2026年7月21日 (火)

「宇宙時代に突入した衝撃。知的生命体は現実の隣人である」

◇天の一角が破れてそこの大量の水が一気に落下するかのような雨であった。それは県内で17日から18日にかけての記録的な豪雨のことである。85年の人生でも珍しいことに思えた。昭和22年のカスリン台風を思い出す。小学校一年の時であった。通学路にかかる二つの橋が落ちた。大自然の脅威を人生で最初に見せつけられた瞬間だった。目の前の赤城山が動き出して来るように感じられて恐かった。岩をかむ激流は狂った怪物のようであった。同級生の兄さんが足を滑らして流され命を落としたのはこの時である。この台風の惨状は戦後の森林政策が一因であったに違いない。台風が去った後、流木や岩が山のように重なり被害の凄さを物語っていた。振り返ればあの出来事は異常気象のスタートだったのかと思われる。今日、すっかり常態化した異常気象であるが、あの頃が異常の始まりだったものと思われる。今、地球は未曾有な変化の中にある。開闢以来という言葉があるが正にそれである。我々人類はこれまでも壮大な変化の渦の中で生きてきたが、今、全く違った局面に突入しつつあるのだ。今こそ宇宙時代という表現がふさわしい。宇宙時代にあって何を考えるべきか。それは他人事でなく私たち一人一人にとって切迫した問題なのだ。第一の最大の課題は知的生命体の存在である。知的生命体とは何か。人類を基準に考えればそれは心があるということである。そして心は不思議な存在である。それはあらゆるものを生み出してきた。歴史を振り返れば、心が描いたものは、そのほとんどが全て実現してきたといえる。心こそが魔法のランプなのだ。そこで、心と神とのつながりを考えないわけにはいかない。神話の世界は仮想のものか。アダムとイヴの物語は全くの空想なのか。どの民族にも神話がある。それは民族の心の源になっている。科学が進歩して、あらゆることが合理的に説明される時代が到来した。しかし全てを科学的に理詰めで語ろうとするのは人間の思い上がりではなかろうか。科学で語れないところにも真理が埋もれているに違いない。古代人が持っていた未知なる力を現代人は知らぬうちに失いつつあるのではないか。科学万能というが、それは科学に対する謙虚さを失いつつある証拠かも知れない。私たちは現在宇宙時代の極致ともいうべき膨脹宇宙のただ中にいる。知的生命体たる宇宙人は現実の隣人である。宇宙人はSFの世界のものではないのだ。私たちは無限に広い銀河の中の一粒の存在なのだ。私たち自身が革命的に変化する時なのだ。(読者に感謝)

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2026年7月20日 (月)

「宇宙時代に突入した衝撃。知的生命体は現実の隣人である」

◇天の一角が破れてそこの大量の水が一気に落下するかのような雨であった。それは県内で17日から18日にかけての記録的な豪雨のことである。85年の人生でも珍しいことに思えた。昭和22年のカスリン台風を思い出す。小学校一年の時であった。通学路にかかる二つの橋が落ちた。大自然の脅威を人生で最初に見せつけられた瞬間だった。目の前の赤城山が動き出して来るように感じられて恐かった。岩をかむ激流は狂った怪物のようであった。同級生の兄さんが足を滑らして流され命を落としたのはこの時である。この台風の惨状は戦後の森林政策が一因であったに違いない。台風が去った後、流木や岩が山のように重なり被害の凄さを物語っていた。振り返ればあの出来事は異常気象のスタートだったのかと思われる。今日、すっかり常態化した異常気象であるが、あの頃が異常の始まりだったものと思われる。今、地球は未曾有な変化の中にある。開闢以来という言葉があるが正にそれである。我々人類はこれまでも壮大な変化の渦の中で生きてきたが、今、全く違った局面に突入しつつあるのだ。今こそ宇宙時代という表現がふさわしい。宇宙時代にあって何を考えるべきか。それは他人事でなく私たち一人一人にとって切迫した問題なのだ。第一の最大の課題は知的生命体の存在である。知的生命体とは何か。人類を基準に考えればそれは心があるということである。そして心は不思議な存在である。それはあらゆるものを生み出してきた。歴史を振り返れば、心が描いたものは、そのほとんどが全て実現してきたといえる。心こそが魔法のランプなのだ。そこで、心と神とのつながりを考えないわけにはいかない。神話の世界は仮想のものか。アダムとイヴの物語は全くの空想なのか。どの民族にも神話がある。それは民族の心の源になっている。科学が進歩して、あらゆることが合理的に説明される時代が到来した。しかし全てを科学的に理詰めで語ろうとするのは人間の思い上がりではなかろうか。科学で語れないところにも真理が埋もれているに違いない。古代人が持っていた未知なる力を現代人は知らぬうちに失いつつあるのではないか。科学万能というが、それは科学に対する謙虚さを失いつつある証拠かも知れない。私たちは現在宇宙時代の極致ともいうべき膨脹宇宙のただ中にいる。知的生命体たる宇宙人は現実の隣人である。宇宙人はSFの世界のものではないのだ。私たちは無限に広い銀河の中の一粒の存在なのだ。私たち自身が革命的に変化する時なのだ。(読者に感謝)

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死の川を越えて 第248回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 重監房の存在は、軍靴の音と共にハンセン病患者の胸に重くのしかかった。中国大陸における戦雲はますます急で、国家総動員法は国民精神総動員の呼び掛けと一つになってあらゆる物と人を戦争へと駆り立てていた。国を挙げてのこのような動きは、ハンセン病の人々の耳に「お前たちも戦争に協力せよ。お前たちは国のために何ができるのか」と急き立てているように思えるのであった。

 正助は居たたまれないような声で万場老人に向かって言った。

「先生、社会の動きは俺たちにお前たちは存在意義があるのかと問いかけているように思えてなりません。あのドイツ人宣教師カールさんのことが思い出されてならないのです」

「おお、正助よ、わしも今同じことを考えていた。ドイツは大変なのじゃ。あのヒトラーが独裁政権を握って、条約を無視して軍備の増強を大々的に始めたそうじゃ。国民は熱狂的にこの男を支持しておるらしい。国民を煽る演説のうまさは天才的で、国民は酔ったように、熱にうかされたように一つの方向に突き進んでいるらしい。非常に危険な兆候で、このままでは欧州は世界大戦に突入するかも知れん。前からわしが心配しととることは、日本が同じような方向に進んでいると思えることじゃ。行き着く先はわれわれが生きるに値しないという烙印を押されることじゃ」

 万場老人が恐れていたことが実現されるときが来た。重監房が設置された翌年の昭和14(1939)年、ヨーロッパを中心にして第2次世界大戦が勃発したのだ。ドイツの破竹の躍進は日本軍と日本国民を大いに刺激した。万場老人が語るヨーロッパの情勢を聞いて正助が不安そうに尋ねた。

「俺たちはどうなるのですか」

 これに対して今まで黙って聞いていた水口が口を開いた。

「ドイツではひどいことが起きています。ヒトラーはドイツ民族の優秀性を貫くためにユダヤ人を消し去ろうとしています。なぜかというと、ユダヤ人のために前の大戦では負けたと信じているのです。ドイツからユダヤ人を抹殺し、ドイツ民族の血の純粋性を守ることで初めてドイツは一つになって戦える。だからこの戦いに勝つためにユダヤ人を消滅させることが必要だという考えです。つまり、ユダヤ人は生きるに値しない命だというのです。恐ろしいことです。この思想が日本に本格的に影響することを私は恐れています」

 水野の言葉は現実のこととなりつつあった。

 つづく

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2026年7月19日 (日)

死の川を越えて 第247回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

「私は長島事件について詳しく聞いております。ひどい状態に対して患者が怒りを爆発させたそうですね。常に定員を大幅に超え、居室は極端に狭く、食事も不十分、作業賃までカットされた。ついに患者たちは作業スト、ハンストをやり、施設幹部の辞任を求め、自治活動の権利まで要求するに至ったといいます」

 水野は熊本県庁にいるかつての生徒、副島から細かく報告を受けていたのだ。副島は報告書の中で、厳しい時代状況がハンセン病の生徒の患者にしわ寄せとなって気の毒だと感想を述べていた。古田園長も同じようなことを語った。

「長島愛生園だけでなく、不穏な空気が全国の療養所に広がっています。中国で戦争が広がる中で、国も殺気立っています。物質は不足していますから、ハンセン病どころではないという状況で、国立療養所はどこも締め付けが厳しくなり患者の反発も起きます。不穏分子を厳しく取り締まらねばということで、特殊監禁所の提案となりました。

 草津が候補地に上がった時、まさかと思い、私は反対しましたが、世界に誇る文化施設にする、厳しく罰するだけでなく、温泉を利用して病気を治しながら悪い性格も直すという理屈で押し切られました。その後、この園の中にあのような建造物が造られてしまったことに、だまされたという思いとともに怒りを覚えます」

 こう言って、園長は話を無銭飲食の清水佐助に戻した。繰り返す犯行に手を焼いていたので懲らしめて反省させるつもりだったのだ。そして言った。

「皆さんの話はよく分かりました。清水もずいぶん反省したことでしょう」

 こうして、清水は特別病室入室は一日で釈放された。

 このことは直ちに園中に伝わり、同時に特別室の実態が知られ、恐怖の象徴となった。患者たちは苛藤精市をますます恐れ、人々の心は萎縮していった。清水の事件によって特別室とな名ばかりで、実は犯罪人を扱う牢屋であるから監房と呼ぶにふさわしい、しかも特別の重罪を扱う監房というべきだから重監房だということになり、いつしか重監房と呼ばれるようになった。

つづく

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2026年7月18日 (土)

死の川を越えて 第246回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 園長を訪ねると、万場老人がまず口を開いた。

「栗生園開園に至る歴史は園長も十分にご存じのはず。特別病室なるものが、あれよあれよという間に造られた。驚きじゃ。現在、非常時であることは十分承知しております。国には深い考えがあると思うが、開園に至る経緯には国家のわれわれに対する約束がある。特別病室の運営にはこの歴史に十分な配慮を願わねばなりません」

 園長は、一瞬たじろぐ表情をみせたがぐっとつばを飲み込んで言った。

「分かっております。それを承知しているが故にあそこはできるだけ使わないように心掛けておるつもりです」

 この時、正助は身を乗り出すようにして言った。

「湯の川には、世界にも礼がないと言われた患者たちの自治の組織がありました。私たちはハンセンの光が発するところと誇りを抱いてきました。当時の牛川知事は、移転の時はこのことを尊重して理想の場所に移すと約束されました。内田内務大臣も湯の川を視察され、湯の川の人たちが助け合って生きている姿に感動し、療養所を造るについては、実際にこの辺りを私たちと一緒に歩かれ、私たちの願いが実現できるようにすると約束されました。さらに申し上げるなら、地元の国会議員木檜泰山は帝国議会で、湯の川地区の素晴らしさを取り上げ、新しい療養所はいかにあるべきかを強く訴えてくださいました。そのようにしてやっと実現したこの草津栗生園です」

 正助は一気に語った。正助の胸には、内田大臣や木檜代議士などを案内して、この辺りを広く歩いた光景、そして幼い正太郎と共に県議会に出かけてひげの先生たちの前で湯の川のハンセン病の光について訴えた姿が描かれていた。

 古田園長は、正助の熱い口元を見つめ時々深く頷くのであった。そして、正助の話を聞き終えた時、古田は重い表情で語り始めた。

「全国ハンセン病療養所の所長会議が開かれましてな、そこで特殊監禁所の設置が提案されました。ハンセン病の問題で大きな影響力を持つ人の主導のため、動かされてしまったのです。その背景には、長島事件がありました」

 古田園長が言葉を切った時、それまで黙って聞いていた水野が言った。

つづく

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2026年7月17日 (金)

「助産師が点滴に便混入の衝撃。国旗損壊罪は違憲の疑い」

◇奇怪な事件があるものだ。何でもありの狂乱、怒涛の世相を映す一コマなのか。県の助産師が勤務先の病院で入院患者の点滴に便を混入させ殺害したとして逮捕された。被害者は75歳の老人である。かつて福祉施設で、生きるに値しない命として多くの入所者の命をゴミのように奪った事件があった。その事が頭をかすめた。今回の便混入事件は7月15日千葉県で起きた。逮捕された51歳の女性容疑者は被害者のフロアの看護責任者であった。点滴チューブ内に茶色の物質が残っており警察は人間の便の可能性が高いと判断している。そしてこの看護長が便を混入させたとみている。正に前代未聞の怪事である。

◇国旗損壊罪が成立の動きである。17日の参院本会議で成立する。法案は「人に著しく不快嫌悪の情」を催させる方法で公然と国旗を損壊した場合に2年以下の禁固刑か20万円以下の罰金刑とするという内容である。非常に問題のある法案だと思う。国民に刑罰を科す法律は基本的人権を守る上で最も慎重でなければならない。この法案が非常に問題なのは、どんな行為が処罰対象となるか否かの線引きがはっきりしない点だと専門家は指摘する。刑法がイロハとすべき「罪刑法定主義」が形骸化することもあってはならない。国会で3人の参考人中2人が違憲の可能性が高いと述べた。また国会外でも148人の刑法学者が異論を唱えた。この人たちは言う。「感情を理由に処罰規定を作ってはならない」と。余りにも当然のことである。参考人の憲法学者の一人は何が犯罪かを「前もって明確に定めなければ」、「刑罰は後出しじゃんけんになる」と述べる。罪刑法定主義とは、後出しじゃんけんの禁止に他ならない。国旗の問題を軽々に愛国心と結び付けるべきではない。愛国心は長い歴史と日本の深い文化を基礎とするものである。私は今こそ真の愛国心が求められていると考える。憲法97条は叫ぶ。「この憲法が保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の成果であって、これらの権利は過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と。敗戦と共に日本の歴史と文化の流れが断絶した観があるが決してそうではない。憲法は敗戦を機に一変したが全てが変化した訳ではない。憲法の底を時を越えて脈々と流れ続ける日本人の文化と伝統は変化に応じながらもその根幹は永遠のものである。人類は開闢以来の宇宙時代に入った。変化の力はこれに応じることが出来るか。(読者に感謝)

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2026年7月16日 (木)

「焦熱地獄文化の地球の先にある恐怖。地球を救う大義の旗を日本が振れ」

◇14日、県内の最高気温は桐生市で37.3度に達した。また15日の本県では今年初めて熱中症警戒アラートが発表された。毎年夏の暑さ騒ぎは今後永遠に続くのか、とんでもないことを想像するとぞっとする。地球全体がフライパンの上で焦がされているようではないか。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)などの最新予測では、温室効果ガスの排出を大幅に削減しても、少なくとも今世紀半ばまでは世界平均気温の上昇が続くとされている。このままのペースでは、2040年頃に産業革命以前から1.5度上昇する可能性が高いと予測されている。

 この温暖化は産業革命以降、人間が目先の利益を求めて暴走した結果である。「盲蛇に怖じず」というが目を失った人間は先を見ることが出来ぬ状態で走り続け今日を迎えている。環境の破壊は地球全体のことなので自業自得で済まされることではない。科学の発展の恩恵を受けぬ貧しい国や発展途上の国こそ迷惑で気の毒である。これらの力のない小さな国々は強国のなすがままであってはならない。小さな存在の国々の強みは数が多いことである。未開の国、発展途上の国々は理念によって力を合わせることが出来る。理念とは大義名分のことである。地球温暖化に立ち向かって地球を救うという大義ほど素晴らしい旗印はない。その旗を中心になって掲げるに値する第一の国は日本である。なぜなら地球を救うための最大の課題は核の回避であり、人類で唯一核の悲惨を、身をもって経験したのが日本だからである。かつて「ノストラダムスの大予言」なるものが出版されて世に衝撃を与えたことがある。その中に大魔王が天から降りてくるという下りがあったと思うが、それが核を暗示したとすれば人々の胆を冷やす力はあったに違いない。歴史を振り返れば古代に於いてはモーゼやイエスなどといった宗教的指導者が存在し、彼らは預言者でもあった。現代においてはそういうものはすっかり影を潜めた。科学の時代到来ということであろうが、人間の心がひからびて貧しくなっていくような気がしてならない。時を経ても人間の心の本質は変わらない筈だ。時と共にこの世は増々便利になっていく。それは人間が自分の頭を使って工夫を凝らして生きる努力を不要とすることでもある。このような情況は人間を退化させる道に繋がる。親方の下で技を磨く職人道が細くなっていく。受験競争と学歴社会が激化していく中で寺子屋時代とかつての中村塾が懐かしい。(読者に感謝)

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2026年7月15日 (水)

「憲法14条の平等理念と『えた』、『ひにん』に見る差別の現実」

◇日本国憲法の根幹は人間の尊重である。それは次の点によく現れている。14条、すべて国民は法の下に平等であって差別されない。この差別は人間の悲しい本性であり、永遠の課題である。私は漫画「カムイ伝」の愛読者である。そこではカムイが「ひにん」の出として描かれている。

 江戸時代、士農工商という身分制度を定めたが、さらにこの四民の下に「えた」「ひにん」とよばれる賤民身分を置いた。代表的な教科書、山川出版社の日本史では「えた」「ひにん」につき次のように記述する。

 「えた」とされた人々は農業に携わった他、牛馬の屍体処理や、皮革製造、わら細工などの零細な手工業、行刑の雑役などの生業をしいられた。「ひにん」は町の清掃や雑業に従事したり物乞いをした。両者はともに居住地を制限され、服装などにも差別をつけた。このような差別は戦後の新憲法の施行と共に姿を消した筈であるが、その名残はその後も社会に暗い影を落とし続けているようである。今日、教育の場でよくいじめが問題になる。いじめは何か弱点を見つけてそれをつつくという子どもの世界では珍しくないことである。しかし被害を受けた子は深刻なダメージを受けることもあり軽視はできない。いじめも差別も心の世界を傷つける点が重要である。いじめも差別も子どもの世界では遊びの延長であったり重なることがよくある。子どもの人権は非常に重大な社会の課題なのである。現在、学校嫌いとか学校に行けない子どもが多いと言われる。教育環境の多様化の必要性が叫ばれている。個に応じた教育の重要性と難しさを痛感する。社会は複雑に激しく変化している。大人にとって生きるのが難しい社会が進んでいる。子どもにとっては一層難しい社会であることを社会全体が真摯に受け止めて対応しなければならない。教育の目的は生きる力を養うことである。増々高度化し複雑化する社会をしたたかに生きる力を身につけさせねばならない。子どもたちの行く手に受験戦争や学歴社会が立ちはだかっている。子どもの可能性は無限である。それを押しつぶしているのが現在の教育システムではないか。教育の原点は反権力にある。日本は小資源国と言われるが人間こそ日本を支える資源である。技術の国と言われる。それを支えるのは教育である。教育の重要性、教育行政の課題を痛感する。宇宙時代である。宇宙人と対峙できる地球人を創り出さねばならない。宇宙は無限に広がっている。私たちはどこに向かっているのか。

(読者に感謝)

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2026年7月14日 (火)

「皇室典範の改正と国会軽視の衝撃」

◇皇室典範の改正案が、10日衆院を通過した。皇室典範は、日本国憲法に基づいて皇位の継承順位や皇族の身分及び範囲等を定める非常に重要な法律である。日本国憲法は第一条で天皇の象徴性を定め、続く2条でその象徴たる地位は皇室典範の定めによって継承すると記定する。このことから象徴天皇制は皇室典範と一体となっており、皇室典範は象徴天皇制を支える柱としての存在であるといえる。従って皇室典範の改正のいかんは象徴天皇制を揺るがすことになりかねない。このような重要な皇室典範改正に関する質疑が、わずか一日しかも3時間で終結したことは衝撃という他はない。

 このような憲法無視、国会軽視は滅多にあるものではない。国民は今こそ声を大にして怒らねば主権者に値しない。その意味で国民は試されているといえる。このような問題が生じた時、怒りの声を上げるのは若者であるべきである。最近東大のキャンパスを歩いた時、静かで立て看板もなかった。これは何を物語るのであろうか。若者の意識が低いのか、怒りのエネルギーがないのか。情けないことで淋しく感じた。「恥を知れ、恥を」と叫びたい。

 サミュエル・ウルマンの詩を思い出した。

「理想を失う時に初めて老いが来る。

 情熱を失う時に精神はしぼむ。

 人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。

 人は自由と共に若く、恐怖と共に老ゆる。

 希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる」

 この詩に刺激されてその夜は9時過ぎまで頑張った。

◇正しく怒ることの重要性をかみ締める時である。今日の日本社会には懸念すべき情況が生まれているようだ。怒らなくてもいいと思われることに大きく怒り、怒るべきことに声を上げないことだ。「公憤」という言葉がある。公憤とは正義のいかりであり、義憤のことである。つまり、公憤とは社会の悪についての私情を越えた憤りであり正義のいかりである。論語には「義を見てせざるが勇なきなり」とある。孔子のこの言葉は2千年余の時を越えた真理として生き続けている。公憤には私を越えて社会に参加するという視点がある。これは民主主義の価値観と繋がる。孔子の言葉が時を越えて新しい力を生み出していることを知る。現在、民主主義の危機が叫ばれている。人間の心が貧しくなっているのだ。民主主義を支えるものは広くて深い心である。憲法14条は高らかに謳う。全ての国民は平等で、人種、信条、性別によって差別されないと。人間の心にはその本性として差別が棲んでいる。(読者に感謝)

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2026年7月13日 (月)

「利根の急流を泳いだ少年の頃。地球沸騰の時代を人間は生き残れるか」

◇子どもの頃、県庁裏の利根川で泳いだことが懐かしい。かつての利根川は阪東太郎の名にふさわしく水勢が激しかった。私は庁舎の対岸から斜め北に向けて飛び込み必死で泳ぎ、流れに押し戻されながらやっと岸に辿り着くのだった。当時、川は子どもの遊び場であった。大きな口を開けての奮闘だから水を呑むことも当然あった。小さな川をせき止めて泳ぐこともあった。ある時、元総社の牛池川で泳いでいたら、大きなヘビがかま首を上げて見事に泳いでいるのに出合った。ヘビは泳ぎが巧である。恐ろしさを忘れ美しい泳ぐ姿に見とれていたのを思い出す。時を経て私たちの生活環境も生活習慣もすっかり変化し、子どもが川で泳ぐこともなくなった。ヘビを見ることも少なくなった。ヘビは生活環境を奪われ、結果として生きる困難に直面していると思われる。ヘビとの共存共生が出来なくなることは人間が自分で自分の首を絞めることを意味する。現在クマの被害が騒がれている。クマに罪はない。親子連れの姿を見ると彼らが厳しい環境で必死に生きていることを痛感する。人間は古来思い上がった存在である。この地球が人間のためにあると思い込んできた。産業革命以来、開発の名の下で猛烈な勢いで自然を破壊してきた。地球は遂にここまで来てしまった。国連事務総長は地球が沸騰していると表現した。その主な原因は人間活動による温室効果ガスの増加である。地球の悲劇はこれから加速するだろう。海面の上昇は続き、太平洋の小島の多くは水没の危機にある。オーストラリアへの移住が現実化している。北極の棚氷が溶け巨大な塊が漂流を始めている。中には日本列島ほど大きいやつもあるというから驚きを超えて呆れるばかりである。超大国の横暴を許すなという声が大きくなっているが、こういう状況の中で超大国の存在感は増すばかりである。小さい国々は諦める他はないのだろうか。そんなことは決してない。人類は知の存在ではないか。知とは即ち理念である。日本が生きる道、大きな存在感を発揮すべき点はこの理念であるべきだ。日本には誇るべき理念がある。日本は軍国主義の侵略国から「広島」、「長崎」を経て不死鳥のように変身して生き返った。この時、生命の元として手にしたのが平和の理念であった。現在宇宙時代に突入しつつある。宇宙は無限に膨脹しつつある。知的生命体との交流の時代である。宇宙人は隣人である。新たな遭遇の時が近づいている。コロンブスが新大陸を発見した時のように。(読者に感謝)

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