨拶した。

 隣りの席は市長代理の大塚助役であった。この人は私と風貌が似ていると言われていたが、この日面白いことがあった。私が到着する前に、ある弁護士が私と思って久しぶりですねと挨拶したらしい。この人は旧知の間柄だが10年位会わなかった。改めて私のところへ挨拶に来て握手を交わしながら隣りの助役に先程はどうもと笑い合っていた。

 新年会の来賓の顔ぶれはその会の性格を反映していて面白い。機械金属と司法書士の会は、国会議員や県会議員が多数顔をそろえるが、薬剤師会の方は、政治家は前橋市長と私だけで落ち着いた雰囲気であった。市内の薬局の主人や病院薬剤部の人たちである。

 「世の中は大変化の時代ですが、改革を進めながら安全安心の社会を作ることが今年の大きな課題です。そのために一番大切なことは健康であり、まちの身近な相談相手である皆さんの役割は大変重要です。」(私の挨拶の骨子。)

 まちの薬剤師が簡単な医療を提供できるようになる。大学の薬学部は6年制になり、その間一定期間薬局で実務の経験をする。このような、薬剤師の役割の重要さを反映した改革についても、薬剤師会会長が語っていた。薬は日進月歩。私たちの健康は、薬の使い方にかかる。それを支えるのが薬剤師である。昔は、医者のことを薬師(くすし)といった。

                        (県民の健康を願って。読者に感謝。)

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2006年1月14日 (土)

癌の緩和ケアについて再度

 12日の「日記」に個人的なことを書いたら興味をひいたらしくいくつか反応があった。癌のケアを考えるための一助になればと思い恐縮ながら少し触れたい。

 彼女は胃癌の末期で日赤で手術した。丸山ワクチン、インターフェロンその他手を尽くしたが効果はなかった。痛みに耐えるのを見ているのは辛かった。そのとき、癌細胞にはお手上げとしても、痛みを和らげ、痛みに邪魔されずに残りの時間を大切にすることの意義を痛感した。死を目前にした人間の尊厳は「緩和ケア」にかかっていると思う。亡き妻が直面した問題は今も変わっていない。

「県立がんセンターの取り組み」

 現在、麻酔科医、薬剤部長、緩和ケア認定看護師等による「緩和支援チーム」をつくり、毎週水曜日の午後病棟を回って患者のケアを行なっている。今後の対応としては、地域の医療機関からの要望が強い緩和ケア病棟を作ることが大きな課題である。また、常勤の精神科医の確保や在宅ケアの支援も検討しなければならない。

 県は、来年5月オープン予定の県立がんセンター新病院建設に80億円の予算をつける。この機会に「緩和ケア」対策にも本腰を入れたいものだ。

 「行政書士会、宅建協会の新年会」(12日)

 行政書士会の会長は小寺知事がつとめる。行政書士の制度がスタートして55年になるから、終戦後間もなくスタートしたことになる。戦後、民主主義の社会になるとともに行政のあり方は一変した。国民主権となり行政は国民に奉仕する役割を担うことになった。そして、行政と国民の関わりも密になり、行政と国民の間にあって、行政手続を円滑にすすめる行政書士の役割が重要になったのである。今日、地方の時代となり行政と地域住民の関係は一層重要になった。また、電子県庁の推進ということで、手続きが難しくなっている面もある。行政書士の役割は益々大きくなっている。行政と県民が一体となって安定した社会をつくるための柱である。私はこんな思いで挨拶をした。

(県政の発展を願って。読者に感謝)

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2006年1月13日 (金)

「環境対策と企業の責任」

地球環境は深刻さを増している。南極、北極の氷がゆるみ、海面は上昇し始めた。陸上では異常降雨台風の多発など、毎年の異常気象は記録を更新し続け、異常が珍しいことではなくなりつつある。地球規模の環境の危機を救うために一人一人の小さな努力が真剣に求められるなどということは、人類史上初めてのことだ。環境を守るために人の行動に対しあれこれと規制が行なわれるが、法律で規制できる人々の日常行動は限られる。だから、私たちの自発的な行動の意味は大きい。

しかし、このことは理屈では分かっていても現実に人々に期待することは難しい。そこで、一つの方法として、企業が消費者の実利と結びつけた工夫をする、そして、行政はそれをバックアップすることが考えられる。「マイバック」や「マイバスケット」運動の意義はここにある。消費者と関わる企業はそれぞれの特色に応じて工夫すべきだ。消費者がそれに敏感に反応するようになれば、企業の発展につながることにもなる。

企業は社会的存在であるから社会に貢献しながら利益を上げるという企業倫理が求められるのは当然だが、このことは、今環境の面で特に強調されてしかるべきである。

先日、「マイバスケット」でフレッセイを取り上げたが、その後の調査で県内スーパーの85店舗が実施していることが分かった。それをここで紹介したい。サティ(2)、マックスバリュ(1)、ジャスコ(1)、フーズガーデンアペック広瀬店(1)、アバンセ(5)、マルシェ(5)、フジマート(14)、Kマート(1)、コープ(20)、フレッセイ(39)。( )内の数字は、店舗数である。これらのうち、アバンセ、マルシェ、フジマート、Kマート、コープ、フレッセイの各店舗は、県のマイバックキャンペーンにも参加している。

建築業界もこれに関わるべきだ。環境省は18年度に「ソーラー大作戦」を展開する。ソーラーシステム導入の家庭にCO2の削減量に応じた助成を行なう。アネハがらみで失墜させた信用を回復させる機会ではないか。

(環境は、これからも随時取り上げます。読者に感謝)

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2006年1月12日 (木)

設備5団体の新年会に出る(11日)

 5団体とは管工設備、浄化槽、冷凍空調設備、水道工事業、及び、建築設備技術者の各団体である。規模の大きな新年会の一つでマーキュリーの大広間が関係者で埋まった。これだけの人が新年に、何かを決めたなら、例えばCO2を減らすためにこういうことをやろうなどと誓ったら大きな力が生れるに違いない。こんな思いで演壇に立った。「中小企業は地域社会を支える柱です。中小企業の発展は経済ばかりでなく健全な地域社会の活力のもと。激変の時代の苦しい時は、団結して力を出し活路を切り開かねばなりません。県議会も皆さんと力を合わせ、活力ある真に豊かなふるさと群馬をつくる決意です」(私の挨拶の骨子)

「緑化共同組合の新年会」(10日)

造園業者の団体である。毎日、緑を相手していることが風貌ににじんでいる。杯を持つごつい手の脂があかぎれでひび割れている。この人たちは今年の豪雪について語っていた。こんな寒い冬は珍しい、利根沼田地区は寒さと雪で仕事にならない、松の枝の先は凍っているためにつかむとポロッと折れてしまう、カマキリは高い所に巣をつくっている、等々。

カマキリの話は面白い、台風の多い年はハチは低いところに巣をつくるということも聞く。彼らには自然の異常を予知する能力があるのか。様々な能力を持つ昆虫の存在自体、神秘な自然の一部といえる。

「緩和ケアについて」

 NHKの深夜テレビが癌患者の痛みを緩和(かんわ)するケアについて報じていた。現在の癌治療は癌細胞をやっつけることを目的としているため、痛さを少なくすることを正面から治療と受け止めていないという。痛みを訴える患者にただモルヒネを投与するが、痛みは変わらない。ある患者の例が紹介されていた。

緩和ケアを専門にする所があって、痛い原因を分析し適切な薬を与えると痛さが止まった。末期癌の人だが、幸せだと痛みを抜け出した喜びを語る笑顔は美しかった。私は昔、40そこそこの妻を癌で亡くしているので他人事とは思えなかった。心の問題も含め、本県も癌の緩和ケアに取り組むべきだ。

(県民の健康を願って。読者に感謝)

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2006年1月11日 (水)

異常気象とその対策を考える

過去における地球上の異常気象はノアの箱舟(はこぶね)で有名な大洪水を初めとして珍しくない。この洪水は、旧約聖書では、人間の堕落を怒った神が起こしたとされている。神の物語の真偽は別として、この大洪水が事実であったことは確からしい。

ところで、現在の異常気象は人間の活動が原因であることに過去のものと比べ大きな違いがある。温暖化の主な犯人は二酸化炭素・COであるが、これは、人間がひたすら便利な生活を追及したことの副産物であり、科学の万能を軽信し、自然に対する畏怖(いふ)の念を失った人間の傲慢(ごうまん)さの結果でもある。迫り来る異常気象の不気味さはノアの洪水の比ではない。旧約聖書流にいえば神は、本気で怒っているのかもしれない。この事態に対し私たちは態度で示さなければならない。

このことに気付いた人間がやっと行動を起こして結んだ約束が京都議定書である。C0の削減は国や自治体の具体的な義務となり、それが果たせるか否かは、私たち市民の自覚と努力にかかっている。

市民の小さな努力の集積が大きな成果を生む例を幾つか紹介したい。

①県のマイバックキャンペーン。自分の買い物袋(マイバック)を使うことで、レジ袋を受け取らないで済む。その結果、17年度はゴミの削減10トン、そして、CO56トン分の効果があった。レジ袋は燃やすとCOが発生するのである。

②同じく県の「県民エコDO」。民間が2週間の間に電気、水道量、ゴミをどれだけ削減できるかに取り組む。1450名が削減量を報告し、これによるCOの削減は約8トンである。(水の浄化に電気を使う。電気を作るのにCOが出る。だから水の節約はCOの削減に結びつく)

③民間の例。敢えて企業名を挙げると、フレッセイである。県はマイバックを考えたがフレッセイはマイバスケットで工夫した。消費者は、バスケット(篭)を315円で買って買い物をする。その代わりに品物を5%安く買える。結果として約410万枚のスーパーバックの削減となったという。COの削減にも寄与すること大。営利を求める企業がこのような工夫をすることの意義は大きい。他に広がることを期待する。

これらは、200万県民のごくわずかな人が取り組んだ例である。このことは、私たちがその気になって小さな一歩を踏み出せば、COの削減は限りなく進むことを意味する。地球を救うことは私たちの小さな努力にかかっていることを日常の話題にしようではないか。

(ぐんまの良い環境を願って。読者に感謝)

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2006年1月10日 (火)

初市。丹羽文雄氏の葬儀〔9日〕

(1)恒例の初市は珍しく好天。八幡様でお焚(た)き上げの行事があった。神主の神事に続いて積まれたダルマに石油を浸した布の火が移るとバリバリと赤いダルマが紅蓮(ぐれん)の炎に包まれた。まわりの人々は、その火に手をかざし、一年の無病息災を祈る。

まちの大通りは露天商が並びダルマを売る人の威勢のいい声と大勢の人々で活気づいていた。中心街に人が集まって賑(にぎ)わうのを見るのは嬉しい。これが伝統ある前橋市の本来の姿だと思う。中心街に人が少なくなって久しい。祭りに出かけた人々を普段の日もひきつける魅力を生み出さねばならない。

(2)丹羽(にわ)文雄さんが93歳で亡くなった。

高名な作家と同姓同名なのでおやと思う人がおられるだろう。柔道8段、群馬県柔道界の重鎮である。私は柔道連盟の顧問なのでよく顔を合わせていた。小兵(こひょう)だが90歳を過ぎても気力は衰えていなかった。鋭い眼光で声も大きく古武士のような風格があった。

今から50年近くも昔、今の前橋地裁のあたりに警察別館というのがあって、ここへ練習に行った私は、身体は小さいが怖そうな先生に巴(ともえ)投げで鮮やかに宙に飛ばされたことが瞼(まぶた)に焼き付いている。この人が、後にお付き合いすることになった丹羽さんだった。80代になっても柔道の練習をし、毎日5キロ走り続けていたというから驚く。昨年の暮れまで元気だった。多くの人が読む弔辞で丹羽さんの未知の魅力が語られていた。一つ一つの弔辞も中味が濃くて良かった。丹羽さんの人生が激しくて濃いものだったからに違いない。人間は、ここまで頑張れるのだというお手本を示してくれた。

現在100歳をこえた人は1万人以上いるが、これらの人は明治大正の時代に青年期を過ごした人で、運動と食べ物が現代の若者と全く違ったらしい。車と美食の時代に育った人は、どのような高齢期を迎えるのか心配だ。

(県民の健康を願って。読者に感謝)

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2006年1月 9日 (月)

新年会が盛り

  いくつもの新年会に出た。農業関係のものが多く、3つは農事組合の人々の新年の集いであった。

 新年会は、地域の人々と直接に接する貴重な機会である。人々の表情から世相というものが感じられる。また、国や県の政策に対する意見や批判を聞くこともある。どの組合も組合員の多くは、零細な農業にたずさわる高齢者である。日本の農業の縮図でもある。

 農業は最も大切な産業である。食料は生命や健康を支えるものだからである。そこで、食の安全が叫ばれ、生産者の顔が見えることが求められているのに、自給率は40%を切り多くを外国に頼っている。そして従事者は高齢化して後継者は少なくなり遊休農地が増えている。私は、純朴そうな人々の表情を見ながら農業農村は伝統ある日本社会の基盤であり、農業の危機は日本の危機に他ならないと思った。

 この時期は新年会の盛りで、大きな会は、乾杯までに1時間以上かかるものもある。ご馳走を前にいらいらする人もいるだろうが、多くの人が熱心に耳を傾ける姿を見ると案外良い出し物となっているのかも知れない。国会議員が何人も勢揃いしてスピーチをするのだから。人々は見比べたり、聞き比べたりしているに違いない。

 私もスピーチをする一人であるが、コンテストで審査をされているような気分である。私たちは、人前で話をすることに関しては一種のプロであるが、会心の出来というのは難しい。人の話すのを見ていると出来の良し悪しが良く分かる。“立て板に水”が良いとは限らない。要は聴衆の心を掴めるかだ。その場に適し、分かり易く、深さがあり、簡潔なのがいい。そして、演説にはその人の中味が現われる。聴衆の目と耳は肥えている。政治家の演説は民主主義実践の一コマでもある。私とすれば、県会を代表してメッセージを送るという使命感もある。今年も自分の心をぶつけて頑張るより他はない。

(県政の発展を願って。読者に感謝)

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2006年1月 8日 (日)

商工会議所新年会で訴える(7日)

恒例の新年会は例年通り人々であふれた。私は県議会を代表して挨拶。「戦後60年、物の豊かさを達成し、力を使い果たしたかと感じられるとき、高齢少子化、そして、人口減少の波の直撃を受けている。私たちの社会は、このまま活力を失っていくのか。解決のキーワードは地方分権、そして中小企業の発展である。中小企業は経済を支えるだけでなく地域社会の生命力だ。県議会もこのような時代認識を持ってその役割を果たす覚悟。力を合わせ勇気を出して頑張ろう」(挨拶の骨子)

各会代表が次々と登壇したので、県議会の名誉がかかっているかと思うと幾分気合いが入ったかもしれない。 

「恥を知る」と「恥知らず」に直ちに反応があった。 

もう少し詳しく知りたいというもの。アネハがらみが世間の注目を集めている時なので、関心を寄せられたのであろうが、現代の日本人が皆、考えねばならない問題でもある。

日本人が大切にしてきた「恥を知る」とは、個人の立場を超えた価値を守るべき心である。昔は、学校でも家庭でも、また地域社会でも、「そんなことをして恥ずかしくないのか」ということがよく言われたが、最近はすっかり聞かれなくなった。

私は、一昨年ハバロフスクを訪ね日本人抑留者が作った建築物が今でもしっかりしていて高く評価されていることを知って驚いた。そして、19世紀の奴隷解放の諸原因を思い出した。解放の大義は人権であるが、北米などでは、奴隷労働は生産性があがらないということもあったらしい。家畜のように働かされる奴隷に生産性や労働の質を期待することは出来ないからだ。

シベリアの収容所でも人々は、人権を否定され奴隷のような境遇におかれた。それにもかかわらず日本人は立派な物を残した。彼らを支えたものは、受け継がれて来た恥を知る心であった。今の、日本人には、偽装建築がらみに限らず、この心が失われていると思う。武士道の精神が日本再建のキーワードになることを願う。

(活力あるぐんまを願って、読者に感謝)

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2006年1月 7日 (土)

警察年頭視閲式で挨拶

会場は元総社町の警察学校。このあたりは懐かしいところである。隣りの元南小学校は、昔、元総社中学校があったところ。私はこの中学校で学んだのだ。このあたりは理研の一角で、校庭には炭ガラがごろごろあった。校庭の隅の水たまりにはザリガニがいて、カエルをエサにして釣って遊んだ。隣の警察学校へも垣根を越えて入りいたずらをした。あたり一面は田んぼであったが、高前バイパスが出来て状況は一変した。視閲式は校庭で行なわれた。この冬一番の寒気の中で胸張って整列した警察官の姿は頼もしく思えた。

「真に豊かな社会を築く上で最も大切なことが良好な治安です。警察官の役割は非常に重要です。今日の犯罪情況に対応するには警察と民間の協力が不可欠です。警察官は強い警察官であると同時に県民の信頼を得ることが求められています。皆さんが、崇高な使命を果たせるように県議会も頑張ります」(私の挨拶の骨子)

「議長日記を読んだ元抑留者から便り」

1月3日の日記で、私は拙著の「シベリアのサムライたち」に触れ、彼らの行動を支えたものは、日本の精神文化である武士道の「恥を知る」心であろうと書いたら、日記を読んだN氏から手紙を頂いた。N氏はかつてハバロフスク事件の渦中におられ、私が「シベリアのサムライたち」と考えている1人である。

N氏は、自分のためにも御国のためにもならない強制労働で作らされる建物なのに下手な仕事をしたくないという気持ちで仕事をした、と述べておられる。シベリアのサムライたちは、命をかけた闘争だけでなく、建物の建築にも武士道精神を発揮したのだと思う。

N氏が紹介してくれたタシケントの話だが、日本人抑留者が建てた建物は大地震のときびくともしなかったという。今世間を騒がせている偽装建築を考えるとき、たずさわった人の、「恥を知る」と「恥知らず」の違いをつよく感じる。

(県政の発展を願って。貴重な資料を下さったN氏に感謝)

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2006年1月 6日 (金)

議会事務局の顔合わせ、県議会の交流会、上毛新聞の新春交歓会(5日)

議長としての公式の場で挨拶するのは、この日が最初。今年も多くの場面でスピーチすることになろう。議長として語ることは単なるセレモニーではない。県民の皆さんにメッセージを伝える大切なチャンスなので今年も心を込めた挨拶を重ねていきたい。

事務局職員には次のような挨拶をした。「皆さんは良く頑張っている。県議会が大切な時なので今年も力を合わせよう。議員のために情報を集めることが大切な仕事になるだろう」

県議会の交流会は、32Fの展望ルームで行なわれた。それまで、灰色の雲に覆われていたが、セレモニーの開始に合わせたように日が射した。

「大きな流れの中で、二つの大切なことがあります。一つは人口が減少に転じ、社会の活力が失われていくのではと心配されること。そして、二つめは、地方分権の推進です。この二つを受け止めるとき、地方が主役になって活力ある真に豊かなふるさと群馬をつくることが、私たちの課題となります。県議会の真価が問われる時です。決意をあらたに頑張りましょう」(私の挨拶の骨子)

「上毛新聞の新春交歓会は立錐の余地がない程」

県内の各界各層の主な人が全員顔を合わせたような観があった。上毛の高橋社長は、発行部数は30万部を越えたこと、日本人の心の問題が大切だと話していた。私は、地方の時代における地方のメディアには、全国メディアとは違った重要な役割があると思う。部数におごることなく紙面の工夫に心がけて欲しい。

「有史以来初めて人口が減少に転じて活力のない社会になることが心配されているが、地方が頑張ればそのようなことはない。地方分権は今年のキーワードである。地方の真価が試される時が来た。勇気を持って力を合わせよう」

私は壇上で、このように訴え、手にした杯を高く上げて、乾杯を叫んだ。会場の全ての人が応じた。今年の群馬の活力がここから広がるように感じられた。

(県政の発展を願って。読者に感謝)

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2006年1月 5日 (木)

時代の大きな転換点とは

「時代の節目とか大きな曲がり角とかよく言われるが具体的に説明して欲しい」と要望があった。新時代の新しい流れを加速させる問題は数多くあるが、二つのことを取り上げたい。それは、人口が減少に転じたことと合併である。これらは、関連した諸問題と影響し合いながらこれからの私たちの生活や政治のあり方を大きく変えていくと思われる。

「人口が減少に向かい始めたこと」

現在の日本の人口は、およそ、一億二千六百万人であるが、昭和20年頃は、およそ七千二百万人、さらにさかのぼって明治36年頃は、およそ四千六百万人であった。

現在の特色は、高齢化と少子化が同時進行する中で人口が減少に向かっていることである。社会全体が活力を保ちながら個人の幸せも実現しなくてはならない。そのための様々な政策が問われ、地方の力が試されている。

「合併の意味とその広がり」

全国の市町村の数は、3232から、合併によって1821になった。合併の目的は、時代の変化による生活圏の拡大に合わせて自治体の形を改めることにより住民福祉を推進させること、そして、無駄のない効率的な行政を実現させることである。例えば、A市とB町が一体となっているのに別々に行政を行なっているのでは無駄が多いし、思い切ったことができないということである。

この考え方を発展させると関係の深い県と県が合併したほうが良いということになる。これが、最近活発に議論されている道州制である。「道」は北海道のこと、その他の全国をいくつかのブロックに分けて「州」とするのである。

道州制は遠い将来の理想論ではない。首相の諮問機関の地方制度調査会は今年2月に道州制の在り方に関して答申をまとめることになっている。私は昨年、議長として、道州制に関するアンケートに答えた。これは、地方分権を強力に進めようとするもの。日本の政治の形が変わろうとしているのだ。正に歴史的転換点となるだろう。

(県政の発展を願って。読者に感謝)

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2006年1月 4日 (水)

駅伝に若者の意気を見る(3日)

テレビをつけると駅伝をやっていて。ついひき込まれて見た。走る若者の表情がいい。沿道の観衆が防寒具に身を包む中、若い肌が寒風を切ってさっそうと走る。彼らの険しい表情は、それぞれの厳しいトレーニングに耐えて晴れの舞台に立ったことを物語る。意志が弱く軟弱といわれる現代の若者も捨てたものではないと嬉しくなる。その時、異変が起きた。ある区間で先頭を走っていた選手が急に走れなくなったのだ。この若者は、体力の全てを使い果たしていた。タスキを次の走者に渡さなければという責任感が辛うじて彼を支えているのだ。よろよろと、立っているのも危なげな様子でたどりつきタスキを渡すと同時に倒れてしまった。死力を尽くして頑張った若者に私はテレビの前で思わずやったーと声を上げ、目頭を熱くした。 

「あの子達の前途は大変ね」と、隣にいた妻がつぶやく。毎日のように人口減少社会の問題が新聞やテレビで報じられているから、若者の姿を見て、直ぐにこのように思うのも無理はない。

現在、高齢化と少子化が凄いスピードで同時に進んでいる。これは、単純化していえば働かない世代が増え、働く世代が少なくなっていることであり、年々増え続ける社会保障費をマラソン走者のような若者が将来負担しなければならないことを意味する。

このような負担の構造には無理がある。ではどうすればよいのか。社会の全ての構成員が少しずつ負担し合うということが必要であり、その方法が消費税のアップなのだ。今、少子化の問題の中で、消費税が論じられているわけはここにある。大いに議論しなければならない。

少子化対策として、面白い試みが報じられた。石川県では、3人以上の子どもを持つ家庭にプレミアムパスポートを発行した。これをもって買い物をすると食堂などでは5%、学用品は10%とか割り引いてもらえる。嬉しそうに食事をする家族の姿があった。それぞれの地方がこのような工夫をすれば、特殊出生率は増加に転じるだろう。

(県政の発展願って。読者に感謝)

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2006年1月 3日 (火)

皇居を訪ねて(その2)

  昨日の日記で、「皇居は日本文化の象徴である。また失われつつある日本文化の砦でもある」と書いたが、元旦の皇居に接して、私が打たれたことは、その佇(たたずま)いから受ける日本の精神文化の確かさであった。

まわりのビル群と皇居の対比は鮮やかである。ハイテクに支えられて幻のように変わるものと長い歴史の試練に耐えて不変なるもの。この不変なるものがなければ、大都市東京も流されて消えてしまうだろう。石垣や堀や城門や櫓(やぐら)は、象徴天皇制と一体となって、この不変なるものを作り、日本人の心の拠所(よりどころ)となっている。

歴史的なターニングポイントに立って、日本の存亡は、日本人の心を再建することにかかっている。民主主義と日本の伝統の精神文化は矛盾しない。いや、矛盾しないように調和させて生かすことが課題である。

私は、拙著「望郷の叫び」の中で、「シベリアのサムライたち」を書いた。極限の収容所の中で日本人としての意地を示した見事な闘いぶりを支えたものは、主義でも天皇のためでもなかった。それは、日本人としてのプライドであり、日本人の血液の中に脈々と流れてきた武士道であったと思う。

今、この日本人の精神文化の一つである武士道が影を潜(ひそ)めてしまった。武士道は、武士という支配階級のモラルであったが、同時にその本質は日本人全体の精神構造を支える要素になっていたと思う。それは、「義」、「信」、「孝」、あるいは「恥を知る」といった価値観を重視するものであり、これらは、自分というものを越えて他に貢献する志(こころざし)に通じる。

これは、現代の民主社会のモラルとして通用するものである。人の心が余りにも自己中心になっている今日、武士道の本質を蘇(よみがえ)らせることが今求められている。皇居を出てビルの谷間に向かう車窓から皇居を振り返って思った。

(県政の発展を願って。読者に感謝)

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2006年1月 2日 (月)

新年祝賀の儀に(1日)

早朝8時に家を出る。妻は着物の着付けで早朝から忙しい様子であった。東京の空は重い雲が垂れ込めていた。皇居前広場には白いテントが並び参賀の人々を待ち受けている。 何度も来ている所であるが、なぜか、伝え聞く終戦のときのこの広場の様が想像された。多くの国民が石垣の奥に向かい手を着いて頭を垂れる光景があった。腹を切った高名な軍人もいた。

当時の新聞は、国民が天皇にお詫(わ)びしていると報じている。これは、国が戦いに敗れた時の、国民の国王に対する姿としては、外国には見られない例である。そして、ここに日本の天皇制の特色がある。

天皇は日本国民の象徴となり、以来60年が過ぎた。現在、あの時と比べ、ある意味ではより大きな変革の時を迎えている。歴史を刻んだ石垣は都市の喧騒にたちはだかるように力強く立ち、また、静かに水の中に伸びていた。

私たちを乗せた車は二重橋を渡って中に入った。あちこちにある古い巨木が往時を偲ばせる。

広い壁面いっぱいに描かれた東山魁夷の波の絵の前を通り正殿松の間に通される。待つことしばし、11時30分、定刻に、一方の扉が静かに開けられて天皇、皇后、皇族たちが姿を現した。天皇は、幾分小さくなられ、美智子皇后は年を重ねて品位が増したように見受けられた。美しく着飾った皇族女性の中に雅子さまの姿はなかった。

天皇は、「年頭に当たり、日本国の発展と国民の幸せを願います」と述べられた。その後、豊明殿に移ると、食事が並べられ、杯に祝い酒が注がれた。多くの人は食事には箸をつけず布に包んで大切そうに持ち帰るようであった。

自然を巧に取り入れた庭は美しい。大東京の中にいることを忘れた一時であった。天皇が日本国民の象徴であるのと同じように、皇居は日本文化の象徴である、そして、失われつつある日本文化の砦(とりで)でもあることを元旦の宮中で感じた。

(今年の県政の発展を祈って。読者に感謝)

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2006年1月 1日 (日)

県民の皆様、明けましておめでとうございます。

平成18年・2006年のスタートです。今年最初の日記です。今年も多くの人に読んで頂き、共に県政を考えることが出来れば幸いです。話題は時々脱線することでしょうが一服の間(ま)を共有することも楽しみたいと思います。

静かな朝、流れる白い雲を見ていると不思議な気持ちになります。宇宙が小さな一点から始まって膨張し続けて135億年、今なお広がり続ける無限の空間の中のかすかな一点の我が惑星。緑の地球で繰り広げられる人類のドラマ、民族の無益な争い。

歴史を振り返れば、島国の中に閉じこもっていた状態から抜け出して、世界に向けて広がり続けている我が社会です。そして、地球の危機、人類の危機が叫ばれながら、目的地も分からず唯流され続ける私たちの姿。勇気を持って、発想を変えて、現実を直視すれば、真実が見えるのかも知れません。

今年も改革の時代が続きます。改革を進めるために現実を見詰め、勇気を持って大切な一歩を踏み出したいと思います。

人口減少社会に入ったといわれますが、太ってぜい肉がついた社会を体質改善する良い機会なのかもしれません。しかし、そのためには、地方の社会がその特色を発揮して頑張らねばなりません。正に地方の時代が本領を発揮すべき正念場を迎えたと思います。

本県に於いても教育、福祉、治安、食の安全、環境、農業等々、難問が山積しております。これらを解決するためには県民が力を合わせることが必要であり、選挙によって県民と直結する県議会の役割は益々重要になってきました。

私たち議員は、このような時代認識をしっかり持って県民の皆様の負託にこたえて行きたいと思います。そのために議会が決意を示す姿が議会改革の動きです。議会改革検討委員会が中心となって頑張ります。皆様のご健勝をお祈りいたします。

(県政の発展を祈って。読者に感謝)

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