遙かなる白根(99)100キロメートル強歩序曲
③被告学校は、学校法人としての認可は開校後直ちにおりる旨告知していたが実際は、なかなかおりず、やっと中学校の部がおりたのが前記の通り7月になってしまった(但し、高等学校の部は未認可)。これらの結果、原告らの子供は昭和53年8月に寮を出て退学してしまった。
④被告学校は当初理想的な教育をめざし、寮生活には十分な健康管理と生活指導をするとか、教育指導には村井実慶応大学教授他7,8人の大学教授が指導するとか広言していた。しかし、被告学校の実態は全くこれと相違していた。
原告は、これらの事実をあげ、従って払い込んだ金は、要素の錯誤があり学校との契約は無効だから返せと主張しているのである。
以上に対し、被告学校は以下のように主張した。
①寮について、全寮制であること、寮が個室ではなくて大部屋であること、2段ベッドであることは入学前に生徒の父母には説明してあった。冬には室外の気温が零下15度に下がることは最初から明らかであった。暖房設備は冬にならなければ必要ないのであるが、開校当初からFF式という灯油を燃料とする温風方式の暖房設備を完備していた。建物は鉄筋コンクリート造ではないが、本建築であって、仮小屋や掘建小屋ではない。
②衛生設備には最も留意していたし、保健所の指導を受けていたので、保健衛生上の欠点はなかった。ただ一度だけ、所轄保健所から洗面所に石けん液容器を取付けるよう勧告を受けたので、直ちにこれを取付けたことがあった。又昭和53年8月頃、草津で水泳の合宿を行って帰校した後に15~16名が下痢症状を起こしたが、保健所の調査では草津の合宿所のユースホステルの食事が原因ではないだろうかという結論であった。また原告らの子の退学後の10月頃にも若干名が下痢を起こしたことがあったが、保健所で調べてもらったところ風邪が原因であろうとの結論であった。
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