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2005年12月31日 (土)

ああ、激流の一年が終わる。

この1年を後世の人はどのように振り返るだろうか。戦後60年という大きな節目の年で、歴史的な出来事がいくつもあった。

  いくつかを拾うと、先ず、明治以来増え続けて人口が遂に減少に転じたこと。明治以来というのは統計を取り始めてからという意味で、実際には開闢(かいびゃく)以来ということだ。また、小泉内閣が選挙に圧勝し郵政民営化を初めとした改革が大きくスタートしたことやバブル崩壊後の景気の低迷を抜け出した経済がやっと上昇に転じたこと等がある。

  これらは、国全体に関わることであるが、同時に地方社会の諸問題と密接に結びついている。また、私たちの地方社会に直接関わることとして平成の大合併及び地方分権の推進などがある。

  これらの大きな流れに揉まれながら本県の様々な問題が発生した一年であった。例えば、副知事問題の解決、議会活性化に向けた対面演壇による一問一答の質疑応答形式の実現などである。そして、現在進行中のものとして、次期県議選の選挙区割りと議員定数の見直しに関する問題等がある。

  県政のいくつかの問題について知事と議会との間の緊張が話題になったことも今年の特色といえる。思うに、議会は行政に対するチェック機関として存在するからには、緊張関係がないということのほうが不自然ではなかろうか。生ずる問題を真摯に受け止めた結果として生ずる緊張は活力ある議会の姿である。

   議長就任以来、議長日記を続けてきた。激動の地方社会にあって、県民参加型の県政が叫ばれている。そのための小さな一石を投じたいという願いを込めて情報の発信を始めたが、意外な反響があった。ささやかな試みが県議会の活性化の一助になればと密かに期待している。マラソンにたとえるなら初めの苦しい呼吸を整えて自分のペースをつかんだというところか。新年を迎え折り返し点に立つ。 (一年の終わりに当たり、読者に感謝)

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2005年12月30日 (金)

一年を振り返って。県民マラソン

健康の大切さを思うにつけ、今年もまた、10キロを完走できたことは私にとって快挙であった。毎年多くの人が参加するこのマラソンは、県民全体の健康を増進させる上でも重要なイベントである。

走る、歩くといった習慣は健康の維持に役立つばかりでなく身体の老化を防ぐ効果がある。意識的に歩くこと走ることを続けないと機械が錆びるように身体の機能が衰える。あるブランクの後に、これが老化なのかと痛感したことがあった。

人間は精神の動物といわれるが、精神と身体の状態は密接に影響しあう。身体が錆びると精神も錆びる。フレッシュな精神の維持には健康な身体が必要である。来年も、小さな時間を見つけて歩くこと、走ることに心掛け健康のために良い習慣を求め続けたい。

議長室に灰皿はない、自民党控室などもタバコは吸いずらい雰囲気になっている。議会改革のためには、議員の心と身体の健康も大切な要素である。

「最後の講演を終える」(29日)

多くの企業経営者が毎週早朝6時に集まって心の研修をやっている。新鮮な心をぶつけ合って、人間行動の基本を学ぶことは企業活動にもプラスになっているらしい。私も会員の1人なのだ。

この会で時々講師を招く。今回の私のテーマは、シベリア強制抑留の真実。パソコン、プロジェクターを持ち込んで自分でセットした。スクリーンはないので、ホワイトボードを代用。アムール川やシベリア鉄道の写真が出てくる。アムール川のさざ波が遥かな水平線に沈む赤い夕日を受けて揺れている。「今頃は、零下30度で厚い氷に覆われています。かつて日本人がこの上を歩かされました」と説明。また、シベリア鉄道では、バム鉄道建設のため枕木一本に1人の日本人が死んだといわれるほど過酷だったことなどにも触れた。厳しい経営に向かう企業の人々に勇気を与えたと思われる。今年最後の講演は良いムードであった。

(県政の発展を願って。読者に感謝)

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2005年12月29日 (木)

仕事納め

県立図書館で除籍対象の本を見る(28日)

毎年、この中から選んだ本を中国の大学へ贈っている。主に遼寧師範大学など中国東北部の大学で日本語を学ぶ学生に読んでもらうのが目的。かつて、大連外国語学院大学で講演し、明治以降の日本の近代化の歴史と現代日本がかかえる問題点を話したとき、多くの学生が熱心に耳を傾けてくれたことに私は感動した。その時、大学の図書館にある日本語の書物が余りに少ないことに驚いた。このことがきっかけとなって、日本の書物を送り続けてきた。

中国との関係が最近ぎくしゃくしているが、民間の文化の交流を誠意をもって続けることが何よりである。中国は強(したた)かな国で、権謀術数で渡り合うと手ごわいが、誠意はよく伝わる人々である。両国の長い歴史上のかかわりから学ながら、21世紀の今を大切にしたい。中国の大学には、県の広報課の協力を得て群馬の情報も送ることにしている。来年も粛々とこの運動を続けたい。

「議会事務局の人々に仕事納めの挨拶」

県議会事務局も仕事納め。一年を締めくくる意味で全員が集まった。

「今年は、地方が主役の時代が進んだ。これは、県議会の重要さが増したことを意味する。議会改革もその目的のためである。議会事務局は、議会を目立たないところで支える重要な役割を担う。執行部との緊張関係は、お互いの切磋琢磨のために良いことだ。来年は信念を持って力を合わせてよう」(挨拶の骨子)

「群銀の頭取が挨拶に」(28日)

県内の景気もよくなっていると話しておられた。不良債権の整理は都市銀行と比べ地方銀行が少し遅れているようですねといったら、地域の企業とは密接な関係にあるから、都銀のように非情になれないと説明しておられた。中小企業が群馬の産業を支えることを重視して来年も群馬の金融界をリードして欲しいと思う。

(県政の発展を願って。読者に感謝)

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2005年12月28日 (水)

一年を振り返って「母の死。グリーンドームのイベント」

いつかはと覚悟していた母の死はあっけなく来た。9月14日のこと。私が南米から帰って一週間後に倒れ、その後、一週間の入院生活でこの世を去った。満89歳。あと二ヶ月足らずで90歳であった。

母の人生の締めくくりは角膜をアイバンクに提供したことである。母の死を確認した後、母との約束を守って連絡するとバンクの人は、手際よく角膜を摘出し、その後をきれいにふさいだ。二人の盲人が光を得るのだという。母の角膜によって世界を見た人の心を思った。

戦後の厳しい社会で貧しさに耐えて一筋に生きた母。4人の子どもは母がこの世で生きた証である。

今、母の死を振り返って、女性の生き様を考える。母と子の関係は特別である、どの母と子の間にも、著名な作家の筆でも描き切れぬドラマがある。子を産むという女性の業は偉大である。神が与えたこの特権をなぜ今日の女性は軽んずるのか。

女性の特殊出生率が1.29となり、日本は人口減少社会に入った。まちを歩く若い女性の腰は柳の枝のように細い。明治、大正、昭和と生き抜いた逞しい女性が懐かしい。

「グリーンドームの祝賀会」

何ヶ月も前から議長就任の会は9月17日と予定されていた。母の死はその直前に起きたのである。最悪の事態発生と思った。弟や妹は議長就任祝いを延期したいといった。苦慮の末実行することに決断。17日、18日と大きな出来事が続くことになった。

グリーンドームには約1600人の後援会の人が参加。私は、人々に、母は天寿を全うしたので祝福したい気持ちだと話した。人々の表情を見て、私は、実行したことは正解だったと思った。母も天国で議長就任祝賀会を喜んでいるに違いないと思った。振り返れば、最悪だと思った母の死亡の日は、実は、最良のタイミングだったのではないかと思える。(県政の発展を願って。読者に感謝)

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2005年12月27日 (火)

一年を振り返って。「望郷の叫び」を出版

シベリア強制抑留を書いた「望郷の叫び」の反響が静かに広がっている。私の知らない意外なところでも読まれているらしく、最近靖国神社の偕行文庫に保存されるという連絡があった。

理不尽に酷寒のシベリアに連行され、正に地獄を味わわされた事実に我慢できなかったことと、経験者の多くがこの世を去ろうとしている今、後世に真実を伝えねばという気持ちが私を突き動かした。

体験記は多いが私の書では、抑留者が書かないことも書いた。その一つは、ソ連が抑留者の赤化を狙ったいわゆる「民主運動」である。また、群馬とも関係のある参議院議員高良とみが日本人として初めて収容所を訪れたこと、そして、羊のように従順で奴隷のように卑屈ともいわれた日本人が最後にサムライとしての意地を見せたハバロフスク事件については、読者の関心が高かったようだ。 

本県にもシベリア抑留の経験者そして命を失った人は多い。この人たちの苦しみや犠牲を無駄にしてはならない。戦争の悲惨さを知らない者は平和の尊さも分からない。過酷な真実を知らせて平和の尊さを知ることが、犠牲者に報いる道である。

この本が出た直後、興味ある手紙が届けられた。手紙の主は、本県在住のN氏で、ハバロフスク事件の渦中にいてソ連と闘った方である。この人は、関東軍露語教育隊でロシア語を習い、ハルビン陸軍特務機関の威力謀略隊に配属されていたので、ソ連に抑留されるやいわれのない戦犯として懲役20年の刑を言い渡され、実際11年間抑留されたという。現在は障害者を支援するボランティアをしていると手紙にはあった。おどろおどろしい経歴からして厳しい人物を想像していたが、その後、偶然にもある福祉の大会でお会いすると、さわやかな感じの方であった。極限を生きた過去はこの人の滋養となって現在のボランティア活動を静かに支えているのであろう。この人の存在に近づけたことは今年の大きな収穫の一つであると思う。来年は、ゆっくりお会いしたい。

(県政の発展を願って。読者に感謝)

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2005年12月26日 (月)

クリスマスのミサに出る

「クリスマスのミサに出る」(24日)

 ふるさと塾をいつもより若干早く終えて、前橋カトリック教会へ。午後7時から始まったミサは立錐の余地がない程。ここ数年クリスマスの度に感ずることは外国人が非常に増えたということだ。集まった人たちのおよそ3分の1位が外国人か。かつての会堂を思うと隔世の感がある。

 中でも多いのがフィリピン人である。今年は教会役員の中にもフィリピン人が見られる。

 本県にフィリピン人が多いということであろうが、フィリピンはカトリックの先鋒(せんぽう)スペインに長く支配され国民の大多数がカトリック教徒であることとも関係があるだろう。ちなみにフィリピンの国名はスペイン王フェリペ2世からとったもの。

 この日「ふるさと塾」で新大陸やアジアに侵出するスペイン、ポルトガルの動きと合わせ、この2つの国がカトリックを広めたことを話したところであった。

 ポルトガルはアフリカを回ってインドに達し東アジアに侵出、種子島に鉄砲を伝えた6年後(1549年)ザビエルが鹿児島に上陸しカトリックの布教を始める。スペインがフィリピンを征服したのもほぼ同じ頃であった(1517年)。戦国時代、キリスト教に限らず、信仰は命がけであったが、現代の日本人の多くは、渇いた魂を抱えながら信仰とは無関係な生活をしている。宇宙時代の宗教とは何か。会堂の熱気の中で私は冷めた気持ちで考えていた。

 科学の無い時代には、人々は単純に神や仏を信じることが出来たであろう。科学が進歩し、天地創造の秘密まで解明されようとしている今日、宗教の意味が改めて問われ、その重要さを増しているように見える。科学がいかに進歩しても心の神秘性までことごとく科学で解明することは出来ない。宗教は人間の心の神秘性と関わることである。心の豊かさが問われる今、宗教は、私たちにとって大切な課題である。来年のふるさと塾でも折に触れて、宗教を取り上げるつもりだ。

(県政の発展を願って。読者に感謝)

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2005年12月25日 (日)

一年を振り返る

 《南米各国の県人会訪問から多くを学ぶ》

 8月、ロサンゼルスをかわきりに、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチン各国の県人会記念式典に参加したが、学ぶことは多かった。帰国後、月日が経過する中で、南米で見聞きしたことの大切さが感じられる。主な点を振り返ってみる。

 「アマゾンの熱帯雨林は地球の肺」

 故久保田富一郎県議の勇気と情熱によって推進された540ヘクタールのアマゾン群馬の森は地球環境保護の象徴。子どもたちと共に植えた小さな木が今頃すくすくと伸びているだろう。緑の惑星地球の危機が叫ばれるこのごろ、群馬の緑とアマゾンの緑は同じ大気のなかでO2生みCO2を吸収していることを感じる。

 「群馬県人会の人たちの評価は高い」

県人会の人たちは、日本人の代表として見られていると語っていた。彼らを通して、日本人は勤勉、礼儀正しい、正直、有能と高く評価されているという。母国日本を誇りに生きている彼らのためにも私たちは「日本」を大切にしなければならない。失われつつある日本の良き伝統や文化を守ることの大切さを、遠い海外で頑張る県人会の人々の姿から感じた。

 「日本で働く日系人と交流を深めることの大切さ」

 ブラジルの日系人は140万人、そして、24万人の日系人が日本で働くという。群馬も大泉など東毛ではブラジルの日系人が多い。ブラジルに限らず日本で働く南米各国の日系人との交流をもっと深めるべきだ。

 実は、南米各国の日系社会で「空洞化」が進んでいる。日本語を話す人が少なくなり、人々の日系人としての自覚も薄れているという。日本で働く日系人は、南米日系社会との重要な絆である。また、南米における日本の貴重な「財産」を守るためのカギでもある。

 今年最後の「ふるさと塾」をやった。コロンブスから始まった文明の衝突、人種の偏見、人間の解放など今日につながる一年間のテーマを振り返った。群馬テレビの取材を受けた。25日午後6時放送とか。

(県政の発展を願って。読者に感謝。)

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2005年12月24日 (土)

人口減少社会に突入

「新聞、テレビは明治以来増えてきた人口が初めて減少に転じたと一斉に報じた。」(23日)         群馬県議会史には、明治23年の議会で、ある議員が次のように発言する部分がある。「県下60万人のために知事に辞職勧告を致しました。」これは、廃娼問題で知事と議会が真向から対立した事件であるが、この頃の群馬県の人口が60万人台であることが分かる。  資料によれば、この頃の日本の人口はおよそ3,900万人であった。ちなみに、日露戦争があった明治37年の頃は約4,600万人。この位の人口で世界の大国と干戈を交えたのかと驚く。人口曲線の放物線が上に向かって加速しているときの姿である。今、明治以来の上昇の動きは頂点に達した。 産む産まないは個人の問題であるが、人口の減少は社会の様々な問題と深刻に結びつき、それがまた、個人の問題に重大な影響を及ぼす。  日本の歴史上初めてのことは、人間の数が減少するだけでなく、高齢化と少子化が同時に進行するために、社会全体の活力の減少が懸念されることである。  少子化対策は、私たちの社会の最大の課題の一つである。人口が減ることは以前から分かっていたのに有効な手が打てなかったのは政治の責任でもある。子育ての環境をつくるための社会保障が余りに少ないのもその一つだ。社会保障費のうち高齢者向けの金は70%を占めるのに児童手当や保育所など子ども向けは4%に過ぎない。  高齢化と共に人口減少が進めば社会保障費などは必然的に増大する。そこで近い将来、消費税のアップが避けられないといわれている。しかし、税金の使い方を最大限工夫しなければ、国民は増税を認めないだろう。この点で行政改革が大きく叫ばれるのだ。郵政民営化もこの一環である。  行政改革は群馬県の重要課題である。公務員の削減や業務の外部委託等が行なわれている。指定管理者制度は外部委託の一つである。  世の中の大きな流れと結びつけて県政を考えると面白い。      (県政の発展を願って。読者に感謝。)

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2005年12月23日 (金)

県立中央中等教育学校開校記念式典(22日)

 開校二年目に行なわれた式典。壇上には記念講演の講師赤石康氏もおられた。講堂の生徒の間には新鮮な緊張感が流れていた。生徒代表として登壇した女子生徒の挨拶は、格調があり未来の夢を目指す決意が伝わるものであった。彼女は澄んだ声で、「地球市民を目指し、人のためにも輝く人になりたい」と述べていた。

 新たなエリート校をつくるという批判が一部にあるが、多様な学校の中にこのような学校があってもよい。教育改革は、ゆとりの中で生きる力を身につけさせようとしているが、学力低下の懸念もあり必ずしもうまくいっていない。6年間の中高一貫教育は、高校受験を気にせずに、6年というスパンの中で、真の学力を養おうというもの。県立校では本県初めての試みに県民の期待は大きい。見守りたい。

「存続が危うい県フラワー協会、県観光開発公社」

 12月議会が議決した指定管理者制度に関することである。県フラワー協会が管理していたぐんまフラワーパーク、県観光開発公社が管理していた県営ゴルフ場、これらは、12月議会で民間団体が受託して管理することになったため、主要事業がなくなって、協会と公社は存続が難しい状態に立たされたというもの。

 これらは行政改革の流れに位置づけて理解することが大切である。民間が出来ることは民間にという外部委託の流れがある。場合によってはコストが半分になるという試算もある。そして、存立の意義が問われている公社公団の整理にもつながる問題である。フラワー協会と観光開発公社の存廃は正にこれ。まだ数多くの公社公団が存在する。

 注意しなければならない論点は、中味が公共的要素の強い事業はコストだけで判断してはならないことだ。コストは下がっても公共のサービスが低下すれば、真の行政改革に反することである。注目を続けて欲しい。

(県政の発展を願って。読者に感謝)

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2005年12月22日 (木)

12月議会終わる

議会史に残る今議会が閉会となった(21日)

 既に触れたことであるが、対面による一問一答方式は、恐らく議員の意識にも影響を与えながら、議会改革の一環として良いスタートを切ったと思う。

 「知事の出席要望について」

議会改革検討委員会が、県議の定数と選挙区割りについて見直しに向けた検討を始めたことも、この議会の大きな注目点であるが、この会への知事の出席要望をめぐって、新聞が「場外乱闘」と書くようなちょっとした出来事があった。

 知事は出席要望が認められなかったことについて「議会は知事もマスコミも排除した」と批判。検討委員会もこれに対し、出席を認めない理由を説明した。新聞が「乱闘」と表現するのはいささかオーバーなことだ。

 「日記」の読者から説明して欲しいという要望があった。知事が「排除」と批判するのは当らないと思う。検討委員会は、議会運営委員会(議運)の中の小委員会であり非公開で行われている。しかし、ここでの会議は、公開の「議運」で報告されるのである。また、議題は委員(県議)が遠慮なく自由に発言して審議する性格のものであるから、私個人としては、非公開でもよいと思う。やがて出される妥当な結論がそのことを証明するだろう。

「指定管理者の指定を否決」

  これは議会の活性化とその役割の上で、今議会の注目点の一つである。指定管理者制度は、公の施設を民間等外部に委託しようとする行政改革の重要な一環である。

県立義肢製作所、県立日本絹の里、群馬県馬事公苑の管理者指定を議会は認めなかった。それは、管理者に手を挙げている団体の役員が管理者を選定する審査委員会のメンバーになっているという理由である。公平性を疑われるような委員会構成をなぜ行なったか理解に苦しむ。否決したことで議会はチェック機能を果たした。それは、改革に踏み出した議会の姿勢を明らかに示したものである。

(県議会の活性化を願って。読者に感謝)

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2005年12月21日 (水)

人口減社会到来

高齢化と少子化は、私たちの社会の最大の課題の一つ。高齢化が進む社会を支える若い力が減少してゆくというのが「少子化」に関する主なの問題点である。

特殊出生率という言葉が注目を集めている。一人の女性が生涯に産む子どもの数である。

少子化は、「子どもを育てるなら群馬県」を掲げる本県に於いて大きな問題になっているが、この出生率は少子化の動向を物語るもの。

日本は、昭和25年の3.65から減り続けて現在は、1.29である。群馬県では全国平均よりやや良く、1.35である。(一番高いのは沖縄県1.72)

世界の先進国の数字は大体減少傾向を示すが、その中で世界的に注目されているのがフランスである。一度下がった数字が地域社会の協力などで再び上昇に転じているのだ。

ニーズにあった政策の成果である。その一つが手厚い家族手当で、第2子が月額約1万5千円、第3子以降は約2万円がともに19歳まで支給されるという。政策いかんによって出生率の回復は可能であることを示す好例である。

 昨日(20日)、21世紀の県政プランをつくる会議が開かれたが、取り上げる予定の重点戦略の中にも少子化対策が入っている。

 温かい家庭の大切さ、子どもを育てることの意義を若者に教えることも、子育て環境の整備の中で重要な要素であり、これは地域社会の大切な役割である。

「県議団総会、議会運営委員会、議会改革検討委員会、開かれる」(20日)

 共通の議題は、県議選の区割り等である。総会では見直した場合どのような変化があるか等につき地方課の説明を受けた。議会改革検討委員会では、来年の2月を目途に結論を出す方向。

 検討委員会は、自由な議論をするために、これからも原則として非公開で行なわれる。知事は、出席して審議の様子を見たいと要望してきたが認められなかった。仮に見直しが実現すれば、議員によっては新しい所で選挙を行うという重大問題に直面する。因みに新しい前橋の定数は一つ増えて9になる。時代の大きな変化の波が迫ってきたことを感じる。

(県政の発展を願って。読者に感謝)

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2005年12月20日 (火)

留学生に講演

日本語を学ぶアジアの学生に群馬を紹介した。(19日)

 冒頭の挨拶の中で、私は、「これからはアジアの時代です。皆さんとの間に信頼関係を築くためにまず群馬を知ってもらいたいと思います」と述べた。

  初代知事の楫取素彦、富岡製糸工場から現代に至る約50枚の映像を見せながら、近代日本の歩みとからめて群馬の歴史を紹介した。

  彼らは、明治大正のまちの風情、空襲で焦土と化した前橋中心街の光景、そして尾瀬を中心とした群馬の美しい自然には特に関心を示していたようだ。

  アジアからの在日留学生については、かねて気になることがあった。多くの留学生は日本が嫌いになって帰ってゆくというのだ。どこまで事実かは分からないが、思い当たることもある。私たちの接し方にも問題があるに違いない。また、アジアの途上国の人を軽視する傾向は改めなければならない。彼らに群馬の歩みを知ってもらうことは、彼らの心の扉を開くチャンスだと思って臨んだ。尾瀬の湿原を語るとき、「夏が来れば思い出す遥かな尾瀬~」と歌ったら拍手と笑いが起きた。

  講演の後、担当者が「驚いたことがあります」という。静かに聞いてくれるか心配していたが、皆非常に熱心に耳を傾けたというのだ。留学生の心をとらえて親日にすることはそれ程難しいことではないだろう。これまで、事の重要性を正面から捕らえて努力しなかったことが問題である。

「前橋芳賀中、全国駅伝で準優勝の快挙」

  トップと一秒差。日頃の厳しい練習、全員のチームプレー、支えた多くの人たちの熱い心、これら全ての要素の結晶である。全校の生徒と地域の人々に限りない勇気と喜びを与えた。選手を初め多くの関係者に感謝。力を合わせれば何事も可能であることを見事に示したもの。教育は逞しく生きる力を目的にしているが、この度の快挙は子どもたちの生きる力は健在であることを示した。

(県政の発展を願って。読者に感謝)

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2005年12月19日 (月)

「県警官の卵・退職者急増を考える」

年末は例年防犯で緊張する時期である。先日も年末特別警戒に当たる人たちを激励したところだ。今日ほど、警察官の役割が大きい時代はなかったのではないか。犯罪が多発し、しかも信じられないような凶悪事件が次々に起こる。このような状況に対応するには警察官の増員が必要だというので、私は過日県議会の「警察官の増員に関する意見書」をもって上京し、国家公安委員長及び警察庁長官に強く要望してきた。

 このような折、「警察官の卵・退職者急増」の記事が新聞で報じられた。警察学校での初任教養期間中の退職者は過去10年間で73人。このところ急増し、昨年度は1年間で17人、今年度はこれまでに既に16人が退職した。

 大切な時だけに、私のまわりではいろいろな意見が聞かれる。その中には、「今の若者は意気地がない」「辛抱が出来ない」というのもある。

私は、今年10月、初任科生の入校式に出たときの光景を思い出す。名前を呼ばれた若者は、皆、驚く程きびきびと反応していた。精一杯に絞り出すような「ハイ」という声、立ち上がる時両手でももを叩く「パン」という音、緊張したまなざし。そこには、桃源郷のような世界からやってきたとは想像もつかぬ変身した現代の若者の姿があった。

 今、あの姿を思い出すと、退職者が多いことを嘆くより、まず、試練に耐えて残った人たちの勇気と忍耐に温かい声援を送りたい。

 人権が重んじられる民主国家に於いて、今、強い警察力が求められている。危険をおかしながら人々の安全を守る警察官の職務は大変だが崇高である。今、犯罪防止のために市民との連携が求められているが、優しい心を持った現代の若者は、市民と心の連携をつくるには適していると思う。また、高い志を持って警察官を目指した若者をつなぎ止める工夫ももっと必要なのではないか。

(県政の発展を願って。読者に感謝)

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2005年12月18日 (日)

議長室の珍客

しばらく前から議長室に、「愛してる」と書かれた書が置かれていた。赤い印が押され表具されている。何人かの人が目にとめて、誰が書いたのかとたずねた。私は、「フフフ」と笑ってはぐらかしていた。実は、見た人がどんな感想をもらすか秘かに気にかけていたのだ。 数日前、ある記者が目にとめて作者は誰かと何度も迫った。隠すとよけい知りたくなるのが人情なのだろう。 隠すには訳があった。「誰が」という要素を抜きにした客観的な意見が聞きたかったこと、「ある時」までは伏せておきたいという私の特別の感情があったのだ。 前置きが長くなった。そのある時が来た。先日、秘書室の人に、翌日にこれを書いた人が来るといったら、そうですかと興味深そうな表情を見せた。 約束の時間に若者は現われた。挨拶をしたいというので局長を始めとした全員が集合。若者は、物おじせずに「チチがお世話になります」と頭を下げた。私の長男の周平である。「この字は周平が書いたものです」と言うと、そうだったのかという温かい笑顔が一斉に生れた。 知的ハンディを背負って生れた周平。共に歩いた長い年月がよみがえる。100キロ強歩で完歩すること三度。白根開善学校では「開善賞」を得て卒業した。周平は努力して生きることが人生の掟なのだとごく自然に考えている。 私自身も周平の生き様から教えられたことは多い。「俺の息子は知的障害者だ文句あるか」という気負った気持ちは乗り越えて過去のものとなった。周平の存在は、時に、私の心を限りなく謙虚なものにするし、また、命も惜しくないという勇気を与えてくれもする。 周平の字を誉めてくれた人がいたが、周平の心の世界がいくらかでもにじみでているのであろうか。議長室を訪ねた珍客は近ごろにない賓客であった。        (県議会を身近にと願って。読者に感謝))

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2005年12月17日 (土)

 群馬県議会史完成

「年末特別警戒で激励」(16日)

 昨日は忙しい一日だった。いくつもの会議に出て、午後6時から前橋高校OBの県職員の忘年会に出た。県議OBの菅野さんもいて、悪いことをする奴とは対決しなければならないと語る久しぶりの菅野節が懐かしかった。

 この集まりを途中で飛び出して、悪いやつと対決する人々の集まりへと急ぐ。午後7時から、前橋東署で、年末特別警戒に当たる人々を激励する会が行なわれ、県議会を代表して挨拶した。挨拶が終わると警察官と民間協力団体の人々は、寒い闇の中に分かれて出て行った。

 「群馬県議会史第九巻が届けられる」(16日)

 他の巻を受け取るのとは違った感慨があった。外箱の筆の文字と序文は私が書いたものだからである。永久に残る文字を苦手な毛筆で書くというので悩んだが、それだけに完成した姿に接するのは嬉しい。

 この巻で扱うのは、昭和54年から昭和62年の8年間の県議会の歴史である。この間の大きな出来事としては、上越新幹線の完成、関越自動車道の開通、あかぎ国体などがあり、また痛ましい惨事として日航機の墜落事故があった。

 あかぎ国体については、私は、次のように書いた。県民の力を結集した明るい出来事として、昭和58年の「あかぎ国体」がある。天皇皇后両陛下をお迎えして輝かしい成果をおさめた。このことは、県民が力を合わせればいかなる難問も解決し得ることを示したものとしてその意義は大きい、と。

 実は、私は、この一節を書きながら昭和天皇は、多くの県民を前にして、約半世紀前に群馬県を訪ねた時のことを、感慨深く思い起こしていたのではないかと想像した。

 それは、昭和9年秋の、群馬県庁を本拠に行なわれた陸軍大演習のことである。

 金沢正雄知事は、臨時県議会を招集して、大演習に天皇が来られることが内定したことは我が群馬県の無上の栄誉だと述べ、又、竹腰徳蔵議員は、この感激に燃ゆる県民代表たる我々は、県の面目上、万、遺憾なく準備を了せねばならぬと発言した。県民は熱狂して天皇を迎えたのである。

 昭和6年満州事変、昭和7年満州国建国、昭和8年国連脱退、昭和12年日中戦争と、時代は、正に、太平洋戦争に向けて大きなカーブを切りつつあった時の大演習であった。

この時は天皇は「神」であった。敗戦により国土は焦土と化し。天皇は、人間宣言をした。民主国家として日本が奇跡の復興を遂げた中の「あかぎ国体」で県民は天皇を熱い思いで迎えた。天皇は万感胸に迫るものがあったのではないか。このような意味を込めて、群馬の歴史をしみじみと振り返った。そこから得られる教訓は大きい。

(県議会の活性化を願って。読者に感謝)

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2005年12月16日 (金)

地球環境の危機

「温暖化防止に向けた、国、県の取り組みを知りたいという要望に答えて」

 今議会の本会議は終り、今委員会審議に移っているが、どちらでも、「環境」は重要なテーマになっている。「個人の小さな努力でどうなるのもではない」と思って行動に移さない人が余りに多い。しかし、事態はますます深刻になっており打開への望みは一人一人の小さな努力の広がりにかかっている。だから、環境問題に関する県議会の動きや世界のニュースには、是非注目を続けて欲しい。

 地球温暖化の影響は深刻である。モントリオールの国際会議で、ある南の国の代表は、海面上昇により国土が年々小さくなると嘆いていた。アメリカの巨大ハリケーン、日本における毎年の異常気象も地球温暖化と関係があるといわれる。この美しい惑星、地球の危機は、じわじわと私たちが身近に感じられる程に迫ってきた。もう遅すぎるという学者もいるのだ。最近の温暖化対策の国際的動きとそれに連動した県議会の動きは、このような背景のもとに理解しなければならない。

 温暖化防止の国際会議が開かれ各国がCO削減の義務を約束し合うという事自体、人類史上の驚きなのだ。(約束とは京都議定書のこと)。

 国民一人一人の努力が重要だが、先ず、県市町村などが模範を示すことが必要である。今回は先ずこの点について触れる。

 国は、京都議定書の約束を果たすために法律をつくり、その中で地方自治体(県市町村)の義務を定めた。それは、二酸化炭素(CO)などを減らすための「実行計画」をつくって実施すべしというもの。全国では2170の市町村のうち890が、群馬県では、11市町村が、それぞれ、この実行計画を作っている。

 「実行計画」でどんなことをやっているかといえば、①ゴミを出さない、出たゴミはリサイクルにまわす。②出来るだけリサイクルの再生品を購入して使う。③電気、ガソリンの消費を減らす、などである。

 温暖化の主な原因物質・二酸化炭素は、炭素を含むものを燃やすときに発生する。殆どの燃えるゴミには炭素が含まれている。だからゴミを出さないことが必要で、やむを得ず出たゴミはリサイクルに回せば燃さずにすむ。

 炭素を含む代表的なものは石油である。省エネが叫ばれるのは、それによって石油の消費が少なくなるからである。従って石油を原料としないクリーンエネルギーが研究されている。太陽熱などはその一つ。

 現代社会で最も大量に石油(ガソリン)を消費するものは車である。だから代替エネルギーの研究は、CO削減のための最大の課題である。この夏ブラジルを訪ねたとき、あちらでは、ガソリンの代わりにアルコールを使う車が大量に走っていた。日本でもガソリンを使わない車、又、COの排出量が少ない車が真剣に研究されている。トヨタのハイブリッドカーが売れるのは、環境を考える人が増えている証拠である。

(県議会の活性化を願って。読者に感謝)

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2005年12月15日 (木)

新年の挨拶文を書く

 機関紙、新聞等の年頭の挨拶文の依頼が多く寄せられていた。議長室と私の事務所に来たのを合わせると12,3になる。新しい年に臨むメッセージを、議長として県民に伝えることの大切さを考えるとおろそかには出来ない。会議の合間、深夜、早朝と時間を見つけて、何とか書き終えた。意は尽くせないが心を込めて取り組んだ。

 キーワードは、地方の時代、環境、真に豊かな社会、食の安全、健康長寿、良好な治安、国際化、県議会の役割、等々である。

「昭和22年の大水害について」

 この県議会で自然災害が議論されたのを機に過去の災害について触れたら多くの人が関心を示してくれた。過去の実例には教訓とすべきことが多いからだと思う。そこで、今日は、戦後間もなく本県を襲ったキャサリン台風を取り上げたい。

 昭和22年9月14日から15日にかけてキャサリン台風は関東地方を直撃。16日の上毛新聞は、一面大見出しで「台風の惨禍・全県下に甚大」と報じた。この面は、県下各地の被害の記事で埋め尽くされている。一面トップの写真は、橋に届かんばかりに海のように、そして盛り上がるように流れる濁流の光景を伝える。轟く水の音が聞こえるようだ。その説明には、橋桁まで2m、濁流に洗われる大渡橋とある。

 この面の記事は、利根川を初め県内主要河川は何れも3mから6m増水、大渡橋は午後3時通行禁止、午後4時前橋市で道路面が見える所は曲輪町と紅雲町付近だけであとは全部流れと化した、伊勢崎では新橋流失、下仁田町では山崩れで一家8名即死等県下の想像を絶する状況を伝えている。

 9月25日、災害処理に当たるために、臨時県議会が開かれた。

増田議長は「置県以来の大風水害で罹災県民については気の毒に耐えない。復旧には挙県一致で当たることが160万県民の負託にこたえる道」と挨拶。全員起立して犠牲者に対して黙とうを捧げた。

次いで、北野重雄知事は災害状況報告を行なう。その中で大要次のような決意を述べた。「戦後の復興も未だならず、戦後の疲弊の中からようやく再起の緒についた矢先のこの甚大な被害は実に悲痛の極み。全職員は、160万県民のよき公僕としての自覚をもって、悲運なる罹災者の心を心として復興の完成まで一致協力して遺憾なき活動を致すべく固い決意をもって臨んでいる」

県民のよき公僕という表現に民主憲法下で初の公選知事となった北野氏の政治姿勢が現れている。

そして知事は各地の被害報告をした後で特に申し上げたいことがあるとして、今回の災害に際して見られた県民の友愛心、協力し合う姿には感激に耐えないと述べた。結局、この台風による死者行方不明は1529人にのぼった。

大災害から貴重な教訓を得ても人々は年月と共にすぐに忘れる。そして、災害は忘れたころにやってくるのだ。最近の異常気象はただ事ではない。

私たちは、過去の事実を改めて謙虚に見詰め対策を立てねばならない。

(県議会の活性化を願って。読者に感謝)

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2005年12月14日 (水)

関東大震災

 「いくつかの会議の合間に科学賞表彰式に出る」(13日)

 日本学生科学賞の群馬県審査表彰式である。中学生高校生を対象、ユニークな研究に贈られる。理科離れが進んでいる折、意義のある表彰である。「今日の社会の発展は科学のお陰です。これからの社会は、その発展も滅亡も科学にかかっているといえます。科学を正しく役立てる人間の知恵が求められています。そういうことも胸においてこれからも頑張って下さい」(私の挨拶の骨子)

 「関東大震災のことを知りたい」(13日)

 平安時代の赤城南面の大地震のことを書いたら、関東大震災の時の群馬県の様子が知りたいと要望があった。最もなことだと思う。

 最近、建物の耐震性が大問題となっているが、それは、東京直下型の大地震が近いといわれていることが背景にあるといえよう。

 関東大震災は大正12年(1923年)、9月1日に発生した。

群馬県史には、県内でも煙突、トンネル崩壊などの被害が発生、2日に、朝鮮人を殺害した藤岡事件が起こる、などの記述がある。

 9月3日の上毛新聞は、「惨たり帝都焼土と化す」の大見出しで、「東京は全市火の海と化し・・・」と惨状を伝えている。また、別の日の紙面は、自警団が藤岡警察署を襲撃し留置されていた朝鮮人16名を惨殺、又、内務省の要請で本県から200名の警察官を東京に派遣などを報じている。

 今日ほど情報手段が発達していなかった。それでも東京で異常なことが起きていることは伝わり、とび交う流言飛語が人々の恐怖をかきたてた。東京の方角の夜空は不気味に赤かったという。朝鮮人が暴動を起こしたという噂を人々は信じた。

 藤岡警察署の朝鮮人とは、このような状況下で自警団が朝鮮人工夫を連行して藤岡署へ引き渡したもの。「5日午後6時頃、200余名の自警団員は再び同署に押しかけ、署員を相手に談判の末、携えた日本刀、手槍、鳶口、棍棒等を振って、悲鳴をあげて助けをこう工夫を容赦せず斬りつけ乱打し16名全員を刺殺した」と上毛は報じている。

 この年11月の県議会では、山岡知事が提案説明に先立ち大地震につき、「未曾有の惨事に県民としてつくすだけのことはつくし、救護に関しては摂政殿下からお褒めの言葉を拝した、県内の震災の影響については今後皆さんと十分に遺憾のない善後策をとりたい」と発言した。

 また、議長の森川抱次は、特に発言を求めていった。「大震災は我国の綱紀の乱れに対する天の懲罰ともいうべきで国民は反省せねばならぬ。藤岡事件などは警察官の責任観念の欠如である。これでは威信を保てない」

 あれから80年余が過ぎた。今の世相は余りに乱れている。違法建築もその一環。天罰はどのように下されるのか。

(議会の活性化を願って。読者に感謝)

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2005年12月13日 (火)

対面式の質問終わる

2日間にわたって行なわれた質問が終わった」

 対面の型で行なわれた一問一答形式について私の感想を述べてみたい。予想以上にうまくいったと思う。議長席から見て演壇に立つ議員の緊張感が分かるのだ。長く続けた習慣を変えたということ自体にもインパクトはある。中味も変えなければという意識が自然に働くからだ。それから、やはり、対面の型である。一対一で向き合うことでボールを投げあう姿勢を自覚するのであろう。今までのように、書いたものを読み上げる姿は少なくなった。物事は初めが大切。この12月議会で登壇した人たちの工夫と努力は、今後の議会で受け継がれてゆくと思われる。

「昨日の質問の中から」

 自然災害による被害をどのように想定しているかという質問に対し、担当理事は、桐生市から館林市付近にかけてのラインで想定される南東部地震では死者約800から1000人、避難者数約18万1千人の被害を想定、又、新潟中越地震など大規模地震が頻発しており、日本全国どこで地震が発生してもおかしくない状況だと答えた。

 群馬県は地震と関係ないと考える人が多いが決してそうではないということである。ここで興味ある歴史上の事実を紹介したい。

歴史書・「類聚国史」には、平安時代の弘仁9年(818年)関東各地で大きな地震が起き、嵯峨天皇が租税を免除するなどの救済を命じていることが記されている。当時、地震などの災害は、天皇の徳が足らないために起きると考えられていたのだ。この国史の中で、上野(こうずけ)の被害が大きいと記されている。最近の調査では、赤城南面の遺跡には地震による地割れの跡が見られ、これは、この弘仁の地震の可能性が非常に高いという。自然の力は人知では測り難い。群馬でも地震はいつ来るか分からないということだ。

そこで、今、「姉歯」がらみが大騒ぎされているが、不安と不信はそれ以外の建造物にも広がっている。そこで、県は市町村と連携して地震ハザードマップの作成公表等情報提供の充実、既存住宅の耐震診断や適切な耐震改修工事を促進させたいとしている。

「中学生から授業で法律に関する教育を」

新しい法律が出来て、近い将来、国民が裁判に参加する制度が始まるが、それに備えた教育が必要だというのが質問の主旨。教育長は、模擬裁判の授業や講演会等を学校で実施すると答えていた社会の現実の動きと結びつけた生きた公民教育を実現して欲しい。

ところで、裁判員制度は、現在の社会人にとってさし迫った問題である。自分にも番が回ってくる可能性があるからだ。毎日、生々しい事件が起きているが、罪と罰の意味、裁判の仕組み、国民が参加するのは何故か等、日頃から関心を深めておくことが必要である。

(議会の活性化を願って。読者に感謝)

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2005年12月12日 (月)

議会の歴史(2)

   「中国帰国者の人々との会合、及び忘年会」(11日)
  中国帰国者協会では、最近役員の改選が行なわれた。そこで20人ほどの役員の方々と懇親会をした。かつて満州といわれた中国の東北部に住んでいた人々で、近代日本の大陸政策の生き証人でもある。逞しく生きている彼らに学ぶことは多い。私たちの善意は敏感に伝わるらしい。
   柔道連盟、自治会、ボーイズリーグ等の忘年会に出た。様々な団体の活動が地域社会を支えていることを感じる。忘年会は、忘れることよりも、来年の為の充電の機会なのだと思った。
            

   「県議会の歴史(2)」
  明治12年に群馬県議会がスタートしたことを昨日の「日記」で書いたが、その後の県議会の長い歩みの中で、特筆すべきは、昭和22年5月の県会である。なぜなら、この県会こそ、その民主的な性格において、今日の県会の原点といえるからである。
   昭和20年の敗戦は、国土を焦土と化したが、より重大なことは、国を支える基盤を一変させたことである。
新しい基盤は、日本国憲法である。天皇主権は否定され、国民主権が打ち建てられ、主権者による平等の普通選挙が実現したのである。
   戦前、選挙権、被選挙権(立候補する権利)は満25歳以上の男子に限られていたが、新たな制度では、満20歳以上の男女に平等にこの権利が与えられることになった。年齢が引き下げられたことも重要だが、女性に選挙の権利が平等に認められたことは、日本の歴史の上で正に画期的なことであった。
    新しい制度による群馬県議会議員の選挙は昭和22年4月に実施された。この選挙では定数53のところへ立候補者は130名にのぼった。53名の当選者の中には、女性が1名含まれていた。伊勢崎市選出の町田とくである。
   新しい県会では、議長に勢多郡選出の金子金八、副議長には、多野郡選出の飯塚国蔵が選出された
   なお、この年、知事も選挙によって選ばれることになり、初めての公選の知事は北野重雄である。
   この終戦後間もない県会の審議状況からは、切迫した県政の課題に真剣に取り組む議員の姿がうかがえる。重要問題の一つは食料難であった。女性議員の町田とくは、「母がいたいけな子どもの手を引き重いリュックを背負って混み合う乗り物の中をよろよろしながら買出しに出かける姿は見るに忍びない。このような買出しの生ずることは政治の責任である」と訴えている。
   以来、58年が過ぎ、大きな時代の転換点に立って、県政は新たな多くの難問を抱えるに至った。国際化、高齢化、技術の高度化が進む中で、環境、教育、治安、食の安全等々の深刻な問題が生じている。議会の活性化は、これらに立ち向かうための工夫である。
            (県議会の活性化を願って、読者に感謝)

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2005年12月11日 (日)

議長の歴史

 「来訪者あり、県議会の起源が話題になる」(10日)。
 県議会の歴史に新しい一頁がつくられたのを期にその歴史を振り返ってみる。

 まず明治11年に府県会規則が太政官により布告されたが、この規則には、府県会の議員は選挙によって選ばれること、選ばれるための資格は満25歳以上の男子で地租10円以上を納める者であること等が定められていた。

 この規則に基づいて、日本では、明治12年に初めて府県会が開かれたのである。そして群馬県に於いても、明治12年5月2日、選挙によって選ばれた新議員によって、第一回の県議会が開かれた。(第一回の帝国議会は明治23年。県議会の方が早いのだ。)

 資料によれば、選ばれた議員は、皆、地方の名望家たちであった。被選挙権の要件として地租10円以上とあることが示すように彼らは有産階級の地主たちであった。当時に議員達の写真を見ると47人中36人が立派なヒゲをつけている。(もっともこの中の2人は役人らしい)。

 当時の議場の様子を示す「議事堂座列の図」を見ると、細長い楕円の一端を切り離したようなU字形に議員席がつくられ、U字の開いた口の中央に議長席が設けられている。そして、この右には書記官席があり、左には議長席より少し後ろにずらして長官と次官の席、少し離して二つの警察官の席が置かれている。

 Uの字の一方の端は「一番」で、続いて順に「45番」まで並び、その後の「番外」と称する役人の席がU字の他方の端になっている。当時は、議員を番号で呼んだのである。

 議事録からは、明治の政治家の気骨ある姿が想像される。しかし、また、資料は、審議の状況について「官権を利用した県側吏員の暴満傲慢がいたる所に見え民権は名ばかりの弱体であった」と記している。

 議場に警察官の席があることと合わせ当時の政状がうかがえる。官尊民卑と言われ、官吏は天皇の役人であり、国民に奉仕する現在の公務員とは天地の差があった。」十二分に発言の自由が認められている現在の議会制の下で、議会は十分に役割を果たしているかということが問われている。今、行われている議会の活性化の取り組は、これに答えようとする姿である。頑張りたい。

 このようにして群馬県の議会はスタートした。初期の議長を見ると、第1代は佐波郡出身の宮崎有敬、第2代は、碓氷郡出身の湯浅治郎、第3代は、高崎市出身の天野宗忠、第4代は碓井郡出身の宮口二郎である。私は第79代ということになる。」

 初代から私まで126年が過ぎ、この間、驚くほど大きな社会の変化があった。その中の最大のものは、昭和20年の敗戦であり、戦後の社会は戦前とは全く異なる原理に立ってスタートした。それが新憲法である。新憲法の下で、女性にも参政権が与えられた。戦後の新しい選挙法による選挙で選ばれた議員による県議会は、私たちの現議会の新しい原点である。そのことについては、明日の日記で書きたい。

(県議会の活性化を願って。読者に感謝。)

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2005年12月10日 (土)

対面演壇方式がスタート

 「一問一答の質疑応答は、午前10時に始まった」(9日)

 議場に入ると傍聴席はほぼ満席。場内には、ドラマの幕開けを待つような緊張感が流れていた。「金子泰造君」私が名前を呼ぶと金子議員は演壇に立った。金子氏の質問がひとまず終わると、知事が答弁席に立って答弁する。同じフロアで、両者が向き合って質疑応答する姿にはやはり、新鮮さがある。知事は、一つの答弁が終わると自席に戻った。打ち合わせが徹底していないのだ。一つの質問項目の中でいくつか分けて質問がなされる場合、そのつど自席との間を往復するのではなく、答弁席にとどまることになっていたのである。「知事は、答弁席にとどまって下さい」と注意した。知事は、答弁席のイスにかけて質問に耳を傾けた。次の理事が呼ばれて答弁席に立った時、私は、特に発言した。「初めてのことなので戸惑いがあると思いますので申し上げます。答弁者は一つの質問項目の全ての答弁が終了するまで答弁席に留まって下さい」次からの答弁者は、皆、新しいルールに従った。対面の形を続けたほうが緊張感が出る。

 新しい試みがスタートする時は初めが肝心である。これで軌道に乗るのではないかと思われる。あとは、質問者、答弁者それぞれが、やり取りの中味が新しい形にふさわしいものになるように工夫することだと思う。やりとりが生き生きとして分かりやすく熱のこもったものであれば、傍聴者も増え、そのことが又、質問者答弁者への良い刺激になるだろう。

「昨日の質疑応答の中で注目されたいくつかの点」

「三位一体改革について」知事は、国と地方の役割分担があまり論じられなかった、「同床異夢」の感がする。地方の自由度は高くならず、評価出来るものではないと述べた。地方の役割を十分に考えたなら地方の自由度を高める改革になるはず、三位一体改革という同じ舞台(同床)に立って、それぞれ異なったことを考えている(異夢)とうもの。

「アスベスト対策について」アスベストとは髪の毛の千分の一ほどの細かい繊維性の物質で、熱などでいつまでも分解されず、吸い込むと肺に長くとどまって発癌等の原因になる。適正な医療体制をつくり、健康被害の防止対策に真剣に取り組むと担当理事はと答えた、

「土曜スクールについて」

県は隔週の土曜に3時間、小中学校で授業を行なうとしてモデル案を市町村に示した。週5日制と矛盾しないか、又、受け入れるかどうかは、市町村、学校、個人の自由だとすれば、実施するところとしないところで格差が出るのではないかとの質問に、教育長は、これは公教育の義務だから5日制に矛盾しない、市町村も公教育の義務を果たすと信じると答えていた。

 次の本会議は12日、障害者自律支援法、建設物の耐震対策、テロなどの危機管理対策、地球温暖化対策、犯罪対策等々につき5名の質問者が登壇する。歴史に残るこの議会の第2日目を注目されたい。(議会の活性化を願って、読者に感謝)

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2005年12月 9日 (金)

 対面演壇・一問一答の質問通告書

 「質問通告書を受理して、読んだ」(8日)

 本会議は、質問項目を事前に通告する制度がとられている。答える側も準備して責任ある答弁をしなければならないからである。ところで、一問一答形式の採用により通告期限に変化があった。「前日の正午迄」から「二日前の5時迄」に変更。より細かな準備が必要ということだ。

 9日の質問者と主な質問項目を紹介する。「三位一体改革と来年度の予算」、「重粒子線治療施設への対策」、「アスベスト対策」、「不法投棄対策」、「グリーンツーリズム」等(金子泰造氏)・「ぐんま国際アカデミーについて」、「耐震強度偽装問題について」等(黒沢孝行氏)・「八ツ場ダムの問題」等(伊藤祐司氏)。

 対面演壇による一問一答形式がいよいよ始まる。これを機会に多くの人々が県政に関心を深めて頂きたいと願う。

金子泰造氏と共に本会議場に入り、新たな状況を確かめ、想定した流れをイメージしながら打ち合わせをした。議長席と議員席の間に、マイクが置かれた2つの演壇がセットされた。演壇は、議長席の前の左右の位置に置かれているので、議員席、傍聴席に背を向けることはない。この点は、栃木の議会と違うところであり、従って正面の壁にモニター用のテレビを付ける必要もないだろう。答弁者は原則として演壇に立って応答し、自席で答えることはない。この点も栃木と違うところだ。工夫を重ねて、議会の真の活性化に結びつくオリジナルな形を作り出していきたいと思う。

因みに全国の都道府県の中で、対面演壇、一問一答方式をこれまでに採用したところといえば、宮城、栃木、三重、大阪などの各府県がある。これに、この度、群馬県が加わることになった。それぞれの議会の活性化の様子は、いずれ調べて報告したいと思う。

金子泰造氏が冒頭で「三位一体改革と18年度予算」について知事に質問する予定であるが、三位一体は難しいので極簡単に予備知識を提供したい。縛りが多くて自由に使えない補助金を減らして、そのかわりに自由に使える財源を確保するということが中心の課題。従って本来は、地方の自主性、つまり地方分権を進めることが目的のはずだが、中央と地方では重点の捕らえ方にくい違いがある。小泉改革の中で一応の決着を見たが、地方には不満がある。知事の考えが聞けると思う。

「ブログにトコとナナの写真を載せた」

面白いという反応があった。堅い話にちょっと四コマ漫画を挿むような気持ちである。トコを紹介する。野良出身。妻は密かに餌を与えていたが、野良は上目使いに私を見て逃げていた。ひょんなことで気に入ってしまった。野良の前歴を生かして生きる逞しく賢いやつ。トコと名づけた。今では、私の側でノドを鳴らす姿は、なくてはならぬものになってしまった。いくら精巧なペットロボットが作られても、主人の機嫌を取れるこれほど精密な機械は作れない。そう思うと、神の業の神秘さを思い、トコが可愛い。

(議会の活性化を願って。読者に感謝)

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2005年12月 8日 (木)

栃木県議会の質問風景

議会運営委員会のメンバーで栃木県議会を訪ね傍聴した。(7日)

 県外調査で他県の県議会を訪問したことは何度もあるが、本会議の質問風景を傍聴席で実際に傍聴したのは初めてのことである。

 昨日は、議案調査の日。我が議会の初めての試みが9日にスタートするので、一足先に同様なことを始めた栃木県議会の実態を調査するのが目的であった。この日記で何度か触れている対面演壇による一問一答形式の質疑応答である。

 事務局の幹部も同行し、午前9時に議事堂を出発した議会バスは、午前11時過ぎに栃木県議会に着いた。直ちに傍聴席に直行すると、「県民ネット21」所属の議員がこちらを背にして演壇に立って質問していた。議員の表情は、正面左右に取り付けられたモニターテレビに映し出されている。

 いくつか感想を述べてみる。先ず、知事や部長などの答弁者は、二回目以後の答弁では自席で答えているものが多かったが、これでは、対面しての一問一答の形を十分に生かしていないと思った。期待が大きかったせいか、全体として迫力に欠け、議場は静かで物足らなさを感じたが傍聴席から見ると我が議会もこのように写るのであろうか。なお、議場の光景は、全てテレビで生中継されるという。群テレでこれを実現したとしたらそのインパクトは非常に大きいに違いない。200万県民に注視されている議場の緊張感は大変なものだろう。それは議会の本当の活性化に結びつくと思う。

 本県は、議会の活性化を求めて新しい形をスタートさせるが、それを生かせるかどうかは議員の努力にかかっている。9日のトップバッターは、金子泰造議員である。群馬県議会のために奮闘されんことを祈る。

 頂いた資料によれば、栃木県議会が議会活性化のためにこの形式を採用した一つの契機は、下野新聞で県議会の形骸化を強く批判されたことだという。平成15年1月1日から始まった下野新聞の特集・「地方議員」では、その第一回で、県議の質問は職員が書くのが常識と報じた。昨日の議場で見たものはこの批判にこたえて立ち上がった姿であった。突然訪ねて少し傍聴しただけでは分からない大変な努力と工夫があるに違いないと、今振り返って思う。

 質問項目については、本県で質問してもよいと思われるものが多く共通の課題をかかえているのだと思った。いくつか例を上げると、「新型インフルエンザへの対応」、「耐震強度偽装事件への対応」、「食の安全」、「合併促進と県の対応」、「アスベスト問題」、「学校の登下校時の安全確保」等である。最後の問題は、午後1番に登壇した今市市出身の議員が取り上げ、「大変痛ましい事件が発生し、許し難い気持ちでいっぱいである」と訴えていた。多くの傍聴者が来ていたが、今市市の人々だという。人々の気持ちが痛いほど分かる気がする。

 帰途につくと、西には寒々とした灰色の冬の空が広がっていた。上州の山々の輪郭が闇に溶け、日もどっぷりと暮れた頃バスは議事堂に着いた。

 他県の本会議のありのままの姿を見ることは、こんなにも勉強になるのか、というのがバスを降りたときの私の感想である。

(県議会の活性化を願って。読者に感謝)

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2005年12月 7日 (水)

愛猫の消息

昨日は、議会調査の日(6日)。会期中には、本会議、常任委員会、特別委員会が予定されているが、議案調査日は、これに備えて資料を集め、県政の課題を研究するために当てる日である。特に、本会議で一般質問に立つ人は準備で忙しい筈だ。そして、対面する演壇で行う一問一答形式は初めての試みなので緊張感を抱いていることだろう。

 私は、いくつかの陳情を受け、来客に応じ、又、9月議会の重要課題について資料を通して振り返った。過去の議会で取り上げた重要な課題は、継続して見守ってゆく必要があるからである。このような観点から9月議会の課題をいくつか拾ってみる。

「医師不足」特に婦人科、小児科等の医師が不足している。担当理事は、県内に多くの医師を呼び込み定着してもらうための対策、及び、女性医師の職場復帰を可能にするための環境の整備等を検討すると答えた。

「県立病院の赤字」15年度が11億円、16年度が14億円。これは県立病院の赤字額である。病院管理者は、来年度の医療費が10%削減されることを考えれば何が何でも赤字削減のため頑張らねばならないと答えた。努力と工夫が足りないという声も聞こえてくる。「何が何でも」という決意を実行に移して欲しい。

「少子化対策」先進国共通の悩みであるが北欧諸国は下げ止まり少し上向きになった、又、フランスは上昇に転じているという。担当理事は、群馬県にふさわしい子育て文化を育み、子育てに夢と希望を持てる社会づくりを進めると発言した。「子どもを育てるなら群馬県」を掲げる本県。これに対する評価は少子化の動向にかかるともいえる。「少子化」は最も重要な課題だ。

「治安対策」刑法犯の認知件数(届けられた数)は、昨年に比べ約6000件、21%減少したというのは驚きだ。県警は、犯罪抑止対策実施本部を新設して様々な工夫と努力を重ねてきた。犯罪防止推進条例をつくり、又、毎月16日を「県民防犯の日」と定め民間の協力を得てきた効果も大きいだろう。増加に転じることのないように力を合わせたい。

「指導力不足教員対策」平成15年度に7名、平成16年度に2名。指導力不足と認定された教員の数である。実態はこんなものではないという声も聞かれる。教育長は、指導力不足教員の人事管理システムや学校評価システムを連動させて教職員の資質向上を図ると答えていた。見守りたい。

「忙中閑あり」昼休みに観光物産課のK君と会う。K君は何を聞かれるのかという顔で議長室に入ってきた。実は過日、もらって頂いた子猫のことである。親猫に似て器量よし。娘を嫁にやるような気持ちで送り出した。カゴに入れて運ばれていく時の悲しそうな声が気になっていた。すっかり慣れて飛び回っていると聞いて一安心。K君は、家内が一中の時担任した優秀な教え子である。

 (県議会が身近なものにと願って、読者に感謝)

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2005年12月 6日 (火)

議会史に新たな一頁・12月議会

 昨日は忙しい一日だった。(5日)

 早朝7時半より議員懇談会。午前9時過ぎから、議会運営委員会、議員団総会と続き、午前10時20分、12月議会が開会となった。

 開会に先立ち、議長が挨拶するならわしである。

「この定例会では、議会改革の最初の成果として、対面演壇方式による一問一答方式が導入されることになりました。県政について、議論がますます深まると共に、県民にとって、議会がより分かりやすく、身近で開かれたものになることが期待されます」(挨拶の骨子)

 この挨拶は、議長席の下の演壇で行なう。挨拶が終わると議長席に登り、「ただいまから、平成17年12月定例会を開会します」と述べ、「ただちに本日の会議を開きます」と「開議」を宣告する。

 議長席は高いので、53名の議員の顔がよく見える。正面2階席は最前列に報道関係者が並び、その後ろが傍聴席であるが予想した程傍聴者は多くない。しかもその傍聴者の多くは県職員のようだ。職員の傍聴も悪くはないが、県民に開かれた議会、そして、県民参加の県政が期待するのは、一般県民の傍聴者である。

 議長席と議員席の間にはかなりの広さのスペースがある。2月の定例会の開会日には、ここで群響の音楽家たちが音楽を奏でるのである。このスペースが、この定例会から重要な役割を果たすことになるのだ。ここに、2つの演壇が対面して置かれ、質問者と答弁者が相対して立つ。

 連綿と続いた伝統の形は、質問者も答弁者も、かわるがわる同じ席に登壇し、議員席に向かって発言するものであった。真剣勝負は向き合わねば戦えない。その形はついに出来た。それにふさわしい本物のやり取りが議会の活性化を実現する。その時は、傍聴席は、一般県民であふれるに違いない。それは、議会を生かそうとする議員の熱意と努力にかかっている。200万県民が注目する最初の一歩が9日にスタートする。

 日程に入る前に新任者の紹介が行なわれた。去る10月17日副知事に就任した高木勉氏と翌18日理事に就任した唐澤紀雄(としお)氏である。

 次に諸般の報告等が行なわれた後でいよいよ海外調査の報告が行なわれることになった。注目の場面である。関根國男氏が委員長をつとめる「教育環境づくり特別委員会」はイギリスほか3カ国で調査し、腰塚誠氏が委員長をつとめる「安全安心なくらし特別委員会」はアラブ首長国連邦ほか二カ国で調査した。それぞれの報告は、中味のあるもので、議長席から見下ろす二人の委員長の後ろ姿には熱意と決意がにじんでいた。

 知事は、提案説明に先立ち、ラムサール条約に基づいて尾瀬が「国際的に重要な湿地」として登録されたことに触れ、これを契機に尾瀬を地球規模の環境問題を考える場として活用したいと述べた。環境問題は、常に県政の重要課題である。皆さんと共に関心を深めて行動を起こしたいと思う。

(議会が身近になることを願って。読者に感謝) 

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2005年12月 5日 (月)

指定管理者制度とは何ですか

「新鮮農場へゆく」

 見事な白菜や大根や人参が出来た。農地を提供してくれる人、指導してくれる人、そして、植え付け、草取り、虫取りなどを続けてきたボランティアの仲間、これらの人々の心の結晶である。冷たい赤城おろしを車で避けて人々は輪になってお茶を飲んでいた。私はいつもお茶だけに参加。議会の出来事などもちょっぴり交えながら談笑。青い空に千切れた雲が流れる。人生の宝は、健康、良い趣味、良い仲間だ。来年は農の仲間がもっと広がり、農の発展につながることを祈る。

“知事、議会をけん制”の記事」

 新聞の記事について聞かれた。合併によって県会議員の選挙区の大きさが変化する。次回の選挙だけは従来通りということを既に決めているが、それを見直して新しい区割りでという多くの意見が寄せられている。「記事」はこのことに関するもの。これは、県会議員に直接関わることであるから議会が自主的に判断すべきことである。また、県議選の在り方は、県民の意志が議会に如何に反映するかに関わるから、今課題になっている議会の活性化に関連した問題でもある。そこで、議会改革検討委員会が、改めてこの問題を取り上げて検討することになっている。

 このような議会の動きがあるにもかかわらず、知事が条例案を出すなら議会無視ということにもなりかねない。知事が議会の動きを見守るといっているのは、この点に関わる発言だと思う。

「指定管理者制度って何ですか」(質問が寄せられた)

5つの県営ゴルフ場、ぐんまフラワーパーク、群馬へリポートなど15の「公の施設」が民間に委託されるのである。これは、行政改革の大きな歯車が動き出した一例である。

「公の施設」の管理を民間に委託できるとするこの制度は、自治法の改正によって平成15年から可能になった。本県では、私が平成16年の2月の議会で取り上げたことにより実施が早くなったといわれている。

 行政改革は経費を削減すると共に良いサービスを提供するための改革である。その手法の一つに民間が出来るものは民間に任せて行政をスリム化させようという考えがある。いわゆる外部委託はその例である。指定管理者制度も外部(民間)委託の一環なのだ。

 ある調査では、民間に委託することによってコストは半分になる例があるという。本県は、今回のこの制度導入による経費削減効果を6億8千万円(22.3%減)と見込んでいる。そして、県観光開発公社(5つのゴルフ場の収益は公社収益の9割以上)及び、県フラワー協会(主事業としてフラワーパークを運営)は、主要事業を失って解散も考えるほどの死活問題に直面することになるという。これは、官の経営がいかに効率の悪いものかを示すものといえる。今回は、対象の51施設の中、委託先変更の候補は22であった。12月議会の議決を経て正式に指定される。この動きは今後も続く。注目されたい。

(県議会が身近になることを願って、読者に感謝)

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2005年12月 4日 (日)

女児殺害、衝撃走る

 つい先日、広島市で小一女児が殺害されたばかりである。今度は、隣県栃木県の今市市で事件が起きた。衝撃的な事件が次々に報じられるので少し前のことはすぐに忘れがちであるが、記録によれば、小学校低学年の女児を連れ去って殺す事件は毎年のように起きている。

 97年(1997年)、福岡県春日市小二女児殺害、98年、岩手県葛巻町小二女児殺害、01年、長崎県諌早市小一女児殺害、04年、奈良市小一女児殺害、05年広島市小一女児殺害(つい最近のこと)、05年、栃木県小一女児殺害(今回)。また、殺害までに至らないが、狙われたケースは数多くあったに違いない。

 この実態を直視する時、このような事件は今後も身近で起こりうると考えてその対策を立てねばならない。

 警察の役割は大きいが、警察力だけではどうにもならない。地域社会の役割が重要である。群馬県は最近、犯罪防止推進条例を作った。地域社会の力によって犯罪が起きにくい社会をつくろうとするものである。この条例の効果は上がっていると思われるが、そこで考えられているボランティアなどの地域力を子どもの安全のために生かすべきである。「子どもを育てるなら群馬」というスローガンを掲げる本県として、今回のような事件が起きないための対策は焦眉の急である。場所によってスクールバスも検討すべきかもしれない。

 「野村が楽天の監督に就任した」
 70歳、史上最年長監督の誕生である。天賦の資質に恵まれていることはもちろんであろうが、一筋の野球人生で鍛えた結果の体力と気力であろう。この話しは、努力すれば常人もそこにちかづけるという希望と勇気を与えてくれる。活力ある高齢社会を築く上で励ましとなる朗報である。

 私は、先日県民マラソンで10キロを57分少々で完走したが、これも目標を立てて小さな努力を続けている成果である。世界一の長寿国といわれるが、ねたきりや認知障害が急増しているし、生活習慣からくる成人病の状態は深刻である。リハビリで涙ぐましい努力をしている多くの人がいる。そこに至らないための日頃の節制が大事なのだ。野村のスマイルの陰には並々ならぬ健康維持のための自分との戦いがあったに違いない。200万県民が、健康のための小さな目標をたてて努力を続けることは、活力ある群馬、そして、真の意味の豊かな群馬に通じる。

 5日から12月県議会が始まる。17日間の短い会期であるが、激しい時代の渦の中にあって多くの重要な課題が議論される筈である。議会の活性化に向けた新しい試みが始まる議会でもある。注目して頂きたい。

 (県議会が身近なものになることを願って。読者に感謝。)

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2005年12月 3日 (土)

障害者週間が始まる

「オープニングセレモニーは県民ホールで行なわれた」(2日)

 重要な意味のある障害者週間である。人間に対する理解が課題なのだと思う。そんな、日頃の気持ちを抱いて開会式に出た。県議会を代表して挨拶。

「私たちの社会を支える最も大切な柱は、一人一人の人間の尊厳を確保することです。ですから、障害を持った人にも社会のいろいろな活動に参加して幸せに生きる権利があります。しかし、それを実現するには、社会の理解が必要です。障害のある人を理解し温かく支える社会が真の意味の豊かな社会です。この1週間が実のあるものになることを祈ります」(挨拶の骨子)

 小中学生の障害者に関する作文も発表された。障害者への理解の芽を育てるよい試みである。

 障害者を理解することは、理屈ではない。体験と関わりの中で理解へのきっかけをつかめることもある。現実には障害者に対する社会の偏見がある。何事についても、平均的なあるいは通常の姿からはなれたものを正しく見詰めることは難しいものだが、こと人間については、障害者にも多くの可能性が秘められているので、表面的なものにとらわれないで理解することは非常に大切なことである。偏見は、神秘的なるもの・人間を表面的にしか見ないことでもある。自分の体験から私は、そう思う。

 障害者週間は、このような、障害者との間に存在するバリアを乗り越える機会でもある。障害者の福祉を進めることには、高齢者福祉を進めることと共通なものがあると思われる。

「議運及び本会議の打ち合わせをする」(2日)

 群馬県の議会史の新たな一頁ともなる議会なので、事務局の人たちと真剣に取り組んだ。新たな一頁とは、日記で何度も触れたように、対面演壇による一問一答方式の導入である。対面演壇による最初の質問は、通常通りなら9日の午前10時ということになる。

 尚、5日の開会日には、注目されている2つの特別委員会の海外調査の報告が行なわれる。

「国交省の新しい施策に注目」

 高齢者が保有する住宅を子育て世帯に貸し出し老後の資金を確保する制度を来年度に創設するという。高齢者が広い家に住み、子育て世代が狭い住宅に住むという例が多く存在するが、このようなミスマッチを解消し、高齢社会の新しいニーズに対応した居住環境を考えるもの。公的機関が高齢者の持つ住宅を借り上げ、広い住居を求めている子育て世帯に貸し出す。高齢者は貸料を得て、より利便性の高いマンションや老人ホームに移り住む。安定した収入を確保するため、空き家になった場合も一定額を保証する。高齢者がもとに戻れるように定期家制度を利用するという。この新しい制度に、本県の住宅政策はどのように対応するか。

(県議会が身近なものになることを願って。読者に感謝)

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2005年12月 2日 (金)

寝たきりにならない県民運動

「県民会館小ホールが人であふれた」(1日)

 この運動は、平成元年、群馬県が全国に先駆けて始めたもので以後大きな成果を上げている。非常に重要な問題点があるので私の挨拶の様子と合わせて、ここで紹介したい。

「寝たきりにならない、させないという事は、お年寄りの幸せのために非常に大切なことです。それを県民運動としてやることに大きな意義があります。参加した人は将来寝たきりにならないためによい生活習慣に心がけ、健康の輪が全県に広がるでしょう」(挨拶の骨子)

 挨拶の中では、寝たきりになると人権侵害が起こりがちだが、これは重大な問題ということにも触れた。私は、「抑制廃止研究会」の役員をしている。病院や施設が、寝たきりの高齢者を縛る等して自由を拘束することが後を絶たない。家族などもやむを得ないと思っている。「人権」についての意識が薄いのである。自分がそういう立場に置かれたときの惨めさを想像することからスタートすべきである。高齢者の問題は、全ての人にとって自分自身の問題なのである。

「実施計画は54市町村のうち11という記事」(1日)

 二酸化炭素(CO2)などの削減計画を定めた市町村が少ないという「上毛」の記事を説明して欲しいという要望があった。

 二酸化炭素などが空中に増えると地球の気温が上がる。海面の上昇、異常気象などはこの地球の温暖化が原因といわれる。「大変なことが進んでいる」と誰もが思うようになった。地球の危機でもう手遅れだという学者もいる。しかし、何とかしなければというので世界の国が集まってCO2などを減らそうと「京都の約束」をつくった。(京都議定書)。日本が約束を果たすことは大変なことである。そこで、全国の市町村は、CO2を削減する計画をつくり実行することを義務づけられている。これが記事の背景である。

「雲をつかむような話だ。どのようにして減らすのか」と問われる。ごく簡単に言えば、CO2排出の主な原因は車や化石燃料(石油など)だから、この利用の仕方を検討し、なるべく他のものに変えることだ。市町村の「計画」は、自転車の利用、冷暖房を強くしない、(夏のクールビズもこのためのもの)時間外の消灯、ゴミの削減などを上げる。ゴミが増えれば燃した時のCO2が増えるからだ。

 国も来年度の施策として、この問題を重視している。例えば、街路灯などの電源に太陽光などの新エネルギー活用を促進、自転車道の整備、太陽光発電を導入した家庭にCO2削減量に応じた助成など。国や自治体の努力も必要だが、最大の効果は、国民一人一人が自覚して小さな努力を続けることから生まれる。さもないと大変な事になるだろう。環境問題は、間もなく始まる議会でも取り上げられるだろう。

(県議会が身近なものになることを願って。読者に感謝)

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2005年12月 1日 (木)

県等主催の講演会・優良警察官表彰

 遂に12月に入った。時の流れは本当に速い。宇宙は加速的に膨張しているというが、私たち現代人の生活の場も加速的に広がっているように思える。多くの人が地域社会から殆ど外に出ることもなく一生を終えた時代は、それ程遠い昔のことではない。現代人の生き方に大きな影響を与えている主なものは休むことのない科学技術の進歩と人生の長寿化である。私たちは、百年前の日本人と比べて、見方によっては、何十倍の人生を生きていることになるかもしれない。

 神から現代人に与えられたこの恵みを如何に享受するかは、個人の努力にかかることであるが、個人が生き生きと活躍できるような環境をつくるための政治の役割は極めて大きい。

 このような大きな社会の流れの中で、「地方の時代」の潮流が生まれ、その先頭に地方議会があることを強く感じる。様々な課題が山積する群馬県議会にあって、師走を全力で走り抜けたいと思う。

「産業経済講演会が開かれた」(30日)

演題は、「本州最北端から世界へ- グローバル時代の経営」

青森で立ち上げた企業が世界の液晶メーカーと競い合う存在になった。「アイディアと経営理念で地方の中小企業が頑張らねばならない。群馬の産業界も私たちも、講演を聞いて大いに勇気づけられると思う」と私は議会を代表して挨拶した。

 「優良警察官、駐在所夫人への感謝状贈呈式」(30日)

 商工会議所を母体とする警察官友の会が主催である。「安全安心なくらしを守るための日頃のご努力に感謝します。皆さんと力を合わせて良好な治安を回復するために頑張りましょう」と挨拶。民間の団体が感謝状を贈ることに意義がある。民間の協力なくしては犯罪対策は効果がないからである。

「海外調査に関する議長メッセージを出す」(30日)

 これは、県議会のホームページに正式に載せたもの。先日の記者会見と共に県議会の、この問題に対する正式な対応である。主要な点は、「特別委員会で検討し、審査会で審査をしたうえで実施された計画は、計画通りしっかりと調査されたことが正副委員長からの聴取から確認できた。このことを県民の皆さんに知っていただきたい」というもの。

7歳の女児殺害の容疑者が逮捕された」(30日)

ペルー人で日系3世とか。女児のあどけない笑顔を見ると怒りが込み上げる。両親の心中は察するに余りある。外国人を悪者視することは間違いであるが、国際化時代の中で外国人の犯罪が増えていることは事実である。今回の海外調査で調査団は、住民の8割が外国人であるという状況で治安の維持に成功しているアラブのドバイ市を視察した。本県も外国人が急増している。ドバイ市の調査から得るものは非常に大きかったと、調査団は語っていた。

(県議会を身近なものにと願って。読者に感謝)

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