2019年4月22日 (月)

人生意気に感ず「また87歳の事故。元高級官僚。人間塾で多くの留学生に」

◇高齢者がまた大きな事故を起こした。池袋の暴走事故は87歳の元高級官僚。ハンドル操作をせず赤信号を無視、母子が死亡し、その他8人の重軽傷者が出た。事故現場には多くの花が供えられている。パニックを起こして暴走かと報じられている。旧通産省の元幹部は妻を同乗させて運転していたらしい。最初の接触で頭が真っ白になってしまったらしい。冷静沈着な生涯を送ってきた人であろうに、87歳という年には勝てず認識力、判断力が落ちていたのだろうか。他人事とは思えない。高齢者と車としてまた大きな社会問題となるだろう。

◇今日は、多くの外国人留学生に日本語を教える日。およそ月1回のペースで続けている。ネパール、ベトナム、インドネシアなどの国が多いが非常に多くの国の若者である。私の授業の目的は単に日本語を教えるだけではない。講義名が「人間塾」となっているように、歴史や日本の文化をも教えながら若者たちの人間形成に資することも目的としている。このことが将来彼らが日本の社会で生きるために力になるという実践的役割を狙っている。文化や育った環境が異なる国々の若者たちを教えるにはかなりの工夫が要る。激しく怒鳴ったこともあったが、今はそれをしないと自分に誓っている。自己嫌悪に陥るだけだ。怒鳴った後で反省して、自分の心の底を覗いた時そこにアジアの後進国の人々を見下ろす視線があったかもしれないと気付いた。遅れているのは日本であることを改めて思った。彼らには海を越えて日本に渡り、孤独に耐えて学ぼうとする高い志があるが、日本人には今やそれがない。しかし、授業の前にはそれなりの緊張感がある。今日は資料として何枚かの皇室に関する映像を用意した。「令和」という元号を中心にして、漢字と日本の文化を教えるつもりだ。美智子様がご結婚に臨む清楚な写真にアジアの若者はどう反応するであろうか。日本国憲法における象徴天皇についても全力で説明してみよう。10連休が迫る。留学生はこれをどのように過ごすのか興味がもたれる。人手不足の折、アルバイトに精を出す若者も多いだろう。アルバイトは留学生にとって日本語と日本の文化を学ぶ実践教室である。毎年のスピーチコンテストを聴くと、彼らはアルバイトを通じて日本の礼節を学んでいることを知る。その礼節が失われつつあることも彼らは気付きつつあるかも知れない。(読者に感謝)

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2019年4月21日 (日)

小説「死の川を越えて」第184話

「純子さんの担任の萩野と申します」

「ああ先生ですか、娘がいつもお世話になっています。今日は一体何の御用ですか」

 市川巡査は笑顔で迎えた。想像していた厳めしい警察官の雰囲気はない。萩野はひとまず安心して言った。

「下村正太郎君のことで相談に伺いました。湯の沢地区から編入した児童です。一部のお母さん方の間に動揺があるようなのです。それに純子さんが大変立派なお子さんなので、正太郎君を隣りの席にしました。お父様の御意見も聞かず私の独断で決めました。申し訳なかったと思っております」

「おお、下村正太郎君のことは、よく承知しております。県からも役場からも報告を受けております。大変賢い子で、病気のことも心配ないそうです。それに、湯の沢には立派な歴史があることも勉強しております。それを無視してはならないことを肝に銘じています。うちの純子を隣りの席にしたことは純子にとって良い勉強になります。先生の立派な御判断です。全くご心配なさらないで下さい」

 この言葉を聞いて萩野は肩の荷がすっかり下りた気分になった。さき程の表情は一変して美しい萩野花子に戻っていた。

「実は、普通の小学校に入ったモデルケースとして、県も注目しているのです。私の上司が、こんなことを言っています。これから警察は、時にはハンセン病の人たちに厳しい態度をとらねばならないこともある。そんな時、警察が情け知らずと思われては困る。そのためにも湯の沢のことは重視しなければならぬと言うのです」

「はあー、そういうことなんですか」

「一部のお母さんに動揺があるというのも無理からぬこと。それを抑えるのも本官の務めです。私も出来ることは協力したい。娘を隣りに座らせたことは正解です。気の強いやんちゃな子ですが、正太郎君に協力するように私からも話します」

 何と嬉しいことか。萩野は幸せな気持ちに包まれていた。純子がクラスの男の子の悪ふざけを注意したことを知った時、純子の行動は父の気持ちが伝わったからに違いないと思った。

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2019年4月20日 (土)

小説「死の川を越えて」第183話

萩野先生はじっと耳を傾けていたが、正助を正視してきっぱりと言った。

「分かりましたわ。正太郎君を守ります。私にとっても教師として最大の試練です。未熟な人生経験の私にとって責任が重すぎますが全力を尽くします」

そう言ってほほ笑む女性教師の口元に静かな決意が表れていた。

それから幾日か過ぎたある日、正太郎が息せききって駆け込んで来た。さやが驚いて言った。

「学校で何か嬉しいことがあったの」

「うん、あったよ。武君がまた、移る―をやったんだ。そしたらね、隣りの市川純子さんが、正太郎君の嫌がることは止めてよって強く言ったんだ。そしたら止めたんだ。女の子なのに市川さんは凄いよ。お母さん、まだあるんだよ」

 正太郎は宝物を出し惜しみするように言った。

「早く聞かせてよ」

「武君が僕の所へ来てね、ごめんなと言って手を伸ばすんだ。握手したんだよ。僕泣いちゃった。僕の顔を見て武君も泣いたんだ。僕たちもう親友だよ」

「よかったねえ、お前」

 さやも涙をぬぐっている。母の涙を見て、正太郎もこみ上げるものを押さえられぬ様子で言った。

「もっと話してやる。このことを知って、萩野先生が、市川さんと武君を皆の前で誉めたんだ。そしたら大きな拍手が起きたよ」

「そうなの。お前、よかったねえ。お前が辛抱したからだよ。お母さん、本当に嬉しい」

 母子は抱き合って泣いた。

 この出来事の背景には萩野花子の並々ならぬ努力があった。萩野は校長に相談して動いた。校長は萩野の純粋な決意に感動して任せることにしたのだ。

 萩野は市川巡査を訪ねた。他県の噂では巡査がハンセン病の患者を激しく取り締まっているということだ。湯の沢と草津は特別の所と聞いているが警察のことは分からない。娘の純子を正太郎の隣りに座らせたのは、純子を買ってのことだが軽率だったかもしれない。萩野はいろいろ思いを巡らせながら、警察に出頭する容疑者のような思いで派出署の扉を開いた。

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2019年4月19日 (金)

人生意気に感ず「上海師範大学の人々東大を視察。懐かしの西洋史研究室。五輪チケットの価格」

◇18日、上海師範大学の書道関係者20数名が東京大学を見学した。書道という東洋の伝統文化を学ぶ人々は東大がこの伝統文化にどう対応しているかに強い関心を持っていた。そこで群馬に来た機会に東大を訪問したいということで、私が動き実現したのが今回の企画であった。中国文化研究会(中文)が今回の企画に直接関連する部所であるが、私がいた西洋史研究室も強い希望があって訪ねることになった。中文の研究室は赤門のすぐ近くの建物の7階にあった。入った人々は漢字の資料が壁を埋める研究室に漢字を通しての日中の深い繋がりにそれぞれ胸を打たれているように見えた。担当の助教授がこの研究室の取組を説明し、私は漢字を通した日中の歴史とその今日的意義を話し、皆さんがここを訪れたことを機に、この研究室との関係を深めることには歴史的意義があると強調した。

 赤門、正門、図書館の前で集合写真を撮った。この図書館の向いの建物に西洋史研究室があった。私はかつての古巣に懐かしさを覚えた。遠い昔の様々な情景が甦った。専門書が並ぶ棚の間に中国の人々は詰めて立った。頭上には教授たちの写真があった。質問がありそれに応えて講師の芦部さんが説明した。私は日中友好協会の会長として、中国・西洋両文化を学ぶことの意義を語った。「日本は現在西洋文明に基礎を置く国になっていますが、歴史を振り返れば中国との関係は遥かに長く深い。西洋文明には現在行き詰りもあります。両方の文化を理解する意義は非常に大きいのです。現在、中国は大きく変化しつつあり、日中の関係は格段に重要になりました。中国のこんなに多くの皆さんがこの研究室を訪れるのは恐らく初めてのことで歴史的な意義があります」。狭い研究室で集合写真を撮った。私だけが教授室に入ると村川堅太郎、林健太郎、堀米庸三等の写真が掲げられており、私は恩師林先生の下に立った。この人との様々な関わりが昨日のことのように胸に浮かんだ。上海師範大学の人々が東大の視察を喜んでくれたことで私は疲れを忘れた。

◇18日、五輪の公式チケットの購入方法が発表になった。いよいよという感じだ。販売サイトでの申込み受付は5月9日から。売れ行き状況は五輪の成功を占う材料になる。7月24日の開会式のチケットは最高30万円。観戦のしやすさ順に価格に差がつくられる。男子陸上100は13万円、男子体操は7万2千円とか。(読者に感謝)

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2019年4月18日 (木)

人生意気に感ず「フランス革命の地でノートルダム大炎上。特殊詐欺の驚くべき実態」

◇衝撃の映像が世界を走り人々は驚愕した。何とノートルダム大聖堂が紅蓮の炎に包まれて炎上する姿である。私は県議会にいた頃、行政視察で訪れたことがある。高い塔の中、薄暗い空間に多くの人々が祈っていた、しんとして物音ひとつしない荘厳な雰囲気だった。あれが燃えるとは信じられない思いである。ゴシック建築を代表する建物は堅固な石積みの建物の筈。不思議に思ったら多くの木材が使われて火の回りを早めたという。約700年前に造られたこの大聖堂はフランス人の心のよりどころと言われた。フランス人の落胆は大変なものであろう。

 マクロン大統領は、大聖堂はフランス人の文化や歴史そのものだと語り、再建を宣言し寄付を募った。これに応えるように驚くべき額の寄付金が集まっている。パリ市長は約63億円を、高級ブランドの創業者は約253億をと続々と寄付の表明が続いている。文化と伝統を大切にあるフランスの国民性が分かる。また一つの国を象徴する歴史遺産の重みが分かる気がする。

◇現代の犯罪で不思議なのは特殊詐欺である。長く続いて一向に減らない。高齢者を狙い、あらゆる文明の利器を使う点で現代社会の象徴的犯罪といえる。最近は犯行の拠点を国外に移し、この犯罪に国境はなくなってきている。最近、タイで大規模な犯罪拠点が摘発された。犯罪グループが借り入れた拠点の一軒家は家賃約22万円、プール付の豪邸で、52台の電話が押収された。捜査関係者はコールセンターのようだったと語っている。驚くべき手口の実態が明らかにされている。巧妙に手に入れた資料を使い、メールを一日に数万通送信する。すると200人に1人の確立でマールの連絡先に電話があったといわれる。15人の犯罪グループは、定期的に反省会を開いていた。「トークが長すぎる」、「もっと自信を持った方がいい」などと研究し合い、壁には騙した件数を示す棒グラフが貼られていたという。まるで中小企業の販売員の光景を思わせる。このような拠点の摘発が世界的に広がっているようだ。犯罪グループが文明の利器を利用するのだから捜査する側も文明の利器で対抗すべきで、こちらは遥かに有利な条件にあるのだからもっともっと成果を挙げねばならない筈だ。特殊詐欺の特色は日本人の精神をむしばむシロアリというべき点にある。騙し合いの社会が広がることは日本の危機である。(読者に感謝)

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2019年4月17日 (水)

人生意気に感ず「中国訪問団と会見。書と日中友好。難病の人に書くことを勧める」

◇中国の訪問団22名と昼食会を。上海師範大学の人々である。日本側の日中友好協会理事等を入れて総勢35名。中国の客には5歳の女の子もいた。6月か7月に子どもたちの書と絵の交流展を行うがその下見等が目的である。2・3年前、芳賀小学校で上海の少女が皆が見ている前で巧みな藤の花の絵を描き驚かせたことが思い出される。あの少女は今どうしているであろうか。

 私は心臓太く中国語で挨拶。中国語の持ち駒は少ないがそれを組み合わせると結構挨拶になるものである。上海語の方言「ダガホー」(こんにちは)にどっと拍手。この人たちを明日は東大の中を案内する。中国の書道界は日本の書道に注目している。そこで東京大学に於ける書の取組を視察したいと言ってきた。学生の書道部との調整がつかず、中文(中国文化研究会)と交流することになり、私がいた西洋史研究室も訪ねることになった。明日は午前10時、安田講堂の前で合流する。

◇訪問団の人々の表情にも日中関係の好転が感じられる。私はこの人々と話す中で協会成立時の緊張を思い出す。人口14億の巨大な国は政府の方針や情勢が一挙に変化する。2013年(平成25)にこの協会が船出した時は尖閣問題で荒れて大変だった。しかし、その時でも民間交流の大切さは変わらなかった。振り返って、国家間が大変な時こそ、民間の友好が支えになることを経験した。

◇今、午前2時。静かである。騒然とした社会にこんな静かな時がと思える程だ。「草木も眠る丑三つ時」という。昔から変わらない時間帯なのだと思う。私にとっては貴重な財産の時間。この時間に原稿用紙に向かう習慣は私の支えになっている。私は間もなく79歳になるが身体と精神にそれ程衰えを感じないのは書くことと走ることのお陰である。

◇昨日、私の体験から思いついたことをある女性に勧めた。長いこと難病に悩むこの人から、ある日手紙を受け取った。立派な文章が綴られていた。会って話を聞くと職場の対人関係で苦しんでおられる。昨日は2度目の話し合いであったが、聞いていてひらめいたことは、この人の苦難の歩みはこの人の財産であること、それを文章で表わすことで道が開けるに違いないということであった。「死んだ気になればできるではないですか」という私の言葉にこの人は頷いておられた。私は決断を期待し側面から支援しようと思った。筆の力が自分を支えることを、そして難病の前途を開くことを願った。(読者に感謝)

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2019年4月16日 (火)

人生意気に感ず「満州の悲劇と陛下のこと。研石米寿の祝で」

◇愛新覚羅薄傑の娘嫮生さんと美智子さんが親しい関係にあることを知って驚いた。文藝春秋の両陛下123人の証言の一つである。私は満州国を研究する中で嫮生の姉慧生の数奇な運命に強い関心を持った。慧生は母の国日本に来て学習院大学に進み、東北出身の同級生と恋に落ちた。慧生の親は二人の関係を認めようとしなかったらしい。清朝の血を受け継ぐという誇りがあったのではないか。大久保君という青年は本郷の東大近くの新星学寮という寮にいた。寮の管理人は東大出身の穂積五一という人物。二人はピストルによる心中を遂げて社会的に大きな反響を巻き起こした。穂積寮監は二人が残した書簡をまとめて出版した。「われ御身を愛す」という題であった。自分が世話をした寮生が誤解されていることが不憫であったこと及び慧生の余りの純粋さに引かれたものと思う。寮監は二人の一番身近にいる者として真実を知る立場にあったろう。寮には私の友人もいた。慧生の手紙を読んで哀れに思ったことがある。ある時から慧生の大久保君に対する態度が大きく変わったのだ。まるで妻であった。二人の間に大きな変化があり関係が深まったことを感じさせた。長く続いた清朝の残映はそれほど深刻なものだったのか。満州国は日本の中国侵略の象徴である。日本の「犯罪」を暴く記念館を訪ねたことがある。ラストエンペラー溥儀と婉容の大きな写真が掲示されていた。婉容はアヘンに侵され廃人となっていた。婉容を連れて逃げる状況は地獄であった。嫮生は証言で「過酷な流転」と表現する。美智子さんは歴史の事実を知っていたに違いない。平成は戦争のない時代であったが陛下と皇后は過酷な歴史を踏まえて象徴の役割を果たされたことが窺える。

◇元満蒙開拓義勇軍の話を聞いて詠まれた陛下の歌も心を打つ。「戦の終わりし後の難き日々を面おだやかに開拓者語る」折に触れて歌を詠まれる伝統と習慣は万葉の昔から大切にされていることを改めて知った。

◇14日(日)、天田研石先生の米寿を記念した書展の祝賀会があった。当方の事務の手違いで欠席扱いになっていたが急きょ席が与えられ挨拶の機会を得た。「令和が始まる。令にはきりっとした美しさの意味が込められている。令和を支えるものは書のもつ精神文化である。書人は長寿者が多い。それは書が支える力を示す」私はこのようなことを話した。記念誌が出され私の挨拶文を確認した。300人近い書人の集まりに重い歴史を感じた。(慧生の部分は資料で確認できず、不正確があるかもしれない。後に検証しようと思う)

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2019年4月15日 (月)

人生意気に感ず「御成婚・世紀のヒーロー。皇太子の勇気と誠実」

◇令和の始まりが目前に迫り、私はいろいろな挨拶で令和に触れる。先日も多くの外国人留学生に「新しい時代の扉・歴史の転換点」を話した。天皇の退位を前にして両陛下の歩まれた姿が甦る。その中でも記憶に鮮やかなのは世紀のご成婚と言われた御二人の姿、特に美智子さんの清楚な美しさだった。私は前高の夜学に通っており、昼間は仕事に追われていたが、前橋市本町の八幡宮の境内で団子の作業をしている時であった。伴内さんという駄菓子屋に毎日お団子を卸す仕事であった。テレビが馬車の御二人を映し出しており、伴内さんの奥さんが「まあ、おきれい」と大きく叫んだのをよく覚えている。昭和34年4月10日のことで、戦後最大のヒロインの登場に日本中が湧いた。一年前にはテレビの保有台数が91万台だったのが結婚式直前には200万台を突破した。初めて民間から嫁がれた美智子さんは子育てにも改革を行い母乳で育て、子ども達とも同居された。皇太子の積極的な協力があったに違いない。少年だった私は皇太子のことを「うまいことをやった」位に思っていたが、今振り返って、平成天皇の最大の功績の一つは美智子さんを獲得したことではないかと思う。美智子さんは、今振り返って深い教養とその人柄で象徴天皇制を実によく支えてきたと思う。

 恋を実らせたということはよく知られた事実であるが、今プロポーズの真相が伝わってくる。プロポーズの言葉で決め手となったのは「お助け出来ないこともあるかも知れない。それでも結婚したいのでイエスと言って下さい」であったとされる。これは、公的なことが最優先で結婚生活は私事だからその次、という意味に解されているが、それはそれとして美智子さんは「助けられないこともあるが」という表現から正直さと誠実さを感じて心を動かされたに違いない。今の若者は、この皇太子の勇気と誠実に学ぶべきである。

 文芸春秋の最新号に両陛下、123人の証言が載っている。興味深く読んだがそれは戦後の動乱の歴史と共に御二人がいかに皇室の役割を果たしたかを物語る。その中で私が注目したのは愛新覚羅薄傑のことを書いた次女嫮生の文、満州開拓者が苦難の体験を語り、陛下がそれを歌に詠まれた話。慰霊訪問でスーサイドクリフ、バンザイクリフで拝礼したことなどだ。私の思いとも重なるので明日書きたいと思う。(読者に感謝)

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2019年4月14日 (日)

小説「死の川を越えて」第182話

 正太郎は答えない。なおも聞くと

「クラスのある子が、こうやって移るって言って追いかけるんだ。そしたら他の子も真似をして追いかけるんだ。みんな笑ってふざけているんだけど。僕は笑えない。悲しくなっちゃった」

 正太郎の説明によると、ある男の子が両手を前に出して、指を曲げ幽霊のように「らいだー」と言いながら追いかけたら、みんながどっと笑い、真似をしてクラスを走る者が出たと言う。

「みんな楽しげだけど、僕は泣きたかった。もう学校行くのやだよ」

 正太郎の思い詰めた表情を見て、正助とさやは遂に恐れていたことが起きたと思った。自分たちは長いこと世間の冷たい目と差別に晒されてきた。我が子が初めてその社会の現実に直面したのだ。正助は事の重大さを直感してさやに小声で言った。

「子どもの世界のことだと言って放っておくわけにはいかないよ」

 正太郎には務めて平静を装って言った。

「皆、ただふざけているだけだから、気にしないことだ。強くなるんだよ。この湯の沢の人間には、神様の試練が待ち受けているんだ」

「試練て何」

「お前が強く成長するための神様の宿題だよ。お前は以前、県会へ行って偉い先生の前で立派に答えて誉められたではないか。あれも試練、神様の宿題だったんだ」

 正太郎は黙って考え込んでいるようだ。

正助は万場老人に相談した。万場老人は暫く考えていたが、きっぱりと言った。

「正太郎が社会に踏み出した姿じゃな。先生と話し合うがよい。事を荒立てるとかえってまずい。よいか。正太郎が立派な態度を貫くことが一番の説得になることを忘れるでない」

正助とさやは、萩野花子先生と会った。実は、萩野先生も頭を抱えていたのだ。新住民の一部のお母さんが伝染の不安を訴えたため動揺が広がっているというのだ。

正助は言った。

「この問題が起きて、正太郎を改めて聖ルカ病院の医師に診てもらいましたが病気は出ていません。私たち夫婦も同様です。このことを是非知って欲しいと思います。正太郎には笑顔で頑張るようにと話しました。本人もその気になってくれました。私たち夫婦は、正太郎と共に耐える覚悟です。私たちは出来ることなら嵐が大きくならないで通過してくれることを願っています」

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2019年4月13日 (土)

小説「死の川を越えて」第181話

 

 正太郎が湯の沢の子どもということは、初め秘密にされる方針であったが、隠し切れることではない、やがて分かるということで、敢えて隠さず自然に任せることになった。正太郎の両親も、むしろそれを望んだ。一部の生徒には早くもどこからか、正太郎が湯の沢の子であることが伝わっていた。

 正太郎は全身を耳にして座っていた。湯の沢と囁く小さな声が聞こえた。休み時間になった時、純子という女の子が言った。

「私のお父さんは警察官よ。でもね。優しい、いい警察官なの。あたしも、最近越して来た新入生なの。宜しくね」

 純子は、新入生の割には皆に溶け込んでいて元気にはしゃいでいる。正太郎は勇気づけられる思いであった。

 家では、正助とさやが心配していた。

「先生はね萩野花子先生といって、こずえお姉さんのようにきれいな人だよ。隣りの席は市川純子さんで、お父さんは警察官だって。でもね、優しいいい警察官だってさ」

 正助とさやは正太郎の話を聞きながら教室の風景を想像し、顔を見合わせて頷いた。両親の安心した表情を見て正太郎は得意げに続ける。

「ぼく、指されて答えられたよ」

「へえ、何を聞かれたの」

「うちゅうっていう字を書ける人と言うんで、ぼく手を上げたんだ。宇宙のこと、リー先生に教えられて、ぼくワクワクして聞いたことが役に立ったよ」

「まあ、勇気があったのね」

「ぼくしかいなかったみたいで、指されちゃった。前に出て黒板に書いたら皆んなが拍手したよ」

「は、は、は。それはよかった。正太郎、よくやったな。早速、万場先生に話さねばならない。実は先生も心配していたのだよ」

 こうして、草津小学校の正太郎の生活が始まった。 

しかし、正太郎には思いもよらぬ試練が待ち受けていた。ある日のこと、学校から帰った正太郎の様子が変である。さやは敏感に察知して訊ねた。

「学校で何かあったの」

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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