2020年9月29日 (火)

人生意気に感ず「ふるさと塾で力説したこと。新政権は役割を果たせるか。長引くコロナ戦。豚熱の恐怖」

◇26日の「ふるさと塾」は、「コロナ戦争と新政権及び世界情勢」がテーマだった。コロナ禍の下で来てくれる多くの人を思いしっかり準備して臨んだ。参加者は約40人。菅さんが「全身全霊でコロナと闘う」という決意の下でつくった内閣の主な顔ぶれを紹介した。石破さんの総裁選に対する批判「自民党の民主主義は死んだ」にも触れた。地方票を軽視したことだ。年間4,000円の党費を払った党員の不満が私の所にも寄せられていた。「世界情勢」では、コロナの感染者が3,186万となり、先進国ではアメリカの惨状を指摘。アメリカの現状の原因は国民の分断にあると私見を述べた。更なる世界情勢として、大統領選を前にしたトランプ、バイデンの対立の意味を話した。トランプの言動がコロナの状況を一層酷いものにしている点である。全聴講者がしんとして耳を傾けてくれた。米大統領選が一ヶ月後に迫った。この選挙はこれまでの大統領選とは違う。地球を劇場とした壮大なドラマである。トランプもドラマを面白くする主人公の一人である。

◇気候の変化は激しい。焼き殺されるような灼熱の太陽が去りつつある。怖いのはコロナ好みの温度になり、合わせてインフルエンザの季節も近づくことだ。ダブルパンチを覚悟しなくてはならない。何度も触れているが参考にすべきは1918年のスペインかぜである。群馬県史が示す資料によれば1918年から1920年の3年間で群馬県の死者は4,454人に達した。全国の死者は約40万人と言われた。コロナウイルスは底知れぬパワーを秘めている。これから先どう変化するか分からないのだ。

◇またまた不幸な出来事が。CSF(豚熱)の感染で5,400頭の豚が殺処分になる。コロナに痛めつけられている身として彼らまでもと同情の念が湧く。私は知識がないが、豚熱も一種のウイルスなのだろう。野生のイノシシが発生源と言われている。彼ら山の住人も生きずらい世の中になっているらしい。時々山道を走ると至る所に電気柵が張り巡らされている。自然の景観を傷つけること甚だしい。どこでもこの世界は窮屈になっているのだ。

◇コロナで人の心も崩れようとしている。密を避け絆が薄れていくからだ。ウィズコロナ、ポストコロナと言うが、人の心のよりどころとなるものを生み出すことが大きな課題なのだ。(読者に感謝)

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2020年9月28日 (月)

人生意気に感ず「首相が国際舞台に登場。中国と国連。そのコロナ対策は日本が貢献すべき重要事」

◇菅首相の国際舞台登場である。日本の代表は国際的に通用し認められる顔でなければならない。国際化時代であれば当然のことであるが安倍路線を引き継ぐとなれば尚更のこと。25日、26日と大きな出番があった。習主席との会談及び国連での演説である。いずれも電話によるもの。コロナの影響でこのようになった。緊張の度合いは対面と比べて格段の違いであるに違いない。初舞台の菅さんはほっとしたのかそれとも物足りなく感じたのか。

◇25日は習主席との会談。習氏は日本との関係を引き続き発展させていきたいと述べ、菅首相は「日中の安定は2国間だけでなく、地域・国際社会のために極めて大事であり共に責任を果たしていきたい」と応じた。

 私は群馬県日中友好協会会長としてこの会談には特に注目していた。このやりとりにひとまずほっとした。中国はコロナ及び南シナ海問題をはじめとした多くのことで波紋を起こし世界の批判を浴び、特にアメリカと厳しく対峙している。だから日本との安定した関係は特に重要なのだ。アメリカとても対中国で日米関係を今までになく重視している。日本の役割は極めて重要で全世界が期待し注目している。蝙蝠(こうもり)と言われることなく毅然とした態度を貫くべきだ。その基盤は日本国憲法だと信じる。

◇26日菅首相は国連総会での一般討論演説を果たした。最も力を入れたのは言うまでもなくコロナ対策である。「今回の危機を協力を深める契機としたい。(そのために)連帯を呼びかけたい」と訴えた。そして具体的には三つの分野を中心に国際的な取り組みを主導していくと述べた。

 第一は治療薬、ワクチン、診断の開発、それへの公平なアクセスの確保を支援すること。後進国の実情を考えると「公平なアクセス確保」は特に重要だと考える。第二は次の危機に備え途上国での病院建設に力を入れ人材育成を通じ各国の保健医療システム強化を支援する。第三は、より幅広い健康安全保障のための施策を講じる。例えば、水・衛生・栄養などの環境整備を含めての協力を止めないと決意を表明した。

◇コロナ対策に於いて、世界の助け合いで特に助けを必要としているのは途上国である。菅首相の三つの取り組みはこの点を意識している。日本が世界の平和の命の安全に貢献すべき状況が訪れている。(読者に感謝)

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2020年9月27日 (日)

小説「死の川を越えて」第276回

「第三は、重監房の問題です。草津の療養所に特別病室が作られると聞いた時は、重病者を治療する施設かと思いました。しかし、現実に出来たものは、病室の要素は全くない恐ろしい監房と分かりました。実態は恐怖の牢獄であることを、その現実に関わった者としてその一例を通して申し上げねばなりません。私が九州帝大にいた頃関わりをもった熊本本妙寺集落の人々が昭和15年、この重監房に入れられたのです。時代背景は日中戦争が泥沼に入り太平洋戦争の前夜でした。ハンセンの患者は聖戦を汚す国辱と見られていました。私たちはじっと息を潜めていましたが、聖戦を掲げる国家が監獄を病室と欺くことこそ聖戦を汚すものではないかという思いでありました。私たちは必死で彼らを助ける努力をしました。食事を配る係の協力を得て秘かにカツオ節の差し入れに成功しました。人々はカツオ節をかじり、壁をカンカンと打ち合って励まし合い命をながらえることができました。この重監房こそ身の毛もよだつ、正に悪魔の監獄であります。この重監房は昭和22年の8月まで使用されたのであります。人権尊重を強く掲げた日本国憲法の公布は昭和21年の11月3日であります。

 国の隔離政策の極致であり、その象徴的存在でありました。それだけにこの監房の実態を知らずして国の政策の誤りを突き進めることはできないのであります。最後に付け加えたいことがあります。草津の私たちの集落にはリーダー万場軍兵衛という人物がおりました。

この人は、生生塾という塾を主宰し、人間とは何かを語り、国のハンセン病政策の誤りを説明してきた人です。そして、日本国憲法が公布された時、私たちが人間として生きられる時代が来た、新憲法は天の恵と言って喜びました。しかし、同時に天の恵を生かすにはただ待っているだけではだめだ、闘う姿勢とその努力が必要だと訴えたのです。

彼は日本国憲法が制定されてから間もなく亡くなりましたが、死の床で言い遺したことがありました。それは、国はハンセン病政策で間違いを犯した。それを改めさせるために裁判をせよ。それは法廷で国の誤りを認めさせるばかりでなく、多くの虐げられ差別された人々の人権を形にして天下に示すことになると申しました。これはこの人の遺言となりました。年月を得てこの国賠訴訟が始まりました。万場軍兵衛は天国でその成り行きを見守っているに違いありません」

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2020年9月26日 (土)

小説「死の川を越えて」第275

 第二は、この湯の川地区と呼ばれるハンセンの集落は、人々が役員を選んで自治の組織をつくり税金まで納めて助け合って生活したという事実であります。差別と偏見が渦巻く社会で人間として生きることを望む人々の必死で真摯な助け合う姿が見られたのであります。熊本地裁では断種、堕胎が厳しく追及されていましたが、この点についても迷信と国の誤った政策がなかったら、多くの命が救われたに違いないと、私はこの集落の多くの実例を踏まえて信じております」

 水野はここで言葉を切り、何か決意した表情で口を開いた。

「一つの実例を申し上げたいと存じます。この集落に若い男女の患者がおりました。2人は結婚し女は小さな命を宿し産むべきか大いに悩みました。集落にはハンセン病の救済に尽くすキリスト教徒たちがおりました。女はキリスト教徒の女医に進められ京都帝国大学の医師を訪ねました。その人は国の隔離政策に抵抗して自分の信念を貫く聖者のような医師でした。この医師はすがるような女に、ハンセン病は遺伝病ではないこと、感染力は極めて弱く身体に力があればほとんど感染しないと懇切に説明しました。女は天にも昇る思いで子を産みました。生まれた男の子は立派に成長し逞しく生き抜いております。この事実が何を語るか余りにも明らかあります。ハンセン病に関する誤解と迷信は多くの人権を踏みにじり、国の誤った政策はそれを助長し拡大させる、そして勇気ある医師の信念は多くの人命を救い、絶望の渕に立つ人々を救うことができるということです。私は今、この湯の沢地区の人々の人間ドラマの歴史を国の誤りを糾弾する資料として提示するものであります」

 水野は再び言葉を止め、唇を引き締めるようにして続けた。

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2020年9月25日 (金)

人生意気に感ず「ハンセン病の拠点草津楽泉園の今。国連総会に於ける米中の対立とトランプの演説」

◇22日、久しぶりに草津へ向った。秋分の日である。日差しは強いが秋の気配を強く感じる。行き交う車の量は非常に多い。県外からの車が目立つ。国民の活動が活発になっていることが最近の県内コロナ感染者の増加に繋がっているのかも知れない。そんなことを思いながら八ッ場を過ぎ吾妻線の長野原草津口駅の先で白砂渓谷に入る。この渓谷に沿って国道292号を北上した。「六合(くに)」という名が象徴するように歴史が詰まったこの地域である。それが今時代の波の中で大きく変わろうとしている。右手の対岸には長野長英を匿ったと伝えられる集落も見える。

 曲がりくねった国道292号を登り切ったあたりから目的地草津楽泉園が始まる。

◇この日、懐かしい「人権の碑」を中心にいくつかのポイントをみた。長い「楽泉園」の歴史に大きな変化が訪れていた。それは先ず藤田三四郎さんの死。悲願の人権の碑完成を見て92歳でこの世を去った。人権の碑は昨年11月15日に、また藤田さんの句碑は今年になって建てられた。私はこの日、二つの碑を万感の思いで見た。句碑には「定位置にルーペとペンと春炬燵」が刻まれている。私は人権の碑建設委員長として藤田さんたちと力を合わせ、今年になって重監房運営委員となった。重監房と人権の碑は差別及び偏見と闘う砦として存在感を増している。人権の碑には「私たちは人間の空を取り戻しました」とある。重監房は人間を踏みにじった証拠である。現在人間は堕落し、人間の危機が訪れている。コロナの襲来はそれを戒めているようだ。楽泉園を後にして草津の山頂に車を走らせると噴火に備えた緊張が山を覆っている。そそり立つ黒い岩の間から白い噴煙が吹き出している。下界を見下ろすとこれから大異変が起きる不気味さを感じる。コロナと呼応するように地下でも動きが始まったのか。私は天明の大噴火を想像しながら山を下りた。

◇22日の国連総会に於ける米中大統領の演説は実に興味深い。テーマは主にコロナ対策だが、トランプはなり振り構わず中国を批判した。足下のアメリカで感染者が約690万に達し止まるところを知らない。その要因の一つは国内の分断にあると思う。コロナ対策で一番重要なのは人種と国境を越えて力を合わせることだ。トランプの演説は自分の首を絞めているようだ。習主席はウイルス対策ではWHOの下で団結を呼びかけ点数を稼いだ形となった。こんな状況でも米国民は目前の選挙でトランプを選ぶのだろうか。(読者に感謝)

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2020年9月23日 (水)

人生意気に感ず「コロナは勢力を増している。敬老の日に思うこと。センテナリティの時代。私は80歳に」

◇コロナが依然として凄まじい。何となく明るい前方を予想したがそれは儚い願望に過ぎなかったのか。国内でも国外でも感染者数の増加が加速している。この状況で秋のインフルエンザの季節を迎えるのだろうか。国内の感染者は8万人に近づき死者は1,500人に及ぼうとしている。

 驚くべき状況は世界・国外で進行している。世界の感染者は遂に3千万人を超え、死者は94万人の大台に入りつつある。アメリカとロシアを別にすると、発展途上国に於ける増加が目立っている。インド・ブラジル・ペルー・コロンビア・メキシコ・南アフリカ・スペイン・アルゼンチンなどだ。これらの中で、インドが500万人を超えブラジルも445万を越えたことに驚く。また、当初夏には収束するとの観測もあったが、現状は夏の北半球で感染が拡大している。新型コロナウイルスが並々ならぬ相手であることを物語っている。

◇県内感染者が急増していることも気になる。新たな感染者として27人(18日)、15人(19日)、19人(20日)が報道された。いずれも東毛地区であることに注目する。東毛は外国人の居住者が多い。外国人居住者に対する誹謗中傷と差別があってはならない。国際化時代に於いて最も心がけるべき身近な問題だ。学校では国際理解教育として重視しなくてはならない。教育委員会に訴えたい。

◇21日は敬老の日。「人生百年時代」が現実となった。百寿者、つまり100歳以上の人を「センテナリアン」という。1世紀「センチュリー」からできた言葉。県民の平均寿命は男が80.92歳、女が87.11歳で本県の健康寿命は平均寿命より10歳前後短い。私は間もなく(10月30日)、満80歳を迎えるがお陰で健康長寿の街道を疾走中である。走りながらふと「人生とは」と考える。「死の高峰が前方に見える時人間は誰もが哲学者になる。死とは何か、自分はどこから来てどこに向うのかを考えるからだ。

 20日、町内の公園の草取りがあった。持ち回りの人事で今年は私が草取りの会の会長である。前回、雨で中止となったため草が驚くほど伸びた。いつも6時40分に走るがこの日は早めに日課を果たし1時間早く走り終えた。

◇この日敷島公園の中国人帰国者のマス釣り大会に出た。中国人は釣りが好きである。太公望の故事はそれを物語るものだろう。草取りも釣りもマスクをつけコロナに対抗して行われた。(読者に感謝)

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2020年9月22日 (火)

小説「死の川を越えて」第274回

戦後、草津の栗生園に転園し、そこで正に衝撃的な事実を知る。それはハンセン病の光を信じて生きた「死の川」の人々の歴史と悪魔の牢獄重監房のことである。木霊は身振りを交えて強調した。

「死の川の指導者たちは、人間の尊重を信じて生きた人々でした。軍国主義の歴史はそれを真っ向から踏みにじりました。その象徴が重監房でした。日本国憲法は国の政策が誤りであることを示す人類の良心の声です。東京地裁が人間の尊重を守る砦であるなら国の隔離政策の誤りを明確に断罪して頂きたい」

 意見陳述の最後を飾る木霊のこの言葉は甦った死の川の叫びであった。万場軍兵衛やマーガレット・リーの天国から呼びかける声に思えた。そして何よりも、怨みを呑んで亡くなった重監房の人々の地底の叫びであった。木霊の意見陳述を原告達は自分自身のことと受け止めた。そして、裁判長はじめ多くの人々の関心を重監房に向かわせたのであった。

 

水野高明の意見陳述

 

 続いて水野の意見陳述となった。

「私は水野高明と申します。ハンセン病政策で国の責任を問うためには歴史的視点が必要であります。その観点から私の半生の体験に基づく考えを申し上げます。

 私はかつて九州帝大法学部で学生に人権を教えていました。授業の一環で熊本本妙寺のハンセン病集落の人々とも関わりました。その後私自身、ハンセン病に罹り草津のハンセン病の人たちが住む湯の川集落で暮らすことになりました。そこは人権の生きた大学であり、そこでこの国賠訴訟につながる貴重なことを多く経験致しました。

 その第一は、ハンセン病は国が主張しているような恐ろしい伝染病ではないということです。草津の人々が、昔、病者と普通の町民が共同浴場に日常的に入っていたことは、移らないという経験に基づいていたものでした。

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2020年9月21日 (月)

小説「死の川を越えて」第273回

 

 正助がすかさず叫んだ。

「ドイツ人宣教師のカールさんが、ヒトラーのアウシュビッツのことを言っていましたが、草津の重監房は正にアウシュビッツ。これを正さねば日本も同じことをやったと世界から非難されます」

 大きく頷く木霊勇児の黒い姿に燃える熱気が窺えた。それは自らが法廷に立つことを想像している姿に見えた。木霊は悲壮な決意で意見陳述に臨んだ。

「私は本訴訟原告代表の木霊勇児です。胸に刻んだこの訴訟の歴史的意義を踏まえて私の思いを申し上げます」

 木霊はこのように切り出して、自分の身上から語り始めた。昭和7年、東京都で9人兄姉の末の子として生まれた。木霊はこの時の時代背景を語る。それが彼の陳述の基礎になるからである。前年、政府は満州事変を起こして大陸への侵略を本格化させ、これに呼応させるように「らい予防法」を成立させてハンセン病患者隔離絶滅政策を強化させた。

「母は産後の肥立ちが悪く、診てもらうと、医者は同時にハンセン病と診断しました。母は強制収容され、家は大げさに消毒され、周りから白い目で見られ一家はそこで住めなくなったのです。家族は母をたよって生きていましたので母は命がけで脱走を繰り返しました。母の姿には鬼気迫るものがありましたが家族を思う心が子ども心によく分かりました。母は私の感染を恐れて抱くことをせず私はミルクで育てられました。母は私の発病を知って自殺を図りました。私も収容され、園内の学校に通いました。そこで聞かされる文化人と称する人たちの講演が嫌でした。彼らは皆、お前たちは戦争の役に立たない非国民で日の丸の汚点だと語ったからです。戦争の敗色が濃くなり全生園はB29の通過点なので爆撃の恐怖に生きた心地がありませんでした。誰もいない病室で動けない母を守って息を殺して耐えました」

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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2020年9月20日 (日)

小説「死の川を越えて」第272回

 熊本地裁の裁判のおよそ8カ月後、東京地裁でも遂に訴えが起こされた。そこで、木霊勇児、水野高明たちは対策を練った。彼らは熊本地裁の動きを見て国を攻める要点は国の強制隔離政策を生々しい事実に基づいて明らかにすることだと知った。そして、草津栗生園の歴史と実態、特に重監房の悲惨さを力を合わせて訴えようと話し合った。彼らは草津こそこの裁判の天王山と身を引き締めて臨んだ。先ず木霊勇児が意見陳述することになった。

 ある日、それに備えて、水野、正助、正太郎たちが木霊を囲んで対策を話し合った。

 水野高明が言った。

「いよいよここまで来ましたな。万場先生の遺言が着々と実現されていくことを感じます。かつて万場先生とサイパン放送を聞いて新しい人間尊重の世の中が実現されることを予感しました。新憲法が公布され、社会の大勢は民主主義に向けて滔々と動き出した。それにも拘わらずハンセンの患者だけがこの流れに取り残され差別と偏見の重圧に押し潰されている。人間尊重を謳った日本国憲法が泣く。政府と国会が存在する東京で勝つことの意味は大きい」

 これに深く頷いた木霊が唇に決意を示して言った。

「熊本訴訟の争点の中心は国の絶対隔離政策です。この政策の象徴が我が草津の重監房です。重監房は取り壊されたがあの悪魔の監獄をうやむやにしてはなりません。悪魔の亡霊はまだ生きていて社会に差別と偏見を広めている。東京の裁判所であの牢獄の実態を白日の下に晒さねばそれはなくなりません。あそこで亡くなった人々の霊は浮かばれません」

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連鎖しています。

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2020年9月19日 (土)

小説「死の川を越えて」第270回

法廷でもらい泣きをする人々があちこちで見えた。

「はい。いろいろ悩み、一時はハンセン病の医者をやめようかとも思いましたが、妻が愛生園を辞めることはそこの多くの患者さんを欺くことだから初心を貫いて欲しい、どのような苦労も共にするからと申しました。このようなこともあって、ハンセン病の医者をやめることは思いとどまりました」

 尋問は続く。

「国側は、患者が退所しようと思えば出来たのにそれをしなかった。勝手にそれを選んだのだという主張をしていますが」

 犀川は、涙をぬぐってきっぱりと言った。

「違います。それはありません。このケースでは弟が嫁をもらったため家に帰れなくなった。このように、家族のことを考えなければならないとか、職業を捨てて入って、その職業に戻れないとか、そして何よりも社会に相変わらず存在する根強い差別と偏見のため帰れなくなったのです。施設に入れることがハンセン病の患者をスポイルするのです。絶対隔離の施設の存在が社会の差別と偏見を生んでいるのです」

 犀川の涙の証言は国の隔離政策を雄弁に断罪し、裁判官の心を動かすものであった。

主な証言が終わり口頭弁論は大詰めを迎えることになった。人々は様々な衝撃的証言を振り返りこれらが判決にどのように結びつくかと息を呑む思いで待った。

 

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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«人生意気に感ず「新閣僚の布陣を見る。米中の狭間に立っての日本そして新政権の使命と役割」