「宇宙時代に突入した衝撃。知的生命体は現実の隣人である」
◇天の一角が破れてそこの大量の水が一気に落下するかのような雨であった。それは県内で17日から18日にかけての記録的な豪雨のことである。85年の人生でも珍しいことに思えた。昭和22年のカスリン台風を思い出す。小学校一年の時であった。通学路にかかる二つの橋が落ちた。大自然の脅威を人生で最初に見せつけられた瞬間だった。目の前の赤城山が動き出して来るように感じられて恐かった。岩をかむ激流は狂った怪物のようであった。同級生の兄さんが足を滑らして流され命を落としたのはこの時である。この台風の惨状は戦後の森林政策が一因であったに違いない。台風が去った後、流木や岩が山のように重なり被害の凄さを物語っていた。振り返ればあの出来事は異常気象のスタートだったのかと思われる。今日、すっかり常態化した異常気象であるが、あの頃が異常の始まりだったものと思われる。今、地球は未曾有な変化の中にある。開闢以来という言葉があるが正にそれである。我々人類はこれまでも壮大な変化の渦の中で生きてきたが、今、全く違った局面に突入しつつあるのだ。今こそ宇宙時代という表現がふさわしい。宇宙時代にあって何を考えるべきか。それは他人事でなく私たち一人一人にとって切迫した問題なのだ。第一の最大の課題は知的生命体の存在である。知的生命体とは何か。人類を基準に考えればそれは心があるということである。そして心は不思議な存在である。それはあらゆるものを生み出してきた。歴史を振り返れば、心が描いたものは、そのほとんどが全て実現してきたといえる。心こそが魔法のランプなのだ。そこで、心と神とのつながりを考えないわけにはいかない。神話の世界は仮想のものか。アダムとイヴの物語は全くの空想なのか。どの民族にも神話がある。それは民族の心の源になっている。科学が進歩して、あらゆることが合理的に説明される時代が到来した。しかし全てを科学的に理詰めで語ろうとするのは人間の思い上がりではなかろうか。科学で語れないところにも真理が埋もれているに違いない。古代人が持っていた未知なる力を現代人は知らぬうちに失いつつあるのではないか。科学万能というが、それは科学に対する謙虚さを失いつつある証拠かも知れない。私たちは現在宇宙時代の極致ともいうべき膨脹宇宙のただ中にいる。知的生命体たる宇宙人は現実の隣人である。宇宙人はSFの世界のものではないのだ。私たちは無限に広い銀河の中の一粒の存在なのだ。私たち自身が革命的に変化する時なのだ。(読者に感謝)
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