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2005年10月31日 (月)

補助金削減につき、ある公務員の発言

「あかぎグリーンフェスタ353、詩吟の会15周年記念大会、群馬県都市緑化祭で、それぞれ挨拶」(30日)
 「グリーンフェスタ353」は、中毛ブロック商工会の青年部が中心となって行なったまちおこしのイベント。国道353に面した大胡ぐりーんふらわー牧場で行なわれた。観光資源が豊かな赤城南面は大きな魅力と可能性を秘めたところ。青年部の若い力で地域活性化のために頑張ってほしいと挨拶した。

「詩吟の大会」は市民文化会館で行なわれた。真に豊かな社会を築くために市民の伝統文化は非常に大切です。詩吟は、日本の古典を資料にして日本人の心を表現する伝統の文化であり貴重な存在です。15周年を期に今後更に発展することを祈りますと挨拶した。

「群馬県都市緑化祭」は、毎年県内各市で行なわれるもので、今年は高崎市のもてなし広場で行なわれた。真に豊かな都市の建設には、緑豊かな生活空間が不可欠です。環境問題が重要さを増す中、このイベントが県民の緑化意識の高揚に役立つことを祈りますと挨拶した。

 「ある地方公務員の方からご意見を頂いた」(30日)
 過日の私の三位一体改革の記事を読んだという。その人は、国の補助金については長いこと疑問を感じてきましたと語る。又、現場の実情からすれば、不要と思っても従わなければ補助金を貰えないからその通りにしたことがよくあった、国の財政が赤字だというが、無駄な費用額は膨大なものではないか、そして、中央官庁に補助金の陳情に行くと若い官僚が尊大な態度で応ずることも気になった等々。

 これは、非常に重要な現場の声である。三位一体改革の中心は、このような補助金を削減して、その代わり、地方が自由に使える財源を認めようというもの。無駄を無くすと同時に地方の自主性を生かす。地方が国に縛られずに生き生きとなる。これが三位一体改革の目的であり、日本再生の道である。最近の県職員は、分権の流れを受け止めてよく頑張っていると思う。私も共に力を合わせたい。
(日記を読んで下さる方々に感謝いたします)

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2005年10月30日 (日)

「チュックボール大会、新鮮農場、ふれあい文化祭、ふるさと未来塾」(29日)

 チュックボール大会は、主要な県のチームを招いて旧宮城村の体育館で行われた。私は群馬県の協会会長である。新しいスポーツを育てている。

 新鮮農場はボランティアの仲間と新鮮な野菜つくりを目指し、毎土曜には集まって汗を流す。私はお茶の時間に顔を出し、作業はなしで楽しい歓談に加わった。県政のことにも触れながらの楽しい一時間。おいしい空気と笑いは、心の充電にとって最高だ。

 地域の文化祭は、健全な地域をつくるために大きな意義がある。生涯学習の成果を発表する場であり、人々の心の交流の場でもある。良い趣味、良い仲間は、地域を支え個人の人生を豊かにする。

 月1の「ふるさと塾」は、第4土曜で22日の予定だったが沖縄式典と重なったので昨日になった。テーマは、「奴隷解放に至る道」。

 奴隷は古代からあったが、膨大な数のアフリカの黒人が奴隷として新大陸に運ばれたのは、コロンブスによる新大陸の発見後のこと。サトウ、タバコ、綿などのプランテーションで家畜のように働かされた。ハリケーンがおそったニューオーリンズには北米最大の奴隷市場があった。イギリスからの独立戦争では、「人はすべて平等につくられている」という理想を掲げたが、奴隷には光りが当てられなかった。やがて、リンカーンが大統領になり、南部奴隷州が連邦から離脱し、南北戦争になる。「風と共に去りぬ」の世界だ。リンカーンの奴隷解放宣言は、戦局を大きく変えることに。北軍が勝てば奴隷は自由になれると信じ、彼等は必死に戦ったのだ。人権と民主主義を掲げるアメリカの原点を語った。アメリカの光と影、奴隷制はなくなっても、人種偏見はなくならない。その昔、バスの席を白人に譲らないために逮捕されたローザ・パークスさんが先日92歳で亡くなった。パークスさんのこの事件がきっかけとなり公民権運動が発展し、パークスさんは、公民権運動の母と呼ばれた。このことにも触れながら、2時間はあっという間に過ぎた。アメリカの偉大さは人類の偉大さでもある。そのことは疑わないが過ちや行き過ぎもある。この関係でイラク攻撃についても語った。

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2005年10月29日 (土)

([日記」は、原則として、早朝に、前日のことを書いています。)

 「①群馬県老人福祉県民大会、②群馬県自治総合研究センター開所式、③警察官増員についての陳情で上京、④神田の学士会館で東大のサークルの総会」(28日)

 ①老人福祉大会は県民会館大ホールで行われた。「日本は、かつてない高齢社会で、その日本を支える大きな柱が皆さんです。皆さんが、健康、友愛、奉仕をかかげて、自立と社会参加を進めることが活き活きとした社会をつくります。皆さんのご活躍に感謝します。」(挨拶の骨子)

 ②自治研究センターは、県庁裏の元議会会館として使われた建物。「地方に権限が移り、地方の役割が増大しました。この流れを受け止めて改革を進めるためには行政のあり方を研究し、力を合わせる拠点が必要です。それがこのセンターです。実りあるセンターになることを祈ります。」(挨拶の骨子)同僚の県議や県職員など多数が参加した。

 ③センター開所式で挨拶を終えると直ちに新幹線で上京。待っていた東京事務所 渡(わたり)所長の案内で、9月議会で採択された意見書をもって二つの役所に陳情。警察官の増員を求めるもの。警察庁長官の安藤隆春氏と、国務大臣 国家公安委員長の村田吉隆氏に届けた。お二人とも忙しい中待っていてくれた。「良好な治安をつくるために200万県民が増員を切望しています。県民は、警察と力を合わせて犯罪防止に全力を尽くしています」と、私は訴えた。警察庁長官は、かつて、群馬で県警本部長をつとめた人で群馬の事情をよく知っておられた。

 ④神田の学士会館で東大弁論部の総会に出た。予定されていたスピーチでは次のような話しをした。「毎日、挨拶をすることが仕事で、いくつもやりますが、聞く人の心に届く話をするのは難しいものです。論理の組み立て、中味が大切なのはもちろんですが、その場の雰囲気をつかんで、心から心へ伝わるよう努力しています。」現役の学生が熱心に耳を傾けていた。
 その他、私の近著に触れながらシベリヤ強制抑留の話しをした。出席者の中には、衆議院議員の島津雄二氏もおられた。

(「日記」は、県政に親しんでもらうための小さなステップです。読んで下さる方に感謝。) 

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2005年10月28日 (金)

 「議員の海外調査団が出発した」(27日)
 今回は、教育環境づくり特別委員会の調査団である。学校、家庭、地域社会の連携による教育環境の整備、少子化対策、学校週5日制、等々について、イギリス、フランス、イタリア、トルコなどを訪れる。

 海外視察については、私を中心にした審査会が、調査場所、調査項目、治安情勢等々につき、細かく審査し、必要な助言なども加えてゴーサインを出した。

 議員の海外視察については、一般に、反対や批判もある。今回の視察についても、「調査の必要が生じてから行くべきで、初めから視察ありきというのはどうか」という考えが一部にあった。

 しかし、特別委員会の日頃の活動状況からして、海外の国から学ぶ必要は常にあると思う。例えば、「少子化」対策は、本県にとっての最大の課題の一つであるが、今回訪れるヨーロッパの国々の中には、特別出生率(女性が生涯に産む子どもの数)が、日本のように減少していたが社会環境を整えることによって回復に転じた国がある。調査団は、現地の実状を良く見てきて、本県の政策に役立てて欲しい。この他にも、障害を持つ児童の教育、学校週5日制など、同様な調査項目が多くあり、かなりハードなスケジュールである。身の安全については、万全を期していると思うが、懸念される国際情勢なので、所期の目的を成し遂げて全員無事帰国することを祈る。

 「群馬の新プロジェクトが国に採択された」(27日発表)
 24億円のうち半分を国が負担。研究の目的は家畜排泄物をガス化してエネルギーに変える等、畜産業に関わる新技術の開発である。バイオマスを有効活用して自然環境の改善を図ることも狙い。バイオマスとは、生物資源のことである。産学官連携の成果が問われている。数多くの提案の中から本県と奈良県が採択された。本県がバイオマスに関して、世界に先駆けた成果を上げることを期待したい。

「バイオマス」は、環境問題に関連して、今後、社会の最大の課題となることが予想されるものであり、関心を高めていきたい。

「日記」は、寸暇をさいて、続けています。受け止めてくれる読者に感謝します。

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2005年10月27日 (木)

 「中部国際空港を視察」(26日)
 全国議長会の翌日、多くの議長たちと、今年2月にオープンした空港を視察し、新鮮な驚きを覚えた。これは、愛知県名古屋市近郊、常滑(とこなめ)沖合いの海上空港である。

 3500メートルの滑走路を持つピカピカの空港島は、580ヘクタールの海面を埋め立てて作った。総事業費は、約1兆1千億円。24時間使えて、ジャンボ機が、アメリカ東海岸や南ヨーロッパなどへ直接飛ぶことが出来るという。
 空港内には、まちづくりという感覚の新しい工夫が多くあった。ちょうちん横丁やレンガ通りといった楽しそうな商店街がにぎわい、展望風呂も楽しめる。

 元気を失った日本と、よくいわれるが、この空港に立つと、日本の新しい可能性を肌で感じることが出来る。トヨタをはじめ日本を代表する世界的企業がこの地方には多くある。新しい空港は、これらの企業と人と情報が世界的規模で交流する拠点になることだろう。

 愛知は万博を成功させて意気盛んだが、ここも、日本の一地域なのだ。各地域が特色を生かして頑張ることが、その地域を活性化させ日本をよみがえらせる。これが、地方の時代の理想の姿である。日本の可能性を信じたい。

「全国議長会を振り返って思うこと」
 今年の議長会の総会は愛知県だったが、来年は山口県である。いろいろな形の議長会に出て、地方が真に力を合わせたら、その効果は大きいと思った。

 現在の議長会の大きな課題は、議会の活性化ということである。地方の役割が劇的に大きくなり、地方議会は、その使命を果たすために改革を迫られている。各県が真剣に取り組み始めた。本県の改革の第一歩は、議場を対面演壇方式に変えることである。議会改革検討委員会が頑張って実現の運びとなった。これにより、質問者も答弁者も、これまでとは違った、工夫を迫られる筈である。議会改革を実りあるものにするためには、県民の理解と参加が必要である。議長日記も、そのために、情報を提供する役割を果たしたい。
日記を読んで下さる方に感謝。

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2005年10月26日 (水)

 「全国議長会に出る」(25日)
 会場は、愛知県名古屋市の名古屋キャッスル。平成18年度の政府の予算編成に関して、地方の要望をきめて提出する会議である。これまで、いくつかの委員会に分かれて要望事項を審議してきたが、それを提出事項として、議決することが主な目的である。
 
会場のホテルは名古屋城の堀に面しており、見上げると緑の木々の間に、天守閣の金のシャチホコが誇らしげに輝いていた。このシャチホコも愛知万博では一つの役割を果たしたのである。
 総会では、地方自治、社会文教等6つの委員会の要望事項の議決の他、決議や研究会の報告等が行なわれた。
「以上決議する」として決められた決議案は、三位一体改革の実現を求めるものである。小泉内閣が推進している構造改革の中の最大の柱は「三位一体改革」であるが、まだまだ不十分で地方の要請にこたえていない、地方の自立につながる改革を真剣に推進せよというもの。
 地方の自立性を進めることが日本の改革には必要だが、そのためには縛りのない財源を認めよというのが三位一体改革の中心である。

「地方制度調査会」の報告の中に重要なことがいくつかあった。2点紹介したい。
 一つは、議会に、議会の招集を請求する権利を認めよというもの。現在、県議会を招集するのは知事の権限であるが、これは、地方議会が重要さを増す現在、誠に時代遅れなことである。
 もう一つは、知事の専決処分を制限しようとするもの。9月議会でも何十億という額が議会の議決を待っていられないとして先に執行された。議会重視の立場からは、専決出来るための要件を法律で決めるべきだというもの。
 この二つは、いつから法改正が行なわれるかと私が質問したら、来年の通常国会で実現する見通しだと総務省の課長は答えた。
 
夜の懇親会で愛知県知事は面白い話をした。
 万博の成功はリピーターが多かったことだという。最高は1人270回で、180日毎日訪れた人もいた。そして、平均は11回とか。リピーターが多いことは魅力がある証拠。これからのイベントはリピーターが多いことが成功につながると話していた。
 
トヨタが名古屋に大きな拠点を作ろうとしている。尾張名古屋は城でもつといわれてきたが、将来「トヨタでもつ」といわれるようになるかも知れない。

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2005年10月25日 (火)

 「首里城を訪ねて」(23日)
 沖縄を理解するには、その歴史を知らねばならない。慰霊祭の前に、沖縄で親しくなった安谷屋(あだにゃ)さんの案内で短時間だが首里城を訪ねた。沖縄の歴史が凝縮されている所である。日本で11番目に世界遺産に登録された。沖縄戦では、ここに、軍の司令部が置かれたため、首里城は攻撃され灰になった。現在の城は再建されたものである。今日、沖縄には、年間500万人が観光に訪れるというが首里城はその目玉である。この日も多くの修学旅行の学生が訪れていた。

 琉球王国が関わった中国の王朝は、明と清である。明(みん)は、モンゴル民族の元を北方に追って建てた漢民族の国であるが、明は戦力である大量の軍馬を琉球から買い付けたといわれる。このことが示すように琉球は、明との貿易を許され、優遇された。明の時代、日本は室町時代であるが、琉球は、中国ばかりでなく朝鮮や東南アジアとの交易で大変に栄えたのである。正に、大交易時代であった。

 明を亡ぼしたのは満州民族の清である。この時期、日本は江戸と重なる。江戸幕府は鎖国政策をとったが、琉球の、貿易の上での重要な立場は生かされていた。琉球は、薩摩の支配を受けながらも、清と朝貢関係(貢ぎ物を贈る関係)を保ち、盛んに貿易を行なった。幕府もそれを認めていたのである。つまり、琉球は、日本と中国の両方に属する関係にあった。日本にとってのメリットは、やはり貿易であった。琉球は、明治になって沖縄県となるまで、日本の中の「異国」だったのである。

「宮古島のサトウキビの話」
8月にブラジルを訪ねた時、サトウキビからアルコールをつくって車の燃料に使っていることを紹介したが、環境省は、沖縄の宮古島でこのアルコール生産の設備の建設をこの10月から始める。エタノールというアルコールである。これを3%混合したガソリンをつくり車を走らせようというもの。エタノールは、空気中のCO2を増加させない燃料として京都議定書に位置づけられているのだ。

大変な犠牲を払って立ち上がった沖縄は、地球を守るシンボルの県として発展して欲しいと思う。又、アジアに向けて開けた地の利を生かし、かつての大交易時代にかわる、人々の交流の楽園として栄えて欲しい。

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2005年10月24日 (月)

「摩文仁の丘、自殺の崖をのぞく」(23日)
 「群馬の塔」慰霊祭は炎天下で行なわれた。晩秋というのに南国の太陽はじりじりと暑かった。

 慰霊の式の後、摩文仁の岡の端にある断崖を訪ねた。岬の突端まで、木立の中をなだらかな坂道が続く。頂上近くに「黎明之塔」が立っていた。この塔は、いくつかの大きな岩を組み合わせた形になっており、黎明之塔と書かれた岩は、下方が鋭角となって中心部に突き立てているように見える。この岩は、刃(やいば)を意味しているのだ。案内をしてくれた安谷屋(あだにゃ)さんの説明によれば、この塔は、軍人が座して腹を切る姿を表しているという。

 この岬の下の洞窟で、昭和20年6月23日早朝牛島中将が自決し沖縄戦は終わった。日本軍の戦死は約11万、そして10万の市民が死んだ。

 突き出した岩に立つと、島を囲む青い海は静かに広がって、遥か彼方は青い空と海が一つに溶けあって見える。私は、この海面を埋め尽くしたアメリカの黒い軍船を想像した。追い詰められてこの崖に立った人々は、眼前の光景をどのような思いで見たであろうか。髪を振り乱した女たちの姿が目に浮かぶ。崖は垂直に切り立ち、人々が身を投げた青い樹林は深く静かに広がっている。崖から次々と身を投げる様は、軍艦からは大きな鳥が飛ぶ姿に見えたという。

 母は死んだが抱かれていた幼児は助かり、その泣き声は、若いアメリカ兵の頭にいつまでも残り、悩ませたという話を安谷屋さんは語ってくれた。

 沖縄戦では、アメリカの側も予想以上の犠牲者を出した。小さな島沖縄でこのような抵抗を受けたのだから、本土に上陸した時は大変な犠牲が出ると考えたに違いない。沖縄戦は、アメリカに本土上陸は困難なことと慎重にさせたのである。沖縄戦終決の直後、アメリカは、空前の巨費を投じて原爆を完成させた。直ちに実行された原爆の投下は、本格的な日本本土の地上戦を回避し、終戦を早めようとする意図の下で行なわれたことは明らかである。物言わぬ断崖を見詰めながら、沖縄戦が歴史の歯車を回転させる要素であったこと、そして、その歯車に巻き込まれた人々の死を思った。

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2005年10月23日 (日)

朝、5時起床。沖縄の空はまだ暗い。昨夜は、近くの「那覇」で、遺族会主催の前夜祭が行なわれた。団長は、挨拶で「群馬の塔」のこと、沖縄戦の最後に沖縄県民に多大な世話になったと言い残して自決した将のこと、そして世界の恒久平和を願うことなどを話しておられた。

 私は県議会を代表して挨拶した。
「戦後、60年がたち、あの戦争が忘れられようとしています。戦争の悲惨さを知らなければ平和の尊さも分かりません。ここ沖縄は壮絶な地上戦が行なわれた唯一の所で、多大な犠牲者が出ました。この戦争の悲惨さを受け継いでいるのは皆さんです。皆さんと共に戦争を後世に伝えていきましょう。」(私の挨拶の骨子)

 私の隣りには、旧知の玉村町長が座り、遺族会の人の中には、一緒にニューギニアへ行った伊勢崎の井上さんもおられた。

 沖縄の民謡や踊りが披露された。赤い衣装をつけたきれいな娘さんの姿には異国情緒があり、どこか中国を思わせる。歴史的に長く中国と関わってきたことを物語るものであろう。泡盛がうまかった。

 団長が話した「群馬の塔」は、群馬県戦没者沖縄慰霊塔建設期成同盟会が県民運動を推進し、募金により、昭和38年に建てたもの。同盟会の会長は、当時の県議会議長、飯塚国蔵氏である。「群馬の塔」の文字は、当時の神田知事が謹書した。塔の素材は全て郷土の銘石を使い、中央の柱は、三波石を郷土に向けて合わせた合掌型となっている。塔の立つ丘は、沖縄最南端、遥か海が望める糸満市摩文仁にある。ニューギニア、ソロモン、マレー、ジャワ、タイ、ビルマなど南の果てで亡くなった方々も祭られているのだ。

 酒を酌みながら簡単な方言を習う。ようこそはメンソーレ、方角は、西が入り、東が上がり、南はヘイで、北はクチとか。太陽が東から上がり、西の海に入るということなのだろう。西表島は、ここからイリオモテジマと読むのが分かる。クチというのは、北が日本本土に向けた口となるからだろうか。気付けば窓の外に、沖縄の青い空が現われた。

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2005年10月22日 (土)

その2


 早朝、出発前に日記を書いて、午前8時20分に家を出た。沖縄の慰霊祭に向けて、羽田を12時40分にフライト、午後3時15分頃、那覇空港に着いた。今、午後4時。ワシントンホテルの一室である。午後6時頃、遺族会の人たちとの会合がある。

 沖縄を理解するために、少しその歴史を振り返ってみる。沖縄は、明治まで、長い間「異国」だった。島津氏の支配を受けながらも、中国の属国という立場も続けていた。明治政府が強硬に廃藩置県の政策を進める中で、沖縄県となり、中国との関係を断って日本の仲間入りをした。

 沖縄は、近くの強国との関係に苦しんできたが、その歴史で最大の悲劇は、太平洋戦争で日本では唯一、住民をまき込んだ壮絶な地上戦の場とされたことである。私たちは同胞である沖縄に対する理解と思いやりが足りないと思う。物の豊かさにおぼれて魂を失ったといわれるゆえんである。明日の「ぐんまの塔」の慰霊は、群馬県のことだけではない。沖縄を考える機会にしたい。

 ふるさと塾で、コロンブスに始まる、新大陸とヨーロッパの遭遇についてしばしば話してきた。その流れの中で、いろいろな食べ物や移民の話をした。

 その中で、ジャガイモが南米ペルーあたりからヨーロッパに伝わり多くの飢えを救ったことに触れたが、沖縄との関係があるのはサツマイモである。イモは、南米からフィリピンに伝えられ、そこから中国を経て、中国と関係の深かった沖縄に伝わったらしい。このイモは台風や干ばつに強い作物として農民の主要作物になった。これは、薩摩に伝えられてサツマイモとなり江戸時代全国に広がった。

 貧しい沖縄県民の中には、移民として、生きる道を海外に求める者が多かった。沖縄の最初の移民は、ハワイであったが、やがて、ペルー・ブラジル・アルゼンチンなどへも多くが渡った。今年、南米を訪ねた時に見た移民の資料でも、沖縄出身者が目立った。今日の沖縄は、米軍の強大な基地をかかえ、緊迫する世界情勢の中で、相変わらず熱い渦中にある。

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10月22日(土) その1

「沖縄慰霊参拝の準備をする」(21日)
 22日と23日、「群馬の塔」慰霊参拝事業が行なわれる。

私は、群馬県議会議長として、「慰霊の辞」を述べる。形式を重んじる儀式なのだろう、巻き紙にしたためて読むことになるので、その文章を作った。

慰霊の辞を書きながら、私たちは、太平洋戦争における「沖縄戦」のことをもっとよく知るべきだと思った。戦争の悲惨さを知らなければ平和の尊さも分からない。このことは、平和呆けしているといわれる日本人が心に銘記すべきことだ。

沖縄戦の悲惨な事実は、住民を巻き込んだ言語に絶する激戦の中で生じた。沖縄戦の事実を、太平洋戦争の全体像の中に位置づけて、子どもたちにきちんと教えることは大切なことである。私は、以前、ひめゆりの塔を訪ねたとき、ミニスカートの女子高生が涙を流して資料を読んでいる姿を見たことがある。歴史や社会問題に無関心といわれる現代っ子も、ホットな心は持っているのだ。教える側にホットな心と工夫が不足しているのかも知れない。「鉄の暴風」といわれた猛攻を生き抜いた同胞の姿を改めて見詰めたい。沖縄のことは、現地を訪ねた上で改めて報告するつもり。

「県警の幹部が打ち合わせに議長室に見えた」(21日 正午)
今月28日、議長として、国に警察官増員の要請に行くことになった。最近の治安の状況は深刻である。来年度は、全国で3500人の警察官が増員される予定であるが、これを各県に配分することになる。
群馬県は、昨年は70名、今年は60名増えた。来年度も70名ほど増やしたいというもの。首都圏に近く高速道路が発達しているため本県は犯罪者の稼ぎの場とされているきらいもある。警察力の不足を補うことは、重要なことなので、私は、心して上京しようと思う。

「駐車対策に民間委託が導入される」
警察力の不足を補う意味もあって、駐車違反の取締りの一部を民間に委託することになる。警察権力を民間に託すとは、という反対もあるようだが、その心配はないと思う。放置車両を確認して標章を取り付けるという客観的な部分を民間が受け持つことになる(道交法の新たな改正)

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2005年10月21日 (金)

「盲目の青年に会う」(20日朝)
 北関東自動車道期成同盟会に向かう途中、前橋駅で盲導犬を連れた長身の男性を見かけ、声をかけた。犬はラブラドール、10歳とか。首に「仕事中です」と書かれた小さな板をつけている。もう寿命が近い、別れるのが辛いですと語る。黒いグラスの奥の表情を思い心を引かれる。

先日、視覚障害者の大会に出て、会長が点字を指で読む姿に驚いたことを話すと、この青年は、私はコンピューターで頑張っています、この箱が私の全てですと言って足下のバッグを指した。コンピューターに打ち込むのは自由に出来る、打ち込んでおいたもの、相手から送られたデータは音声に変換して理解すると語った。

ハイテクが闇の世界に温かい光を照らしていると思った。20代で光を失った。徐々にだったので環境を整える時間はあったという。現代っ子の若者が暗い地獄からはいあがる姿を想像した。大変だったでしょうねと言うと「周りの人が」とこたえ、「その恩がえしもしなければと思っています」、「自分の出来る範囲のことをやっています」と語っていた。「私たちも、出来ることは限られています」というと、「そうですか」と小声で言った。
私たちは、出来ることは限りなくあるようであるが現実にはごくわずかしか出来ない。可能性を無駄にしていると思える。この青年は、与えられた可能性を最大限に生かしている。心の目で私たちには見えないものを見ているのかも知れない。高崎駅までの時間はすぐに過ぎて若者は老犬と共に雑踏の中に消えていった。犬と別れる時が来るのが辛いといった言葉が耳に残った。

「東京事務所で後藤出納長に会う」(20日 正午)
 晴ればれとした顔をしていた。長い間の心理的苦痛から解放されたのだろう。適材が適所で手腕を発揮されることを願う。

「北関東道建設促進期成同盟会に出る」(20日 1時半)
 45%が完成。残りを早く完成させようというもの。いくつかある高速道路とのネットワークが出来、地域間の交流、発展の効果は極めて大きい。新潟中越地震で示されたように、災害時の緊急道路としての意義も大きい。群馬としては、1時間半で海に行ける。「海有り県」になるのだ。
私は監事として。監査報告を行なった。皇居の上の秋の空は、久しぶりに、抜けるように青かった。

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2005年10月20日 (木)

 「シルバー健康福祉祭の開会式に出る」(19日、9時半)
久しぶりの秋らしい空。8時40分に地元老人会のゲートボール大会で挨拶し、ぐんまアリーナに駆けつける。1200人程の高齢者が出席。高齢者とはいえ、皆若く見える。このように大勢の元気な高齢者が一堂に会する様子を見ると大きな時代の変化を感じる。
「日本は、世界一の長寿国となりました。しかし、大切なことは、健康で元気な長寿です。かつてない高齢社会を迎え、高齢者が世の中を支える大きな柱となっています。今、日本全体が元気のない社会だといわれますが、元気な高齢者が生きがいを持って社会参加できる社会が、真の意味の豊かな社会であり、活力のある社会だと思います。心と身体の健康のためには、スポーツや文化活動を日常生活に取り入れて生活習慣にしていくことが重要です。それを支援する社会的な動きをつくるために、本日の大会には大きな意義があります。怪我をしないように頑張ってください」(挨拶の骨子)

「群馬県議会史第九巻背表紙を書く」(19日)
毛筆で書くのだ。字は苦手で、手筋が悪いと決め込んでいた付けが回ってきた。末代まで残る議会史と思うと気が重いが、こういう議長の存在も議会史の中の小さな現実の一つなのだと思って覚悟を決めて書いた。尚、序文は、既に原稿を広報課に渡してある。

「京都議定書について知りたいと質問」(19日)
 2,3人の人から聞かれた。地球の温暖化を防止するためにその原因と考えられる温室効果ガスの削減を先進各国に義務付けたもの。温室効果ガスの代表が二酸化炭素(CO2)である。最大の排出国アメリカが加わらないことがネック。ロシアが署名して今年発効となった。国も県もCO2を削減するための具体的な努力を始めた。クリーンエネルギーの推進、森林の振興などもその例である。この「日記」でも、京都議定書のことは、折に触れ、取り上げていきたい。18日には、前橋市の農協ビルで、CO2を減らすための大集会があった。県民一人一人の理解と自覚が何よりも大切なのである。

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2005年10月19日 (水)

「視覚障害者福祉大会に出る」(18日、10時)
 関米一郎会長の挨拶を聞いて驚いた。視覚障害者の実情、福祉政策の問題点などを細かい数字をあげて詳しく訴えている。点字に指を走らせて流暢に話す姿を見ると指先に目がついているようである。後で、関係者が、あれ程正確に点字を読む人は、近頃、いませんと言っていた。人間の能力の凄さを感じた。
 私は県議会を代表して挨拶。
「関会長のお話を身が引き締まる思いで聞きました。そして、私たちは、皆さんのことに謙虚に耳を傾けて実情を知らねばならないと痛感致しました。私たちの社会は、基本的人権が尊重され、一人一人の人間の尊厳に最も大きな価値を認める社会です。従いまして、障害を持つ方が、その個性と可能性を活かして自立できる社会を実現しなければなりません。これがノーマライゼーションの本質だと思います。私たち県議会は、皆さんが自由に安全に活動することが出来、そして、皆さんを温かく支える社会環境をつくるために全力を尽くす考えであります」(私の挨拶の骨子)
 
「三山会総会で挨拶」(18日、1時)
三山会とは県議会のOBの方々の会である。会長は近藤英一郎氏。この日は、元社会党委員長の田辺誠氏も出席した。私は、県議会の役割がますます大きくなった今日、先輩のアドバイスを頂いて、それを生かしたいと挨拶した。
 
「ブラジルの県人会長、松田氏が訪れた」(18日、2時)
ブラジル訪問中の日記で紹介したが、松田氏はサンパウロの県人会長である。プロポリスの工場を経営している。再会のあつい握手を交わした。来日の目的は、仕事のことと、60周年式典のお礼だそうだ。義理堅いですねというと、にっこり笑って、日本人ですからと答えた。アマゾンに雨が降らず、水位が10メートルも下がっていると話していた。ここも異常気象か。広い土地を買って、日本の企業が木を植えると、CO2の吸収量が日本政府のものとしてカウントできることが京都議定書で認められるというので、土地の値が上がったと話していた。この点は後に説明する。

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2005年10月18日 (火)

 昨日は慌しい1日だった。午前7時半、同志会の総会。142号議案について一致した行動をとることを確認。9時、県議団総会。10時、本会議開会。

 注目の議題は、第142号議案、副知事二人制の条例案である。共産党の二人の議員は退場した。「二人制それ自体を審議するならともかく、後藤氏を副知事にするための二人制審議は不順な動機だ」というのが、審議に加わらない理由である。

 採択の結果は、反対多数で議案は否決された。自民党では岩上憲司議員が唯1人賛成。岩上氏は、県政塾の1人である。小寺支持の県政塾のメンバーが、岩上氏を除いて全員が同志会と歩調を合わせて、知事提案に反対したことは驚きであった。

私は、ここで休憩を告げた。休憩中、各会派は、知事の提案につき対応を協議することになった。知事は、各会派に、総務担当理事の高木勉氏を提案したい旨伝えた。自民党内では、県政塾、同志会、それぞれ分かれて話し合ったが、結果として、全員賛成ということになった。

直ちに、議運が開かれる。知事が出席し、「二人制の条例案が否決されたので、一人制の下で、副知事に、総務担当理事の高木勉氏を起用する案を提出したい」と述べた。議運で、この件は承認されたので、本会議が再会され、この議題は全会一致で可決された。2年にわたって対立していた問題が一挙に解決した瞬間だった。議会と執行部との新しい関係が始まる一頁になることを祈る。

私は、閉会に当たり、改めて挨拶したが、その中で大切な部分をここで紹介したい。
「今期定例会では、議会改革検討委員会から答申を頂きました。この答申では、本会議のあり方について対面演壇形式による一問一答方式の導入などについて早急に取り組むべきとの提言がなされております。議会の活性化に向けての斬新な試みとして期待されるところであります。議会といたしましては、答申の趣旨を大いに尊重して、一日も早い改革の実現に尽力してまいる所存であります」この対面演壇方式は、早ければ、今年の12月議会から実現の見通しである。

多少の粉糾も予想された今日の議会であったがあっけなく終わった。振り返って、副知事問題意外にも重要な課題が多くあった。それらもしっかりと受け止め、執行部と対等にわたりあえる議会の力が求められている。各議員が意識を高め、この力をつけることが、議会活性化の中心に据えられねばならない。9月議会から学ぶことは多い。

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2005年10月17日 (月)

 昨日、母の35日の法要があった。住職の法話を聞きながら在りし日の母を偲んだ。寺は、大手町、県庁舎の南の清光寺である。この寺は浄土真宗で、初代県令楫取素彦と多少の関わりがある。楫取の妻久子は、吉田松陰の妹で、熱心な浄土真宗の信者であった。当時、前橋にこの宗派の説教所はなかった。難しい県政に取り組む夫を助けたいという気持ちもあったのだろう。久子は、西本願寺の門主に頼んで説教所を開いてもらった。これが清光寺の前身である。

 高橋住職は、法話の中で語った。
「物質主義の世の中で、人は死ねば何もなくなってしまうという人もいます。しかし、この宗派は、そうは考えません。肉体は死んでも魂は残って仏になります」と。

 母は89歳の人生を生き抜いて、今、仏になったのであろう。微笑を浮かべた遺影を見て自然にそう思えた。
 下小出の墓に母の骨を埋めた。白い骨がさらさらと音を立てた。さようなら、母と過ごした日のことを思い出しながら別れを告げる。

 改めて人間の生と死を考えた。母の死は、人の死を身近なものとして考える機会であった。死ぬと一切が無に帰するのか、天国に行くのか仏になるのか、これは永遠のテーマである。

 しかし、死に至る過程が生の一部であることは間違いない。だから、死は、生の究極の姿であり、死に様は生き様なのだ。そして、死は、人にとって、この世の全てと別れなければならない、最も厳粛で切実な瞬間である。だから、人間の尊厳を重んじる社会ならば、人間の死に至る過程を尊重しなければならない。

 死に近い高齢者がベッドに縛られている姿は悲しい。母の姿を見てそう思った。何故、施設や病院で抑制が無くならないかが問われているが、そこには、日本社会の物質主義、死を生と切り離して軽く考える風潮が働いているのではないか。90歳近くまで、人間として生きることを放棄しなかった母の死は、さわやかだったと改めて思った。

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2005年10月16日 (日)

昨日は、第13回収穫感謝祭の開会式に出た。会場は県庁の県民広場である。前日から無数のテントが張られ準備が進められていた。

 県内の多くの団体が出店し様々の品物を販売する。同時に数多くの催しが行なわれた。催しの例としては県庁舎の県民ホールでは、「食の安全」、「農村の匠」(農業農村の名人)、庁舎2階では、小学生図画コンクール、又駐車場棟屋上では、パン、おにぎり、うどんなどの無料配布、などなどのコーナーがにぎわい、人々があふれていた。

 今日、16日は、国際交流まつりが行われる。私の関係する団体もいくつか出る。ここに出てみると、群馬県も国際化時代の大きな流れの中にいるのだなと、毎年、実感するのである。

 昨日のオープニングの式典では、私は、県会議員を代表して挨拶した。

「農業は昔から国を支え社会を支える基盤ですが、今日、農業は、ますます重要になってきました。農村、農業は、環境を支える基盤です。そして地域社会の大切な文化や伝統の支えです。最近は、食の安全、食料自給率の低下が深刻な問題になっています。又、「食育基本法」がつくられ、「食」を、生きることの大切な問題として考えることが重要視されるようになりました。「食育」とは生きる力を育むことなのです。これも、農業のあり方と結びつけて考える問題です。

 農業は、このように、私たちの社会を支え、私たちの健康や生命を支える大切な問題なのに、いまその危機が叫ばれているのです。収穫感謝祭の起源は、イギリスからアメリカに渡った清教徒たちが初めての収穫を神に感謝したことだといわれます。私たちも、農の恵みを感謝して、農業の大切さを改めて深く認識すべきだと思います。」(私の挨拶の骨子。)

 庁舎前のテントでは、拉致被害者の家族や支援者のテントが設けられ、同僚の山本龍・荻原康二の両県議が署名を呼びかけていた。日本人は、小さなことではよく怒るが、「私」を越えた大きなことに怒ることを忘れていると思う。正義の怒りを「公憤」というが、拉致問題は、正に、「公憤」をぶつけるべき対象である。私も署名した。

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2005年10月15日 (土)

 昨日は、早朝、議員の朝食会があった。今議会も終わりに近づき、17日は、最終日で重要議題を議決する日である。そこで、それらにどう対応するかについて意見交換をした。

 この日、11時から議運が開かれ、知事が出席し、重要な発言をした。「17日の本会議で、副知事二人制の条例案が否決された場合、休会にして、新たな提案をしたい」というもの。(条例案は否決される公算が大きい)  知事のこの発言は認められた。そこで、17日の本会議で条例案が否決された場合、休会となり、休会中に議運が開かれ、知事の提案について、手続上のことなどが話し合われる。そして、再開後、この提案が議決されるのである。

 ここで、後藤氏が出されるのか、第三者の名が出されるのか、2年以上続いたゴタゴタの決着が迫られている。緊迫した本会議になりそうだ。退席する知事を記者たちが追っていった。知事は、早期に決着させたい旨、記者たちに語ったようだ。

 地域安全運動群馬県大会に出る。(群馬会館大ホール ・ 土 ・ 午後2時から。)地域安全活動に尽くした多くの民間人、団体が表彰された。「安心して暮せる安全な社会は誰もが願うことです。かつて世界の奇跡とまで言われた安全な社会が、いま音を立てて崩れようとしています。凶悪犯罪が増え、銃を使う犯罪も増えています。これを食い止めるためには、県民が犯罪防止のために力を合わせなくてはなりません。犯罪防止推進条例が出来て、県民が自主防犯活動に動いた結果犯罪が減ってきたことは、このことを物語っています。だから今日の皆さんの受賞は大きな意義があります。」私の挨拶の骨子。
 警察本部長は、この席で、今年、群馬県の刑法犯認知件数が20%減少したと話していた。これを一時的な現象に終わらせてはならない。この大会の意義は、改善してきた群馬県の犯罪状況を更に進めるために県民の力を集結させる点にある。

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2005年10月14日 (金)

 昨日、前橋地方裁判所の呼び出しを受け出頭した。山岸氏の仮処分命令申立事件の審尋期日が昨日だったのである。山岸氏は、議場の秩序を乱したことで、当分の間、議会棟に出入りすることを禁止されていた。この禁止処分の取消を求める申立事件である。

 熊谷裁判官の下で、山岸氏と私は同じテーブルで、事実関係の確認をめぐって発言した。山岸氏は大きな声を出していたが、必要ない発言も多かったようだ。私は、次のように説明した。

「当事者として中村個人を表示しているが、この事件で私は当事者になることが出来ない。出入り禁止等の決定が出来る者は議会事務局長なのであって、事実、事務局長が決定したのだ」

 私の主張が認められれば、山岸氏は、当事者を間違えたということであって、申立は、却下されることになるだろう。傍聴がきちんと行なわれることは、県民が県政に参加する機会の確保にもつながる重大なことなので、事態の推移をこの場を利用してお知らせしたいと思う。

 群馬県議会史第9巻が近く発行となるが、議長として、序文を依頼されていた。昨日、寸暇を見つけて書き上げた。その内容は、県民の皆さんにも県政を知る上で参考になると思うので、ここで紹介したい。

 「第9巻は、昭和54年から昭和62年までの県議会の動きなどが主な内容になっている。県議会史はその名が示す通り、県議会の歴史を記すものである。県議会の歩みを記録し後世に伝えることは、広く県民にとっても、又、県議会の活動を受け継ぐものにとっても重要なことである。現在の県議会の活動は、過去の歩みを踏まえ、その実績を受け継いで行なわれており、これを振り返ることは、未来を見据えた新たな問題にのぞむ場合にも重要だからである。
 明治12年に群馬県議会がスタートしてから、昭和54年で100年となるが、この間、世界の舞台に登場した日本は、様々な出来事を体験した。そして、群馬県も歴史の波にもまれながら大きく発展してきた。第9巻で扱う期間は、日本の社会が、国際社会の中でダイナミックな動きを示した時であり、群馬県もそれと連動して激しく動いた時期であった。そして、21世紀へ向かって力を蓄え、準備する時期でもあった。
 この間の、本県が関わる大きな動きといえば、まず、上越新幹線の完成と関越自動車道の開通がある。この時期、県民の車の保有台数も大幅に伸び、  マイカー社会の到来が現実化し、又、高速交通時代へ大きく近づく時代であった。
 教育の面では県立女子大学の開学があり、重大な社会問題としては、人口の高齢化が急速に進み始めたことがあげられる。
 又、県民の力を集結した明るい出来事としては、昭和58年の「あかぎ国体」がある。天皇、皇后をお迎えして輝かしい成果をおさめた。このことは、県民が自発的に力を合わせればいかなる難問も解決し得ることを示したものとして、その意義は大きい。21世紀の今日、県民参加の時代が進む中で、自信と勇気を与えてくれる出来事である。」
 昭和天皇は、会場にあふれる県民の姿を見て、半世紀前の群馬のある出来事を感慨深く振り返っておられたかもしれない。
 それは、1934年、昭和9年の陸軍大演習に来県された時のことである。時代は、風雲急を告げていた。満州国建国(昭和7年)、国際連盟脱退(昭和8年)などの動きの中で、日本全体が戦争突入に向けて急角度の軌跡を描いているときであった。
 この年、昭和天皇は、大演習の後、各地を行幸されたが、その時、有名な誤導事件も起きた。この時代の県議会の動きも興味あることである。歴史の教訓を生かして、群馬の発展を願うとき、このような過去の出来事に思いを致すことも大切なことである。

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2005年10月13日 (木)

昨日は早朝から上京し全国議長会に出た。会場は、都道府県会館である。ここには、各県の事務所があり、群馬県の東京事務所もこの会館の8階にある。東京事務所は群馬県の前進基地。所員がきびきびと動いていた。

 議長会のことを簡単に説明する。正式には全国都道府県議長会である。5つの委員会があり、各委員会は、それぞれの所管事項について、調査、研究等を行う。5つの委員会とは、地方自治、社会文教、経済産業、国土交通、農林環境の各委員会である。各県の議長は2個の委員会に属することになっている。私は、社会文教委員会と農林環境委員会に属している。

 この議長会は昭和45年に設置され一定の役割を果たしてきたが、近年にわかにその存在意義が大きくなった。昨日の日記に書いたように、地方分権一括法によって地方議会の役割が増大したからである。その例として、今話題となっている三位一体改革に関して、地方としての主張を議長会がまとめて国に強く働きかけている事実がある。

 昨日の農林環境委員会では18年度政府予算に関していくつかの重点要望事項を決めた。
 その中で注目されるものは、農業と「食の安全」である。農業では食料自給率を向上させるための政策が議論された。現在40%を切ってしまった自給率を向上させねばならない。食の安全については、遺伝子組換え作物、農薬の適性使用、輸入農産物の残留農薬検査の強化等が問題になった。これらは、私たちの生命、健康に関わる重大事である。

 川崎市長選の選挙事務所を訪ねた。私の著「望郷の叫び」の帯に書評を書いた阿部孝夫氏が2期目に挑戦している。今月9日に公示、23日が投票日である。約束の時間に待っていてくれた。大きな通りに面しているが事務所はそれほど大きくない。小さな事務所で大きな票を得ることが最近の選挙の理想である。その昔、駒場寮の同じ部屋でベッドと机を並べていた頃が偲ばれる。福島の田舎から出てきたあの頃の素朴な面影が私と話しているうちによみがえる。当選を祈って握手を交わした。

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2005年10月12日 (水)

 昨日は、9時半から自民党の県議団総会が開かれた。主な議題は、議会改革に向けての経過報告である。松沢議員が行なった。

 今、時代の大きな流れの中で地方議会が変わろうとしている。昨日の議題も、この点に関する重要課題であり、今年中にも、目に見える形の大きな改革が実現する見通しである。

 地方議会に関わる時代の大きな流れをつくり出しているものは、「地方分権一括法」である。地方分権一括法は国と地方の関係を上下から対等のものに変えた。それを実質的に進めるためには国が握っていた権限を地方に分けなければならない。これが分権であり、ここから、地方分権一括法の名が付けられている。行き詰った日本を元気にするためには、地方のことは地方に任せるべきだという思想が根底にある。

 そこで、地方の役割が大きくなる。地方議会は、その役割を果たさねばならない。そして、そのためには、議会制度を改革してゆかねばならない。昨日の議員団総会の議題の重要さはここにある。

 議会には、この問題に取り組むために議会改革検討委員会が設けられており、委員長は松沢睦氏である。朝の議員総会で了承が得られたので、この日の委員会で審議され、改革の内容と今後の進め方が決められた。その中の重要なポイントを一つ紹介したい。冒頭で、今年中にもと書いたことである。

 それは、対面演壇方式の採用である。現在の議場は、質問者は仲間の議員の方を向いて発言している。これを、知事や理事など答弁者と対面して質問する形に改めようとするもの。形を変えることにより、やりとりも生き生きとなることが期待される。議員の一層の切磋琢磨が求められる。

 昨日、石倉町のロングサンドホテルで1時間講演を行なった。演題は、シベリア強制抑留の真実。映像を使っての話なので、パソコンとプロジェクターを自分でセットし操作した。機器に弱い私も必要に迫られて何とかこなすようになった。話は好評だったようだ。求められれば、スケジュールの許す限り、出かけていくことにしている。

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2005年10月11日 (火)

 阿川弘之著・井上成美を書棚から出して読む。昔読んだことがある書である。井上成美(なるみ)は、太平洋戦争の時の海軍大将で、三国軍事同盟阻止に全力を傾け、無謀な対米開戦に反対した。戦時下にあっては海軍兵学校長を勤め、終戦後は、自宅に隠棲し英語塾を始めた人である。

 私は、塾生を教える井上の姿に心を打たれたのである。塾で学ぶ子どもたちの雰囲気、行儀作法、言葉づかいが最初の一週間で見違えるほど変わるという。別に厳しい指導をするわけではない。井上は、子どもたちが脱ぎ散らかした履物を黙ってきちんと揃える、英語を使って、目上の人、女性、弱い者に順番をつけてゆずる動作をしてみせる。子どもたちは、自然にそれを学び身につけるというのである。

人の心がすさんでいた時節である。近くには手のつけられない悪童たちがいたが、彼らは井上を駐在より恐れた。しかし、塾に通う子どもたちは塾が楽しみで、学校を休んでも塾を休むのを嫌がり、中途で止めるもの者はほとんどいなかったという。私も塾をやっていたことがあるので、当時のことを懐かしく思い出す。

子どもを教えるということは難しいことである。和やかな雰囲気で教えている時も、全人格、全存在をかけて子どもに向き合わねばならない。子どもたちは、井上の内面から出るものを敏感にとらえていたに違いない。

ところで、この9月議会で不適格とされた教師のことが取り上げられた。研修を受けて教室に戻った教師もいたが、どうしても改善が認められないで、退職した人がいたのである。この人は、依頼退職という形が認められたので割りの良い退職金をもらった点も問題にされた。

不適格と判定された教師は7名ということであったが氷山の一角だという人もいる。このような人を採用試験で選ぶ側にも責任があると思う。適格な人物を責任をもって選んで欲しい。

 地域社会には、井上のような人物が多くいると思う。そのような人物の本物の体験に触れさせることが大切である。地域の教育力を生かすことを、教育委員会は、真剣に考えるべきである。

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2005年10月10日 (月)

11月20日の県民マラソン10キロコースに申し込んだ。これまでに数回完走の実績がある。因みに、昨年の記録は59分30秒であった。

 私はふるさと未来塾で毎月歴史の話をしており、人類の歴史に関心をもっているが、今、私たちは一番良い時代に生きていると思う。与えられた命をどのように生きるかは、その人の人生観にもよるが、健康でなければ人生観を貫くことも出来ない。健康は人生の宝である。

 ところで、今日、寿命は延びたが、唯生きているだけという悲惨な高齢者が多い。明日は我が身ということを考えると他人ごとではない。高齢社会を生きる者の宿命ともいえるが、生活習慣を整えることによって健康寿命を長くすることができると言われている。高齢者に限らず、生活習慣病で倒れる人は非常に多い。

 生活習慣をコントロールするには、目標を立て、それに向かって運動をしたり摂生につとめることが大切だと思う。私は、10キロマラソンが近づくと体重を減らすことに気を使い、時間を見つけて走る練習をする。私に習ってくれる県民の方が少しでも増えれば嬉しいと思う。

 健康といえば、県民の健康を支えるために、県立四病院がある。この議会で、その赤字対策が取り上げられた。登壇した病院管理者は、「経営は最も不得意で・・」と不用意に発言したので議会からヤジが飛んだ。

 医療の質と効率的な経営、これは両立させなければならない。日本一の県立病院を目指して、愛県債が既に100億円も発行されていることを重く受け止めなければならない。

 かつて香川県の坂出市立病院を視察したことがある。ここは、自治体病院の中で最悪の赤字であったが、院長の決意と実行で黒字に転換させたのである。私は、当時の塩谷院長を招いて、多くの医療関係者に聞いてもらったことがある。塩谷先生の声は真剣に受け止められたのであろうか。この病院改革は、折りを見て日記で取り上げたいと思っている。

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2005年10月 9日 (日)

昨日は、群馬県エルピーガス協会の創立50周年記念式典に出た。小寺知事が出席し、議会で副知事が認められなかった事について説明していた。前日の「母子家庭福祉大会」の時と同じだ。この調子だとどこでもやっているのかも知れない。執念というべきか。真意を計りかねる。
 
 私は、県議会を代表して挨拶したが、LPガスについては重要なポイントが幾つかある。LPガスは石油液化ガスのことで、何種類かあるがプロパンはその代表的なものである。

 特色の一つは、利便性である。災害の時、復旧が容易ですぐに対応できる。この点は、阪神大震災などで実証済みである。

 もう一つの大きな特色は、化石燃料の中では、二酸化炭素(CO2)の排出量が最も少ないことである。化石燃料とは、石油、石炭、天然ガスなどでLPガスもその一つ。私は、京都議定書と結びつけてこの点に触れた。

 過日、南米からの帰途、私たちの前を北上したカトリーヌやその後のリタのような巨大ハリケーンの多発も二酸化炭素(CO2)などによる地球温暖化が原因とみられている。日本でも、この温暖化が原因と考えられる異常気象が通常化している。このままだと大変だ。地球環境は来るところまで来てしまったという危機感から生まれたのが「京都議定書」である。

 これが発行して、日本は具体的にCO2を削減する義務を負うことになったが、一般県民の危機感はまだ薄い。是非関心を高めて頂きたい。

 18年度の各省庁の重点施策には、京都議定書対策がいくつか予定されているが、その一つに、環境省の「ソーラー大作戦」がある。太陽光発電システムを導入した家庭に、CO2の削減量に応じた助成を行なうものである。群馬県も具体策の検討を始めているが、県民の関心が高まらないと進まない。それらは折りに触れ説明したい。子どもたちにとっては生きた理科の教材である。先生は、この点を意識して取り組んで欲しい。

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2005年10月 8日 (土)

         

 昨日の日記で、裁判所から呼出状が届いたことに触れたが、そのことについて知りたいというアクセスが何件かあった。私が議会の傍聴について関心を高めて欲しいと願っている事と関連するので簡単に記す。

 Yという人物は傍聴のルールに従わないので、過日、私の責任に於いて議会棟に入ることを禁止したが、これに対して、Yは、禁止処分の取り消しを求めて、前橋地裁に仮処分の命令を申し立てたのである。今後の傍聴の秩序を確立するためにも、きちんと対応する考えである。

 昨日、「母子家庭・寡婦福祉大会」が市民文化会館で行われた。これに主催者として小寺知事が出席。挨拶では、副知事問題にかなりの時間をさいていた。知事の頭は、まだこの問題でいっぱいなのかもしれない。

 私の挨拶の骨子は次のようなものであった。「私達の社会を支える理念は、一人一人の人間を大切にすることです。そこでは、いろいろな形の人生、いろいろな形の家庭が社会に受け入れられることが大切です。だから、母子家庭も地域社会が温かく受け入れねばなりません。母は胸をはって堂々と生きる事が出来、健全な子どもを育てることが出来ること、これが母子家庭の自立だと思います。行政はそのために支援の手を差しのばさねばなりません。県議会もそのために皆さんと力を合わせて頑張ります。」

 最近離婚が増えて母子家庭が増加しているという。母だけで経済を支えて子どもを育てることは難しいことだ。
 
 私が訴えたいことは、経済のことだけでなく、母子家庭に対する偏見をなくして、母子が精神的にも明るく生きられる社会状況をつくり出すことの大切さである。

 
 私のホームページがブログになった。これによってアクセス数が増えたが、県庁の職員など公務員は、アクセスができないらしい。そこで、従来通りのものと二本立てでゆくことにした。ブログについても研究して
読みやすいものにしていきたい。日記が情報の広場になればと願っている。


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2005年10月 7日 (金)

議運(議会運営委員会のこと)は、いつもはスムーズに短時間で終わるが、昨日の議運は、いつになく緊張感が走り、時間も長くかかった。

 当初、知事の出席はないものとして「流れ」が予定されていたが、急きょ出席となったのである。知事の気構えが伝わってくるようであった。

 委員会が始まると各会派の代表から、いろいろな意見が出た。
 その中に、自民党の幹事長の重要な指摘があった。それは、知事は、「その方は昭和60年に登壇して以来一度も登壇していない」と言っているが、事実は違う、平成5年度は新庁舎建設委員長として3回、平成7年度はダム・幹線交通特別委員長として4回、平成15年度は予算特別委員長として1回、登壇している。というものであった。

 幹事長が話す間、「委員長」と大きな声で知事が発言を求める場面が二度あったが認められなかった。そして、全会一致で知事の発言は取り消すべきものとなった。共産党も珍しく意見が合う。
 
次は、どの部分を取り消すかに関して議論がなされ、「登壇していない」と言うところを中心とした箇所が決められた。
 
ここで知事の発言が許される。知事は、弁明し意見を述べ、そして、「取り消すつもりはありません」と顔を紅潮させて言った。
 そこで、問題の部分を削除すべきものと決まった。
 総務常任委員会では、副知事二人制の条例が審議され、5対2で否決すべきものと決まった。2人は自民・県政塾の1人とフォーラムの1人である。
 議運の「削除」、総務委の「否決」は、それぞれ、改めて今月17日本会議で審議される。
 
ホットな一日であった。なお、いつもは、傍聴人のいない、総務委の5つの傍聴席がいっぱいであった。関心の高さを示すものである。
 
帰宅すると、前橋地裁の呼出状が届いていた。例の傍聴人Yの仮処分命令申立書に基づく呼び出しである。申立理由には明らかな事実誤認があり、全体として、取るに足らぬものと考えるが、後の日記で多少紹介することになろう。

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2005年10月 6日 (木)

 昨日、警察学校の入校式に出て驚いた。入校して間もない若者が大きな声で返事をし、きびきびと一糸乱れぬ行動をしていた。学校側の教育方針もあろうが、警察官という職務に臨む若者の心意気が彼らを動かしているのであろう。現代っ子も、心の持ち方とまわりの環境次第で大きく変わることが分かる。

 私の挨拶のポイントは次のようなものだ。

「私たちは皆、誰もが安心して暮せる社会を願っていますが、そのためには良好な治安がなにより重要です。ところが最近の社会は、犯罪が増え、かつて、世界で最も安全な国といわれた神話は音を立てて崩れています。これを食い止めるために犯罪に立ち向かう皆さんの使命は誠に崇高です。強い警察力が求められますが、同時に、民主憲法の下の警察官として、人権の尊重や県民との信頼関係も求められます。そのためには、豊かな知識、高い志、強い信念、そして力が必要です。警察学校では、これらをしっかり身につけて下さい。」

 式の後のちょっとした懇談の席で、「一般の若者にも心と身体の厳しいトレーニングの機会があるといいですね」と言うと、「徴兵制度のような、ね」と、誰かが笑いながら応じた。この人は冗談を言ったのだと思うが、この種の話になると必ず、徴兵制や教育勅語のことが出る。亡霊に目を奪われることなく、新しい時代の社会の基盤を見詰めねばならない。

 昨日午後、総務常任委員長の小野里県議と織田沢副委員長が議長室を訪ね、知事の出席は求めないことにしたと報告した。私は、これを受けて、この旨を文書で小寺知事に通知した。副知事二人制の条例案について、この委員会で審議することになっており、知事は説明のため出席を求めていたのである。

 今朝は9時30分から議会運営委員会が開かれる。4日の知事発言(議場の声に答えた不規則発言)についての対応を協議することになる。

 私の議長日記を見て意見を寄せられる方が増えてきた。県政に関心を持って頂くきっかけになれば嬉しい。多くの県民が県政に注目するようになれば、県政は着実に変わるに違いない。

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2005年10月 5日 (水)

知事の不規則発言

昨日は、本会議最後の日、議場にちょっとした波乱があった。知事の不規則発言である。原議員の質問に答える中で、議場の声に答える形で自分の意見を述べたのだ。ヤジをとばす人は、なぜ登壇して発言しないのか、この人は、昭和60年以来一度も質問していない、これでは民主主義に反する、というような発言内容だった。この問題は6日午前9時30分に議運を開き対応を協議することになった。知事も感情に走った感がする。


問題点はどこにあるのか。議長としてではなく一個人として考えを述べてみる。

(1)長老支配ということが言われるが、議員仲間の会合は何回となく行なわれ、自由な発言が活発になされる中で一つの方向が出来ていった。グループ内には民主主義が行なわれていたと信ずる。

(2)議員たちが重視した要素の一つとして、敢えていえば、後藤さんに関する評判が非常に悪いということがあった。議員のところへ匿名の手紙が寄せられたこともあったらしい。それは全て客観的事実なのかということも問題であるし、有能で厳しい上司に対する部下のいじけた見方というものもあるかもしれない。しかし、人物の適性を判断する場合、このようなことは重視せざるを得ないのではないか。そして、問題点があれば、オープンな場で言ってくれといわれても、個人の人格に関わる評価は、言えないことだと思う。人物を判定し選ぶ場合、このようなことは常につきまとうことではなかろうか。
 
(3)知事は、議会が否決した事実を重く受け止めたというが、それなら何故同じ人物にいつまでもこだわるのであろうか。後藤さんが有能な人物であることは私は疑わない。又、南米に同行して、周囲に大変な努力をしている姿も見た。心に期するものがあるのかと思った。しかし、二年以上もの間、他の人材を探そうとしなかったという事実は重い。本当に人材はいないのか。1人の人にこだわることは、県民を信頼していない姿にも映る。
 
(4)副知事二人制という案、それ自体は考慮に値する。昨日の原氏も、外国人を副知事にと発言していた。外国人は制度上不可能だが民間人の登用とか女性副知事とか時代の要請として議論する意義はあるのだろう。しかし、今回は、後藤氏を起用するための奇策として二人制が出されようとしている。純粋に二人制が議論されないのは残念だ。

(5)連日のように、副知事を早く置いてくれと議長室に要請が来る。私も早く副知事を設けた方がよいと思う。恐らく誰もがそう思っている。しかし、些細な事の積み重ねが溝を深めてゆく、愚かなことだ。

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