2025年7月 8日 (火)

「参院選の序盤状況は語る。参政党の移民政策に思うこと。発展途上国との連携と人口減少社会」

◇福島の視察の旅で、時々参院選のポスターが目につき気になっていた。3日告示、20日投開票の参院選は早くも序盤戦に突入した。時代の大きな節目を映した激変が感じられる。選挙の行方は社会の奔流の先にある。都議選が前哨戦と言われたが、その都議選もその前から続く一つの方向を目指した流れの中にあったと見なくてはならない。どす黒く動くのは政治不信という名の怪物である。裏金問題、石破首相の商品券問題、国会の論争で交わされる言葉の軽さ、国民はそれをじっと見ている。矢面に立つのは自民党である。野党は一つになれないから与党をとことん追い詰めるのは困難だろう。しかし更に議席数を減らせば内憂外患の荒波を乗り切ることは一層困難になる。庶民にとって最大の課題は物価高である。あらゆるものがじわりじわりと値上がりしている。硬貨を握ってコンビニに飛び込んだ時、それで買える物が日に日に少なくなっている。お金が軽くなっているのだ。

◇自公苦戦の大見出しが躍る。一方、立憲民主党は堅調で改選22議席を上回る公算が大きく、国民民主党と参政党は勢いを見せているらしい。

 政権選択選挙と見る向きは多いが、その可能性はあるのか。多数決、議員内閣制の下では現与党体制を変えることは困難であるが、政権選択のかけ声が世論に与える影響は大きいのではなかろうか。

◇参政党の急伸には危機感を感じる。全45選挙区に候補者を立て保守色の強い政策を掲げる。保守色が強いという実態は移民政策に現れている。日本の社会を守るためと称して移民の受け入れを制限しようとするもの。目先の利益、目前の害を避けようとして移民を制限することはアメリカのトランプの政策と繋がるものがある。日本は急激な人口減少社会の中にある。一方、福祉や建設など各分野で外国人労働者に頼らねばならない情態にある。また移民を厳しく制限することは人道主義に反する恐れもある。現在アメリカではトランプの不法移民の取締りに対し全米で凄い抗議デモが起きている。日本は今後ますます発展途上国と連携を密にしなければならない。移民に優しい国であることは日本の国益に合致する方向である。7日、私が理事を勤める日本アカデミーで入学式があった。多くの国々、その中味は東南アジアが多い。多くの若者は日本語と日本の文化を学び、やがて日本の社会を支える存在になる。移民に寛容であると同じに日本の文化を守らねばならない。(読者に感謝)

|

2025年7月 7日 (月)

「福島県の先進図書館を視察して思うこと。図書館はその地域の文化度を物語る」

◇昨日(6日)は早朝から大型バスで福島県へ向かった。先進的な2つの図書館の視察である。那須塩原市図書館「みるる」、及び須賀川市民交流センター内の図書館「tette(てって)」である。主催は伊勢崎図書館移転推進市民会議。図書館問題に深い関心を持つミライズクラブは、クラブの活動として参加した。

 朝の北関東、東北道は爽快であった。バスの中は多彩な人物であふれ心地よい緊張感があった。

 図書館の在り方は地域の文化度を現す。群馬県立図書館は少年の頃から利用してきた。政治の世界に入ってから気付いたことがある。政治家の影がほとんど見えないことである。それは議会図書館についてもほぼ同様のことが言えた。県議会には議会事務局があり多くの職員が配置されている。議員たちはこの体制を十分活かしているのだろうか。地方議員の質の低下が叫ばれている。世は地方創生の時代である。

 前記の図書館の文化度はその地域の特色に支えられて息ずいていた。那須塩原市図書館「みるる」ではネーミングの由来を訊いた。図書館だから「見る」の意かと思ったら意外。この地はミルク、つまり生乳の生産が全国屈指であることからこの名になったとのこと。「みるる」の語源は「みるく」なのだ。地域密着の状況を微笑ましく思った。私はこの図書館に3冊の著書を贈呈した。「死の川を越えて」(上・下巻)と「望郷の叫び」である。「死の川を越えて」はハンセン病の人々が差別と偏見の中で生きる姿を描いたもので、小説の形で一年間新聞に連載したものであることを説明した。ハンセン病に関して新聞が取り上げることは勇気と決断が必要だったと語った。

 帰りのバスでは一人ひとりが視察を振り返る話をした。図書館との関わりは人様々である。その人の経歴や人生経験によっても異なるに違いない。他県への図書館視察は滅多にない機会である。そこで聞く人々の感想は面白く貴重な財産となった。

 帰宅すると大館光子先生のショートメールが届いていた。その中に「頂いた本読み終えました」とある。99歳の人である。「凄いなあ」と思った。元総社の中学を卒業する時、「君は何か書き続けた方がいいよ」と声をかけてくれた人である。絶望の闇にいた少年はこの言葉に支えられて生き、書いてきた。他の著作も読んでほしいと思う。それを贈ろうか。先生の命の火を支える力になれれば幸いだ。(読者に感謝)

|

2025年7月 6日 (日)

死の川を越えて 第129回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 万場老人は決意を固める表情で切り出した。

「ハンセン病の問題が新たな局面を迎えようとしている。ここで大切なことは問題の根っこをつかむことじゃ。わしは、お前にわしの過去を語ったことで踏ん切りがついた。難しい問題を易しく説いて情報を提供する。そして、この根っこを明らかにする。これがわしの第一の使命と考えるに至った。そこで行動に移さねばならぬ。第一歩を踏み出さねばと思うに至ったのじゃ。正助よ、いつもの人たちを集めてくれ、欲張らずに一歩一歩前進する決意じゃ」

「先生、分かりました」

 正助は、万場老人の秘密を最初に知った者として大きな誇りを持っていた。集まった人々の中には、マーガレット・リー女史もいた。

「今日は、難しい法律の話。われわれの運命を縛っておる法律の話じゃ。覚悟して聞いてほしい。われわれハンセン病の患者は、さまよえるごみ、嫌われる社会の汚物。このごみを、そして、ごみや汚物を集めて管理しようとするのが、これから話す法律の目的じゃ」

 万場老人はそう言いながら傍らの書物の山から一枚の紙片を引き出した。

「これじゃ。明治40年につくられた、癩予防に関する件という法律で、法律第11号とある。われわれ患者が最も恐れる消毒もこの法律に定められておる。この消毒で古里を追われた者は、この湯の川にも少なくないはず」

 この時、さやは、唇をかんで下を向いた。福島の実家の悲劇が頭によみがえっていたのだ。さやがハンセン病と知られ、大掛かりに調査されたことにより、姉は離縁され井戸に飛び込んで死んだ。ああ、あの忌まわしい出来事の元を定めた法律のことか、と思うとさやは頭を上げることができない。

「この法律の根幹、つまり、根と幹を説明しますぞ。法律は本来、国民のものだ。この場合、最も関わりが深い国民とはわれわれ患者であるぞ。その患者が誰もこの法律を知らぬとは何ごとか。悪い法律なら、それと闘わねばならぬが、知らなければ闘いようがあるまい。もっと早く話すべきであった。わしの怠慢であった」

 万場老人の声にはいつもと違う力がこもっていると感じられた。正助はこれが東京帝国大学で学んだ力なのかと、老人が大学の寮歌を歌った姿を思い出していた。

「この法律はな、医者がハンセン病を診断した時は患者と家人に消毒を指示し、かつ3日以内に届け出よと定めておる。国の法律だから、これで全国が一斉に動き出す。患者の取り締まりには警察が中心となる仕組みなので、どの県でもそれが可能となるように知事の命令が定められた」

 万場老人はそう言って、さらに別の書類を引き出した。

「当時の群馬県知事は神山順平。警察に次にように命じておる。つまり、ハンセン病の患者名簿をつくり、患者の届け出があった時には、直ちにその名簿に載せ、その塔本を知事に提出するべしというのじゃ。あの法律ができてから年月が過ぎ、この法律の威力と恐怖がますます高まってきた。弱ったことじゃ」

 万場老人は手に持った書類を脇に打ち付けるようにしながら言った。

つづく

|

2025年7月 5日 (土)

死の川を越えて 第128回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

  • 法・「癩予防に関する件」

 

 正助は万場軍兵衛の不思議な過去に感動した。次に会った時正助は高まる気持ちを抑えて言った。

「先日、先生はとても気になることを言いました。この湯の川の移転とか解散につながることがあると。俺は、そのことがとても気になっています。一体、どういうことなのですか」

「うーむ。重大なことで、われわれの前に立ちはだかった大きな壁じゃ。国がある動きを始めようとしている。ハンセン病の患者を集めて収容しようという動きなのじゃ。癩予防に関する件という法律が根拠になっておる。実は群馬県議会にも関係した動きがある。わしは、古巣の中央の官庁の友人からひそかに情報を得て調べておる。われわれハンセン病の運命に関わることじゃ。ただ、流されるだけでは絶対にいかん。闘わねばならん。そのためには、情報を共有し、心を合わさねばならぬ」

 万場老人はそう言って、正助の顔を鋭く見据えた。

「前回、ベルツ博士のことを話したな。博士は最高学府を出たわたしがハンセン病にかかったことには意味があると申された。その時は漠然と受け止めていたが、最近核心に近づいていることを感じるようになった。そして、わしの使命が明らかになってきたのじゃ。われわれの運命に関わる問題が目の前に現れたために、わしの使命が分かったのじゃ。それはこの大問題と対決することなのじゃ。わしは、老骨にむち打って頑張るつもりじゃ。よいか、力を合わせるのだ」

「分かりました。俺は無学で難しいことは何も分かりませんが、先生の言うとおり一生懸命動きます。そして、一生懸命勉強します」

「おお、よくぞ申した。この湯の川で暮したことが重要な意味を持つことが分かってきたのだ。この湯の川で暮した体験を生かして、ハンセン病の光を育てるのじゃ。ハンセン病の人々の生きる力を育てるのじゃ。お前が大陸へ行って経験したことも生きるのじゃ。そうそう県議会へ、お前たち家族が行ったこともきっと生きるぞ」

 老人はきっぱりと言い放った。

つづく

 

|

2025年7月 4日 (金)

「予期せぬ訪問者に驚く。ロシアは恐ろしい、『望郷の叫び』も怒りの叫びを。参院選を考える」

◇昨日非常に珍しい人の来訪があった。それはいく日か前の恩師大館光子先生のメールに繋がる。それには「今日南橘中の同窓会に行きました。中村君とシベリアへ行ってきたという人がいました」とある。誰だろう。周りは興味津々である。シベリアに行った人は5名、内2名は元シベリア抑留の経験者で、今は天国にいる塩原さんと青柳さんである。「もしかして天国に行った人の子どもさんか」と楽しい想像を巡らせていたのである。

 そういう状況下での「珍しい人の来訪」であった。突然私の前に立った人の顔を見て「あっ」と声を上げた。あの塩原眞資さんとそっくりである。

 塩原さんの話によれば、大館先生が私の教え子に中村紀雄という人がいると話したという。それを聞いて塩原さんは自分の父親が中村とシベリアへ行き、中村がシベリア強制抑留記「望郷の叫び」を書いたことを話したのだ。先生がその本を読みたいということで塩原さんが来訪したわけであった。

◇塩原さんたちと訪れた強制抑留の跡地や滔滔と流れる大河黒竜江が甦る。ロシアは恐ろしい隣国である。約60万人の日本人が抑留され寒さと飢えと過酷な労働で約6万人が死んだ。世界情勢が激しく変化し、現在世界の平和が危機にある。ロシア、北朝鮮、中国などに対し日本は最前線にあり、日本の役割は極めて大きい。シベリア強制抑留の犠牲者たちの貴重な経験を活かさねばならない。拙著「望郷の叫び」も北へ向かって怒りの叫びをあげている。

◇参院選が3日公示された。朝走ると辻の選挙用掲示板に活気が見られた。候補者のポスターである。一部を除いてほとんど知らない顔ぶれ。これが新しい時代の到来を示すものかと思った。与党、そして自民党の凋落は全国的には深刻らしい。前哨戦たる都議会選で示された実態は現実のものとなりそうである。

 今回の参院選は事実上政権選択選挙になりそうである。世の中は腐りに腐っている。そして政治の課題は前代未聞と言われる程深刻である。選択の俎上にある候補者たちに現実を見る目はあるのか、そして国難に立ち向かう覚悟はあるのか問いたい。

 全国至る所大洪水のような状況の水。地震は全国で異常さを重ねている。特にトカラ列島付近では震度6弱のものまで起きている。天地が鳴動する中の参院選だ。数よりは理に重きを置く選挙。冷静な選択により日本丸の羅針盤をしっかりと設置したい。一票の重みを考える時。(読者に感謝)

|

2025年7月 3日 (木)

「教育界の崩壊に思うこと。名古屋の盗撮は氷山の一角か。異常に多いトカラの地震は何の前兆か。終戦記念日に思うこと」

◇早朝走りに出て週刊誌を買った。選挙が始まることもあるが「変態教師グループ」の大見出しに興味をひかれたのだ。先日のブログにも書いたが教育界は大変なことになっている。日本の異常さを象徴するというべきか。給食時に瓶に溜めていた自身の精液を児童に飲ませようとしたとか。こういう人物が教職の世界に入れることが問題だと思う。

 ショッキングな事件が発端となって明るみに出たがその後おかしな盗撮事件が教育界で次々と問題になっている。最早、根本的な対策を国として講じなければならない所まで来ているというべきだ。

 埼玉県所沢市では、公立小の教諭がスマホで着替え中の女子児童を盗撮しようとしたとして逮捕された。性的姿態撮影処罰法違反の疑いとされる。スマホには盗撮された映像があった。直接の逮捕容疑は盗撮目的による建造物侵入容疑である。

◇また、未成年者買春容疑で私立校講師が2日までに警視庁に逮捕されている。18歳未満と知りながらインターネットカフェで当時16歳の女子高生に1万円を渡してわいせつな行為をしたもの。表に現れない事件は多く新聞に載るのは氷山の一角という説もある。空恐ろしいことである。

◇人心の乱れと連動するかのように地震が異常に多くなっている。鹿児島県十島村で震度5弱が頻発している。その多さはただ事ではない。最近の回数は900回を超えている。トカラ列島近海の悪石島や小宝島などが中心である。海の下で何が起きているのか。首都直下型、南海トラフ型に注目を集めてきたが思わぬ所での異常事態発生である。専門家は関係ないと言うのだろうが素人は大自然の不気味さに恐れ戦くばかりである。

◇8月の終戦記念日が近づく。8月15日が終戦の日で前橋大空襲は8月5日の夜であった。県庁近くで生まれた私は、前橋公園近くの防空壕に逃げ込んで息を殺した。一夜明けると前橋市街は焼け野原で赤城山が非常に近づいて見えた。国破れて山河ありの光景であった。カトリック教会を境にして走る南北の道路の西は消失を逃れ、我が家も無事だった。近くには六本木病院や消防小屋があった。今でも記憶に焼き付いているのは、消防小屋の広場で二人のおじさんがネズミを焼いて食べていたこと。飢えとの戦いが始まっていた。進駐軍の恐ろしいデマも飛び交っていた。大局を見る目のない父はデマに追われるように赤城山へ逃れた。(読者に感謝)

|

2025年7月 2日 (水)

「信じ難い教師たちの盗撮事件。ラオスで少女を買う日本男性。跡を絶たないストーカー事件。カルーセル麻紀の壮大な人生」

◇狂乱と享楽の世相をこれほど見事に描く出来事はあるまいと思わせるのは教師たちの教室での女児盗撮である。これを例外的な突発事例と見るのは甘いのだ。社会の病理の深い闇で不気味な怪物と繋がっていることが窺われる。それを示す事例が続々と登場する。

 日本人男性のラオスにおける少女売買が問題になっている。ラオスは非常に貧しい国である。小学生や中学生くらいの少女の買春が拡大しているといわれる。日本の警察は海外の児童買春を積極的に取り締まっていると言われる。被害者の訴えがなく、児童の年齢を知らなくとも日本の児童買春・ポルノ禁止法違反で処罰され得るとされる。外務省によると6月に入り、ラオス在住の日本人がラオスでの児童買春撲滅を求める署名2万5千筆以上を提出した。ラオスの道路脇に立つ日本人女性の姿がある。手には文字板を持っている。それには次のようにある。「ラオスにおける児童買春撲滅に向けた日本政府のさらなる対応を求める署名。賛同者、25,522」女性の名は岩竹綾子さんである。ラオス国内で大きな社会問題になっていることが窺える。貧しい国の少女を食い物にしている日本人の品性を人々は見下げているに違いない。世界の経済大国といわれる日本の実態はこんなものかと呆れさげすんでいるだろう。

◇悲惨なストーカー事件が跡を絶たない。横浜のマンションで殺された大学生冨永紗菜さんは当時18歳だった。犯人の男はSNSなどで執拗に復縁を迫っていた。懲役18年が確定した。

 昨年のストーカー規制法違反事件の摘発件数は過去最多の1,028件だった。昨年1年間に全国の警察に寄せられたストーカー相談件数は19,567件だった。これはストーカー被害が非常に深刻であることを物語る。警察はこの状況に対し適切に対応することは不可能なのか。一歩でもの前進を願うばかりである。

◇カルーセル麻紀が全国紙の文化欄に取り上げられ、19回にわたり連載された。変わった物に対する好奇心から読んだが、やがて強い意志で人生を開拓する姿に心打たれた。小学校では「女のなりかけ」といじめられた。番長が「テッコに手を出すな」と守ってくれた。性適合手術も乗り越える。鬼と思っていた父が実は麻紀のレコードを集めていた。通夜の日「親父、負けたよ」と棺をたたいた。多様性の時代に目を開かされた思い。何物も恐れずに自分の世界を切り開いた人生だった。連載の題名は「人生の贈りもの」。天が与えたものを謙虚に受け止めたのだ。(読者に感謝)

|

2025年7月 1日 (火)

「ふるさと塾の続き。グレタとトランプの対決。ハーバード大への圧力の意味。日本の役割と生きる道は」

◇環境活動家の少女グレタとトランプの対決は面白い。少女は地球文明の危機を思い何もしない大人たちに学校ストライキをもって迫る。一方のトランプはアメリカ・ナンバーワンを掲げ、そのためには地球環境はどうなってもいいと考えているのだろう。パリ協定も離脱した。図体は大きいが廃棄物として捨てられるべき存在と言っても良い。少女と視線を交わす場面は勝敗がはっきりした漫画のドラマであった。グレタ・トゥーンベリは15歳の時「気候のための学校ストライキ」という看板を掲げ議会に対しより強い気候変動対策を呼び掛けた。学校ストライキは抗議の意思を示す行動として授業に出ないこと。具体的には金曜日を当てる。「未来のための金曜日」の名称で気候変動学校ストライキ運動が大規模に組織された。氷河が溶け、海水面が上昇し、いたる所での大洪水や山火事などが少女の叫びを後押ししたのだ。2018年国連気候変動会議で演説して以降、学生ストライキは毎週世界で行われた。かつてない若者の反乱である。2019年5月、グレタはタイム誌の表紙に取り上げられた。

◇その他ふるさと塾で取り上げた大きな問題としてトランプ大統領の「ハーバード大学への圧力」があった。助成金の停止、留学生受け入れの停止などだ。これは思想信条の自由への挑戦であり、アメリカを支えてきた人材育成への妨げである。私は圧力的な数を誇るノーベル賞受賞者が減るだろうと語った。ハーバードに集まった優秀な人材は中国やヨーロッパに流れていると言われる。あアメリカの凋落の始まり、トランプの終わりの始まりと指摘する人は多い。アメリカの建国の精神はどこに行ったのか。世界の平和をリードした価値観の消滅は弱肉強食の世界の出現を許してしまった。イスラエルとイランの戦は世界の核戦争の危機を生んでいる。「日本の役割と生きる道は」という質問がよくある。それには次のように答えることにしている。「日はしたたかにそして賢明に対応しなくてはならない。日本は北朝鮮、ロシア、中国に対する最前線にある。平和憲法を基盤にし、技術立国を誇る日本は世界に広がる発展途上国に信頼されている。これらの国々と連携し絆を強くすることになってトランプや世界の危ない国々に対応することができる。日本は累卵の危機にあるのだ。ふるさと塾のタイトルは「内外の危機、日本の生きる道と日本の役割」であった。(読者に感謝)

|

2025年6月30日 (月)

「ふるさと塾で教皇や環境家の少女グレタを語る」

◇28日土曜日は炎暑が続く中の「ふるさと塾」であった。テーマのいくつかは塾生以外にも知って欲しいものなので、このブログで紹介したい。沖縄戦、異色の教皇フランシスコ、環境活動家の少女グレタ・トゥーンベリなどだ。

 6月23日は沖縄戦没者追悼式の日。沖縄戦は民間人を巻き込んだ地獄の戦場であった。そして武士道から外れた状況を随所に示した戦いであった。戦争とはそういうものということを痛感させられる。海外の戦場でも同様だったろうと想像させられた。「バンザイクリフ」は降伏を禁じられた多くの民間人が断崖(クリフ)からバンザイを叫びながら飛び降りた悲しい物語である。自然洞窟「ガマ」は住民の避難壕、日本軍の陣地、野戦病院としても使われ閉鎖空間では多くの悲劇が起きた。日本にとっては絶好の砦であったが米兵にとっては恐怖の存在であったから、洞窟は火災放射器で焼かれた。91歳の語り部の女性は累々たる死体は真っ白なウジでふくれ、その臭いは今でも鼻の奥に残るようだと語る。「ひめゆり部隊」は看護要因として動員された師範学校や高等女学校の生徒たちである。240人中136人が死亡。一部の生徒は手榴弾で自決した。ヒメユリの名にふさわしい可憐な乙女たちの最後を思うと込み上げるものがある。

◇前教皇フランシスコは波乱に満ちた壮大な人生を生きた人である。南米アルゼンチンのブエノスアイレスに生まれ、両親はイタリアからの移民であった。化学技師やナイトクラブの用心棒として働いた後、20歳で神学校に入学した。悪童たちを教え、受刑者の足を洗い、ブエノスアイレス市内各所にあるスラム街へと通った。その温厚な表情からナイトクラブの用心棒を想像することは難しい。黒人男性の前に跪き足にキスする姿に塾生たちは驚いていた。

 私はここで脱線して過去の誤った自分の行動に触れた。「教皇はあの笑顔で激しい行動を泰然として行いました。私は夜間高校のとき心のマグマを抑えられず人に障害をお与えました」。教皇と自分の差がいかに大きいかを痛感して語ったのだ。

◇教皇フランシスコとスウェーデンの少女グレタ・トゥーンベリの対面の光景は思わず心を明るくする。少女の無邪気ではじけるような笑顔と教皇との対面の光景は胸を打つ。少女の手には「気候のためにストライキを」と書かれた文字が。教皇は、「取り組みを続けてください。続けるのです」と語った。トランプは少女を「奇妙な人物だ。若く怒りに満ちている」と評した。すれ違って視線を交わす場面は面白い。明日につづく。

(読者に感謝)

|

2025年6月29日 (日)

死の川を越えて 第127回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 万場老人の話に正助の胸は躍った。

「どきどきしますね。ベルツ博士は確か草津にも来ていますね」

「うむ、そうじゃ。わしは恩師の紹介でベルツ博士に会うことができた。驚いたことにな、ベルツはわしがレプラにかかったという話を聞くとすぐに草津の湯を語り出したのじゃ。博士が言うには、草津の湯は強い酸性で結核によく効く、結核菌とらい菌はよく似ている。

だから草津の湯はハンセン病にも効くはずだと。草津といえば、わしの祖先の地。ハンセン病に効く話は聞いていたが、高名な医学者に言われて、強く動かされたのじゃ」

「ははあ、それで先生は湯の川に来たのですか」

「ここにたどり着くまでには、ずい分悩み、時間がかかったが、まあ、結論はそうじゃ。ところでな、ベルツはわしに大変重要なことを教えてくれた。お前には、今日それを伝えたい」

 万場老人は、ここで話すのを止め、茶をすすった。正助は、老人は何を語るのか固唾をのむ思いで待った。

「ベルツ博士は語った。ハンセン病は非常に歴史は古い。ハンセン病とどう向き合うかは人間性の問題だ。ハンセン病にはどこの国でも迷信と偏見がつきまとっている。無知が迷信と偏見を生む。また、社会の仕組みが無知と迷信を作り出す。こういうのだ。そして、博士は草津へ来て、共同浴場でハンセン病患者と一般の人が一緒に入っている様に腰を抜かすほど驚いたと申す。そして、わしにこう申したのだ。日本の最高学府で学んだ君がレプラにかかったことは、君にとっては誠に気の毒であるが、社会のためには重要な意味がある。自分のため、社会のために、レプラと向き合って闘ってみてはどうか、と。はい、そうですかと簡単に答えられる問題ではない。でもな、ベルツ博士の言葉はなぜか私の心を強く揺すった。草津には何かがあるに違いないと思い、この湯の川に来たのじゃ。立身栄達とは無縁となったが、湯川の音を聞きながら、好きな書物を読み、物を書くことにひそかな喜びも感じられるようになった。それに、お前たちが集まるようになってからは、人と交わりハンセン病という社会問題にも関わるようになった。今、わしは自分の人生を噛み締めておるぞ。東大、そして、ベルツ以来のことを話して、湯の川の移転や解散に揺れる今、残りの人生がますます重要に思えてきた。正助頼むぞ」

「先生、よいお話をありがとうございました。俺の胸に大きな勇気が湧いてきました」

「それはうれしい」

 こう言って二人は強く手を握り合った。

つづく

|

«死の川を越えて 第126回